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October 2005

October 31, 2005

雨鱒の川

風の吹く草原の上に立つ一軒家から、元気良く飛び出してくる男の子。
主演の男の子が可愛いですね。

私は娘2人なのですが、清流に飛び込む姿を見ていると男の子も良いものだと思います。
この映画は聾唖の少女と画家を目指す少年の恋の物語なのですが、ピアノを中心にした音楽と北海道の自然描写が白眉です。


堰で川は轟然と流れ、飛び込むと水は跳ね上がり、それに太陽の光りが反射してキラメキ、足に冷たさが伝わり、男の子は全霊で銛を振りかぶると川鱒を狙います。
その瞬間のときめき、獲物を捉えた時の高揚、視覚だけでなく、聴覚だけでもなく、触覚だけでもなく、
人間のすべての感覚にあらゆる刺激が一体となって流れ込む時の、生命の喜びに全身が震える驚き。

結局、男ってこれを求めて人生を足掻くのでは、とふと思いました。
仕事への情熱から道楽、趣味の追求まで、
少年の日に一瞬だけ触れたあの絶頂感を求めてもはや得られることもない幻を追うのでは・・・

大人になってからそれを得られる人は、極限られた人だけなんですけどね。
だから大多数の大人は、どことなくつまらなそうな顔をしているのです。(私のように)
それは不思議なことに経済面や社会的な成功とも必ずしも一致しないからっやっかいです。
捉えた! と思ったら、幻影のように消えていくモノでもあると思います。
幻の雨鱒のようなモノかもしれません。


細い体で苦労している母親役の中谷美紀も、哀し気な瞳が良かったです。
阿部寛は大好きな俳優なんだけど、この役は合わなかったな。

大人になってからのエピソードでは、電話のシーンが印象的でした。

今回は男の子の人生を支配してしまう根源的な喜びについて感じさせられた映画だったので、
少し外れた記事になってしまいました。
終わり。

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October 30, 2005

魔術的芸術:6 アンドレ・ブルトン

1)未知の護符とタロット・カード、新たな図像学的統合:カバラと錬金術
アブラクサス(グノーシス派の石の護符、サンタナのアルバムではブードゥ教の魔女)の護符。

タロット:絶対普遍的に正しいとされる占いの唯一のシステムが、高い美術的価値を有し、長く伝えられる図像表現に想を与えられた。シャルル6世のタロットは不完全な形でしか残っていない。

占星術は、「大宇宙:自然」と「小宇宙:人間」を結び付ける数学的操作であった。

錬金術は、生活に溶け込み「公認芸術」のうちに表現された。


2)ヒエロニムス・ボス:内向性と物質の精神分析
ボスは、この時代、人を内側から描いた完璧な幻視者である。
彼の主題は、当時フランドルで支配的だった諺にもとづいた宗教画である。

ボスの絵の沈黙は見る者を隠者の共犯者となし、罪の強迫観念はマゾヒズムの様相をおびる。

「逸楽の園」では「天国」において不安の萌芽を見て、「天国と地獄の結婚」として現れ、ウィリアム・ブレイクでおなじみの多婚性がにじみ、変身の原理たるオルフェウスの卵が君臨する。

宇宙のフーリエ主義的なイメージは、ひいとつのとほうもない生命により生かされ、それは人間のもろもろの戯れを侵している。

ボスにとって錬金術と性は、人間の宗教的「悪」の探求手段であった。
その発見の結果は「私は希う・・あらゆる形に身を縮め、原子に浸透し、物質の底まで降りていき、物質そのものであることを!」

「逸楽の園」には、残酷さや悲惨さの身ぶりはない。
その雰囲気は、ポエジーにおけるロートレアモンの謎めいた詩節をつらぬく「無垢の流れ」。
「地獄」の奇妙な悪夢でさえ、亡者たちに晴朗な表情を与えているが、それは「アダム以前の人間」の表情である。

ボスのブリューゲルへのそしてカロへの影響、17、18世紀のスペイン美術への密やかな影響を考慮せよ。

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October 29, 2005

グッド・ガール

B・ピットの元妻で、大ヒットした「フレンズ」の人気女優J・アニストン主演の寂しい映画。

最近よく言われるセレブという人種。
お金があって、名声があって、美貌にも恵まれている完璧な人々をいうようです。
アメリカ人のイメージする№1のセレブが、このJ・アニストンです。
旦那がブラピで自分は高額のギャラを稼いで、あの美貌ですからね。完璧です。

でもこの映画でのジェニファーは、
安っぽい制服を着て寒風の吹く駐車場をヒョコヒョコ歩いている田舎のサエナイ安売り店の売り子さん。

仕事は退屈で給料は安く、職場には刺激も希望もなく、
家に帰ると「ブタみたいな男」という夫がマリファナをやっていて、
住んでる街は閑散として本当になにもなく、職場の同僚も客もみな下劣で、
彼女が思うことは、
「人はいつしか監獄の死刑囚寮に入っている。逃げ出したい、叫びたい・・でも出来ない。
人は口をモグモグさせて死を待つ牛でいるだけなのか? それとも静かな顔の下で脱走を考えているのか」
なるほどね。
確かに人はいつか死ぬから死刑囚だし、
生きていればしがらみも出来てデカイ監獄に繋がれていると言えないこともありません。

そんなある日、彼女は、サリンジャーを読むレジ係の男の子に惹かれます。
彼には夢があり、他の人にないインテリジェンスが魅力で人妻の身ながら恋におちます。

日常から跳ぶわけです。
さて恋の行方は・・・
跳んだ先のジェイク・ギレンホール(ドニー・ダーコ)の虚ろな瞳もリアルでした。

そして彼女は決断を迫られます。
「左側には退屈で救いのない時が刻まれる今までの日常が、
右側には青い空、果てしない砂漠、その先には不透明な無限、美しいだけの無しかない」
・・・
成功や華やかな都会とは縁のない、膨大な無名の人々の寂寥を描いた映画です。

さらさら見られたけど、薄味だったのが残念でした。
良いテーマなんだけどね。

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October 28, 2005

ドラムライン

アメリカでスポーツは、熱狂と奇跡と達成を体験させる宗教です。
そして宗教的熱狂に必要なのは心を高揚させる音楽ってことで、
これはアメフトなんかのハーフタイムなどに行われるマーチング・バンドを題材にした青春ストーリー。

まぁストーリーはありがちなモノで大したことはなかったし、俳優達も凡庸。
でもドラムライン(太鼓叩き軍団のことです)の演奏は見事でした。
心臓の鼓動と共に生きる我々には、リズムは命の源流なんだよね。

ピアノとかヴァイオリンなんかと違って、太鼓ってなんか叩けそうな気がしますよね。
ところが実際は、とてつもないハイテクニックを要求される上、
罵られたり、怒鳴られたり、雨中決行だったりの熱血練習は、軍事教練にも近い感じでとても厳しい。
クラブ内には厳格な階級もあって、その階段を登るのはとても大変なんだ。

でも熱心に練習する題材がドラムってのが羨ましいな。
太鼓を叩くのは楽しそうだ。
地道な仕事を続けて中年になったオッサンから見ると、
若い時だけでも思い切りドラムを叩けたというのは、ちょっと妬ましくなる話しでもある。
まぁ俺がこの大学のマーチングバンドに入ったって、
どうせ白シャツ(一番下のクラスのことです)で終わるんだけどさ・・・
自虐になってきたから止めよう(笑
今を生きるんだよ、俺。

スタジアムでの演奏は、アメリカの誇るスポーツ文化の素晴らしい側面です。
つくづく思うのは、華やかなダンスも陽気な演奏も、実は膨大な厳しい練習の賜物なんだよね。

素晴らしいモノは、地道な努力の果てにしかないのかもしれない。
そんな二宮尊徳みたいなことをおもった映画でした。
終わり。

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October 27, 2005

バーナンキは、スピルバーグになれるか?

