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July 2005

July 31, 2005

ウォーターボーイズ

男の水着姿と水泳! 俺の嫌いな二つのモノをテーマにしたこの映画が大ヒットを取って、うんざりしていたのはもう4年も前の夏だったのだ。
その間、このドラマはTV化もされそれもヒットし今また続編が作られる。
そして今日、始めてこの映画を見た。
なんで今ごろ見たのかというと、月末は忙しので気軽に見られるこういう映画がやっていると見てしまうのです。
その偶然がなければ、男の子の水着姿とシンクロ水泳のこの映画は未だに見ていなかったでしょう。

見てみるとなかなか面白い映画でした。(ファンだった人にはいまさらなんだ! でしょうが)
序盤は駄目な男の子達のトホホな日常が描かれるありがちな展開でした。
なんとなく良いのが蛭子能収演じるコロッケ屋さん。1カットに味を出してます。
それから平山綾との出会いがあり、観客はそこから男の子達のガンバリを期待し、
竹中直人と柄本明の相変わらずエネルギーに満ちた怪演を楽しみます。

映画が俄然美しさを表わし始めるのは、夏の夕暮れの丘の上の公園で妻夫木聡と平山綾が逢うくだりから。
妻夫木聡がライトの灯った自転車を立ちこぎして曲がりくねった坂を登っていくと、街灯の下に平山綾が佇んでいる。
街の光を見下ろす公園での若い2人の邂逅は、青春の夏はこうありたいという、永遠なる美しき願望の映像化です。

そして紆余曲折の末、女子校で行われることになるシンクロナイズドスイミングの祝祭性が素晴らしい。
沢山の女の子の声援に囲まれて踊り泳ぐのは、まさに男子の本懐!
懐かしのアメリカンPOPとJ・POPに乗って繰り広げられるシンクロスイミングのはじけるような動きは若さと生の素直な喜びで、大勢が一緒に飛び込み輪になって泳ぐ姿はとても楽しげでカッコ良かったです。

私は妹が水泳部で、シンクロナイズドスイミングがいかに高度な技術と体力が必要か知らされており、
それをろくに泳げない人までいる水泳部が実現するというあたりに、映画とは言えシラケタ思いがあったのですが、なるほどこの程度の泳ぎで良さを出すなら納得です。

夏の太陽の下で輝く水が撥ね、青いプールの底が光って、このシーンだけでももう1度見たいくらい良かったです。大ヒットした理由が分かりました。

俺ももう1度水泳ならおうかな。
泳ぐのはとても楽しいよ、と誘うような夏の水遊びの素晴らしさを感じさせる映画でした。

偏見に囚われてばかりだと、楽しい作品を見逃すかもしれないので今後は気をつけます。

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July 29, 2005

実録、見合いの道:3

1)見合いは楽しいのか?
それで最初の見合いになる訳です。
正直、ウキウキでした。なにせその頃、私の女っ気は乾季のサハラ砂漠並。
限りなくゼロに近い完全乾燥状態が延々と続いていた訳なので、もう女性と飯が食えるってだけで嬉しかったのを憶えてます。
でも楽しみはあっという間になくなります。
見合いなんて緊張して食事をする、って要はそれだけですから楽しさが続く訳がない。

こんな季節なら、休みの日はTシャツに短パンで好きな事しながらグタグタしていたいでしょう。
それをスーツ着てネクタイ締めて待ち合わせの時間に遅れないように朝起きて上品にお話だけして帰るってのは、回数を重ねるとキツイです。
もう最後の方は帰りの電車の暗い窓に写る自分の顔が疲れていましたね。
でも「諦めたらそこで試合終了だよ」、ってスラムダンクみたいな気分で続けていました。


2)「みあいあいてはじぶんをちゅうおうちとするせいきぶんぷぐらふのせきぶんちにひとしい」
はい、この言葉をいきなり聞かされて意味が分かる人はいないと思います。
いかにも私が言いそうなイタイ言葉を書いてみました。

会話はお互いの意志が通じて始めてなりたつものですが、GFが長い間いないと自分でも気が付かないうちに話す言葉が仕事と好きな趣味だけに偏り、一般的な女性には通じにくくなってきます。

これがGFのいない独身男の陥る罠です。
異性と普段から接していれば、意識しなくても異性との会話の「距離感」って身に付くんです。
PCでもスポーツでも普段からやっていれば、得意にはならなくても「馴れ」がありますよね。
そうすると少なくとも極端な失敗はない。

自分のプライベートな時間を振り返って、それが女性受けしそうだと思ったら自信を持ってその世界を語って下さい。
あまりウケないのではあるまいか?と思ったら・・・そこに少なくとも女性に対して悪意のあるモノではなかったら・・・まぁ、しょうがないですね。

そのウチなんとかなるだろう、と前向きに「誇り」と「希望」を持ってもってフラれましょう。
直せる程度なら治した方が速いですが、あまり自分を偽っても長期的にはダメだからさ。
それで結婚は長期的たるモノの中でも最たるモノですから。

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July 28, 2005

真珠の耳飾りの少女

17世紀オランダの天才画家フェルメールの傑作絵画を映画化した異色作です。
この映画の素晴らしさはなんといっても自然光を思わせる室内の光の演出が、類をみないほどの出来で、
それはそのまま柔らかな自然の光に満ちたフェルメールの端正な絵画そのものです。
監督のピーター・ウェーバーはこの光の表現に命を掛けたな、とわかります。

光を描く、というのはこの時期の絵画の特徴で、このバロックを経て近代絵画、特に印象派で「光」の表現は一つの究極を迎える訳ですが、「光」は宗教的モチベーションから解放された画家の感性が最初にみつけた探求対象の一つですね。

オランダはいち早く海洋貿易を勃興させ同時に市民階級が台頭し、美術へのパトロン化が進んだ国でもあった訳ですが、映画の冒頭、いきなり破産したエピソードがあるとおり、この時期(絵の制作年代は1665年)のオランダは有名なチューリップ投機バブルが崩壊(1637年)し、国力は疲弊し制海権はイギリスに奪われ苦しい時代になっています。

カソリック云々というセリフは、16世紀末にスペインからプロテスタント勢力の強い地域が今のオランダとして独立したことを表わします。こういう関係のない話を書いているのは実はこの映画、フェルメールがかなり好きな方でないとちょっと辛いかもしれないのです。

一応モデルの少女がフェルメールとの仲を噂されそれを奥さんが・・という展開なのですが、正直ストーリーに盛り上がりはなく、それよりも場面場面で切り取られるフェルメールの別の絵画を思わせるカットに絵画ファンが喜ぶという以外、絶妙な光の演出美を堪能するしか楽しみがないのです。

だいたい19世紀まで忘れられていた画家ですから、この「真珠の耳飾りの少女」が、こんな役回りだったというのもフィクションで、実際は年の離れた奥さんだったかもしれないし、ちょっとした親戚、あるいは近所の知りあい、さらに空想の領域を広げればフェルメールが寡作であり長きに渡って忘れられた存在だったのは、実は女性だったからであり、この絵画が自画像だったりしてって・・それはないですね、スミマセン。

主演のスカーレット・ヨハンソンは熱演で、特に絵画と同様のポーズをする処などは、監督の演出の効果もあり瞠目する画面を創造しますが、実際の絵画を知っていると、絵のモデルになった少女の方がより素朴であり、ヨハンソンの表情からは終始、違和感が拭えませんでした。
また映画のエンド・ロールで実際の絵画が映し出されると、その差がよりはっきり出てしまいちょっと皮肉な演出になってしまっていました。

