寝ながら学べる構造主義  内田樹著

January 29, 2005

寝ながら学べる構造主義 :まとめ  内田樹著

結局、構造主義とは、
「我思うゆえに我あり」、で始まった近代哲学の根本からの見直しにあったようです。

我思うって言っても、それは言葉で思われているんだよね。
そうすると、その言葉とその言葉を生みだした価値観に最初から支配されているよね@ソシュール。

その時点で思うことは、語られた歴史の中で思うことだ、
すでに既成の価値体系のなかに囚われているよね@フーコー。

願望、禁止、命令、判断のない主観の介入を欠いた無垢な言葉、
何も主張せず、否定もせずただそこに屹立する言葉で、無根拠に耐えることから考えよう@バルト

自分だけは利口だと思うとこが致命的だね、特に自分が利口だと思っている奴ほど救いがたい@レヴィ

自分も一種の狂気がなければなりたたないんだよね、狂気の上に語られる「知」ってなんなのさ@ラカン

だから
もう自我と主体とかの論議は不毛だから置いておいて、

これからは、
思考を形つくる「規則」と「構造」について考えよう!
ということらしい。

無茶苦茶大ざっぱなまとめでした。&内容も適当です。
興味を持った方はとりあえず上記「寝ながら学べる構造主義」は、最初の1冊目としてはオススメできます。
終わり。

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January 21, 2005

寝ながら学べる構造主義 :5 内田樹著

ラカン:精神分析医
「鏡像段階」とは、幼児が鏡で自分を手に入れることです。

人間の子供は動物の子供と比べて、極めて未成熟なカタチ(自分で動けず食物も完全依存という状態)で、
この世に生を受けます。それは「原始的不調和」「寸断された身体」という太古的な心象を残します。

それがある瞬間、鏡を見た幼児はそこに、「私」、をみるのだそうです。
それまで不統一でバラバラな感覚のざわめきが、一挙に「私」として統一される。
ラカンの言葉でいうと
「ある種の自己同一化として、つまり、主体がある像を引き受けるとき主体の内部に生じる変容として、理解される」

しかしそれは鏡の中の「私でないもの」を「私」と「見立てる」ことによって
「私」を形成するという「つけ」を抱え込み、
「私」の起源は「私ならざるもの」によって担保され、
「私」の原点は「私の内部」にはないのです。
これを「鏡像段階を通過する」といいます。
人間は誕生と同時にある種の狂気を病むことになるのです。


次に人間が大人になる為に必要なことが、他者と言葉による交換=社会化です。
この社会化こそが「エディプス」と呼ばれるものです。
人は生きる上で数々の困難、不条理な出来事に遭遇します。
そしてその困難と不条理を受け入れなければ生きていけません。

どうやって受け入れるのか?
ラカンは困難と不条理を「父」と規定します。
そして「父=不条理」が人生に介入する結果として、
自分の困難な運命は「説明」され、人は不条理を受け入れる、とします。
これもまた理由なき詐術です。

結局、人はその人生で二度大きな「詐術」を経験して正常な大人になります。
これでは「おのれが正気であることを自明の前提とする」
すべての知はとりあえず疑問符がつけられます。

ラカンは、「知」そのものが神経症的病因から誕生した
「症候形成」かもしれない、という疑問を生じさせました。

次回はやっと最終回。
まとめをやって終わりにします。

なんか気持ちが悪い。今日も早寝だ・・・

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January 20, 2005

寝ながら学べる構造主義 :4 内田樹著

レヴィ=ストロース:「親族の基本構造」「悲しき熱帯」著
文化人類学者ですが、親族構造(親子、兄弟、親戚関係)を、
音韻論という、世界中の言葉は12の2項対立(0/1で表せるコンピューターと同じアルゴリズム)で表せるとした理論、で分析しました。

言語学を理論モデルとし、未開社会のフィールドワークを資料にした文化人類学者は、
20世紀思想界の常勝サルトルを粉砕します。

サルトルの述べる実存主義は、結局、西欧知性の思い上がりだ、としたのです。
著作、「野生の思考」では文明人と未開人は発展段階の差ではなく、
そもそも別の思考であり、関心の持ち方が違うだけで、
どちらも世界は思考の対象で、その点で優劣を付けることは出来ないと証明しました。

