魔術的芸術  アンドレ・ブルトン

February 18, 2006

魔術的芸術:9     アンドレ・ブルトン

大いなる統合:ギュスターブ・モローとポール・ゴーガン
モローはその空漠とした美術館に「時代物の」額縁とともに、
「魔法にかけられた魔法つかい」のように幽閉されている。
ドガの「オリンピアの神々に時計の鎖をとりつけた」という論評と、「パルナッソス神話の安物市」と評された評価は不当である。

「モローは本当の呪術師である。彼は神秘の閾を押し開いたことを自負していい。
自らの時代を混乱に陥れた栄光をほしいままにできる。
彼岸と神秘主義に病んでいる芸術家たちに、甘美な死者たちへの、かつて彼が時間の鏡のなかに蘇らせた死せる女たちへの、危険な愛を教えたのだ。
古い神々の系譜と象徴と退廃に憑かれた、この痛ましい強迫観念、死に絶えた宗教において崇められていた、神々の淫蕩へのあくなき関心、この世紀末の傷つきやすい心の、甘美な病になりおおせたのだ@ジャン・ロラン」

「『ユピテルとセレメー』や『一角獣の貴婦人』に庭への闖入にいたるまで、既視感に囚われる夢遊病的世界を支配しているのは、グノーシス派の護符このかた忘れられていた魔術的な「眼」そのものである。
死の秘密を教えられた人の、いわくいいがたいまなざしをオルフェウスと交わし合う女司祭の眼を、永遠の若さを征服するアルゴー船員の眼を導かなければならなかった。
それは存在のおよそ人を近づけない深みからほとばしりでた世界である」

「私は自分の見るものも触れるものも信じない。私が信じるのは、私が見えないもの、感じるものだけである@モロー」
いいしれぬ感覚によって自分という「マティエール」に引き付けられた画家が、みずからを描き出そうとするときに「天空を見つめる大いなる半獣神」が呼びだされるのだ。

「しかし芸術の本質的な機能は、本当に眩暈を定着することなのだろうか?」
この「イデオローグ」の内面への亡命に対応するのが、ゴーガンの漂白である。

「論理的にいって、異国や滅亡した世界のさいはての地を求めることは、絶対へといたる@ジャリ」
ゴーガンの作品は、原始主義とひとくくりされがちだが、それはヒューマニズムではなくタブローの物質的諸要素そのものから出発する神話の探求である。
印象派は純粋にフォルムの探求に終始したのに対して、ゴーガンの絵画は物理学の後に来る形而上学として描きだす。
彼はポエジーのまま自らのうちに魔術師がいることに気づき、その魔術師について原始的定義ないしは近似値を与えたただひとりの画家なのだ。

人間の悲劇性の偉大なる証人であるゴッホは、心的外傷を変成し無化する疑いようの無い至上の天才というところまでは到らず、外見という壁を崩壊させたが、けっして壁の廃虚の上を飛翔はしなかった。

絵画の「古典的」な伝統の分裂は1914年ごろには頂点に達していた。
ロマン主義の系譜はその根源が見失われるほどに縺れ合い、魔術を奪還するためには1世紀半におよぶ努力の壮大な挫折によって清算されねばならないかに見えた。
キュビズムは物体を切り刻んでいたが、この物体に生命を与え返す力はなかった。

この本も後1章を残すのみ。次回で最後だと思います。

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January 13, 2006

魔術的芸術:8 アンドレ・ブルトン

1)「おおいなるあやかし」 眼の「錯覚」の不思議とその限界
アルフレッド・ジャリは「紋章」に託された二重の標章を賞賛した。
二重性は危険や狂気、知的ないし道徳的な不幸といったものの弁証法とされてきた。

鏡を前にした我々が自分自身のイメージを見ると、その像もまた自分自身を見るという具合に際限ない繰り返しがおこる。
眼は「野性の意識がもつさまざまな不安のもっとも豊かな部分を支える身体器官」であった