神の如きアランの後任はバーナンキ。
私はこの人だと思ってました。
理由は候補者の中でもっとも「市場と語る」能力がある、と思ったからです。
アランのもたらした最大の功績は、「中央銀行総裁は市場と語るべし」、ということです。
実際、指名の日にNY市場は大幅高。
ブッシュとアランの後任選びは、好意的に迎えられたようです。

ただ世界が懸念しているのは、バーナンキがアランほど巧く市場と語ることが出来るか?
ということです。
アランの手法は危機において素早く、
平時へ返還する引き締め時には口先介入で絶妙の制御を見せるということです。

ではアランはどう市場と語ったのでしょう。

ポイントは、「私の言うことがすぐに理解できたと思ったら、それは誤解だ」という言葉です。
市場参加者は、みな自分のポジションとFRBの思惑との距離を測ります。
難解で知られる議長の言葉を巡り、市場参加者は右往左往しました。
その結果、「神の見えざる手」を働かせる、というのが議長の真骨頂でした。

それだけのカリスマを持ち得た議長を見ていると、私はある著名な映画監督を思い起こします。
「もしダ・ヴィンチがモナリザの微笑の理由を書き記したら、これほどの名声を得られただろうか」
と語るスタンリー・キューブリックです。

幾多の傑作をモノにした大監督ですが、彼の映画は決してわかり易くはありません。
それでも絶大なる評価を得られたのは、彼の「映像:言葉」が、理外の理を語り得たからです。
かようにどの世界であれ、マジシャンは同じ力を持つものです。
キューブリックの真似が誰にも出来ないように、アランの真似も不可能でしょう。

今回、議長はバーナンキを「普通の英語を話す人」と評しました。
バーナンキの「市場に当局の意図が明確に伝わることが大切」
というこのスタンスが、
分かりやすい映画でメガヒットを続けるスピリルバーグのように支持されますように、と、
今は願っていますが、支持されなければドルは売ろう。

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October 26, 2005

覘き小平次    京極夏彦

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October 25, 2005

ソウ

不潔なバスルームで目覚めさせられた2人の男。
足は鎖につながり、無残な死体が部屋の中央に放置されています。
トリッキー出だしはどこか傑作「CUBE」を思わせましたが、
この映画は密閉された空間を飛び出し、エネルギッシュにグロテスクに走りだします。

青い光の下、ソウ(ノコギリ)が出てくるあたりから画面は奇怪に幻想染みて、
フラッシュ・バックが多用され異様なスピード感が与えられた殺戮シーンはみな凄まじく恐ろしく、
観る者には、狂気に陥る被害者の心情が迫ってきて、凍り付くような恐怖に捕らわれます。

もはや人が殺されるだけでは、ダメなのです。
考案されたおぞましい殺人器具が、想像力を羽ばたかせ、観客は地獄の果てを覗きます。
死を告げる人形などのセンスもイイですね。
生理的は不快感が大きく外道路線ですが、卓越したプロットと斬新なショック・シーンが連続し時間を忘れました。

被害者には卑らしい罠が幾重にも張り巡らされ、
事件を追う捜査官が犯人を追いつめますが・・・ここから定型を逸脱させる工夫も効果的で展開も抜群です。

監督のジェ-ムズ・ワンは、物語の時間軸を自在にあやつり、謎は解かれたと思われた瞬間、
新たな罠に嵌められ、観客はさらなる深みに迷い2転3転させられ、
狂いだすような画面は正気を外れて脱線しそうなスピードで走り、出来ることと言えばただしがみつくだけ。

そして最終局面。
ちょっとメイクがね(笑
犯人は・・でしたが、まさか・・とは!

残酷描写とトリッキーな映像と構成を生かしきった出来は、ホラー映画の極点と評価して良いと思います。
2004年、ホラー映画はここまで来たのです。

「多くの人間は生に感謝をしない・・」
言っている人の立場を考えると、恐怖と同時に深い思いが湧いてきます。

ps
BMWの影を歩む4つんばいの赤い衣装の仮面はJホラー?
カメラマンがストロボを炊くシーンは「裏窓」でしょうか?
クローゼットのブギーマンは、S・キングもお気に入りのアメリカ伝統の怪物です。

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October 24, 2005

外国為替証拠金取引:3

為替取引のシステム化を考えて:
一般に取引データーは4本値という形でとります。
寄付、高値、安値、終値です。
これが日経平均先物の場合は、はっきりしています。
日本時間の9時に始まり、昼間の3時10分までと決まっているからです。

ところが「日本の株価」と違い、世界の通貨を対象にする為替相場は眠りません。
ウエリントンからシドニーに、東京が目覚め、ロンドンが開き、ニューヨークへと移ります。
そこで出来高の薄いウエリントンを始値にしていいのか?
管理されがちな東京市場はどうするのか?
でもロンドンとニューヨーク値段だけでは、問題でしょう。
さてどうするか?

まぁ、始めですし、使うロジックもパラメーターも決めてないので、
まずは取り込めたデーターでともかく作ってみましょう。
なんなら東京の仲値1本で作っても良いのです。
いきなり完璧なモノでなくても、とりあえずチャートをみてエクセルに関数を入れてみる。

でもここでまた問題が持ち上がります。
スワップ・レートの計算をどうするか?

スワップ・レートとは、各国の金利差から生まれるお金のやり取りです。
金利の高い通貨(豪ドル、英ポンド)を買い、金利の低い通貨(円、スイスフランなど)を売ると
その金利差分お金が入ります。逆に高金利の通貨を売ると支払になります。
その値段は毎日違い、期間が長くなれば大きな違いになります。
米ドルで言えば昨年5月は1%だった政策金利は、今年の9月には3.75%になっています。

これはどう扱うのか?
大した違いはない、と無視しても良いですし、
スワップ・レートがプラス(有利なポジション)の取引のみをするとういシステムにしても良いです。
ただそういう変則的な取引をした時、システムの成績をどう検証するか?です

そしてこれは最初からわかっていたのですが、為替先物には、OPが使えないという点です。

取引では、買いだ、売りだ、とはっきりした時はむしろ少なく、
なんとなくこの辺の値段で落ち着いているんじゃないかなぁ、とか、
上がるか下がるかわからんけど、どっちかに大きく動く(←これ知らない人には馬鹿みたいな文章に読めるか知れませんが、そういう時に仕掛ける戦略もあるのです)、
大きくは上がらんだろうが、急落はない、とか、そんなあいまいな時に、
OPとコンビネーションさせて取引するのに馴れてしまっているので、やり難い感じがします。
なんだか、難問山積です。

そして最終的な問題になったのが、人生観というか、体力と時間の問題でした。
次回はその経緯と、実行した投資戦略を。

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October 23, 2005

外国為替証拠金取引:2

ネット環境のある会社に移って、ユーロ、豪ドルも取引できるようになりました。
でも瞬時に変わるリアル・プライスでの取引では、ジャバがまだ不安定だった憶えがあります。

執行リスク(注文がきちんと通ること)は重大な問題です。
取引画面の文字も小さく、どうもつかいずらい感じがしていたところ、
財閥系商社の子会社がFX(外国為替先物取引のことです)を開始したので、そこにまた移ります。

そこに口座を開設したのが、02年2月です。
2000年11月から02年2月までの1年3ヶ月で3社目です。
でも、それから3年9ヶ月間は、その会社で取引を続けてます。
やっと落ち着いた訳です。

ではその会社が1番イイのでしょうか?
最初の会社も次の会社も、問題のある社ではありませんでした。
事実顧客数ではチャートなどが充実している2番目の会社が1番多いようです。
今の会社で落ち着いたというのは、結局、相性なんですよね。
リスクのある取引ですから自分にあった会社を探す、というのは大切だと思います。


レバレッジ:
先物取引をやる時、低いレバレッジ(自己資金の何倍の額を取引出来るか、ということです)では、
資金効率が悪いと言われることがあります。
確かに取引上手でドンドン儲かるのなら、大きく張って大儲けすれば良いと思います。
でも取引が下手だったり、テロなど予測不能の事態が起こり自分のポジションと逆に相場が動いた時、
大きく張っていたら一遍に立ち行かなくなります。

私はいつも低いレバレッジで取引します。
為替の場合は、高くて3倍いきません。
この程度だと何があっても落ち着いて対処できます。
そして落ち着いて対処できる、といことは、とても大切なことなのです。


