映画

July 10, 2008

サンシャイン2057    「神」への暗喩に満ちた大人向けの映画!

死にかけた太陽を救うため、核爆弾を打ち込みに行く宇宙飛行士の映画・・・という紹介を聞いたときは、その馬鹿馬鹿しさに子供向けのアドベンチャー映画かと思いましたが、実際はダニー・ボイル監督のメタファーに満ちた映像センスが光る大人向けの映画でした。

まず最初になぜこの設定が馬鹿馬鹿しいかというと、核爆弾は、確かに人のいるところで爆発させれば大変な惨禍を招く兵器ですが、これまで太陽の110分の1(人間の縮写なら、身長1.7センチのフィギュアです。自分の身長と1.7センチを比較してください)という地球の地上で地下で何千回という実験が行われてきたことからも分かるように、それがマンハッタン島の大きさだろうが、世界中の核物質を集めたものであろうが、太陽の中では蚊に刺されたというより蚤が這った程度の効果もないでしょう。
さらに表面を覆うコロナは100万度。爆発させる中心部は1500万度!
こんなのに耐えられるマテリアルなんてないでしょ。水素原子の核が融合してんですよ。
さらにお隣の国でも制作に苦労しているようですが、一応結構なレベルの制御技術がいるわけです。
そんな異常な高温に耐える精密機器がありますか?
そもそも太陽の中心部では、自身の重力により自発的な核融合反応が起こっているわけで、そこに同じ核つながりとはいえ爆弾破裂させたてどうする・・・
それにイカロスという名前も気に入らない。
イカロスなんて、跳びすぎて太陽の光りで墜落するものの象徴でしょう。
再び光りを、という思いを込めるならプロメテウスと呼ぶべき、なんてことも言いたくなる。細かいことのようですが、オタクはこういうことにこだわるの。

なんて思いながら見ていたのですが、いきなり宇宙船の展望室で遮光フィルターを3.1%に上げる。それが網膜の限界だ、なんてシーンが出てくる。
そしてその光りがまことに凄まじい!
まさしく人が見つめることの適わぬ神の光り!
「人は死と太陽を直視出来ない」、という言葉がありますが、それを暴力的な映像として表現したのは見事な暗喩です。
そう太陽こそは、我々を含む地球の生きとし生けるもの全てを生み出した創造者、「神」そのものとも言えるわけです。
そして古代より、その「神の光り」を見つめることは、人の限界を超えることの大いなるメタファーなんです。
カバラの経典に、無限の輝き放つ神の衣を見た者は、すべからく狂気と死に至るという話がありますし、また神の言葉の深淵に触れようとする極一部の天才的な数学者(数学こそ神の言葉です)が狂気に至る時、概念の天界に挑む時の過酷さを指して、
「神へと至る英知に挑む天才達は、その輝かしい光りに魅了されるあまり羽を焼かれて落ちるのだ」とも言います

そして熱の描写も圧倒的です。
シールドから僅かにそれただけで襲い掛かってくる膨大な太陽の熱量。
人類の英知をつくした宇宙船を容赦なく、いとも簡単に焼き払うひたすらな炎、炎の描写もまた、人の矮小さと太陽という神の残酷な本質を良く伝えていたと思います。
不気味な沈黙と暗黒に満ちた宇宙船内部の描写も、その暗さが引き換えた存在を思わせてある種の詩情を想起させます。


「人類の夢など愚かだった。我々は塵に過ぎない。神は我々に死を与え、すべて塵に変える」映画の某所に出てくるセリフですが、これもまた隠喩にとんだ言葉です。

果たして人類の夢の行方は塵に行くつく他ないのでしょうか?
それともいつか神の偉業を越えるのでしょうか?

私は後者である、と信じてますが。

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July 01, 2008

ロッキー2:跳ぶ前に屈め! storyとスタローンのmagic

前作があまりに名作だったので、評価が低くなりがちですが、この映画も非常によく出来ています。
跳ぶ前に屈め、とはよく言われる言葉ですが、映画における緩急という点で、この映画ほど単純にして効果的な構造をもつ作品はなかなかないので書いてみましょう。

映画は最初、前作の激闘シーンから始まります。
栄光のロッキーがいるわけです。
それから病院に行き、CMの話が持ちかけられ、エイドリアンと結婚!
ここではまだロッキーは、「立った状態」なわけですね。
ここからCMのセリフで失敗し、事務仕事を希望するも断られ、やっと精肉工場に職を得るもリストラ・・・ボクシングジムの床磨きをさせられ、挑発され、馬鹿にされ、やっとボクサーとして復帰を決意するも、最愛のエイドリアンには反対され、あげくに出産から重体になってしまう・・・
もう映画序盤の栄光はどこへやら、ロッキーは屈んで屈んで、屈みまくり、床に張り付いたような状況にまでなるわけです。
唯一の上昇志向者だったミッキーすら諦めている・・・
もう終わりだ・・・誰もがそう思ったとき、目覚めたエイドリアンの言葉が偉大な跳躍をもたらします。
「私の願いを聞いて・・・win,勝って・・・」
魂のゴングが鳴るわけです。
早暁の黙々たる片手腕立て!
ハンマー打ち、片手懸垂、
「速く、速く、スピード、スピード」の怒鳴り声、
高まる音楽!
丸太を背負ってのうさぎ跳び,バーベル上げ、腹筋、サンドバッグ打ち、
もうここまで来ると、鶏を捕まえるまでもなく、勝負ありですね(笑
誰と誰の勝負かというと、観客と製作者とのです。

それから走るんですけど、市場で、次々に声援が送られるとこまでは許容範囲としても、子供達が次々と追っかけ始めて集団化する。
いくらなんでもベタベタでやり過ぎです。
冷静になってみましょう。
最後は子供達が囲んで、ロッキー、ロッキーの大声援の大団円!
これ前半の異常な屈みがなければ、またスタローンじゃなければ完全にお笑いの状況ですよ。
それでも見せてしまう。
駆け上がるのは名門美術館として著名なフィラデルフィア美術館。
この映画からすっかりロッキー・ステップの美術館になってしまいました。
ハイカルチャーを、「素晴らしき脳天気」が打ち負かした象徴となったのです。

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June 29, 2008

ロッキー1 ある愛の物語

公開当時、大ヒット映画として、最初に宣伝を見たとき、あまり期待は持ちませんでした。
スタローンとかいう新人俳優はバカ面に見えたし、当時から熱心にみていたボクシングには目が肥えてしまい、生半可な試合シーンには萎えるだろうと思っていたしね。