特別な呪力を宿したある種の眼は、魔術を伝達する道具であり、ヴィジョンというものに極度の綿密さを与え、その結果、錯乱させ世界の二重化の魔術を見る者に与えると同時に、世界の二重性の解読を提示する。
それは眼を開いて生まれてきた子供は魔術師になるとか、魔女リリスは自由に眼を取り外し子供の夢に毒の入った乳を与えるニンフ(プルタルコス)になる、あるいは水晶や宝石でできた第三の眼を付ける「イービル・アイ:邪眼」という不吉な眼の言い伝えなどの伝承に痕跡を残す。

「最良のイメージは、虚空の中に向かい合った吊るされている二枚の鏡である。
これは永遠の一つの裂け目である@ピカビア」

キリコの先駆をなしアルチンボルトの不思議な肖像画は秘境的な配慮の結果であると云われ、逆さまのキュビズム前派である。


2)混沌への誘い。表現主義から表意文字へ
19世紀末からの芸術的な表現は人の不安に支配されている。
想像力が極限的な活動を行ないあらゆるイメージを見つくし、それが自然界に存在するあらゆる事物に衝突するとき、魔術の中心に横たわり、魔術の真性さの保証でもあるカオスへ向けられた呼び声となり、ムンクのような狂人に透視能力を与える。
想像力の問題は、魔術的創造の「効力」の問題である。

カンディンスキーは世界の再創造の中心に一気に飛び込み、
「物質の精神化」に神智学を用い「抽象」の問題を提出すると同時に解決した。
彼の作品は、「混沌の通過」のリズミックな紋章的な解決を提示している。

「シュプレマティスト」もヨーロッパの永続性に幻想を抱いていなかったし、
マレービッチは自分の絵画に「最初の人類の足跡」にも似た痕跡を砂の上に残す欲望であると語っている。

モンドリアンのジャズから触発されたインプロビゼイションの作品は、
「芸術としての芸術の終焉」を告げるこになる。
「純粋な造型性」論は最初から破産した議論だったのだ。

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January 06, 2006

魔術的芸術:7   アンドレ・ブルトン

デカルトに代表される近代知性は、実証主義から、現実の魔術的―宗教的基底を覆い隠すことになります。

ただフォンテーヌブロー派として知られる16世紀のフランス絵画が古代の詩編から生まれでた、理想のニンフの復活させます。
この魔力はアントワーヌ・カロン(聖バルテミーと精神分析の予兆である「アルモの葬儀」の画家)に引き継がれ、ピエロ・ディ・コージモによる異教の再発見にいたります。
コージモはレオナルドとならぶ美術史上もっとも人を悩ませる画家です。
コージモの絵画は、汚物にまみれた壁にこの世のもっとも美しきもの、壮大な風景を読み取り、異教神話(キリスト教以外ということ)に捧げられました。
その本質的な関心は、理性により破棄されてしまった古代の自然主義の再創造です。

ブルトンによればドラクロアは空疎なロマン主義的挿絵画家ですが、アングルの「オダリスク」はその周囲の濃い赤と古代風の緑との調和は、裸体画の最後の巨匠である事を証明するとともに、
「ユピテルに哀願するテティス」に見られるように、永遠に女性的なるものを内側から認識した画家であることを示す。
ようするにアングル>ドラクロワだって。ブルトンによれば。

ロマン主義的幻視と内的世界
「自然」が「怪物じみた」存在感をさられけだす時、存在の無限に多様な形態はもはや自己表現の為の寓意的・神話的な典拠を必要としない。これがロマン主義の根底です。

フュースリやベックリン(死の島@1880)はランボー以前に眩惑を定着させていた。
それに反しブレイクは彼の叙事詩のあまりにも字義的な注釈にしか見えない。(←個人的に納得)

ゴヤの時代はヨーロッパの「熱狂」文学の時代と一致するが、ゴヤはナポレオンの引き起こしたスペインのドラマに巻き込まれ、自分自身の内的世界を探り
「サバト、または大きな牡山羊」で見られるように悪魔的な世界へと降りていった。

「ゴヤの偉大なる功績は、化け物自体の真実らしさを創出したことにある。
彼の化け物たちは生存可能な調和のとれたものとして生まれ、実際に可能な不条理へと向けて突き進んだ。
そこには人間らしさすらひそみ、身体の各部の類比関係と調和し、現実的なものと幻想的なものの縫合線の結合部は、もっとも功名な分析者すら見分けることが不可能なほど巧妙で曖昧な境界であり、ここで芸術はそれほどまでに超越的であると同時に自然的である@ボードレール」
ヨーロッパの魔術は、ゴヤにより15世紀以来最高の祝祭を得ましたが、それが最後となりました。