とりあえずフェルメールファンは必見。
また静かな芸術系映画ファンにはオススメの映画です。

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July 27, 2005

台風一過

巷に雨の降るごとく、我が心にも涙降る・・・byヴェルレーヌ
なんて言っていられないような雨でした。

実は私、子供の頃、台風好きだったんです。
大人がアタフタしている様子が何か只ならぬモノの到来を予感させて、
退屈な日常を壊してくれるような気がしていました。
TVなんかも大騒ぎで、スゴイのが来るぞ、来るぞ、と煽るからもう興奮度は上がる一方。
で、いよいよ上陸!なんていうと案外大したことなかったりしてね。
子供だから被害にあった人のことを考えるなんてことなくて、
「なんだよ、アレだけ期待させといて、これで終わりかよ、ボケ!最低、学校くらい壊してから行けよ」なんてガッカリした思い出があります。

しかし昨日なんかの野太い雨を見ているとやっぱり日本って結構、南の国なんだな、って思いますね。
蒸し暑くて熱帯性の豪快な雨でした。
確かに水害は困りますが、雨はありがたいですよね。
海水を蒸発させて塩分を濾過して陸地の水瓶まで勝手に運んでくれる訳だから、もし雨がなかりせば、膨大なエネルギーを使わなくてはなりません。
昨今のエネルギー資源高騰のおり、そうなったらエライ出費だよなぁ。
それが無料
水害を起こさない程度に、今後も順調な水資源の供給をお願いして、台風一過の好天を楽しむのだ。
スッゲエいい天気!
青空の色がハンパじゃない。
今日は休みなんです。
1週間ぶりの休み。
次の休みも1週間後。
やっぱ最低週休2日は欲しいんだけど・・・
どこ行こうかにゃあ・・・

俺の趣味は引き篭もり系が多いから、たいして行く所がないのが辛い。
こういう時、ゴルフや釣りなんかのアウトドア系の趣味の人って羨ましい。
こんな日は最高だろうな。
人を羨ましがったところで、今日の記事は終わり。


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July 26, 2005

ゴシカ

マリン・スポーツに縁のない私にとって、夏はホラー映画の季節である。
うんとうんと怖い映画を見てみたい!でもグロは嫌いだよ。
という訳で「ゴシカ」である。

人はどんな分野にでも好きなモノには直感が働くものだけど、この映画の予告編は好感度だった。
久々の本格派心霊ホラーだと思ったのだ。

豪雨に降り込まれる深夜の女性刑務所の内部描写は悪夢のようなゴシック風で、気に入りました。
監督のマチュー・カソヴィッツ、なかなかの力量だとお見受けします。

ところが話しが始まると、ちょっとアレアレ?
これは超常ホラーなのかサイコ・スリラーなのか?と迷わせる展開になるのです。
ホラーはやっぱり説明不能の超常主義が好みです。
妙に設定が現実的だと、せっかくの恐怖が飛躍し難くなる気がするのです。
お化けが出てきても、果たしてこれは主人公ミランダの幻想なのか? 本物なのか?
迷ってしまうと怖さよりそっちが気になってしまう。

理由も言わずに襲ってくる怨霊に、ミランダが「私にどうして欲しいのよ」という言葉を投げ付けますが、
これは観ている方も同感で、「なんでやねん!」と苛立ちます。
その謎がしだいに解明されるのですが、なるほどこういう訳で襲ってきたのね、と納得する処は怖かったですね。
さらにラストのクライマックス。一般に予測されてしまった結末は退屈なものです。
この映画、この手を観なれた人なら、もうあそこから結末が解りますよね。
それでも私には結構カタルシスもあって不満なしでした。
ネットでの評判はイマイチのようですが、私には充分及第点。


ps
1)刑務所内の精神病棟のシーンは、「ターミネーター2」へのオマージュだと思います。
あの映画もこうして賛辞が捧げられる歴史的傑作になったかと思うと感無量ですね。
2)主演のハリー・ベリーばかり褒められますが、ペネロペ・クルスも汚れ役を熱演してます。
単なる美人女優じゃないわよ、という野心がある辺り、恋人だったトム・クルーズと似てますね。
やはり恋愛は、どこか似た者同士が落ちるモノなのでしょうかね。

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July 25, 2005

素数に憑かれた人たち~リーマン予想への挑戦~7

チェビシェフの第一の結果
ある定数Cについてπ(N)~CN/log Nならば、Cは1に等しくなければならない。
チェビシェフの第二の結果
π(N)は、N/log Nからプラスマイナス10%以上離れることはない。

復習します。
「リーマン予想:ゼータ関数の自明でない零点の実数部は、すべて1/2である」
ζ(s)=1+1/2^s+1/3^s+1/4^s+1/5^s+1/6^s+1/7^s+・・・(定義域:sは1より大きい数)
上記の式は、ζ(s)=Σn,n^-s(Σのすぐ後ろのnは本当は下に書きます)
これをエラトステネスのふるいと似た手順を行い。
ζ(s)=1/1-1/2^s×1/1-1/3^s×1/1-1/5^s×・・・(項の分母は1、分子は1-1/2^sです。以下同順)
つまり
ζ(s)=Πp(1-p^-s)^-1と書けます。素数全ての無限個の積です。
Σn n^-s=Πp(1-p^-s)^-1
ここまでが前章までのまとめ。

S(x)=1+x+x^2+x^3+x^4+x^5+・・
この式は、S(x)=1+x(1+x+x^2+x^3+x^4・・・)と書き直せます。
そして()の中にあるのはS(x)の式そのものです。ならば
S(x)=1+xS(x)となりよって、S(x)-xS(x)=1となり(1-x)S(x)=1となりS(x)=1/1-xです。
1/1-x=1+x+x^2+x^3+x^4+x^5+・・・です。
無限級数S(x)=1/1-xとなりました。
この式は-1と1の両端を除く区間で値を持ちます。(1/1-xは、1では分母が0。S(x)は-1で値はなくなります)
無限級数はその関数の定義域を制限される、ということです。

ゼータ関数も定義域は「1より大きなすべての数」でした。
ζ関数は、1より小さい引数でも1以外でなら値を持ちます。
しかしそれは極大(1兆の100万倍とか)と極小(1兆の10億倍のマイナスとか)を往復するとてつもない軌道を取ります。
ただ重要なのは、-2、-4、-6などの負の偶数はすべてゼータ関数の零点である、ことです。

1/1-x=1+x+x^2+x^3+x^4・・・の描くグラフを積分します。
1/xの積分はlog xなので1/1-xの積分は、-log(1-x)です。
よって -log(1-x)=x+x^2/2+x^3/3+x^4/4・・・
この両辺に-1を掛け
log(1-x)=-x-x^2/2-x^3/3-x^4/4・・・
ここで始めの式では成り立たなかったx=-1適用すると
log 2=1-1/2+1/3-1/4+1/5・・
これはlog 2=0.693147180599453・・・と値を持ちます!
同じ式が並べ替えを違えると結果が違ってくる!
値のないはずの式が積分値を持つ矛盾です。

極限が和を取る級数は、
「条件つきで収束する」ものと「絶対的に収束する」ものの二つの種類があったのです。
以上、9章まで。

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July 24, 2005

地震?雷?怖いモノ

幸いにも阪神大震災とか新潟中越地震のような大震災を経験していないせいだろうが、
私は今日程度の地震だと怖くない。周囲は結構慌てていたが、私はまったく平気である。

雷も怖くない。むしろ雷がなると酒を呑み出す。空の色が変わり、空気に野趣が漂い、雨がザッとくる。
ちょっとしたスペクタクルでその風情は酒の肴として好適である。

若い頃、泊った旅館の隣りが火事になったこともある。
風もあり一事はかなりの炎が上がり深夜の古びた旅館は騒然とした。
私も起こされたが、火事は細いが道路を挟んだ向こう側であり、
消防車も来ておりこれは概ね大過ない、と判断し寝ることにした。
翌日、良く眠てられましたね、と言われた。
客の中には大慌てで外に逃げたり、駆け出したりする人もいて大騒ぎだったらしい。

