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November 2005

November 30, 2005

寝違えた

土曜の朝、目が覚めたら首が痛い!
湿布を貼って3日たってもだまだ痛いので整形外科に行った。

お金がないことをよく「首が回らない」というけど、実際の自分の首が回らないのも大変だよ。
クルマに乗っても左右確認が困難で危ないことおびただしい。
これじゃ休みでも気晴らしのドライブすら出来ない。
酒は止めてるし、ウエイトは出来ないしまったくもうトホホである。

今年は夏に爪囲炎になって痛みが長引き、結局血液検査からMRIまで撮った。
血液検査の結果は、禁酒をしているせいか、中年にしては「異常なほどの正常値ばかり」でそれはイイにしても、
やっぱり酒のない生活ってのは、かなりツマラナイ。

酒も飲まなきゃ、ギャンブルもやらず、タバコもすわずに、女性とも遊ばず、これでドライブもしなくなって、まったく
こんなに真面目なオヤジになるとは、人生ってのは分からないもんだよ。
楽しみは、読書と映画ですって、これじゃおりこうさんの中学生みたいだ。
いやあの頃は、女の子とのドキドキがあったり、禁止されているボーリング場にいったり今よりワクワクしていた。

働いてばかりのこの人生。
今日もこれから書類仕事を夜までやります。

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November 29, 2005

地下室の手記 ドストエフスキー

近年、作家の売り出しにインフレ気味なのが、・・・のドストエフスキーという文句。
少し暗めの内面描写を掘り下げる作家には、すっかり決まり文句になりつつある。
ならば本家を読んでみましょうということで、この本です。

この作品は僅かな遺産を受け継いだ40才の元役人、今は引き篭もりの男が延々と過剰な自意識を吐き出し続ける独白を装った小説で、前文にも
「かかる人物がわれわれの間に現れた、現れざるえなかった」
なんて書いてあると、
太陽の下に新たなモノなし!今の日本の引き篭もりだって特に新奇なモノでなく、19世紀半ばにはすでに存在していたのだということですね。
だって地下室に篭って手記を書き続けるなんて、ネットオタクにある意味そっくりでしょ。

この小説の「ぼく」は、小心でいて見栄っ張り。
それゆえに過敏なプライドの持ち主であり言動が痛々しのだけど、それをドスが容赦なく書き抜くと、
いつの間にか他人事とは思えなくなり、だんだんコッチの心まで見透かされてる気分になる。
終いにはこんななに書かなくても良いのになぁ、と思う限界を超えてまだ書く処は、さすが天下の大名人作家なのか。

万物は流転する、といいますが、人の気持ちもそうなのではないでしょうか。
外に開いた意識なら、その流れは渦を巻き淀むことがあっても川のように何処かへは流れる。
ところが一人部屋に引き篭もる時、自意識は他に行き場を失いただ延々と回り続ける無限地獄に陥ることもあるのでは。

不気味なのは
「ぼくにとって、愛するとは、暴君のように振る舞い、精神的に優位を確保することの同義語だからだ。
ぼくは生涯、それ以外の愛情は思ってみることもできなかった」
という一節は、引き篭もりの男性が少女を誘拐し、監禁していた事件を思わせて、なんともやりきれない。
俺は女性の前で威張ってしまう自分はイヤで、好かれてなければむしろその前にはいたくない、と思う方なのでこの感覚はどうしてもわからない。
俺自身もかなりの休日ヒッキーなんだけど、これだけはイタダケないね。

世界文学の大巨匠として、また「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」など重厚な長編作家として知られ過ぎているが故にとっつき難い印象もありますが、
なんのS・キングや京極堂などを読みなれた身となった今では、ちょうど敷居の高さを誇った老舗有名店も今は昔の物語ようで、特にこの本など200pの短編と言っても良い作品です。
それでいてその味はさすがに150年の歴史を越えて燦然たる名声を誇る天才が書いた本物中の本物だけがもつ極上の味わいがあります。
案外読んどく1冊ではないでしょうか。

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November 28, 2005

シュレック2

「シュレック」は子供向けのアニメだと思ったわりには楽しめる映画でした。
しかしこれはその「2」です。
映画には、2は1に90%以上の確率で劣る、という法則があります。
ところがこれは1以上に面白い映画でした。

この映画は、キャラクターデザインと映像は、CGに莫大な予算を掛けて力業でやり抜き、
後は手慣れたアメリカン・コメディを被せる、という異種混成作品なのでした。
人が演じることが出来ないような突拍子のない展開や絵柄も、CGアニメなら無理なくウケルだろう、という思惑が見事に成功しています。

だから映画館に連れて来てもらった子供より、連れて行った大人の方が笑える作品なのではないでしょうか。
実際に「エイリアン」「ミッション・インポシッブル」「ファビュラス・ベイカー・ボーイズ:この音楽をバックにクライママックスのアクションになりますが見所です!」「フラッシュ・ダンス」「ゴースト・バスターズ」などなどを題材に連発するギャクは、あんまり小さいお子様たちは元ネタを知らないシーンも多いのでは。

ロデオドライブ風の道路に「ヴェルサーチェリー」があって、逃走する犯人を追う犯罪中継TVから、暗いバーの奥にある秘密の部屋など、すべてハリウッドの記憶の倉庫から引きだされたような風景を、一見何気なくしかしその実、非常に巧みに再現しているのはてたまらく楽しいです。

セリフも生きていて
長旅では「せめて機内上映くらいないと退屈だよ」(笑
「暗くなって雨が降ってきてフィオナのパパが殺し屋を差し向けただけさ」
ここは、しんみり路線の定番でしょう。
「喋る動物キャラはいらないの。俺と被るだろうが」
は、実際の映画製作でも俳優同士、良くあるんだろうなぁ、なんて思いました。

新キャラクターで出てくるマスク・オブ・ゾロ風の「長靴をはいた猫」が素晴らしい。
特にキメ・ポーズは絶品の可愛らしさ。
吹き替えのアントニオ・バンデラスって、2枚目ラテンの濃い系キャラでありながら、なんか間が抜けている処があるけど、この猫もハードボイルドぶってるクセに「・・なんとかだニャア」なんて言うかと思うと、バー・カウンターで「月曜は憂鬱だぜ」なんてつぶやきます。
シュレック、ドンキーに加えこの猫の登場で、映画はもう退屈とは無縁になります。

使われる音楽もイイです。特にD・ボウイの「チェンジズ」の使い処は良かったなぁ。
このセンスだけでも連発される小ネタが全部高水準なのがわかります。

それにしてもCGアニメの虚像たちは魅力的に良く動く。
散々笑ってからふと考えると、
コンピューターの創り出す虚像に魅了されるなんてホント、21世紀的なSFの世界ですよね。

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November 27, 2005

清貧の思想:2 中野孝次

清貧への実践に向け、その達人だった良寛の暮らしを、彼自身の詩歌から覗いてみましょう。

生涯 身を立つるにものうく
騰々 天真に任す
嚢中 三升の米
炉辺 一束の薪
誰か問わん 迷悟の後
何ぞ知らん 名利の塵
夜雨 草庵の裡
そう脚 等閑に伸ばす by良寛(宝暦八―天保二/1758-1831)

「立身出世など考えず、なるがままに生きたから、お米が三升と一束の薪しかない。迷いや悟りなどわかりません、ましてや名声利得など塵のようなものだと思ってます。それで私は夜の雨の降る草庵で両足を伸ばして満ち足りている」という詩です。
実際、良寛は老杉の下に一間きりの粗末な住居で夜着もないような暮しをしていたようです。

・・・低く暮すといっても、さすがにこの真似は出来ませんよね。
エアコンだの床暖房だのってはるか以前に、電気、水道、ガスからないんですよ。
PCもスポーツ観戦も映画もちょっとした美味しい食事もすべてなし。

ただ飢餓すれすれの窮乏が常態であるが故に、物のあることに無上の感謝を込められる、と言います。
でもこのような暮らしを選び取り、心から楽しむには、「精神の超人」でないと無理です。
となると、やっぱりセコセコと働き続けるしかないのか?

