アート

December 04, 2014

進撃の巨人展、行って来ました@ヴァーチャル・ワールドはここまで来た!360度体感シアターは凄い

ついに始まった進撃の巨人展。
この作品もCool Japanが生み出した傑作ですが、人気故、混み過ぎていたら嫌だなあと思いつつ、ここはやっぱり行かない訳には行かんでしょ、という訳でipadから予約。
コードナンバーの付いたメールをiphoneに転送してローソンに向かう
Pontaカードの磁気が弱かったりしてなんか大変だったんですが、なんとか前売り券を手に入れる。
お値段は音声ツアーガイド付だと一人3300円とお高く、しかも期日指定なんで、その日に行けないと無効になるというなかなか厳しい逸品です。

で、先日、妻と二人で行ったのですが、リヴァイ兵長推しの方が多いのか、並んでいるのは女性が多い・・・
リヴァイさんは、強いというより狂気染みていて、ちょっと怖いけどねえ・・・
ま、好みは人それぞれということで、まずは集団ごとに順番に入場です。

一気に入れないのは、展覧会の最初が光と音の全身体感シアターとなっているからで、前置きとして「かなり刺激が強いので、心臓に疾患があったり、体調不良の方は先に進めます」といわれますが、個人的には大したことなかったです。
遊園地の幽霊屋敷よりは怖くないよ。
でも決してツマラナカッタというわけでもなく、観に来た方に、少しでも進撃の巨人の世界を味わって欲しいという熱意は伝わってきました。

そこが終わると原画展ですが、通路が狭く曲がりくねっているので、ともかく混み合っていて進まない。
正直落ち着いてみるのは難しいでしょうね。
巨大模型も展示してあって、写真なども撮れるのですが、個人的に一番良かったのは立体起動装置で森の中を飛び回っている感じになれるシアターでした。
三方面からなる画面に映像が映し出されて、前に座って観ていると自分が飛んでいる感じになって気持ちイイ。
私はこの手の刺激が好きなんで堪能しましたが、クルマ酔いし易い人は要注意かもしれません。

グッツ売り場も大盛況でしたが、我々は特に何も買わず。
なんか最近美術展に行っても買わなくなったわ。
昔のあの情熱はどこに行ったのでしょう。

その後隣で開催している360度体感シアターに並びました。
入場料は別口で600円也の上、進撃の巨人展のチケット半券が必要ですので捨てないように。
5分ほどの待ち時間で入れるのが救いでした。

入場するとズラッと机が並んでいて、体感シアターというより講義でも開かれるような会場でしたが、HMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)を被った瞬間に世界は一変します。
スゴイです。
ヴァーチャル・ワールドはここまで来たという感慨がありますね。
360°全方位、進撃の巨人の世界に入れます。
真正面だけでなく、上下左右もご堪能下さい。
いやー、こりゃゲームの世界に住める日もそう遠くないんじゃないの。
コレ市販されたら、ゲームまったくやらない私も買うわ。

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October 24, 2014

ウフィツィ美術展 黄金のルネッサンスに感じる欧州人の深き不信の影

歌は世に連れと言いますけど、個人で書いているブログも書き手に連れ。
人は時と共に変わりますから、傾向も変わって当然なんでしょうが、始めた当初は多かった美術展ネタ、最近は随分減っています。
何故か?
はっきり言いますが、最近は日本にあまり良い絵が来てません。
より厳密に言えば超1流が来ていない。
美術展の前宣伝があれば期待するのですが、え、こんなモノなの?という展覧会が多い。
昔、というか震災前の展覧会は、今振り返ると凄かったですよ。

欧州人は礼儀を知ってますし、利口なので決して口にしませんが、はやり日本の安全に茫漠たる不安感があるのではないか?
そうでなければ経済的に苦しい欧州が、幾らでも金になる(そしてどこよりも入念に注意深く作品を扱う日本に)貸さないわけがない。