ところが実際はご覧の通りで、ビル・コンティの名曲にも乗せられ、映画の終盤では、もう涙、涙の感動しまくりでした。

この映画も語りだすときりがないので、今日はタリア・シャイアとロッキーとの恋愛について書きたいと思います。
何故、恋愛映画というと、美男と美女が主演なのか?
古来から定番とされつつも、誰もツッコまない暗黙の了解事項ですが、この映画の二人は最初、まったくイケてない。
ロッキーは優しいけど、のそのそした負け犬ボクサーだし、エイドリアンは眼鏡のブスの30近い、内気な女。
共に純情で、コンプレッスクに怯えていて、臆病で、相手を恐れている。
でも二人がビクビクしながら付き合いだす過程は、どんな恋愛映画より美しい愛の表現に満ちている。部屋でのシーン、スケート場でのシーン、夜の散歩、みな素晴らしい。
何故か?
そこに絵空事でない、愛の本質が奇跡ように表現されていたからです。

愛の本質ってなんだと思いますか?
私は敬意だと思うんです。
相手を大切に思うこと。一つの物を大切に思うこと。
それが敬意です。
相手に敬意を持つから自分が小さく見えて、臆病になる。
それがこの映画では実に良く伝わっってくるから観るほうは、心が動く。
嫌われたくない。
そんな単純な恐れが、案外、人の持つ最もピュアな感情なのだ、という真実が良く描けています。
だからラスト、試合が終わり、熱戦の終了で大騒ぎになったリングで、最初冷ややかだったリング・アナまでが興奮し、「歴史に残る試合でした」だと言う中に、鳴り響くロッキーのテーマと共に叫ばれる「エイドリアン」の声が効くんだよな。

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May 20, 2008

タクシードライバー@デ・ニーロ&スコセッシ&バーナード・ハーマン

私の青春時代に、極めて大きな感動を与えてくれた映画です。
見る前から、その印象的なポスターで予感はありました。
荒廃したNYの裏町を薄汚れたジャンパーを着て、肩をすぼめてあるくデ・ニーロ・・・
それはまさしく自分自身を写し取られたかのようで(議員を乗せた時に一瞬映るデ・ニーロのマヌケ面の写真なんて私のイメージです)他人の映画とは思えなかった。

深夜のギラつくライトに被るバーナード・ハーマンの音楽と、トラビスという名前とその薄ら笑いは私にとって長らくNYの象徴となり、実際に行った時、まず思ったことは、「ああ、俺はタクシードライバー」の街に来たんだってこと(笑

孤独、暴力への衝動。あてどのない未来とつねにせっつかれているような焦りと欲望。

美しくも高貴なシビル・シェパードは、セクシーで、ファッショナブルで、如何にも「値の張りそうな女」で、だからこそ、何も持たない若造の手の届かないものそのもで、その夢に敗れたトラビスが次第に狂気と暴力に深化する様は良く分かります。

肉体を鍛え上げ、訓練に明け暮れ、武器を買い揃えては、改造し工夫し、磨き上げる。
長らく若者が続けてきたことです。(metaphorとしてですよ)

これは「死都ゴモラ」に堕ちてしまった、汚れた狂気の天使の物語でもあるんですよね。
トラビスは傷つきながらも使命を果たす。
そこが地獄の底の、血塗れの汚辱の中であっても、やれることはやった。
でも未来はない。
金を受け取れるわけでもない。
一時の虚名だけが祭り上げられる。
この死都では雨に流されるより早く忘れられるだろう、ということは誰よりも分かっている。
それでも自分の使命は果たされ、何者かにはなれた。
何者かになる。
男という生き物は、実はそれが全てであったりします。
だからラスト、美貌の女が舞い降りても、もう全ては済んでしまったことなんですよね。

ps
十代の私はこの映画を見て「これは私のための、私に向かって撮られた映画だ」と思いました。
そしてそう思った数知れぬ若者がいたからこの映画は伝説になったわけです。
未だに鏡の前で凄むトラビスが、多くの映画で生き残っているのがその証です。

今もこの世界でのたうつ多くのトラビスに乾杯!
夢が悪夢にならぬことを祈って・・・

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April 22, 2008

トゥー・フォー・ザ・マネー:アル・パチーノ、政治家への可能性とオイディプス神話

アメフトの選手として挫折した青年が、QBとしての体験と、独自のカンを武器に、スポーツ・ギャンブル予想のカリスマとして成り上がっていくお話です。
その青年の手を引くのはアル・パチーノ。

若者の手を引く、アル・パチーノは「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」でも、「ディアボロス/悪魔の扉」でもありましたし、題材がアメリカンフット・ボールということになると「エニイ・ギブン・サンデー」を思い起こしますが、この作品でもアル・パチーノの長広舌の迫力は健在で、楽しめました。

以上の3作でも凄かったですよね。
もうこの人が、一席ぶち始めると、ヒアリングも出来ない私までが、字幕だけで説得されてしまいます。
ほとんど音楽的な迫力ですね。
アル・パチーノが大統領になってあの調子で演説すれば、どんな政策でも可能なんじゃないの?というくらい説得と迫力の魔力を感じます。

主人公の青年のセリフには、「私にとってスポーツは宗教だった」
という言葉が出てきますが、「アメリカ人のスポーツ好きは異常」です。
春に野球が始まると、バスケにアメフト、ホッケー。ゴルフもあるし、ご丁寧に、大学のバスケとアメフトもプロ並の人気。
確かにスポーツには、現代おいては珍しい奇跡の顕現と勝利の栄光。敗れることを受け入れる諦観が同居する、ある種、宗教的な趣きがあるものです。
同時に何かというと掛けたがる「アメリカ人の賭け好きも異常」です。
この二つの属性を持つ民族なんだから、スポーツ賭博が流行らないわけないんですよね。
実は私もちょっと興味がある。

誤解のないように書いておきますが、私はギャンブルの類は一切やらず馬券も車券も1度も買ったことはありません。
買い方も知らない。マージャンも知らない。
パチンコも20代に2度したやったことがない。
そのうちの1度は友達とスキーに行った帰りの電車が遅れて時間潰しに誘われ、6人位で行って、チョコレート5枚だけでも勝ったのは私だけ。
鷹揚な私はそのうちの1枚をみんなにあげました。(←ケチだ!)
もう1度は友達二人とそのGF二人と私の5人でいたときに、(そうです私だけGFなしです)女の子の一人が気まぐれにパチンコをやりたいと言い出し、5人でやって勝ったのは私だけ。チョコレート5枚位でしたが、その時は誰にもあげませんでした(苦笑

話がそれましたが、そんな普段はまったくギャンブルをやらない私もスポーツにだけは掛けたくなる。
なんで掛けたくなるかというと、スポーツに詳しくなればなるほど、なんだか展開が読めるような気になるんですよ。
先日もコットvsメイウェーザの試合をシュミレートしていました。
誰に頼まれたわけでもないのに、もし二人が戦えばどうなるか?考えるわけです。
頼まれたわけでもないのにやっているだから、実際に対戦が決定して、掛ける場所があったら掛ける人は多いでしょうね。
私はやっぱりやらないですけど。
なんでやらないかって?

