July 17, 2008

バカにならない読書術  養老孟司 池田清彦、吉岡忍

格差社会=教育格差=本読めばイイんじゃね、という世の流れがあり、それならホントウに本を読むとはいかなるものか、ということを概論として本の前半を養老先生が、後半は、具体的な本を上げながらの鼎談として碩学の3人が語った本です。
私は自分が結構本は読むほうなので、本を読むこと=社会的有能さ、とはどうしても考えられないところがあるんですけどね。
第一社会的、経済的な成功を目指して本を読んできたわけではないですし。
じゃあ何で読んできたか、というに、読みたいから読んできたんです。

まあ自分語りはこの辺にしておいて、第一部の「養老流」本の読み方には、ほんとかなあ・・・という記述もあります。
でもこの手の本には必ずそう思う部分ってありますよね。
この本の中身はすべて真実!というのは逆に囚われているようで怖い。

オモシロイと思った指摘では連続殺人犯の脳は、扁桃体がおかしい。モチベーションが高すぎるのだ、なんてのは膝を打つ感じ。
それから最近の持論である「環境ファシズム」への懸念も同意できます。
ヴィトゲンシュタインは、自身が考えながら書いているから、読むときもそれに合わせてユックリと読めなんてのは、勉強になりますね。
デカルトの「方法叙説」から学んだ科学的な見方として、間違っていても良い、
ある論拠を示し、それに対応する事実と推論、結論を並列することである
なんてのは今後、参考にしたいですね。
「方法叙説」読んでみます。

後半三人の鼎談で読みたくなった本と、すでに読んでいた私のオススメ本を書きます
「心臓を貫かれて」:妻が持っていた
「神は銃弾」:このミスで取り上げられていました。注文しました。
「アメリカン・タブロイド@エルロイ」:読んでました。傑作でしたね。
「ハリウッド脚本術」:持ってました(笑 アワテテ今読んでいます。
「雪:バムク」:ノーベル賞取ったトルコの人です。注文しました
「クリスマスのフロスト」:コレを読まないで現代のミステリは語れない。
「取るに足りない殺人」:Jトンプスンです。最近読んでないので注文しました。
「幻談・観画談@幸田露伴」:注文しました。読めるかなぁ・・・
「容疑者Xの献身」:素晴らしいトリックと人の描けた傑作でしたね。
「夢十夜」:短編小説の極限。漱石はかく文体と戦ったのだ、ということが分かりました。
「不連続殺人事件」は持ってるし、読んだんだけど忘れたから読み直します。
「かのように@鴎外」「魔の山@マン」「荒地@エリオット」「ソシュールの思想」「真相@コーンウェル」は宿題とします。
「動く遺伝子」でノーベル賞を取ったメゲナイお婆さん、マクリントックは素敵ですね。

印象に残った言葉としては
「科学の暴走を心配しないことは、人を信じているということ」
「理想主義者が政権を取ると現実は最悪になる@池田」
「100できることを100やるな。それが中庸の知恵」
「厳密さはフェイクである。@ホワイトヘッド」
「西洋哲学史は、プラトンへの一連の脚注にすぎない@ホワイトヘッド」
「時代小説は一種のロールプレイングゲームだ@池田」
「西洋語は韻文の文化。シェイクスピアからワシントン、ヒットラーの演説まで@養老」
詩とは、とりとめのない現実から、自分なりの視点、文脈を引き出し、結晶とすること


幕末から明治にかけ旅をした外人は、日本と日本人の清潔さ、誇り高さ、笑いの多さ、柔軟性に驚きベタ褒めした。「大君の都」では将軍拝謁で喜ぶ庶民をみて、こんな幸せな人たちはみたことがない。ここに西洋文明を持ち込むことは、果たしてこの人たちの幸せになるのか、と著者、オールコックは書いています。

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June 25, 2008

下流社会    三浦展

こういう時事風俗を切った本は、旬に読んでナンボなんですが、出版日を見ると2005年です。
それをなんで今さら読んだかというと、私、最近、整理整頓に熱心で、そしたらこの本のカバーだけ出てきた。
でも買った覚えが全然ないんです。
さらに片付けを進めたら本本体も出てきた。
買ってまったく読まずに放置、というパターンは良くあるのですが、ここまで買ったことすら忘れていた本も珍しい。
それでかえって好奇心にかられ、パラパラとめくって見て思い出しました。

下流の男性は、ひきこもりで一人が好きでオタクでスポーツ観戦が好きで、ナショナリズムが強いと書いてあり、それがみんな自分に当てはまるので、なんとなくオモシロクなくて放り出したのでした。

今回少し冷静になって読んでみるとやたらと数字が出てきます。
この世代の上流はこういう傾向が何%で、下流の人間がこうであるのが、何%などとです。
私は数字オタク、数学オタクなんで、まず数字が出てくると最初に疑います。
統計で嘘をつくのって簡単ですから。

さらに読み進めると腹の立つことがイッパイ書いてある。
お嫁系女性の例として今現在はアメリカ帰りの俳優志望の彼がいても、結婚相手は年収1500万以上の男性が希望で、お昼は六本木ヒルズへ行き、リッチな主婦としてテレビに出たい、なんてのが出てくる。
まあどんな希望をもとうが各人自由ですけど、あんまり愉快な例示ではない。

ミリオネーゼ系の女性、というのにもツッコミたくなる。
年齢35歳で、自分の年収が1000万で夫の年収が1300万。家賃が25万のマンションに住んでいて貯蓄が2000万、親から貰った株券が2000万とある。
クルマはBMW525で年間100万服買って、旅行は年2回海外へ行く。
持ち家の予定はないそうです。
最後は子供は私立に入れて「本を読む子供」にしたい、という希望で結ばれている・・・

夫婦共に高収入ですが、世の中累進課税があり、これだけ贅沢な暮しをこの年齢からなさっていると、今後、この方々にふさわしい優雅な持ち家、子供私立は難題だと思います。

まず稼ぐ。そしたら若いうちは節約に努める。それで種銭を作ったら投機で勝負する。
投機は鉄火場なんで失う可能性大ですが、リスクなき場所にリターンなし。
それを必死で乗り切れるかどうかが才覚の見せ所。
それで溜まったらまだ使わずにまた増やす算段をして暮らしは地味に。
30代はこれが基本です。
さらに「本を読む子供」・・・私も「本を読む子供」でしたが、「本しか読まない子供」でした。親は随分気に病んで、なんとか私に本を読むこと以外をさせようと必死でしたね。

それから富裕層というと投資といわれます。
それも優雅なってイメージがありますが、今の日本は、かつての高度成長期の時期と違い、買ったのも忘れていたような株が、ある日新聞の株式欄をみたら10倍に値上がっていたとか、家賃払うのが馬鹿らしいから、ちょっと無理して銀行から借りて土地かって自社ビル建てたら高採算で回って土地も20倍になっていた、なんて時代じゃないんで、優雅にトレードっていうのは極一部の天才を除くともう無理です。

