アート

October 04, 2009

一目で憶えられるバロック美術

バロック美術、と言われた時、ベラスケスやルーベンス、レンブラント等を思い浮かべられれば良いのですが、ちょっと意表を突かれたとお思いになる方に、今日はバロックアートを絶対に忘れない方法をお教えします。

ちなみにバロック芸術は、ルネッサンスの残り香も強いイタリアはカラバッジョから始まりマニエリスムを経て、17世紀にスペインやスペイン領ネーデルランド(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)オランダで咲き誇った芸術です。

一目で憶えるバロック美術
まず衣服から下着まで脱いで裸になりましょう。
下半身はタオルかなんかを巻きつけるとよりベストです。
ちなみに時間帯は夜でないとダメです。
部屋の電気を半分消します。
アルミサッシの前まで歩いてください。
右手を上に挙げ、左手は下に下げます。
顔は挙げた右手の指先を見つめてください。
そのまま腰痛にならない限界まで身体を捻ります。
上下に伸ばした腕は、捻った身体に巻きつけるようにシテクダサイ。
体勢として少し苦しいと思いますが、サッシに映った体を見て見ましょう。

この格好、自分でやるんで忘れないでしょ。

はい、それがバロックです。
ホントだって。

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September 28, 2009

しゅごキャラ!ILLUSTRATIONS@PEACH―PIT/まさにmagic!これが明日の芸術になります

PEACH-PITのお二人が描いた「しゅごキャラ!」のイラストレーション集です。

素材はすでに発表されている予告カット、表紙、扉絵などが中心ですが、ともかく美しく魅惑に満ちた画集で、一昨日届いてから暇があると眺めています。
甘美な線と華やかな色彩に満ちたイラストは見ていて飽きることを知りません。

何故、これほど惹かれるのか!
・・・実は自分でもはっきりとは分からない・・・
ともかく惹かれるから惹かれるとしか書けない。
だからこそmagicであり真のアートなのだ、としか言えない。

それでも何か具体的に言ってみろと言われれば、
これほど効果的な美しい桃色の使い方を見たことがない、
とか、
衣装を含めたスタイルのアイデアが、極めて多彩でありみんな独創的で美しい、
とか、
飛翔と戸惑い、光の表現とキャラクターの表情が夢そのものを顕現させている
とか
日本の萌える二次元だけが到達できた仮想少女の蠱惑の境地である、なんてことですね。

夢、魅惑、時を忘れて見入らさせるお二人の画力は、完全に芸術の域です。
知的な概念の発掘ばかりに傾き、真に美しいといえる作品を失った現代芸術の可能性の一つとして、私はPEACH-PITの二人を挙げたいと思います。
今は失笑されると思いますが。

ps
画集の最後にタイトルページとして、1枚1枚、この絵はこういう要望で描きました。当時はこんなこと考えていたなあ、なんていう万里さんと渋子さんの思い出が書かれているのも楽しい工夫です。

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July 04, 2009

イメージを読む   若桑みどり@美術史の喜びが堪能出来る1冊!

美術史は関心のない人だと随分マイナーな分野だろう思うかもしれませんが、かじるだけでも学んでみれば、これほどオモシロイ勉強があるのかと驚きます。

特にこの本は素人向けでも程度は下げられておらず、基礎理論や最先端の解釈が織り込まれて「知る喜び」に溢れた1冊です。

人にはその歴史をスタートさせてから延々と言語では表現不能なことをイメージで伝えてきた歴史があります。
美術史においてそのイメージの歴史を学ぶことは、人類の歴史をトータルで理解出来るということでしょう。
芸術は感性の文化ですが、より深く理解するには知性も必要なんですね。

取り上げられる画家は、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、デューラー、ジョルジョーネです。

以下基本的な教養に属することの覚え書きです。
でもこの本の本当のオモシロさは以下の覚え書きより、若桑さんがそれぞれの絵を読み解いて行く過程にありますのでお忘れなく。

