美の歴史

April 12, 2009

美の歴史 ウンベルト・エーコ@優美から不安の美へ、マニエリズムとバロック

美とは均整と適切さから生まれ、諸部分の調和から生まれる優雅さにほかならない、という大原則は、ルネッサンス期に高度な完成を見たが、不安に美を見つける遠心力の萌芽もあった。
数学を中心とした科学の進歩は、予想以上に不安定な調和の発見にいたる。
理想都市、新しいアテネのイメージは、イタリア各都市の政治的経済的なほころびにより内側から蝕まれて行く。

マニエリスムの芸術家は、古典的な美の規範を無効にして空想の世界へと乗り出す。新プラトン主義による入念は計算よりS字状の流れるような形。

美から計測と秩序と比例という基準を奪い、主観的で不透明な判断を基準にしていく。典型がアルチンボルト。
その絵は古典主義のあらゆる体裁を剥ぎ取られ、驚愕と機知により表現されている。それは洗練され、教養があり、コスモポリタンである。
マニエリスムは、バロックのより庶民的で感情的なダイナミズムも拒否したが、その結果、ルネッサンスを凌駕し深化させたものになった。

心配、不安の源流には、コペルニクス革命がある。
宇宙の中心を失った人間には「ナルシスティックな傷」が生じ、ユートピア-静謐かつ調和の取れた世界に黄昏が訪れる。
すでに人間は宇宙の作り手でもなければ主人でもない。
知の進歩はそれを明らかにし、ケプラーは世界がより複雑な法則を要求していることを知らしめる。

その象徴が幾何学と憂鬱な人間が一つに組み合わされている「メランコリアⅠ@デューラー」である。(探求した結果、単純な世界観が無いことを知って憂鬱になった人間)

マニエリスムからバロックへの移行は、仰天させるもの、驚愕させるもの、一見不均衡なものへの探求である。

バロックは奇想:魂を驚愕させ、その魂に深く入り込む鋭さ
明察:覚醒した抜け目ない、創造的な魂
才知:凡人に見抜けない結びつきを見分ける能力
が必要とされる。(要はゴッチャゴチャに見える中での洞察力ですね)

バロックは、「善悪の彼岸の美」、醜を通しての美、偽を通しての真、死を通しての生といえる。
死のテーマはバロックに強迫観念的に存在し、結果、それは劇的緊張をはらむ美となる。

シェイクスピア「ロミオとジュリエット」
ジュリエット、花の顔に隠れた毒蛇の心。
麗しの暴君。
天使のような悪魔。
鳩の羽を付けた烏。
狼のように残忍な子羊。
地獄の聖者、造花の自然よ。

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March 25, 2009

美の歴史 ウンベルト・エーコ 15.16世紀の魔法の美

15世紀、イタリアでブルネフスキによる遠近法が確立され、フランドルでは油絵の技法が普及(ヤン・ファン・エイクで頂点となる)すると、視覚世界を知ることが論理的に一貫する規則に従う科学的な方法となった。

新プラトン主義はマルシリオ・フィチーニによりフィレンツェで奨励された。
それは、古代の叡智を近代の形に翻案して、美を整合性のある象徴体系に統合し、キリスト教の象徴的意味と調和していることを示すものである。
局所の美でなく、超感覚的な美こそを、本当の美の性質とするものである。
また自然の美には魔術的性格が備わっているものである。
ティツィアーノの「聖愛と俗愛」は、イデアとリアル、という新プラトン主義を良く現している。


ルネッサンス期の女性は化粧を利用し、宮廷でのファッションを決定し、会話、議論、哲学の能力も発揮した。
それらがティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」や、ダ・ビンチの「チェチリア・ガッレラーニの肖像」の女性像の謎めいた表情へと結実する。

英雄像は、古典的規範からの逸脱のきっかけとなります。
絵画が古典的な様式やテーマへの敬意から自由になると、対象物は象徴的な意味合いを失います。
この背景には16-17世紀に起った宗教改革、風俗の変化があります。
しかしカルヴァン主義の厳格なモラルと、因襲にとらわれない世俗ブルジョワジーの習慣は矛盾に満ち緊張に晒され、新たな人間像を生み出します。
オランダ=奔放なまでに写実的な美(フェルメールなど)を描き、王宮で活躍したルーベンス(30年戦争の間に活躍)は、存在を誇示するような官能的な美を追求した。