さて為替証拠金取引を知り、値頃感からドルを買う実際の取引を始め、ネットでも売り買いをやって見ました。
体験を積んで要領はのみこめてきたのです。
自分にあった会社も見つけて、順調な滑り出しですが、この時期になると、単純にドル買いの吹き値売り、落ちた処を買い、というやり方が難しい状況になってきました。
そうなるとやる事は決まってます。

思惑で取引するのが難しくなり、取引にも馴れたら、
日経平均先物、OPでやっているシステムを為替でも造れば良いのです。
さっそくデーターを集めようと思いました。

次回は、為替のシステム運用はどなったか?
です。

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October 22, 2005

外国為替証拠金取引:1

最近なにかと話題の外国為替証拠金取引。
どんなものなのでしょうか?
私は慎重につき合えば、株以上に有力な投資手段だと思います。

投資、特に先物取引というと、イチかバチかのギャンブル勝負!と受けとられるかもしれませんが、
私にとって為替先物取引は、むしろ、自分と家族の為の未来への最も有利な保証、という側面もあります。
1発当てて大儲け!というより、
大げさに言えば、日本が不味い状態になった時の、担保を取るような気持ちです。


資料を調べると、私が為替先物取引を始めたのは2000年11月からなのでした。
もう5年のつきあいになる訳です。
元々経済をマクロから観るのが好きだったのと、
以前から外貨建てのMMFを購入していたので、外国通貨に投資する事に抵抗はありませんでした。

問題は今まで付き合った経験のない商品先物取引の会社にお金を振り込む、ということです。
ちょっと怖い印象がありました。
そこで選んだのが、大手商社系の子会社です。
ともかく安心できそうな会社を選びました。
(ただ最近世界最大の商品為替先物取引会社が突然破綻し、こうなると会社の選択の難しさは、選ぶ目より運しだい、としかえいない状況もあります)

2000年当時、日本経済は金融機関の不良債権処理のメドはつかず先は暗く見える反面、ドルが落ちてきて、
ちょうどこれはドル買いのチャンスだ、と思ってい事も取引を始めるきっかけになりました。
外貨を買うなら外貨預金は問題外(手数料、税金、金利など非常に不利です)、それまでなら外貨建てMMFの購入ですが、もし証拠金取引が宣伝文句どおりなら、手数料、金利、取引環境など圧倒的に有利です。

当時は、まだ電話取引でした。
「プライス下さい」
「ゴーマル、ゴーゴーです」
「10万ドル買います」
「OK、ダン」
なんてやっていたのです(笑

初めての取引からこういうセリフを言わされて
(あいまいな会話でなく、きちんと「文法」通りのことを客に言わせないと、後でトラブルになっても困る、という先方の都合のようでした)
なんだか、プロのディーラーのマネっこ遊びみたいで恥ずかしかったです。

ただ電話取引は不便で、ネット環境が整うとそれが出来る会社へ移ります。

次回は、取引環境とレバレッジのお話を。

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October 21, 2005

マレフィク 呪われた監獄

日本未公開のフランス製のホラー映画です。
傑作とはいえないまでも、充分及第点でホラー映画好きの人なら楽しめるのでは、と思います。

舞台は監獄の一部屋。
閉じ込められている4人の囚人が監房の壁から魔道書を発見し、そして・・・

ほとんど4人だけで進行する映画ですが、不気味で暴力的な性倒錯者、
底知れないところを感じさせるインテリの殺人者、知恵遅れの青年、
主人公である子煩悩の男と、全員の演技がしっかりとしてリアルで、いわゆるキャラが立っています。

発見された魔道書の解読と、それにつれて進む怪異も結構見せます。
ただここまで書いてきて、気づいたのは、私が「本マニア」、という点ですね。
本オタには、なにぜ幻の魔道書なんて「究極の本」でしょう。
アマゾンにもジュンク堂にも神田の古書店に売ってませんが、読みたいですよね。

世界には奇書幻書伝説があり、私はそれらに憧憬を抱くタイプです。
「書物の囁き」についての幻聴なんかも、怖くてカッコイイエピソードでした。
またある本好きの登場人物の「望み」もイイヨね。
俺は案外、「この人の望み」、少しだけ分かります。

話しの展開も、張り巡らされた伏線が各所でしっかりと効果的でスリリングです。
書物に命が宿り、自らを守り、復活し迷宮に誘う。
うーーん、こうやって考えると、
ホラー+本という二つの好みを突かれてしまった私は、この映画には点が甘いかな。
特殊効果は安っぽいしね。
でもイイでしょ。
誰でも好みはあるもので、それが個性です。

最後、冴えないアイテムだと思ったアレを、アア使うとはね。
あそこで、パっと画面を切って、映画を終わらせるのは良いセンスだと思うよ。
今日は、最後まで弁護してる俺でした。

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October 20, 2005

2046

アリアが夢幻の光の中で歌われ、管弦楽が奏でるクラシカルな響きと共鳴する、とろけるように美しい映像は、
時にミステリアスでありメランコリックな罠に満ちています。
そして観客を虜にするチャン・ツィイーのミラクルな魔性。

しかし不出来なプロットと、前進する力を欠いたストーリーは観客に忍耐を強いることになります。
なにもね、15分に1回は見せ場を作れ、と言っている訳ではないんだよ。
でもウォン・カーウァイは、凝り過ぎたアイデアの収拾が着かなかったのではないか?

タバコの煙が立ち昇るシーンが、重要な暗喩として使われます。
タバコの煙の流れなどは今までの数学では説明することは不可能でしたが、
それを読み解く学問が出てきました。

いわゆる「複雑系」の数学です。
それが示す処によれば、方程式の解は、初期値の僅かな違いが過大なブレをもたらし、
広大な予測不可能性の大陸の辺縁には、単純な相似性と自己組織性があることがわかっています。

単純に行方を計れない反面、奇跡もありえるこの複雑性の世界は「愛」と似ているのです。


クリストファー・ドイルとウォン・カーウァイの映像美だけなら、この前作になる「花様年華」の方が楽しめます。
市場のシーンなど見事です。

でも総合点はツィイーが出てる分だけこっちが上。
もう出てきた瞬間に魅入られてしまう。
挑むような眼差しとしなやかな体躯は、雌豹の変化ようで、眼を剥いて怒り、はすっぱに得意がり、皮肉に笑い、気まぐれに肩を怒らせ、悔しげに唇を噛み、哀しみに目を潤ませ、
彼女は一人であらゆる音色とリズムを奏で、すべてを支配します。

そういう訳で結局この映画は、ツィーのようなオンナを泣かし、貢がれたいというのは、すべての男の夢だね、なんてトホホなことしか私には伝わりませんでした。
どうもスミマセン。

ps
「またお望みのときは、この値段よ」
「あなたを貸し切って毎日一緒にいる」
大人だって、Cooって言うぜ。

ps
後、風邪を引いて小説を書かせるシーンはユーモラスでした。

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October 19, 2005

魔術的芸術:5 アンドレ・ブルトン

古代諸文化の芸術、魔術の弁証法
1)思推作用の目覚め:エジプト~メソポタミア
エジプトでは太陽の支配のもとに、ナイルの規則的な反乱が世界の秩序を象徴し、
イシス神が死の再生を司る隠秘主義の萌芽となる。

メソポタミア・デルタでは紀元3000年にさかのぼる
シュメールーアッカド語の最古の物語、「ギルガメシュ叙事詩」がある。
半人半牛のエンキドゥーとギルガメッシュの話しは不死の植物の探索であり、
西洋文学の原型である「地獄くだり」(←なんと多くの小説、映画がこれであることか!)である。
魔術magie 、魔術師magesという語は「深淵」を意味するバビロニア語の imga、 umgaから由来し、
ギリシャ芸術の先導となる。

2)クレタからローマへ
アルカイック期の代表的形式「アイギーナの微笑」に観察される狡猾で残忍な微笑は、
存在の根本二重性の表現、いわゆる、ディオニーソス的(地球的)な偏執と、アポロン的怜悧さの分離を現わす。これはニーチェとユングにより保証される。

