日本文学

November 19, 2014

坂口安吾 堕落論&桜の森の満開の下@戦後の日本の応援歌&究極のホラー短編

上記二つを読了。
まずは堕落論ですが、題名からして物々しく、文章も、「堕ちよ、堕ちよ、生きながら堕ちよ」なんてあるんで、どんなおぞましい堕落や退廃の世界が書いてあるのだろうと身構えるかもしれませんが、なんのこはない、要するに世の中生きてナンボなんだから、あまり堅苦しく考えずに生きて行きなさいという、堕落論というより、人生の応援歌みたいな本です(笑
というのには事情があって、この本は戦後焼野原の中で書かれた本なんですね。そしてそこに残された日本人は、大きな虚脱感に捕らわれていた。
だから坂口安吾は、崩れ去った戦中の道徳観に縛られ過ぎていることはないと、この本でさとしたわけです。
当時の世間体だと、戦死した夫に先立たれた奥さんは、生涯面影を抱いて残りの人生を生きるべきである。
戦友は南方で露と消えたのに、生きて戻った男たちが、戦後は金儲けに走るなんて許されることではない、なんてことは考えるな、と。
堕落と言われようが、なんと言われようが逞しく生きろ!
それが結論となっていますなんて決めつけると、やっぱり無頼安吾の名が泣くような気もするので、こんな感想文なんか脇に置いて青空文庫で無料で読めますから、どうぞご一読を。
短いし、文章は練達の極致だし、読む価値はあるでしょう。

桜の森の満開の下
これも著名な短編で、山の中の桜の森が満開になると、その下にいることが怖くてたまらなくなる山賊と、かどわかされた一人の女の話です。
妖気漂う幻想的な、とてつもないホラー短編の大傑作です。

ホラーが好きです、というと人によっては悪趣味と思われます。
単なる刺激の強さに商業的な価値を見出され、美意識とは無縁のスプラッター映画がはびこった悪い影響のせいなのですが、古来より美は恐怖と深く結びつたモノでした。
本当に力を秘めた美は、人を異境に連れだします。
美とは今の時代にも力を失ってない唯一の魔術だからです。
美という魔術は、理外の理によって我々を束縛し支配する。
理に寄って生きているはずの我々の正気を失わせる力が美には宿っており、日常生活では覗くことのない深遠が垣間見えるから、それは恐れられるのです。

たとえば19世紀末の大詩人、ライナー・マリア・リルケはこう歌っています。
「何故ならば、美は私たちの耐えられる限りでの
恐ろしいものの始まりにほかならない」

残虐非道、無敵の強さを誇る山賊は、桜の森の満開の下を何故にこれほど恐れたのか?
女の問いに山賊はこう答えます。
「花の下には涯がないからだよ」
そう、無限という属性は未だ人の理解を超えて狂気に誘います。
数学者なら涯のない概念を研究することの危険を知悉している。
「無限の光の輝かしさに魅了され、その解明に挑もうとする知性は後を絶たないが、神の炎で羽を焼かれて落とされるのだ」なんて言葉もあります。

放蕩者だった坂口安吾がカントールやら連続体仮説やらを知っていたとは思えませんから、この辺の文学的直観、スゴイですね。
あ、実際の作品は数学とは無縁の幻想怪奇譚なんで気軽にご一読を。
これまた青空文庫で無料で読めます。

少し前まで、Sキングを中心にモダンホラーのブームがあり、日本からも優れた作家、作品が多数出版されましたが、なんのことはない、戦後間もなく、坂口安吾がこの作品を書いていた、というのは驚きです。
この作品を超えるホラー短編って洋の東西を問わず、何かありましたかね?

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October 18, 2014

津軽  太宰治@ラストのたけの描写には唸らざる得ない

斜陽を読んで、改めて凄い作家だと認識を新たにして、今、安吾と太宰がマイブームです。
堕落論、桜の森の満開の下、などを読了していますが、今回の記事はこの津軽

題名通り太宰が自分の出身地、津軽地方を旅しながら、場所場所ごとに友人たちと歓談するという展開で話が進むのですが、練達のまさに津軽の雪解け水を飲むような、さらさらとした喉ごしで腑に落ちていく文章から展開される津軽地方の自然と人間の描写は秀逸ですが、どうもなと思わせるのが、津軽地方の歴史的経緯を説明する為に挟まれる古文書は読みにくい。
文学的な価値も効果もあるとは感じられない。
ま、太宰の中では中堅作品だからこんなモノかなと思いながら行きつくラスト。