ま、それでも私にとってウフィツィの名前は特別なんで、先週の日曜に行ってまいりました。
上野駅で迷って忍ばず口から出て、エレベーターで上がると上野の森美術館で開催中のボストン美術館の行列が凄い!
やっぱみなさん分かってらっしゃる。
欧州人よりアメリカ人の方が、作品ホイホイ貸してくれるよね(この辺にリスク許容度の民族性の違いがある。欧州の保守性と米国のリスクテイク性向)
アメリカ様には、今度のホイッスラー展も期待してます。

ま、そんな行列を横目に見て、ウフィツィ美術館黄金のルネサンス展は東京都美術館ですが、好天の日曜だったのに行列はまったくなし!
その分、余裕で観れる観れる。
パラスとケンタウロスの前だって、絵の直前でゆっくり見られる。

結果、、期待が薄かった分、まあまあ満足かな。
一番印象的だったのは、ドメニコ・ギルランダイオの「聖ステファヌス、聖ヤコブ、聖ペテロ」で、その色彩の鮮やかさは、今にも通じるイタリア美学そのもの。
個人的にルネサンス大好きという点は割り引いてもらわないといけませんが、名前の割には良品が揃ったのでは。
ま、図録を買うほどではなかったですけどね。
音声案内も終始落ちつた解説で好感度でした。

鑑賞後はうらうら歩いて上野の玄品ふぐで昼食。
昼間からやっているふぐ屋は貴重だよね。
12時に入った時は私以外の客は閑散としていましたが、ゆっくり食事を終える頃にはほぼ満席となっていました。
ひれ酒を呑んで気分もほぐれるし、フルコースだと時間も潰せるし、肉よりヘルシーな感じだし、ふぐ屋は私のような慌て者でも一時、落ち着けるのでありがたい。

それにしてもこの調子で美術展のレベル低下が進んでいくと、貴重な楽しみがなくなるなあ。
さすがに私、萌え関係のイベントは行かないので、美術展が低調になると休みの日に行く処がない。

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July 07, 2014

電子書籍二冊目、美術館の帝王第一巻をキンドルに出版申請しました

たった今、キンドル出版に電子書籍二冊目。
美術館の帝王第一巻を出版申請しました。

美術史の簡単覚書で、これ一冊覚えれば貴方も美術館の帝王になれる、という本です。
今回はゴシック絵画からルネサンス、バロックまで。

出版されたらまたよろしく。
二部は売れるはずと思っていた安室先生の本は現在まで10部売れました(笑

販売価格は前と同じ100円。
予定販売数は・・・正直、自分で買う一冊と・・・あとは目算立たないですね。
自分以外0部も覚悟です。
でも本にするのは楽しいのでまだまだ書きますよ!

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April 20, 2014

バルテュス大回顧展2014年@硬直した少女の肢体の何が美しいのか

妻が好きな画家でもあり、熱心だったので朝一で行って来ました。
今回は没後の回顧展ということからバルテュスの奥さんである節子さんが大きくフューチャーされていました。

展覧会には大作も多く充実したモノと感じましたが、結局、バルテュス芸術とはなんなんでしょうか?
彼のモティーフの中心は、
1)少女であること。
2)硬直したポーズで、人というより人形など生命力のない物体のような感じがあること
の二点です。
陰毛のない女性器が描かれるなど、芸術です、と言わないと検閲対象になりかねない題材が主力なんですが、さらにどう見ても巧い、という絵ではない。
それなのにその絵には何か、我々の深層を刺激する力がある。

今、たまたま読んでいる「文学と悪@バタイユ」(バルテュスとバタイユは友人で、その娘さんがモデルになっている絵も来ていた。これはホント偶然)では、
「今の世界は「善」の通俗化としての残忍な悪と「悪」の通俗化としての残忍な善にとりかこまれていたのだということを忘れるべきではない。文学にとって至高のものとは、悪の極限を掘りあてようとすることではないのか」、と問いかけられているんですが、そんな大それた感触でもない。

