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July 06, 2008

チャンピオン ジョー・ルイスの生涯   クリス・ミード

ボクシング史上、最強の選手は誰か?
という質問には必ず名前の上がるジョー・ルイスの伝記です。

時代は大恐慌のさなか。
公然たる黒人差別のあるアメリカで、一人の少年がプロボクサーになるべく訓練を受け始めますが、リングの上ではまったく冴えず、コーチの評判は散々。
なんと後に今だ破られぬ防衛25回の大記録を作る選手の前途は悲観的なものでした。

さらに選手として実力を身に付けたとしても、当時の社会情勢では、黒人がヘビー級のタイトルマッチなどとんでもない、という時代。
その原因はジャック・ジョンソンという極めてアナーキーな選手に由来するのですが、そもそもたかが数十年前のアメリカでの黒人差別は酷かった。
黒人男性は、白人女に色目を使ったと言われてはリンチに会い、木につるされて「奇妙な果実」となり、黒人女性は待ち伏せされて輪姦される。
そんな激烈な試練の時代を、ジョー・ルイスはあくまで控えめに、慎重に、かつ努力を惜しまず切り開きます。
こう書くとなんだか品格の高いアスリートの話のようですが、ボクシングには真面目だったものの、異常な浪費癖で莫大な収入でも納税は滞納。極端な女癖の悪さで結婚生活も破綻と散々です。

やがて第二次大戦が始まると、時代はジョーを巻き込みながら意外な展開を見せ始めます。

脅威となりつつあるドイツの誇るトップ・ボクサー、シュメリングとの対戦から、いつしかジョーは、黒人というよりアメリカの威信をかけた代表となり、黒人蔑視の風潮を改善しつつ、やがてはナチスを含む人種差別の矛盾への問いかけとなり、根強かった黒人差別撤廃への道を開いていきます。

そんなジョーへの黒人の熱狂、期待は凄まじく、
この本にも使われている有名な言葉を引用しましょう。
場面は苦戦するジョーに、ラジオを聴きながら思う南部の黒人の言葉です。
「わたしの人種がうめき苦しんでいる。わたしたちと同じ人間が倒されようとしている。またリンチだ。女は犯され、少年は不具にされる。男が逃げる沼地を猟犬が追う。
この世の終わりにちがいない。もしジョーが敗れたら、わたしたち黒人は奴隷時代に舞い戻り、救いようがなくなってしまう。わたしたちが下等な人間であるという言いがかりがすべて真実になってしまう」


晩年、ラスベガスのカジノで奇妙な「セールスマン」となるジョー・ルイス。
ずっと読んできたキャラクターからすると、私にはとても幸せな幕切れだったように思えます。
悲惨もあった人生でしたが、神は最後に微笑んだ、と思いましたね。

名作といわれる作品だけに、読んでいても当時の社会背景への造詣の深さ、新聞記事の引用などは非常に巧みなのですが、ファイト・シーンになると描写の質がガクっと落ちる。
どうやらスポーツライターではないな、と思ったら、本職は歴史学者でした。
それにしても引用される新聞の記事のレベルの低さには驚きます。
いつの時代もマスコミは、冷静で奥深い場所にある真実より、安易なセンセーショナリズムと売る商売なんだな、と思います。


ps
アリ「あんたを倒した夢をみたぜ」
ルイス「夢でも無理だ」
そう言い返したルイスですが、確かに今見てもパンチは非常に速く強力に見えます。
それでも果たしてアリとルイスがもし戦わば、どちらに凱歌が上がるのか?
非常に興味が沸きますね。
タイソンならどうか?
私は個人的に全盛期のタイソン最強説主義者なんですけど、みなさんはどうでしょう?
今、DVDボックスでピンクロン・トーマス戦見てんだけど、やっぱりそう思うんだよ。

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July 02, 2008

すべての終わりの始まり     キャロル・エムシュウィラー

「日常を異化する」幻想ファンジー小説の短編集ですが、顕著な特徴があります。
それは女性特有のニュアンス、感性が非常に強く発露された作品集だということです。

読みながら、どのように説明すればいいかな、と思っていたのですが、著者自身が、「石造りの円形図書館」(ああ、この題名だけでもボルヘスの「円環の廃墟」と、「バベルの図書館」がいかに強く思い起こされることか。そしてあくまで抽象的な概念の構築に傾く男と、直に生命に触れたがる女の性の、なんという違い!)に書いてあるので一部略して引用します。
「石造りの図書館」は廃墟なのですが、それを発見しようとする著者自身の投影は、
「彼らの書物に接することができたら!夢にも思わないようなすばらしい物語をそこに発見できたら!たとえば恋物語で、まったく異質の愛が登場する・・・我々が思いもしなかったような熱情、我々の愛着よりも持続する愛、我々のセクシャリティー以上に世界を揺るがすもの。・・・」と語ります。
この作品集のエッセンスはこれです。

人類でない(ファンジー上の生き物に近いような)、何者かとの愛。何者かへの愛、人の概念を超えた形式の愛、そんな物語がつまっています。

私が最も楽しめたのは、最初の作品で、その題名は
「私はあなたと暮らしているけど、あなたはそれを知らない」
です。
内容は、これまた最初に書いてあるので、引用しますと、
「私はあなたの家で暮らしているけど、あなたはそれを知らない。私はあなたの食べ物をちびちびかじる。あれはどこに行っちゃったんだろう、とあなたはいぶかる・・・鉛筆やペンはどこへ消えるのか・・・一番上等のブラウスはどうしたのか。」
どうです。
この感覚、不思議な記憶を思いおこさせますよね。
こんな感じたまにあるでしょう。
それはもしかしたら、あなたと一緒に暮らしていながら、あなたが知らない誰かのせいなのかもしれません。
その誰かは、今PCの前に座って画面を見ているあなたをじっと見つめているかもしれない・・・

この他の話では、ともかく産む性、孕むことを熱望する女性、もっといえば蔑称ということでなく、雌としての欲求の、欲望の強さに、男の私はしばしば圧倒されるような熱気を感じました。
ある種、フィクションのカタチでしか現せない女性への根源論にもなっているかもしれません。

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June 26, 2008

エッフェル塔  ロラン・バルト

「エクリチュールの零度」「表徴の帝国」などの著作で知られる構造主義の泰斗!
ロラン・バルト様の御著書です。
書いてある文章は難解を極めますが、救いは実質44pで終わることです!
たったの44ページ!
なんとか読みきりましょう!
そうすればあなたも立派なロラン・バルトの読者です。

いったん読みきれば、小洒落たバーで、合コンで、
「この間、ロラン・バルト読んだんだけどさ」、と女性を口説くときに言っても嘘ではないのです。
ただ間違っても「秋葉原に綾波レイのフィギュアを買いに行く時読みだして、けっこうオモシロクて電車乗り過ごした」、と前後の状況は言わないように!
そうなんです、覚悟して読み出したわりに、この本、結構というかかなりオモシロイ!