魔術はアカデミズムや世俗化では決して捕らわれることはない。

「性の本能と死の本能とは、いずれも厳密な意味において保存本能としてふるまう。
いずれも生命がかき乱された一状態をもとに戻すことをめざしている@フロイト」
強烈なスリルがカタルシスを産む時、我々は生まれ変わったような鮮烈な感情を味わいます。
なるほどそれは生きながら味わう一瞬の「死」と「再生」の体験だったのだ!by晴薫

トーテム(角のある蛇や頭足類のトーテム)の崇拝は、重要な魔術的痕跡である。

遠回りの魔術:中世より
中世での魔術的芸術は、テンプル(聖堂)騎士団、グノーシス主義を経て、
建築上には「聖堂に彫り込まれたガルグイユの怪獣たち」が競いあっていました。

14世紀に入るとビザンティンの厳格さから解放され
「聖アントニウスの誘惑(ダリにいたるまで多くの作品のモティーフ)」:地獄の一団に対するアントニウスの態度は、挑発的で自らの過剰な幻覚に呑み込まれる魔術師であり、作品に描かれた怪物は、古生物的な記憶の復活の端緒となります。(後のクトゥール神話の原型にも繋がる?)
またキリスト社会の衰弱を現わすように、「逆さまの審判」であるサバト、が題材になり始めます。

ブリューゲル(ヒエロニムス・ボス)をボードレールは、「審美渉猟」の中でこう賞賛します。
「知性が、どうしてこれほどの悪魔的で恐ろしいほどの不条理を生み描写しえたのか。
精神の伝染、中毒の巨大な力の証拠を見出す」

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October 18, 2005

ホルヘ・アルセvsフセイン・フセイン WBCフライ級暫定TM

あの激闘がTMとなっての再び!
4月の試合は1Rから髪振り乱す流血の殴り合いで、まさにザッツ・ボクシング!
私のアルセの評価はこれで一気に上昇!
10RKOで打ち勝ったアルセは、鮮血滴る顔にカウボーイハットを被ってロープに昇ってはしゃぎまくり。
まさにトラビエーソ(やんちゃ坊主)そのものでした。

今回、アルセは最初からジャブが伸びてステップが軽快。
2階級を正式に制覇して、なんだか自信をつけたかな。

1R、1、2からの右が綺麗に入ってフセインからダウンを奪う。
溜息が出るようなコンビネーション。
2R,押し捲るアルセにフセインはアッパー・カウンターで応酬。
結構威力のあるパンチだと思うんだけど、強気のやんちゃ坊主は気にしない。
ガードの上からガンガン行く。
右の打ち下ろしから左フックで2度目のダウン。
そこでなんとフセイン側からタオルイン。
詰めも完璧。
アルセはキャラクターも陽性で、個人的にはコットより好きかも。


WBC、WBOライト級 スペシャル・アトラクション
ホセ・ルイス・カスティージョvsディエゴ・コラレス

5月の試合は、倒されて倒されていたコラレスが逆転KO勝ちという、そんなのありか?という試合でした。
コラレスはすぐ倒れるけど、立ち上がるとパンチがあるんだよね。
つくづく怖い選手です。でも個人的にはどうも苦手。

今回はコラレスが序盤から回転の早いパンチを打ちまくり、距離を潰して強引な接近戦狙い。
カスティージョは防戦一方。
これはもう実力に差が付きましたね。
コラレスは狙い通りにくっつくと、長い手を器用にたたんで擦り上げるようなパンチが残虐な様相をおび、
手が付けられない強さに見えました。
3R、打ちまくられても耐えるカスティージョが、ひょい、右を伸ばすと腰が落ちるコラレス。
らしいなぁ(笑
でもそこから反撃も強い。まぁコラレス勝ちは動かんだろう、
と思ったら、
4R、カスティージョの左フック一閃!
ライフルで撃ち倒された獣のようにコラレスは倒れて、またまたビックリのカスティージョの逆転勝ち。
でもウエイトオーバーでタイトルは獲れないというオチが付いてる。

なんかヒネリだらけの推理小説みたいだな。

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October 17, 2005

体験レポート、レクサス店は微笑むか?

本日は休日なれど、上のノバ娘は英検のテスト、下のゴマジョーは塾に、妻は受験願書を取りに行き、
俺は一人残されて暇なので、話題のレクサス店に行ってみることにしました。

プレミアムブランド、レクサスは、選ばれたお客様に徹底的したサービス、が売りです。
これはひいきなようでもしょうがないよね。
そういうクルマを売るお店なんだから、高級ブティックやレストランと同じだと思えば良い。

それでまずは乗ってくるクルマで客を選別ということだけど、S2000で行く。
素直にセルシオで行っても良かったんだけど、それじゃ詰まらないでしょ。
それにSは6年で1万8千㌔しか乗ってない。
別れるまでに3万㌔は付合ってやりたいので最近は、チョイ乗りでもともかく乗るようにしているのだ。
昼飯に決めた行列ラーメン店の開店時間に間に合うように、という思惑もあった。

次の問題は服装。
俺は夏は短パンとTシャツ、サンダル履きで、
この時期はユニクロのフリースとGパンなんだけど、ちょっとマシなジャケットを羽織る。
あんまり変な格好で行って、相手にされないっ、てひがんでもね。

さてレクサス店での俺の評価はいかに?
評価基準は、
レベル1)オーナーズ・ルームに通され、美味しいと評判のコーヒーが出る。
レベル2)サービス・デスクで、膝付き接待。コーヒーが出てカタログをくれる。
レベル3)カタログだけくれる。
レベル4)死して屍、拾う者なし。
です!

店内はテレビで見たまんまでした。(知ってはいたけど驚いた。本当にイメージ統一戦略なのね)紀尾井町あたりのブランド店にも似た雰囲気です。

セールスの人が来たのでお話をする。
GSが元のアリストで、ISがアルテッツア、SCがソアラなのね。
やっと知識が整理されました。
でもデスクにも案内されないし、コーヒーも出ない。トホホ・・・

帰り際に、しょうがないので言ってみた。
「あの、カタログください」
「何をお持ちしましょう?」
「・・・全部!」←駄目でもともとだぁと言ってみた。くれるかな。

渡された袋には、カタログ(60Pのヤツ)3冊と、2冊の小冊子(レスサス・スタイルとWelcome to LEXUS)とDVD2枚が入ってました。

DVDはCMのロングバージョンだったけど、GSのCMは音楽込みでカッコイイよね。

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October 16, 2005

柿の種 寺田寅彦

天才物理学者にして俳人の寺田寅彦の随筆集。
岩波文庫で敷居が高そうですが、元々が同人俳句雑誌に寄せた短章なのでとても読みやすいです。
著者によれば
「なるべく心の忙しなくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」
ということです。
そういう読み方はピッタリで、私は風呂用として読みました。

対象を見つめる澄み切った視線は、1流の物理学者ならではでしょう。
豊かな詩性が広がる文章は、読者を時間と空間を縦横に飛び回る短くも充実した旅に誘います。
この時代にブログがあったら、この人は人気ブロガーになれたでしょうね(笑

本来、数学や物理学は、学ぶという領域を越えて研究者として世界に挑む時、
最も必要な才能が想像力なようです。

この本ではありませんが、以下のような話しもあります。
「先生、あなたのクラスの生徒が数学者になるのを止めて、詩人になるそうですよ」
といわれたヒルベルト(数学史に残る大数学者)の返事は、
「そうだろうと思った。彼は数学者になれるほどのイマジネーションがないもの」


また 大正期の風俗が活写されるのも興の深いものでした。

この本は96年に1版が発行され、私が買ったのが05年2月の19版です。
こういう本が地道に売れているのは嬉しいですね。

ps
この本での注釈から
さまよえるユダヤ人:
十字架を背負うキリストをののしった為に、永遠に放浪を続けることになったユダヤ人

黙示録のいなご:
ヨハネ黙示録9章、3節より「その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っている力が、彼等に与えられた」

「さまよえるオランダ人:Flying Dutchman」というのは、
ワーグナーのオペラにもなった、絶対に沈まない快速の幽霊船がらみの方ですね。
海洋権をオランダから奪取した英国の船乗りが脅えたそうです。