それから我が家は、1度だけ空き巣に入られた事がある。
その時、「泥棒に出くわさなくて良かった」ということを何人かに言われたが違和感があった。
相手は私の家に入った泥棒である。
私はぜひ会いたかった。
相手が香港映画の殺し屋みたいな男だったら、すぐに逃げたと思うが、互角だと思ったらファイトする。
まぁ空き巣相手でも、ナイフ位は持っているかもしれないし、
実際はビクビクと声を掛けるくらいが関の山だと思うけど、相手は集団強盗団ではなく空き巣である。

最初から御身大切のあまり会わずに良かった!とまでは、思いたくない。
現実には無理でも、チャンスがあればやっつけたい!と、思うだけ! でも思いたい。
これでも武士の末裔である・・・正確には農民の末裔だけどね。

考えてみると私は地震も火事も雷も空き巣も怖くないのだ。
大したヒーローだが、元々気の小さなひ弱な人間なのは自覚している。
だから本当に怖いモノを考えてみた。
綺麗な女性とお金が怖い、なんて落語のオチのようなものではなく真剣に考えた。
ちょっと前までは病気が怖かった。
それもいつのまにか、あまり恐怖の対象では無くなった。
人間、死ぬ時はしょうがない、と思い始めている。
この辺は、なんだか投げやりになっているのか、度胸が良くなっているのか解らない。

でも一つだけ怖いモノを思いついた。
数年前にシューノケリングをする機会がありそれは、ホテル主催のとても穏やかなシュノーケイングオプションで、参加者はオジサン、オバサン、子供達である。
絶対に沈まないウエット・スーツを着て、ホテルのすぐ傍の海で行われるものだ。
付いて来る監視員も大勢いる。

しかし泳げない私はもう海に入り底を覗いた瞬間、パニックである。
足の立たない海中にいると思うと、恐怖のあまり動悸がして我慢できない。
結局、5分くらいでジタバタと無様にボートに戻った。
監視員は一見若く健康そうな男性が、あっという間に戻ってきたので何かの異常か、と訝し気なので、
「私は水がダメなのだ」、と説明してボートの上で休んでいた。

その間、周囲はみんな楽し気に遊んでいる。
夏の好天の穏やかな海である。どう考えてもハードで危険な遊びではない。
そこでもう1度チャレンジしようと海に戻った。
やっぱり駄目だった。
オープンカーやオートバイで、峠をすっ飛ばしているより、遥かに安全なのは言われなくて解っているが、
怖いものは怖い。

人間の怖いものって不思議なもんだよね。
でも不合理な恐怖の対象って、みんなにもあると思うよ。
終わり。

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July 23, 2005

魔術的芸術:3 ブルトン著

「我々の夜」からギュスターブ・モローの天才は、神話の存在たちを出現させる。
言語学的、理性的な研究の名もとに合理化が企てられ服従させられようとした「夜の存在」に、
モローは本来の魅惑の力を返すことになる。
それは見えるモノ、触知可能なモノを描く画家の敵意を呼ぶが、
ルドン、マラルメ、ユイスマンスの保証を得ることになる。

アンリ・ルソーこそ「魔術的レアリズム」の顕現である。
彼の催眠術師の手さばきにより、見る者の狼狽の原因はさだかでなくなる。
「意識とは、ある明白な活動に隠されている潜在的能力の孵化であり転化であり、ひとつの源泉を有する噴出である。こうした展望のなかで<無意識>はある心理的な、さらに形而上学的な神秘的な性格を纏うある宇宙的共感の場となる」
ルソーの単純さは「太陽の息子」の原始状態への回帰であり、ランボーが、ロートレアモンが初めて見つけだしたものである。


キュビズムは純粋な技法上の約束事としてヘルメス的秘法の装い元に人の顔でしかないものを匿い、予備知識のない者には「タブローの灰色の色調のなかに建つ幻想的構造物の背後に逃げ去る」ものになる。
キュビズム絵画では、具体的対象は消え去り、不明確でも構造の見分けがつく一つの存在を描き出す。
それは奇異な様相により我々の注意を引きつけその力に従わせる。
「鏡の向こう側」の自分に気づき、「写実的な」表現などとうに無効だという事実を、純粋に感情的な関係のゲームのなかで悟らせる。
その絵の主題の解明さえ無視させる交流は、確かに魔術的である。


キリコは事物の秘密の生命に発する事のない全ての要請は斥ける。
物体はもはや物体ではなく、その始動する信号との間において愛でられ、
運命の感覚を予感させられ、生命のない世界に潜む直感と、稲妻めいた何物かへの選択的な感受に訴えかけられる。こうしてキリコにより絵画は純粋な象徴表現へと移行された。
「常軌を逸したもの、予想外のもの、不思議なもの、驚きを呼び起こすものだけが、人の意図に自問を強いることが出来る」その自問から見出される反響こそが、あらゆる審美的配慮に先立って勝負のねらいになる。
こうしてキリコは、因果律を越えたより高度の優越した因果律である魔術的因果律と境を接するのである。


「黒いシベリア:極北の悪魔学とケルト、地中海以前の文化の融合」へと降りるカンディンスキーのランプが照らす「抽象性」は壮麗で野蛮な和音を奏でる。
モンドリアンと比べて純粋に芸術的(一切の知的要素を除去した)ということではない。
しかしそれはマラルメの空白のページ(「孤独」「暗礁」「星」)に接するまでに普遍化されている。

キリコとカンディンスキーの2人を拠り所にして20世紀の美術は発展した。
しかしキリコは「安物のシュルレアリズム」を、カンディンスキーは「抽象画家」の模倣を生むことになる。

「美」は社会に命じられることにより、最大多数者の理想にあった顔、つまり凡庸な顔をさらすことになる。

図版:ルネ・マグリット「光の帝国」、デュシャン「階段を降りる裸体」、カンディンスキー「灰色の中に」、
キリコ「ある街路の神秘と憂愁」、シャガール「誕生」、ブラック「ギターを持つ男」
ルソー「夢」「蛇使いの女」


次回からはこの本の第2章、「芸術、魔術の伝達手段」

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July 22, 2005

人民元切り上げ

日本時間の夜8時は、このところ世界的事件の多発帯なのか?
私にとって、この時間帯は仕事と夕食を終えて仮眠から覚める頃。
今日も起きてPCを立ち上げていると、TVから臨時ニュースの音が。
どうせ大したニュースじゃないんだろう、と思って見たら人民元切り上げ!
世界の金融市場が待っていたXディになったのだ。

為替先物のリアルタイム・プライスを見ると円が急騰している。
実はもう5年位前から、かなりの額の円売りポジションを持っている。
細かい売買は一切してない。
ひたすら持ってスワップレートを稼いでいる。
資産分散の意味と、日本円の低い金利を利用したキャリー・トレード(笑)のつもりである。
ドル、ユーロ、カナダ・ドル、英・ポンド、豪ドル、NZ・・・とりあえずドルとユーロで世界的な通貨ヘッジして、カナダ、ポンド、豪、NZは資源(地下、農業資源)国通貨、という日本にはない資産を買っているつもりである。
世界の通貨を分散して持っていると、ドル急落なんて時も、ユーロや豪ドルの上昇でそれほどの損は出ない。
逆にドルが上がっても今度は資源国通貨やユーロが落ちて、それほどの儲けも出ない。
方向感で儲ける取引ではないので、それでいいのである。

だからレバレッジも2倍強で、円独歩高のおりには投入可の預金も準備している。
嫌なのは日本の金利が上がりスワップレートがマイナスになることだ。
この処、円は独歩安で含み利益はドンドン積みあがっていたが、憂鬱だった。
これがトレンドから利益を狙う投資だったら嬉しいのだけど、私の方針はひたすらホールドである。
含み益は幾ら積みあがっても関係ない。
今の円安は高値を続ける商品市況の影響が怖い。
それは日本の物価の上昇を呼び、金利引き上げの時期を早めるかもしれないからである。

