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November 23, 2008

嘔吐@ジャン=ポール・サルトル   偏見に囚われずに読んでみましょう!

20世紀を代表する知性であり、実存主義の泰斗、サルトルの小説です。
この本については、実存主義ったってよく分かんないけど、サルトルは構造主義のナントカって人に論破されたんでしょ。
そんな遅れた理論だし、哲学者の書いた小説なんてストーリーも山なしオチ無し、意味不明なんだろうし、文章もやたら難しそうで退屈だろう。
その上題名が「嘔吐」・・・キモイ!
と読むのを避ける理由は山盛りですが、この本、それを振り切って読む価値ありです。

まず文章が美しい。
同時代のフランス人という繋がりからかカミュを思わせる美文には酔いしれます。
カミュは素晴らしかったけど、作品数少ないですからね。
カミュが好きになって、あの文章をもっと読みたいって思っている人にはオススメです。
カミュのイマイチの作品群より遥かに叙情的で読み応えがあります。

また「実存主義」という20世紀を代表する思想について、簡単な解説書を読むより遥かに理解も深まります。
これだけで1粒で2倍お徳ですね。
その上読み通せばあなたも明日から「サルトルを読んだ」、といえるわけです!
これはブランドですよ!ね!

ps
この小説でサルトルが掴み取ろうとしたのは、言葉の背後に連なり続ける言葉であり、意味の背後に永遠に続く意味であり、存在の背後に絶えること無く続く存在である。
その構造はまさしくウロボロスのごとく、です。
神を失った人類に残されたのは、自らの存在基盤を永遠に問い続けるだけなのでしょう。


美しい文章のさわりだけ紹介。(省略ありです)
午後三時。三時というのは、つねになにをしようと思っても遅すぎる、あるいは早すぎる時刻だ。午後の奇妙なひととき。今日は特に耐え難い。
四つのキャフェは夜になると軒を並べてまぶしく輝きはじめる。その時はキャフェ以上のものー水族館、船、星、あるいは白い大きな眼になるが、いまは夜の怪しい優美さを失っている。
自己反省には完璧な日。人類の上に投げかけられる情け容赦のない裁きに似た、冷たい光―それは私の内部に入り、内側から人の心を痩せ衰えさせる。

明日ブーヴィルには雨が降るだろう。

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November 08, 2008

【奇跡は】13番目の物語 ダイアン・セッターフィールド【起った】

100年を越える時を経て、ディケンズが現代に蘇りました。
フィクション、小説を愛する方なら、この作品を今の時期に読むことは、思わぬクリスマス・キャロル(祝歌)になると思います。

ストーリーは「古書店で本に埋もれて暮らす私」に「現代のディケンズとも称される世界一の作家」から1通の招待状が届くところから始まります。

本好きの方なら、まず猥雑な世間から離れて暮らしている主人公の境遇が羨ましいところです。
そしてひたすら本を愛し続けるキャラクターが好ましい。
それから全てが謎に包まれた当代随一の作家登場となるのですが、世界一神秘的な伝説作家をモティーフにしてまったく不満を感じさせない文章の魅力が白眉です。

読者はセッターフィールドの操る紛れもない魔法の力で、時の呪縛を離れ、思いもよらぬ場所に愛と憎しみの迷宮と、あくまで困難と闘う意思の力の物語を見ることになるでしょう。

読むにつれて繰り出される謎また謎の世界。
誘われずにはいられない技量の尽くされた文章。
そしてしだいにそれが明かされる過程でのスリル。
終盤、2転、3転する場面では、本を置くことの出来ぬ快感と焦燥が入り混じる読書の快楽を満喫できます。

まさにこれぞ小説!フィクションの魔力である、と言いたい作品でした。
セッターフィールド、次作は見ずてん買い!の作家、一人誕生です。

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November 04, 2008

眼球譚  G・バタイユ(オーシュ卿)   生田耕作訳

シュルレアリズムの手法で、スカトロジーと異常性欲を描ききった究極の暗黒小説として名高い1冊です。
しょっぱなから無茶な性描写の連続で、最初は変態AVの脚本読まされているんだか、高尚な文学の系譜に連なる本を読んでいるんだか分からなくなりますが、狂暴な風の吹きすさぶ絶壁の上に孤立した城のような精神病院の描写辺りなどからは、喚起されるイメージが強烈で、なるほどこれは文学史上に残る怪異作品ではあるなあ、と思わせる力がありました。
素っ裸に靴だけで自転車に乗るシーンなど、ボスの「快楽の園」を見ている気分でした。

