哲学する芸術 パトスから表現へ 柴辻政彦&米澤有恒
本の中には、時に驚くほどの良書がまったく注目されずに埋もれていることはあるものです。
これはそんな1冊!
題名から想像するより遥かに平易に、美学と芸術、その裏側の哲学について語られ、その内容を堪能できます。
この手の本って難しいでしょ。
図書館なんかで気まぐれに挑戦しても、良くて2-3p。悪ければ2-3行で挫折している私がなんと最後まで読めましたよ。
特にⅠ「美学」の裏側の美学と、Ⅱ芸術はどこまで哲学できるか、の二章は、現代芸術の課題と着眼点を判りやすくしめしてくれて感動の至りです。
以下、印象的な部分の抜書きと私見です。
1)「芸術は神の表現である」「美は神性の顕れである」
これが古代ギリシャのプラトンから始まりヘーゲルが完成させた思想である。
その芸術と美が疎遠になったきっかけはM・デュシャンの登場だった。
2)古代において凡そ人の知的活動は「模倣」であった。
「創造」は神のもので、人間の分際ではない。哲学は探求の成果として「ヒストリア」しか認めない。しょせん「でっち上げ」が「ミュートス」には高い点は付けられない。
これが「歴史」と「神話」の区別になり「フィクション」と「ノンフィクション」になったが、しばしば我々は「フィクション」から歴史を学ぶのでなく山田風太郎の小説などから歴史を分ったような気になる。これがゴルギアスも認めた虚像の齎す効果である。
3)ゴルギアスは「悲劇@ギリシャ悲劇のこと」を一種の「詐術」「アパテー」だという。
そしてそれに欺かれた者こそが賢いという、正義感や賢者は詐術とは無縁で騙そうともしないが、騙されることもない。
しかし詩境に遊び、その世界を堪能するには、騙されるほうが賢いのだ。
アリストテレスは詩人の能力を「metaphor」の才、即ち一つの世界から架空の世界へ、虚実の間を漠々とされる才に、聴衆を「神話」の世界に連れて行く能力に見た。
また「悲劇」の作用を「カタルシス」の精神、浄化だといっている。
4)芸術なんて、のめり込んでみて初めて凄さも怖さも分ってくる。
真の芸術は尋常でなく、「鳥肌立つ」ものだ。怖いもの見たさの危険なものなのだ。
ギリシャ人は「狂気」を神の与えたもう物とした。
詩的霊感はよきダイモーンの取り付かれた状態のことである。
5)驚きは知の始まり。
作品に驚きがなく、凄さも美しさもなければ意味はない。
偉大さを大法螺吹きとしていては、何も残らない。
6)信頼とは説き伏せられたということである@(ギリシャ語では)
女神すら説き伏せるロゴスこそ偉大である。
私見
デュシャンは大いなる「神殺し」であったと思う。
しかし我々は古来から幾たびも「父」を殺し、「神」を殺し続けてきた。
しかしプロメテウスの所業から、エデンの逸話からも、人の宿命が神を殺すことなのは自明のこと。
しかし殺された神はその度に新生し、超越して、人に霊感を与えてきた。
デュシャンの殺した神は、マーク・ロスコやフランシス・ベーコンで新生したと思う。
でもその後を感じないのも確かだ。
すでに30年が過ぎた。
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