未だ量的緩和の「量」が議論されている中で、ゼロ金利解除の心配など心配し過ぎといわれるかもしれないが、そんな先々のことを心配し過ぎたから何とか今の生活があると思っている。
円売りのポジションでも、ひたすらスワップ狙いの私の理想の展開は、円のジリ高が良い。
高い円が物価を抑え、金利は低いまま。スワップだけが稼げるという展開である。

それに何より自国の通貨は世界的視点からみれば、
そのままその国の国民(あなたと私の)の経済力そのものである。
輸入される食品からエネルギー資源まで、円が安くなれば高く買うことになるのである。
海外旅行で日本人が贅沢出来るのも、高級外車に乗りやすいのも高い円があってこそだ。

人民元切り上げの背景には、石油や鉄鉱石を始めとする中国の対外資産購入力を増す方が有利という判断もあるはずだ。
切り上げ幅はまだ2%。
もし中国経済が本当に強さを持ち続ければ、切り上げの動きは続くだろう。
自国通貨の切り上げは、その国内で弱い立場の人間をさらに弱くする。
中国は貧富の差が問題になっているから、当局は常に気を配ることだろう。

ただもし元が強くなるなかで、円が弱くなるのは怖い話だと思っていた方が良い。
通貨の値段は国力そのものなのだ。


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July 21, 2005

二つの戦いを見る

TVで見たい番組が重なった。
K-1ワールドMAXと、NHKの「その時歴史が動いた:巨大鉄船、戦国を制する」である。
普通ならどちらかを録画するのだけれど、K-1は見ているだけでも用が足りるので、2画面にして同時に見た。
共に戦いであるが、NHKの力の入ったナレーションを聞きながら、ミスター・ストイック小比類巻の戦いを見るのも悪くない。(負けちゃったけどさ・・・)
「歴史の・・」の方は、大阪に拠点を持とうとする織田信長と大阪の水利を握る本願寺を応援する村上水軍の話である。

しかし織田信長も大変だな。敵は武田信玄に上杉謙信、その上に村上ファンドだものなぁ・・・
・・・滑りましたか?すまぬ。とりあず謝るので続きを読んで下さい。

村上水軍は強い。ホウロクなんて手投げ弾を使ってくるし、大集団の統制は取れているしね。
その対抗として織田信長の考えたことが、当時の常識を破る巨大な鉄の船である。
基礎テクノロジーとしては刀鍛冶の技術があったというのは、なるほどであった。
歴史が動くのは、1578年11月、村上水軍600隻対、織田の巨大鉄船6隻の戦い。
CGがカッコイイぜ、巨大鉄船。男はこういう絵柄に燃えるのである。

戦いの様子は、巨象に挑むハイエナみたいな感じ。
こういう戦いはたいてい数が多い方が勝つんだよね。
村上水軍もそう思っていたはずさ・・・それを打ち破るさらなる秘密兵器は船倉に隠された西洋式大砲。
結局、敵の思惑を上回る2段構えの作戦だったのだ。
織田信長の常識にとらわれない発想と、それを可能にした刀鍛冶の技術。
歴史を動かすには、跳びぬけた発想と地道な基礎力の両方が必要なのね。

世界にも類のない巨大鉄船のその後の資料がない、というところは神秘だな。
きっと信長が消した歴史なのだろう。

終わったのでK-1に戻る。
クラウスとジョンウェインの戦いは熱戦である。プワカーオーも頑張った。
魔裟斗の左足首複雑骨折は残念だったけど、大したものです。挨拶でも良い顔してました。

K-1の優勝は、パワフルだったA・サワー。
夏はやっぱりサワーだよね。

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July 20, 2005

キル・ビルvol.2

花よ、綺麗とおだてられ。
咲いて見せれば、すぐ散らされる。
憎い、悔しい、許せない、尽きぬ女の、恨み~節、
真っ赤な薔薇には棘がある。
刺したがないが刺さずにゃおれぬ。
死んで花実が咲くじゃなし、恨み一筋生きていく。
女、女、女いのちの、恨み~節。
「恨み節」by梶芽衣子

キル・ビル1のラストにかかって日本人ファンの度肝を抜いた、梶芽衣子の「恨み節」は、あの雪のシーンへのオマージュという意味を突き抜けて、この2編の映画の基本的なモティーフだったのでした。
たぶんタランティーノは「さそり」シリーズを観て、このクールなジャパニーズ・ムーヴィーのクールなテーマーソングのワーズを知りたいぜ、と思って調べて、その歌詞の内容のシブサにKOされてしまったのかもしれませんね。
だってストーリーはvol2を終えた後にもかかるこの歌の歌詞、そのまんまなんだもの。

今回は前作ほどメチャクチャなノリを抑えて、随所にマカロニ・ウエスタン、カンフー映画、ゾンビ映画などからも換骨奪胎、奔放でいながらも基本的な構成はしっかりと監督としての力量を見せ付けます。
また相変わらす音楽に対する感性も鋭く、マカロニ・ウエスタン風のとこなんか好きな私などがシビレテしまう勘所を良く掴んでいますねぇ。
さらに最後の「決め技」!
もうこういう話題は俺大好き!というタランティーノの声が聞こえてきそうな終わり方で、その時の効果音もぶっ飛ぶセンス。あのシーンであの効果音を使えるのは、さすがに世界でタランティーノだけでしょう。

ps
あのシーンで特訓する中国拳法の技は「寸ケイ」という技ですよね。
西洋的な力学を基本にする格闘技だと、大きな威力=大きな振りかぶり、という前提を覆しているああいう技には神秘を感じるのだと思います。
それをストーリーの中でああいう具合に使うとはね。

それから背中に日本刀を挿すのは忍者映画の格好ですよね。
忍者とか不思議な中国拳法とか、マカロニ・ウエスタンの音楽とクローズ・アップのカッコ良さとか、
タランティーノは普段からそんなことばっかり考えている素敵なオタク・オジサンということでした。

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July 19, 2005

下妻物語 完  獄本野ばら

前作は、ハードボイルドの精神と教養小説の骨格を、ヤンキー&ロリータの少女に埋め込むというデペイズマン的なミスマッチを成功させた傑作だったが、これはその続編。
今度は途中で殺人事件に巻き込まれる、と聞いた時はまるで期待は持てなかった。

ミステリーというジャンルは人気もあり一般的でいながら、他の分野との融合が難しい。
ミステリーというのは癖の強い食材のように他の分野の美点を消すので、合わせ技で成功させるのは困難なのだ。
このシリーズは2人の絶妙なキャラクターが売りなので、それがミステリーというある意味狭いジャンルに規定せれてしまうと、読者を魅了する自由度が狭められるのでは、という懸念があった。

ところが読み進めるうちに夢中になった。
序盤はともかくギャグが冴える。そして全体のバランスを崩すほどに多用される。

なるほど。獄本野ばらは、斬新だった設定は飽きられても、ギャグは受けると読んでこっちの路線なのね、とまずは納得。
その間、ともかく笑える。夜中に読み出したのだが、その日は深夜まで私の怪しい笑い声が、
トイレ(読み出したら止められなくなったのです)で寝室で発せられたのだった。
そして事件が起るのだけど、それ自体は、どことなく火サスのような安いノリで、思った通り謎解きもまぁアレな訳ですけど、その途中途中に泣かされる。

その泣きと笑いの落差は、果てしなく大きくかつ唐突で、
読者は獄本野ばらの幻惑的ともいえる小説手法に翻弄され我を忘れて楽しむことになる。

結局、この話は「志し」に向かう決意を表明した一種、司馬遼太郎的、あるいは梶原一騎的な性向をもった本来は古臭い枠組みで語られるべきモノなのですね。
それにヤンキー的価値と、ファッションと云っても極特殊な分野への衒学趣味を丸め込んだ、いわゆる「偏縁への嗜好」を語った1品なのだ。

ラストの「不思議な独白」は、相当水準のミステリーすら遥かに凌駕する驚きを秘めた「愛の神話」であり、
同時に負け犬が這い上がろうとする映画「ロッキー」を思い起こさせる大きな感動に満ちたお話になる。