冒涜的な描写続々ですが、著者によれば、
「まっとうな人間は去勢された目をしているからだ。彼らが淫らなものを恐れるのはそのためだ。・・・世間の人間が《肉の楽しみ》を味わうのは、それが色褪せたものであるという条件のもとにおいてだ。・・・私が好きなのは《穢らわしい》と見なされているものだけだった。・・・星輝く大空までも穢しつくすのだ。」
ということです。
ここにバタイユが執拗に追い求めたエロティシズムがあります。

我々の日常には関係のない、むしろ関係させてしまうと生活が破壊されてしまう類の話ですが、バタイユは執拗に意識の破壊点、その終わりなき叫びを紡ぎだそうと格闘し、読んでいると、ある種の芸術は、決して飼いならすことの出来ない野獣なのだ、ということを改めて認識します。

そしてそれは人が自らに含む、毒と狂気の故でもあります。
文化とは、そんな毒と狂気を芸術のカタチにして表現し、互いの日常を破綻させない役割を持たせるものでもあるんですね。

ただここで思うのですが、この本の闘牛への幻視などを読んでいると、今の世の中ってこの種のエロティシズムの衝動を手なずけてビジネスにしていますよね。
今なら、優れたトレーニングを受け、磨きぬかれた技量と身体能力を見せるボクサーや総合格闘技の1シーンに。またスペイン繋がりならリーガ・セスパニョーラのプレーに、我々は原初の時代、農業への必要性から生み出された「時間」という概念以前の、狩猟者と獲物という関係の上にだけあった「速度」の「記憶」と向かい合うことになります。

「文学が趣味です」と言いたいなら抑えておく1冊でしょう。
少なくともジョイスやプルーストよりは楽に読めますよ。

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October 02, 2008

幽談        京極夏彦

私が現役の作家で最も好きな京極夏彦さんの新作です。
内容は、8つの幽し事件や思いなどが綴られた短編集です。

冒頭の作品、「手首を拾う」がまず素晴らしい出来です。
現実感の希薄な、京極夏彦独特のどこか離人症めいた感覚で語られる美しくも不条理な怪談。
一読感動してしまい、この本は21世紀の「夢十夜」になるぞと期待が膨らんだのですが、作品が進むにつれ、しだいに失速してしまいました。

ただ京極夏彦がこの作品集で表現しようと挑戦した世界は、非常に志の高い美意識と形而上学です。
単なる娯楽短編集には終わらせないぞ、という気概は大したもので、その意気や良しなんですが、まだまだ京極夏彦を持ってしても、21世紀の「夢十夜」の再現には力足らず・・・
ちょっと比べる相手が悪かったですね。

しかし京極堂は未だ若し!
今後に期待させていただきます。

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September 15, 2008

ヘルメスの音楽   浅田彰@人は嫌いでも本はスゴイ・・・

浅田彰は、その傲慢無礼な発言に感情を逆撫でされること多々で、正直人間としては大嫌いな部類に属する。(会ったことはないですけど・・・笑)

ただこんな本を読んだ後では、一人の書き手としての能力を認めることにはやぶさかではない。今更浅田か、ということを感じる方もいらっしゃるでしょうが、そういうことを言うと、今更漱石か、とか、今更、ドスか、と言うのも同じ。(比較が大物過ぎた? 笑)
一人の書き手として、古典になっていると考えても間違いないと思います。

この本は、ヘルメスというキーワードを軸に、その美学的特質として、
「速きものヘルメス、いたって小さな軌道を踊るように進むその足取りは、どんな追っ手からもやすやすと逃れてしまるだろう」ということから、シューマンとバルト、ポリーニ、G・グールド、ケージ、デルヴォー、フェルメール、F・ベーコンについて語った評論集です。

一番気に入ったは、
「デルヴォー あらゆる終わりのあとの永遠の黄昏の中にたたずむ」
として、絵画一枚づつに寄せられた短文の出来が素晴らしい。
デルヴォーの絵画世界を見事に訳しおおせています。
こういう真似って出来ないんだよね。