ルーベンスの人物の表情は穏やかで、レンブラントの激しい精神性。ティツィアーノの鋭い突き刺さるような視線は持っていない。
宮廷世界はこうして、マニエリズムとバロック様式、フランドル派の写実とカラヴァッジョの中に、夢と驚異、不安という形で美を表現する時代へと溶け込んでいく。


ps
この本の図版は見ごたえ充分。
カラヴァッジョの「マグダラのマリア」(部分)は凄み充分。

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March 15, 2009

美の歴史:4 ウンベルト・エーコ 貴婦人とトルバドゥール@綾波レイの源流

中世においては肉の快楽を警戒する厳格な道徳論から、女性の美は研究対象ではなかった。
ただカミルナ・ブルーナとボッカッチョにのみ注目する。

11世紀にプロヴァンスの抒情詩人が詩作を始めた。
そのテクストは、純粋に昇華された愛の対象(手を伸ばせば消えてしまうようなイメージ)としての女性である。
これは、十字軍に行く騎士と奥方への慕情だが、主君への忠誠が奥方を不可侵とされる。
もう一つの解釈は、異端カタリ派の霊感を受け、肉欲嫌悪の態度を身に付けた、というもの。
女性は求められると同時に拒まれる。それは母のイメージであり、手が届かない宿命故に騎士はナルシスのように、鏡に映った像に恋をすることである。

道徳的敗北と官能の成就の瞬間は、満たされず無限に長引かされる欲望に比べると分が悪い。激しい欲望は、卑しめられるほど増幅されるサドマゾ的様相を帯びる。
また「かなわぬ愛」という概念は、中世が造りだした、というより、ロマン主義の解釈の結果でもあった。

リュデルの伝説は、見たこともない姫君に恋焦がれ夢みるだけの情熱を歌った詩歌である。それは抑圧された肉欲の経験を神秘的な魂の状態へと変え、救済の手段、神の元へ上昇するための手段である。

ダンテのベアトリーチェにおいて、彼女は神の至高の観想へと到達させ得る唯一の存在であり、デカダンで情欲的でありながら神秘的である。
この両義性はラファエル前派の霊妙でありながら病的な官能性を帯び、天国の栄光と死により、陰鬱で冴えない性欲からの解放ゆえに肉感的な魅力が一段と増すことに繋がる。


ps
純粋に昇華された対象であるが故に、儚い幻想上の存在のように思え。
極度に禁欲的な戒律(態度)。
肉体への蔑視。肉欲の忌避。
霊妙でありながら病的な官能性を帯び、天国の栄光と死の両方を満たし、神への至高の観想を惹起する、という女性像は、綾波レイへの源流とも思えます。

彼女は白昼夢の中にのみ存在し、直接的なエロスから開放されているが故に、神秘をまとい、神韻を踏む。

「生命のアーチの下、愛と死と
恐怖と神秘に守られ
玉座につく美を我は発見し
彼女の鋭い眼差しを
自らの息のごとく吸い込みぬ。
彼女の瞳は四方八方より
天と海で汝を取り囲み、
彼女に仕える運命の者たちを
その帝国の虜にせり、
海、女、天にて取り囲みて。
彼女こそ美の女神、賞賛すべき@ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「シビュラ・パルミフェーラ」の詩ですが、補完計画を成した綾波レイの描写のようでもあります。

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February 28, 2009

美の歴史:3 ウンベルト・エーコ著/中世の光と色彩&怪物の美 第Ⅳ、Ⅴ章

第Ⅳ章、中世の光と色彩
中世=暗黒時代という偏見は間違っている。
絵画においては、スフマートやキアロスクーロ(明暗法)がなかったので、純色の配合からくる独特の輝きがあった。
バロック美術では、事物が光に打たれ量感の効果が描かれるが、中世の装飾本では光は事物から発しているように見える。(なるほど!)