あのたけという女性の描写には唸らざる得ない。
巨匠と言われる画家の肖像画も恐ろしいものですが、文豪の人物造形力も恐ろしい水準です。
およそ小説という表現形式で、沈黙の中に人の姿をありありと生き生きと描きだせる技がこの世に存在するとは思わなかったよ。
結局、津軽というのは、つまる処たけだったのではないか?
たけは津軽の化身である、というのが、太宰自身すら意図してなかった結末だったのではないだろうか?
あの朴訥、言葉の少なさ、粗野と紙一重の高貴に息づく北の野生。
素晴らしく胸に迫るシーンでした。

なんだかすっかり青空文庫ばかり読んでいて最近小説、買ってない。
でも読んでみるとスゲエんだよな。
桜の森の満開の下なんて、極限のホラー小説はもうこの時点で書かれていたんじゃん、というそら恐ろしさ。
現代の作家は、こんな怪物連中と競って小説買わせないとならないんだから、大変だわさ。

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September 26, 2014

斜陽 太宰治 @NEETとの差は美意識だけ

自営業なんで延々と働いている。
休日も夜間も、止める気になれば止められるのだが、どうしても働くか、仕事の勉強や工夫、研究をしているかだ。
心から遊ぶということが出来ない。
でも仕事が好きなわけではない。
むしろ今すぐ辞められるモノなら止めたいのだが、出来ないのだ。

NEETが羨ましい。
なんと言っても働かないでいられるのは究極の贅沢だ。
ただ真似をしたいとは思えないのは、彼らの姿が美しいとは思えないから。

この小説で描かれるのは、生きる為の生命力をとことん失った没落華族たち。
今どきのニートを豊かな社会が生み出した甘えの一団と決めつける識者がいるが、まったく無知なのが分かる。
日の下に新たなモノなしという定説通り、太宰治の描きだす彼らのダメっぷりは、今どきのニートの比ではない。
それでも読んで惹きこまれるのは、美意識があるからだ。

美意識とは感性を元にした一種の覚悟。
美しくある。そうなろうと決めた意識である。
美しくあろうという意識があれば即、美しくなれるモノではないが、美しくあろうという意識すらないなら美しなれることもないだろう。
この小説では、「生活力のない人間であるのは間違いないが、常に美しくあろうという意識だけはある人々」を、太宰治が練達の文章で描きだす。

それは天才だけが描ける境地で、読者はしばしば陶然とさせられる。
ひときわ印象的なのは、太宰治の文体が持つ魔術的な魅惑だ。
たとえば三島の文章なら、一読、その壮麗さ、絢爛さに瞠目するのだが、太宰のそれは一見、なんの変哲もなく、スラスラと清流のように流れるだけなのに、流れる抒情は夢幻の中の霧のように深い。

青空文庫で無料で読める。
アンドロギュノスの裔を読了し、今度は津軽を読み出した。

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August 01, 2014

夜明け前:第二部上  島崎藤村@読みやすく面白くためになる大傑作小説

中棚壮が、藤村ゆかりの宿と書いたら、来訪したお客さんから、「ふじむらゆかりさんって、誰ですか」と聞かれたという話があるそうです。

21世紀の日本では、島崎藤村も遠くになりにけり、ってことなんでしょうが、これだけの傑作を無料の青空文庫で読んでいる身としては、なんとももったいないなあと感じます。

夜明け前は、文芸評論家として名高い篠田一士が「二十世紀の十大小説」に入れた程の名作で、作風の好悪を別にしても読んでおきたい逸品です。
そして実際読んでみればオモシロい。

文学!の王道作品ですが、まったく難解な処はなく、文章は練達の極みなんだから読みやすいったらない。
内容は確かに地味で、この巻ではいよいよ江戸から明治になる(日本近代化への夜明け前、という題名の由来です)んですが、テレビもなければラジオすらない当時の木曽の山の中で生きる人々の日常です。
スーパーマンも出てこないし、劇的な悲劇も事件もない。
今のようにダイレクトに伝わるニュースもなくて、変化は常に人との伝聞か上意下達の勅命のみ。
行動するにも、逆らうことなど思いも及ばない命令としてしか届かない。
でも時折挟まれる自然の描写の美しさ。
登場人物たちの送る何気ない日常への慈しみ。
そんな中に激流となって押し寄せる、止めようもない変革の大波
そんな時、人はどう生きるのか、なんてことを読んでいて考えさせらるのは、ホント、貴重な時間だと思う。

iphoneに入れてあるから、隙間時間に読めるのってイイよ。
ソシャゲなんかにお金使っているよりよほどイイと思うのだけれど・・・本日第二部下巻に入りました。

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April 24, 2014

夜明け前第一部(下)島崎藤村@視点が多数に発散して語られる幕末模様

相変わらず多くの本と同時進行で読んでいる「夜明け前」もこの下巻で幕末模様は終了。
第二部から明治となりますが、主人公は木曽の山中に住んでいるので、はっきりと言い切られるようなことはありません。