ルネッサンスの終焉は1502年、ラッファエッロの死んだ年
バロックの終わりはルイ14世が死んだ時、1715年

ギリシャの芸術様式から学ぶ芸術表現の発展段階の定義
プリミティブ:技術的に未熟で、形式的にも自己固有のものを特定出来ない段階
クラシック:時代が変わってもゆるがない価値をもった完璧な様式
バロック:技巧が爛熟し、形式が過剰になる
マニエリズム:形式が整備しつくされてワンパターン化してくる

時代がある様式を要求し生み出すが、それが時代精神をうまく表現しなくなったときには、それは死ぬ

封建的で固定されたカソリックの形而上学が行き詰まった時、近代を切り開く発想の転換になったのが神秘哲学です。
その魔術師の祖がヘルメス・トリスメギストス(三重に偉大なヘルメス)というヘレニズムの神で、彼を著者に擬した文書をヘルメス文書といいます。

神秘哲学はアリストテレスなどのギリシャ哲学に淵源を持ち、錬金術などとして発展しましたが、カソリックにより弾圧され、近代科学からは蔑視され忘れ去られた学問となりました。
ただ魔術は不自由な運命に抗して積極的に戦いよりよく生きるための知恵でもあったのです。
大切なことは現代の目で過去を切ってはならないということです。
科学的真理がそれを否定したとしても、その価値を減らしたわけではありません。
歴史とは過去を正しく理解することで、現在の価値の基準で裁くことではありません。
過去の誤謬のなかに現在の真理の卵があります。

スゴクオモシロイ本でした。

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June 10, 2009

美学への招待  佐々木健一 @芸術の歴史は終焉せず。ただ再興するのみ

美と藝術と感性を論ずる美学への入門書です。
著者の佐々木さんは素養のない初心者に向かい、実に懇切丁寧に美学への向き合い方を教えようと奮闘してくれています。
以下、佐々木さんの言葉へ私が感じことの覚え書きです。
かなり生意気なことを書いてます。お許しを。

1)「魅力とは言葉にならないもの、感じるほかにないもの」
我々の世界は、言葉に出来ることを前提として成り立ってますが、何でも言葉に出来る、というのは一種の自惚れですね。
世の中には言葉に出来ないモノ、曰く言い難い存在があるということを忘れないようにすることが、本当の意味での文化、藝術、さらには人への敬意に繋がるのもだと思います。

2)近代とは人間が神の力でなく独力で平和に喜びのある社会を築くかという課題を背負った時代です。
だからこそ崇高さえへの感性が必要なんでしょう

3)《言葉にならない》ことを語らずにたら、知的な文化もない。言葉を超えた次元の存在をなんとか言葉で捕らえようとする試みが「うた」になる
その言葉にならない微妙さを知るのがセンス。

藝術の終焉:ポストヒストリカルな藝術
デュシャンの「泉」は藝術に対する大きな問いかけであったら、その知的な価値を除いたら美的な価値はない。
藝術は哲学になりその使命を終えてしまった、という考え方。
ベケットの不条理劇や12音技法による音楽も同様。

個人的な感想「芸術の歴史は表現のあらゆる可能性を試みる発見の歴史だったが、あらゆることが試みられた後に見つけたのは楽園というより廃墟だった。
ただそれなら廃墟を復興すればイイのではないだろうか?
歴史の終焉と嘆息していても未来はない。
ふたたび永遠の芸術を見つけ出し、それを認めればよい。
かつて芸術は印象派を認めなかった。その反動からアートワールドは、革新的な問題提起をする潮流を何でも認めるようになった。
それなら今度は再び目を開き、新たな美を認証すれば良いのだ。
具体例としては日本のアニメですね(本気です)」

以下は豆知識
オペラはルネッサンス期のイタリアで、ギリシャ悲劇の上映スタイルを誤解し、すべて歌われることを前提に作られた。
ラシーヌの作品は現存するギリシャ悲劇の焼き直し。
宗教的で崇高なアイスキュロス、構成が巧みで緊張感のあるソポクレス、思弁的な議論癖のあるエウリピデスが三大詩人。

理論と一体化した藝術は、藝術の自己意識化と言える。
その藝術概念ゆえに、藝術を理解するには教養を要するようになった。

オモシロイ本でした。
この本を紹介してくださったStockholmさん、ありがとうございました。

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June 01, 2009

マーク・ロスコの鑑賞法は面壁20分、花が綺麗だと感じる人には分らない?