今回は、凡人であることを自覚しつつ、せめて清涼なる良寛の詩を楽しみましょう。

静夜 草庵の裏
独り奏す 没絃琴
調べは風雲に入りて絶え
声は流れに和して深し
洋々 渓谷に充ち
颯颯 山林を度る
耳ろう漢に非ざるよりは
誰か聞かん希声の音

外側の暮らしは乞食坊主でも、内側の精神は透徹した神仙の境地に遊んでいたわけです。
ちょとしたことでアクセクするのを控えて、高雅なることを心がける位はやってみようと思います。

次回は「方丈記@鴨長明1155-」について。

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November 26, 2005

仄暗い水の底から

怖いだけでなく、切なくママを慕う怨霊話しのこの映画、俺はかなり好きです。
ただこれは私に2人の娘がいることも大きいかな。
すっかり成長した今でも、娘達は妻に抱き着いて甘えることがある。
そういう風景をみていると、やっぱり子供にはママだよなぁ、と思う。
輪の中に入れなくても男親としてはそんな風景を見せてもらえればそれでエエのよ。

映画は、雨の中、幼稚園の他の子にママのお迎えがくるなか、一人ぽつねんと残される少女や、
母子2人で土砂降りの雨にそびえる暗鬱たるマンションへと歩くシーンなど印象的な画面が続きます。
中田節ともいえる画面の闇に「ナニカ」を感じる映像は、この映画でも健在です。

そしてひたすらママが欲しかった彼女が水に乗ってやってくる。
エレベーターでは一緒にいるのがモニターに写る。
そっと小さな手が握ってくるところは、愛と恐怖の不思議に満ちた名シーンです。

豪雨の中で見つめ合う黄色い合羽姿の美津子ちゃんと雨傘をさした青い制服の郁子ちゃん。
大雨の日に、誰もお迎えに来てくれないから、彼女は一人で歩きだしたんだ。
だからどこまでもどこまでも天井を染み通ってまでもやってくる。
扉の影からじっと見ている。
最後はもうママを放さない。
扉から出てくる手の転換場面も、中田監督絶妙でした。

「油断大敵」では、父親の儚い恋いを邪魔した菅野莉央ちゃんが、この映画ではけな気で可愛いんだ。
やっぱ子供は6才位が一番だよなぁ。
俺の夢は最後の孫が8才になるまで元気で遊べること。
もう望みはそれだけだっす。
子供に興味はなかったけど、自分に娘が出来たら可愛くなった。
でも13、4になるとツマラナイんだな。別に変態性欲じゃないですからね。
話しが外れた。

この映画の莉央ちゃんは、赤いバックを下げてスキップすれば可愛いし、真剣なった時の瞳には半端じゃない光りが宿る。
セリフには画面を乗り越えて此方側に至る尋常ではない力が伏在する。
それは熱演する黒木瞳まで煽る迫力で、その上、大水まで被るアクションもこなす大したプロ根性です。
「郁子はママだけでイイ」
・・・「私がママよ」
涙を堪える郁ちゃんとママ! ホラーで泣けるのは珍しい。

この映画の原作は、「仄暗い水の底から」という短編集に入っている「浮遊する水」という作品。
鈴木光司作で、母子の情愛に重点を移している映画より、怖さだけならコッチが上です。
俺は夜中に読み出してかなり楽しめました。(ホラーファンは、怖いほど嬉しいからね)

監督中田秀夫、主演黒木瞳、菅野莉央という日本映画界最強のスタッフが結集したこの作品は、
愛と恐怖の両方が詰まったお得な1品だと思います。

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November 25, 2005

ランダムウォーク&行動ファイナンス理論のすべて   田淵直也

良い本なので覚え書きを書きます。

はじめに
投資にたいする二つの代表的なアプローチは、
1)経験論的なモノ:環境の変化についていけない。
例:土地神話で失敗した人たちなど。
2)アカデミックな投資理論:実践には役に立たない

結論:
マーケットの本質は不確実性にあり、「こうすれば必ず儲かる」という方程式は存在しない。
確かなモノなど何もないという前提のなか、その不確実性にどう対処するか?
何か絶対的な理論があってそれを現実にあてはめていくのでなく、現実のマーケットの構造を理解(解明する)し、それに対処していくことこそが真の投資理論である。

さらにそれは「自分自身で考え納得したやり方でないと、いざという時に応用がきかない」

第1章:マーケットとは何か? 投資とは何か?
正解がない世界は、それゆえに知的探求の対象として魅力的であり、生まれ続ける新たな変化を探すことは、知的探求心を満足させえる。

マーケット構造を解明するアプローチは主に2つある
1)数学的(スタティック)アプローチ:経済指標などのデーターを与えると、
方程式の解のように正しい予測が導かれる。
複雑系やカオス理論などを使う「経済物理学」などの新流派があります。
2)相場は心理学という考えから「行動ファイナンス理論」がもう1派。
ただ問題は理論が大切ということではなく、あくまで現実をよりよく理解するツールと心得ること。

実践パフォーマンスの意味と問題点
コンピュターシュミレーションでも高い勝率が与えられた投資家が必ず勝てるという結果はない。
仮に買いのみ行なう投資家は、相場の上昇局面では高い収益を上げやすいが、リターンリバーサルにより、相場が下げ曲面になると収益性が悪くなる。
よって短期の実績で投資方法を評価しないこと。
相場の中期的なサイクルは3-5年で変わるのでそれ以上の期間でパフォーマンスを計ること。

期待リターン
正確に期待リターンを割り出すことは出来ないが、その見当をつける事は出来る。これが投資センス。
「投資とは、期待リターンの見当をつけ、それを理論的に推定していく作業のこと」
それを信念、投資哲学として高められるかどうかが成果を左右する。

次回はランダムウォーク理論が示唆する虚無的世界。

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November 24, 2005

モンスター

オスカーを獲ったシャーリーズ・セロンの怪演は映画史上に残るだろう。
「世界で最も美しい50人」に選ばれたセロンは、まったく別人に変身して「フランケンシュタインの怪物」のような孤独で愛に餓えた狂気の「モンスター」を映像の中に現出させました。
特に事故を起こした車を再始動させる瞬間の顔は、追い込まれた人の狂気そのものを見せつけます。
相手役のクリスティナ・リッチも評価すべき。
秀でた額と肉の薄い皮膚、異様なほど大きな眼が終始不安定に動きまわり、上目遣いで人を見る。
小柄で腺病質なのに巨乳なところが一筋縄ではいかない奇妙な魅力を発散します。
これは、歪んだ愛の話しなので、相手役に力がなければセロンの熱演も空回りしたかもしれません。

映画は、夢みがちな少女が大人になって、雨中の橋の下で泣き濡れている処いから始まります。
「あの日、自殺を考えていた。人は何かを信じているけど、私は、愛、だけを信じていた。でも男に愛想がつきた。ただ手元に5ドル残っていたから、これを使ったら死ぬつもりだった」

倉庫に住み、老人の食べ残しにかぶりつく生活。
そんな彼女が新しい希望にすがろうとして、発端に悪意はなかった。
「お願いだから私と1週間いて。2度と会えない2人だよ」

でもそれはしだい暴走をはじめ・・・
「愛と自分を信じれば夢は叶う」
アメリカ映画で多用される魔法の呪文は、重い現実の前で虚しく消え去ります。
人生はその重い現実と折り合うこと。
でも初めての優しい人だから、失いたくなかった。

「あんたは人生を知らない。あなたにとって人は善良で親切な存在でしょうけど、私には違う。
人は日々殺しあって生きている。虐げれても負けやしない」

追い込まれたモンスターは恋人をバスに乗せ、刑務所から電話で話します。
「罪を犯したのは私だけ」
最後に彼女はそっと首を振ることで現実と折り合いをつけます。
繋がった相手の背後に静かにカメラは移動します。
「永遠に忘れない。どうか許して」

現実に殺された人のいる事件であり、安易に同情はできませんが、それでも訴えるモノがありました。
それはこの映画に、心動かす力があったからですね。

ps
「たった一人で夜の街を歩く。なにがあっても切り抜ける。私はそうやって生きてきた」

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November 23, 2005

スカイラインGT-R伝説

風の中のスバル~、砂の中の銀河~
今日のプロジェクトXは、怪物ポルシェを破り第3回日本GPを制したプリンスR380のお話でした。
このR380につまれたS20型、ミクニ・ソレックス3連キャブの付き6気筒4バルブDOHCエンジンが市販車に積まれてスカイラインGT-R伝説が始まるのですう~

初代ハコスカGT-Rが発売されたのが69年2月、ケンメリGT-Rがオイルショックで生産中止に追い込まれるのが73年6月です。
俺がクルマに凝り出した78年頃にはすっかり伝説の存在でした。