今さら分かり切った話ですが、徹底的に違うなあと思わされることは、情報量の格差。
京都だ江戸だで、維新の炎が燃え盛り、人死に事件も連発!
外国船は不審にうろつき、時に戦争紛いの紛争も多発。
ついに徳川300年、1000年近く続いた武士の時代が激流の中に崩れ去ろうというのに、知り合いからの手紙でしか事情を推察出来ないって凄いよね。

私がこの間、朝起きてiphone立ち上げて慌てて消したのは、深夜にやっていた海外サッカーの試合結果を「知りたくなかったから」だもの。
大きな試合と言ってもたかが球蹴りの結果すら、地球の裏側から瞬時に届けてくる(テレビにはリアルタイムで録画されている。結果を知らないで観たかった)時代と、自分の住んでいる国の激動事情を後からでしか知りえない世界・・・
何せこの小説、かなりの大河ドラマなのに、主人公は時代の中心で活躍するということが全くない。
京都やら江戸やらという時勢の中心地にすらほとんどいないという、今時の小説なら編集者の直し確実!
有りえなくない?ということで、こんなんで、果たして長編小説が成り立つのかというと成り立ってます。
それも抜群にオモシロイ!

まあ、途中、革命軍みたいになった水戸藩士がやたらカッコ良く戦っていたり、将軍家内幕模様とか、外国との騒ぎの顛末が、主人公目線を離れて語られるからなんですが、その安定感は流石に日本近代小説界の大文豪!
じっくり読めて味わいは深く、幕末から明治までの事情を掌と出来る小説となっていて、おススメです。

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February 09, 2014

夜明け前(第一部上)島崎藤村@思ったよりずっと読みやすくオモシロイ傑作小説

私が文学少年だった頃、すでに古い作家の代名詞だった島崎藤村先生。
今どきの若い人で知っている人、どの位いるんでしょうか?
絶滅寸前、という気もするんですが、それでも覚えておいて欲しいのは、この小説がとてつもない傑作であり、歴史的金字塔であるということです。
今、傍らでまどかマギカ第5巻BDを掛けながらこの記事を書いているんですが、まどかマギカも島崎藤村も日本のフィクション史(さらに言うなら高い娯楽性と深い文学性を両立させた傑作群)という大きな歴史的流れの中ではつながっているんです。
それはこの小説で描かれた幕末から明治へと至る日本と、今の日本が繋がっている如くにです。
それならこの小説の掛かれた1929年からまどかマギカの2011年までの80年で、フィクションがどのように変容したのかを実感じても良いでしょう。

で、何も知らない人の為に、この小説はどんなモノなの、というと、時代は幕末。黒船やらがやってきて徳川体制が揺らいできて、尊皇攘夷だ、開国だと世の中が大きく変転している時の話です。
「夜明け前」という題名は、近代日本の夜明け前、だよ、ということですね。

場所は有名な冒頭の文章@教養になるので覚えておきましょう「木曽路はすべて山の中である」から分かるように、木曽街道、中山道の宿場町が主な舞台となり、主人公はその宿場町本陣の跡継ぎ青山半蔵さんです。
その半蔵さんが、宿命として木曽路の本陣を守りながら、行きかう旅人たちから漏れ聞こえる激動する日本に思いを馳せる、なんてあたりがまずは第一部の上巻にあたります。
なんかツマラナソウですか?
なんの。
これが読んでると実にオモシロイんだよ。
さすが藤村、大作家の名前は伊達ではなくて、自然の描写から巧みで、あの時代の、電気も何もない暗い木曽の山中の雄大な自然は生々しく迫ってくるし、街道を行き交う多くの人々の息吹までが耳に残るよう。
まさに激動する歴史を目の前で見せられているが如くで、ああ、時代とはかくの如く動いていくのだなあ、とどんな歴史書より幕末から明治維新への動きを実感できるような気がします。
大きな時代の変転を巧く泳げたら日本の近代化は成功した。
その時代の一員としてあった名もなき人々の、近代日本人の原型とは、いかなる人間たちであったのか?
思いを馳せると飽きることはありませんでした。

ps
古典古典となんでもかんでもありがたがることはないけど、これはホントに未だ命ある作品でしょうね。
ホント、全然退屈じゃないからまずは青空文庫でおススメ。
でも読み出してホントにオモシロイって感じたら本買った方がイイよ。