映画も、ぜひぜひこの続編で作って欲しい。アンナさんも復帰OKみたいだし。
傑作だった前作の遺産を生かし、その上からさらに跳んだこの作品の映像は絶対に欲しい。

でもこれで本当に(完)なのか?
(完)だの[最後]だのと言いながら、続編が作られ続けた「13日の金曜日」シリーズや「仁義なき戦い」シリーズの、ジェイソンや菅原文太のように復活し続けて欲しい。
この2人の続きは、まだまだ読み足りない。
1冊目は題名からして、目もくれない作品でした。
今回も信用していませんでした。
でも次作が出たら、今度は見ずてんで、本を買います。
寄り付きで成り行き買いをします。
その位、強気の決意をさせる傑作でした。

だってこんなに笑って泣いたミステリーって憶えがないもの。
浪花節の涙が生みだすカタルシスは永遠だ!ということで。

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July 18, 2005

休日は、やっぱり本屋

昨日は記事を書いてから、池袋のジュンク堂へ。
買った本は、
「イメージを読む:若桑みどり」主にルネッサンス期の美術論。若桑みどりは凄いよ。
「柿の種:寺田寅彦」名著として高名ですが、改めてその新鮮さにびっくり。
「フランシス・ベイコン対談M・アルシャンボー」ベイコンは押さえておきたいのです。
「若い読者のための短編小説案内:村上春樹」村上春樹のエッセイは好き。
「アルベルト・ジャコメッテイのアトリエ:ジャン・コクトー」この2人の競演だし。
「VENUS:スポーツの女神たちー宝島編集部」シャラポワ、ミキティの写真本。
「ランダムウォーク&行動ファイナンス:田淵直也」参考になりそう。読み込みます。
「FLTが解けるまで、アクゼル」フェルマーの定理本。もう3,4冊目?アクゼルだからさ。
「線形代数:柳下公男」行列を基礎から勉強しなおします。
「映画ライターズ・ロードマップ:ウェルマン」映画は脚本から見たいので。
「ハリウッド脚本術」映画鑑賞の下地になればと。
「映画の見方がわかる本:町山智浩」かなり面白いです。
「下妻物語完:獄本野ばら」下妻物語の続編です。家族も読みたがっていたので。
「エジプト文明の誕生:高宮いずみ」今の時代は、古代史をこう分析するのかと新鮮。

池袋駅の構内の安売りで
「風と共に去りぬ:DVD」1500円だったし。
「ブラジル:ボサノヴァCD」ジョビンへ捧ぐオムニバスだって。
「バラードNo1ヒッツ、70-90」懐かしのヒット曲集
「カーニバル・デ・リオ」サンバのCD
「キューバ、サルサとティンバ」キューバ音楽のCD
以上、本、CD、DVDの合計3万くらい。

昼飯はジュンク堂の隣りの回転寿司で、ビールと一緒に。
本屋から帰ってからは爆睡しました。眠かったです。
運転では、スピードより居眠りが遥かに危険が持論です。
やっぱドライブは途中で切り上げて良かったかも。

起きてからは買ったサンバのCDを聞きなら例によって買った本をとっかえひっかえ。
「ランダムウォーク&・・」は久々に本気で読めそうな名著の予感。
「線形代数」は行列の始めまで。「リーマン予想」の後半にエルミート行列が出てくるので前準備も兼ねてる。
「柿の種」には寺田寅彦の才能に目眩がしそう。
そして行きついてハマッタのが「下妻物語(完)」!
驚くべき傑作!
昨日の深夜から読み始めてさっき読了。
これから買い物に行って、トレーニングして、勉強と仕事の前準備をダラダラやります。
夜は川嶋vs徳山戦。

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July 17, 2005

1000キロドライブ! ・・・挫折!

5月のG.W以来の2連休! 2、連、休、です。数字の間違いではありません。
ともかく2日続けての休みには縁がない私なので、この日を楽しみにしてました。
なんとか有効に過ごそうと考えた挙句、500キロ離れた神秘の地に素敵な美術館を発見。
往復1000キロの旅だけど、愛馬S2000で突っ走る覚悟を決めました。
昨日はガソリンを入れてタイヤのエアを確認して、今日やるはずのウエイトとバイクのトレーニングをやって風呂はいって寝たのが11時半。(トレなんか休めばいいんだけど・・)

本日は5時半起床!
少し眠いけど今日は1000キロを走るのだ。
トマトジュースを飲んで出発!
高速までの下道は空いているのでドンドン行く。
いつもは開ける幌は閉じたまま。オープンにすると気持ちがイイ半面、疲れが出やすい。
そして高速へ!・・・混んでる。
みなさん、パワフルですね。
いつも休日ヒッキーの俺の知らない世界だわさ。

途中飛ばしてくるフェアレディZに遭遇。私はすぐに追い越し車線を譲ります。
イイのよ。混んでる処でスラロームしながら追い越す趣味はないから。
それにしても追い越し車線を譲らないクルマも多いです。
Zは蛇行しながら抜いて行くけど、お互いに危ないよね。
追い越し車線は譲りましょう。そのクルマが行ったら、また戻ればイイんだモン。

なんかボーっとしてるので、サービスエリアでトイレ&ブラック・コーヒーを注入。
さて元気を出して!と思ってもなんかダメ。
はっきりしてこない。
すでに150キロ走行。でも後片道350キロ・・・
なんか都心の本屋に行きたくなってきた・・・

すでに周囲は薄く霧が出ていて山岳地帯の雰囲気。で、決めた。
高速を降りる。帰ります。なんか無理に走り続けても楽しめなさそうなんだもの。

幌を開けて爽やかな山の空気を感じなんがら降りたばかりの高速に戻って帰り道を飛ばす。
もう疲れることは心配ないものね。
道もガラガラ。
途中、セリカがオープンにして走っているのを見る。
そういえば行きでも白髪のオジサンが乗る幌を空けたユーノスがいた。
オープンの魅力に少しでも沢山の人が気づけばイイな。

さらに行くとソアラがオープンにして走っている。さすがにゴージャスな雰囲気だせ。
こっちは結構飛ばしている。
俺が追い越すとついて来る。
ついてくるけど距離感を持って煽る雰囲気ではなくて2台でランデブーって感じ。
イイじゃないですか、オープンの2台は130-140で巡航する。
周りは空いているから危なくないよ。
そしたら今度は幌は閉めたポルシェ・ボクスターに遭遇。
なんかボディ全体から滲み出る高級感がありますね。
でもポルシェのあの高級感は諸刃の剣だ。
ガキの頃憧れた73カレラなんてのは高級、というより「危険な刃物」って感じでそこにオーラがあった。
俺は高級より危険な感じのクルマが好きだよ。

それでソアラと2台で抜いたらポルシェが抜き返してくる。
ソアラは断然、やる気です。
俺も上等!
3台でバトルですか?
受けて立ちますよ。
今度は周りが空いてるからイイでしょう。
最初に脱落したのはポルシェ。でも公道ですから、勝ち負けって話じゃない。
危ないと思ったら止めるだけ。本気で走ったら、リミッターのない向こうが速いよ。
またソアラと2台のランデブーに戻る。
乗っているのはなんか高級そうな洋服を着た50代?のオジサン。
俺は汚れたS2000でTシャツだよ。クルマぐらい洗っとくんだったなぁ。
後悔してる間に、いつの間にかスピードがリミッターまで上がっていて単独行に。

それで帰ってきて、こんな記事書いてます。
これから本屋に行って気合をいれて本を買います。
妻と子供は横浜に行っちゃったから、連絡が取れれば落ち合おうかな。

ps
交通課の方へ。
記事の上のスピードは見栄を張って誇張してます。
本気にしないでね。


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July 16, 2005

素数に憑かれた人たち~リーマン予想への挑戦~6

ζ(s)=Πp(1-p^-s)^-1でしたので、Σnn^-s=Πp(1-p^-s)^-1となります。(ΣとΠの次のnとpは、下に書きます)これがオイラーの積の公式です
上記の式は左辺の和(Σが使われています:すべての正の数の無限個の逆数の和)も右辺の積(Πです:すべての素数の積)も、項の数は無限です。