クラリスタ(トマス・アクイナスの定義した美の条件:光と輝き)
多くの文明において神と光は同一視されてきた。(セム族のバール、エジプトのラー、イランのアフラ・マズダ)これはプラトンの太陽のイデアとして善の概念に行き着く。

太陽の光や夜の星々の輝きを我々はどうして美しいと思うのか@プロティノス

一般的な装飾は、光と色彩にもとづいている。
大理石はその白さゆえに、黄金はその輝きゆえに美しい。
色とは閉じ込められた光や純化された物質にほかならない。

ゴシックの大聖堂のステンドグラスは、光輝に満ちたビジョンであり、光の剣であった。

ボナヴェントゥラは、アリストテレスの形而上学から、光は大地、天地のあらゆる変化を生み出し、人体の本質的形体とした。


第Ⅴ章、怪物の美
あらゆる文化は常に美の概念に対比して醜の概念をおいてきた。
そのアンチテーゼを芸術は美しく表現する力を有している。
醜さは自然においては嫌悪の対象であっても、芸術においては受け入れられ、快くなり、「みごと」とさえ理解される。
それは古典時代末期、キリスト教時代に、迫害なろ宗教的背景からより語られるようになる。

ヘレニズム時代、遠方との接触が増し、「アレクサンドロス物語」などの伝説が広まった。
その結果、「怪物の書」など架空の生物の姿が流布し、驚異的なものに人は魅了された。

神秘思想や神学思想は、この怪物の存在を正当化するため、「道徳的な意味」「寓意的な意味」を持たせた。

怪物は美に多様性をもたらし、影は光を際立たせた。
怪物たちは愛され、恐れられ、警戒され、戦慄すべき魅力を持って、ダンテの文学やボスの絵画の世界に入っていった。
やがて中世から近代にかけて、16世紀から17世紀にかけて怪物は宗教的象徴性を失い、神秘から科学の対象となっていく。

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February 17, 2009

美の歴史:2  ウンベルト・エーコ@第Ⅲ章:均衡と調和の美/すべてはプラトンから

古代ギリシャでは美の定義に色彩と光の快感を必須とした。
また万物の起源論が盛んであってが、前6世紀にピュタゴラスが万物の起源は数である、と主張し、宇宙的美学=数学的な見方が誕生した。
彼らは無限と限界に帰せられないものに神聖な恐怖を抱いたのである。
また音楽における数学的な比例と均衡を研究した淵源となる。

テトラティクス:ピュタゴラス派の宣誓の象徴。
一つの三角形の中に無限に三角形を描いたもの。

調和は対立のうちにある。
偶数と奇数、有限と無限、統一と多様性、右と左、直線と曲線。
それらの均衡がカノン(規範)となり、幾多の彫刻が造られた。

中世の文化はプラトン起源(同時に発展したヘブライの神秘思想も)世界は一つの大きな生物、人間のようであり、人間は世界のようである。宇宙は大きな大きな人間であり、人間は小宇宙である。
よって「ホモ・クアドラトゥス@ピュタゴラス」宇宙の原則である数が、美的な照応でもある一連の数的照応にもとづく象徴的な意味を帯びる。

自然は4つの部分に分けられる。4つの季節、方位、上下左右など。
芸術においてもそうであらなねばらない。4は基軸の数であり、謎を解く数である。
道徳的な人間を「テトラゴン、四角い」と言うが、4は道徳的な完全さの数である。

5は掛けると常に5が現れる。5は循環する数であり、神による創造のマトリックスであり、聖書にも見出される(モーゼ5書、5つの聖痕)
そんな数学研究が正確さの頂点に達したのは、ルネッサンスの遠近法である。

醜い物でさえ比例と対照により、世界の調和の構成要素になる。
怪物でさえ天地創造のなかで存在理由をしめし、秩序における悪も美しき良きものとなる。なぜなら悪から善が生まれ、悪の傍らで善はより輝くからである。

トマス・アクィナス:美が存在するためには、比例だけでなく、全体性と輝き、調和が必要である。
比例は道徳的な価値も含める。互いに支えあい建物を堅固に保つ石の行為は美しい。
「神学大全:精神の美は一人の人間の言動が理性の光に照らして均整が取れていることにある」