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October 15, 2005

仁義なき戦い 代理戦争

過剰なエネルギーが作品自体を狂おしく揺さぶり破綻の淵を駆けた1作目に比べると、
この3作目は大分映画らしい1本。

それにしても精緻なプロットを組み立て隙のない昨今の映画にくらべて、
飯干晃一のノンフィクションを下地にした話しの運びは拙い。
それでも観客をこつぎまわす圧倒的な膂力はどうだ。
この映画では、ストーリーの転換点で、静止画になり、場合によってはモノクロにすらなる。
要は話しの展開などどうでもイイのだ。

肝心なのは、男達が跳ぶ時の火花だ。

男なら菅原文太に痺れる。成田三樹夫の底知れなさに魅入られる。小林旭の妖しさ、渡瀬の純情、山城の稚戯性、金子の卑しさ、田中の狼狽、梅宮の迫力、川谷の貧相、みな素晴らしい。
俳優達は魔導士のような深作欣二のマジックに輝きギラつき、
血生臭いギリシャ悲劇のような破滅的群像劇として、極彩色のハラワタを晒して狂奔する。


この映画は、
男は本性として荒神の末裔なのだ。
欲望と暴力の神に殉じる氏子なのだ、と叫ぶ。
家庭の平和だの、健康で長生きだの、大人しい良識などを踏みにじれとわめく。
深作欣二は、破滅を怖れぬ跳躍を謳う。


向う側には跳べるのだろうか?
実は結果はどうでもイイのだ(笑
死を掛けて跳ぶ時、男は白熱して輝く。
力と運に恵まれた奴が万に一つの種を残す。
本来、そういうモノなのだ。

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October 14, 2005

東京奇譚集    村上春樹

村上春樹が奇譚集を書けば、とりあえず読んでみたいものです。
短編集なので以下、各作品の感想です。

「偶然の旅人」
村上春樹は、透明感のある生活を描かせると実に巧みです。
現実に透明感のある生活などは存在しませんが、それにリアリティを与えることが出来るのは、
この著者が透明と通じる空虚さを抱えているからだ、と思います。

この小説の主人公はゲイの男性なのですが
「女性とのセックスは粗暴でグロテスクであるように思え、性的に興奮した女性が身体全体から発する微妙な匂いをどうしても好きになれなかった。」
などという文章には、なるほどね。
ゲイの人はこういう風に思うものなのかもしれないな、と不思議な納得をさせられます。
村上さんには奥さんがいますし、私も男性相手の性行為は理解不能ですが、読むと自分にはなかった感覚が伝わってくるような描写は力のあるものです。

「ハナレイ・ベイ」
唐突に断ち切られる愛する者との別離。短編でも複数の登場人物に血が通ってます。
喪失の現場となるカウアイ島の寂しげなビーチの雰囲気が秀逸でした。

「どこであれそれが見つかりそうな場所で」
実存への不安。陳腐な題材で設定もありがちですが、
映画が映像であるように、つまるところ小説というのは文です。凡百のレベルは超えた1作です。
「日々移動する腎臓のかたちをした石」
メタフィジカルな構成をもつ物語ですが、その語りはあくまで自然です。

最後は「品川猿」
この人は独特のユーモアを持って動物を描きます。
この作品ではその描写が冴え、市井の人が抱える自身でも気づかなかった虚無が露になるラストが鮮やかです。空手部の部下と夫と猿の掛け合いも、安西水丸の描くマンガのようで楽しかったです。
個人的には1番気に入りました。

高度産業社会は(異常なほど)物質的には豊かな社会を実現しました。
反面、高い効率を求められる社会において、人はその「動物性」を失わざる得ないという逆説があります。
村上春樹はその欠落を見つめ続ける作家だと思います。

ハードカバーで買って後悔のない1冊でした。

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October 13, 2005

いま、会いにゆきます

私はいわゆる「邪悪な読者」(←この意味はグーグルして下さい)である。
そして40代のオヤジである。
だからこんな甘いベストセラーが原作の映画に泣く訳にはいかないのである。

ところが最初のシーンが良いじゃないか。
舞台となる家も湖畔を巡る風景も、御伽話しにピッタリの「巧」な!映像である。
これは泣くかもしれない、と予感した。
詰まらないと思いながら観るより、泣くにせよ、笑うにせよ、怖がるにせよ、
心を動かしてもらえれば観たかいはあった、というものである。

泣かされるの上等!
泣かせてくれ。
とりあえず雨を巡る映像が美しい。
監督の土井裕泰さん、素晴らしいです。
濡れる下草と蜘蛛の巣、夜の街灯の詩的な捉え方。
異界へと連なる小さなトンネル。

でもシラケテくるのが再登場する竹内結子が記憶喪失であること。
もう止めてくれよ、恋愛と連動する記憶喪失。
俺が記憶喪失にならない限りシラケルから止めてくれ、と俺は世界の中心で叫びたい。

でもまぁ見続けました。
お互いにやたらに謝りあう登場人物達は日本的だなぁ。
こういう自虐的な文化的背景が毎年多数の自殺者を生むのではないか?
なんて堺屋太一みたいなことを考えながら。

中村獅童と竹内結子との絡みのシーンは、さすがにリアルだなぁ
でもこんなの見せられてもツマランのだが・・・なんてことも考えていました。

そして映画は予定調和的に終わるのであろう。
まったくありきたりの話しだなぁ、ハリウッドがリメイク権を買うほどの原作かよ、
と思ったらそこからが良いのだった。

2人が手を握りあい、澪が水溜まりに消えた後、
思いがけない角度から光がさし、感動の物語が浮上するのだ。
そして、そして・・・

ああ、なるほど。
そういう訳だったのかぁ。
そして会いに来たんだね。
「隣りにいられるだけでイイ。それだけで幸せ」
・・・涙

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October 12, 2005

魔術的芸術:4 アンドレ・ブルトン

有史以前の芸術と今日の芸術
この章では、ラスコー、アルタミラの壁画やナイジェリアなどのシャーマンの仮面、
オーストラリアやメラネシアの彫刻、イースター島の巨石遺跡、などから
人類が発祥時点から培った魔術が芸術へと変容する過程が書かれています。

以下覚え書き
「そもそも現代芸術そのものがポエジーのしるしのもとにある場合には、魔術の世俗化した姿なのであって、
芸術の魔術的運命のある新たなる意識化に対応しているのである」

「神聖なものの顕現(ヒエローファニー)と力の顕現とに結びついたこの力―未開人にとって、
魔術的―宗教的な聖なるものだけが真に現実的なもので、それは魔術が本質的に功利的な活動であり、食べること、種の維持を確実なことであり、未開人の最大の関心事であった」

「太古において洪水、火山、大地震なでの災害は悪魔の存在を思わせ、恐怖の上に基礎づけられたあらゆる感情はこれ以後、いつまでも人間の心と精神を支配することになる。これは沈む太陽と向かい合って、それがもう戻ってこないのではないかと考える、最初の人間の戦慄に続いている」

「人は苦しめ続けるものだけが、記憶に残る。大量虐殺やいまわしい契約(アブラハムへのイサクの奉献)など、
すべての宗教は結局のところ残酷さのシステムである@ニーチェ:道徳の系譜学」

「ブラックアフリカには芸術家というものは存在しない。いるのは秘密に働く宗教の手先である。
彼等の芸術的才能と魔術師としての巧妙さは区別されない:ジョルジュ・アルディ」

「芸術は、原始人が目前でおきた岩石事故と、直前に目にした動物のあいだに、最初の抽象作業により結び付けられた時、その原始人の胸を締めつけた深い感情から生まれた。
その最初の抽象化作業が、精神の魔術的躍動を美的な類推的情動に変容せしめたのである」

「色彩はそれ自身ひとつの謎である以上、謎めいたやりかたでしか用いることは出来ない:ゴーガン」

「人間の行動の基底に横たわる魔術的―宗教的コンプレックスは、今日では極度に醜い機能主義に従属しているが、その中にも芸術は存在する。それは建築である」

「原始建築において神殿は太陽や森をモデルとして上に向かった昇るものと同時に、
地下の神殿は人間の第二の誕生である氷河期の記憶をになう。迷宮はドルメンを通して冥界と交信する」