レヴィ=ストロースは、あらゆる文明が、おのれの思考の客観性を過大に評価する傾向を戒めます。
私たち全員が、自分の見ている世界だけが客観的にリアルな世界であり、
他人の見ている世界は歪められた世界であると軽蔑している。
これは傲慢であり、他人の生の持ちうる意味と尊厳を認めていないということです。

自分が「文明人」で世界の成り立ちに「客観的」な視点にいると思い込む人間ほど、この誤りを犯します。
レヴィ=ストロースはこの文明人の傲慢を許しません。
未開人も自分達の生の営みには「人間の生の持ちうる意味と尊厳の全て」が込められていると考えます。

もう一つレヴィ=ストロースの提言した重要な概念は、「終わり無き贈与」です。
人は「贈り物」を受け取ると負債感を持ち、お返しをしないではいられない、としました。
驚くことに「反対給付」の制度は、
夫婦愛、父性愛のない社会はあっても、知られる限り全ての人間集団に認められたのです。

その結果
贈与と返礼のせいで、社会は同一状態に止まらないように構造化されている、としました。

という記事を書きながら、「富豪刑事」を見始めた私でした。うーーーん、おもしろい。
次回はラカン、精神分析学者。

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January 15, 2005

寝ながら学べる構造主義 :3 内田樹著

寝ながら・・・の記事3本目。
後2-3回で終了予定。
(注:くれぐれも私の記事を鵜呑みにしないこと、ってもうわかってる?)

ロラン・バルト:記号論学者「エクリチュールの零度」
エクリチュール:文芸批評によく出てくる言葉。
要するに言葉使いのことです。集団に選択され実践される「好み」が言葉使いになります。
例、中学生が「ぼく」から「俺」に変えると、彼の行動や好みが変る。変わらざる得ない力が働いてくる。
「俺」と言っていて、「ママー、おしっこ」とは言えない。
しかし「ぼく」も「俺」も彼が発明した言葉ではなく日本社会に前からあった言葉です。
そこに不可視の規則が働きます。

よって営業マンのエクリチュールなら営業マンらしく、やくざはやくざのエクリチュールでしゃべります。
逆にエクリチュールの選択が、人の行動を定めるともいえます。
やくざの言葉使いで役人は出来ないし、医師の言葉使いで警官は出来ません。
人間はエクリチュールを選ぶことが出来るが、選んだ後はエクリチュールの奴隷になる、としました。

「テクスチャアの中で主体は解体する」
テクストと、作者の死という概念。
作品に出てくる主観に、人は自分の現実を忘れて捕らわれます。
例:敵から逃げる奴隷船から積み荷の黒人が海に投げ込まれる場面で、
歓声を上げる黒人観客@映画―あるいは想像上の人間:モラン著

近代批評ではテクスト(作品)から作者がそれを生み出すにいたる動機を探り、
言うつもりのなかった事を探るのが文芸批評の神髄とされていました。
それをバルトは、テクストは作者から独立して存在し主体は解体する、と逆転させます。
要は、作品だけみようね。
この人は…だからこういうモノを書いたんだよ、という批評は止めよう、とした訳。
テクスト至上主義の始まりです。


ps
カミュの「異邦人」を理想のテクスト、無垢なるエクリチュールとしました。
またバルトは俳句を究極のエクリチュールと見なしていました。

逆に裏切りのエクリチュールの代表として
汚染されたジャーナリズム(現実を写しているようで、編集、背景の音楽、
ナレーションで語り方など主観でいくらでも歪めることが出来る)を上げてます。

次回はカントを粉砕したレヴィ=ストロース。
文化人類学者という地味な学問で、彼は何故無敵のカントに勝利しえたのか!