知識があるので当るときはドンピシャでも、予想外!ということも多いのです。
やればやっぱりトータルでは負けるでしょう。
そもそも未来を知る、ということは神の権限なのです。
その未来を知りたがるのは神の領域への挑戦ですよね。
この映画は、さらに青年に惚れ込んだアル・パチーノがマシュー・マコノヒーを我が息子と呼び始め、妻との不倫を疑いだすと、その妻をオマエの母親にも等しい、と言い出します。
果たして、神の領域への挑戦は成功するのか?
青年を育てるアル・パチーノが父なら、息子は父を殺し、母と寝るというオイディプスの神話は再現されるのか?

興味の沸いた方はお楽しみに。

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April 12, 2008

11:14@映画

劇場未公開映画ですが、練りに練られた脚本に、演じる俳優女優陣が健闘し、暗いアメリカの田舎町の描写もリアルで楽しめました。

映画は11時14分をキーポイントに、5つのストーリーが絡み合います。
深夜のハイウェイで酒を飲みながらクルマを走らせる男は、誰と携帯で話していたのか?

その時、降ってきた死体が出来た経緯は?

静かな田舎町なのに、その日に限ってなんで手錠が足りなかったのか?

そして轢かれた女性に駆け寄った男の事情・・・

映画を見ようと思う基準はいろいろあると思います。
好きな大スターが出ているから。
話題の超大作だから。
原作が有名だったからetc
どんな理由であれ、娯楽なんですから自由です。

私も以上の理由で見ること多々ありますが、映画選択の中で一番重視したいのが、脚本の出来です。
脚本にはすべての映画人に開かれた可能性があると思うのです。
大スターを出演させたり、壮大なCG像、ケタ外れのセットを作るには、莫大なお金が掛かります。
それなら資本がなければ良い映画は出来ないのか?
映画を作る権利があるのは、巨大資本だけのか?
違いますよね。
お金はなくても、一発逆転の素地があるのが脚本です。
映画への情熱を込めて考え抜くのに制限はなく、アイデアはpriceless.です。
そして可能性は無限大。

だからスターも出なければ、セットも安手に撮り上げた成功作には、可能性を開いた者へ称賛の喝采が集まります。

まぁこの映画にはヒラリー・スワンクを始めスターも出ているんですけどね。
別々だったはずの話しが、多角的に撮られる映像と共に、ジグソーパズルのようにはめ込まれていく快感が魅力です。
劇場未公開だったのは、イマイチ派手さに欠けるからかな。
でもDVD借りて観る分には、悪くはない出来と思います。

ps
クルマがカマロを除いてみんな日本車。
これじゃあ、ドルも下落するわな。

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April 02, 2008

マーダー・ライド・ショー2 デビルズ・リジェクト

衛星放送などで放映されたホラー映画は、とりあえず全部録画して必ず見ます。
その99%はクズですが、それが一応ポリシーなんで。
で、そんな映画を何時見るかというと、普段の貴重な時間は使えないので、週に2回から3回やるトレーニング時に消化します。
もともと考え込んだり、微妙な情感なんかがいらない映画がほとんどなので、ウエイトやバイクのトレーニング時に丁度良い。
息が上がってきても見られるのね。

で、この映画は、そんな中ではかなりの拾いモノ。
監督名からロブ・ゾンビで、ふざけた野郎なわけですが、映画の質は極めて高いです。
偉大なる「悪魔のいけにえ」の系統ですが、その末席に連なる資格はあるでしょう。

映像のセンスは、最近流行りのハード・ドキュメンタリー風。
骨格は「悪魔のいけにえ」です。
要はサイコな家族が、残虐な殺人を繰り返しているので、それを執念で追い詰める保安官がいました、と。
その過程、過程が見所です。

映画の質を高めているのは、1に主演のシド・ヘイグのおぞましさ。
ホラー映画の主演なんですから、どこまでもおぞましく見えることが値打ちです。
徹底的な狂気と残酷さを体現できないとね。
シド・ヘイグは見事にそれをやり遂げました。

第二はアメリカで新生したノワール・ノベルの影響を巧く取り入れた設定にしたこと。
具体的にはジェイムズ・エルロイなんですが、追っかける保安官も狂人なんです。
追われる快楽殺人者も追っかける保安官も両方狂人。
間で巻き込まれる人は気の毒、ということです。
狂った者勝ちのアメリカ社会の表象でしょう。
エド・ゲインの一人舞台で始まった、アメリカン・サイコの伝説は、殺人者側の人数を増やすと同時に、どんどん大型化が進んでいます。

悪趣味なことを書いているとご不快な方に説明しますが、公開当時、その残酷性故に上映禁止処分があいついだ「悪魔のいけにえ」は、今やセレブの崇拝を集めるMoMAにフィルムが収蔵されている立派なモダン・アートです。
人の趣味はそれぞれで、ホラーを好きになる必要まではありませんが、ホラー映画は、みんなゲテモノと片付けることも出来ない。
詳しく語る紙片は持ちませんが、エド・ゲイン、Rブロック、ヒッチコックとつらなる悪夢の系統は、今や無視できない人間の側面を抉った歴史です。

さらにこの映画の驚くべき点は、アメリカン・ニューシネマのテイストすら取り込んだこと。人形は顔が命なら、ホラー映画はラストが命ですが、この終幕にはホント驚愕!