増やしたかったら、血塗れになる覚悟で、切った張ったのあげくどうなるか、です。
要するに上流、富裕層に関するイメージがありきたりで、実態とは違う気がします。
年収が1億、とかってのならこのイメージでも納得できますけど。

それから富裕層向けのビジネスってのがありますけど、これは難しいだろうな、と思います。なぜかというと富裕層=お金をためた人々、なんでしょうけど、お金をためるには、まず高収入の仕事につき、さらに資産運用で増やした人たちでしょう。
仕事でやり手であり、資産運用も下手じゃないってことは付和雷同せず、さらにコスト意識が高く、お隣がカローラかったからウチはなんとなくコロナ、コロナ買ったらマークⅡ、そしてクラウンというようにメーカーの思惑にも踊らされない人が多いはずです。

稼ぐほど、猛烈に追いかけてくる税金を払いながら子供も育てて、それなりの家も建てて、優雅な暮しの実現ってのは、まずはビックリするほど地道な暮しがあるんじゃないのってことを感じます。

それではこれから秋葉原に行って綾波レイちゃんのフィギュアを買って来ます。
綾波レイの痛車乗りの方から良い情報を戴いたもので。
こんな休み久々・・・何日ぶりだろうか?
そして今度の休みはいつだろう・・・

それから私は日本代表サッカーの試合で、「君が代」がかかると神妙な気持ちになり胸に手を当てて黙考します。
「君が代」は世界で一番格調の高い国歌だと思うな。

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May 28, 2008

私の嫌いな10の言葉     中島義道

戦う哲学者(笑)、中島さんのご著書です。
日本に蔓延する分け知り顔の言葉、風俗を、行動する哲学者として糾弾している本ですが、読んでいる間中、気持ちがアッチに行ったりコッチに行ったり忙しい思いをしました。

それは中島さんの言うことに賛同したいこともある反面、随分暇な方だな、とかもっと巨悪もあるだろう、などと反感を感じる点も多々あったからです。

例えば、言わずもがなの標語が溢れ変える街並みへの嫌悪感。良く分かります。
「あの子もこの子もみんなの子」とか「ふれあいと対話が育てる子の未来」とか、現実に自分のガキと付き合った経験のあるかたなら笑っちまうようなことが建て看板として街を汚している実態。

個人的には日々の疲れを癒そうと自宅の3階のロフトで昼寝を試みていたとき、交通安全週間からセスナが空を飛びまわって「横断報道を渡りましょう」とか「シートベルトを忘れずに」なんて、がなられて、その瞬間、正直、殺意を覚えた経験があります。
セスナを飛ばすなんて経費も随分かかるでしょうに、誰がそんなクダラナイことを頼んだのか!
世の中には、自分がおせっかいをやなかいと回らないという信念の持ち主がいるようですが、非常に迷惑でした。

「京のぶぶづけ」の厭らしさ、NHK「のど自慢」のやりきれなさ、みな同意したいです。

でも喫茶店で携帯電話の注意をしなかったウエイトレスの女の子へ詰め寄ったり、電車で席を譲らない人を怒鳴ったり、確かに理屈は理屈ですが、そこまでするか、という釈然としないこともありました。
ここまで正義を主張するなら、もっと大きな悪も世の中にはあるでしょう。
ソッチと戦うのは如何でしょう、とも思いますね。

唐突ですが、読んでいるうちにフィリップ・マーロウを思いだしたんですよ。
そう、ハードボイルド小説の名作でありロスを舞台にした、レイモンド・チャンドラーの描いた私立探偵のマーロウです。

私、欧米のミステリーは、その濫觴となる作品から系統だてて読んでいるのですが、評価が高いわりに一番魅力を感じなかったのが、チャンドラー、そしてマーロウ。
何故にというに、どうもマーロウにはある種の「臭み」を感じていたのです。
でも評価は高い。
パロディを含めて後の私立探偵像の雛形にすらなっている。
まあそれも分かるんですが、好きにはなれない。

それが村上春樹訳「ロング・グッドバイ」として登場したので読んでみたら、一変した。
素晴らしい作品であり、これはミステリーという分野を超えて現代アメリカ文学の大きな成果だな、と感動しました。

そうしたら今度はミステリー、ホラー小説オタクとして、その小さく産まれた発刊時から熱烈支持している「このミス」が、「ロング・グッドバイ」を完全に無視した!
なんという懐の狭さ!
と思ったんですが、まあ村上訳に抵抗を持つ人間の気持ちも分かる・・・

そういう一面もあるムックですが、今後も私は年末になれば「このミス」を楽しみにして買い続けるでしょう。

話がそれているようですが、中島さんが日本社会に向ける批判と、私が「このミス」に向ける感情の違い、なんとなく分かってもらえるでしょうか?

中島さん、自分は感性において異端であり、そんな自分が生きにくい日本がイヤだと言っていますが、感性なんて中島さんでなくても、実際は誰でも異端なんですよ。
でもまったく存在を許されないわけでないのだから、許容範囲の中でみんな耐えている。

おっしゃることに賛同出来ることは多々あれど、それほど好きになれないな、と思うのは、そこに中島さん自身が嫌う傲慢を、中島さん自身に感じるからです。

同時に須賀敦子さんのエッセイも読んでいるのですが、内面の豊かさにおいてまさに天地の違いですなぁと思います。

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May 16, 2008

4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する  杉山茂樹

スポーツを見ることは、かなり、マニアックなほど好きです。
特にボクシング、総合格闘技、テニス、サッカー、(野球は最近お見限り・・・)のイイ試合は絶対に見たい!
見逃すと本気で欝になる・・・

そして見れば見るほど、これはスポーツに限らず、絵画でも小説でも映画でもなんでもそうでしょうが、語りたくたくなる。

また見ながら考えたくなるものです。
そんな中で最も難しいスポーツは、と聞かれたらダントツでサッカーでしょう。

スポーツでも個人競技、ボクシング、テニスなどはまだ分かり易いと思うのです。
ゲームをするのが一人であり、構成要素が分解可能な程度だと思うから。
この選手はサーブが強い。でもストローク戦になればアッチだろう・・・ならばどうするか?
ボクシングならファイター・タイプが距離を削れれば有利、ジャブとフットワークで距離が保もてれば、ボクサー・タイプのモノ・・・まぁ実際はこれほど単純じゃないんですが、パターン分けは可能でそれなりの展開予想は出来る・・・出切る気はする・・・
ところがサッカーはそうは行かない。

チーム・スポーツというだけで、分析要因が指数関数的に増え、さらに野球のようにポジションすら完全には決まってない。
ボールとともにどこまでも流動的に変化する。
そうなると変数が、ほぼ無限大とも思えるほどになる。
スーパースターのスーパープレーは、なるほど凄いと思うけど、どうして今日このチームは連携が悪いのか?
なんで異様に繋がらないのか、なんてことは、良く分からない。