死後硬直を起こしてもなお、ポーズを付けさせられているように見えるモデルたちは、エロス=生きるということを際立たせる反語としてのタナトスだろうか?
結局、見ている間、考え続けたのですが、解答は見つかりませんでした。
人間の美意識とは一筋縄ではいかないことは確かですね。
だからこそ、これからの日本での表現活動が、安易な社会常識に縛られる規制(善の通俗化としての残忍な悪)の犠牲にならないことを祈ってます。


展覧会の終わりの方ではバルテュスの見事な和服姿も見られます。
奥さんが日本人だった、というだけでなく、ホントに日本の美意識に傾倒していたんだな、と納得させられる写真がイッパイで、驚きましたね。
最近観た映画で、ファッショニスタのダイアナ・ヴリーランドも
「日本人はすごいわ。神は彼らに石油も金もダイヤモンドも与えなかったけど、神は日本人にスタイル(美意識)を与えた」と言って絶賛している。
私も最近のアニメ全般を観るに、日本人の美意識は今、世界の最先端を走り、その水準は卓越していると感じています。
進歩的文化人が言い出した、「日本人には独創性がない。物まね猿だ」、なんて言葉が、世界的にはまったく意味をなしてないことは良く分かりました。

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September 19, 2013

世紀末画廊 澁澤龍彦@萌えアニメのサンボリズム的解釈に必須な教養

碩学、澁澤龍彦先生が世紀末と幻想芸術全般を俯瞰した1冊です。
アンソールから語り始められるこの本は、歴史的には紀元1000年(至福千年期)から発展したサタニズムの解釈から、ビザンティンの薄明に至るまで。
東西では上田秋成からシュルレアリズムを経てベルメールに至るまでと、ともかく広い。
そして何より今に響くのは、萌えアニメを解釈する上での深い歴史的考察です。
萌えは現代に突然始まったモノではなく、人類の文化史上、連綿と続いていたモノなのです。

東西の古典に精通する衒学者であると同時に、芸術を詩情豊かに語れる詩人でもある澁澤龍彦の本は、何度でも読み返したくなるので以下、忘備録
1)心理学者ノーマン・ブラウンによれば、あらゆる人間の文化、芸術的活動の目標は、「失われた幼児の肉体を発見してゆくことである」が、幼児とはフロイトの言う「多形性倒錯」者としてのアンドロギュヌスに他ならない。
それはブルトンの言うファンム・アンファン(幼児のような女)と一致する。
「私が幼児のような女を選ぶのは、彼女を他の女と対立させるためではなく、彼女のうちにのみ、もう一つの視覚のプリズムが完全な透明状態において宿るように思われるからである@ブルトン」

2)幻想美術は、何かを語ろうとしているという意味で、文学的絵画と同義語になる。明らかに一つのメッセージが発せられので、それは詩人や小説家の役割と等しく、反リアリズムの基礎に立っているが、最後まで現実からは解放されず、純粋抽象の海の中に、そのメッセージを拡散させてしまうことはない。

3)芸術とは、今日、いまだに効果を失ってない唯一の魔術であり、日常的現実に根差した知性や合理主義の手続きを廃棄し、夢やエクスタシーや狂気によって、一挙に根源的な世界に参入する。

4)ゴヤやサドのように、芸術にある種の毒は必須である。それは人間性には暗黒面が付きまとうからである。自分の理性を証明する為に、健全な精神を納得させるために錯乱のイメージを組織的かつ系統的に深めた処にこそ、18世紀的魂にふさわしい理性と錯乱の逆説がある。

5)玩具の生命を見たがる。これは子供の最初の形而上学傾向である。
子供たちは人形をバラバラに分解してその内部の秘密、生命を見極めようとする熱望がある。ピカソのように肉体を謳歌する薔薇色のエロティシズムに対比される、それは賛美する死と暴力の認識の上に立った危険な黒いエロティシズムである。
人形愛好家にとって「女」はイブのように男の内部から出て来た存在であり、無意識の強烈な自己愛の変形である。

