心と体

April 14, 2009

ふっと心がかるくなる禅の言葉    永井政之@八風吹くとも動ぜず、まさに木鶏の如し

良く知られた禅の言葉を2p見開きに1つづつ、右側に言葉、左側にその解説が書いてある本です。

私は漢詩の響きって好きなんです。
漢詩の生まれは中国ですが、それを日本語に置き換えた時の響きは、清澄な品格があり、耳に心地よい。
だから漱石やこの間の山田風太郎の日記など、漢文の素養のある文章にも参ってしまう。

禅語の良い処は、素晴らしい響きの言葉に深い知恵を含むことです。

私が懸念することの一つに、実は人間の知恵は以前より浅くなっているのではないか、と思うことです。
確かに昔の人は科学的知識に乏しかった。
情報量も少なかったでしょう。
数学的な情報解析能力だってなかったかもしれない。
でも人が生きる上での生きにくさ。
それを乗り越える知恵は今よりあったのではないか、と思うのです。

禅語は、長い間考え抜かれ、研ぎ澄まされたモノですから、もう内容は抜群に決まっているのです。
となるとその本を読むかどうかは、その書かれ方にあると思います。
この本は禅の思想の入り口、入門書でしょうが、文庫形式でコンパクトにまとまり、読み易さ、まとまり方は良く出来ていると思いました。
なんとはなしに清潔感を感じる編集も、傍に置いて何度となく再読していきたくなる感じです。

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November 07, 2007

心が強くなる言葉   中村天風

心というのは不思議なモノで、一瞬にして無限ともいえる強さを身につけることが出来る可能性もあるし、強くありたいと思い続けても、一生ついに叶わぬということもあると思う。
この辺が他の分野と比べて不思議を感じる処だ。

いわゆる腕力が弱かったとする。
ベンチプレスで30キロがやっとだ、という人間に80キロを上げろと言っても出来ない。筋肉量が違うのだから出来ないものは出来ない。
でも堅実にトレーニングを続ければ80キロ位なら上げるようになることは誰にでもできる。
要はやった分だけ確実に強くはなる。

知力というと大げさだが、突然アラビア語について問われた時、天下の秀才でもまったく知識がなければ簡単な一文を読むことも出来ない。
でも着実に勉強を続ければ、凡才でも、ある程度の読み書きは出来るようになるだろう。
これまた要はやっていたかやらなかったかだけで結果が決まる。

でも心はそうはいかない。
分かっていても出来ない。感情のコントロール、克己が出来ないということがある。
逆に突然の目覚めということもある。
一朝起きたらアラビア語に堪能ということもないし、腕力が倍になっていた、ということもないが、心にはある。
逆に心には一生の努力も叶わぬということもある。

この本は新書版の大きさでハードカバーで1pごとに1つ1つの言葉が書いてある。
手じかにおいて読み直すには悪くないだろう。
以下印象に残った文章を

1)人は第一に自分の身体や感情に負けない心を作らないといけない。

2)心の力が勝れば運命もその支配下になる。

3)感謝するに値するものがないのではない。感謝に値するものを、気がつかないだけだ。

4)自分の欲望の水準を自分勝手に決めて、思うようにならないと不満や不平が考えていたらいつまでたっても本当の幸福はない。

5)自分の理想を一つの絵にして心の中にはっきりと描かなければならない。そしてそれを絶え間なく聖火のように燃やし続ける。

6)人生は心ひとつの置きどころ。極楽にするには心の持ち方を変えれば良い。

・・・まあ、こういう具合に書くのは簡単だし、その時は納得出来るような言葉が続きますが、実行しようとするとウエイト・トレーニングよりアラビア語の学習より難しそうだな。

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February 18, 2007

スローライフでいこう:2  エクイナット・イーシュワラン

1)スローダウンして集中すること
この本がイイな、と思ったのは、私の性格の欠点を見事に上げているからです。
それは集中力のなさと揺れ動く心、です。
勉強にしろ、食事にしろ、いつの間にかナガラが当たり前になってしまった。
HDDに撮り溜めた映画でも、観ているウチにすぐに変えてしまいます。
一度きに10冊も20冊も同時に本を読みます。