ホラー映画のファンを自認しながら、もし見逃している方がいたら、是非オススメ!
見ときゃないかん映画です。

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March 26, 2008

ドリームガールズ

この題名で、熱唱する黒人女性3人組を見せられたら、観る前に、もうストーリーは最後まで分かった気になりますよね。
そうなると問題は音楽で、どの程度楽しませてくれるか?です。
その期待は初っ端から裏切られません。
熱唱するジェニファー・ハドソンは圧巻で、懐かしきモータウンサウンド!が現代に蘇り輝きます。
私が生まれて初めて熱狂した音楽は、いわゆるブリテッシュ・ロックで、クリムゾン、P・フロイド、デビット・ボウイ、ツェッペリン・・・etc多数でしたが、
その次に熱中したのがいわゆるソウル・ミュージック。
このモータウンサウンドのモデルとなった音楽です。

映画の方は、とんとん拍子で話が進み、ミュージカル原型ですが、歌がストーリーに絡むのは要所だけで、違和感はまったくありません。
むしろ、曲が厳選されたのか、非常に効果的に使われます。
それにしてもエディ・マーフィーもジェーミー・フォックスも巧いわ!
エディ・マーフィーなんか如何にも胡散臭い黒人歌手がハマリ過ぎるくらい。

それにしても話のテンポが良すぎるな、と思ったところで、映画はサブ・ストーリーが走りだします。
前半で、そうだろうなぁ・・・歌手もルックスが大切で、こういう不公平もあるだろうなぁ、という経緯から外れていったアカデミー助演女優賞を獲ったエフィが復活して、大団円。

ストーリーの進行上、歌唱力を抑えられたビヨンセが、終盤録音スタジオで歌い上げるクロスロードは素晴らしかった。
ロバート・ジョンソン以来、十字路は黒人へ音楽の霊感を与える場所なんでしょうか?

ps
高校時代、ソウル・ミュージックを夢中で聴いていた我々を聞きとがめたバリバリ日教組の教師が、いかに黒人は劣等な民族か、ということを力説したこを思いだしました(笑
アレ、なんだったんだろうね?
若い頃から共産主義、社会主義が大嫌いだった理由の一つが、私の琴線に触れる芸術を何一つ生み出さなかった、ということがあります。
逆だったのはモチロン黄昏と評されていた大英帝国です(笑
文化、芸術の力は偉大なりけりですよ。

ps
レッドソックスの開幕戦見ながら書いています。
松坂残念。アスレチックスのピッチャーも良かったよ。
今日、仕事中に明日見に行こうと思いついたのですが、明日は松坂じゃないんですね。
しかもサッカー代表戦あるし・・・家にいるかな。

今日、代表戦やってくれて、明日松坂なら良かったんだよなあ・・・

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March 20, 2008

ダーウィンの悪夢

公開当時、その衝撃的な映像から大きな話題を呼び、幾多の賞を受賞した作品です。
内容はもうご存知の方も多いでしょうが、タンザニアの宝石箱と呼ばれたビクトリア湖に放たれた巨大な肉食魚が生態系を破壊し、反面、その食用としての価値に眼を付けた欧州系の企業が工場を設立。
収穫した魚を運ぶロシア製の巨大航空機が轟音の中、発着する半面、周囲には足を失くしたストリートチルドレンがたむろし、暴力が横行。
毒矢を持ち、殺しもためらわない男は、サラリーが増える戦争を待ち望みながら、一晩1ドルで工場の夜警をし、貧困から売春婦とならざる得ない女性たちに、エイズに罹患し、ワニに襲われる恐怖の中、ボロ舟で漁に出ざる得ない男たちの悲惨な実態が語られます。

魚の加工工場から廃棄された残り物には蛆がたかり、それでもそれを食用にしようとするシーンや、梱包用のプラスチックを焼いてラリる子供達など、救い難い地獄絵図の持つパワーは絶大です。

タンザニアの大統領は、一部偏向を指摘しましたが、そもそもドキュメンタリーは難しい。
それは作品として撮る技術云々でなく、その本質において、ロラン・バルトが指摘したように、「ジャーナリズムは、汚染された裏切りのエクリチュール」となりやすい宿命があるわけです。
しかしバルトが、究極の無垢なるエクリチュールと評した、カミュと俳句だけで、人は生きるに得たわず、なのも確かで、こういう作品は、それを覚悟の鑑賞が前提でしょうね。


私は人の、そして経済の持つ本質的な残酷さと無関心が良く撮られた1本だと思いました。

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March 01, 2008

カポーティ

録画してからHDDの中で眠らせておりました。
時々観たくなりましたが、読みかけ本の在庫一掃を敢行中だったので、堪えておきました。私の場合、映画を見てしまうと、小説が読みたくなるに決まっていますし、そうするとまた読み切らずに読みかけ本が増えるという循環が常考ですから。

そこに春樹村上様のティファニーが新訳で登場と聞き、これなら春樹村上新訳刊行記念として見ても良いのではないか?ということで見てみました。
録画の1本ごときで大げさですかね(笑

映画は寒々としたカンサスの農村風景から始まります。
クッキリとした地平線と寒々として広い空の風景は、寄る辺ない人の孤独と寂寥を暗示し、そこへ一滴の血が滴り落ちたような突然の惨劇が起こり、何故かNYセレブリティ界の人気者、トルーマン・カポーティは注目し取材を開始します。

カポーティ役はアカデミー賞を取りましたが、確かに「アマデウス」のモーツアルト役を連想させるほどエキセントリックな存在感があり、sensitiveで神経症気味の作家を良く演じていたと思います。

ただ映画は題名にちょっと偽りありで、カポーティという作家全体を俯瞰した造りではなく、あくまで「冷血」を取材していくカポーティという話でした。
本国アメリカと違い、日本で今どきカポーティを読む人間がどのくらいいるのか?
「冷血」に思い入れのある人口はいかほどか、ということから考えるに、この映画、それほど一般性はない、と思います。
ただ昨日から読みだした春樹村上氏のティファニーのあとがきで「冷血」に触れた素晴らしい一節があるのでちょっと要訳します。

「冷血」には、カポーティの描きたい物語のかたちが含まれていた。
それは救済への希望と、避けがたい絶望との間で押しつぶされていく人間たちの姿だった。そのような切実な状況の中に、彼は自らの身体と魂をすっぽりと浸し、そこにあるマテリアルを余すことなく利用したが、そのマテリアルもまたカポーティを余すことなく利用し、消耗させたのだ。
カポーティはその潤沢なマテリアルと彼の魂を交換した・・・

これはこの映画のラストを見事に解釈していると思います。

映画に興味がわいたらぜひ本も読んでみてください。

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February 18, 2008

シャーロットのおくりもの@映画

子豚が主人公のお涙頂戴映画なんて、まったく関心がなかったんですが、ゴマジョーと呼ばれる次女が強く観たがったんでHDDに録画。
彼女が塾から帰ってから追っかけ再生で見て見ました。
これは原作が世界で4500万部を売った児童文学の傑作なんですね。