いわゆる抽象絵画は、見慣れないと分り難い分野だと思います。
描くのに技術がいるようにも見えないし、中の色を変えたって同じじゃないの、という感じもする。
唯一無二にして、高度な技量を尽くした芸術、という観念からは逸脱しています。

それでも抽象画家の中でマーク・ロスコは分り易い方なので、この人をきっかけに趣味を広げるのは悪い話じゃないと思います。
確かに観念的な画家ですが、退屈とは無縁。
それどころか、実物を目の前に見つめれば、極めてスリリングな絵画体験が出来ます。

ただ今回のシーグラム展はロスコ・ルームでなく残念でした。
結局、ロスコの絵画は「何を見るか」、でなく、作者自身がこだわったように、「どういう環境で観るか」、が大切なんだな、という事を再認識した次第です。
今回の展示は確かに数は多いのですが、展示された場所は高すぎ、観る部屋は広すぎ、瞑想に没入するには明るすぎました。
数揃えればイイってもんじゃないんだな、ロスコの場合は。

ロスコの瞑想の中に没入するには、広すぎず、明るすぎず、適度に狭い部屋、ロスコ・ルームこそが必要なんですね。
ロスコを見るならここしかなかったんです。
川村記念美術館にこの部屋を造った人に感謝です。


では具体的にどう観るかというと、ロスコ・ルームに入ります。
一度グルリと一周しましょう。
そして他の人の気配がなくなったら中央のソファに座る。
後は目の前の絵画をじっと見つめます。
周囲がぼかされた矩形の何も具体的なモノが描いてない絵画ですが、面壁20分、ひたすらじっと見つめてください。
するとロスコの仕掛けたマジックが徐々に立ち上がって来ます。
輪郭の曖昧な矩形が揺らめきだし、鑑賞者は本物の夢幻、神の死に絶えた現代では稀なる聖なる空間に入り込みます。
やっぱりオマエはオカシイだろうって?
画集だけ見ていたらそう思うでしょうね。
実物を是非ご覧になってください。
それでも分らなかったらそれで結構。
アブストラクト・アートなんて、分れば偉いってモンでもないしね。


ps
美術館からの帰りのバスを待つ間、妻は「綺麗」と言って植木を見ていました。
小さな鉢植えを一つ買ったようです。
私は花の美しさ、それほど分らないんですね。
綺麗だな、とは思いますよ。
でもあまり感動したり、鉢植えなどを購入しようという発想は浮かばない。
でも妻にはロスコが分らない。
男性と女性はやっぱり審美眼が違うのだ、と思うのです。
女性は具体的なモノを愛し、男性は抽象的な観念に惹かれる。
どちらが優れている、ということはない。
でも違う。
両方揃っていれば感性の幅が広がって結構、ってことじゃないでしょうか。

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May 27, 2009

川村記念美術館に行ってきました@ジョゼフ・コーネルはオタクだよね。

テート・モダンから「シーグラム壁画」が来ているので川村記念美術館に行ってきました。
今回は妻も行きたがったので電車で。
佐倉の駅前から美術館へはバスが出ています。
私はちゃっちゃとタクシーで行きたかったんですが、駅前に出ると妻は、
「あ、バスの停留所がある」と歩いて行きます。
・・・何気ない反面、確固たる意思を感じたので私も付いて行くと、バスなら無料なのでした。
うーーーん、無料を前にした時の女性の意思は堅固です。
美学入門という本を読みながらバスを待ちました。
驚くことにバスは超満員。
走ること20分。昼前について付属のレストラン「ベルヴェデーレ」へ。
そこもすでにお待ちの人たちが沢山で、私は後悔。
食事はとっと済ませたい方なんですが、ことここに到ってはココで食べるしかない。
それにしても平日で、企画展はロスコだよ。
こんなに混んでいるとは思わなかった。
まさしくゴールデン・リセッション@日本