6)肉欲の伴わない芸術的衝動は、真の個性とはなり得ない。一つの時代の精神的な雰囲気を代表する為には、みずからの宇宙に沈潜する必要がある。

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September 11, 2013

ミケランジェロ展 天才の軌跡@映像と巨大写真の展覧会&破壊されかかった最後の審判から今の日本が学ぶこと

アートならどんな時代のも好きなんですが、一番好きな時代はルネッサンスです。
そしてルネッサンスと言えば「神の如きミケランジェロ!」なんですが、個人的にどうもあんまり萌えないんだよね。
確かにずば抜けた偉業をなした画家であり、システィーナの天井画をもってして、美術史上、最高の作品である、と言う人がいても疑問には思わないんだけど、なんだか人物像の骨格が立派過ぎちゃってね。
見ていて感心は出来ても重きに過ぎる、というか。
仕事の量は少なくても、レオナルドとかティツィアーノとかラファエロとかボッティチェッリの方が、私の美意識にはピンと来る。
その上、今回の展覧会は、どうも大した作品が来ているわけではないようだ。

ま、ミケランジェロの大した作品というと、イタリアの国宝、バチカンの至宝ということで、どんなお金を積んだって来るもんじゃないで仕方ないんですが、やはりメインが「階段の聖母」というのは弱かったんじゃないか?
巨大写真と4K撮影の映像は充実していて楽しめたけど、やはり美術館の楽しみは、生の作品を観てナンボ。

ただ今の日本へ通じるメッセージはあって、芸術の頂点として、今でこそ多大な観光客を集め、イタリアの誇りであるミケランジェロも、裸の男のオンパレードの大壁画に当時はエロだの、不謹慎だの、こんなのは教会よりも風呂屋がふさわしいから塗りつぶせだのと言われっぱなしで、実際、レダと白鳥は焼失、最後の審判も取り壊し案があったらしい。
卑小な常識に権力が乗っかって芸術に手を出せば、歴史が下す審判はこんなモノ。
肝に銘じておきましょうね。
特に警察官僚出身の議員さんたちはね。

ps
最後は例によってミュージアムショップでグッツを見たのですが、絵をあしらったクリアファイルにタンブラーにTシャツ等々、どっかで似たお店を見た記憶が・・・アニメイトと変わらないよね、この風景。
こうなったら後はまどマギワインとか売るしかないな(笑

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July 14, 2013

肉への慈悲 ディビッド・シルベスター@血の匂いが私に微笑かける

モダン・アーティストの中で、市場で最も評価が高いフランシス・ベーコンに、友人であり美術評論家のディビッド・シルベスターがインタビューした1冊です。
美術史上最も重要な1冊、というふれ込みでしたが、読了後感じたことは、まあそれほどの本でもないような(笑
インタビュー本としては、アルシャンボーの本の方が興味深かったような・・・

ただ昨今の日本の世情をかんがみると、良識が芸術(先端的な文化)に対して健全性という錦の御旗で浸食を計っているのは、見過ごすことは出来ない。
この本の中で語られる本物の芸術家の価値感が、いかに異常か、という事位は、教養として知って欲しいということですね。
異常人なら芸術を創造出来る、ということはありませんが、長く命脈を保つ芸術、文学は、何かしらの異常性を含んでいるモノなのです。
それを健全性の御旗の元に、根こそぎにしてしまうと、暗黒が現実の社会を蝕み始めるだろう、ということは、過去の歴史が教える処です。

例えばフランシス・ベーコンは、こんなことを言っています。
「私は人間が安寧に暮らすべきだとはまったく思いませんし、安寧な生活など絶対に望みません。創造性が萎えてしまいます。不公正は人生の本質だと思います。偉大な芸術を生み出すのは苦痛や個人差であって、平等主義でない。社会的公正というのは無意味に自然にさからうものだという気がします」