映画は子豚の出来から納屋の動物たちまで、レベルは高いですが、最近のハリウッドの仕事としては標準のもの。
恐るべき天才子役だったダコタ・ファニングも、かつての魔性は消えうせて、なんだか寂しい限りでしたが、優れた原作に支えられた脚本と演出が素晴らしい。

自分でも意外でしたが、ラストは涙、涙でした。
たいがいの映画では退屈な、エンドロールも流れる曲が抜群なので、絶対にお見逃し、お聴き逃しのないように。
It’s just another ordinary miracle today
という歌詞がしみじみとした余韻を残します。
正直、映画が終わった後もこの曲だけ2度聴きました。

「この世に奇跡なんてないと思っているでしょう。でもあなたの傍で、毎日奇跡は起こっているのよ」
この映画のラストシーン。
シャーロットとの会話は胸に迫ります。
私は事実を綴っただけ、本当の奇跡はあなたの優しさだったの(涙
そう全ての奇跡の源は・・・LOVE・・・なんだろうね。

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February 15, 2008

世界最速のインディアン

クルマやオートバイで飛ばすのは好きなのに、この映画にはあまり食指が動きませんでした。
理由はこの映画の競技車両、レコード・ブレイカーには、ほとんど関心がなかったことと(なんだか実も蓋もないように感じていた)、なんでアンソニー・ホプキンスがインディアンなのか?という疑問があったから。

A・ホプキンスは稀代の名優だと思いますが、あまりに魅力的だったハンニバル・レクターを演じてから、何をやってもレクター博士に見えてしまいます。
「日の名残り」なんて原作ともども良く出来ているとは思うのですが、この人をバカにする貴族なんかがいると、
「ダメダメ、この人はオッカナイんだから、早く謝っといたほうがイイよ」
なんて余計なことを考えてしまう(笑

ところが、実際に見てみたら前評判通りの、なんとも痛快な1本でした。
インディアンってバイク・メーカーの名前だったんですね(笑
レコード・ブレーカーでの疾走シーンも抜群の出来!
スピードの持つ魔性が良く出ています。
最初の方、ニュージーランドの砂浜で競争するシーンで、先行するバイク族のマシーンを一瞬にして追い越す場面では、ホプキンスならでは狂気の笑顔を垣間見せ、同じスピード狂として、あの顔は分るなぁと感じるのです。

印象的なセリフも多々で
「事故が怖くない」という少年の問いに
「怖くない。こういうマシーンでスピードを出していると5分が一生に勝る」
なんてのとか
「危険が人生に味をつける。リスクを怖れてはいけない。それが生きるってことだ」
なんてセリフはグッときますね。

「夢を追わない人間は野菜と同じだ」
「ボクシングでは、リングで闘う男を褒めるべきだ」
そうありたいです。

金がなくても狭心症でも行けるとこまで行ってやる。
その意志の物語は感動的です。

それにしても危ないだけで、さらに今なら地球温暖化なんて言われそうで、無駄にスピードを出すだけのこの競技。見る前にはイマイチ分らなかった魅力を感じました。
男ってこういう無駄なことをする生き物ですよね。
葉巻の親父とヒゲ男が、インディアンを押して無断でコースに出ようとする場面は、なんだか子供のままの本質を残す男が良く出て微笑ましかった。


ps
ニュージーランドから来たホプキンスが、アメリカの物価の高さに悲鳴を上げてますが、今や昔でしょうね。
弱くなる一方の米ドルと強くなるNZドル。
でもあの時代のアメリカは強かったんだろうな。


ps
果てしなきスピードの彼方に神はいるのだろうか?
永遠の問いですが、流体刺激はA10神経の感度に比例し、官能の度合いを高めるようです。
つまりいつまでも流体刺激感応性を高めていることが、若さの秘密。
やっぱりスピードの向こうに神はいるんだ。

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January 21, 2008

サイレントヒル

海外で圧倒的な人気を誇る日本のホラー・アドベンチャーゲームの映画化ですが、スタイリッシュな映像に魅惑される完成度の高い映画に仕上がっています。
Jホラーの魅力は、ゲーム原作でも力がありますね。

映画は、白い灰が延々と降り続く無人の町に突然鳴り響くサイレン!にインパクトがあり、恐怖が始まりますが、センスを感じさせる良好なスタートです。

サイレンは沢山の人々に異常を知らせる為、鳴らされるものですから、それが動く者とてない廃墟の町の静寂を突如破る様は異様な迫力があるんですよね。

それからはいかにもゲームらしく、切断された道路に、迷宮の中の彷徨、地下に落ちていくエレベーター。襲い掛かってくるレッド・ピラミッド・シングはスゴク怖いです。

裏世界と表世界の描き分けにも無理がなく、それではどんな着地を見せるやら、と思っていると、意外や意外、と言っては失礼ですが、話も良くまとまっています。
だいたいホラー映画って、映像にセンスがあると、話は破綻。
話に整合性があると映像がツマラナイということになりがちなんで、両立させたのは見事な完成度だったと思います。
私は放映されたホラーは必ず観る方ですが、だいたいは両方共ダメってのが普通だもんね。

最近良いホラー映画がないとお嘆きのあなたが未見なら、是非オススメの1本です。

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January 19, 2008

電車男@映画

初見でしたが期待外れでした。
テレビ・ドラマも最初の放映のときは見ていなくて、再放送の最終回?を確かクルマの中で渋滞中に見たんですよね。
そしたら大根だと思っていた伊藤美咲さんがゴージャスでスゴク良くて、電車男の伊藤淳史さんとの落差が効果的!
ビックリするほど良かったのを憶えています。

映画はエルメスが中谷美紀さん・・・
ケイゾクとか知的でクールな感じは、むしろ伊藤美咲さんより好きなんですが、なんだかこの映画ではやつれて見えてダメでした。
電車男もコッチの山田さんはイケメン過ぎて面白くないです。

結局、このドラマの面白さは落差ですものね。

それから肝心のねらーも出てくる人数が少なすぎて一本調子。
女性キャラもツマラナカッタ。
これもテレビの方が良かったな。
なんでも映画>テレビ・ドラマって分けじゃないんだな、って感じです。
ラストのオチは、それを自覚してしまった諦めでしょうか。

嫌な人間もしますけど、ねらーは優しい人も沢山いますよね。
私は数年前、この電車男のちょっと前かな。
中年の危機というか、かなり精神的に落ち込んでいた時期があって、そんな時、メンヘル関係の板やスレッドで慰められて3度ほど泣きました。
というか感動で泣かされました。