仕方が無いので待つ間、隣のミュージアム・ショップで時間をつぶしました。
妻はクッキーを焼く時に使う型を二つ買ってます。
ウチは子供が娘二人なんで良くクッキーを焼いてますが、型に拘るのが分らない。
クッキーなんて焼いてあればイイんだよ。
型なんてどうでもいいだろうが、と思う(←ロスコの理解にはココ大事です。)

やっと順番が回ってきて昼のコース料理を食べる。
まあミュージアム・レストランって感じでした。

それから美術館へ。
いきなりブラックが目に入り、シャガール、ピカソ、マグリット、レンブラント・ファン・レイン、エルンスト、マレービッチ、カンディンスキーと、みんな一目で分かるような代表作がならんでいます。

その中でも一際心に残るのがジョゼフ・コーネル・・・優しい引き篭もりのオタクな人。小箱に出来合いの写真や日用的な廃物を詰めただけなのに、溢れる詩情は天才だけが出来る業。
50年、早く生まれすぎたNYの二次元オタク。
惜しかったね。
後、半世紀遅く生まれていれば太平洋の向こうの島国に、きっと恋をしていたと思う。
コーネルに萌えアニメを見せてやりたかった。

それから暗い廊下を歩き、角を曲り階段を上がっていくと真紅の光輝くバーネット・ニューマンの「アンナの光」の部屋に行きつきます。
巨大な赤一色の絵画の前の椅子に掛け、じっくりと鑑賞しましょう。
川村記念美術館が誇るこの部屋だからこそ、モダン・アートの一つの頂点は視覚の絶唱を奏でられるのです。

ロスコとは何者か、どう観るのか、という記事は次回。

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December 24, 2008

セザンヌ主義展@横浜美術館  フォーブへまで届いていた先見性

私が小説、音楽、アートなどを楽しむ時、必ず自戒することは、自分が感じたままを言葉にする、ということです。
世界中の人が褒めても、ピンとこなかったら黙っているし、こんなの褒めたら恥ずかしいと思っても自分が良いと思えば絶賛する。
そんなこと誰でもやっていると思われがちでしょうが、人の心は権威への依存性や多数派への協調バイアスが根強く、遵守し続けるのは案外難しいんです。

なんでいきなりこんなことを書いたかというと、セザンヌは長きに渡り私の理解を超えていたからです。
絵画が好きになったのは、中学に入ってすぐ位だったのですが、印象派などは口当たりが良くすぐファンになったのです。
モネは良いね。ゴッホはスゴイね。ルノアールは綺麗だね、と。
ただセザンヌは分からない・・・
どこが良いのかこの画家は・・・と思い続けて数十年、文化村に来たオランジェリー展で天啓のごとく分かった。
それ以来のファンですが、その時の喜びは、権威であっても分からない物は分からないといい続けた正直さの代償とも思えるほどの大きさでした。
分からないのに分かった積もりになっていたらこういう感覚は味わえなかっただろうと思うのです。

さてこの展覧会ですが、セザンヌの作品を中心にセザンヌの影響下にある作品群を展示されていますが、一通り見終わって感じることは、セザンヌのキュビズムへの先見とフォーブにまで渡る影響の大きさですね。
セザンヌ自身では、やっぱり静物>風景>人物の順でイイですね。
「林檎でパリを驚かせたい」という言葉に偽りなしです。
テーブルの上の赤いリンゴ一つに革新への気概が感じられます。
屹立する水差しは、後のモランディすら思わせますね。

他ではピカソなら「ひじ掛け」より「ポスターのある風景」の方が、より堅牢な画面から発散されるイメージが明瞭で好ましかったです。
モディリアーニが良いのは当然ですが、その前のセリュジエの「ルイーズ、あるいは」に描かれた人物像は、頑強な生への意志をあますとこなく描かれた印象で惹きつけられます。
マティスがエッチングの商品を出してますが、平易な色とデザインにしか見えないのに「この野郎」と思うほど印象に残ります。