図版
モンスー・デジデーリオの「ある宮殿の攻撃」が掲げられています。
沈黙する廃虚の絵画は、蘇る太古の記憶のようです。

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October 11, 2005

仁義なき戦い

原爆の爆発とともに始まる血しぶきと裏切りに狂う男達のドラマ。

凄惨な暴力現場を、深作は手持ちのカメラで抉り取る。
画面は細かくブレて、フレーミングは狂い、
混沌が引き伸ばされて侵食してきて、観客はまるで現場に紛れ込んだような錯覚に陥ってくる。

しょうちゃん(菅原文太)が圧倒的である。
観終わると「・・じゃけんのお」
なんて自然に言ってしまうほどです。

ともかくスゴイ映画です。
なんといっても、登場人物がみんなタバコ吸いまくり!
健康に悪いと思うんだけど気にしてない。
みんなで吸っているから賭場なんか煙で充満していて、嫌煙権なんてないも同然だ。
それでタバコを吸っている全員が、怒鳴ったり暴れたり元気一杯だから始末が悪い。
「タバコは健康に悪いですよ」、なんて言っても説得力がない気がする。
日本刀とポン刀なんて言って本気で振り回したりもする。
これも危ないと思うんだけど、みんな気にしない。

金子信夫のズルっこがまた見事。
このキャラクターがいるおかげで、映画は直情と狡さが交錯し、
惑乱はとどまることを知らずに暴走し、物語りは内在するエネルギーに破裂している。

若き松方弘樹(てっちゃん、と呼ばれてます)も見せます。
金子への啖呵の切り方と脅し方、しょうちゃんへの怯え方まで見事でキャラが立っています。
田中邦衛の安っぽさも1流だ。

文太兄いが、てっちゃんの葬式をぶっ壊すラストシーンは、
日常に堕す退屈を憎むすべての男達へのメッセージだ。
ジンジンジンジンジン、って音楽が耳から離れません。

ps
文太アニィの
「弾はまだ残っとるがよ」
というセリフがあります。
みんなの弾はまだ残っているか?と
俺はこのブログを読む男達に問いたい。
ちなみに俺のは残ってません。
カラカラです。

「あとは頼んだぜよ」

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October 10, 2005

ゾンビ:ロメロ版

20年ぶりに観直して、やはりこれは大変な傑作なのを再認識しました。
この映画は、ゾンビという新しいモンスターを一般化しただけの大ヒットホラー映画ではなく、
限りなく豊かで利便性を増した反面、何かを果てしなく喪失し続ける現代文明の行く末を語る黙示録です。

心臓の鼓動をイメージするようなリズム・パターンの音の中で始まる物語は、今のジェットコースター・ムーヴィーを見なれた目から観れば、テンポは鈍く、展開も単調、凝った伏線もなく、セリフは野暮ですが、画面には本物だけが持つ力が漲っています。

たった4人の登場人物しかでない話しだったのですね。
長い力に満ちた映画を観たという感慨があったので、意外でした。
それぞれに充分な役割を与えまっとうさせれば、世界の滅亡を4人だけで語ることは可能だったのです。

ゾンビの怖さ、というのはゾンビ自体への恐怖というより
人が人のカタチをしたモノを撃つ。
平気で撃つ。撃たなければならない。
悦んで、楽しんで人だったものを殺す、楽しまなければ殺してられない。
という逆説的な恐怖にあったのです。
これを安直なヒューマニズムに堕することなく表現しえたことが、この映画の偉大さであり、生命です。

エレベーターが開いてしまい多数のゾンビがなだれ込んで来るシーンと、
開いたエレベーターからゾンビになった彼が出てくるシーンは、
襲う者と襲われる者が表裏一体であることを示す極めて印象的な暗示となる名シーンでした。

この映画を今観ると、優れた現代文学を読んでいるような気になってきます。
過剰な娯楽感覚への奉仕がない反面、我々自身が深く絡め取られた矛盾の回答への困難さと、
突きつける主題の重さが迫ってきます。
「燃料は」
「わずかよ」
「いいさ」
この深刻な会話の後、幼稚な悪戯のように流れるオチャラケた音楽の中に、無数のゾンビが行進するシーンは、底無しの退廃を暗示する効果を生み出し、
人類への弔鐘を思わせる鐘が鳴り響くラストシーンに、観客はただ瞠目するのみです。

ps
音楽はダリオ・アルジェントとゴブリン、特殊効果はトム・サビーニでした。
次代を担う若い才能と共に、傑作は誕生したのでした。

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October 09, 2005

魯山人書論 北大路魯山人

この本は魯山人が書と芸術について論じた本です。
西洋芸術とは違う価値観が興味深いので抜書きしてみましょう。

魯山人は、自分だけが偉い、と威張っていた人ですが、
確かにこの人の書には惹かれるモノがあるのです。
それでこの人以外の書で、私が良いと思えるのは、この本でも評価されている、良寛、王義之あたりなのです。
こうなるとただの空威張りではないようなので、ちょっと読んでみました。

魯山人の持論は、芸術を評するに当たり作者の人格を非常に重視し、
技量を形式である、と断じ、その本質に精神性を置くことです。

曰く形ばかり、体裁ばかり重きを置く書の習い方は余りよくない。
素人目に体裁が良いからといって、なんの価値もない。
形がまとまった努力に対して、誠にご苦労であったというより他にない。
という具合で散々です。

では技術の練習にはどうするか、というとともかく練習せい、と(笑
でもただ形ばかり練習をしてもダメで、人物が出来ていないとダメだそうです。
さにらには生まれつきというものがあるのだそうです(笑・・・正論といえば正論でしょうが実も蓋もないという気もします。でもそれが現実だ、と言われればそうなのでしょう。

技術を極めて「技神にはいる」というのは精神的なものであり、なるべく精神的に腕を動かすこと。
理知的性能ばかりでない、なぜなら芸術とは、理性の産物でなからである。
技巧が自ずから精神的になって出てくる。従って思いがけない結果を顕わしてくる。(この辺はフリージャズのセッションに考え方は似ているのでしょうか)ここへ来て本物であるとする、と言ってます。

希に見る美的偉人、作品は至妙、美しき線、美の化身、と湛える良寛の書と絵を評して
「由来、最高の芸術は、絵であっても、書であっても、いと事もなげに無造作に出来ているものである。無法の法を悟っているからものである」
「質的に観て外柔内剛であるが、良き芸術は、大抵外柔内剛なもので、これに反してつらまない芸術は大抵外剛内柔である」と言っています。大抵という但し書きはお忘れなく。
この辺の価値観も精神的ですね。精神は内側のものですから。

王義之については魯山人も褒めてます。
私もこの人は圧倒的だと思います。
書界の正統にして絶対王者(シウバじゃないって、笑)という感じがします。

昔は興味の範疇になかった書にも、40代中頃から興味が出てきました。
年を取っても、案外美的発見というモノはあるものです。

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October 08, 2005

レディ・キラーズ

絶妙な計算と高い技量の上で鳴り響くゴスペル!
コーエン兄弟の技巧がたっぷりと味わえます。

舞台はミシシッピ州の静かな田舎町。でも河の上にはカジノ船が浮かび、
それを狙うトム・ハンクスをリーダーとする強盗団、と一人のタフなレディ(黒人女性)の話しです。

映画の冒頭、河をゆっくりと下る塵運搬船の映像が、バックに流れるゴスペルとマッチしてやたらとイイ。
これは何とも味の深いシーンだなぁ、ファースト・シーンだけにするにはもったいない、
と思うとこのシーンが1種の狂言回しになっていて何度も出てきます。

主演のトム・ハンクスは見直しました。
この人は個性派であっても、これほど巧いとは思いませんでした。
口ばっかりの清掃係の黒人、どことなく怪しい髭の爆薬担当者、腕が太いだけではなかった白人の若者、安紳士風の裏側に狂暴さを持つ中国系、いつも抜け出すカワイイ猫ちゃんのつぶらな瞳までみんなホントウに巧いです。
そして各々が演じるキャラクターらしい笑いを振り撒きます。

ただコーエン兄弟はとって俳優達は、自分の創り出すスクリーンの上に組み立てられるパズルのピースですね。俳優達に最高の演技をさせながら決して手綱は外さない。
俳優の魅力はあくまで作品の為に、です。