そんな悩みをお持ちの方に、あるいはもっとサッカーを理解したい人に、この本はフォーメーションを元に非常に良い手がかりを与えてくれると思います。

要は、サイドがポイント。
それにはサイドに人数を割け。
相手サイドに怪物、たとえばロナウジーニョなんてのがいたら、もう止めるのは無理なんだからむしろ、コッチのサイドはポジションを高く保ち、守備に回らせろ、なんて指摘は興味深かったです。

それから日本人FWの力が足りなければ、イージーゴールを決めさせるように、発想を変えろ、なんて指摘はなるほどって感じました。


名采配として挙げられていた、スコラーリ率いる2004ユーロでポルトガルの試合は憶えていました。
あの試合は確かにmagicだった。
ホントに展開が変わったもんな。

その他、この本がイイと思った点は、具体例がみな新しく、指摘されるとまだ記憶が残っているとこです。
まぁ、これは世界的にサッカーの戦術はドンドン進化していて、古い試合を語っても意味がないってことの裏返しなんですけど。
だからこそ、日本には優秀な監督が必要って結論なんですけどね。
どうやらそういう方向に向かってないのが気がかりです。

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May 09, 2008

ほんとうの環境問題  池田清彦 養老孟司

一部、極論もありますが、碩学著者、二人の痛快な口調は終始快調で、楽しめます。

題名通り、環境問題の本ですが、この本からは環境問題を超えて、情報化社会で判断する上で非常に大切なことが学べるので、ぜひ沢山の人に読んでもらいたいですね。
以下、その大切なことを箇条書きにします。

1)もっともらしいことが騒がれだしたら裏があるかも?
地球温暖化が問題だとされていることを語った本ですが、そもそも地球温暖化の犯人がCO2であるかどうか?また温暖化そのものが悪いのか?
ということはまだはっきりと分かっていません。
こんなことを書くと驚かれる方も多いと思いますが、実はかなり怪しい論議なんです。
でもそれに驚かされるというのは、刷り込みが非常に強くなされているからです。
詳細はこの本を読んでください。
それではなんでそんな騒ぎがおこるか、というと騒ぐと発生する利権で、もうかる人間、役所、企業、団体があるからです。

環境ホルモンやフロン・・・一時非常に騒がれましたが、最近あまり聞かないでしょう。
何故いつの間にかマスコミの話題から消えてしまったのか?
書いてありますから読んでください。呆れますよ。私も信じていたから驚いた。

2)日本のトップは役人も政治家もグランドデザインを考えることのない怠惰な売国者
ここでいう売国者というのは、ネット上のウヨサヨ別のことでなく、京都議定書のような日本の非常に不利な条約を簡単に結んでしまい国民を苦しめる者のことです。

新興国や新興国を取り込むEUと違い、もう日本のエネルギー効率は極限まで達していて、これ以上の削減は無理なんです。
それをあっさり呑んだ。
何故?
交渉に辺り困難な用件を相手にのませるより、自分達は楽で、しかもいい顔できるからです。
日本のCO2削減は、ボクシング・オタクの私流に例えれば、試合前に減量したボクサーにさらに痩せろ、というようなものです。
他国はメタボ人間が痩せるようなもの。
意味がゼンゼン違うんです。
日本が無理に、それをやれば国として力が出なくなるか、病気になるか。
実際には排出権取引がなされ年2兆円の国富が海外流失します。
裏を返すと電気料金が1.5倍になります。
儲かるのは排出権ビジネスを握るEUとアメリカ。日本に排出権を売れるロシアです。
こんなこと、それを専門にあたる優秀な役人なら、すぐ分かるんです。
でもやらない。
それが日本の舵取りをする人々なんです。


3)マスコミは煽ってナンボ、科学的統計は都合しだいでいわゆる「統計の嘘」つき放題
マスコミの本質は{真実の報道」ではありません。
極論の報道です。
これは視聴者、読者に驚いてもらわないと商売にならないという悲しい本質があるので気の毒なんですが、忘れがちなので覚えておきましょう。
マスコミは完全な嘘をつくことはありませんが、極論を言いがちです。
今回の環境問題でも、研究機関から出たデーターの極限値のみ公表されてます。

また一見、公平に見える研究団体も、バックによっては、一定のバイアスの掛かった研究者に偏ります。
これもまた人の社会の現実ですからねぇ。
ある意味しょうがない。
でも一見、公平な権威あり気な団体でも、そういう背景があるかもしれない、ということは覚えておいて損はないです。

4)日本人にとって究極の環境問題とは何か?  また太平洋戦争の原因とは
この辺がこの本の最大の読みどころです。

科学的に物事を考察するとは、どういう視点から、どういう具合に見ていくのか?
それがしめされ、「情緒」と「空気」に流れ勝ちな一般社会を切っていきます。
簡単に言うと、まず問題の本質を理解すること。(その際現実的な視点を持つこと)
次にそれを要素に分けること。
そうしたら広い視点から客観的に見ること。
です。
具体的にどうするかは、みなこの本にお手本があります。

太平洋戦争についても短くも非常に含蓄のあることが語られています。
参考になりますよ。

毀誉褒貶のある方ですが、私はやっぱり養老さんって好きですね。

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May 06, 2008

サラサーテの盤      内田百閒

幻想と怪奇、現世と夢幻、の間を漂わせることに関しては、絶後の力量を見せる内田百閒の短編集です。
この短編集で見せる百閒の「現実」を不意に溶解させる達意の文章は健在ですが、ストーリー構成の強度、完成度では、「冥土・旅順入城式」に比べると若干劣ると評価します。

ただ表題の「サラサーテの盤」に表出してくる狂気は本物ですし、何より「東京日記」にある、「その六」トンカツ屋のエピソードは絶品!
怖いよ!
幻想ホラー小説のマニアなら絶対に抑えておかなければならない1作でしょう。
今数えたら、たった2Pの話なんですが、これに匹敵する作品というと・・・なかなか思い浮かばない・・・それほどの傑作です。

ただ「柳検校の小閑」や「東海道刈谷駅」なんかは、実録に近い感覚であり、そうなると「阿呆列車」シリーズなどで堪能したエッセイも思い起こされ、どっちつかずの印象もありました。

読むなら、2番手、3番手でしょうね。
内田百閒ならもっとイイもの沢山ある気がします。


ps
今日の夜は勉強をしようと思い、エヴァンゲリヲン新劇DVDを観ながらずっとメタトレーダーの本を読みながら演習をしていました。
最後にコードを書くメタエディターのコメントフォント設定でわからなくなり、結局、最後は2ちゃんねるで聞いて助かった・・・

この間、CMEでのnikkei225のCFTCの建て玉も教わったんだよな。
助かるよ、2ちゃんねる。
Thank you

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April 14, 2008

港区ではベンツがカローラの6倍売れている    清水草一

大乗フェラーリ教(フェラーリであれば全て良し)の教祖、清水草一さんが、この題名で本を書いたら、副題通りに、なるほど、これほど日本も格差社会になったか、クルマの分布も随分違うのね、というだけの本かと思ったら、豪邸から、クルーザーとスーパーカー、別荘、カードの格差から在日外人、フーゾク嬢、生活保護格差まで内容は大域で、独特の視点と語り口は楽しく読めます。