「幸福な社会など、誰が気に掛け記憶にとどめるでしょう。何百年後の人々が考えるのは、その社会がどんな遺産を残したか、だけです。歴史に偉大な創造をした社会こそが人々の記憶に残ってきたのです。」

まあ、政治家や役人が言ったら大変な発言ですし、私も同意する者ではありませんが、この位の人間でないと、人の深い場所を暴くような絵は描けない。
人間がまだ誰も行っていない荒野を切り開くには、自らがナイフの切先になるしかないんです。

「本当の現実を描こうとすると苦しみを写したようになる。それは現実が残酷であるからだ」
「見物人ほど、悲惨な恋愛沙汰や病気を好む者はいません。」
凄い皮肉ですよね。
バラエティ番組に出ては、健全、健全とまくしたてる良識人ほど、週刊誌レベルのゴシップネタがお好みですよね。
誰それがこんな悪いことをした。
誰それが不倫をした(笑
そんな話に目の色を変えている自分が、いかに醜悪な存在かを忘れている。
彼らは絶対に(見ましたというアリバイ以外では)、展覧会なんて行かないし、
川端康成や谷崎潤一郎の美意識など、頭の隅にもない。
あったら言えません。
過去の偉大な画家たち、偉大な文学者たちで、変態でなかった人間って誰がいますか?
カフカ、カミュ、ドストエフスキー、ポー、三島由紀夫、芥川、漱石、太宰、
今でこそ品位と芸術の象徴みたいなレオナルド・ダ・ヴィンチは、墓を暴き、解剖に執着し、胎児を宿した子宮を切り開いた。
そういう人間だからこそモナ・リザを残せたんです。

「ありふれた現実は常に神秘を孕んでいて、その神秘を再現するために絵を用いた@ルネ・マグリット」
「芸術家の仕事は霊媒のようなもので、時空を超越した迷宮の中のものを明るみへと連れ出す@デュシャン」
「抽象画には伝えるものがなく、あるのは美意識と感性だけだ。ひどく水に薄めた感情を抒情的に伝えることは出来ても、インパクトが弱い。ただ見る側は絵と格闘しないですむのですんなり受け入れられやすい@F・B」

結論は、
「絵画にはもう自然主義的なリアリズムなどありえないのだから、新たな神経組織に直接伝わるリアリズムを創造するべきなのです」

こういう本も絶対に読まないのが、成績優秀な官僚たちと、無教養の政治家たち。そして悪を糾弾するしたり顔のコメンテーターたちです。

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May 16, 2013

青地に1本線バーネット・ニューマンはどこが凄いの?@44億円落札の抽象画

真っ青なキャンバスに、一本の白線を描いただけの作品が、44億円で落札され話題をよんでいます。

いわゆる抽象表現主義、とかミニマル・アートと呼ばれる分野ですが、私もこの手の絵画、分かりませんでした。
果たしてこんなモノが芸術なのか?
誰にだって描けるではないか?
みんなキュゥべえに騙されているのではないか?という疑問ですね。

それが変わったのが、ある美大出のご夫婦と知り合ってからでした。
話がはずむ中、デ・キリコの画集があったので、
「美術が好きになったのは、中学の頃、美術の教科書で(街の神秘と憂愁)を見てからなんです」
と言った処、綺麗な奥様も「あら、私もあの絵からです」ってね。
嬉しい盛り上がりがありまして、で、その下にあったのが、マーク・ロスコの画集だ。
マーク・ロスコも先日、非常な高値で落札された、検索してみれば分かるように、今回と同じような作風の画家ですが、正直に、「こういう画家は分からない」と伝えた処、御主人が、それは画集で見ているからですとおっしゃいましてね。
実物は見ると凄いですよ、と。
川村記念美術館にあるから、是非一度ご覧なさいと言われたので、まあモノは試しと行ってみて、目の前にして圧倒された。