パリにそそり立つおなじみのエッフェル塔ですが、それをいったん20世紀最高の知性が語りだすとき、読者はそこに魔術的なまでに変容しては解体され、再構築を繰り返される幾多の幻影を見ることになります。
幻影は時の足かせを逃れ、一般のカテゴライズの柵を超え奔放に飛翔します。
そこで味わえるのは、まぎれもない知的興奮であり、慰安に流れぬ強い快楽です。
凡庸な知性の語る「難解な文章」のうそ臭さとは無縁であり、醸し出される豊潤なイメージの放流には、普段ならその存在意義すら疑いたくなっている「難解な文章」が、真に優れた知性の元ではいかにパワフルに縦横無尽な存在になりえるのかと、読者は驚きに満ちた体験を味わうでしょう。

こういう知的格差は、物質的格差と違い、非常に安価に手に入ります。
そして得られる快楽は同等です。
コスト・パフォーマンスは最高ってことで、下流の方から富裕層の方々にまで、幅広くオススメできる逸品です。

まさしくロラン・バルトとは何者か、ということをこの本の最後の文章から書き出すと、
「ロラン・バルトの文章を通して、読者はその偉大な想像の機能を行使する。そしてこの機能こそ、人間の自由そのものである。なぜなら、どんな暗い歴史も、人間からこの機能を奪い取るとこは決してできなかったのだから」

もう一つ個人的な覚え書きを
「現代詩が常に言語の虐殺として、沈黙の空間的、感覚的な一種の相似物として自らの立場を示すのはそれ故である。その空虚な沈黙の地帯へ突き進んだのがマラルメだ」

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June 18, 2008

走ることについて語るときに僕の語ること     村上春樹

一人の真摯なランナーがその内面を掘り下げるとき、どのような言葉が出てくるのか?
優れたアスリートでありながら、作家としてその体験を言葉に還元できる方はそうはいませんし、逆もまた同じなのでしが、この本で村上春樹はその困難を達成したと思います。

この本の魅力として、まずハワイやギリシャ、サロマ湖からボストン、NYでの美しい自然描写があります。それは以下のようにです。
「北東の方角から間断なく吹きわたる貿易風が、ハワイの夏をどれほど涼しくしているか。クールな木陰での安らかな読書や、思いたったときそのまま南太平洋に泳ぎにいける生活が、人をどれほど幸福にしてくれるかを。
たまに来る雲も、細かい雨をひとしきり降らせる、「急ぎの用事があるから」という風情で、あとを振り返りもせず、そのままどこかへ行ってしまう」
「ニューイングランド独特の短く美しい秋が、行きつ戻りつしながらそれにとってかわる。
僕らを取り囲んでいた深い圧倒的な緑が、少しづつ少しづつ、ほのかな黄金色に場所を譲っていく。
枯葉が吹きゆく風に舞い、どんぐりがアスファルトを打つと、勤勉なリスたちが、目の色を変えて走り回る。
ハロウィーンが終わると、有能な収税吏のように簡潔に無口に確実に冬がやってくる。
木の上に作ったリスの巣が見える。彼らはたぶんその中で静かな夢を見ているのだろう。
川面を吹き抜ける風は研ぎあげたばかりの鉈のように冷たく、鋭くなってくる。」

ウルトラマラソンを走ったときは、
「そこから未知の外海に乗り出す。この先何が待ち受けているのか、どんな未知の生物が生息しているのか、大昔の水夫が感じたであろう畏怖の念を、及ばずながら身のうちに感じることになる。
走るという行為が形而上的な領域にまで達する。行為があり、それに付随するように僕の存在がある。我走る、故に我あり。
既に夕暮れが始まって空気が独特の澄みわたり方をしていた。夏の初めの、深い草の匂いもした。19世紀のイギリスの風景画に出てくる意味深げな雲が、重厚に空を覆っていた。
声援は透明な風として、僕の身体をただ通り抜けていく。リスキーなものを進んで引き受け、それをなんとか乗り越えていくだけの力がまだ自分の中にもあったのだ」

NYマラソンの前の不安には
「いたるところに暗闇があり、いたるところに死角がある。いたるところに無言の示唆があり、いたるところにニ義性が待ち受けている。僕はもうそれ以上暗闇に目をこらすのをやめる。沈黙の響きに耳を澄ませるのをやめる。」


芸術に関しての印象的な言葉としては、
「正気を失った人間の抱く幻想ほど美しいものは、現実世界のどこにも存在しない。
人間存在の根本にある毒素のようなものが、否応なく抽出されてくる。
作家はその毒素と向き合い、危険を承知の上で処理しなくてはならない。
毒素の介在なしには、真の意味の創造行為をおこなうことはできない。
真に不健康なものを扱うためには、人は健康でなくてはならい。
自分の扱う毒素に打ち勝てないと、その創造行為はできなくなる。」

そして村上春樹は以下のような言葉でこの本を締めくくります。
「小説家(に限らず)にとって何が重要な資質かと問われれば、迷うことなく集中力をあげる。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力がなければ、大事なことは何も達成できない。その次に必要なものは持続力だ。
この能力はありがたいことにトレーニングによって後天的に獲得し、向上されることが出来る。
苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ、自分が生きているというたしかな実感を、その過程に見出すことが出来るのだ。
生きることのクオリティーは、その成績や順位でなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだという認識にたどりつくことができる。少なくとも努力をしたという事実は残る。
そして本当の価値あるものごとは往々にして効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。たとえむなしい行為であったとしても、それは決して愚かしい行為ではないはずだ。

とにかく目の前の課題を手に取り、力を尽くしてひとつひとつこなしていく。
個々のタイムも順位も人の評価もすべてはあくまで副次的なことでしかない。
ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽くした。耐えるべきは耐えたと、自分で納得することである。そこにある失敗や喜びから具体的な教訓を学び取り、積み上げ、最終的にどこか得心のいく場所に到達することである。」
以上の文章は、ブログへの転載の為、かなりの省略、若干の修正を含んでいます。

素晴らしい人生への示唆であり、芸術の本質を語る言葉であり、自然への詩情を歌った言葉だと思います。

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June 13, 2008

須賀敦子全集第1巻     コルシア書店の仲間たち

この本は1度、前半部分の「ミラノ 霧の風景」としてブログで取り上げています。
全集なので、結局、3つの作品が集められているのですが、あまりに素晴らしくて後半部分を待ちきれずに記事にしてしまいました。

今回記事にする「コルシア書店の仲間たち」は、著者がミラノ時代に勤務していた書店であり出版業務も行うお店に出入りする人々を描いたエッセイ集です。

作品の傾向としては、前作がミラノを中心としたイタリア諸都市の風景画なら、こちらは出入りする人々に焦点が当てられた人物画像集でしょうか。
何故絵画に喩えるかといえば、須賀さんの文章を読んでいると、非常に高度な技法に支えられた上質な絵画を見ているような気になるからです。
極めて質の高い絵画には、ある種の物語が見えるような気になることがあるでしょう。
その逆のパターンです。