クルマ好きの間では常にGT-Rは別格の存在だけど、それにはやっぱり理由がある。
輸入自由化を控え大手日産に吸収される弱小メーカープリンスが、自らの意地と日本のプライドを賭けて世界の強豪に挑み勝ったということだけでなく、
勝っていながら身売りされてしまった貴方は、なんて哀しい運命なの!というなんか忠臣蔵のようなこの辺から日本人の琴線に触れてくる。

それから地味なセダンに規格外のハイパワーエンジンを積んだ「羊の皮を被った狼」っていう成り立ちも、
華美じゃないけど頼りになる高倉健的シブさというか、民族的美意識にマッチしているんだろうね。
大藪春彦なんかも主人公をよくGT-Rに乗せていたりして、興奮しながら読んだもんです。

個人的には当時、付き合っていた女の子のお父さんがケンメリGTに乗っていたんだよね。
車庫にあるのをみてカッコイイクルマだ、と思ってました。
その上が彼女の部屋でさ・・・話しがそれました。

それからGT-Rは排ガス規制の時代を乗り越えR32スカイラインGT-Rとして16年ぶりに復活し、3代に渡り進化を続けるけど02年に再び生産中止。

そして07年にGT-Rは3度目の復活を遂げるようです。
写真でしか見てませんが、かなりイイと思います。

特に大きな課題であったろうと思うスタイル面を評価してます。(中身がイイのは解ってる)
生物感があってバイオニックなハイパーバトル・サイボーグって感じ。
日本人ってロボットとか機械をペットみたいに可愛がるでしょう。
俺は日本車の女性向け小型車って大好きなんです。
ひたすら可愛く愛玩動物風のデザインは物凄く日本的な美学だと思う。
万物に精霊の宿りを意識し、鉄腕アトムの原体験を持つ日本人は、デザインではこの方向で世界と勝負して欲しいです。

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November 22, 2005

内なる殺人者 ジム・トンプスン

近年、パルプ・ノワールのドストエフスキーと再評価が著しいジム・トンプスンの最高傑作ともいわれる作品です。
内容は、冷静に殺人が行なえるサイコパスでありながら、普段は銃も警棒も持たない田舎町の穏やかな保安官補をつとめるルー・フォードの内面が語られる小説です。

淡々とした一般人として暮しながら、不意に迷いなく残酷な殺人を行なうルーの内面の描写が読みどころなのでしょうが、最近は日本でもワイドショーなんかで相当怖い人の話しやりますからね。
しかもそれが一般の人と見分けがつき難くなってきている。
なんか現実がフィクションを越えているような気もします。

さらに歴史を少しさかのぼったり、今現在でも場所によっては人の命なんて軽い処はいくらでもある訳で・・・
こういうへ理屈まがいのことを読者が考えだすということは・・・私にはそれほど楽しめる小説ではありませんでした。

トンプスンは生前、現役時代はずっと安物雑誌に小説を書き飛ばす三文作家だったのですが、
この作品は今読んでもそんな感じで、周囲の評価ほどではないな、と思いました。

ただこの作家のこの作品は、S・キングとS・キューブリックが絶賛してるんですよね。
私にとって映画と小説での最高峰の2人が褒めているのですが、個人的な感想としてはツマランものはツマランとしか言えない。
まぁ、私の感性では届かない処に良さがあるのでしょう。
輝きはラスト数ページであかされる某お医者さんのエピソードでした。これは怖かった。

これからミステリーを読込もうしている人で、未読の方なら1作は読んでおいても良いかもです。
もしかしたら気に入るかもしれませんし、好みでなくてもミステリーを語るには抑えておく作家ではあります。

でも個人的には、これより「ポップ1280」か「死ぬほどいい女」の方が、より狂った感じでオススメです。
ちなみにサム・ペキンパーの映画「ゲッタウェイ」の原作者でもあります。

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November 21, 2005

「クラシコ」 R・マドリッドvsバルセロナ

100年の長きにわたるリーガ強豪同士、伝統の一戦。
今回はレアルのホーム、サンチャゴ・ベルナベウです。
R・マドリー、一時はスーパースターを集めて銀河系軍団なんていわれたけど、連携が悪く、華麗な攻撃陣に比べて守備が弱く、主要タイトルを軒並み取り逃がしてすっかりギャラクシーの輝きは地味になった印象です。
今年はまた100億円の投資で輝きは戻るのか?

でもこの試合、連携は良くなっていても、なんか売り物の個人技でバルサに劣った印象でした。
ジダンとロナウドはコンデションが悪く、
レアルで光っていたのは、中央で攻守に奮闘していたベッカムと俊足のロビーニョくらい。
ロビーニョは確かに速くてとんでもなく巧いけど
物理量は、=スピード×重量(←ここが軽い)
なので、全盛期のロナウドと比べると、どうも凄味はない感じ・・・比べる相手が悪いですか。


一方バルセロナの注目は、若きアルゼンチンの天才、メッシ。
1点目は、メッシの風のようなドリブルから決まりました。
それから驚いたのはオフサイドだったけど、パスを受けてからのシュートへの速さ。
DF3人に囲まれていてもちゃんとゴールに入っているんだよ。
こいつはスゴイ野郎みたいです。


後半、ハーフラインでパスを受けたロナウジーニョが、左サイドから跳ぶようなドリブルを開始。
DF3人を次々にかわしてゴールした2点目は、目を奪うばかりのファンタジーで、イイモノ見せていただきましたと、かしわ手を打って拝みたくなりました。

3点目も独走で、決まるとレアル・ファンで埋まったスタジアムは凍ったように静まりかえり、
それからだんだん解凍された観客が立ちあがってきて引き攣った拍手がまき起る・・・
そこにはとてつもなく大きな怒りが内包されていて、カシージャスを始めとするレアルの選手が受けている氷山のような圧力がカタチをとって現出したようで、相当怖い風景でした。

それにしてもロナジは、囲まれてもう絶対ダメ、ってとこからでもイイパスが出るんだよ。
大した体格でもないのになんでだろ。
結局、ボールの扱いが超絶的に巧いから、接触するプレーが最小限ってことなのかしら。
フェイントは3次元に浮かせて来るし、コイツはもう人類越え確定です。

ps
同時開催のアンダルシア・ダービーでの街頭インタビューで、ベティス・ファンが
「我々は慎み深いんだ。どこかの威張ってるクラブとは違う。謙虚なんだよ。
ようするに我々の方が偉大だってことだね」
この思い切り自省のないオジサンがおもしろかったです。

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November 20, 2005

清貧の思想:1 中野孝次

バブルが崩壊し、経済的廃虚に佇む日本人の前に突如出版され、大ブームを巻き起こしたこの本は、
バブルの敗戦処理は終わり、2極化の進展とストック・インフレの前兆もささやかれる13年後(92年9月出版)の今、どう読めるのでしょうか?
ふりかえり学ぶ処はあるでしょうか?
ちょっと読んでみましょう。

この本は「まえがき」にあるとおり、西行、兼行、池大雅、良寛という日本文化の巨匠達から、
現世の富貴、栄達の追求より、ワーズワースの「低く暮し、高く思う」の言葉のどおり、
簡素に暮して、心を風雅に遊ばせることが人の生き方として高尚である、というのがテーマです。


最初の章は、本阿弥光悦:茶人(永禄―寛永年間/1558-1637年)のエピソード。
この時代、茶器は大変珍重され、光悦も大変な思いをして貴重な茶器を手に入れますが、
「名物なればなるほど、やれ落とすな、なくすな、と心の平安を失わせる。
それに心を乱されるくらいならいっそ持たぬにしかりぬ」
と、結局、ありふれた雑器で茶そのものを楽しむ境地にいたります。

これは私にも憶えがあります。
20代の頃フェラーリに憧れ、上手く手にしたまでは良かったのですが、
そうなるとドライブを楽しむというよりフェラーリの無事が心配でならない。
悪戯されないか?盗まれないか?と気になり。
交差点で止まれば追突されないか?渋滞に嵌まればオーバーヒートして壊れないか?などなど、
実際は何事もなく付き合いを終えるのですが、いらぬストレスがあったのには辟易しました。
人の噂に上るのも、気分の良いものではなかった。

今のクルマはS2000ですが、そういう点では純粋にクルマの魅力とドライブを楽しんでいます。
エンジンに魅力があり、日常に使用してストレスがない。

再びフェラーリが買えるか?となると幸運にも金銭的には無理なく買えます。
でも購入に踏み切れないのは、やはり買ってしまったら、フェラーリを楽しむ、というより無事に乗る事そのものに気疲れしてしまうのが経験上予想できるからです。

またスポーツ・カーのスポーツたる所以は、まさにスポーツするがごときにそのクルマの全能力を使いきってやる、というのが大切な要素ですが、その点でもS2000は、もうこの辺が社会的限界では、と思います。
フェラーリ(360や430のスパイダー)はSの1、5倍から2倍の性能になります。
これでは社会的(免許など)にも物理的(事故の危険)にも限界を超えているのでは?という懸念もあります。

しかしこれで一生、Sで良い、とまでは達観できないのも確かです。
先々もっと良いクルマが欲しい、と思う気持ちは確かにあるので悩ましい。

この本を読み続けると、そんな過剰な煩悩への解答もあるのでしょうか?