個人的に好きなF・ベーコンへの論評も良かった。
ベーコン=暴力性、どうしてもそう思ってしまうのだけれど、そんな評価をベーコン自身が嫌っているのも事実。
ならばどう解釈するのか?
浅田彰の導く解答は、「恐怖より叫びだ。その輝かしいヴァイブレーションなのだ。物語られた恐怖はない。かわりに感覚することの恐怖。強度の中でほとんど恍惚とひとつになった恐怖がある」・・・流石ですね。

ポリーニは正直、それほど好きなピアニストじゃないし、この本を読んだ後でも関心はもてないけど、好きな方なら、その魅力が非常に鮮明に語られているんじゃないかな。
グルードの弾く、極端におそいテンポのモーツァルトが秘める戦慄すべき速度、なんて指摘も、腑に落ちるとしか言いようがない。

とりあえずここまで書ける著者はそうはいませんので、読み応えはあります。

ps
「おぞましさが輝きとなり、生の恐怖が極度に純粋で強度に満ちた生となる。『生とはなんと恐ろしいのか』とセザンヌは言う、しかしこの叫びの中ですでに線と色彩のありとあらゆる歓喜が立ち昇るのだ。@F・ベーコンについて語るドゥールーズ」
カッコイイよな、こういう文章はさ。

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September 01, 2008

神は銃弾       ボストン・テラン

「このミス」1位で文庫発売、と手にしやすい条件の本だったのですが、読んでいませんでした。
その理由は、「神は銃弾」という題名が、あまりに見も蓋もない気がしたからです。

ところがこの題名の由来を聞くと著者は
「神は頭にまっすぐに向かう銃弾である。死ねば、その瞬間から人は楽になる」
という言葉を聞きなるほど、良い題名だと思いなおしました。
先日読んだ村上春樹の本に、冬を迎える街で死んだ小鳥が、何物かから開放されたような表情で死んでいる、という一節があり、なんとなく納得した覚えがあったのです。
生きる上で困難のない人はなく、生は、それだけの重荷を背負っているのは確かでしょう。

さてこの本、読む前に巻末の解説を読んだのですが、悪人が、あのハンニバル・レクターのパンク青年版のようだ、とある。
これは楽しみだ、と思ったのですが、結果はまったく比較にならないものでした。

Dr.レクターが何故あれほどのカリスマ性を持ちえたか、というと、T・ハリスとA・ホプキンスのコラボから生み出されたあのキャラクターは、確かに一般の生活には受け入れがたい猛毒そのものでも、真に優れた芸術が、その根底に毒を含むように、フィクションとしてなら、凡俗で卑しい人間像を徹底して破壊してみせる超然たる輝きがあるからです。
結局、現実には成立しない背反性を成り立たせたのが魅力なんですね。
この小説のサイラスは、単なる異常者ですよね。
厳然たる美学を持つレクターとはモノが違います。

もう一人、主人公を助けるジャンキー女性のキャラクターも秀逸とありましたが、こちらは、まあ認めても良いです。
確かに彼女の行動原理は「ハードボイルド」そのもので、捨て身の信条には、グッとくる場面ありましたね。

結局、オススメか、というと微妙ですね。
この本、実際にも600p弱と長いのですが、ボストン・テランの比喩や言い回し、あまり私の好みじゃありませんでした・・・客観的にも巧みだとは思えず、文章とストーリーの流れを阻害しているような気がします。
だから余計に長さを感じさせてしまう。

まあ二作目は読まないな・・・
どうも食欲をそそらない記事でスミマセンでした。
代わりにコッチを、おススメします。
特にフィレンツェ編はもう最高です。

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August 01, 2008

カフカの書き方 池内紀

20世紀の初頭、ほとんど人に知られぬまま40才で早逝した、世界の文学史上最も重要であり、かつ後世に多大な影響を与えた作家フランツ・カフカ。

この本は池内紀さんが、カフカの原稿を詳細に調べながら、その創作のスタイルを探る1冊です。

カフカは小説を書くとき、まず走り高跳びの選手のように慎重に幾度も跳躍点を探り、それが決まると後は当人すらどのような物語になるのか分からぬまま、「暗いトンネルをすすむように」書き進め「書きながら追いつく」ようなスタイルをとっていました。
ひとたび走り出すと、後はひたすらペンの動きに従わせる。
だから書き出し以外、長大なヘビがうねるように続く原稿には、異様なほど直しがないようです。