ホントに凄い絵なんですよ。
どこが凄いのか、というとこれはもう私も同じことを言うしかない。
画集とか、ましてやネットの画像では理解出来ない。
実際に目の前で見て観なさいとしか言えない。
でも観れば分かります。
幸い、本当にありがたいことに、日本には抽象表現主義の絵画を鑑賞するなら世界1素晴らしい場所であろう「川村記念美術館」があります。
ロスコ・ルームのことですが、バーネット・ニューマン作品でも「アンナの光」という今回落札された作品の上を行く、まさにこれこそバーネット・ニューマンの代表作と言える逸品があるのです。

この手の絵画はすでに「観るモノ」、ではなくて、目の前にして「体験するモノ」なんですね。
だから教科書やネットに乗っている小さなサムネイルでは分からなくって当たり前。
でも体験したくても、日本じゃないと無理なんだよ。
日本はホント、こういう点では偉大な国。
恵まれた環境を生かす上でも、是非、一度、足をお運び戴ければ、モダン・アートの楽しみが分かると思います。
ただ抽象的、概念的な作品であることは確かなんで、男性の方が好まれる傾向はあるんですけどね。
数学とか、理論物理とか、哲学とか、概念的なモノって、どちらかと言うと男性の分野でしょう。
妻もアート好きなんですけど、一度連れて行ったけど、無反応。
女性はロココとかバロックとか、見た目が綺麗な絵が好きですよね。
男は抽象概念が好き。
そういう方には特におススメしときます。

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March 29, 2013

フランシス・ベーコン展@東京国立近代美術館:教皇は何故、叫ぶのか?

フランシス・ベーコン展開催記念。
前記事に続いて画家フランシス・ベーコンへの解釈記事です
フランシス・ベーコンの最も高名な作品「ベラスケスの<教皇イノケンティウス10世の肖像>に基づく習作」。
今回も叩き台になったと思われるモノが来てますが、中の人物が叫んでいます。

ベラスケスのリライトなら、単に画風を変えれば良いのに、何故ベーコンは叫ばせたのか?
その叫びは何故か?
恐怖でしょう。
教皇は非常に恐ろしいモノを見たのです。
何か?
鏡です。
彼は自身、自らの姿を見て、恐怖に絶叫しているのです。
我々は肉(他の命)を喰らわなければ一瞬たりとも生きながらえない。
我々の原罪は消えていない。
我々人類は、という以前にありとあらゆる生命は、他者の犠牲の上に生きる呪われた存在である。
この意味を悟った時、教皇イノケンティウス10世は、叫ばずにはいられなかった、というのがベーコンの解釈でしょう。

生はおぞましい。
それでも我々は生きなければならない。
大きな矛盾の中で、原罪を乗り越えなければならない。
それが我々の課題です。

前記事で、音声ガイドのゲストになった熊川さんに対し、バレリーナは反ベーコン的である、と書いたのは、ベーコン絵画に秘められた肉体への、肉体が肉体として存在するが故の恐怖からです。
すべてのバレリーナは肉体を信仰し、肉体を愛して表現の極限を目指す。
ベーコンは肉体を恐怖し、呪詛の叫びを上げる。
真逆の価値観です。
ベーコンの絵画に描かれる顔はみな、鋭利な刃物で切り裂かれ、抉り取られたように見えますが、それは互いに、生を保つ必要が故に、あの剥きだしにされた歯で互いに噛み合ったからです。
ロココの優雅。
バロックの荘重な美しさの中に、人の深遠、魂の場所を探る絵画なら、熊川哲也さんは合っていたかもしれない。
でもフランシス・ベーコンはダメです。
コッチは英国文化圏の生んだパンク、あるいはハードなロックだからです。

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March 27, 2013

フランシス・ベーコン展に行って来ました@剥きだされた歯の語るもの

20世紀中盤以降に活躍した画家で今後最も評価の進む二人上げろと言われたら、私はマーク・ロスコとフランシス・ベーコンの名前を挙げます。
その動きはすでに絵画マーケットにおいて顕著ですが、今回の副題、「ピカソと並ぶ美の巨匠」というのには違和感を感じます。