次回は良寛に見る、「清貧の限界」に思うことを書いてみます。

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November 19, 2005

「メディア」蜷川幸雄×大竹しのぶ、@シアター・コクーン

ギリシャ悲劇として名高い「メディア」に蜷川幸雄と大竹しのぶが挑みました。

私が始めて「メディア」を知ったのは、ドラクロワの描いた「怒り狂うメディア:1862年」という絵画。
洞窟の入り口を睨む豊満な美女が2人の幼児を抱えつつ、片手には短剣を握り締めるという構図に、
てっきりこれは襲い来る敵から子供を守ろうとする母の絵だと思っていたのが、
なんと自分の子供を殺さんとする構図だったと知った時は驚きました。

その経緯は、王権を奪還する為に、英雄イアソンはコルキスにある黄金の羊毛皮を持ち帰ることになり、
アルゴー船を作り、それにヘラクレス、竪琴のオルフェウス、千里眼のリュンケウス、医神アスクレピオスを引き連れ長く果敢な旅に出ます。
ところが目的地についても黄金羊毛皮は、火を吐く雄牛や不眠の竜が守り、
獲り返した後は、コルキスの軍勢に追われたりします。

その危機を救うのがコルキスの王女、メディア。
メディアはイアソンに恋をして、父王を裏切り、雄牛の炎に耐える薬液を作り、守りの竜を眠らせ、追っての軍勢を率いてきた弟を謀殺し、イオルコスに帰った後も王位を譲らぬ叔父を得意の薬草術と姦計で葬ります。

こうしてメディアは恋するイアソンを王位に就け、子供も2人授かりますが、
ここでイアソンがメディアを棄て他国の王女と結婚を考えて悲劇となります。

激怒したメディアは、婚約相手の王女に薄絹の衣と黄金の冠を送ります。
ただし裏側には猛毒が塗ってあり、それを纏った王女と助けようとした王は惨死。
そして最後には、ただイアソンを苦しめるというだけの為に自らの子も殺します。

「死ぬのを覚悟で剣を取り、この手で奴等を殺してやる。私の心を傷つけたのはきっと後悔することになる。
さあメディアよ。持てる限りの知恵を絞れ。考えるのだ。勇気を絞りだせ。悔しさ辛さを思いだせ。
たかがイアソンごときに馬鹿にされる、そんなオマエではないはずだ。
太陽の神ヘリオスの光り輝く日輪の、神の知恵を受け継ぐ子孫ではないか!」

万化する表情と長セリフを自在に駆使する大竹しのぶは、ブレーキの壊れた巨大な暴走トラックのように観る者を蹴散らし、蜷川の演出は数千年の時を経てなお生臭い血を照からせるエウリピデスの原作を蘇らせます。

それにしても拍手の鳴り止まぬカーテン・コールでは一転、狂女メディアの憑依を脱ぎ捨て、軽やかに階段を駆け下り童女のように微笑む大竹しのぶは真の魔女だ。
いや、ここで涙が止まらなくなるのは、裏切りがなければ有り得たかもしれぬ幸福なメディアの幻想を私が垣間見るからかもしれない。

ps
映画ではパゾリーニがマリア・カラス主演で撮っています。こっちも観たいですね。

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November 18, 2005

夢で会いましょう 村上春樹/糸井重里

これもお風呂本。
入浴しながら読み切りました。
もちろん何日も掛けてですよ。

この本は村上春樹さんと糸井重里さんが交互に書いたショート・ショートまとめたモノです。
正直、糸井さんの作品は途中から読まなくなり村上春樹の方だけ読了です。

傑作は村上さんの「K」という1品。
「K」はカフカの「K」で、あの「変身」を題材にしています。
目覚めると自分が巨大な毒虫になっていて、心は同じでも愛する家族にその形態だけで忌み嫌われ、ついには殺され、死んだ自分にホッとした家族は仲良くハイキングに行くという暗黒の恐怖に満ちた小説も、
村上春樹のスーパーフラットな感性でリライトされると、「変身」も純白の光に輝き、現実の悲惨は脱色され、生きる重荷から浮かび漂うような、不思議な感覚に満ちた作品になります。
たった3Pの小品なんだけどね。
一瞬、風呂の中にいることを忘れ、その世界に跳べます。
それは本読みの幸福ですよね。

麻薬をやると、トリップするといいますが、優れた小説にはそんな力があると思います
しかしこの作品で交わされる会話のなんと巧みなことか。
洒落ていながらユーモラスで、読者は笑いながら、村上春樹の創り出した真っ白な虚像に溶けていくような感覚にとらわれます。

他に良かったのは「アスパラガス」、「ドーナッツその2」かな。
「ハイヒール」「モーツァルト」に続けて登場する象もチャーミングでした。

買うほどではないにしろ、図書館か立ち読みでいいから、この本を見つけたら「K」だけは読んで欲しいな。
そんな本でした。

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November 17, 2005

日本vsアンゴラ:Wカップ前哨戦

アフリカ枠からWカップ出場が決定しているアンゴラとの試合。
前半、日本は鋭いパス交換からボールを支配し終始アンゴラのゴール前で試合を進めるが、シュートを打っても打ってもポストに阻まれて得点に結びつかない。

こういう展開は得てしてワンチャンスをモノにされ負けるコトになりがちだが、俺はイラだつより呆れるより驚くばかりだ。
これでは日本が格上のチームようではないか。
だって相手は世界が怖れる脅威の身体能力のアフリカ勢で、Wカップ出場チームですよ。
当然日本は格下で、やっとこ相手の攻撃をしのいで、
後は運頼みってのがサッカー下手な日本人のあるべき姿でしょ。
それがなんで圧倒してるの?
前半は0-0でも、ボクシングの判定なら116-112の4ポイント差で日本です。

後半、アンゴラが攻め出すとむしろなんか安心してしまう自虐的な負け犬根性の俺。
こんなに強くなる日本に思考がついて行かないんだもん。

終了間際、中村の大きなサイドチェンジを柳沢がヘッドで折り返し松井が決めて勝つ。
なんか予定調和的にアフリカ代表に勝つ日本。
これじゃ横綱相撲じゃないか。

ドイツへの期待が本気モードになってしまう自分が怖い。
どうせダメだろうと思った相手と恋に落ちるような気持ちだ(笑


ps
「グローバルフットボーラー」(←大変な病気を乗り越え、ドイツで挑戦を続けてるのはわかるんだけど)なんて言われている、ターク選手はカンベンして欲しいです。
出てきて点を取ったら謝りますけど、やっぱ久保への思いが捨て切れない。
来年の6月、後は久保の復活だけを待っています。
それで負けたら諦めます。

トラックに乗ってドイツへ来てくれ久保竜彦!
待ってるぞ。
「久保竜彦は僕たちの夢」なんだから。
そして勝ったら「・・よかったです」って言って欲しい。

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November 16, 2005

紀宮様、黒田さん御一家の結婚式

場所が帝国ホテルである。
中継録画を見ていると、正面玄関からロビーのようす、会場から廊下まで、ああ、あそこだ、と憶えがあり、そんな場所に天皇御一家がいらっしゃるというのが何か不思議で、また挙式の形式も一般的である為、何よりの親しみを感じました。

お着物とドレスは仕立て直し、招待客は120人。お色直しはなし。お料理はフレンチが3品、というシンプルな構成で行われた宴は、華美を避け最小の表現を最上とする、日本の美的伝統だと思います。

料理などもともと日本人の胃袋には、「この位がちょうど良いのでは」、と教えられた気分です。
希にこの手のレストランに行くと、ついつい見栄がじゃまして品数の少ないコースを避けていた自分が馬鹿だったことに気づかされました。