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January 12, 2005

寝ながら学べる構造主義 :2 内田樹著

「寝ながら学べる構造主義」という本を、
さらに簡単に、いいかげんにまとめた2本目の記事です。
あんまり本気にしないで読んで下さい。

今回は社会史学者、ミシェル・フーコです。

フーコーの系譜学的思考とは、あらゆるモノには誕生日があり、
誕生にいたる固有の「前史」の文脈に位置づけてはじめて、何であるかが分かる、ということです。
例えば、ミケランジェロとルーベンスの絵画を見た時、現代の人にはほとんど同じように見えるかもしれません。しかし2人の活躍した年代は100年以上も違うのです。
ルーベンスが産まれた時、ミケランジェロは伝説の人でした。

このように、人は自分の経験していない歴史は認識出来ず、それゆえに正確は判断が下せない、
というのは人がつい忘れ勝ちなことです。
ある制度が生成した瞬間の現場、歴史的価値判断が混じり込まない段階を考察しようとしたのがフーコーです。

そんな研究の中でもっとも有名な発見は、正常/異常の境界概念です。
「狂気の研究」によると
精神病者の囲い込みは、欧州では17世紀頃都市の成立とともに行われ、
それまで狂人は、悪魔に憑かれた者として生きた教訓だったのです。
衆人の中で暮らすことは有意義な教化的機能を持ち奨励された存在でした。

それが狂気とは「何であるかが分かり」命名され分類され排除されました。
知と権力が結託したのです。

また国王二体論(王は生身の体と、国の体制を象徴する政治的身体を持つという考え)から、
王に反逆を企てた人間への罪が、「普通の体」を殺すだけなら不必要な残虐さを持つ、車裂きの刑、融けた鉛を傷口に流し込むなど凄惨になるのは、王に逆らった「政治的身体」を破壊する為に行われる、ことを発見しました。
不可視的な体制の象徴たる「王」に挑む「体」を、徹底して破壊することは現体制の安泰を約束します。

またフーコーは「性の歴史」において人が性を情熱的に語ることが、
やがて分類カタログ化され一種の制度「統御された欲望」のあり方として権力的に機能することを発見しました。

結局、フーコーの主張は、
あらゆる知の営みは、それが世界の成り立ちや、人間のあり方について情報をまとめてストックしようという欲望に駆動されている限り、必ず「権力的に機能」する。

ここでいう権力的とは政治的権力ということだけでなく、
人間が逃れられない「知」=正しきもの、という認識が生みだす、普遍の圧力の源泉になるということ、です。

さらにそれは「制度への疑いの眼差しをなげる」ことすら、一種の制度となり権力となりうる。
それを忘れて「権力への反逆」をにぎやかに歌う知識人をフーコーは軽蔑しました。

しかしこれは自己言及のパラドックスになります。
フーコー自身ですら自分の言質が権力になるわけです。

次回はバルト、究極のエクリチュールとは何か?
の予定だす。

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January 07, 2005

寝ながら学べる構造主義 内田樹著

やっぱ、いろんなところに出てくる構造主義。
今回はこの入門書を、さらに簡単にまとめてみましょう。
これでうら憶えの知識を披露しまくると、まず女性に嫌われます。
貴方が女性なら男性に引かれます。
人望がありすぎたり、モテ過ぎて困っているみなさんの為に、
ちょーかんたんにまとめてみました。(だけど内容はイイ加減だよ)


構造主義とは
人間は自由に考えているようで、
実際は歴史的、地理的な制約のある社会集団の見方、感じ方に囚われている。
だから「私の見方は絶対に正しいと主張しても、論理的な基礎付けは得られない」
要は立場が変れば見方が違う、ということ。
以上だけを憶えて下さい。

ソシュール:言語学者
1911年「一般言語学講義」がスイスのジューネーブ大学で始まりました。
構造主義の誕生です。

主張したことは、
言葉は「ものの名前ではない」ということ。
それは「名称目録的言語観」といわれ、
例えば日本語で犬は,英語でdog,フランス語ではchien
だが、どれが正解ということはなく、名づけられる前からすでにモノ(犬はいて)はあり、
名前は人間が勝手につけた、としました。

さらに、人間は一つの言語の中で暮らすだけで、
「ある価値体系の中に取り込まれている」
ということを発見したのです。

「自分の心の中の思い」この絶対的と思えることも、
心のなかでは言語に変換されているわけです。
「心」、「内面」、「意識」も言語を運用した結果、
事後的に得られた言語機能の効果とも言えます。
哲学の中心課題であった「自我」、そのあやふやさを指摘したのです。

次回は、ミシェル・フーコーをやりましょう。
ソシュールは言語学者でしたが、この人は社会学者。
系譜学的思考を特徴としました。「監獄の歴史」「狂気の歴史」の著作があり、
歴史を生成の現場にまで遡行し、いくつもの常識をくつがえしました。

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