私、清水さんの書くもの好きなんですけど、それは思わず膝を打つことを書いてくれるから。
例えば、クルマ格差では、
「東京で軽自動車は極端に疎まれるけど、大都市でこそ強烈に便利で、コインパーキング利用時なんて感謝する」なんて言葉には納得。
一台でも多く停めさせようと、ジグゾーパズル並に入り組んだコインパーク。
私、怖くて結局、マセラティは一度も止められなかったもんね。
その時は開いていたとしても、出ようとしたとき、誰かが変な具合に止めていたら出られないでしょう。
そしてクルマの章ではこう締める
「高級車の少ない高知県のクルマ事情は、格差の底辺なのではなく、クルマを完全に実用の道具として捉える究極の合理主義だ。逆に輸入車の中でヒエラルキーを築き、最低限ベンツという意識の東京の一部地域ほど、クルマがステイタスになっている後進性なのだ」この見方は、慧眼だと思うよ。

第二章の芦屋の話はオモシロかったですが、私は基本的に斜面には住みたくないからイイな。それにアートから遠いのも嫌だ。去年の「受胎告知@ダ・ヴィンチ」も大阪には行かなかったでしょう。それだけでアウトだ。
まぁ私にアウトと呼ばれてもなんら痛痒ないでしょうけど、価値観は人それぞれ。

第三章のスーパーカーとクルーザーはオモシロかった。
クルーザーがこれほど女性に有効とは、驚愕です!
コッチは素直に羨ましい。
クルーザーは買えるのも羨ましいけど、乗りに行く時間を持っているのも勝ち組だよね。
お金と時間の両方持っている人が真の勝ち組。
それからスーパーカーはダメってのは自分で実感してますが、その中でも、女性と付き合った経験皆無のオーナーのフェラーリを「世界で一番悲しいF40」と呼ぶセンスには、思わず笑った。
清水さん、こういう名づけが上手いんだよな。

第四章の別荘格差で暴落した330万円のリゾートマンションを見て、市場経済の「神の手」存在を実感する辺りも納得。
別荘買ったの雑誌の連載で知って「これはイカンだろう」と思ったんですがやっぱりね。お父さんが経済小説の大家だったのに、関係ないんですね。

第五章のカード格差では、自己破産で儲ける法律事務所から、ヒルズ族のブラックカード、その上のチタンカードの世界の話も、シューマッハやタイガー・ウッズのオチが楽しい。
(ホントかどうかは分からないけどね。)
でもみすみすアメックスの戦略に嵌まることはないよな。

第六章の外人格差!
この本で唯一不愉快だった章で、ちょいとイケ面の白人だと、モデルの収入で遊んで暮らせ、言い寄ってくる日本女多数というレポートに、ずっと以前20代の頃、ツアーでアメリカに行ったとき、案内役の青年に、私が個人的に可愛いと思っていた女の子がメロメロ!
個人的恨みから、この章の白人男だけは許せん!って感じですね(笑

第7章のフーゾク嬢格差には、底辺風俗女性に対して、酷いことをする男性に怒りが沸きました。あんたら最低だよ。
第8章の生活保護格差は、なんとなくほのぼのしていて良かったです。

そして「おわりに」で主張される言葉に、非常に同感です。
「格差の拡大は、自由の拡大に思える。あるいはしがらみ、しきたり、強制の縮小か。
つい一昔前の日本は近世の村落共同体だった。安定はしていたが、立身出世の道はいい大学からいい会社だけの単線だけ。確かに厳しい状況であり、セーフーティネットは必要だけれど、20年前に戻りたいかと問われたら、真っ平ご免だと答える。自由のまさる快楽はないのだから」
私は清水さんとほぼ同年代なんですが、極めて強く同意したい言葉です。

適わぬ願いと知りつつも、俺は自分の時代でより、今のような状況から大学を選び、職業を選択したかった。
結果、悲惨なものになったかもしれないけど、決められた単線を生きるより、精一杯の挑戦をしての人生じゃないですか。
え、なに?自分はまだ生きてるから、なんでもやる気になれば出来るだろうって?
そう、その通りですね!

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March 31, 2008

「世逃げ」のすすめ   ひろ さちや

仕事上のストレスが多い人には、ピッタリの素晴らしい本です。
昨日の「雨の日の日曜日は」、休日にも関わらず、終日書類仕事だったのですが、合間に一気に読んでしまいました。
あんまり感心したので、以下まとめを書きますが、これだけ読んでこの本を読まないのは、素晴らしいサッカーの試合を、その得点結果だけ知って見た気になるのと同じです。
FCバルセロナが大事なゲームで熱戦を展開したら、プレーを見ないと意味ないですよね。

1)今の日本は人の価値を、幾ら稼ぐとか、どの位偉いか、という商品価値だけで見ます。
商品価値で判断するだけの世間では、すべての人は正札のついた奴隷です。
現実的には、「世逃げ」と言っても、その世間の価値基準を完全に捨てることは出来ません。
しかしもう一つの尺度。「仏様の基準」を持つことは出来ます。
「仏様の基準」とは、「なんでもよい」そう思えることが仏道修行です

2)世間はイソップの童話(ロバと親子)に語られるように、常にあなたを批判します。
その批判に耳を傾けた瞬間、あなたは世間の奴隷になります。
幽霊と同じで、世間の批判は、ビクビクしなければ「出ません」「出られません」
迷惑を掛けることでなければ、人生を小心翼翼と生きないように。

3)世の中には、自分の意思で何とかなるものと、自分の意思ではいかんともし難いものがあります。
思うがままにならないことを、思うがままにしたがるから、人は苦しくなる。
病気や他人の思惑など、自分の努力では如何ともし難いものを、クヨクヨ悩まないこと。
どんなことでも不幸と思わず、これも仏様のご意志と、苦しみとだって寄り添いなさい。
いかなる状況でもその中でしか生きられないのなら「災難、自ずから楽しい
左遷になっても病気になっても、それをじっくりと味わう。これしかありません。
それはつらいでしょう。
でもつらい人生に価値はないのでしょうか?