それにしてもこのコルシア書店に集ってくる内向的で繊細な感性をもてあましているようなイタリアの人々の群像は、ハリウッド映画なのでいつの間にか植えつけられたイメージとなんとかけ離れたものであることか、と驚きます。

まるで白日夢のような印象を残す、エトルリア人の絨緞売りが出てくる「大通りの夢芝居」

17歳のいきまくような少女像として活写されたニコレッタ・シポシュの魅力と、パンツ一枚で社会主義下のハンガリーから逃れたその父親の医師の話。
「きみたちのように自由の尊さが分からない人間には、この屋根の下では、冗談でも社会主義がいいなんていわないでくれ」
いつもの温厚さをかなぐり捨てて言い放つその様には、本当の修羅場をくぐった人間だけが持つ「傷」が見える気がしました。
そして「夜、よく眠れなった」という、言葉を聞いた須賀さんは、彼が暗闇の中で何を考えるのか、と思い、私は悲しかった、と結びます。
夜の暗闇に響く人を思う哀しみの余韻。
この辺りが、須賀magicのモチーフかもしれません。

肩を震わせて笑うだけでみんなをなごませ、夏の日の涼しい風のようでありながら、孤独で透徹した悲しみをもつラウラの出てくる「夜の会話」

何よりオンボロのランチャを買い、「女の子だから、きれいにしてやらなくっちゃ」と言いながら、カテリーナという名前とつけて可愛がり、破れたシートは、はでな花柄のテーブル・クロスで繕ってあげるアシェルの肖像。
彼は小説か書き始め、2ヶ月も書店を留守にして、やっと出来た。これぼくの小説、といって封筒を置き、あげくに借金だらけになった、働かなくっちゃ、と言ってコペンハーゲンに渡るありさま。

読んでいると、須賀さんの人徳故でしょうが、出てくる人が、みな魅力的で、こんな人たちと暮らしていくことこそ、本当の幸福でないかとすら思えてきます。
そしてせんないことと思いながら、私も身近にいたかった。
何故と思うに、それはやはり名人画家に自画像を描いてもらいたい、という思いに似ていますね。
私は普段なら、絶対に似顔絵描きの前に座ることのない人間なんですけど・・・
それほど彼女の筆は魅力的です。

そして最後にイタリアの文化について感じたことがあります。
それは「精神にまでとかく曲線を誇張するイタリア」という言葉からなんですが、イタリア独特の豊かな曲線は、かつてルネッサンスの緒芸術を産み、プッチーニの旋律を産み、今ならフェラーリのボディラインに息づくものなんでしょうが、須賀さんのエッセイを読み終えた後に感じることは、その曲線の奥底には哀しみがあるんだな、ということです。

南欧の強烈な日差しに、宿命的につきまとうくっきりとした影。
笑顔の下に一杯に貯めた涙こそが、人を魅惑する美を生み出す。
読むうちにそんなことを考えました。


ps
私はけっこうマニアックに本を読むほうなのですが、浸っていてこれほど心地良い文体を持つ作家はそうはいないですね。
私の読書における今年最大の収穫は須賀敦子の発見でしょう。

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May 11, 2008

須賀敦子全集第1巻  ミラノ霧の風景

文章を読む、ということの悦楽が、しみじみと味わえる珠玉の随筆集です。

著者の須賀敦子さんは、イタリアに渡り結婚され、翻訳者として活躍。
幾多の日本文学をイタリア語に翻訳、紹介し、帰国後はイタリア文学の日本語訳者としてピーコ・デラ・ミンドラ賞などを受賞。
61歳にして、この「ミラノ霧の風景」で初めての随筆集を出版すると、文壇の評価は
「すでに巨匠の風格だった」と評された方です。

住まわれた、或いは旅されたミラノ、ナポリ、ヴェネチアの描写の美しさには比類なき詩情があり、そこへ登場しては消えていく人物像は、みな神話的ともいえる普遍性を持ちます。

磨き抜かれた文章には、一つとして無駄な単語がなく、それは映画「アマデウス」でモーツアルトが語ったとされる「私の楽譜には必要なものしかない」という言葉を思い起すほど完璧な芸術であり、それを読むことのできる幸運に、今はただ感謝するのみです。

風采の上がらない、けれど素晴らしい知性の持ち主であり、根っからの善人だったアントニオへの優しい眼差しは忘れがたく、ヴェネチアの本質を、虚構化し劇場化した都市であり、仮面こそほんとうにこの町の顔である、と喝破する思索の深さには、ただ感嘆するのみです。

いつしか夢幻の中に読者を彷徨わせる文体は、どこかカミュの小説の描写を思わせ、またそれに匹敵するでしょう。


ps
この本は特に女性におススメします。
義母(妻の母親)が大のファンなのですが、世に溢れる「良い女」へのハウツー本よりこの本を1冊お読みになれば、読後、あなたの内面は充分に深く、真の知性と、研ぎ澄まされた感性の一端に触れた者だけが持つ輝きを得ると思います。

ちなみに表紙はジョルジョ・モランディ。
「永遠の静寂」と「瞑想」を何気ない静物画に塗りこめた究極の画家
の一人です。

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April 25, 2008

死都ゴモラ     ロベルト・サヴィアーノ

「コンテナは宙で揺れ動いていた。クレーンがそれを船の中へ運び入れようとしているのだが、連結がうまくいっていないらしく、ひとり宙を舞っているかのようだった。
と見る間に、コンテナの扉が急に開いて、数十人の人体がばらばらと船上に落下した。
マネキン人形のように。甲板に落ちて、人体の頭部が本物の頭蓋骨のように割れた。男女の屍体だった。何人か、少年らしいものも混じっていた。皆、死んでいる。全員が凍結され、ひとかたまりに置かれている。」
退廃の罪過故、神の火に焼かれた伝説の都市ゴモラが、現代に蘇ったかのようなシーンから始まるこの本は、ナポリから発祥し、今や世界へと触手を伸ばす犯罪組織「カモーラ」を描いたノンフィクション・コラージュ小説です。

作者、ロベルト・サヴィアーノの終始、途切れることのない執拗な描写は、時に多すぎる人名、固有名詞が多発され、事情に疎い門外漢としてはへきえきする箇所もありますが、その文体に潜むイタリアならではの濃厚なエロスとタナトスへ指向は、どこかカラバッジオやティツィアーノの絵画を見る時のようで、読みながら酔うようです。

イタリアの生む全ての美に潜在する血への嗜好、死を覗き見ては弄ぶような刹那的な享楽。
なるほどフェラーリのボディ・ラインやマセラティの内装、ランボルギーニの暴力性を、他国が真似ようにも真似られない秘密の一端も感じました。