佐伯祐三はカッコ良すぎてあまり褒めたくないのですが、「パレットを持つ自画像」は見ておく作品でしょう。
アンドレ・ロートと長谷川潔の風景画は、「私だけの秘密のお好み」というツボを刺激される感じで好きです。

ドランとヴラマンクを揃えてくれてありがとう、と感謝です。
そうかあ、セザンヌの筆にはフォーブもあるんだな。

ps
展覧会に行くと必ず音声ガイトを借りるのですが、今回ほど酷いガイドはないくらい内容空疎でツマラナイものはなかったです。
鑑賞の助けというより邪魔なので、これから行かれるかたは借りない方がイイでしょう。

ps
キスリングの「サンジェルマンの風景」はどの角度から見てもガラスが光って見えなかった。工夫してください。

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November 29, 2008

幻想の画廊から   澁澤龍彦

芸術においては、全てを無から生み出す創造者は神であり、その作品を評論する者にさほどの価値ない。
なんてことはよく言わがちなんですが、澁澤龍彦クラスになると、それは神の言葉を伝える預言者のごとくなのだなあ、ということが納得できる1冊です。

文章を読んでいると、絵画への感動があまりに分かりやすく、その心理的な構造までが腑に落ちるように書かかれるので、読みながら目を開かされる快感がありますね。

神の言葉を語る預言者澁澤の神託として以下の例文をあげますので感心してください。

「デルヴォーの絵はひそかに見る物の参加を要請する。私たちの視線が女たちの凍結した肉体を溶かしその内部の官能の火照りを解き放たなければならない。そこで初めてドラマが起る。しずかな戦慄が見る物の全身を走る」
・・・デルヴォーを見るときの感慨が全てすべて説明されていますね。

レオノール・フィニー
「一つの祭儀の雰囲気が濃密に流れる。その根底に、人類の揺籃期の最初に信仰と結びついた、芸術の魔術的な性格がある」

「仮面の効能はいつでも好きな時に、おのれの単調で無力な存在条件から脱出することができ、解放されて、動物や神々が暴れまわる、あのはるかなる地平の彼方へと飛翔できることである@ジョルジュ・ピュロオ」

バルティス
「夢みる少女はあらゆる禁止の枠を超えてその肉体全体を容易にエロス化するだろう。しかしバルティスの少女は思春期に達しようとしているので、子供の全能を失いかけ苦しんでいるように見える。不思議の国から帰ってきてもう一度そこに行きたいと思っても、うまく行かないアリスの苛立ちのようなものだろうか」

タンギーはかなり好きな画家だったんですが、制作年代と画風がこれほど並行しているとは思わなかった。(読めば分かります)

幻想芸術、デルヴォー、マグリット、タンギー、バルテュスなんて名前にピンと来る方なら必読です。

ps
最後に関係ないけど、今聴いている曲を

Dragonforce - My Spirit Will Go On
Dragonforce - Heroes of Our Time
明日は多分このバンドのCDのことを書きます。

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November 12, 2008

「奇跡の光」に偽りなし! フェルメール展には行くべし!

今日は早起きしてフェルメール展に行ってきました。
なんで早起きまでしたかというと、実は行くの二度目なんですね。
一度目はのんびり昼前に着いたらもう大行列が美術館の外まで伸びて列の最後方は50分待ちになっていた。
寒い中、50分待って入ってもどうせ中も大混雑で見た気がしないだろうとチケットだけ買って帰ったんです。
それで何時来るのが一番待たないか、と聞いたら開館直後、朝の9時だというから寒い中起きて行ってわけです。
それでもすでに入り口、チケット売り場はごった返しですよ。
スゴイねフェルメール。

私はアートにしろ小説、映画、クルマにしろただ美しいだけ、綺麗なだけで無難一方という温さのある物はそれほど好きにはなれないので、この人気はちょっと不可解なほどでした。
それでも行ったのは、フェルメール、T・ハリスを始め、美に関して世のうるさ型まで魅了してますし、世界から集められた作品を一遍に見られるのは効率が良いだろうと思ったからです。