ホント感謝していますよ。
だから問題があるのは実感しつつ、2ちゃんねるは嫌いになれません。
あの時、俺を優しく慰めてくれたみんなは元気でしょうかね・・・

と記憶をたどるため、今、デスクトップに保存している感動のスレッドを開いて時期を見たら2004年の春から夏でした。
この頃から立ち直ってブログを10月に始めた訳か・・・

まぁ今でも基本的には陰気なんですけどね・・・

映画と関係ない記事になってしまいました。
でもねらー関係だから良しとして揚げてみます。

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January 18, 2008

硫黄島からの手紙

戦争映画の傑作でした。
特に第二次大戦での日本を描いた作品の中では、品格、スケール、味わいの深さ、とも最高の作品ではないでしょうか。
全編ほとんど日本語ですが、それを監督したのがクリント・イーストウッドというアメリカ人であることに、驚きを禁じえません。
ビリオンダラー・ベイビーにKOされた私としては、イーストウッドの膂力にまたしても驚かされたという処です。

この映画は戦争映画が陥りがちな、また陥ってしまえば楽に稼げて、楽しんでもらえる罠をことごとく回避しながら、人に待ち受ける運命の過酷さと、それに対峙する崇高さを描きだします。
このレベルで飽かせず鑑賞させる手腕は、すでに1流の文学に匹敵、凌駕していますね。

泣ける場面はあるのですが、お涙頂戴には堕しません。
そこに溢れる涙は、本当に生きてきた人に共感するいわば本気の涙です。

戦闘シーンは迫力満点ですが、それは軽々と人間の体を損壊する場面に繋がり、残酷な現実を突き付けられた観客には、たんなる「迫力の戦闘シーン」に終わりません。

暗い洞窟の中に僅かな光りを浴びて佇む日本兵たちは、レンブレントの絵画を思わせます。
それは永遠の群像です。

卑劣な者の描き方にも通り一遍でなく、念入りに手が入り、「ただのパン屋」を演じた二宮和也クンを見出した慧眼には瞠目するだけです。

唯一のヒーローは栗林中道ですが、イーストウッドが監督も兼ねることにしたのは、丹念に資料に当たるうち、自身が、栗林中道の人物、功績に深いsympathyを感じたからなのではないでしょうか?
それは「ビリオンダラー・ベイビー」からある、イーストウッドの「誇り高き敗北者へ視線」です。
いわゆる「社会的な成功のみが価値」ならば、残念ながら全ての人がその栄誉に浴することはできません。

しかし真摯に人生と向き合い、時に過酷な運命も受容しながら戦う時、人はその結果に拘わらず永遠の光を内包出来るのだ、と思うのです。
そしてそれが生きる意味だと。


ps
「これは日本人である僕が撮った日本映画だからね@クリント・イーストウッド」
この言葉への私の思いはダーティ・ハリーの名セリフから引用します。
「・・・泣けるぜ」

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January 13, 2008

キューポラのある街

著名な映画ですが、初めて見ました。
キューポラって樹かなにか川口にある植物の名前かと思っていたので、鋳造施設のことと知ってビックリ!
我ながら無知なものです(笑

この映画はともかく主演した若き日の吉永小百合の輝きにつきます。
貧しさにメゲナイ強気な女の子役です。
この方、後に早稲田でアイスキュロスについて卒論を書いていますが、身体能力も確かなようで、走るシーンなんて見事なフォームで快足を飛ばします。
特に印象的シーンだったのは、ヤクザの事務所に乗り込んでから、トイレで紅を引き、脅して連れてこさせたチンピラの横をさっそうと横切るカット。
初期加速度。いわゆる歩き出すスピードの立ち上がりが速くて、さっそうとしています。
数十年後に、ハリウッドで始まるアスリート系アクション女優の登場を予言していたかのようです。
・・・というのは嘘ですけど、ともかく勇ましいです。

綺麗で健気で優しくて賢くて勇敢で前向き!
な女の子・・・
なんかに似ていると思ったら、宮崎アニメの主人公の女の子たちにそっくりじゃないですか。
そうかナウシカやシータ(ラピュタの女の子)の原型は彼女だ!
というのはまったくの思いつきで、根拠はありませんが、宮崎さんのお年から考えても映画はきっと観ていたはず・・・

その他では、後の「黄門様」が鋳物職人として苦労なさっていたり、後に婿入りしていくる「仕事人の中村主水」をいびる姑になる菅井きんが赤ん坊を産んでいたり、昭和期の少年達が野原を駆け回ってやたら元気だったり・・・朝鮮の帰国事業に、後の川口との関連を感じたりです。

伝説の女優、吉永小百合の本格デビューの1本として、また当時の世相を味わい深く知ることも出来る、是非とも抑えておきたい作品です。

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January 12, 2008

バブルへGO!!  タイムマシンはドラム式

日本株、私の想定を超える下落です。
個人的にはオプションでヘッジしているから良いんですけど、金曜日にはあまりの下げにもう底だろうと、利食い。ヘッジもはずした処、シカゴの日経はさらなる下落。

まあ日本経済の見放されぶりは半端じゃないですよね。
サブプライムとは最も縁遠い国なのに、株の下落は最大!戻りは最少。
すべては「人もどんどん減ってるし、日本にはもう未来はない、って感じ@広末涼子」
この感覚が本来、夢に向かって動く投機マネーを遠ざけています。

この映画はタイムマシンでバブル時代に遡るという話しですが、あの時代は、船上のパーティにワンレン、ボディ・コンで集まり、帰りは万札振りかざしてのタクシー止め・・・
シャンパンに酔って、みんなが夢中で踊っていたような時代でした。
私には縁のない世界でしたが、やっぱり日本が繁栄している姿は良いものです。
映画を見ているとやっぱり懐かしいですね。
私は今と同じ仕事をしていて、ひたすら毎日働いているだけでしたし、都心の土地持ちだけが異常に威張っているのが不愉快でしたが、みんながはしゃいでいた時代でした。

映画では広末涼子さんが非常にキュートです。
特に美人だとも思いませんでしたし、むしろ今まで、どこが良いんだか分からない女優さんでしたが、この映画では、ハマり役。
借金背負って追い込まれつつ、タイムマシンで時代を超えて奮闘する姿は、見事に映画を光らせています。切迫した時の表情もドタバタした演技も張り切ったセリフ回しも魅惑的で、和服姿のまま見栄を切る姿まで可愛い。
なんだかいっぺんにファンになってしまいました。