4)しかし何も努力をするな、金持ちになる、偉くなることに意味はない、仕事などさっさと止めて隠棲しろ、というのではないです。
精神的な満足感のある努力は「精進」です。
どんどんおやりなさい。
苦しい努力なら止めて置きなさい。
それがあなたの限界なのです。逃げ出しなさい。
それを知るのが「諦め」、ならぬ、「明らめ」です。

5)重荷を全部捨てなさい。
重荷とは世間の物差しです。

いい加減が大事です。それは、いかなるものにも執着しない中道のことです。
世間の基準で、苦しくなったら、「世逃げ」をしなさい。

6)いついかなる時でも「ありがたい」と思うことです。
ただ「ありがたい」とは感謝の言葉ではありません。
「有難し」滅多にない、ということです。
不思議ということです。不思議とは思議できない、ということで、人の世間の目盛のない世界のことです。
なんだって最高なんです。

以上です。私の解釈ですから、著書の本意でない部分は相当あると思います。

実際、仏教論でも、小室直樹の語った、唯識論や阿頼耶識に関する思想は出てきません。
興味が沸いたらどうぞ手にとって「この本」を読んでください。
もしバルサのサッカーに興味が沸いたら、メッシのドリブルや、エトーの飛び出し、アンリのフェイント、ロナジのパス、イニエスタのトラップ・・・これを見ないでバルサを見たと言えないでしょ。
同じです。
上手くまとまらなかった私の記事だけ真に受けないように。

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March 29, 2008

硝子戸の中     夏目漱石

夏目漱石、最晩年の随筆です。
すでに死に至る病を得て、書斎に引き篭もりながら硝子戸越しに見る世間と、思い出の中に彷徨い出る心情が描かれます。

冒頭から寂寞たる調子であり、死の影は色濃く、なるほど一つの生命が消え行く過程とは、かくなるものか、という描写、心情がリアルです。

新聞に連載された随筆ですが、どこか弟子である内田百閒を思わせる一編もあり、そうすると、それが漱石の現実を写した随筆であるのか、創作の混入した掌編小説であるのか判然としなくなる・・・それが生きる力を失った病人故の幻想なのか、大名人の達しえた妙境からこぼれる何物かなのか・・・


随筆は次のように終わります。
「みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終えるのである。そうした後で、私は一寸肘を曲げて、この縁側に一眠り眠る積である。」
・・・まさに文豪ならではの、見事な終章です。

こんな随筆を読み終えると、せん無いことと思いながら、もし異次元、パラレルワールド、タイムスリップ、なんでも良いのですが、漱石を現代に連れてきたいですね。

縁側での一眠りから醒めた漱石に、今の日本を見せてやりたい。
今の時代なら胃病も治せるでしょう。
そしたらどんな小説を書いてくれるのでしょうか?
そんな小説、ゾクゾクするほど読みたいと思いませんか?

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March 26, 2008

批評の事情  永江朗

社会学から時代への考証学、サブカルから文芸にいたるまで、広範囲に40人以上の評論家を、永江朗さんが批評した1冊です。
評論家を批評する。
ちょっとオカシナ本ですよね。

しかしこれを数学に置き換えれば簡単です。
一つの批評に値する現象(本)があるとします。
それを数式に還元し、グラフ化します。
その関数を微分する=批評する。
その批評をまた批評する=高階導関数の考え方です。

問題はそうして導かれた解答がオモシロイかどうかですが、充分楽しめる1冊でした。
むしろここで取り上げられている著者の本を1冊ずつ読むよりイイかも?
まぁそういう読み方は外道ですけど、他に読みたい本はイッパイあるし、見たいスポーツもあるし、仕事も忙しいものね。

また何よりこの本は優れた批評文だと思います。
その根拠は、この本にあるように、読んでいるうちにモヤモヤしたものが「腑に落ちる」
また思っても見なかった見方ができて「目から鱗が落ちる」
という体験が出来たからです。
著者ごとに書かれる概説も見事だと思いますし、(書かれた方にとっては不本意なモノも多いと思うけど)、そこから解釈、発展させる文章もオモシロかった。

特に、生成される記憶、訳文からくるデリダへの難易度の違い、弱者論、石原新太郎の小説に94点を付けてしまったことが一生の烙印になる福田和也への同情なんかね。

唯一、反論したいのは、斉藤美奈子とこの著者が同感している宮崎アニメへのことで、それには、以下の言葉を送ります。
ゴルギアスはギリシャ悲劇を一種の「詐術」「アパテー」だという
そしてそれに欺かれた者こそが賢いという、正義感や賢者は詐術とは無縁で騙そうともしないが、騙されることもない。
しかし詩境に遊び、その世界を堪能するには、騙されるほうが賢いのだ@パトスから表現へ」

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March 24, 2008

小室直樹の中国原論    小室直樹

だいぶ前なんですが、休日というと図書館に入り浸り、本に囲まれている幸せを感じつつ、好き放題に読みふけっていたことがあり、たまたまその頃、宗教学に興味を持ち、イロイロ本を見繕い、読み出したんですが、ゼンゼンダメ。
ある本は難解すぎ、またある本は簡単でも、味も素っ気も抜き出したような退屈さ。
図書館で、これだけ本があっても、問題が「宗教」なんていう曖昧模糊とした対象となると難しいんだな。
俺は結局「宗教」については何も知らずに死んでいくのか、と諦めかけた所で手に取ったのが小室直樹先生の「日本人のための宗教原論」
一読驚愕、一瀉千里で読了し、帰りには再読しようと本屋によって買って帰りました。

それから「数学原論」「経済学の巨匠たち」・・・と読み進めましたが、まぁみんなオモシロイこと楽しいこと、勉強になること、私にとって、小室先生の書くものには猫にマタタビ状態。
ともかく好きなんです。
どこがそんなに良いのか、というに、本来ならとてつもなく難解な学問「宗教学」とか「マクロ経済学」などのエッセンスと本質をまったく損なうことなく、漢学の素養の利いた文章で、時にユーモラスに、時に激烈に歌い上げるように書き上げるとこ。
さらに論理展開では集合論まで使ってくれる。
数学オタ心をくすぐられると同時に、その厳密さにまたシビレルのね。

そんな小室直樹先生が、自分の中でいかに大きな存在かと再認識したのは、
「綾波レイに読ませたい10冊」というネタ記事を書いたおり、読ませたい本、読ませたい本と考えたらノンフィクション5冊中の2冊が小室先生の御著書
これには流石に自分でもビックリ。
ネタ記事でも書いてみると案外自分の本音を再認識できるものです。

前置きが長くなりましたが、この「中国原論」も傑作です。
読み出したら止まらない小室パワーは健在。
何故中国はああなのか?
という本質的理解から、現代における「法」の認識の仕方。
さらに歴史への偏重に見る中国の未来・・・
小室直樹の本ですから、単純に中国極悪論ではないですし、中国万歳論でもないです。

ともかく読んでごうじろ。
楽しめること保障します。


ps
去年、投資用の株式会社を作った折、最初は会計も自分でやろうと勉強開始したんですが、数冊の本を読み上げた処で、本業とトレードの忙しさにかまけて税務は会計事務所に丸投げ。
まあ仕事、仕事で詰まっているからそこまではしょうがないにしてもやっぱり「複式簿記」はキッチリやならなアカンわ。
中国人馬鹿にしている場合じゃないよ@俺、という反省も芽生えました。
簿記勉強し直しますぜ。