終始どこかに郷愁を感じさせる色合いに染められた映画は弛み無く進み、
後半の畳み掛ける展開の妙は名人の落語のようで、わかっていてもその呼吸に唸らされます。

最後の最後まで完璧に演じられるゴスペル劇。
何気なく映されるアレまでファースト・シーンからの伏線だもんなぁ。
名人芸を堪能して下さい。

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October 07, 2005

10、9、8年前の日記

秋深し、私は何をしていのだろう?と思いつき、10、9、8年前の10月の日記をざっと見渡してみます。

95年10月、37才です。
この頃、私は自宅を建てていたのでした。
仕事の後、建築中の自宅に入って妻と月を見たおぼえがあります。
アレから10年か。
野茂のドジャースでの活躍に一喜一憂。メジャーのプレーオフに夢中になり始めたようです。

体重について書いてます。
69キロだったようです。体重はこの後74キロまで増え(身長は171cm)、ダイエット作戦は失敗しますが、
トレーニングが習慣化してから徐々に減少。
特に今年は春から酒を止めた処、順調に減少して65キロになりました。
酒はそのカロリーだけでなく、食も進んじゃうんですよねぇ。
この頃は、夜は毎晩、勉強会のない休日は昼から呑んでました。

仕事はまだまだ不安で先も暗く見えた上、休日は必死に勉強会に参加してました。
大変でしたが、両立出来たのはやはり30代の若さだったのでしょう。


96年10月
日経平均OP取引を開始した頃です。
エクセルにブラックショールズ式を入れたり、手探りながらも楽しかった思い出があります。
この頃、OP取引は今だ一般投資家には開かれておらず、取引するのも大変でした。
それが今やボラティリティや板すら「携帯電話!」で見られるような時代になり、証拠金もスパンが一般化しすべてネット上で出来る時代になっているとは夢のようですね。

子供の運動会に出たり、風邪を引いて心配したり、私自身が酷いインフルエンザに罹って苦しんだりしてます。


97年10月
この年は税務署とやりあってます(笑
ともかく真面目に申告していたので、褒めてもらえる(俺も世間知らずだったよ)と思っていたのに、
どこまでも粗を探ってくるので最後は税務署員を怒鳴りつけてました。
やましいところがないのに、しつこくされるのは不愉快でした。
でもキレて怒鳴ったのは若気の至りです。今なら穏やかに対処出来るでしょう。
アレから来てないのでわかりませんが(笑

子供と小学校の校庭で遊んだり、散歩をしたり、良く遊んでますね。
楽しかったなぁ・・・過ぎ去ってわかる幸福だった日々(しんみり)

この年はオフィスを新築したのに、スタッフが安定せず大変な面もありました。
結構、必死でしたね。
そしてこの年の9月から私のインターネットが始まったのでした!
今や1番の趣味になっているブログも、ここに淵源を発する訳です。

あえて書きませんでしたが、苦しいことも沢山あり(誰でもそうでしょうが)、
今でも大変な毎日ですが、こうして生きてきた訳です。
恵まれていました。
ありがたいと思っています。

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October 06, 2005

恋愛適齢期

オープニングシーン、ムーディなヒップホップに乗って、ピンヒールのミュールで踊るように夜の街を歩く、
若く美しい女性達の点描が華やかです。
この映画は年を取っても愛しあおうぜ! というテーマの映画なので、
このシーンが後のストーリーへのバックスイング(反動)として機能する訳ですね。

主演のジャック・ニコルソンは、若い女性大好きの成功した実業家、
相手役のダイアン・キートンは、もう愛を諦めている売れっ子の劇作家。
娘を通して知り合う2人は互いへの気持ちと、自分の気持ちに戸惑いながら引かれ合います。
2人は前半早々と結ばれますが、その前にかなり笑わせるジョークが挟まれます。
そしてD・キートンのセリフがユーモラスでかつ泣かせるのですが、ここまでで1時間です。
後の半分で2人の運命や如何に。

この映画、ロケーションやファッションが夢のようにゴージャスです。
監督のナンシー・マイヤーズは、贅沢を巧く使い観客を楽しませます。

前半の舞台になる海辺のコロニアル風の別荘は、外観からインテリア、部屋の配置まで完璧。
サウス・ハンプトンのプライベートビーチはやっぱりニューヨーカーなら憧れるでしょうね。

ラストのパリでのシーンも思い切り洒落ていて、プラザ・アテネのロビーから(ここでエレベーターから出てくるジャック・ニコルソンのブルーのマフラーと黒のカシミアのコートがカッコイイ)、輝くようなパリの夜景とセーヌを下る満艦飾のバトームーシュを見下ろすシーンではあの名曲が被ります。
映画は夢なんで、こういうのも楽しいです。カメラは綺麗な絵を撮りました。

「La Vie en Rose」がポイントになるシーンで流れ、テーマはオトナの恋。
黄金時代の映画のように、わざとらしく降り始める雪の中で独白を始めるジャック・ニコルソン・・・
なんとなく旧き良きフランス映画へのアメリカ人の憧れがわかりました。

この映画、ダイアン・キートンが何度か泣きますが、時にユーモラスで切実で、ある時は本当に哀しげで良かったですね。
特に2度目の長泣きは、「Do I hear French Music?」とともに名シーンでした。
クセの強い男の役でしたから、ジャック・ニコルソンの方も、ピッタリ。
「カッコーの巣の上で」とか「シャイニング」の頃は、こんな役者になるとは思わなかったよ。

娘役のアマンダ・ピートが案外巧い。 キアヌ・リーブスはいかにも人柄が良さそうでした。

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October 05, 2005

05年、メジャー、ポスト・シーズン開始!

勝負(試合)を見る時は、緊張感がないとおもしろくない。
だからサッカーも野球もレギュラーシーズンよりポストシーズンやトーナメントが好きだ。
今日は雨の日の休日なので、朝からヤンキースのポストシーズン1戦目を観る。
相手は(カリフォルニア)アナハイム・エンゼルス。
まぁ地区シリーズだからね。
勝負の相手はあくまでリーグ優勝決定戦でのレッドソックス戦だよ、と軽い気持ちで観戦。

ヤンキース、第1戦の先発は故障上がりのムッシーナ。
最近トランプの大貧民に凝っているそうです。熱中して思い切りカードを叩き付けるらしい。
大丈夫か、ムッシーナ。クールに見えるが心は熱いのな。
体を前に屈めてからのピッチングフォームはいつも通り。
ナックルカーブは良く曲がってるけど、キレには故障上がりの影がある。
でもエンゼルスの主砲ゲレーロはオルティーズ、ラミレスに比べれば1枚落ちる感じ。
後も大したバッターは目に付かない。

エンゼルスの先発はエースのコロン。
名前どおり体もコロンと丸くて、ピッチャーというより捕手に見える。
でも投げさせると直球は157キロ!チェンジアップで142キロ! スゴイピッチャーだ。
アメリカンリーグの最多勝投手だって。
振り回すシェフィールドとの対決は力と力のぶつかり合いで迫力満点だ。

1回に2死から連打が出てランナー1,2塁。いきなり松井に打席が回る。
打ったー!と思ったら、
ランナーが性格は良くても足の遅いジオンビー、さらにライトのゲレーロは肩もイイ。
ストライクの返球がキャッチャーに帰ってくる。
松井は打点を取り損なったけど、しゃーないわ。
次の新人カノーが打って松井も帰って3点先取でますは一安心。

後はムッシーナがマターリと投球術で抑える。
巧いな~、ムッシーナ。制球が良くて球種が多彩でエンゼルスのバッターを微妙に泳がせる。
結局、5回途中で完封したままで交代。
中継ぎはライター、スターツと繋ぐけどスターツいきなり打たれる。
この辺がなぁ。
先発はあまりモタないし中継ぎは不安だし、スターツは大柄な白人だけど表情がすでに引き攣っている。
ハート弱いのかな~、不安だな~
すぐにゴードンにチェンジ。トーリ監督も大変だ。
案外、このシリーズのキーマンはゴードンだな。
最終回、最近は以前ほど安心出来ないリベラ。
守備もバタバタして1点返され観ているとヒヤヒヤする。
1試合の勝ち負けにドキドキ出来るのが、ポストシーズン観戦の醍醐味です。