音楽はパッヘルベルのカノン。
雅楽ではなかったのが意外ですが、融通無碍に外国文化を取り入れるのも日本的伝統。
単にムードで使われているのでは?という疑念があったバロックの傑作も、これで結婚式の定番としてお墨付きを頂いたわけです。


それにしても紀宮様のお言葉、立ち居振舞いは見事に日本的に美しく、
ただひたすらに張り詰めたご様子が、三島が終生追い求め懸念し続けた、
「美につきまとう儚さ」を壊さぬように体現し続けるようで、もう少し気を抜かれてもよろしいのでは、と感じます。
これからは、そうあって欲しいです。

面白かったエピソードは、荒俣宏が国会図書館で、ある図版を閲覧していた処、
お茶を入れてくれる方がいて、それが紀宮様だったという話しをしていたこと。
俺も国会図書館はたまに行くのだけど、読んでいる分野が違ったのだぁなぁ(笑
もっと高尚な分野に入り浸っていれば、お見かけぐらいは出来たかもしれぬと思ったが、まぁ私はこんなものなのだろう。

そんないろいろな事を思わせてくれる挙式でした。
最後になりましたが、お2人の御多幸をお祈りいたします。

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November 15, 2005

ファインディング・ニモ

子供向けのCGアニメかと思ったら「本物の映画」でした。
社債の格下げが問題視されるGMなどのアメリカ製造業に比べると、映像産業は本気ですね。

話しの骨格はカクレクマノミという小魚、マーリンが人間に捕らわれペットにされてしまった子魚ニモを助ける物語。
問題は、
1)アニメにしても、この難しすぎる設定が巧くまとまるのか?
2)どうもキャラクター造形に魅力が乏しいディズニーアニメに魅力を与えられるのか?
です。

まず観客は想像を越える鮮やかな色彩と小さな動きにまでリアリティのある、3DCGで描かれる海中の美しさに驚かされます。

冒険の旅は、ドリーと出会うことによりバディ・ムーヴィー(相棒モノ)の形式をとりますが、アメリカ映画が最も得意なパターンが実はこのバディ・ムーヴィーです。
そして映画は熟練した格闘家のように、自分の得意領域に引き込むと、後はハリウッド映画、黄金のフィニッシュ・ホールドで決めていきます。
「勇気をもって試練と戦い、友情と知恵で困難を乗り越える!」
です。
こうなれば、もう誰もアメリカ様には敵いませんね。

秀逸だったのが、準主役のドリーの性格設定でした。
最初はこれでまともな話しになるのか?
とすら思える極端はキャラクターですが、
話しが進むにつれ真面目過ぎるマーリンとの対比が鮮やかで、トリックスターとしてストーリーを引っ張ります。

要所要所で会うサメや(イルカのくだりや、アメリカ人のとこなど笑わせる。交代で告白するとこは、やはりアメリカ人がよくやる集団カウンセリングの形式ですね)
優しい海亀達、ハードボイルドなエンゼル・フィッシュなど、ドラマが続く中で出会う人物造詣(魚造詣?)がみなよくて、各所での映像もアイデアが豊富でていねいに作りこまれています。
アカデミー賞受賞にも大ヒットにも充分値する作品でした。

ps
木梨憲武が、マーリン役で素晴らしい吹き替えをしています。
字幕バージョンよりオススメです。

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November 14, 2005

TRICK~死ぬ日を当てる女占い師

トリック新シリーズの2時間スペシャル。
仲間由紀恵と阿部寛が好演してます。
主演2人の天然のユーモアが良く出ていて、ともかく楽しいこのシリーズ。
なんとなく品が良いんだよね。
それで性格も良さそうな気がするんだ。会ったことないけど(笑
だから観ているのが楽しい。
多分やっている2人も楽しいんじゃないだろうか。

仲間由紀恵は綺麗だし、阿部さんは鍛えているのか体格も立派。
笑わせどこも、セリフ回しから撮り方まで手抜きなし。
立派なモノだと思います。
西村雅彦は、アタマだけじゃなくこういう脇役で光んだ。

シリーズごとに新キャラが出てくるカツラの刑事の相方が今回はアキバ系。
大して面白くないけど工夫してるよな。
個人的にはヤンキー系の人が好きでした。

今回、サブストーリーのトリックは、某有名推理小説ネタから、手がかりがトホホで終わるとこまで、
このシリーズの水準だったと思います。
大本のストーリーは、ちょっと・・・だったかな。
でも話しの間、笑わせてくれれば良いシリーズだし・・・

仲間の母親がやっている産み分け占いも、なるほどなぁ、と(笑
確率的期待値からまさに論理的な方法です。
こういう細かい工夫が出来を左右する力になります。

宇宙人ネタは良かったなぁ。
仲間由紀恵はこういうネタでノレルのが、今の女優さんだと思います。
阿部さんともども今の時代、ボケられるんのは、大きな武器だよね。
2枚目でも美人でも、ボケられなかったらこのシリーズもなかったと思うし。

おなじみの「貧乳ネタ」も、「ドン来い」ネタも好調で、DVDの失われた41分が観たくなる出来でした。
買わないけどさ。
レンタルならイイと思うよ。
俺はストーリー、忘れた頃に借ります。

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November 13, 2005

ゴマジョー@ココロの俳句とノバウサ娘の近況

秋の月
その夜だけの
宝物

最近、のそのそして妻に叱られることが多いゴマジョー
今日は学校で俳句を作ってきました。


一方、ノバウサ娘は挙動不審のまま、果てしないバカへの道を歩んでます。
先日、アイプチという目をパッチリさせる化粧品を、横着してラーメンを食べながら使った処、異様に目が釣り上がってしまい、これまた妻に怒られていました。

「もう使うな」、と取り上げたら素直に従ったとこまでは良いとしても
翌日、「アレ返して」と言う。
妻「だってもうやらないんでしょ」
うさ娘「やらない」
妻「じゃ、なんでいるの」
うさ娘「・・・」
・・・3歩先が読めないアタマの中身はどうなっているのか?
犬より馬鹿なんじゃあるまいか?
という疑惑が一家に広まっています。


以下、ゴマジョー@ココロの俳句です
新年の
始まり告げし
年賀状  

桜散る
なごりおしいと
ぼやいても


夏の夜
空一面の
花火かな  


虫の声
秋の夜長の
音楽祭

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November 12, 2005

鳥インフルエンザはヤバそうだ

今日の日経夕刊に鳥インフルエンザの記事が載っていた。
騒ぎが起きていても、なんとなく他人事、という気がしていましたが、読んでみると記事の内容はかなり怖い。
免疫系が暴走して致死率5割!だって。
「サイトカイン・ストーム」で肺機能不全なんて云われると、なんか通常治療じゃ無力という感じである。
このあいだ予防注射を受けたけど、ニュー・タイプ相手には効かないんだろうな。
タミフルもダメっぽい。
「若くて健康な人も命を落とすかも@研究者」なんて言われると、オッサンはどうすりゃイイんじゃ。

フィクションの中の話しだけど、
小松左京の「復活の日」からS・キングの「ザ・スタンド」まで、
人類滅亡の病気はみんな特殊インフルエンザだもんな。
単に死んでしまうというだけでなく、うつりまくり!ってのがポイントだ!


一方、米疾病対策センター(CDC)は1918年に大流行したスペインかぜ(インフルエンザ)のウイルスを、
遺伝子工学的に復元したそうな。
タイプが似てるからこれで研究するんだって。
アメリカが本気でヤバイと思っているんだから、これは気を付けるべし。

とりあえず普通に出来ることは、「水うがい」か。
イソジンのうがいより、水だけのうがいの方が予防効果は高いらしいよ。
みんな外から帰ったら、手洗いと水うがいをしようね。
後はマスク着用。
これはSARS用みたいな本格派じゃなくても、喉の乾燥を抑えるので少しは効果があるようです。
ガムや喉飴も、喉を湿らせるから人込みの中ではイイかもね。

ワクチンが出来るまでともかく予防だ、予防。
鳥フルじゃなくても、普通のフルでも大変なんだからさ。

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November 11, 2005

花あらし 阿刀田 高

阿刀田高のミステリー短編集です。
以下、各編の感想です。
「迷路」:サイコ・ホラーとして某傑作選にも入っていた作品です。
事故が狂気を生んだのか?元から素養があったのか?何より怖いのは・・・の愛だったりします。

「白い蟹」:深い暗愁がただようアナスタシア伝説からみの1品。北のロシアの幻想です。

「選抜テスト」:とことん意地悪でブラックな作品。後味は・・・俺の好みではないなぁ。

「暗い金魚鉢」:もう確かめようもない「過去」・・・重すぎた現実は母親を変えたのでしょうか?