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March 16, 2008

神の仕掛けた玩具     橋元淳一郎

本を読んでいると時に、この著者は本当にアタマが良いナァと唸る場合があるのですが、この著者、橋元淳一郎さんはそんな一人です。

この人の書いた「人類の長い午後」はスゴイ!
SF好きの方ならこの題名だけでピンとくると思うのですが、これはあのイマジネーションの極限に達した傑作「地球の長い午後」へオマージュされた1冊です。
内容は、橋元さんの確固たる、そして広範にわたる科学知識を元に、これからのミレニアムに遭遇する、あるいは、起こりえるかもしれない人類の未来図を俯瞰したもの。

その奔放なイマジネーションと、社会学にも目配りされた立ち居地から描かれる絢爛たる想像図は圧巻でした。
科学的な知識だけならある方は沢山いらっしゃると思いますし、ただ漫然たる想像だけなさる方もいらっしゃると思いますが、その融合を極めて高い地点で成し遂げられる方はなかなかいません。

さてそんな橋元さんが小説を書いたらどうなるか、というこの短編集ですが、ます最初の「超網の目理論」はダメ・・・ハード・サイエンス指向が空回りし、フィクションとしてのエネルギーは感じませんでした。

「スミレ」もイマイチ・・・やはり小説は別物なのかと諦め掛けたのですが、「豊饒なる空孔」で鮮やかなイメージを見せます。

そして表題にもなっている「神の仕掛けた玩具」・・・文章に生粋の科学屋さんらしい生硬さはありますが、素晴らしい。傑作認定してよい出来だと思います。
モネラの断想」は微妙。
ただ単磁極粒子(モノポール)とか、数学的な累乗と宇宙サイズなんてことに反応するオタクには楽しめます。

そして「白い飛翔体」文句なしの傑作です。
ここで描かれるイメージと想像力は長く心に残ると思います。
星間を飛翔する・・・今後、読む方のためにあえて書きませんが、このアイデアは見事です。

とけい座イオタ星系に」は、水準でしょう。
最後の「エルティブーラの黙示録」・・・素晴らしい。
そして惜しい・・・
ビックバンとビッククランチ。物質と反物質。宇宙で否定された絶対空間論の復活の可能性。
最高級の食材を使った挑戦は、最後の最後で成功の達成に届かず。
されどその心意気や良し、というところですね。

まぁ「人類の長い午後」を読んで気に入ったら読んでも良い本です。

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March 09, 2008

帝都幻談(上)   荒俣宏

時代を江戸に遡らせた、「帝都物語」の前日談です。
「帝都物語」、私には非常に強烈な思い出があります。
読書中毒なので長期の旅行には(というか正確にはちょっとした外出でも)必ず本を持っていくのですが、「帝都物語」は随分前にNYに行く時持っていきました。

最初はやたらに売れていたし(マニアは何でも一般に人気な物を嫌う)、表紙の絵柄がダサいと思ったし、出だしの文章にピンと来なかったので、絶対に読むまい、と決めていたのですが、フライトは長くなりそうだし、分冊で出ていたので小分けにして他の本とバランスを取れると思い直して持参しました。
気乗りのしない選択でしたが、読み出すと成田に行くまでに夢中になってしまい、搭乗を待っている時点で1冊読みきり。5巻までしかもっていかなかったので、アワテテ空港の本屋に走り7巻までゲット。
それから機内で読んで読んで、ハワイ上空を過ぎた当たりで、加藤保憲が護法童子を召還し北斗七星に鎖を掛けて引き出す、というもうタマラン場面で読み終わってしまい、正直その時だけは、ちょっと飛行機をとって返してもらいたくなった・・・

NY、映画やモダンアートが好きなら聖地のような所ですが、本当にパワフルなフィクションにはそれだけのチカラがあるものです。

で、いつものように記事題名の作品と違うことを書いている時は、はい、気に入らなかったときです。
遠山の金さんとか平田篤胤とか出てきますが、ストーリーの進行はまだるっこく、人物描写にも魅力がない。

ただ加藤重兵衛(以下、同じキャラなので保憲とします)が出てくると、フィクションが一気に輝く!
大したキャラクターだと思います。
この魔人の魅力は素晴らしい。
そこで思い付いたんですが、加藤保憲、映画「エイリアンvsプレデター」とかに参戦させてやりたいです。
あの映画では、巻き込まれる人間は雑魚扱いですが、加藤保憲ならやってくれるのではないか?(笑
ちょっと前には「ジェイソンvsフレディ」ってのがあったけどそっちに出ても良い。
これはUFCとドリームのどっちでも良いというのと同じです(笑

日本代表として加藤保憲!
よく考えた日本転覆を狙う反日キャラなんだけど、このさいどうでもいいや。
エイリアンあるいはプレデターvs加藤保憲が見たいからね。

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February 11, 2008

謎とき 村上春樹     石原千秋

私の積年の夢は、二人の娘が片付いて、ガリガリ働く必要がなくなったら、もう一度大学に行き美術史を学びたいということ。
基本的に本とアートがあれば他に何もいらない・・・というと大げさだけど、図書館や美術館にいるのが好きです。(あまり行けないけど)
でも大学は思いっきり実学系に行ってしまったので(まさか将来までこういう性格が続くとは思わなかった)、文学部なんかに行った高校時代の友達と話すと羨ましくてし方がなかった。

この本は早稲田大学文学部で教授を務める石原千秋先生が講義した村上春樹文学論を、1冊の本にまとめたものです。

現実にもし大学に入りなおして(早稲田だよ!俺の偏差値じゃ無理か・・・)著名教授から村上春樹論なんか聞けるチャンスがあったなら、随分楽しみだな、と期待して読み初めたのですが、どうにもあまりオモシロクない。

非常に詳細にテキストを読み込み、分析しているのですが、その内容が腑に落ちない。
結局、文学やアートなどあらゆる芸術は、分析という細かに切り分ける作業では伝わらない、曰く言い難い天上からの光を垣間見せるから価値がある・・・
でもそれを言ったらあらゆる文学論、芸術論、果てはスポーツ(古代では神事だった。現代でも抜きん出たプレーには至高の存在を垣間見る)まで語れなくなる。
それもオカシイ。

ではこの本の何が受け付けないのか、と問われると、やっぱり理屈の上に理屈を重ねているような部分です。
難しいことが書いてあり、それを必死で理解した後に振り返えると、結論は非常に当たり前なことが書いてあるだけだったりする。
これを繰り返されると、読む方はなんだか馬鹿らしくもなる。

またその理屈もオカシナ部分を感じます。
たとえば「クルマを買ったときは近代という思想まで買っている。近代という思想が(クルマの事故で)毎年7000人を殺している。そのことが無自覚になる@一部略あり」、との記述がありますが、ちょっと牽強付会です。
確かにクルマを一切無くせば7000人の交通事故死は0になります。
でもトラックで農産物が運べなければ、都市は存在できませんよね。
火事にも対処できない。
いざとなったらパトカーが飛んで来るってことがなければ強盗への抑止もなくなる。
救急車がなければ、というか普通にあらゆるクルマがなければ病院にも行けない。
工場生産も止まります。今の生活で使っているあらゆるものがなくなります。
こうして交通事故以上の惨禍が起こるから、効用の上で自動車が存在するだけで近代思想云々とはまた別の問題と感じます。