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October 30, 2005

魔術的芸術:6 アンドレ・ブルトン

1)未知の護符とタロット・カード、新たな図像学的統合:カバラと錬金術
アブラクサス(グノーシス派の石の護符、サンタナのアルバムではブードゥ教の魔女)の護符。

タロット:絶対普遍的に正しいとされる占いの唯一のシステムが、高い美術的価値を有し、長く伝えられる図像表現に想を与えられた。シャルル6世のタロットは不完全な形でしか残っていない。

占星術は、「大宇宙:自然」と「小宇宙:人間」を結び付ける数学的操作であった。

錬金術は、生活に溶け込み「公認芸術」のうちに表現された。


2)ヒエロニムス・ボス:内向性と物質の精神分析
ボスは、この時代、人を内側から描いた完璧な幻視者である。
彼の主題は、当時フランドルで支配的だった諺にもとづいた宗教画である。

ボスの絵の沈黙は見る者を隠者の共犯者となし、罪の強迫観念はマゾヒズムの様相をおびる。

「逸楽の園」では「天国」において不安の萌芽を見て、「天国と地獄の結婚」として現れ、ウィリアム・ブレイクでおなじみの多婚性がにじみ、変身の原理たるオルフェウスの卵が君臨する。

宇宙のフーリエ主義的なイメージは、ひいとつのとほうもない生命により生かされ、それは人間のもろもろの戯れを侵している。

ボスにとって錬金術と性は、人間の宗教的「悪」の探求手段であった。
その発見の結果は「私は希う・・あらゆる形に身を縮め、原子に浸透し、物質の底まで降りていき、物質そのものであることを!」

「逸楽の園」には、残酷さや悲惨さの身ぶりはない。
その雰囲気は、ポエジーにおけるロートレアモンの謎めいた詩節をつらぬく「無垢の流れ」。
「地獄」の奇妙な悪夢でさえ、亡者たちに晴朗な表情を与えているが、それは「アダム以前の人間」の表情である。

ボスのブリューゲルへのそしてカロへの影響、17、18世紀のスペイン美術への密やかな影響を考慮せよ。

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October 19, 2005

魔術的芸術:5 アンドレ・ブルトン

古代諸文化の芸術、魔術の弁証法
1)思推作用の目覚め:エジプト~メソポタミア
エジプトでは太陽の支配のもとに、ナイルの規則的な反乱が世界の秩序を象徴し、
イシス神が死の再生を司る隠秘主義の萌芽となる。

メソポタミア・デルタでは紀元3000年にさかのぼる
シュメールーアッカド語の最古の物語、「ギルガメシュ叙事詩」がある。
半人半牛のエンキドゥーとギルガメッシュの話しは不死の植物の探索であり、
西洋文学の原型である「地獄くだり」(←なんと多くの小説、映画がこれであることか!)である。
魔術magie 、魔術師magesという語は「深淵」を意味するバビロニア語の imga、 umgaから由来し、
ギリシャ芸術の先導となる。

2)クレタからローマへ
アルカイック期の代表的形式「アイギーナの微笑」に観察される狡猾で残忍な微笑は、
存在の根本二重性の表現、いわゆる、ディオニーソス的(地球的)な偏執と、アポロン的怜悧さの分離を現わす。これはニーチェとユングにより保証される。

魔術はアカデミズムや世俗化では決して捕らわれることはない。

「性の本能と死の本能とは、いずれも厳密な意味において保存本能としてふるまう。
いずれも生命がかき乱された一状態をもとに戻すことをめざしている@フロイト」
強烈なスリルがカタルシスを産む時、我々は生まれ変わったような鮮烈な感情を味わいます。
なるほどそれは生きながら味わう一瞬の「死」と「再生」の体験だったのだ!by晴薫

トーテム(角のある蛇や頭足類のトーテム)の崇拝は、重要な魔術的痕跡である。

遠回りの魔術:中世より
中世での魔術的芸術は、テンプル(聖堂)騎士団、グノーシス主義を経て、
建築上には「聖堂に彫り込まれたガルグイユの怪獣たち」が競いあっていました。

