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October 13, 2006

プールサイド小景・静物 庄野潤三

一読して驚愕。
第三の新人といわれる庄野潤三さんの代表的な短編集からの1編ですが記事にします。

「舞踏」
舞踏という言葉は、意味は明瞭でも今時あまり使わない言葉です。
イメージするのはベルサイユ宮殿の舞踏会とか?鹿鳴館とか?
あまり関係ない世界の話しみたいですね。

そんな題名の小説はこう始まります。
「家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりつている守宮のようなものだ。
それは何時からと云うことなしに、そこにいる。その姿は不吉で油断がならない。
しかし、それはあたかも家屋の内部の調度品の一つであるかの如くにそこにいるので、つい人はその存在に馴れてします。それに誰だってイヤなものは見ないようとするものだ。」

なんとも陰気な出だしです。
時代は昭和25年(今と比べると生活全般が「暗い」です。)
話しは結婚5年目、三才の娘のある安い俸給をとる夫が、職場の19才の同僚と浮気。
まだ24才で少女の面影を残す妻(この頃は結婚が早かった)の苦しみが描かれます。

浮気をしている夫が堪え切れずに泣いてしまう妻に言うセリフとして、こんなことも書いてありますが、(以下の文章は略してます)
「人は誰だってめいめい不幸なんだ。みんな、その人の不幸を背負っているんだ。誰もが孤独で、そして自分の不幸に耐えながら生きているんだ。自分だけを見つめたらいけない。生なくっちゃ、いかんのだ。なんでもかんでも、生きいかなくっちゃいかんのだ。」
言うまでもなくこの小説は道徳論とか、人生訓のたぐいを訴える作品ではありません。

では何なのか?

苦しむ妻が、むずがる子供を抱いて、小さな声で歌いながら家の前を行きつ戻りつし、
寝かしつけた後は、深夜の路上で縄跳びをするシーンがあります。
罪悪感のある夫は部屋でその音を聞いています。
読んでいると鮮烈な映像がアタマの中に浮かびます。

そして後半。
未読の方の興を削ぐので書きませんが、私はこの展開と会話には驚きました。
なんで突然、こうなるのか?
自分の中で未だに消化、解釈できません。
残っているのは、容易に言葉に還元することを拒否する、ひたすらに鮮やかなイメージのみ。

だから文学なのだ、と思うのです。
小説だけが垣間見せることが出来る風景。
そんな処でしょうか。

この短編集では他に「プールサイド小景」と「静物」を記事にします。

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