フランシス・ベーコンの名前は、未だモダン・アートのマニア以外に一般的でないが故に、集客効果を狙ったものなのでしょうが、二人の画家は、その画業に置いてまるで質が違っている。
次々にスタイルを変え、傑作の山脈を造り続けたピカソと、ほぼ一貫したスタイルで一生を通したベーコン。
女性好きのピカソとホモセクシャルだったベーコン(笑
楽天的であけっぴろげ、強気のピカソと陰気で謎めいていて引きこもりがちだったベーコン。
方や20世紀美術のメインストリームをリードしたみんなのアイドル、ピカソと一人、孤高の高みに到達したベーコン・・・まあこの辺にしときましょう。
ただあまりに陳腐な副題を付けるとベーコン展を待っていたようなモダンアートオタクはシニカルなので注意が必要です。
それから熊川哲也の音声ガイドが酷い。
ほとんど自分のイギリス時代のバレエのお話で、ベーコンとまったく関係がない。
ただこれは熊川さんの責任というより、時代が一致したいたというだけで頼んだ方が悪いよね。
バレリーナはその本質において反ベーコン的であることが必須です。
私はいつも企画展。
キュレーターの方々のご苦労を褒めるのですが、今回の企画展はベーコン流のハード&エッジイをまったく理解していない、あまりセンスがあるとは思えないものであったというしかありません。

でも展覧会に来ている絵画は素晴らしい。
「ペインティング」「ベラスケスの<教皇イノケンティウス10世>の習作」「磔刑のキリストの足元の人物の三つの習作」という三大傑作はありませんでしたが、いきなり現れる「人物習作Ⅱ」「肖像のための習作」の二作品などはいざ目の前にすると圧倒的な迫力で、20世紀美術の到達した深さ、その力の大きさには感銘を受けづにはいられません。
アートはついにここまで来た。
ということですね。
これだけの作品を造りだせれば「抽象は僕には安易な解決に思えるんだ」という彼の言葉も納得出来る。
言うだけのことはやっているわけです。

さて普段アートを見慣れない人が彼の作品を見てショックを受けるのは、その剝き出しにされた歯ですよね。
目もなく、耳もなく、鼻もないのに歯だけはズラリと揃って咬みかからんばかりに描かれている。
何故に彼は歯を繰り返し描いたのか?
一つの強迫観念のように描き続けたのか?
それは「生とは恐ろしいものだ」という一種の原罪に気付いたからでしょう。
ありとあらゆる生き物は、他を貪って生きていく。
動物は進化の過程で肉食という最も効率の良い栄養補給を生みだした。
他を殺す。
貪り食う。
これが生の本質です。
生とは暴力そのものです。
水分と日光だけで生きている植物ですら、その縄張り争いにおいて他種を容赦なく攻撃する。
己を守る為ならなんでもするが生物なんです。
その事実。
あらゆる生き物は、やはりベーコンが何度も何度も繰り返し描いた檻の中にいあるように、その宿命からは生きている限り逃れられない
歯を檻。
この二つのモティーフの解答は以上のことだと思います。

ミュージアムショップでは図録、Tシャツにデイヴィッド・シルベスターの「肉への慈悲@アルシャンボーとの対談集が素晴らしかったので、ベーコンが著作を残してない以上、この本も一種の原典として読まないわけにはいかない」を購入。
雨の中、重くて重くてしょうがないので「半透明の美学」はアマゾン回しにしました。

ps
すぐにでも行きたかったのですが、花粉が吹き荒れのびのびとなっていました。
本日、やっと休日と雨が重なる僥倖にめぐり合い行ってまいりました。
日本政府は花粉対策に本腰を入れた方が良いよ。
内需拡大への乗数効果。これほど高いものは他にないって。

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