またこの本の魅力として特筆したいのが、人血でなめしたようなハード・カバーの色。
私は情緒のない男で、本は読めればOK、というたちなのですが、久々に魅力ある装丁と感じました。(カバーも良いけど、取った後の表紙の色が抜群)

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March 06, 2008

ティファニーで朝食を   T・カポーティ@村上春樹訳

ゴルフも釣りもやらないのだけれど、やる人なら、まれに、完璧な一日といえる日があるのではないか、と想像する。
生きていることを賛美したくなるような風と果てしなく澄んだ青空の下で、手応え抜群なショットの連続や、どこまでも濃い魚影などを見るとき。

この本は小説読みにとってはそんな存在。
文章には極上のシルクを思わせる肌触りがあり、紡がれるイメージは、黄金の絹糸で織り込まれたタペストリーのよう。
ひたすら小説を読むことの愉楽に酔え、際立って魅力的な登場人物たちは、みな心の深い場所にまで降りてくる。

村上春樹さんには非常に失礼な言い方になるかもしれないけれど、私にとって彼の文章の魅力は、自らのmetaphorでより、翻訳という形で他者のフィクションを訳し出す時に、より輝く。

「ティファニー」は当然、圧巻でしたが、収録されている短編の「クリスマスの思い出」の余韻も忘れ難い。
共にラストを読み終えた時、想像力が翼を持ち、見知らぬ場所に羽ばたく。
これは優れたフィクションだけが持てる魔法の力だ。

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March 01, 2008

月末で花粉来襲での楽しみはやっぱり・・・

なんだか異様に忙しいです。
こんなに忙しくするつもりはないんですけど、しょうがない。
仕事は相手があるものですからね。
しかもいよいよ花粉襲来!
こうなると休日はますますヒキ気味になるわけですが、ストレス解消と楽しみはやっぱり本と映画と音楽になります。

このところ在庫処分(買っただけで読んでない本などの読みきり)をやっていたんですが、やっぱり買わないと詰まらない。
で昨日買って今日アマゾンから届いた一覧は

壺坂幻想   水上勉 ゆっくり読む予定、楽しみです。

死都ゴモラ  ロベルト・サヴィアーノ カラバッジオを思わせる血塗られた筆致です。

エヴァンゲリオン・クロニクル イラストレーションズ 画集としてはまあまあ・・・
綾波オタとしては期待ハズレ。

神々のシンフォニー サラ・ブライトマン  クルマで聴きたいです。

Shiro SAGISU Music from `EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT)ALONE‘
コッチはPC作業中のバックでいいです。

ティファニーで朝食を カポーティ&村上春樹訳 読み出しました。最高です。

ダブリンの人々  ジョイス&米本義孝(←新約です) いつか気合を入れてですね。

ps
それにしてもドル急落来ましたね。
輸出産業は大変でしょうが、商品市況が暴騰しているので、悪いことばかりじゃないでしょう。
穀物からエネルギーまで高いときに円独歩安は恐怖ですよ。
100円割れたらアメリカへのお付き合いから、日銀利下げがあるかもです。
でも任期切れの総裁選びが政争の道具になってますね。
政治がどうしようもないのは確かだ。
今は結構危機なんですけどね。
そういう認識はないんだよな・・・

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February 27, 2008

金融工学者フィッシャー・ブラック  P・メーリング著

OP価格を導出したブラック=ショールズ方程式の発案者である、フィッシャー・ブラックの伝記です。
ただ伝記と言っても原題がFischer Black and The revolution idea of finance
とある通り、ブラックさんが・・年に結婚し、子供が生まれ、案外良い父親でしたが、奥さんとはダメで別れて同時にシカゴ大学からゴールドマンに転身しました・・・なんていう日常話は非常に少なくて、ほとんどがブラックの学問的業績の紹介と、それを取り巻くシカゴ大学、MIT,そして実業界への転身過程で、どのようなアイデアを発案し、論争になり、応用したか、という現代ファイナンス理論の変遷が中心です。

これを読めば相場で儲かるということはありませんし、内容はかなり高度ですので、「金融工学萌え」のマニア向けの本ですね。

結局、アメリカ金融界が主導した高度なデリバティブ理論の応用は、このブラックなどが発案した数理ファイナンス(確率微分方程式)が大元なので、オタクにはその誕生から発展を見ていけるのはエキサイティングですし、金融革命の中心人物だったので、周囲の面子もスターぞろい(経済学上のスターね)で華やかです。

金融工学萌えの方が読むと思いますが、そういう方にはこの本、最初は退屈です。
でも読み進めるに従って盛り上がり最終章はちょっと感動モノでした。

友人のマイロン。ショールズからLTCMへ誘われますが、「あれはリスクが多すぎる」と断った理由として
「VaRの手法には限界がある。事業の存続にかかわるような重大なリスク(変動)が過去に一度も起きなかったからと言って将来も起きないとう理由はなにもない」と喝破する当たり思索者でありながら理論だけに囚われないブラックの真の天才ぶりを現すエピソードだと思います。

またシカゴ大学、MITから「学ぶには大学より実業界が良い」とあっさり職を辞してゴールドマンに入り革新的な業績を上げ続けますが、この辺り日本の大学や金融機関も見習って欲しいですね。
日本は製造業の世界でこそ産学共同体が成立していますが、金融界ではありえないでしょう。
金融革命最大の発見、このブラック=ショールズ式は日本の伊藤清先生の補題が導いたものなんです。
日本人が発見した公式なんだから、これをダイナミックに活用出来ていれば、日本の金融界が世界に冠たる、という状態だってあり得たんです。
それが大蔵省の護送船団方式とやらで、土地担保、生命保険担保主義の惰弱な機関に成り下がった・・・・悔しいですよね。
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という勉強を終えた綾波レイちゃんです。

「この世のなかに不変のものは存在しないという認識が私の出発点である。ボラティリティ自体が一定でないし、ボラティリティが変化するプロセスにしてもプロセス自体が不変とは言い切れない。我々に出来るのは、変化のプロセスを見守ることだけである。@フィッシャー・ブラック」

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January 30, 2008

ネクロノミコン アルハザードの放浪     D・タイスン

子供の頃から本が好きで、長じても一番の趣味であり続けたりすると、病膏肓という状態にいつしか陥るのは、他の道楽と同じこと。
そうなると求め始めのるのは、一般には手に入らぬ幻の、あるいは禁断の魔書の類。