「予言の研究」:オイディプス王の逸話を紹介しつつ、秘密の謎が明かされて・・・

「第二の性」:この人には珍しくも舞台は中世のヴェネチア。それであの著作への皮肉なの?

「すきま風」:阿刀田さんの得意分野ですから読者ならラストは見える作品。
でも慄然としてしまうのは筆力ですね。

「明日の新聞」:明日の新聞を見られれば、競馬に勝てる!
でも確かに明日の新聞を見ることで生活をしている人もいるのです。それは・・

「杳として」:私が1番気に入った作品。短編集ではこのレベルが1作あればOK。
江戸期、一人の囲碁好きな若者が森のなかで仙人の碁を見てしまいます。そして・・
「囲碁は遊びではない。19掛ける19,361の交点は1年を表わし、黒白の石は陰陽学だ。
天元を中心にして、宇宙を見ている。吉凶を占い、究めれば、この世の理が見えてくる」
彼等は永遠を見たのでしょうか?

「大心力」:真剣に読んでいき背負い投げをくらいました。まいった、まいった。

「鰐皮とサングラス」:登場人物のキャラクターがほのぼのとして微笑ましいです。

「花あらし」:哀しくも感動的なラストエピソード。
こういう男性とあったなら、・・・私なら・・・彼女と同じ思いをするでしょうね。

良い作品集だと思いました。

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November 10, 2005

イージー・ライダー

監督主演のデニス・ホッパーがいわゆる映画製作の文法をまったく無視して作り上げた歴史的作品は35年後の今どう見ることができるのか?
この映画は初見でした。
いかにもニューシネマという出だしから、
2人がハーレーに跨り走りだすと、かの有名なステッペンウルフの「ワイルドでいこう」が被る!
ロックが最も生き生きと使用された映画史上に輝く名シーンです。

それからは広大なアメリカ大陸を延々と旅するシーンがつづくのですが、
バックに流れるロックとマッチしてはいても、
すでに2人の「自由を求める旅」、という概念自体が古びているのであまり感慨も盛り上がらないのは残念です。

こういう幻想は、ウッドストックで頂点に達すると同時に消えてしまいましたからね。
当時は斬新だった撮影手法も、見慣れてしまった今では、むしろ拙さが目に付きます。
当時すでにほころび始めていたヒッピーコミューンのエピソードは、結局2人の旅が行き止まりであることを暗示していたのでしょうか。

映画は中盤、若きジャック・ニコルソンが出てきてから息を吹き返します。

3人で立ち寄る南部のレストランでの農夫と保安官がじつに怖い。
女性達が騒ぎ出すのに煽られるように、憎悪を高ぶらせる清潔な白いシャツとネクタイ姿の髪を整えた真っ当な社会人であるはずの彼等。
演出にも音楽にもカメラワークにもまったく恐怖を感じさせる要素はなく、ただ淡々とスクエアな白人がさほど声を荒げることもなく、暴力的な行動もないのにひたすら怖い!
「アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ」

異物はつねに恐怖ですが、しかし異物排除を徹底することは、もっとも恐ろしいことなんです。
「君らが象徴するものが、怖いんだよ」
「怖がらせたら?」
「非常に危険だ」

ホラー映画には、巨大トレーラーが追い掛けてきたり、ドライブインから奥さんが消えてしまったり、住人全員が殺人集団だったりする「アメリカの田舎ホラー」というジャンルがあるのですが、その原型を感じました。


ラスト、撃たれたピーター・フォンダは炎上するバイクだけを残して、画面から消え去りますが、
この解釈はその直前の謝肉祭で、「彼は3日後に蘇り、神の右側に座る・・」というセリフが繰り返され、
またマリア像に抱かれるピーターは、ピエタ像(磔刑後のイエスを抱くマリア)そのものです。
カメラが空中高く舞い上がるところからも、これはピーターにイエスを仮託した、ということですよね。

ps
「髪を切れ」これがムショ入りの理由になり殺される原因になります。
当時いかに長髪が嫌われたか驚くべきですが、私もかなりの長髪でした。
今は坊主に近い短髪です。
世の中変わるものですね。

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November 09, 2005

どうもありがとう

こんなブログにも来て下さった方が、ゴマン(5万)といるとはホントウに感謝です。
ゴーマン、にならず今後も謙虚な記事を心がけますが、
書く以上、お気に触ることもあると思うので先に謝っておきます。
ゴマン、ナサイ。

今後、もしゴマン(五万)と来ていただけるとすると、10万ヒットにもなるかもしれませんが、
それまでブログがつづいているかどうか解らないので今のうちにその時の記事を書いておきますね。

10万になったら、
これでジュウマン(←ジュウブン)でございます。

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November 08, 2005

伝説復活! クィーン+ポール・ロジャース LIVE IN ENGLAND

亡くなったフレディ・マーキュリーに変わって、ヴォーカルにポール・ロジャースが加わってのライブです。
うーーーーん、「フリー」時代は結構好きだったP・ロジャース。
ヴォーカリストとしての実力は充分解っているけど、声質が違い過ぎるような・・・
でも会場は大盛り上がり。
やっぱみんな待っていたのねぇ、という感じでした。
他のメンバーではブライアン・メイはあまり変わらない感じだったけど、美少年だったロジャー・テイラーは老けちゃっていました。

コンサートはフリー時代のヒット曲もやってこれはお得かと思ったけど、
終わった後、かつてのフィルムが上映されるともうダメ!

サスペンダー付きのピチピチパンツでフレディが歌いだすと妖しさが違い過ぎる!
まぁ、フレディが怪しすぎるんだけどさ。
声の艶が違うんだよねぇ。
みんな分かってんだろうけどさ。
それをいっちゃあオシマイなのか?

今やWカップの優勝セレモニーでまでかかる曲、「We Are The Champions」
出世したもんです。
かつてクィーンを最初に認めたのは、日本のロック・ファンでした。
初来日で熱狂の歓迎を受けて心底驚いた顔をしていた4人。
なんで英、米で「戦慄の女王」がウケなかった今でも謎だ。
俺はそのスピード感に1発でイッテしまいました。

音の塊が左右にビュンビュン飛んで、サッカーならデル・ピエロのフェイントかシェフチェンコのドリブルみたい?
左右に切り替えしながら上り詰めて、クライマックスはメロディアスにハモる。
やってることがメチャクチャ新鮮でビックリしたよ。

王者レッド・ゼップがフェラーリの12気筒ならクィーンはレーシーな73カレラだ。
絶対スピードでは及ばなくてっも切れ味は上。
「キラー・クィーン」で毛皮のハーフコートを纏って身をくねらすフレディにはもう言葉がない。
専用の短いマイクスタンドを天に向けてシャウトするフレディ!
出っ歯も素敵。
生きてればなぁ。

サウナで御一緒したくはないけれど、クィーンはやっぱフレディだ。

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November 07, 2005

電車男:舞台版

本になり、映画になり、TVドラマにまでなった「電車男」はとうとう舞台にまでかかって、
05年8月15日、新宿パークタワーホールで行われました。

演劇はライブで見るもんで、映像としてみるとどうも叫ぶ感じのセリフが不自然で違和感があるのですが、今回は舞台中央にモニターを据えつけ、ライブでも半分映像を見せる感覚だったのか、自然に入っていけました。

舞台は狂言回し役のイケメンを配して、ステージの両脇に押し入れみたいな棚を作って応援する毒男住人役を入れて掛け合わせる。

自虐的なネタとキャラには事欠かない毒男板住人ですから、エルメスの名前のとことか、「めし どこか たのむ」のやり取りは、知られている通りですがリズムが良くて、飛び回る発想に笑わせてもらいます。
オープン・ソースの強みだよね。
これどんなに才能がある作家でも、一人じゃ絶対出来ない世界だと思います。
それでフロー・チャートやアンケート、名言シリーズが出来たりする。
盛り上がるスレッドってこんな感じだよね(笑

共演の5人の毒男役が持ち出すネタも、白いギターなど一人一人良くて、ギャグも冴える。
幕間の銀座の映像も洒落ていました。
エルメス子(優香)が声だけで、最後まで顔を見せないのも優れた演出でした。
作は堤幸彦さん。
この人たまにトリッキー過ぎて一人よがりな感じになるのだけれど今回は大成功では。