今後、必要になるので微積分の復習をします。
X^nの導関数(デリバティブ)の公式は、NX^n-1です。具体的には
X^-3の導関数は-3がXの前に来て^の肩に乗るのは-3に-1を足した-4で、
-3X^-4ですね。
X^0は0をXに掛けるので0です。
X^1は1をXの前において^は0になるので、ただの1になります。
X^3 は3を前に^は3-1=2となり3X^2ですね。
特殊な関数としてlogxの微分は、以前書いたように1/xですね。
また、
fの導関数が、gならば7fの導関数も7gになり、f+gの導関数もfの導関数+gの導関数になります。


X^nの積分の公式:X^n+1/n+1です。
X^-3の積分は、分母に-3に+1をして-2、分子はX^-3なので-3に+1して-2になり
-1/2X^-2ですね。
X^-1の積分は、logxになります。積分は微分の逆関数です。
X^3の積分は、3に+1をたし1/4としXの^も3に+1して4、結果1/4X^4ですね。
以下、公式に乗っ取って計算出来ます。

微分は関数の曲線の傾きを計算しますが、積分は関数の描くグラフの下の部分の面積を計算します。
1/X^4(X^-4のこと)のX=2とX=3の間の部分の面積を求めるには、
積分の公式を使い-1/3X^-3となり、X=2と3をあてはめて計算すれば、-1/81と-1/24になります。
よって(-1/81)-(-1/24)=1/24-1/81となり19/648で0.029321となります。

3∫2x-4dx(∫:インテグラの前の3は∫の上に後ろの2は下に書きます)と表現します。
この時2から3までとせず、100までとすると-1/3000000を引くことになり、
さらに無限大に向かって進めばこの値は0に限りなく近づくことになり結果、
∞∫2x^-4dx=1/24となります。(∞は∫の上に、2は∫の下に書いてます)

ここで特に1/logtという関数を考えます。いつものxを特殊なものとしてtにします。
その1/logtの積分を計算します。X∫0(1/logt)dtです。
この書き方は面倒なので、この関数には「対数積分関数」と特別に名前を付けてLi(x)と書きます。
この積分値はx=1の時マイナス無限大に沈みますが、
1より大きくなると無限大になるという複雑な動きをしめします。

そして重要なことは、Nが大きくなると、Li(N)~N/logNになるのです。
それならば、π(N)~N/logNだったので、(~は遷移的:しだいに近づくということです)
π(N)~Li(N)です。
そして実はLi(N)はN/logNよりπ(N)(素数個数関数)に近いのでず。

よって素数定理はπ(N)~Li(N)と書き換えられました。
実際に数えると、Li(N)>π(N)>>N/logNという感じです。
7章まで終わりです。全体の1/3です。

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July 15, 2005

実践!!見合いの道:2!!!

おふくろ「オマエ、そろそろ誰かいないのかい?・・・その・・・GFとかさ」
私「いない」
おふくろ「誰かいるだろ」
私「断言するが、一切いない」
おふくろ「・・・」

こういう会話が交わされたのが、私が27,8才の頃だったでしょうか。
親元を離れて生活をしていたのですが、私の生活の想像はついたのでしょう。
それでまぁ、お見合いオジサン、オバサンのツテを探しに仕方なく動いたようです。
と、ここまで書いてきて思ったのですけど、この話もう20年近く前の話なのですよね。

今でも「お見合いオジサン、オバサン」って生息しているのでしょうか?
日本社会へのそんな根源的な疑問を持っても話しが続かないので書き進めますが、私の話はなかなか決まらなかったので、次第にお付き合いした仲人さんの数も増えて色々な方がいることを知りました。
とても感じの良い方から、どうもお付き合いを続けるのは苦痛を感じさせる方まで。
相性もあると思います。最初の方が悪くても、ガッカリしないで頑張りましょう。


もうの一つの見合いの機会を作ってくれるのが、いわゆる「結婚紹介業会社」です。
私はこっちにも30を過ぎから入会しました。
選んだ基準は新聞に一番頻繁に広告を打っていた、某社でした。
今のようにネット検索で評判を調べるということも出来ない時代でしたので、
まず電話を掛け、それから実際にその会社に行ってみました。
高いお金を払うので、「真面目な会社」を「慎重に選択」したつもりです。
(書くまでもないと思いますが、本気で結婚を考えるなら、いわゆる「出会い系に近い処」は避けましょうね。逆に遊びなら本気結婚系だと大胆な行為は問題にされると思いますです)

ここまで書いて1番言いたいことは、
「お見合いは結婚への機会を、お金を出して買う、投機的な行為だ」ということです。
投機というのは貯金と違い、地道に貯めて何年したから幾らになった、という安定した結果はもたらしません。

最初の見合いで最高の出会い! 1発当てて後は幸せな一生、という人は現実にいます!
逆にお金を掛け、時間を割き続けてもまったくダメだった!ということもあるでしょう。
良い出会いだ、と思ったら、先でトンでもない目に合った、ということも・・・ないとは言えない。
努力が地道に直線的に積みあがるような結果にはなりません。

それから最近は晩婚化、少子化対策で、「公共機関でのお見合い事業」がありませんでしたっけ?
こういうシステムは私が若い頃はなかったような・・・
お見合いの中でも「お役所主催」なんて恥ずかしいぜ!なんて考えるのはよしましょう。
コストは安いはずです。
コストとチャンスのバランスを冷静に判断し、試す価値あり、とみれば参加してみても良いのでは?
思ったようでなかったら、次回からは止めれば良いのです。

今回のアドバイスのまとめ。
1)結婚を考え出したら、まず親に相談を!  駄目で元々、力になってくれるかもです。
2)紹介会社の選択は、とりあえず「真面目そうな大手」をオススメします。さらに契約は慎重に。
3)お見合いは「出会いの機会を買う、投機的行為です。コストは間違いなく掛かりますが、見返りは0の覚悟も」
4)公共の出会いの場も調べましょう。安いコストで出会いがあればメッケもの。

次回は、実際の見合いで学んだ体験記です。

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July 14, 2005

ポロック 2人だけのアトリエ

モダン・アートに興味があるならとても楽しめる1作です。
主演と監督を兼ねるエド・ハリスは、見事な仕事をなし遂げました。

モダン・アートの歴史を概観した時、ジャクソン・ポロックがいかに当時のアメリカ美術界に渇望された存在だったのか、と驚いた覚えがありました。
美術の世界では、何らかの独創的存在だけが歴史を作る名誉をにないます。
逆にいうと独創を伴わない存在は、いくら見事な技量を誇っても何時かは埋没する残酷な掟があるわけです。
大戦が終わり、経済では欧州を圧倒していたアメリカは、
ポロック登場までアートの世界では歴史に名を為し得ない国でした。
モダン・アートをブレイク・スルーする画家を、当時のアメリカは美術界を問わず社会全体が求めていたのでした。

この映画、エド・ハリス本人が本物のジャクソン・ポロックに似ていて、さらにポロックを認めた著名な批評家クレメント・グリーンバーグがまた似ているので、まるで偉大なるアメリカン・モダン・アートが生まれる瞬間を目撃するようなスリルがあり、ドリッピングに啓示を見いだすシーンなど歴史の一こまに立ち会ったような興奮がありました。

「2人だけのアトリエ」という題名どおり、ポロックを支え信じ励まし続けた奥さんの存在の大きさにも驚きました。
出会うべき男は、出会うべき女性と出会う運命があるのでしょうか?
それともその幸運に恵まれた人間だけが、秘蹟を成し得る人としての名を残すのでしょうか?
ポロック本人よりも強い確信を持ちつづけたリー・クラズナーの言葉には、そんな感慨も浮かびます。

デ・クーニングへの激しい対抗心(言われてみると納得する関係ですよね)
ハンス・ネイムスとの撮影秘話も、2人の芸術家が衝突する様子など参考になりました。

後半、ミューズの恩寵を失うことに焦るポロックを見ていると、
ポロックはアメリカのあまりに貪欲な欲望に命を散らした画家だったのかもしれない、と思いました。

原作のポロックの生涯を描いた「アメリカン・サーガ」は、ピューリッツア賞受賞作。
リー・クラズナー役のマーシャ・ゲイ・ハーデンは、オスカー助演女優賞を受賞しました。
確かに見事な演技でしたが、これもポロックの遺産といったら言い過ぎでしょうか?