この本の元は「アル・アジフ」と名づけられ、紀元730年に、アラビアの砂漠を十年間放浪した狂える詩人、アブドゥル・アルハザードにより執筆されました。
内容は、名前のない柱の林立する伝説の都市イレムや水没したルルイエ他、人類より古い種族と旧支配者の秘密について描かれた1冊です。
「アル・アジフ」は、その背徳的な内容故、秘匿されていましたが、コンスタンティノープルの学者T・ピレータースにより「ネクロノミコン」と表題を変えギリシャ語に翻訳。しかしその後、読んだ者への影響が大きすぎると、当時の総司教ミカエールにより焚書処分。
いったんは、歴史の闇に消えるものの、1227年にオラウス・ウォラウスがラテン語訳を行い、ドイツ、スペインで出版元不明のまま世に出る。
すぐに教皇グレゴリウス9世によって発禁処分。
1550年頃、イタリアで印刷されたギリシャ語版は、セイレムに住んだ男の蔵書として保管されていたものの1692年に焼失。
1608年、魔導師ジョン・ディーが復刊を試みるも失敗。
現在はラテン語版(15世紀版)が1冊、大英博物館に厳重に保管されているほか、17世紀版がパリ国立図書館に保管されています。
さらに17世紀版はハーヴァード大学のワイドナー図書館、他、ブエノスアイレス大学図書館など秘密裏に何冊かはある模様で、15世紀版はアメリカの大富豪の蔵書となっているとも噂されています。

ちなみに著者のアブドゥル・アルハザードは、この本を執筆後、白昼、大勢の人の見守る大通りで目に見えない怪物にむさぼり喰われたという・・・

そんな恐ろしい禁断の本が、今ではアマゾンで誰にでも買えるのですから世の中変わったものです・・・(笑
というのはモチロン嘘で、ご存知の方はご存知でしょうが、これはラブクラフトという作家のつくり出したクトゥルー暗黒神話の中に出てくる偽書、架空の本です。

ただラブクラフトのつくり出した神話体系があまりに見事な出来映えだったので、同時代のオーガウスト・ダーレス他、時代を超え、国を越えて(日本人作家も沢山参加しています)幾多のホラー作家たちが、クトゥルー神話を題材に小説を書き続けた結果、神話は広がり、深みをましこの本の本当の著者ドナルド・タイスンのように、1冊の偉大な神話が語られるにふさわしい傑作も生み出します。

雄大な構想と奔放な想像力、詩的叙情に満ちた語り口は、本物の宗教の経典のように何度も読み返す気にさせますし、旧支配者の印も素敵です。

輝く胞子にまみれた白い蜘蛛を食らわなければ見えない、伝説の隊商都市イレム
美しさと邪悪さで世界に名をはせたその都市に入るには、廃墟の谷を越えなければなりませんが、過去からの音に耳を傾けすぎると、いつしか夢の中にさまよいこみ、永遠に我らの時代から失われて、隊商の駱駝とともに歩むことになります。
そしてあらゆる次元とあらゆる連続体に永遠に和するヨグ=ソトース
世界を生み出す笛を果てしなく吹き続ける白痴の神、アザトース
人を愚弄する無貌の邪神、ナイヤーラトテップ・・・

水没したルルイエなどに触れているのは当然としても、ジグラッドと時を見守るもの、バビロンの廃墟についてなど、範囲も広く、読み応えは充分です。
クトゥルー神話はイマイチという方にまで自信を持ってオススメできる1冊でした。

ps
最初にこの本の偽りの履歴を書きましたが、私はこの設定だけでまず惚れました。
そしていつかどこかで、名も知れぬ街の入り組んだ道の奥底にある魔界に通じた古書店の片隅に、ひっそりと朽ち果てたような姿で眠る「ネクロノミコン」と出会うことを夢に見ます。

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October 30, 2007

杯(カップ)―緑の海へ―  沢木耕太郎

沢木耕太郎さんが日韓両国を往復しながら、あのワールドカップを取材した1冊です。
この本を読んでつくづくと感じるのは、旅も「才能」だということ。
「深夜特急」は私も夢中になって読みましたが、あの奇跡のような旅は、確かに幸運だけでは出来なかった。今回は韓国、日本のひたすらな往復ですが、行く先々で恵まれた経緯が多く、沢木さんは旅の天才だと思いました。

またもう一つは人徳ということ。
韓国での出来事はひたすら良いことばかりで、日本では変な女性観客に悩まされたり、意固地な女性スタッフに嫌な思いをしたり、と散々です。
コレ普通に書かれると反感を感じるんですが、沢木さんが書くと、
「そういえば俺が見に行った試合でも、変な女の客がいたよなぁ」とか
「そうそうサッカーじゃないけど、某所で信じ難いほど意地の悪い女のスタッフに嫌な思いした」
などと不思議に同感させられてします。

まぁこれも文章の魅力が抜群なことが背景なわけで、
「私はサッカーにはホントに素人で」とおっしゃる通り確かに古くからのファンでないのですが、
試合の描写が始まると、それは生き生きと躍動しだし、思い出が蘇ってくる。
大したものだと思うのですよ。
よく英語だけ学んでも、日本語としての教養がなければダメ、なんて云われますが、サッカーだけ詳しくても、エッセイはスポーツや人間を見る目が基本なんですね。

楽しかったエピソードは、毎年イタリアにワインの試飲に行くタクシー運転手とのことで。
日韓両国で試合を追うのに疲れたなんて言葉に、
「疲れたなんて言っちゃいけないよ。あんたの背後には何千万だかのあたしらみたいな、ナマで見たいけど見られない人がいるんだから」
なんて言葉が返ってくる。
これにはグッとくるよね。
ホント、私事ですが、私も行けそうな試合に、申しこんだチケットはみんなハズレ。
仕事や会合も抜けられず、テレビ観戦すらやっとだったよ。

またフランス大会でのことだけど、取材中一緒にいた通訳の女性が美人だったので、普通なら近寄ることも出来ない、ロシアやジャマイカの監督が寄ってきた、なんてのには笑いました。
向こうの連中はスゴイわ。


ps
沢木さんは認めているけど、あの大会での韓国、vsポルトガル、スペイン、イタリア戦は酷かったと思うよ。
あらゆる視点(W杯10大誤審DVD@FIFA制作)から考えても。

ps
「君が代」に妙な批判をしてるけど、俺は聞くにつれ深い味わいのある良い曲だと思う。
確かに他の国歌のように勇壮な曲でないことは確かだけど(サイドブレーキを引いたまま坂を上がる自動車のよう@確か村上春樹の言葉)、それだけ日本文化、民族性の独創性が出ていると思う。
そしてグローバルに競争が繰り広げられる時代の何よりの武器は、「独創的」、ということだ。

韓国での旅も味わい深いし、旅とサッカーの両面で楽しめる1冊でした。

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August 19, 2007

ナイン・テイラーズ      ドロシー・L・セイヤーズ

かつて創元推理文庫でミステリー小説を知った時、中学生に私に芽生えた野心は、この素晴らしい世界の歴史を作った傑作は、すべて読んでやろう、ということでした。

とかくミステリーは分野別(本格派、ハードボイルド、奇妙な味etc)、年代別(戦前、戦後、黄金時代、現代)、選出者別(乱歩の選んだ、ヒッチコックマガジン、中島河太郎選)などベスト10を作るのが好きなのです。
そこに傑作として挙げられている作品は片端から読む。
クロフツの「樽」、ヴァン・ダインの「グリーン家」に「僧正」、クィーン、クリスティはもちろん、アイリッシュ、チェスタトン、カー、ハメット、アルレー、チャンドラー・・・
次々に読んだ中で最後までリストから消えなかった作品が1つありました。
それが本書の「ナイン・テイラーズ」です。