比例の理論の背後には、イデアこそ現実のモデルであり、現実は不完全な模倣に過ぎないというプラトン哲学がある。
芸術とは自然の不完全な模倣であり、自然はイデアの不完全な模倣である、という考えに基づいている。

ルネッサンス末期、その黄昏に重要な考えが生まれる。
均衡の取れた比例からでなく、一種のねじれ、数学的な規則を超えたところへ向かう不安と緊張のねじれから美が生まれるという思想が生まれる。
マニエリズムの不安である。

ps個人的な感慨
不均衡の美。不安の美。マイナスを指向する美。それはマニエリズムが始めだったのか。
ギリシャ美術・・・人類の原初
中世美術・・・宗教によすがに歩き出す。
ルネッサンス・・・宗教の頚城を逃れて自分を取り戻す。
ギリシャの頚城をやっと逃れるのがマニエリズム。
進歩とは困難なものですね。

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February 06, 2009

美の歴史:1  ウンベルト・エーコ@かつて「本」とよばれた存在を思わせる1冊

歴史を遡る時、思うことの一つは本の価値です。
価値と言って伝わり難ければ、「ありよう」、と言っても良い。
今でこそ書店にいけば山積みになっている「本」も近代印刷技術のない時代において、それは宝玉に値するモノであったのではないか、と思いをはせます。

この本は特筆すべきほどの美麗なる図版と、ウンベルト・エーコの格調高い文章で、そんな数百年前の時代にあった宝石を思わせる1冊。

私は本は買って読んで、後はアタマに入れてナンボと思うのでガリガリと線を引きながら読むのですが、そんな習慣すら躊躇させられるものです。

以下、この本から勉強したことの覚書です。
1)この本は「美の歴史」を語ったものだが、西洋美学のみあつかう。
理由はテクストの存在である。

2)「もし雄牛に手足があったら、その神々は雄牛に似るだろう@コロンボーンソクラテス以前の哲学者」
この意味は、美とは絶対的でも普遍的でもなく、時代や国によってことなるという原則を認識させる。
千年の時を経て、通じる概念もあるのだ。だからこそその関連を考えねば。

3)古代ギリシャの理想美
「美しきもののみが愛でられ、美しからなるものは愛でられぬ@ムーサイの合唱/テーバイ」
「美しきものは、剣の動きも鈍らせる@ゴリギアス/ヘレネ礼賛
ただこの美(カロン)の概念は、現代では正確に理解されていない可能性がある。
美とは喜ばしいもの、称賛を掻き立て、眼を引くも物、すべてである。

美には3つのモノがある。
①理想美(自然の美)、②精神美(魂の美しさ)③機能美@「ソクラテスの思い出」から
ここから導き出されるのが「輝きとしての美」であり、ネオ・プラトン主義になる。
それは我々の見るものと一致しない。(ソクラテスの醜さは有名だった)
それを把握するには弁証法の技術。知的判断が必要である

4)アポロの美とディオニソスの美
デルフォイの神殿には4つのモットーがある
①最も美しいものは最も正しいものである②限界を知れ③傲慢を避けよ④何事も行きすぎるな「大きく口を開いたカオス」から生まれた世界に抑制を与える、アポロの保護下かにおける思想である。
同じ神殿の反対側には、あらゆる掟を抑制なく破る神カオスの神、ディオニソスの像がある。
この対照的なる共存は、調和の中に混沌が存在したり、侵入する可能性を示す。

美は確かに知覚可能だが、すべての美が知覚可能であるわけではない。
外観と美には危険な裂け目がある。

西洋の美は作品から距離をおくことの二元論の上に成りたつ。
対照的に日本の彫刻は触れるために、直接的接触の為に作られる。

ディオニソスの美、不安を掻き立てる夜の美は近代まで隠されていた。
憑依と狂気の、エレウシスの秘儀やディオニソスの祭儀のような隠された生贄の世界。
それは古典世界の美しい調和に復讐する

Ⅱ章までです。

ps
こうして考えると、自己犠牲的で禁欲的という高貴な精神性を持ち、かつアポロ的な完璧な美貌を備え、憑依と秘儀の神秘に満ちた綾波レイはやっぱり世紀末日本の生んだ紛れもないヴィーナスですね。
もうエーコの保証付!
200_285

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