また繰り返される「神話」への定義へも違和感があります。
私が神話というとき思い浮かべるのは、古来から延々と続いてきた人間の幾多の営みの積み重ねられた過去の中で、追憶の彼方に蒸留されても残り続ける結晶のような存在のことです。
ギリシャ神話があってアキレウスという存在があって、こんな試合を見ると
なんとなく運命と苦闘する英雄の存在を時を越えて感じるのです。

同じ村上春樹論でも内田先生のがオモシロかったのは、読んでいて連想が広がり普遍的な視点が持てたから。
アンドレ・ブルトンの「魔術的芸術」が充実して読めたのは、詩的韻律に酔えたから。
そいうもののない理論のための理論はちょっと疲れました。
でも一気に読み通したら結局はそれなりに楽しめたのかな。

確かにふんふんと頷ける箇所もありました。
でも夢の大学再入学でこの講義だったら少しガッカリするかも・・・
まぁ世の中の楽しみなんて、現実化すると大概ガッカリがあるものだけどね。

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February 06, 2008

こころ    夏目漱石

夏目漱石は巨大な山のごとき作家ですね。
その雄大な山は、見る季節により、時間帯により、天候や場所により幾らでも違った表情を見せます。
私の漱石マイブームのきっかけは、何か悪夢のような短編集が読みたいと「夢十夜」を手に取ったのが最初でしたが、一読、やはりこの人、只者ではない、と認識新た。
それから中学時代に読んだ時は何の感興も抱かなかった「草枕」を読み驚愕!
文章のかもす魔術的ともいえる幻惑と、照らし出す深淵に圧倒され、「抗夫」のリアルな幻想に魅入られました。

濃厚な幻想を紡げる作家というだけでもう充分、とも思うのですが、巨山、漱石にとって、それは余技のようなものなのでしょう。
「こころ」では一転、「近代」の「インテリ」の「罪と苦悩」の相克へ向け、本格派文学者として豪速球を投げ込んできます。

現代のいわゆる「恋愛」という概念が、半分死んだような時代から見ると、Kの悩みの深さや先生の懊悩など少しまだるっこく感じます。
私も恋はしましたが、それは真剣であってもさらに軽い感慨の元に展開します。
好きな娘に対する思いは切ないですが、死ぬの生きるのというほどではない。
告ってみようか、どうしよう・・・どうせフラレル?いや分からない・・・もっと良さげな友人がいる・・・なら負け確定だから諦めよう・・・でももしそいつがフラレタら、ダメもとで一勝負だけでもしてみるか・・・この程度でしょうか?

それが自殺にまで行く友人と、死にながら生きるような先生を生み出してしまう。
その設定に、なんだか読む前にはリアリティが感じられない。
読んでいる間も見事な文章に感嘆はするものの、オチが見えているのでそれほどでもない。
ところがこの文庫の最終板、302pの最後の1行からの

「ああ失策ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。」
という文章を読むと、
誰もが落ちる怖れのある、人生の奈落を覗かされた気になります。
恋愛ということ、友人を裏切り、罠に嵌めたという具体的な判例を越えて、一気に普遍的な、生きている限る逃れることのできないであろう「陥穽」に気づかされるのです。

これは罪の意識と苦悩について描かれた、やはり最高峰の作品でした。

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January 20, 2008

影響力の武器       R・B・チャルディーニ

いわゆる「他人を思うままに動かす本」の原典でしょうか?
この手はあまり読まないんですが、書店で手にとって「本物感」があったので購入しました(笑

要するに人には「固定化された行動パターン」があり、そのスイッチを「カチッ」と入れてやれば「sir」とばかりに動きだすから、注意しようね。
そういう行動のスイッチをいつの間にか仕込まれて、不本意なモノを買わされたり、不利な取引をしないように、ということから書かれていますが、
「格闘技をやっているのは、あくまで自衛の為です」、とか言いながら、実際はその気になれば腕力として行使できる可能性を持つのと同じで、この手の本は、だいたい上手くやってやろう、と読みだすわけですが、読んでみるとなるほど「本物感」の説得力はあるものの、なかなかこういう具合にはいかないだろう、という限界も感じて安心するやら、ガッカリするやら・・・

ただ「返報性」のルールで、
「人類は自分の行動が無駄にならないと知っているから好意による助け合いが起こり社会が成り立つ」なんて書かれると、単なるお得を目指したマニュアル本を超えた人類社会学の根幹に触れるような教えがあり読み応えはあります。

そして自分の中の不思議な感情も説明されたりします。
例えば、私には娘が二人いて、どちらとも仲が良い方だと思うのですが、将来は絶対に一緒に住みたくありません。
この感情は自分でも不思議だな、と思っていたのですが、要は年と取ったら面倒を掛けるだろう。
そして面倒を掛ければ「恩義を受けている状態というのはとても不快なものです。@この本」ということになり、それが予感出来るから、結局、もう最初から同居とかスープの冷めない距離とかはなしにしたいという決意の背景になっているのかもしれません。

まあこの本で他人を巧く動かしてなんとかしよう、と思っても、今や「クリシュナ協会の花をプレゼント作戦」も相手にする人などいないでしょうし、ローボール作戦でも一貫性なんて関係なしに、不利になったら断るよね。
結局、この本のいう通り、人には固有の行動パターンがあり、そのスイッチを入れられる危険は確かにあるものの、世知辛い世の動きは速く、もうほとんど「人の固有パターン」を利用してカチッ、サーとはならないんじゃないの、というのが私の結論です。

よく奇怪な事件が起こると、すでにフィクションを超えた現実、なんてコメントされますが、この本に書かれていることもほとんど知れ渡り、実行され、注意事項になり、今や世はこの本を超えた世界になっているのかもしれません。

でもこの本を読んでおけば、さらなる新手の手法が出ても本質的な理解の元、インチキを避けることができるかもしれないですね。
「もしこの情報を持ったまま時間を遡れたらどうするか」
嵌められたかかな、と思ったらそう自分に問いかけなさい。
「身体的な違和感を大事にしなさい」、なんて教えは良かったです。
これもコピー本にはない「本物感」が漂う教えですね(笑

さらにカルト宗教の予言が外れてもなぜ信者が減らないか、なんて疑問の答えは面白くって、参考になりました。
この本で、目先でなんとか得をしようと思っても、あんまり上手くは行かないと思いますが、人間の持つ固有パターンについて知的好奇心のある方にはおススメです。

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January 16, 2008

風に顔をあげて     平安寿子

小説にはそれぞれ色々な面白さがあると思います。
「真夜中のデッド・リミット」のようにハラハラドキドキで読了するアクション・サスペンス物もあれば、「異邦人」や「草枕」のように、ただ文章の美しさに陶然となるものもあります。