何故消えなかったか、といえば出版されていなかったからです。
探して探して探しまわりましたが売ってない。
他はすべて読み切ったのに、最後までリストから消すことが出来なかった本書は、それゆえ長く思いが募り、夢にまでみたほどでしたが、時とは非情なるもの。
やがて忘れ思いだすこともなくなったのですが、1998年に突如出版されたのです。
即買いましたが、読みたい本は数多く、買って積読も幾年月で2007年の夏、ついに今回の直島旅行へ同行させることになったのでした。

読むに辺り、かつての名だたる名作も80年以上の時を経て今は流石に退屈なのでは、と懸念がありましたが、そんな心配は杞憂でした。

確かに、今風のジェトコースターノベルではありませんが、主人公のピーター卿を始め、従僕のバンターから主席警部のパーカー、東アングリアの小村の村人まで、セイラーズの筆はまさに抑揚迫らざる描写で、みな言動が味わい深く純朴さはどこか懐かしくすらあり、じっくりと楽しめます。
急かされることなく展開するストーリーは、時に不気味にそそり立つ鐘楼から九告鐘(ナイン・テイラーズ)を響かせ、たゆたうように進行した物語は、ラストで明かされるまさに意外な犯人像に驚かされます。

極めて味わい深い、ミステリー好きなら手にとって後悔のない傑作です。
時間をとり、この小説の舞台になったかつての英国の田園地方のようなゆっくりとしたペースで味わいながら読んで下さい。
楽しめることは請け合います。

積年の思いが果たされた今、一つの夢は叶えられたんですよね。

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July 14, 2007

禁じられた福音書 ナグ・ハマディ文書の解明   エレーヌ・ペイゲルス

この本は、エジプトはナグ・ハマディ村で発見された古代写本。
異端のキリスト教を伝えるナグ・ハマディ文書について一般向けに書かれた1冊です。

いわゆる現代のバチカン、カトリック(普遍的なという意味)教会でのキリスト教は、激しい権力闘争を経て、多くの福音書を切り捨てた後の教えだというのは、もうみなさんご存知だと思うのですが、では切り捨てられた教えとは、切り捨てられた福音書は、いかなるものだったのか、ということです。

ローマ帝国で迫害されていたキリスト教が、一転してローマ国教になるには、当時の皇帝コンスタンティヌス帝の開いた二カイア公会議以降です。

それによるとそれ以前(325年)の古代キリスト教での教えは多様を極めており、国教にしようにも聖典とされる福音書同士でも内容に矛盾があり、そのまま是認してはキリスト教自体が分裂しかねないので二ケア信条として統一させたのでした。

その時排斥された福音書として代表的なのが「トマスの福音書」で
特に「ヨハネの福音書」とは、その根本概念に相違があり
「我々が神を体験するのは、光の受肉であるイエスを通してしかない@ヨハネ=イエスをより強く権威付けられ教会の設立に有効」
「神の光はイエスだけでなく、万人の中にあり全人類が共有している@トマス=グノーシス主義です」
となります。

こう書くと興味の出た方もいるかもしれませんが、この著者、ハッキリ言って文章上手くないです。
それほど高度なことが書かれていないのですが、ともかく整理が不十分で分かりづらい。
期待して読んだのですが、疲れました。
個人的には、あまりおススメは出来ない本ですね。

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March 11, 2006

シャネル 藤本ひとみ

この本は書評で絶賛されていたので、なんとなくアマゾンで買ってしまったのでした。
届いた本を見ると、妻によれば表紙が、№5の箱のデザインだそうです。
私は本を読む時はカバーを外すのですが、すると光沢のある黒に白抜きで「CHANEL」!

ここまではカッコイイと思ってのですが、読み出すと、
「お黙りなさい。ここでは大声は禁止です」
「なんて思いやりのない人なの」・・・

この調子でビックリ。
中身は女性向けの娯楽小説だったのです。
ちょっと40代の男が読む本ではない感じ。
ネット購入はこれが怖いよね。
店頭だったら絶対に買ってません。
後悔したのですが、妻に貸した処、とてもおもしろかったと・・・
それでもまともに読む気はしないので、シャネルには失礼なのを重々承知でトイレ本として読了です。

最後まで娯楽小説の体裁で記されるのですが、藤本さんの徹底して読者を楽しませるプロの技が冴えてます。

シャネルは修道院で貧しく育ちながら、お針子をやるかたわら歌手を目指して挫折。
それでも経験から貴族の愛人時代に自分で帽子を作りそれが愛人仲間に流行り、ロシア革命からの亡命ロシア人の調香師エルネスト・ポーからシャネル№5を作り出し、大戦で一人勝ちをしたアメリカで大ヒット。
その間、自分を信じ終始助けてくれた恋人との恋に破れたり、その死に衝撃を受けたり、世界的な大富豪のウエストミンスター公と付き合ったりで忙しいです。

シャネル・スーツなどでクチュリエールとして成功するものの社交界に相手にされないのに反発し、芸術家のパトロンを引き受けます。
ピカソの舞台美術、コクトーの脚本、ストランビスキーの音楽で、ディアギレフ率いるロシアバレエ団では衣装を担当。

その他、20年代のパリだからユゴー、ラディゲ、とまぁ面子が揃ってます。
アートを自分のブランドの付加価値にするというビジネス・モデルだったんですね。
オペラ座で黒人を見て黒を基調にするファッションを考えたり、仕事をいつもアタマから放さないハングリー精神が凄いです。
それでも若いデザイナーの出現に一端現役を退くも70才で復活!