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July 13, 2005

NSX生産終了

日本がバブルの絶頂と崩壊にみまわれた1990年。
ホンダの発表したNSXは、当時スーパースポーツ・カー市場を独占していたフェラーリ首脳部を震撼とさせた。
当時のホンダはF1で敵なし、NSXが仮想敵にしたフェラーリの主力車種348とは単純に馬力だけを比べてみても、NSXは280馬力、348は300馬力とほぼ互角で、ハンドリングは当時のNSXに分があった。
だからNSXは売れた、91年には6500台を販売し一大ブームになった。

ところがここからホンダとフェラーリのスーパー・スポーツカーの歴史は大きく変わってくる。
かたや大メーカーにして販売も好調。F1でも無敵状態だったホンダは失速し、
瀬戸際に追い込まれたフェラーリは、ルカ・モンテゼモーロが辣腕を奮い、クオリティの改善に努め次々とモデルチェンジを繰り返し、348はF355に発展し、さらに360モデナに代わり、今春販売が開始されたF430はエンジンも490馬力とパワーで大幅に勝るのはもちろん、F1マチックのミッション、アンダーボディまで使った空力を始め、もはやNSXの敵ではない次元にいる。

NSXはそれ以降15年間、マイナー・チェンジだけなのだから、ライバルに遅れを取るのも当然で、
最近は月間2-3台しか売れず生産中止も仕方がないのだ。
販売価格はNSXの最高車種で1355万円。
これは中古の360モデナが買える値段である。
性能もスタイルも遥かにモデナの勝ちで、
なにより何年か乗った後のリセールの値落ちがフェラーリの中古の方が格段に少ない。
はるかに楽しめてさらに経済的ならNSXを売るのは極めて難しいだろう。

ホンダは進歩を舐めていたような気がする。
「満足は進歩を止め、それは滅亡に繋がる」とはフェラーリの創始者エンツォ・フェラーリの言葉である。
当時、この言葉を自分のこととして考えたホンダの首脳はいたのだろうか?
どこか他を侮るところがあったのではないか?
その結果、復帰したF1でも満足な成績が残せず、旗艦車種の生産打ち切りにいたったのでは。

さて問題はバイク時代からホンダ・エンジンを日本の誇りに思っていたユーザー達である。
ファンなら誰もが見たい後継車種の姿は未だ見えない。

ホンダのスポーツ車種は、他の安価なRモデルも売れてない。
若者が高回転エンジンのスポーツ車種に乗らずミニバンを買っていたら開発費も出ないのだろう。
ならばミニバンに傾くのも大メーカーの経営戦略であり止めようもない。

今回のNSX生産打ち切りは、ホンダ・スポーツカーの終わりの始まりなのだろうか?
「Farewell My Lovely」「さらば愛しきホンダ」とならないよう切に願うだけである。

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July 12, 2005

魔術的芸術:2 アンドレ・ブルトン

魔術の基礎をなす万物照応(コレスポンダンス)の理論は、「原始の力」の転化である。
それは世界の始まりにあってアナロジーを、隠喩を作り出した。

ボードレールは想像力の権能の名において、宗教は「人間の精神の最高度のフィクションである」とした。
そして 宗教と魔術の関係では、常に弱い方の系は魔術の烙印を押された。

「情念引力」は、普遍的アナロジーの人間における表出に他ならない。
隠喩における魔術的な性格は、パラノイアークリティック(ダリの方法)と同じ、人間の深奥へ向けられる。

あらゆる時代、あらゆる処で魔術は行われてきたし、なお行われている。
テストの前に教科書を枕の下にしのばせる時、彼はいくばくかの魔力に頼っている。

芸術作品は魔術そのものを起源とし、発生において魔術的であり、その重要な資源を魔術に負い、
世界の創造を司ったダイナミズムがその局面の上に客体化されたものなのだ。byグノーシス

より高位にある未知の原理に、人は畏怖をおぼえる。

「月並みな事物と俗悪で凡庸な見方を嫌悪せよ」ボードレール
古代の作品が我々に働きかけるのは美である。

大いなるトーテムが古い歴史の全てを支配していることを知らなければならない。

世界の謎を解き支配する力を得るという古きファウストの夢は不滅である。

魅力の淵源は技量にはなく(木版挿絵とデューラーの版画など)
基本的にそれぞれの突飛な性格に依存しており、面食らわせる力の大小に応じている。
美は常に珍奇なもの。個性なくして美は存在しない。byボードレール

ダ・ヴィンチは自然と論理が美であると同時に真であることを合一した最後の人間である。

19世紀は実証主義が勝利を収め、芸術において見せ掛けの世界に背こうとする意志が抑制された。
印象派は光りに第一の役割を与え賛美したが、主題のちょっとした若返りに過ぎなかった。
そこに全く違う渇望とともに現れたのが、
「肉体の目を閉じよ。精神の目でおまえのタブローを見る為に。
おまえがおまえの夜に見たものを陽のもとのぼらせよ」と発言したギュスターブ・モローである。

この本は数数の美しい図版が掲載されいてますが、今回印象的だったのは
ウロボロス:永遠の象徴、尾を呑み込む蛇。:シネシウス錬金術写本、1478年
モンスー・デジデーリオ:空想の建築、人の骨で造られたような無人の廃虚。17世紀

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July 11, 2005

パッション

古代アラム語の響きと、深い霧の中で揺れる月の光。早暁に槍をかざして佇む兵士達。
ユダに裏切りを薦める司祭の髭。燭台の炎が揺れ異様なほどに立体的な空気を醸す神殿の内部描写。
美術が圧倒的で、まるでルネッサンスの大家の絵画が動き出したような映画でした。

史実には非常に忠実で、うろ覚えだったキリスト最後の12時間のエピソードが、
まるで実際に見ているように再現されていきます。
勉強になったのは、総督ピラトがイエスを生かしたがっていたくだり。
ピラト「この人を見よ。もう充分ではないか」
人々は答える「あなたが許したら皇帝の味方ではない」
ピラト「オマエ達が磔を望んだ。この男の血に私の責任はない」
こういう経緯だったのですね。スミマセンでしたピラトさん。悪者だと思っていました。

評判のイエス受難(パッション)の肉体を苛むシーンの生生しさですが、ホラー映画とは一線を画す残酷描写で、信仰の映画なのだなぁと思わせる深みがあっても、見るのは辛かったです。
しかしこのイエスの受難、その苦痛を直視するのが信仰への道なのでしょう。

鞭打ちのシーンから、棘の冠までひたすらとてつもなく痛そうで、
最後の十字架を運ぶ処なんかもうイエス様、ヨレヨレ。
なんで主は、これほど自分を慕う息子を苛め抜き、磔刑にされるまでほっといたのでしょう?
結局、どうも「俺への信仰がイマイチだな」って思ったのでしょうか?