ではこの小説の魅力と云えば何か、と問われたら、「書いてあることが、いちいち腑に落ちる」快感でしょうか。
ストーリーは最近ありがちの「平凡な女性の日常生活物」です。
主人公の風実は25才。
高校を卒業した後、プロのフリーターの誇りを持って自活して来ましたが、30才という年齢を意識するようになり、どことなく将来に不安を持ち始めています。
そんな彼女の周囲には、ボクシングに夢を託す恋人がおり、ゲイをカミングアウトして転がり込んだ弟がおり、社会を知って相談に乗ってくれるサラリーマンの小池さんがおり、尊敬できる先輩の三益さんがいます・・・

そんな人々に囲まれて懸命に生きる風実は、悩みや苦しみと戦い、それでも挫折があり、世間の厳しさに戸惑い、さらに父のいない複雑な家庭環境への屈託があります。

上手だな、と思うのは、その時々の心情の理解への描写で、風実が自分自身や他の登場人物へ覚える共感と反感が非常に「分かる」のです。
もし私自身が同じような状況に立たされたなら、どう思うだろう、はっきりしない感慨になるんだろうな、という箇所で、なるほどな、そうだよな、そうそうこんな感じだよな、と巧く説明してもらって納得させられた、カユイ所を掻いてもらったような気持ちの良さが読み処です。

母親の「愛」とは結局、何なのか?
小池さんの悩みには、どう答えるべきなのか?
みな通り一遍ではない、複雑な状況下の話なのですが、キチンと回答が出ています。

それから映画で云えばほんのチョイ役のような登場人物。ボクシングジムの会長とか、トレーナー、バイト先の店長からゲイバーの経営者まで、端役の人物まで描き出される輪郭が確かで存在感があります。
こういう点も読み応えを増しています。

結局テーマは題名通り、厳しい「風にも顔をあげて」生きろ、ということですが、その主張にもあざとさがなく、嫌味がなく、自然にこちらに伝わってきます。
なかなか力量のある作家さんだな、と思いました。

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January 11, 2008

ストーカー   A&B・ストルガツキー

題名から、「他者に執拗につきまとう異常人」の話かと思われるかもしれませんが、これは原作を映画化したタルコフスキーの作品から採られて、「密猟者」という意味で使用されています。
また原作のロシア語での題名は、「路傍のピクニック」です。
では密猟者とは「何を」密猟しているのか?
「路傍でピクニック」をしたのは誰なのか?
という辺りが、この小説の読みどころです。

これは範疇から云えば、SF小説なのですが、まずいわゆるSF(Science Fiction)ということを考えて見てください。
SF物と云われて最初に思いつくのは、「スター・ウォーズ」などでしょうか?
「スター・ウォーズ」は、非常に偉大な作品ですし、私も楽しみましたが、あの世界の宇宙船を帆船に、レーザー砲は大砲に、ライト・サーベルはそのまま剣に持ち替えると、物語の骨格は、帝国軍と反乱軍など、古き良き冒険譚と同じ構造であることが分かります。

そもそもSF小説は、創始者と云われるヴェルヌが、「ロケットに乗って月に行く」というアイデアなどから始まった文学なので、ロケットが出てくればSF、という流れも無理ないのですが、いつしか科学的な夢(フィクション)だった物も現実になると、尖鋭化したSF作家たちはより進んだ科学的知識を元に、より高度な思考の実験に走り出し、SF小説は奔放に、時に奇怪に姿を変えました。
これはそんな思考実験をされた作品でも随一とも目されるものの1つです。

物語は、年代も場所も明記されない土地に「ゾーン」と呼ばれる一帯があり、そこは人類の英知の及ばない危険と、得体の知れない物体が放置されている、という状況があります。何故そうなったのか、ということは、人類のまったくあずかり知らぬことで、ともかく何者かが襲来し、何かを置いてまた出て行った・・・ちょうど我々が草原に生きる昆虫や小動物のことなど気にも止めずに、気ままに「道端でキャンプ」をするように、です。

その危険極まりなりゾーンに密入し、人の知りえぬ物体を盗み出すのがストーカーです。
こう書くと、ハラハラドキドキのアクション物か、と思われるかもしれませが、主人公は極めて地味で懊悩が深く、爽快な場面などまったくありません。
ただあるのは理不尽な底知れぬ危険に、地道な「生活の為」挑まなければならない男たちと、家族の話し・・・ラストもこれで終わり?という結末で、読後に残るのは、ひたすら重く陰鬱な余韻だけです。

でもその重さは、まさにScienceをベースにした Fictionでなければ得られない感慨であるのは確かです。
SFマニアなら抑えておく1品でしょう。

ただ問題なのは、絶版本であることで、私も古本をアマゾンで手に入れました。

今値段を見ると2200円から8000円します。
270pの薄い文庫本なのでかなり割高ですね。
私が買おうと思った時も3000円から8000円で、止めておいたのですが、ある時、800円!で売り出されていたので即刻購入!
送料込みで1140円でしたから、その価値はありました。

興味の湧いた方は登録しておいて安値が出たら買い、で良いと思います。

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January 06, 2008

世界一やさしい問題解決の授業   渡辺健介

自分の知らない分野の勉強をする時は、一番易しく、読みやすそうな本から読みます。
この本は経営コンサルタント会社として著名なマッキンゼー社の手法を、小学生向けに書き直した1冊です。

簡単な本から読む、というが信条でも、小学生向けなのは、レベルを下げすぎなじゃないの、ということで手に取ったのですが、読んでみれば難しい・・・

私は零細自営業者で、先物取り引きなんかもやっていて、去年は名目だけでも株式会社持作ったりしたので、常に問題山積なのを自分で考えながら乗り切らないとならないのです。

そんな私の愛用する方法は、ともかく裏側が白い紙は捨てないで、一ヶ所に貯めて貯めておいておく。
そして問題が発生すると、どんどん考えたことをその紙に書いて行く。
ノートと違い、1枚1枚がバラバラなので、机から床まで広げて行き、同じ内容はまとめながら、新しいアイデアは発展させながら書いて行く。

並行して見られるので、一遍に色々なアイデアを見比べられるのが便利なんです。
そんな自己流のやり方に比べ、この本の方法はより論理的で効率的です。

でも実行するのは難しい・・・
私のやり方が思いつくままで出来て本能に近いのに比べ、この本のやり方は、より分析的で高い知性と集中力が要求されます。
さらにこの手法にやっと問題を落とし込んでも、そこは袋小路、ということが多く、そうなると苦労した分だけ、挫折感もひとしおです・・・

こういう具合になるのは、私がまだこの手法に慣れていなく、使いこなせていないことが主因だと思うので、今後もというかこれから夕食をとった後も練習を積みかせねて習得を目指したいと思います。


ps
具体例は、さすがにもうちょっと上の年代の悩みを取り上げた方が良かったと思います。
この本から習得したいレベルと、具体例の乖離が大きすぎると、個人的には思いました。

読んどく本か?、と問われれば、手軽にマッキンゼー手法の一端を学べるのでオススメします。
でも実行は難しいよ。

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