そんな習慣を改めるようイーシュワランは諭します。

集中して楽しまなければ本当に楽しんだことにはなりません。
それには、すべてをやろう、絶えず最大限の楽しみを獲得しようとしていてはダメです。
やりたいことをすべてやるのは無理だと、自分に認めさせること。
そしてスローダウンさせることです。
じっくり味あわなければ、結局何も味わえません。

心は思考や思いによってチャンネルが変わるテレビの一種です。
心が勝手にチャンネルを変えているのです。
怒りや怖れのような否定的な思いは速く動きます。
反対に愛情、忍耐、優しさなどで、心はゆっくりと動きます。
速く動く心は病み、ゆっくりと動く心は健全です。不動の心は神聖です。

意のままに自分の気持ちを方向づけることほど、人生において頼もしい力はありません。
一時に一つのことだけに100%集中出来るなら、どのような人生でも間違いなく目標に到達することが出来ます。
自分の心の主人となれば、困難に遭遇しても、自分の思考のプロセスをコントロールできます。

落ち着きのない心にやすらぎは訪れません。
心が安らいでいなければ、歓びを感じることもありません。
生活が調和してくると常に歓びを感じることが出来ます。
ここで言う歓びとは、物事がいつも自分の思うように進んでいくことではありません。

心が乱れず自分に静かな自信を感じていられる状態のことです。
何もかも自分が望むとおりにいっている時だけ幸せなのだ、というのは現代人の人生に対する謝った認識なのです
人生が思い通りに行かないことはいいことだと思っています。
そうあって欲しいと望むことが最善とは限りません。

試練がなければ我々はどうやって成長するでしょう。

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February 07, 2007

スローライフでいこう       E・イーシュワラン

人生への規範がなくなっている日本社会で最も売れているのが生き方指南書でしょう。
ともかく書店には多様な本が山積みになっています。

それでも大きく分けると二通りあるようです。
第一派閥が「バリバリ働いて金を稼いで出世するぜ」派。
第二派閥は「マターリ、ノンビリ行きましょう」派です。

この本は題名だけ見ると二派のようですが、新鮮だったのは、
「安らかな気持ちになる為には、仕事をやめたり、海辺に逃れたりする必要はない」と宣言していること。

また「ゆっくりとした生活は、非能率的で退屈な生活ではなくもっと能率的で創造的で豊かである」と言い切っていることです。

そんな良いこと取りみたいなことが出来るのかいな、と思ったのですが、著者はガンディーに心酔し、インドの大学で英文学を教えた後、カリフォルニアのバークレー校で初めて瞑想コースを開講した人です。
特定の宗教を主事している分けではなく、お布施や寄付をしなさい、とも言いません(笑

人生における問題は、じつは自分の外ではなく、自分の心の中にある。
人は自分がどうなるかが、外的状況によって左右されると思っていますが、本当は心によって決まるのだから、困難からは逃げないでください、ということです。
ストレスを避けるのではなく、かわりに自分の人生に向かってこう言いなさい
「おまえなんて怖くないぞ。特別扱いして欲しいとも思わない。何でもぶつけてくるがいいさ。どんなことが起こっても、その中でベストを尽くすまでだ」

何が起こっても大丈夫、と、どんな挑戦にも耐えられるふりをして、何度でもチャレンジ(ストラダーレ)すれば克服する能力は必ず身に付くこと。
ガンディーは「人生の嵐」を愛し、その中でも終始穏やかだったこと。
人の最良の資質は、試練や艱難に立ち向かうこによって発揮され磨かれることが説かれます。

将来に対する不安に忙しく心を巡らせたり、過去の恨みを蘇らせていては問題にうまく対応することなど出来ません。

心を今の瞬間に100%集中するよう訓練すれば、プレッシャーの中でも最良の状態でいられ、嵐の只中でも穏やかで冷静で創造的でいられるようになるそうです。

この本は気に入ったので記事をシリーズ化します。
実は自己流の瞑想をここ10日ほどしています。
時間も15分程度ですので、超人には程遠いですが(笑、確かに前よりパニくらなくなっているかもです。

またこの本のテーマは、愛を持って人に接し、親切を忘れないようにとも説いています。
だんだんに書いていきますね。

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