「運命と戦って、幸運をもぎ取り特別な人間になるわ。運命と賭けをして勝ってみせる」
ホントウにタフな女性の物語りでした。
藤本ひとみさんの筆力が確かなので気楽に読めて楽しめる本です。
読み終える頃にはかなりおもしろがっていました。

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March 05, 2006

バスジャック     三崎亜記

話題の新鋭作家、三崎亜記さんの短編集です。
不思議な幻想と優しい叙情的な文章が読ませますね。
大変楽しめる1冊でした。

「二階扉をつけてください」は、主人公とともに不思議がりつつ最後のブラックな笑いに引き込まれます。
「雨降る夜に」と「しあわせな光」は共に4-6pの短い作品ですが、穏やかな幻想に癒されます。
「二人の記憶」はせつなくもけっこう恋愛の本質を突いているのでは・・・
表題作の「バスジャック」は筒井康隆が書きそうな主題ですがはるかにソフトです。

この本の中では長めの「動物園」はキャラクターが魅力的で生きていました。
最後にして最長の「送りの夏」は、ちょっと世界に入っていけませんでしたが、出だしの2pの夏の田舎の無人駅の描写は抜群でした。
でもそれだけにちょっと残念だなぁ。

独特の世界観を持ったいい作家だと思いました。
また読みたいですね。

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February 26, 2006

オーデュボンの祈り     伊坂幸太郎

奇妙な設定の中でとてもピュアな「祈り」への思いが綴られています。
これほどナイーブなテーマを訴えようとすると、これ位シュル・レアリステックな枠が必要なのかもしれません。

「オーデュポンの祈り」とは、果たしてなんなのか?
それは悲惨があふれている世界へのメッセージになっています。

舞台となるのは、ナニカ「大切な物が欠けている」外界と隔絶された孤島。
そこにいるのは、未来を予言する案山子に、嘘しか言わない画家、大地の鼓動を聞く少女、詩集を愛する美しき殺人者、熊を思わせる愚直な男、です。

小説を貫く価値観が「現実」といより「魂」のレベルなので、読んでいると不思議な世界に戸惑いながらも高邁な視点を与えられ、それが現実世界の本質を見通す力になるのは、まさに幻想を超えた超現実主義の本質ですが、立派に成功しています。
島の描写が、どことなくルネ・マグリット風の感触なのですが、それも魅力でした。

日常の忙しさと重さに疲れてつい忘れがちな「大切なことを思いだせ」と訴える作者の狙いは成功しているのではないでしょうか。
こういうえもいわれぬ感慨を与えられるのがフィクション(小説)の力なんですね。

変化球ですが読んどく作品だと思いました。

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February 07, 2006

夜市 恒川光太郎

第12回日本ホラー小説大賞受賞作です。
このコンテストが出来たのが1994年。
大手書店らしいフットワークの悪さで、モダン・ホラーのブームも少し陰りが見えた頃でした。
ただ世間的にはホラーはブームであっても私にとっては一番好きな分野なので、遅れ気味の登場でも嬉しかったのを憶えています。
第1回はすでに「死国」でファンになっていた坂東真砂子さんが佳作に入り、芹澤準さんの「郵便屋」が妙に気に入りました。
ところがその後は、大ベストセラーになった「パラサイト・イヴ」はまったく好みでなく、岩井志麻子もダメで、唯一瀬川ことびの「お葬式」は気にいったものの、選者に林真理子が出てきたせいもあり、ちょっと距離を置いていたのでした。

そんな中、この本は書店で見かけて直感が囁いたのです。
「夜市」・・・題名がイイですよね。
二編の作品が納められていて受賞作になった「夜市」は、異形のモノが集う異界の市場で、昔、弟を売り、野球の才能を買ってしまった少年とGFの話し。
文章は決して唸るような名文続きではないのですがほど良い感じ。この手の小説がみんな漱石の「夢十夜」みたいでも見事過ぎてクタビレル。気楽に楽しむには手頃ということが肝心なんです。
娯楽映画をルキノ・ヴィスコンティに撮られても困りますからね。
気楽に読めて、十分にその世界にも入っていけました。
構成も見事で、後半いわゆる幻想物語の定型を裏切る展開が用意されており大変楽しめました。


もう一つが書き下ろしの「風の古道」。
実際は受賞作よりコッチの方が長く、単行本で新人の書き下ろしを買わされたのかと気づいた時は失敗した、と思ったのですがコッチも面白い。
この世の狭間(「トワイライト・ゾーン」や「世にも奇妙な世界」的な)にある「古道」に迷い込んだ少年の話しなのですが、この感覚は私のツボを突いてます。

「どこかにすべての家が背を向けて立っている、決して踏み込んではいけない道がある」

以前、ドライブ散歩に凝っていたことがあるのです。
適当にドライブしては良さ気な処でクルマを停めてその周辺を散策するのですが、気持ちのどこかでこんな幻想的な道に入ってみたいという思いがありました。
実際に入ってしまったら大変なんですが、退屈な日常からの逃避願望です。

鬱々とした時間を、一時忘れさせてくれる1冊でした。
郷愁と幻想と恐怖の世界で、日本流に味付けられたブラッドベリ風かな。
恒川光太郎さんには今後注目します。
少なくても次作は見ずテンで買いますね。
早く読みたいです。
その位気に入りました。

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December 13, 2005

酒と家庭は読書の敵だ。 目黒孝二

「本だけ読んで暮したい」そう言ってそんな人生を実現してしまった目黒さん。
まぁ椎名一派のお気楽エッセイなら悪くないと思って読み出して
ああ、書評家というのは大したモノなのだなぁ、と思いました。

私は新聞や雑誌などに書評が載っているとすかさず読みますが、あまり感心する書評にはお目にかかりません。
でもこの本を読むと、あれは枠に従ってチマチマ書かざる得ない結果なのが分かります。

以下この本の章別感想です。
第1章、活字の楽しみ
目黒さんは、「本は見ているだけで良い」、と言われるとこれは私とは違うなぁと思います。
私の場合、本は読んでこそナンボです。

読むスピードは記憶力、という記述にはなるほどと思います。
目黒さんは速くないと言っていますが、私も本を読むスピードは遅い。
妻は私の倍は速いですね。妹も速い。女性の方が速い気がします。
でもこれはしょうがない。要は読んでいる間が楽しければ良いので、遅くてもいいでしょう。

2章気になる本たち
自分の記憶の中に埋もれた幻の書の経緯。時代小説と年齢のくだりなどは納得です。

3章小説雑誌を読む
私は小説は読むのですが、読んでも半端は気がして小説雑誌はおよそ買ったことがありません。
そんな中、この章はこの本の白眉です。
「時代小説の枠組み」、からは時代小説であることの必然性を説き起こしたり、

「失踪の風景」では、失踪が日常に裂け目を作りその奥のもうひとつの現実を暴くなんて処もナルホド、です。
それを「マルタの鷹」から「ゴーギャンの伝記」まで引いて論じます。
「血の絆」では最果ての島、フエゴ島の描写(けっこう行ってみたくなります)から明治11年の日本での子供の風景(イギリス人に、私はこれほど自分の子供を可愛がる人々を見たことがない、と書かせる日本は子供の天国でした@日本奥地紀行
子供は親孝行する必要はない。5才までに一生分の孝行をしているから@これは名言ですね)

またフィクションを論じる基本として、
1)特異な設定に寄りかかるな、話しを作り過ぎるな。
2)1枚の絵に向かって突き進む物語には安定はあっても発見がない
3)プロットのダイナミズムを優先しようとしながら物語ることからこぼれ落ちる感情に目をむけて、完成度のわりにギクシャクする、などという論評には唸ります。
また山本文緒について、どんなにあがいても変わることのないやり切れない日常の中で、それでも生きて行かなければならない意思をくっきり描き出す、なんて書かれると読みたくなりますね。