それで結論から先に書いてしまうとフェルメール展、行って良かったです。
フェルメールの描く光はただ無難な綺麗なだけの光なんてもんじゃなかった。
「奇跡の光」と銘うたれたそれは、実際に本物を見るとまさに天上からの至高の光としか思えない。
なぜにこれほどに柔らかく、人の心の一切を浄化し穏やかに包み込むような「光りの絵画」を描き得たのか分からない。
ダ・ヴィンチみたいな毒もない。
シュルレアリズムの画家のような狂気もない。
孤独や不安、恐怖や悪意、人の暗黒面を抉るようなこともしない。
そんな「暴力」を使わずとも、人の魂の一番奥底に届く力を持ったフェルメールには驚嘆するしかないですね。
音声ガイドはオススメです。
解説もイイですけど、音楽だけ聴けるのも良いですよ。
ただ音楽、もう少し長くやって欲しかったな。
フェルメール見ながら聴いていると、軽いトランス状態味わえました。

妻と行ったので帰りはまた「すいれん」に寄り、中庭の大きな銀杏の木から舞い落ちる枯葉を見ながら食事をしました。
ここは近い、ムードがある、安い、とイイ条件揃ってるよね。
久々にウイスキーとビール呑んで寝て帰ってきましたよ。

あーあ、今、後、松涛美術館の池口史子展も見たいんだよなあ・・・でも休みがないんだ。
のんびり、美術館めぐりだけしている生活がしたいんだけど・・・

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October 19, 2008

日本美術応援団   赤瀬川原平・山下裕二

アート、美術史というと、やはり系統的に確立された西洋絵画を中心に考えてしまうのですが、日本美術を考える手がかりも欲しいものです。
この本は赤瀬川さんと美術史家の山下裕二さんの二人が、雪舟、等伯、若冲、写楽、北斎etc.などを語りあかした1冊です。

対談形式なので非常に読みやすく、赤瀬川さんが時に違和感があるものの「独自の見解」を披露すれば、それを専門職の山下さんが補うという具合に、かみ合いも良好です。
読んでいても、ただ無難なことだけ書いてある類書より楽しいでしょう。

取り上げられる範疇は極めて広く、上記の画家以外でも、応挙、蕭白、光琳、円空、佐伯祐三から安井曽太郎、さらには竜安寺の石庭から縄文土器までが取り上げられます。

またこの本で主張されるテーマの一つに、「歴史的に見ない」という視点が上げられます。
それはその絵画の描かれた時代背景を無視する、ということではなく、ただ雪舟だ!北斎だ!という名前だけでひれ伏すな、ということです。
これは忘れがちですが、日本美術に限らず、アートを見るときに非常に大切な点です。
権威にまどわさるな!自分の感性だけで見ろ!ってことです。
それで分からなくてもイイんです。
いつか分かる日が来るかもしれないし、来なくたってどうってことない。
もしかしたらそれは権威に曇らされていて、何も感じないあなたの感性の方が正しいこともあるかもしれない。

なるほど、と思った指摘では、画家にもデザイナータイプ(作品の着地点が見えてるタイプ)と生来画家タイプ(自分でも分からずに書き連ねるタイプ)がいる、ということです。そして具体例として尾形光琳と雪舟が上げられている・・・納得です。

応挙を「乱暴力」はないが、あの真面目さはスゴイ、でも邪悪さはない、とか、蕭白には「乱暴力」が前面に出ているけど、作品を底で支えているのは、「丁寧力」だ、なんてとこは流石です。そう、これが言いたかった、とことズバリで、こういう言葉に合いたくて本を読むわけです。
また芸術に対して、ほど良さ、生ぬるさが許せない、というのも同感。
ほど良く、生ぬるいってのは、芸術の反語として登録したいくらいです。


ps、最後にお願い!
松林図の展示について東京国立博物館は、もっと分かり易く情報を開示してください。
これ一つとっても、日本の役人は自分たちの都合しか見てない人種だと思う。
こう思われないためにもキチンとお願いします。

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