14世紀に入るとビザンティンの厳格さから解放され
「聖アントニウスの誘惑(ダリにいたるまで多くの作品のモティーフ)」:地獄の一団に対するアントニウスの態度は、挑発的で自らの過剰な幻覚に呑み込まれる魔術師であり、作品に描かれた怪物は、古生物的な記憶の復活の端緒となります。(後のクトゥール神話の原型にも繋がる?)
またキリスト社会の衰弱を現わすように、「逆さまの審判」であるサバト、が題材になり始めます。

ブリューゲル(ヒエロニムス・ボス)をボードレールは、「審美渉猟」の中でこう賞賛します。
「知性が、どうしてこれほどの悪魔的で恐ろしいほどの不条理を生み描写しえたのか。
精神の伝染、中毒の巨大な力の証拠を見出す」

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October 12, 2005

魔術的芸術:4 アンドレ・ブルトン

有史以前の芸術と今日の芸術
この章では、ラスコー、アルタミラの壁画やナイジェリアなどのシャーマンの仮面、
オーストラリアやメラネシアの彫刻、イースター島の巨石遺跡、などから
人類が発祥時点から培った魔術が芸術へと変容する過程が書かれています。

以下覚え書き
「そもそも現代芸術そのものがポエジーのしるしのもとにある場合には、魔術の世俗化した姿なのであって、
芸術の魔術的運命のある新たなる意識化に対応しているのである」

「神聖なものの顕現(ヒエローファニー)と力の顕現とに結びついたこの力―未開人にとって、
魔術的―宗教的な聖なるものだけが真に現実的なもので、それは魔術が本質的に功利的な活動であり、食べること、種の維持を確実なことであり、未開人の最大の関心事であった」

「太古において洪水、火山、大地震なでの災害は悪魔の存在を思わせ、恐怖の上に基礎づけられたあらゆる感情はこれ以後、いつまでも人間の心と精神を支配することになる。これは沈む太陽と向かい合って、それがもう戻ってこないのではないかと考える、最初の人間の戦慄に続いている」

「人は苦しめ続けるものだけが、記憶に残る。大量虐殺やいまわしい契約(アブラハムへのイサクの奉献)など、
すべての宗教は結局のところ残酷さのシステムである@ニーチェ:道徳の系譜学」

「ブラックアフリカには芸術家というものは存在しない。いるのは秘密に働く宗教の手先である。
彼等の芸術的才能と魔術師としての巧妙さは区別されない:ジョルジュ・アルディ」

「芸術は、原始人が目前でおきた岩石事故と、直前に目にした動物のあいだに、最初の抽象作業により結び付けられた時、その原始人の胸を締めつけた深い感情から生まれた。
その最初の抽象化作業が、精神の魔術的躍動を美的な類推的情動に変容せしめたのである」

「色彩はそれ自身ひとつの謎である以上、謎めいたやりかたでしか用いることは出来ない:ゴーガン」

「人間の行動の基底に横たわる魔術的―宗教的コンプレックスは、今日では極度に醜い機能主義に従属しているが、その中にも芸術は存在する。それは建築である」

「原始建築において神殿は太陽や森をモデルとして上に向かった昇るものと同時に、
地下の神殿は人間の第二の誕生である氷河期の記憶をになう。迷宮はドルメンを通して冥界と交信する」

図版
モンスー・デジデーリオの「ある宮殿の攻撃」が掲げられています。
沈黙する廃虚の絵画は、蘇る太古の記憶のようです。

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July 23, 2005

魔術的芸術:3 ブルトン著

「我々の夜」からギュスターブ・モローの天才は、神話の存在たちを出現させる。
言語学的、理性的な研究の名もとに合理化が企てられ服従させられようとした「夜の存在」に、
モローは本来の魅惑の力を返すことになる。
それは見えるモノ、触知可能なモノを描く画家の敵意を呼ぶが、
ルドン、マラルメ、ユイスマンスの保証を得ることになる。