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August 18, 2012

お目出たき人 武者小路実篤@明治時代にもいた妄想系究極ニート

仕事もせず、勉強もせず、実家の資産をあてにしながら、ひたすらに一人の女性に恋心を募らせる男の話ですが、武者小路実篤、凄いです。

主人公の行動力のないこと、臆病なこと、ウジウジしていること、ほとんど究極形で、最も思い切った行動が、その女性の通う学校のそばの道をビクビクしながら通ること。
だいたい恋する女性とは一言も口きいたことないんだけど、結婚が決まった後の妄想が膨らむ膨らむ。
その痛々しい内面が描かれる小説なんですが、読ませます。

たとえば、手紙を書いて興奮し、ねむれなくなり、自分を哀れむ涙をこぼした後、思うことは
「自分は男だ!自分は勇士だ!自分の仕事は大きい。明日から驚く程勉強家になろうと自分は自分を鼓舞した。その内にねてしまった」
なんて書いてある。
スゴイ文章だよね。
当然、翌日も勉強なんかしません。
友人とどうでも良い議論をしては家に帰って用意してある食事をし、後は書生に本を探させたりするんです。
良い身分だよね。
なんか、働けよって言いたくなるよね。
いつまでも、あると思うな親の資産だよ、なんて余計なこと言いたくなる。

結局、ニートだなんだと新現象のように名前を付けても日の光の下に新しいモノなし、ということと、文豪の表現力は時を超えて響く、ということですね。
今の男は弱弱しい。
明治男は逞しかった、とは良く言われることなんで、途中何度もホントにコレ、明治時代の話なんだよな、と奥付き確かめちゃいました。
主人公の情けなさが実に味わい深いです。
シンジ君なんてもんじゃないから。
この男に比べれば料理が出来るシンジ君はスーパースター。
エヴァに乗って一回でも戦った時点で、神の領域の逞しさだよ。

読めば、こういう男、明治の頃からいたんだな、と知ることが出来。
だったら自分も充分合格点って思える1冊です。

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June 03, 2012

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹@安部公房に似ている

随分前の作品ですが、今読むと二つの世界を生き来する辺り、なんとなく1Q84の原型とも読めます。
不可思議で美しい幻想世界と、危険に満ちたもう一つの世界。
その間に生息する得たいの知れない恐ろしい生き物。
村上春樹が最も掘り下げたいテーマはこの辺のかな、と感じますね。

壁とか、一角獣、とか、あからさまに手垢のついた暗喩を使いながらも、語られる幻想世界は、格別だった夕暮れの描写をはじめとして、詩情に溢れ、正邪の混淆した魅力的な世界となっています。
メタファーの構造が結末近くで明かされていく過程もスリリングで、読む喜びに満ちていました。
多少、一部、語り過ぎて長く感じる個所もあるのですが、それでも単行本で600p以上、浮気させずに読み切らせるのだから大した力量です。
現代人なら見るであろう夢想、ある種のユング的な集団幻想を非常に高い水準で文章に起していると思いますね。

この本で最もしかり、と思ったのは(以下の文章、省略改変があり)
「完全さというものはこの世には存在しない。永久機関が原理的に存在しないのと同じようにだ。エントリピーは常に増大する。この街はそれをどこに排出しているのだろう。誰も傷つけあわないし、誰も憎み合わないし、欲望もモタナイ。みんな充ち足りて、平和に暮らしている。何故だと思う?それは心を持たないからだ。戦いや憎しみや欲望がないということはつまりその逆もないということでもある。それは喜びであり、至福であり、愛情だ。絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。絶望のない至福などありはしない。」
ということです。
我々が目指すべきは、完璧な社会ではなく、各人がしっかりと夢に向きあえる社会である。
村上春樹の訴える社会性があるとすれば、こんな処でしょうか。

読んでいて、なんとなく安部公房も思い出しました。
ノーベル賞、本当に残念だった安部さん。
村上春樹には是非、獲って欲しいです。
ノーベル賞作家の本、私は随分読んでますが、充分以上に資格あり、と感じてます。