それにしてもカフカの予言した、不条理にして実存主義的な孤独と不安。
これはその後、あらゆる芸術のテーマとして深く、広く取り上げられることになります。

30年後には、サルトルやカミュに絶賛され再発見されると、その強力な予見の力は、世界の映画界にはいわずもがな、アメリカでは「トワイライト・ゾーン」として、日本でも「ウルトラQ」や「世にも奇妙な物語」となって、お茶の間にまで侵入を果たし、ハイカルチャーとしては、アートの世界でも、シュルレアリズムなどの明確なバックボーンとなっています。

そのあまりに人間離れしたその予言の力が、自らの死に様すら書き取ったような「断食芸人」すら書かせたのか、と思うにつけ、「天才」を得る為にする神との取引は厳しいものだと思わざる得ません。

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July 23, 2008

猫町   萩原朔太郎

日本を代表する詩人、萩原朔太郎のあまりに有名な掌編小説です。

文章は大詩人らしく、端正であり磨きこまれ、見事なものです。
モチーフは、ふとしたはずみに紛れ込んだ異世界物。
完成度、ポエティックな抒情、このカテゴリーの小説としてはみな随一でしょう。

でも読み終えた後、どこか食い足りないのも事実。
なんで?というに、あまりに有名な著者であり、また作品であるが故に、期待が大きすぎるからなんだろうな。
一つの作品を評価する際に、この期待と読了後の差が、加速感になったり減速感になったりして、実態評価を歪めますよね。

どういうことかと言うと、実際は低速の40キロからでも低いギアでフルスロットルすれば、強い加速を感じ、速く感じる。
作品でいうとせいぜい60キロまでしかスピードが乗ってないのに、これは速い、傑作だ、と思いやすい。
逆に200キロも出ているのに、そこからフルに加速しようとした時、強いキックを感じなければ案外大したことないな、と思ってします。
現実には200キロという高速で走っているんですけどね・・・
そんなことも感じました。

文学!を語りたかったら一応は読んでおく作品でしょうね。

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July 06, 2008

チャンピオン ジョー・ルイスの生涯   クリス・ミード

ボクシング史上、最強の選手は誰か?
という質問には必ず名前の上がるジョー・ルイスの伝記です。

時代は大恐慌のさなか。
公然たる黒人差別のあるアメリカで、一人の少年がプロボクサーになるべく訓練を受け始めますが、リングの上ではまったく冴えず、コーチの評判は散々。
なんと後に今だ破られぬ防衛25回の大記録を作る選手の前途は悲観的なものでした。

さらに選手として実力を身に付けたとしても、当時の社会情勢では、黒人がヘビー級のタイトルマッチなどとんでもない、という時代。
その原因はジャック・ジョンソンという極めてアナーキーな選手に由来するのですが、そもそもたかが数十年前のアメリカでの黒人差別は酷かった。
黒人男性は、白人女に色目を使ったと言われてはリンチに会い、木につるされて「奇妙な果実」となり、黒人女性は待ち伏せされて輪姦される。
そんな激烈な試練の時代を、ジョー・ルイスはあくまで控えめに、慎重に、かつ努力を惜しまず切り開きます。
こう書くとなんだか品格の高いアスリートの話のようですが、ボクシングには真面目だったものの、異常な浪費癖で莫大な収入でも納税は滞納。極端な女癖の悪さで結婚生活も破綻と散々です。

やがて第二次大戦が始まると、時代はジョーを巻き込みながら意外な展開を見せ始めます。

脅威となりつつあるドイツの誇るトップ・ボクサー、シュメリングとの対戦から、いつしかジョーは、黒人というよりアメリカの威信をかけた代表となり、黒人蔑視の風潮を改善しつつ、やがてはナチスを含む人種差別の矛盾への問いかけとなり、根強かった黒人差別撤廃への道を開いていきます。