アンリ・ルソーこそ「魔術的レアリズム」の顕現である。
彼の催眠術師の手さばきにより、見る者の狼狽の原因はさだかでなくなる。
「意識とは、ある明白な活動に隠されている潜在的能力の孵化であり転化であり、ひとつの源泉を有する噴出である。こうした展望のなかで<無意識>はある心理的な、さらに形而上学的な神秘的な性格を纏うある宇宙的共感の場となる」
ルソーの単純さは「太陽の息子」の原始状態への回帰であり、ランボーが、ロートレアモンが初めて見つけだしたものである。


キュビズムは純粋な技法上の約束事としてヘルメス的秘法の装い元に人の顔でしかないものを匿い、予備知識のない者には「タブローの灰色の色調のなかに建つ幻想的構造物の背後に逃げ去る」ものになる。
キュビズム絵画では、具体的対象は消え去り、不明確でも構造の見分けがつく一つの存在を描き出す。
それは奇異な様相により我々の注意を引きつけその力に従わせる。
「鏡の向こう側」の自分に気づき、「写実的な」表現などとうに無効だという事実を、純粋に感情的な関係のゲームのなかで悟らせる。
その絵の主題の解明さえ無視させる交流は、確かに魔術的である。


キリコは事物の秘密の生命に発する事のない全ての要請は斥ける。
物体はもはや物体ではなく、その始動する信号との間において愛でられ、
運命の感覚を予感させられ、生命のない世界に潜む直感と、稲妻めいた何物かへの選択的な感受に訴えかけられる。こうしてキリコにより絵画は純粋な象徴表現へと移行された。
「常軌を逸したもの、予想外のもの、不思議なもの、驚きを呼び起こすものだけが、人の意図に自問を強いることが出来る」その自問から見出される反響こそが、あらゆる審美的配慮に先立って勝負のねらいになる。
こうしてキリコは、因果律を越えたより高度の優越した因果律である魔術的因果律と境を接するのである。


「黒いシベリア:極北の悪魔学とケルト、地中海以前の文化の融合」へと降りるカンディンスキーのランプが照らす「抽象性」は壮麗で野蛮な和音を奏でる。
モンドリアンと比べて純粋に芸術的(一切の知的要素を除去した)ということではない。
しかしそれはマラルメの空白のページ(「孤独」「暗礁」「星」)に接するまでに普遍化されている。

キリコとカンディンスキーの2人を拠り所にして20世紀の美術は発展した。
しかしキリコは「安物のシュルレアリズム」を、カンディンスキーは「抽象画家」の模倣を生むことになる。

「美」は社会に命じられることにより、最大多数者の理想にあった顔、つまり凡庸な顔をさらすことになる。

図版:ルネ・マグリット「光の帝国」、デュシャン「階段を降りる裸体」、カンディンスキー「灰色の中に」、
キリコ「ある街路の神秘と憂愁」、シャガール「誕生」、ブラック「ギターを持つ男」
ルソー「夢」「蛇使いの女」


次回からはこの本の第2章、「芸術、魔術の伝達手段」

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July 12, 2005

魔術的芸術:2 アンドレ・ブルトン

魔術の基礎をなす万物照応(コレスポンダンス)の理論は、「原始の力」の転化である。
それは世界の始まりにあってアナロジーを、隠喩を作り出した。

ボードレールは想像力の権能の名において、宗教は「人間の精神の最高度のフィクションである」とした。
そして 宗教と魔術の関係では、常に弱い方の系は魔術の烙印を押された。

「情念引力」は、普遍的アナロジーの人間における表出に他ならない。
隠喩における魔術的な性格は、パラノイアークリティック(ダリの方法)と同じ、人間の深奥へ向けられる。

あらゆる時代、あらゆる処で魔術は行われてきたし、なお行われている。
テストの前に教科書を枕の下にしのばせる時、彼はいくばくかの魔力に頼っている。

芸術作品は魔術そのものを起源とし、発生において魔術的であり、その重要な資源を魔術に負い、
世界の創造を司ったダイナミズムがその局面の上に客体化されたものなのだ。byグノーシス