主演の武田真治はオタ段階から熱演で、一転ファッションに目覚めてからがとてつもなく色っぽい。
ちょっと良すぎるんだけど、恋愛モノはこうじゃないとさ。

ラストのオメデトウAAが良いんだよねぇ。
いつも思うけどアレをもっとゆっくりと見せて欲しい。俺は大好きです。

後半は古き良き熱血路線で、ラストは出き過ぎの終幕ですが、私も心動かされました。

ps
ここから「ケロロ軍曹」を知って一度だけ録画して見てみました。
内容はトビ過ぎていて私の年ではついていけませんでしたが、
主題歌に感動し、よっぽどCD買おうかと思ったけど、買いませんでした。
でもあの歌声と歌詞の超現実感覚はスゴイよ。

ps
2ちゃんねる、ってこういう面も確かにあるよね。
すぐにヘタれる私もかつて名無しで悩みを書き込み、救われたことがあります(泣
あの時のあなた、どうもありがとう(涙

ps
モテナイ男の巣窟、毒男板!
10年若かったら、俺も間違いなく住人だったと思うよ。

「変わることは恐ろしい。でも変わらないことはもっと恐ろしい」
なるほどね。

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November 06, 2005

フェラーリ512TRを囲む絶対に守りたい風景

昨夜、久しぶりにRosso(フェラーリを始めとする超高級輸入車専門雑誌です)を買った。
土曜も働いていて、酒も呑まない生活では、こんな雑誌でも読んで憂さを晴らすしかしょうがない。

その中にMJブロンディ(←トホホフェラーリ・オーナーの教祖です)の
「日本フェラーリ行脚」という連載が載っていた。
副題が「跳ね馬(←フェラーリのことね)オーナー徒歩紀行」とあるとおり、
日本全国各都道府県別にファラーリオーナーを訪ね歩き取材した記事である。

今回は、千葉県長夫群睦沢町に住む
512TR(12気筒エンジンのフルサイズ・フェラーリ、但し94年式)のオーナーさん。
1300万のフルローンを組んで購入、6年で完済予定だそうである。
普通の会社員の方で、お子さんも5人いるが実家が農家で家のローンはなく、お米はタダで、野菜と魚は親戚(九十九里浜が近い)からもらえるそうである。
恵まれた環境といえるが、特別の大金持ではない。

写真には、田園地帯(というか田んぼの中の道)に深紅のフェラーリ512TR、その横にはピースサインをした娘さんに手を乗せてニコニコしたオーナーさんが。
なんだか幸せそうで、こういう記事は和む。

でもMJブロンディが言ってるように、我々のような一般人がフェラーリの購入を現実的に考え実行できる国は本当に希というか、はっきりいうと日本くらいである。
なんでそうなるか、というと強い円がイタリア(ユーロ)で製造されるフェラーリを相対的に安くしてくれるから。

このところ円が対ドルだけでなくユーロを始めほとんどの通貨で安くなっている。
2-3年前から買えるだけ買っておいた、ドル、ユーロ、豪ドル、カナダドル、英ポンド、NZドル、シンガポールドルの利益が、積みあがったスワップ金利と為替差益で膨らんでいるが、あんまり嬉しくない。
自分で円売りのポジションを組んでいながら、円が安くなるのは実に不気味で嫌な感じだ。

今回の円安は、日本の景気回復と金融取引の活発化で、ため込まれた膨大な資金が上がり始めた海外金利と円安の流れに乗る取引で加速した為で、決して日本経済のファンダメンタルズの悪化を織り込む動きではない。

でも下げ止まらない円レートを見ていると、いつかそんな日が来たらという連想が働き、悪夢の現実化を想像してしまう。
フェラーリなんかに興味ないから関係ないって?
イヤイヤめっきり寒くなった今日の暖を与えてくれているのも海外から円で買ったモノ。
日本にいる限り「円」と無エンじゃいられないのだ。

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November 05, 2005

3丁目の夕日:昭和33年という年

西岸良平さんのこの漫画。
コミックになってコンビニで売り出すようになってから買うようになると、なんと娘達が喜ぶ喜ぶ。
この作品の実力を再認識しました。
平成生まれの娘達がこれを郷愁マンガとして読む訳はないんであって、それでも面白がるというのは、
結局、これがユーモアと哀しみとほのぼのとした人情を描く質の高い物語ということだ。

ところでこのマンガ、舞台設定が私の生まれた昭和33年である。
私にもの心がついて走りまわるようになったのは、昭和も40年過ぎだから、すでにこのマンガほど生活に夕焼色はなく、テレビもクルマも普通にあって、逆に近所に遊べる川や空き地など自然はなくなりかけていた。
それでもこのマンガを読むと、僅かに気配だけでも記憶しているのか、たまらく郷愁をそそられる。

それは失われた理想境を懐かしむ感慨にも似て、
おふくろに「昭和33年頃って良い時代だったんだねぇ」
と言うと
「そうでもないわよ。あの時代はあの時代で大変なこといっぱいあったんだから」
と言う。
なるほど、おふくろにとっては親父と結婚したててで、家庭上も仕事上も発展途上でなにかと必死だったのかもしれない。
まぁ、考えてみれば時代の評価なんて個人個人、置かれた状況でまったく変わりますよね。

でも横浜のラーメン博物館も時代設定は昭和33年だったはず。
やっぱり昭和33年って日本人の何かしら一種絶妙なツボをついた原体験的郷愁があるのでは。
戦後の混乱が1段落して、みんなに仕事が回って生活に過剰な贅沢はなくとも最低限の保証が付いてきて・・・さらには夢も見られた時代。

話しが飛ぶけど、諸外国での天国のイメージって、労働はなく、美酒の川が流れ、山盛りの美食が饗され、美しい花が咲き乱れ、美女に囲まれた世界と描かれることが多い。
でも天照大御神が自ら機織りをしている、(=労働に勤しんでいる)日本人にとっての理想境って、法外な贅沢三昧の世界ではなく、人々が互いに思いやり、地道に働けて、家族はたまに喧嘩はするけどやっぱり仲良しという平凡な日常が、天国なのかもね(笑

昭和33年の夕焼けは、土地資産の有無で理不尽な差がついたバブル時代を経て、崩壊後のリストラ嵐の時代を耐え、やっとトンネルを抜けたらそこはIT時代の能力主義。勝ち組み、負け組み競争だのに疲れた日本人の胸を切なく焦がす一番癒される郷愁なのかもしれない。

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November 04, 2005

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人

40代も後半の男には「迷子魔法使いの緊急お助けバス」なんてのが出てくる映画はキツイ。

まぁ「ラブ・アクチュアリー」では英国の誇りとしてR・ストーンズと並び称される存在だし、
妻も娘達も喜んで観たようだし、とりあえず観るかと・・・
あまり乗り気でなく観始めるのですが、やっぱりこのシリーズはスゴイですね。

今回観て思ったのは著者の人格が3人の主人公に投影されているのでは、ということ。
ハリー(恵まれない場所で優しく健気に勇気を持って生きる自分)、
ハーマイオニー(強い意志を持ち、かくありたいと思う憧れ)
ロン(つきまとう情けなさの投影)だと思います。

自分の中に共存する人格を3人に描き分け、登場人物の年齢を追って年と共に新作が発表されるこの作品は、
歴史に残る傑作ファンタジーであると共に、自らの成長を追認する著作なのでは、と思いました。

まぁ、こんな賢しらな分析はともかく、この映画自体が魅力に満ちている。
深き山々は神秘な湖を抱え、鬱蒼たる森の中に立つ尖塔の目立つ古城の学校など、相変わらずロケ地は魔力に満ちてます。
その中で目を驚かせるシーンは連続し、次々に出てくる新キャラクターも、ディメンターは1級の不気味さであり、嘴羽根付き馬(バックビーク)は可愛らしく、羽根を広げて飛び立ち広大な湖面に鉤爪を滑走させるシーンはまさにファンタジーの真骨頂!
この辺りからはもう完全に物語りの虜である。

JKローリングの頭の中にはこのシリーズが最後まで出来上がっているというが、
今回も当初から出ていた小さな存在が実は・・・であったりすると、考え抜かれた構想は、雄大でいながら細部までこだわり抜いて作られた大伽藍を見るようで圧倒されるしかない。

それにしてもマルフォイを中心とするいじめっ子3人組はナサケナイ。
人にチョッカイを出す時は、もうちょっと覚悟があった方がいいね。
ハーマイオニーの右ストレートは重心の移動といい、
体軸のずれない肩の回転といい才能を感じるパンチだった(笑
後は下半身の使い方で、膝のバネまで生かしたパンチが打てるようになれば、根性なしの3人組みは2度と近寄らなくなるフィニッシュ・ブローが打てると思うな。
走り方は滑らかさを欠くので、スポーツは格闘技が一番向いていると思う。
直感に優れ武闘派の彼女は、随分と手足が長くなり今後も戦いの中心でしょうか?