4章の競馬本の書評は、馬券を1度も買ったことがない私にはわかりませんでした。
この辺、麻雀を知らない私を夢中にさせた阿佐田哲也には及ばないかな。

5章、貸し本屋に通っていた日々
目黒さんのお父さんも本好きで、酒も煙草もやらず読書一筋だった、と書いてあります。
麻雀に競馬に酒がくる目黒さんより真面目なお父さんのようですね。
なんか他人とは思えません。
お父さんも何か書いて残しておいてくれたらちょっと読みたいですね。

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December 10, 2005

このミステリーがすごい!2006年版

今年も出ました!88年から17年も続いている私の歳末のお楽しみ。
12月はこの本から始まり、紹介されている本を買って読みながら年を越すのです。

まずは表紙のイラストの裏表ネタだけど、今年はイマイチだ。
これ91年までは文字だけで、95年にいしいひさいちが表紙と最終ページを担当して、だんだん今のカタチになったんだよね。
個人的には98年の佐々木倫子さんの「がんばれ警察犬!!」が一番好き。

国内編では「容疑者Xの献身@東野圭吾」さんがブッチギリの1位。
ショボクレた天才数学者が秘めた思いを寄せる女性の為に完全犯罪をもくろむという本格派。
東野圭吾は、すでに「信頼されるブランド」ですからこれは買いますね。
後は原寮さんが9年ぶりの新作。
いわゆるチャンドラー路線の人なので好みではないのだけれど、地道に自分のなっとく出来る作品を書き続ける姿勢が好きです。文庫になったら買うかな。文庫のヤツを何か買おう。
でも「そして夜が甦る」は88年の創刊号での紹介だったのだ。
継続は力、ですね。

14位の「ニッポン硬貨の謎@北村薫」も良さ気。
なんとバカミス大賞に選ばれても、本人が読み方をロングコメントしている(笑
クィーンへのオマージュに満ちた作品だけに、最短コースでも「シャム双生児の謎」「十日間の不思議」「九尾の猫」を読んでから読んでなんて言っている。
これがマニアックコースとなると「クィーンの色紙」から鮎川哲也の3冊も含まれる。
「ニッポン硬貨」を読むまで8冊(「りら荘」のみ既読だから7冊)読まなければならない。

1冊をよりよく読む為に、その前の8冊を粛々と読む。
はぁー、イイですよよね、そういう生活。
クィーンは今「フランス白粉の謎」を途中挫折しているけどこれも買おう。

後は穴狙いって感じで「神様ゲーム」
著者の麻耶雄嵩ってのがクセ者・・・スゴク面白いかコケてるかのどっちかだな。
もう一つは伊坂幸太郎の「死神の精度」。
ちょっとトリッキーな作風に見えて敬遠していたんだけど、いまさらですがここは評価の定まった「オーディポンの祈り」から読んでみます。

それから横山秀夫は、「動機」にぶっ飛んで以来ファンなんだけど、
映画化TV化されたヤツがことごとく詰まらなかったので逆に遠ざかっている人。
今回は見送りですね。
今日は国内編のみの記事でした。

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November 27, 2005

清貧の思想:2 中野孝次

清貧への実践に向け、その達人だった良寛の暮らしを、彼自身の詩歌から覗いてみましょう。

生涯 身を立つるにものうく
騰々 天真に任す
嚢中 三升の米
炉辺 一束の薪
誰か問わん 迷悟の後
何ぞ知らん 名利の塵
夜雨 草庵の裡
そう脚 等閑に伸ばす by良寛(宝暦八―天保二/1758-1831)

「立身出世など考えず、なるがままに生きたから、お米が三升と一束の薪しかない。迷いや悟りなどわかりません、ましてや名声利得など塵のようなものだと思ってます。それで私は夜の雨の降る草庵で両足を伸ばして満ち足りている」という詩です。
実際、良寛は老杉の下に一間きりの粗末な住居で夜着もないような暮しをしていたようです。

・・・低く暮すといっても、さすがにこの真似は出来ませんよね。
エアコンだの床暖房だのってはるか以前に、電気、水道、ガスからないんですよ。
PCもスポーツ観戦も映画もちょっとした美味しい食事もすべてなし。

ただ飢餓すれすれの窮乏が常態であるが故に、物のあることに無上の感謝を込められる、と言います。
でもこのような暮らしを選び取り、心から楽しむには、「精神の超人」でないと無理です。
となると、やっぱりセコセコと働き続けるしかないのか?

今回は、凡人であることを自覚しつつ、せめて清涼なる良寛の詩を楽しみましょう。

静夜 草庵の裏
独り奏す 没絃琴
調べは風雲に入りて絶え
声は流れに和して深し
洋々 渓谷に充ち
颯颯 山林を度る
耳ろう漢に非ざるよりは
誰か聞かん希声の音

外側の暮らしは乞食坊主でも、内側の精神は透徹した神仙の境地に遊んでいたわけです。
ちょとしたことでアクセクするのを控えて、高雅なることを心がける位はやってみようと思います。

次回は「方丈記@鴨長明1155-」について。

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November 20, 2005

清貧の思想:1 中野孝次

バブルが崩壊し、経済的廃虚に佇む日本人の前に突如出版され、大ブームを巻き起こしたこの本は、
バブルの敗戦処理は終わり、2極化の進展とストック・インフレの前兆もささやかれる13年後(92年9月出版)の今、どう読めるのでしょうか?
ふりかえり学ぶ処はあるでしょうか?
ちょっと読んでみましょう。

この本は「まえがき」にあるとおり、西行、兼行、池大雅、良寛という日本文化の巨匠達から、
現世の富貴、栄達の追求より、ワーズワースの「低く暮し、高く思う」の言葉のどおり、
簡素に暮して、心を風雅に遊ばせることが人の生き方として高尚である、というのがテーマです。


最初の章は、本阿弥光悦:茶人(永禄―寛永年間/1558-1637年)のエピソード。
この時代、茶器は大変珍重され、光悦も大変な思いをして貴重な茶器を手に入れますが、
「名物なればなるほど、やれ落とすな、なくすな、と心の平安を失わせる。
それに心を乱されるくらいならいっそ持たぬにしかりぬ」
と、結局、ありふれた雑器で茶そのものを楽しむ境地にいたります。

これは私にも憶えがあります。
20代の頃フェラーリに憧れ、上手く手にしたまでは良かったのですが、
そうなるとドライブを楽しむというよりフェラーリの無事が心配でならない。
悪戯されないか?盗まれないか?と気になり。
交差点で止まれば追突されないか?渋滞に嵌まればオーバーヒートして壊れないか?などなど、
実際は何事もなく付き合いを終えるのですが、いらぬストレスがあったのには辟易しました。
人の噂に上るのも、気分の良いものではなかった。

今のクルマはS2000ですが、そういう点では純粋にクルマの魅力とドライブを楽しんでいます。