オチの付き続ける脚本も良かったと思うよ。


ps
映画のセリフじゃないですが、日本は
「ともかく暗い、重い、寂しい」国になってしまいました。

「これから景気が悪くなるよ」
「それはありえない」

「長銀に就職決まったんだ」
「潰れるよ、その銀行」
「銀行が潰れるわけないだろう」
ああ、俺も未来から警告して上げたいよ。

なんとかならないもんでしょうかね、この国・・・

ps
広末涼子さん、この人も清純派としてデビューして、絶頂を極めてからは色々あって、復活です。
一時は確かに絶頂を極めたこの国も、またそうあってもらいたいんですけど、どうなんでしょうか。

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January 09, 2008

プラダを着た悪魔@映画

「何百万人もが憧れる」超1流ファッション誌の女帝編集長に仕えることになった新人秘書のドタバタ奮闘記・・・というコメディ・ノリで気軽に見始めたら意外や意外、笑いだけではない、愛あり、涙あり、真摯な人生への視線と薀蓄ありの佳作でした。

この映画の質を高めている第一の要因は二人の主演女優の素晴らしさ。
特にファッション界に君臨する鬼編集長役のメリル・ストリ―プは絶品で、怪物女優の面目躍如です。
ちょうど1流デザイナーがドレープの揺らぎひとつ揺るがせにしないのと同じように、指先の動きからセリフへのトーンとリズム、表情の僅かな動きまでまさに完璧なリアリズムと存在感でした。

アン・ハサウェイもキュートで、ダサい格好の時から可愛いさ抜群。
若いヒロインとして文句なしです。

そしてまた脚本が巧いんですよね。
ストリ―プの傲慢ぶりをリズミカルにこれでもか、これでもか、と出しておいて、そこへ、「お祖母ちゃんのお古」のような青いセーターを着せたハサウェイを出す。
これで笑わせるだけなら2流の作品ですが、これをネタにストリープがファッションの偉大さをひとくさり。
「あなたは自分を着る物なんか気にしない真面目な人間だって思っているんでしょうけど・・・」
見事な切り替えしで、こういうセリフが挟まれると、映画にはずっと奥行きが出でます。

そしていつしか洗練されたファッションになったハサウェイが彼氏と上手くいかなくなったシーンでの格差のつけ方。
なるほどね。
一目でこれは別れるんだろうなぁ、と納得させる衣装選びにも、膨大なノウハウがあるんだろうな、と思うよ。

後半、映画はコメディ色を離れ、「ピンの切っ先に立つ」、また「立ち続ける覚悟」をもった人間のドラマに飛躍しますが、そこでのストリープも見事でした。
Sクラスベンツのバックシートに収まる資格が良く表現されています。

ps
それにしてもアメリカ人のパリ信仰、フランス好きには驚きますし、呆れます。
フランスが大した経済力もないのに、外交の舞台であれだけ好き勝手できるのは、土下座外交専門国家、日本国民としては羨ましい限りです。
これも全て文化、芸術の力でしょうか(ブランド力かね?)
こういうソフトパワーを日本も、なんとしても身に付けたいものです。

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January 08, 2008

頭文字D  THE MOVIE

しげの秀一さん原作の映画化ですが、監督、脚本、主演などが中国、香港系のスタッフで構成され、私も嫌だな、と思いましたし、特に原作に愛着のある方はこだわりたいという気持ちは理解できますが、これも日本車の生んだ文化の海外渡来だ。彼らなりの精一杯の解釈だ、と広い気持ちで楽しみたい1本です。

主演のジョイ・チュウのクールな表情は印象的でしたし、峠のレースシーンは抜群です。
私は言うまでもなくこんなレベルではないですが(この対向車線にはみ出しまくりのドリフトは完全に犯罪です)、峠の走りは大好きで、未だに行ってしまうと燃える方なのですが、舞台が日本ということもあり、今まで見たあらゆる映画の中で、自分が走った時の実感に最も近いリアルな印象を受けました。

また日本の日常風景も欧米系の監督より遥かに良く撮れていたと思います。
コンビニ前や夕焼けの山道、豆腐店の前など違和感なかったです。
確かに俳優さんたちの醸し出す香港系の香りは濃厚でしたが、良いじゃないですか。
この映画は、まさに日本車ファンの日本車オタクが作ってくれた映画なのです。

86、FC、GT-R、エヴォ・・・みな素晴らしい名車たちです。
日本の本当の敵は外国でなく、日本国内に日本人としているように、日本車の生んだ豊かな文化を、最も毛嫌いし貶めていたのも、ひたすら欧州車を礼賛するしか脳のない、日本のクルマ雑誌のライターとその賛同者たちです。(これはアサヒる人々やTBSの報道を信仰する人々が耐えないのと同じ構造)

彼らの決まり文句は、「日本車には文化がない」です。

「ない」というのは、非常に失礼な言い草です。
「私は日本車的な文化は嫌いだ」
これなら分かる。
好き、嫌いは個人の趣味で、他人がとやかく言うものではない。私も言わない。
でも「ない」というのは酷いでしょう。
存在すら認めない。あることを抹殺しているわけです。

唐突なようですが、クルマを食事にたとえてみましょう。
たとえば「和食にはフランス料理の文化がない」
寿司や懐石の名店に行ってこう言う人はいないでしょう。

食べ物のと乗り物の違いはありますが、ともに人には必要で、楽しめるもので評価基準は一緒なはずです。
欧州車礼賛主義者は、欧州車の文化「しか」見えない人々なのです。
確かに日本料理にドイツ料理の文化は「ない」でしょう。
でもそれは悪いことではなく、ただ料理へのポリシー、アプローチが違うだけです。
和食よりイタ飯が「好き」
これなら結構。
お好きにどうぞ、というとこです。

結局、日本車には非常に豊かな文化があることを、ワイルドスピードやこういう映画が証明したわけです。
慶賀の至りだと思います。

ps
次は「バリバリ伝説」やって欲しいな。
漫画はコッチしか読んでないんですよ。
公道でレースやるならバイクの方が健全だしね。

ps
こういう文化輸出は何より大切な国力で、そのためにも伝説になるようなクルマをメーカーは作って欲しいですね。
それだけはお願いしたいです。

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January 03, 2008

「ひとごろし」を見て考えるて終わる正月休み

主演が松田優作で、題名が「ひとごろし」だから殺伐としたヴァイオレンス映画なんだろうな。でもファイルの整理しながらだからイイか、と思って点けたら、まずは時代物だったので意外な感じ。

しかも優作はメチャメチャ気の小さい武士の役で、あまりの情けなさに妹にまで縁談が来ないという設定。
その優作が、妹不憫さに意を決し、あまりに強すぎて上意討ちの命令にすら、城下の誰もが怖がって近づかない、という浪人をやっつけいに行くことになって・・・という話です。