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February 18, 2012

すべての真夜中の恋人たち 川上未映子@このヒロインは、綾波レイとかびんちょうタンの好きな男性ならツボのはずだ

Amazonレビューでは5つ星と1つ星が拮抗している作品ですが、私は高く評価します。
こういう小説を読むと、文学、未だ死せず。
なお豊かな水脈あり、と感じますね。
読んでいる間の切なさと美しさ。
読後、長く余韻の残る寂寥感。
まさに小説、文学という物以外では、表すことの出来ない世界だったでしょう。

ストーリーは半分壊れてしまっている三十路の女性が、地味な58歳の男性に恋をする、というそれだけの話です。

書店で手に取って、まず最初の1p目を読んで惹きこまれましたね。
なんと美しい文章だろうか、と、感じました。
そしてその感動は、終わりまで続きました。
真夜中の、と銘打たれているだけあって、深い場所に眠る夜の美しさが描かれているのですが、素晴らしい水準に達しています。
もう一人の女性との対比も効果的でした。


綾波レイで自覚し、最近はびんちょうタンで思い知ったのですが、どうも私は「可哀想な女の子」、という設定に弱いようです。
この小説のヒロインは確かに三十路過ぎなんですが、繊細過ぎる感性と、純情過ぎる気持ちのありようが、私のツボ(笑

「わたしは泣きながら、頭のてっぺんに手を置いてみた。手のぬくもりはもう、どこにもなかった」って処で、綾波レイが、漫画版で碇くんに手を握ってもらうシーン、思い出しちゃった。
この二人の幸福は、手を握ってもらったことと、頭に手を置いてもらったことだけなんだよな、って思ったら泣いた(笑
綾波レイとか好き、って人は読んでみるとイイよ。

かつて、身分とか敵国とかで、社会に越えがたい枷があった時代に幾多の傑作悲恋物語が語られたでしょう。
今はダメだよね。
自分の欲望は、国のありようより優先されるって時代だからさ。

こういう枷なき時代に、もし恋を描こうとするなら、どこか大きく欠落した者を対象にするしかないんじゃないかな、と感じますね。
欠落した者こそ、相手を強く求めるし、結果、得られないこともあるでしょう。

でも本当は、人って誰でも欠落者なんだよね。
だからこそ真に美しいモノは、夢か狂気か郷愁の中でしか得られない。
そこにある、と思い手を伸ばせど、届いたと思った時は、崩れ去るというね。
現実と夢の絶対に越えがたい落差、というかさ。
ま、そんなことまで感じさせる1冊でしたよ。

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May 07, 2011

暗渠の宿 西村賢太@キャラが立ち過ぎていてワロタ、としか言えない

芥川賞を獲った西村賢太さんの二作目です。

受賞作より生な印象で、著者の本音、というか感性がダイレクトに出ている感じがします。
これだけ心根の腐ったキャラクターを見事に立てるのはやはり才能でしょう。

そのダサさ、いじましさ、小心さと浅墓な衝動性。
ああ、いやだいやだと思いながら読んでいると、場面によってはあまりの状況下とあまりの反応についつい笑ってしまいます。
ダメだダメだ、笑ってはいけない、それでは向こうの人と同じになってしまうと思いながらも、またまた続くあまりのバカらしさにあきれると同時に笑いが込み上げてくる。
もう笑うしかない、ということになる。

結局、この腐った主人公の話に読者が最後まで付き合ってしまうのは、誰にでもそういう一面がチラリとでもあるからじゃないかな。
少なくとも私にはある。

とことんしょうがないヤツだなあ、と思いつつ、ああ、こういう感情、分かるなあ、と言い当てられた気になってドキッともする。
あまりに当てられているうちに、自己弁護的な感情が働きだし、この程度の腐りっぷりなら可愛いもの。
ジム・トンプスン的な狂人じゃなくて良かったじゃないか、なんて理由にもならないことを感じはじめる。

私は綺麗な物を愛好する乙女的な感性もある人間なので、読み終えた直後こそ、こんな汚らしい作家の小説なんて二度と読むかと思いつつ、三冊目を買わされてしまう。
この勢いだと全部読むね。 

女性にはオススメしません。
嫌いだと思う。
でも男の人はオモシロイと思う人、多いんじゃないかな。

それにしても西村さんは肉食系だよね。
女性に嫌われる感性とスペックでも、行動力があれば肉食系になれる。
ここにある種の普遍的な現実を見るのはどうなんだろう

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