守備はポサーダの2塁送球と、松井のスライディングキャッチが良かったね。
赤靴下が白靴下に苦戦している間に、軽く勝ち抜いてリーグ優勝決定戦を迎えたいもんだぜ。

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October 04, 2005

デイ・アフター・トゥモロー

壮大なVFXを駆使して破壊的な異常気象を描く大作ですが、細部まで丁寧に創られたパニック映画の成功作品でした。

このタイプの映画は、冒頭から次第にパニックが襲ってくる過程での
「恐怖の忍びより」が最初の味わい処になります。
当然多数の登場人物が出てきて、エピソードが並行して走るのですが、互いに良くかみ合い、テンポも良く、スリリングでした。

ロサンゼルスを襲う巨大竜巻や、ニューヨークを呑み込む高波など、クライマックスの映像は予告編で前もって観客は知っているのですが、実際に見ると細かい処まで創りこまれて予想を越える出来でした。
その上に皮肉で暴力的なカットを重ね、意外性を出すように工夫されているので飽きません。
ストーリーのつなぎの部分でも、転換ごとに映像で観客を驚かそう、というプロ意識があって見所満載でした。

その中で特に光っていたのは、ニューヨークに進入するアレです。
シュルレアリスティックであり、物語の伏線としても機能しています。

国境でのエピソードの皮肉や、図書館でのある希少本を語るセリフ、タカ派政治家の反省具合から、
ラストの救出の意外性も良かったですね。

科学的な考察もニヤリとするものでした。
異常気象の原因として、棚氷が割れることにより海水の塩分濃度が変化しそれが限界を超えて、
海流が変わりそれが異常気象を起こすなんて理屈は、
おお、エントロピーの増大。熱力学の第二法則だ。
それに海流って本当に影響がデカイって聞いたことがあるぞ、とか。

巨大な寒冷低気圧が高空の極寒の大気を引き摺り降ろすなんて説明は、ありうるかも!って思いました。
それで調べたのね。
いくらなんでもー110℃!は地球環境ではちょと無理があるのでは・・・と思ってね(笑
そしたら極成層圏雲ってのがあって、これがー80℃位だそうです。
でもこのアイデア持って来ただけでイイヨ。
クライマックスのスリルを盛り上げているしね。
さらにその伏線もさりげなく張られているのですよね。
私はこういう具合に細かく組み立てられた映画って好きなんです。
なんとなくニューオーリンズでのハリケーン被害を思わせるエピソードもあって、
その辺もゾクゾクするようなリアルさがありました。


ps
千代田区の描写は酷すぎる。
京都議定書と共に、それだけは言いたいね。
世界に向けて。

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October 03, 2005

PRIDE武士道ライト級、五味隆典

vs川尻達也
五味は何故強いのだろう?
見るたびにそう思う。
格闘技は選手を見る時、どうしても体格に目が行く。
五味はいつも対戦相手の選手より骨格は細く、筋肉量は少なく見える。
それでも強い。

殴り合いで強く、組んでからが速い。
接近した時にパンチから膝への移行によどみがない。
パンチの回転は早く正確で、威力がある。
組んだ後も極めに行くまでが非常にスムーズ。

川尻との試合は、距離の取り合いからスピード感に溢れ緊張感が張り詰める好試合。
五味は7分以上やって息が上がっていないのが印象的だった。
素晴らしい持久力だと思う。
表情に過剰な緊張がないのだ。
多分この選手は格闘を怖れていないのだと思う。
恐怖による必要以上の緊張がないことが、スタミナのロスを最小限に抑えているのだ。

基本にも忠実で、常に顎を引いてガードを上げているのも良い。
準決勝ではシュートボクセのアゼレード戦だったが、アゼレードは1回戦を瞬殺で終わらせほとんど疲労していないハンデ戦。疲れていても前進を止めない五味は素晴らしかった。
気持ちの強さは人を感動させる。


ヨアキム・ハンセンvs桜井“マッハ”速人
これも終始凄みのある打撃と踏み付け、膝蹴りに関節の取り合いと問答無用の1戦。
どれが当たっても必殺の威力のある攻防でした。
桜井がこれほど復活してくるとは、予想外。
実績のあるハンセンはファイトに容赦がなく、体格でも他の選手より1周り上の印象。
スキンヘッドでタトゥーの入った顔も体も怖そうだ。正直勝てるとは思わなかったよ。
でも桜井は強かったです。

これで大晦日の決勝は五味vs桜井戦。

やっぱPRIDEは軽量級も面白いわ。

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October 02, 2005

ヴァン・ヘルシング

コストの掛かった特殊効果が惜しげもなく使われて、2時間を越える長尺モノ。
ドラキュラを始め狼男、ジギル&ハイド氏、フランケンシュタインの怪物、と古典派の恐怖キャラクターを全員集合させ、対抗の主役にはブラム・ストーカーが創造したヴァン・ヘルシング。その助手には007的な新兵器開発兼ワトソン的なキャラクターの修道士と、最近のハリウッドではお約束の闘う女性を置くと。

この話しの構成からも製作者が全力で作っているのは分かります。
ドラキュラの花嫁や子供とフランケンシュタインの関係を絡めて精一杯考え抜いたのでしょうが、出来上がったのは、お子様向けの大騒ぎ映画でした。

ハイドなどCGを練ってもギャグにしか見えません。
逆に新鮮だったのは、飛翔するドラキュラの花嫁達。
いくら膨大なコストを掛けても解りきった存在で観客を驚かすのは難しいのです。
こういう時代に必要なのは、ともかく人の知恵、それこそが価値なのだ、と再認識させてくれる映画でした。

また敵役のドラキュラを演じる俳優がダメでした。
ともかく凡庸で光りがありません。女性闘士も主人公もそれほど光っていませんでした。


印象的だったのは、
ドラキュラがヴァン・ヘルシングに言うセリフです。

「なんという重荷だ。神の左側に座るのは。
恐れるなガブリエル、オマエに人生を返してやろう」

神の左側に座るのは、ガブリエルという天使と言われてます。
ガブリエルはとても位の高い天使で、マリアに受胎告知を行い、マホメットに啓示を与えたとされる大天使です。

神に反逆し追放されたのが大天使ルシファー(神の右側に座っていた)、それが堕天使となりサタン(この辺の名前の由来は諸説あります。悪魔学というのは膨大な衒学の世界ですから)になります。

結局、この映画の構成は、ドラキュラ(=サタンだった)が、
主の第一の御使いであるガブリエル(人間世界ではヴェン・ヘルシング)と代理戦争を行う。

その戦いの行く末は禁断の知恵の実を食し、楽園を追放されたアダムとイブの末裔である人間の、知恵の結晶であり、本来神の領域である生命の創造が行われたフランケンシュタインの怪物が鍵になる、ということです。

人に知恵の実を食べさせたのは、蛇に変身したサタンです。
サタンは人に知恵を付け、その知恵を使い神に再挑戦するという図式ですね。

大枠のアイデアは素晴らしかったのです。
シリアスに作れば、この設定はかなりの傑作をモノに出来るかもしれません。

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October 01, 2005

日本人のお婆さんがブラジル代表に!

日本人のお婆さんがブラジル代表に選ばれて、Wカップに出場することになる。
和服をきて尻ぱしょりして出てくるのでみんな正気を疑うが、
やってみるとジダンの10倍も早い超高速回転フェイントからシュートやパスを出し、
ロナウジーニョやアドアーノですらついていくのがやっとという感じである。

お婆さんは、疾風のように回転しながら一人ゴール前まで持ち込むと、
独楽のように周り続けながら自在にシュートを決め、パスを出す。

結局ブラジルは全試合大勝でWカップ連続優勝を成し遂げ、大会記録を大幅に更新する54得点、1試合平均6得点のダブル・ハットトリックを挙げたお婆さんはMVPとなり、
巨大スタジアムの熱狂のなか、ジュール・リメカップを高々と差し上げる。


・・・・・という夢を見ました。
アホらしくってすみません。
でもお婆さんの回転があまりに凄かったので書いてしまいました。

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