そんなジョーへの黒人の熱狂、期待は凄まじく、
この本にも使われている有名な言葉を引用しましょう。
場面は苦戦するジョーに、ラジオを聴きながら思う南部の黒人の言葉です。
「わたしの人種がうめき苦しんでいる。わたしたちと同じ人間が倒されようとしている。またリンチだ。女は犯され、少年は不具にされる。男が逃げる沼地を猟犬が追う。
この世の終わりにちがいない。もしジョーが敗れたら、わたしたち黒人は奴隷時代に舞い戻り、救いようがなくなってしまう。わたしたちが下等な人間であるという言いがかりがすべて真実になってしまう」


晩年、ラスベガスのカジノで奇妙な「セールスマン」となるジョー・ルイス。
ずっと読んできたキャラクターからすると、私にはとても幸せな幕切れだったように思えます。
悲惨もあった人生でしたが、神は最後に微笑んだ、と思いましたね。

名作といわれる作品だけに、読んでいても当時の社会背景への造詣の深さ、新聞記事の引用などは非常に巧みなのですが、ファイト・シーンになると描写の質がガクっと落ちる。
どうやらスポーツライターではないな、と思ったら、本職は歴史学者でした。
それにしても引用される新聞の記事のレベルの低さには驚きます。
いつの時代もマスコミは、冷静で奥深い場所にある真実より、安易なセンセーショナリズムと売る商売なんだな、と思います。


ps
アリ「あんたを倒した夢をみたぜ」
ルイス「夢でも無理だ」
そう言い返したルイスですが、確かに今見てもパンチは非常に速く強力に見えます。
それでも果たしてアリとルイスがもし戦わば、どちらに凱歌が上がるのか?
非常に興味が沸きますね。
タイソンならどうか?
私は個人的に全盛期のタイソン最強説主義者なんですけど、みなさんはどうでしょう?
今、DVDボックスでピンクロン・トーマス戦見てんだけど、やっぱりそう思うんだよ。

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July 02, 2008

すべての終わりの始まり     キャロル・エムシュウィラー

「日常を異化する」幻想ファンジー小説の短編集ですが、顕著な特徴があります。
それは女性特有のニュアンス、感性が非常に強く発露された作品集だということです。

読みながら、どのように説明すればいいかな、と思っていたのですが、著者自身が、「石造りの円形図書館」(ああ、この題名だけでもボルヘスの「円環の廃墟」と、「バベルの図書館」がいかに強く思い起こされることか。そしてあくまで抽象的な概念の構築に傾く男と、直に生命に触れたがる女の性の、なんという違い!)に書いてあるので一部略して引用します。
「石造りの図書館」は廃墟なのですが、それを発見しようとする著者自身の投影は、
「彼らの書物に接することができたら!夢にも思わないようなすばらしい物語をそこに発見できたら!たとえば恋物語で、まったく異質の愛が登場する・・・我々が思いもしなかったような熱情、我々の愛着よりも持続する愛、我々のセクシャリティー以上に世界を揺るがすもの。・・・」と語ります。
この作品集のエッセンスはこれです。

人類でない(ファンジー上の生き物に近いような)、何者かとの愛。何者かへの愛、人の概念を超えた形式の愛、そんな物語がつまっています。

私が最も楽しめたのは、最初の作品で、その題名は
「私はあなたと暮らしているけど、あなたはそれを知らない」
です。
内容は、これまた最初に書いてあるので、引用しますと、
「私はあなたの家で暮らしているけど、あなたはそれを知らない。私はあなたの食べ物をちびちびかじる。あれはどこに行っちゃったんだろう、とあなたはいぶかる・・・鉛筆やペンはどこへ消えるのか・・・一番上等のブラウスはどうしたのか。」
どうです。
この感覚、不思議な記憶を思いおこさせますよね。
こんな感じたまにあるでしょう。
それはもしかしたら、あなたと一緒に暮らしていながら、あなたが知らない誰かのせいなのかもしれません。
その誰かは、今PCの前に座って画面を見ているあなたをじっと見つめているかもしれない・・・

この他の話では、ともかく産む性、孕むことを熱望する女性、もっといえば蔑称ということでなく、雌としての欲求の、欲望の強さに、男の私はしばしば圧倒されるような熱気を感じました。
ある種、フィクションのカタチでしか現せない女性への根源論にもなっているかもしれません。

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