でも泣きつく相手はハリーじゃなくロンなのね。
この辺に男女の愛の不思議さがある、と思われ、渡辺淳一先生あたりにその謎解きをお聞きしたいところです。

ラスト、月に向かって飛ぶシーンは良かったな。
ファンタジーはこうじゃないとね。
王道を行き揺らぐことのない力には、「もうまいりましたと」、言うしかないです。

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November 03, 2005

コーネルの箱 C・シミック

退屈な日々につかの間の白日夢をみたいなら、読んでみて下さい。

この本は「箱の芸術家」ジョゼフ・コーネルの作品に、詩人のチャールズ・シミックが文章をつけた1冊。

コーネルは1903年生。NYの古書店や古道具屋で集めた写真やフィルムの切れ端、小物を自作した箱に入れた作品を制作しました。
病弱で芸術においては正式な教育も受けず、具体的技術もない彼が創造する霊感と愛に満ちた「箱の芸術」は、やがて見出され大きな評価を得ます。

シミックはベオグラード生まれの移民。
シカゴでジャズやブルースを愛好して、シュルレアリズムの詩人になりました。
コーネルの作品にシミックが短い文章をつける短章が60編ほど納められていますが、どれも「妄想に形を与えようとする懸命の企て」が成功し読者を、ふっとありえざる異界へと接触させます。

以下、コーネルの作品を語るシミックの言葉を抜書きすることにより一石二鳥を。
「代書人バートルビー」:仕事だけはしていた男が、働かなくなり、ただ壁を見つめ、食べることすら拒否して死んでいく話。

読後に強烈な不安を残す「群集の人:ポー」は、都会は象徴派のいう万物照応の森であり、その神秘に捧げられた大いなる詩歌だった。

ル・ピアノ:音符でくるまれたマッチ箱。海辺の別荘でセラフィーナは無音のピアノを弾いた。
目のためのささやかな夜の音楽。

すべての物には二つの側面がある。
目の前にある万人に見える面と、僅かな人が透視の瞬間に見える現世を越えた側面@キリコ

「この無限の空間の永遠の沈黙が私をおののかせる:パンセ」@パスカル

シュルレアリズムは、偶然を操ることから抒情詩が生まれるという驚くべき発見をした。
芸術とはすべて魔法を操ることだ。新たな幻を希う祈りといってもいい。
恐怖でさえ趣きとなる所@ボードレール「悪の華:小さく縮んだ老婆」

美とは、ありえないことが突然に実現することにつながっている。
我々はそれを前にして畏怖の念に立ち尽くす。ニーチェのいう「永い明るい沈黙:ツァラトゥストラは・・・」だ。
世界は美しいが言葉には出来ない。だから芸術がいるのだ。
芸術は人の魂を救い、迷路に棲む怪物であり永遠の友人の存在を浮かび上がらせる。

夢想の光は、薄暗い光であり、記憶は神性を帯びた像である。
夢想において我々が行っているのは、神々を創り出すことである。沈黙こそが神と話す唯一の言語である。

「いままで内気にふるまいすぎた」@独身だったコーネルの最後の言葉。
ピューリツァー賞作家と無垢なアーティストが生んだ深遠なる迷宮です。

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November 02, 2005

スイミング・プール

フランソワ・オゾンが南仏の別荘にシャーロット・ランブリング(サラ)とリュディヴィーヌ・サニエ(ジュリー)を配して送り出した、美しき謎と再生の物語。

やぶ睨みのランブリングが演じるのは、人生に飽きつつある売れっ子のミステリー作家、サラ。
彼女は出版社社長の別荘で新作にかかるが、そこに不良娘、ジュリーがやって来て・・・

枯れ葉だらけのプールに頓着せず全裸で飛び込むジュリーは、
夜ごと男を連れ込んでは騒いでサラを悩ませます。
豊満なバストを晒し、伸びやかな肢体で水中を泳ぎ、
プールサイドに最小限のビキニで寝転ぶ奔放なサニエは生命力の象徴です。
ただその心は虚ろです。
逆に、書くことだけにしか自分の存在を見出せないサラは、身体が空っぽなのです。

この映画の構造は、蒼い闇(殺人)をくぐり抜けたサラとジュリーが、
お互いに失ったモノを取り戻す物語のようです。

肉体を忘れ幻想を紡ぐ者としてのシャーロットは、肉体しか持たぬサニエを触媒とし身体性を取り戻し、(だから共にする相手が同じ肉体を忘れたあの人なんです)
心に虚ろな欠落を抱えたジュリーは、サラの愛に満たされ再生します。

愛と倦怠と女の殺人は、フランスが舞台ということもあり、懐かしきカトリーヌ・アルレーを思いおこさせますが、
未来を見据えるオゾンは、そんな郷愁をふりはらうかのように、画面に安易なセピア色の叙情をよせつけません。

精神の象徴たるランブリングは、いかつくやせぎすの体躯に左目が下がったあの独特の表情。
本来ならすべてがネガティブな要因なのにインテリジェンスと孤独の影が魅力的なのは、まさにマジック!
一方たわわなバストのサニエは、たびたび水着を付け忘れ男性へのサービスカット満載です。

ps
男遊びでサラがジュリーに馬鹿にされるけど、
あの「愛の嵐」のシャーロットが言われていると思うと、オゾンは随分シニカルな監督ですね。

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November 01, 2005

外国為替証拠金取引:4

為替の取引をシステム化しようとしたところ沢山の問題が出てきました。
それでもなんとか,β版程度のモノは作ろうとやっていたのですが、最後に出てきた問題の前にあきらめました。
それは時間というか、人生観ですね。

私は朝から晩まで本業をやっていて、それが休日や夜間に食い込む時もあります。
普段は仕事が終わり夕食をすませて一休みしてから、日経平均のデーターを整理し、OPのリスク・パラメーターを計算し、エクセルに数字を打ち込み、返って来た数字をノートに書き、と1時間位の作業をします。
こうやって終わるのがだいたい夜の9時か10時頃になる訳です。
それから深夜の12時過ぎ位までの時間が、入浴と自由な時間です。
本を読んだり映画をみたり妻や娘と話をしたりです。
ブログの記事もこの間に書きます。

でも為替のシステムを作って、データー管理と取引をしてたら、こんな時間もなくなります。
さすがにちょっとね(笑

でも根拠を持てない売買ならしない方がいいですね。
しかし止めてしまうには、為替先物取引はあまりに惜しい手段です。

そこでまた考えた訳です。
日本に住み、その中で暮し、産業構造の中で生きていくなら、
日本に住む利点を生かし、欠点を克服する取引をしたいものです。
日本は非常に豊かな国ですが、反面、資源や食料需給率などの弱点もあります。
金利も低いままですね。
そんなマクロ的な視点から考えると、
金融資産として先物の円売り(=世界の資産を円を売った分だけ買える、ということ)は悪くない。

円を売ると、一見かなり高利の金利を受け取れます。
これは為替先物取引の世界では、スワップ戦略といいます。
金利0の日本人には、たとえ3%のスワップレートでも、5倍のレバレッジを掛ければ、実質15%の高利になります。これが10倍なら元本換算で30%の金利収入です

なんだか随分ウマイ話しのようですが、当然のごとくウマイ話しには、リスクがあります。
年利3%のスワップ金利なら、1年後の変動も当然のごとく3%しかヘッジ出来ません。
受け取れる金利に目が眩み10倍のレバレッジなどでやっていたら、1年以内に対円で10%の上昇で元本が吹っ飛びます。
数学的天才を揃えたヘッジファンドですらキャリー・トレードという基本的にはスワップ取引で破綻することもあるのです。

私も自分の能力なりの「効率的フロンティア」(←笑うとこです)を探ることにしました。
トレンドによる差益を狙うのではなく、外貨資産投資への「マーコィッツの解」(←笑うこと)を考えだします。

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