より高位にある未知の原理に、人は畏怖をおぼえる。

「月並みな事物と俗悪で凡庸な見方を嫌悪せよ」ボードレール
古代の作品が我々に働きかけるのは美である。

大いなるトーテムが古い歴史の全てを支配していることを知らなければならない。

世界の謎を解き支配する力を得るという古きファウストの夢は不滅である。

魅力の淵源は技量にはなく(木版挿絵とデューラーの版画など)
基本的にそれぞれの突飛な性格に依存しており、面食らわせる力の大小に応じている。
美は常に珍奇なもの。個性なくして美は存在しない。byボードレール

ダ・ヴィンチは自然と論理が美であると同時に真であることを合一した最後の人間である。

19世紀は実証主義が勝利を収め、芸術において見せ掛けの世界に背こうとする意志が抑制された。
印象派は光りに第一の役割を与え賛美したが、主題のちょっとした若返りに過ぎなかった。
そこに全く違う渇望とともに現れたのが、
「肉体の目を閉じよ。精神の目でおまえのタブローを見る為に。
おまえがおまえの夜に見たものを陽のもとのぼらせよ」と発言したギュスターブ・モローである。

この本は数数の美しい図版が掲載されいてますが、今回印象的だったのは
ウロボロス:永遠の象徴、尾を呑み込む蛇。:シネシウス錬金術写本、1478年
モンスー・デジデーリオ:空想の建築、人の骨で造られたような無人の廃虚。17世紀

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July 02, 2005

魔術的芸術 アンドレ・ブルトン著

この本は1957年、限定版で発行された「カルト本」の再版です。
ブルトンはシュルレアリズムの理論的指導者でしたが、
この本はシュルレアリズム論を越えて芸術の魔術的側面の全てを語ろうと試みた野心的な本です。

以下、覚え書きです。
1)ルネッサンスとは一つの完成というよりも、
中世の心性から近代的心性への移行によって引き起こされた苦悩に満ちた矛盾を体現するものだ。

2)芸術的発見のプロセスは、意識的にせよそうでないにせよ、
高等魔術の進行の形と手段とに従っていると言い切ったが、大多数の場合このプロセスが高等魔術の形而上的ないし宗教的な諸願望の全体とは無縁でありつづけた。

3)宇宙的アナロジーは「不条理かつ挑発的な記憶のなかの神」を信仰する処まで流さ得る。

4)「魔術的」というただひとつの語彙が引き起こす議論の核心に踏み込むことは、
バベルの塔の最上層の揺れに身をさらすことである。

5)魅力的な娘というものは、人が思う以上に本物の魔法使いである。
すべての精神的な接触は魔法の杖との接触に似ている。byノヴァーリス

6)魔術的とは魔術の儀式用の杖なくして
ユゴー、ネルヴァル、ボードレール、マラルメ、ロートレアモン、ランボーと同じ感覚を共有すること。

7)愛こそが魔術を可能にする原理だ。魔術は「それ自体としてひとつの意志にほかならない。その意志こそがあらゆる不思議、あらゆる秘密の大奥義であり、それは存在の欲望の求めに応じて作用する」byヤコブ・ベーメ

8)魔術的芸術の第一の側面が人類の揺籃期のうちに形成基盤を見出し、
第二の側面はいやます魅惑の力によって、目のとどく限りの未来を誘い込む。

9)原始の人間は観念の秩序を自然の秩序と同一視し、観念の秩序を制御することが出来る以上、
同じように事物を制御することも可能なはずだと想像した。
フロイトの「トーテムとタブー」1920年。
「魔術というアニミズム的思考方式の技術を支配する原理は、観念の全能性の原理である」
原始人においてその観念の全能性で世界を支配出来るという可能性の信仰は、自然な観念であり、彼等は経験から自然が人のようにふるまうことに「投影」を活発化させるのである。

10)原始の死に絶えた魔術的信仰の残滓を持ち続けるのが詩人や芸術家である。
エリファス・レヴィ「高等魔術の教義と儀礼」:19世紀のオカルティストです。
マラルメ、ボードレール、ランボーが影響を受けました。

「芸術における秘教」byV-E・ミシュレ
「隠秘学は、あらゆる文学が従う純粋な予兆の始まりであり、精神のまっすぐな奔出である」

以上、39pまで。読みにくいです。私のアタマでは箇条書きでお伝えするのが精一杯。


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