まともにやったら100回やっても勝てない相手に、弱い自分がどう勝か?という難題の解決法の是非はともかく、結局、「考える」ということは、人が生きる為の一番の武器なんだよな、ってことは実感します。
そして良く考えることは「豊かさ(この映画のラストの事)」の実現に繋がりますよね。
モチロン考えているだけではダメで、実行をともなわなければならないのですが、必死に考え、結果が出たらやってみると。
正月から荒れてるマーケットを見ていても思いますよ。

さらに話は飛ぶようですが、良く考えるためには、整理、整頓が大切ですね。
この正月は、延々と溜まったものの、整理整理で、暮れてしまいましたが、良かったです。
ホント、生きている=散らかること、エントロピーの増大ですから、整理は大切ですよ。
良く考えるためには、あらゆるものを整理する。
掃除、整理に整頓なんて後ろ向き。
新たな実行こそ前向きって思っていたけど、現実は違うね。

今年も困難多々あると思いますが、覚悟を決めて、考えて、なんとか乗り切ろうと思いました。

ps
主演の2人のギャラ以外、物凄く低予算で出来そうな映画でした。
でも話しの作りが巧みで、後味もイインです。
上手いなぁと思ったら、原作、山本周五郎で納得。

ps
書類仕事しながらだったので良く見てなかったのが残念でしたが、妹役が五十嵐淳子です。
ネットで調べて驚いた時には、HDDから消してしまった後でした。
我々の年代には、思いで深い、あっとう間に出てきて、中村雅俊と結婚して消えていった、一種伝説の美少女タレントさんですよね。

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December 24, 2007

小さき勇者たち~ガメラ~

怪獣映画は定式として、主人公の怪獣vsライバル怪獣。あるいはvs人間というのが定番ですが、この映画は
「ガメラは少年のために、少年はガメラのために」
というキャッチ・コピーどおり、少し趣きを変えてあります。
ガメラは卵から生まれ、少年に育てられ・・・やがて窮地に陥った少年のために立ち上がり、少年と少女たちはガメラの成長を促します。
見せ場はスピリチャル(笑)に通じ合った男の子と女の子が、怪獣が暴れまわって大変な街中を、ガメラの成長の源?を次々に手渡しで繋げていく場面。
なんだかラグビーを見ているみたいで、
まさに
One for all.All for one.
の精神。
小道具は安っぽいし、ツッコミどころ満載ですが、こういうのは素直に感動しましょう。
あまり利口になるより、人生楽しめます。
子供達が「人間の盾」まで作るのにはちょっと違和感がありましたが、新趣向としては成功していたと思います。
ただ興行としては当らなかったは残念でした。

ps
ウチには最近は任天堂DSのカブトレをやりつつ、冒険投資家ジム・ロジャーズ世界バイク紀行を読む、ゴマジョーと呼ばれる娘@中2がいるのですが、映画の途中、感動して泣いていました!(笑
こういう気持ちは貴重だよね(笑

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December 21, 2007

ロスト・イン・トランスレーション

ゴッド・ファーザーpartⅢで、散々に叩かれたソフィア・コッポラが、その屈辱を一気に晴らした快作です。

舞台はパークハイアット東京。
CM1本で、200万ドルのギャラをもらうハリウッド・スターと、人気カメラマンと結婚した新妻の恋のお話・・・
というと、なんだかセレブな者同士で盛り上がる暑苦しい展開、内容を想像しがちですが、さすが天才の父親を持った娘です。
画面は静謐な詩情に溢れ、抑制の効いた演出は、今の時代を象徴するような倦怠と、人間同士の絶望的な隔絶を巧みに描いたドラマになっています。

ソフィア・コッポラが「日本の風景」と選ぶ対象は、パチンコ屋、ゲームセンター、消費者金融の電飾看板、富士山を背景にしたゴルフ場、新幹線と定番ですが、それをパークハイアット東京と対比させたのが非凡なところ。
喧騒と静寂、乱雑さとcool
その「高い塔に住まう天空の住人」の疲弊した内面・・・

冒頭、ボブ・マーレイがギラギラと発光を繰り返す看板に満ちた街中をタクシーで通りすぎると、控えめで柔らかな光が静けさを演出しているようなパークハイアット東京のエントランスに到着。
何気ないシーンだけれど、行った人なら分かるはず。
ココのエントランスはカッコイイよね。
それが非常に良く撮れていて、電飾ギラギラの前シーンとの落差が効果的なんです。
人が汗を流さざる得ない日常と、乾いたままの肌でいられる特権的な暮しの落差の暗喩になっている。

それから続く、ともかく恵まれているけど所在無く、甲斐のない、手ごたえのない日々に囚われてしまった人間の憂鬱と退屈とイラ立ちの日常。
恋が始まっても、熱い燃焼も、声高な告白もなく、淡い出会いと別れには、どこかで全てを諦めてしまった二人の虚無を垣間見ます。

人は、どこまで恵まれても、そこに失望と荒廃の予感を見出す生き物なんだと思うのですよ。
パークハイアットのビルをバベルの塔に見立てるというベタな解釈をお許し頂ければ、
塔は建てた。
神は死んだ。
塔が崩れることもなく、贅を尽くした食事と酒と音楽と、浴場を楽しみ、それでもなおその状況に空虚を感じる人の性。
万一それを神が見るならばそこに
「Lost in Translation」を感じるのではないか、なんてことも考えました。

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November 22, 2007

ただ、君を愛してる

私が興味のない純愛系の映画ですし、評判も聞いてなかったので(はい、無知でした)、期待しないで観始めました。
休日ですが、私にはこういう映画でも観ながらやらなければならない用事もあるわけです。

映画は、凡庸なNYのシーンから始まり、慢性鼻炎で鼻をこすってばかりいる「ブスな不思議ちゃん」キャラのヒロインが気のきかないジョークを言い出し、俺様キャラが似合う玉木宏がオドオド系の役柄で、これはダメだな。
黒木メイサ様の美貌だけが救いの映画だ、と。
それでも会計ソフトの作業が進むからイイやと思いながらつけていたんですが、進むにつれてなんとも良いんですね。

展開、ストーリーともにありがちもいいとこの定番なんですが、玉木宏が似合わないキャラクターを良くこなしていて、なにより宮崎あおいはスゴイわ。
途中でやっと気づいたんです。

表情の翳り、寂しげな笑顔。工夫のないセリフにすら生命を宿らせる語りのリズム、陰影。何気ないしぐさまで、いわく言い難いその輝きは、最後は完