「ゲツセマネの祈り」では、起きていろって言っても、信徒はすぐ寝ちゃうし、
ペテロは3回俺の息子を知らないって言うぞ。ユダにいったては、銀30枚で息子を売るんだ。
これじゃアカン!
こうなったらここで1発、自分の息子を苦難に合わせて奇跡を起こし信仰を強めなければ!って思ったのかな。

そして俺の教えは「赦し」だよ、と深く悟らせる。
十字架のシーン(ここもとても凄いシーンです)で、
「父よ彼らをお許し下さい」「彼等は知らないのです」とどこまでも赦す。
死にそうになって「神よ何故私をお見捨てになったのです」というけど
最後に「御業は成し遂げられた」と納得する。
どこまでも敵を愛し、赦し続けるのが「教えの根本」なんですね。

主演のジム・カヴィーゼルは、愛を説くシーンから苦痛のシーンまで全編にわたりあざとい程に巧く映画の成功に貢献してます。モニカ・ベルッチはセリフがないのが良いね。
それにしてもイエスの流された血を拭う2人のマリアのシーンは悲しい。悲しすぎる。

反面、これだけリアリティを追求した映画だったので、サタンは余計に見えました。

しかし真剣にキリスト教とはいかなる宗教かと、勉強したくもなりました。
そんな気分にすらさせる迫力のある映画ではありました。

最後、「ロンギヌスの槍」とか「聖骸布伝説」とか、
歴史オタクも喜ぶツボを押し過ぎない程度に押さえる処も渋い仕上がり。
1度は観て「汝の敵を愛し、迫害する者の為に祈れ」という真摯な愛と広い気持ちになって、
世界の平和を祈ることにしましょう。

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July 10, 2005

リアル・タイムの世界の本音

七夕の日、私は仕事を終え夕食を済ませると、いつものように寝室で一眠り。
本を15分読んで20分寝ると書庫(北向きの八畳間。窓はなく、四方の壁は床から天井まですべて本棚)というか書斎に行って自分のPCを立ち上げる。

外国為替先物取引のサイトに飛んで、リアル・タイムのプライスを見てびっくり!
ポンドが対円で2円近い急落。
ドルも対円で安く、ユーロも安い。
スイス・フランだけが高い。
嫌な感じである。(スイス・フランは逃避の通貨。世界に危機があると高くなります)

Globexに行くと真っ赤!(Globex:24時間休みなく取引されている電子先物市場です。値下がりしていると数字が赤くなります)しかもいつもは小さな値動きしか示さない大人しい市場が、思い切り暴れている。
ここで聞いていた志ん生の落語(らくだ)を止めてTVに切り替え、始めてロンドンの地下鉄テロを知った。

それからまた為替市場のリアル・タイムのチャートに戻りポンドの分足を見る。
ポンドは安値からは1/3戻している。
ニュースには2人死亡と出ているが、そんなレベルの話でないことは映像から推測できる。
サミットが開催中であり、世界第2位の金融街でのテロである。
どこまで影響が広がるのだろう・・
瞬くように動くオファーとビットの背後には、膨大な量の「恐怖と欲望」が取引されている。

日本時間の10時半に開く、NYの株価に注目が集まった。
下値をテストしてからは急速に切り替えしている。
思ったより強い動きである。
翌日起きてプラスに転じていたのには、流石に少し驚いた。

今回のロンドンのテロ。世界の本音は、おおむね影響なし、ということになったようだ。

霞を食べて生きているのでない限り、私は株の為替も関係ない、という人はいない。
資本の動きは、回りまわって生活に関係してくる。嫌がおうでも。

アフリカでは貧困で毎日5万人が死んでいる。
世界の金融市場が、その死を気に掛けることはない。

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July 09, 2005

マラルメ伝 絶対と日々   J・L・ステンメッツ著

思春期、世界が目の前に開けた時、文学の極限を見ようとする私に、
ステファンヌ・マラルメは伝説の霧の彼方にその姿をかいまみせる偶像でした。
その決してかなわぬ到達への憧憬は、それゆえに長く尾を引き今この本に挑戦します。

この本はマラルメの伝記ですが二段組み700ページ。
極めて美しい装丁と製本がなされ、伝記という範疇を遙かにこえる美しい文体を誇ります。
値段が1万3千円!(←前にも書いたよね)でも安いと思うよ(笑

第一部:人はどのようにして詩人になるのか

母を亡くし、入れられた寄宿舎では成績不振のマラルメ、
父は再婚し義母との間に子供が出来ると、孤独感は深まります。
さらに14才の時、実の妹までが亡くなります。
詩人としての未だ片鱗はありません。
16才くらいからマラルメは詩への興味を持ち始めます。
詩作しては友人に読ませ、初恋も経験します。

第二帝政の道徳観を揺るがしたボードレールの「悪の華」に衝撃を受け、一生の目標にします。
またポーから深く影響を受け、後に英語教師として生きるきっかけを掴みます。
生涯最初の詩篇「四方を壁に囲まれて」を完成。
初期の詩はボードレールのパスティシュにとどまり、大学受験も失敗します。
しかし模作の中から「驚くべき明晰さ」を身につけ始め、ついに評論家として世に出ます。

周囲からは地道でステイタスの高い登記所の役人としての生活を送ることを期待されますが、
マラルメが憧れたポーの言葉である英語の教師を目指します。

説得に成功したマラルメは詩篇を発表し、生涯の友人になるルフェビュールやカザルスなどと交友を深め、
「大鴉」を始めとするポーの全詩篇の翻訳を試みますが、これは失敗。

一方、女性も含めたグループでフォンテーヌブローの森を散策しては青春を謳歌します。
また内省癖が顕著になり、その内省はマラルメの特徴となる情動的というより、
奇妙な「石胎生:ステリリチ」を持ちます。

この石胎生という性質は、後のマラルメの詩篇の際立った特徴になります。
曰く「結晶質のように透明な特質は、その詩を遥か遠方に輝く星辰たらしめ、
達することの出来ない(蒼穹)に向かおうとする虚しい跳躍と、脳髄による放蕩である」ということ。

さらに高踏派の詩人の集まりである「土曜会」への参加を試み「放蕩息子」の評判を得ます。

母と妹を亡くした孤独な少年マラルメは、じょじょに詩人マラルメへと変貌を遂げていきます。

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July 08, 2005

以前、見た夢

「熱帯の夜」
うす汚れた白い病院のような建物の中で、勉強会が行われている。
暮れてくる空を見て、俺は自分でも理由の判然としない焦り焼かれている。
イライラしながら質疑を聞いて、溢れかえる人波と一緒に表に出ると、旧式の大型バイクに跨る。

走り出すと道路は波打ち、穴があいて荒れている。
しばらくすると見知った建物の前に友人がいるのでUターンして話込む。
どうやら方角を間違えたようだ。

今度は反対方向に走りだす。
道の両側にはタイかベトナムを思わせる黄緑や橙のアセチレンのガス灯が灯っている。
肌に粘りつく湿気と熱気。
いったい、何処に行けばいいのだろう・・・


「村の夜祭」
トマトとキュウリの濃厚な香り。
夏の夕暮れの気持ちの良い風が吹き抜ける。
夕闇に陰った山並みが見える。
俺は家庭菜園に面した縁側で浴衣を着て座っている。
さっき飲んだビールの酔いが残っており気分がイイ。

風に乗って祭り囃子が聞こえてくるので、誘われるように音を追って歩き出す。
夜の山中の田舎道の両脇には畑が続いている。
周囲に祭りに行くと思しき人影が増えてくるが、黒い影なので、なんとなく不気味である。
さっきの家は泊っていた民宿なのだが、
暗い道を遠く離れて帰りが心配になってくる。

祭り太鼓の音が凶凶しく響く。
行ってはいけない。
でも足が竦んで動かない。

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July 07, 2005

素数に憑かれた人たち~リーマン予想への挑戦~5

「公約数を持たない整数を初項と公差とする無限等差数列は無限に多くの素数を含むという定理の証明」
byディリクレ この言葉を憶えておいて下さい。

エラトステネスのふるい:古代ギリシャの素数を見つける方法です。
1,2,3、・・と100まで書きます。
そこから、2は除いて2の倍数を除いていきます。次に3の倍数、次に5の倍数、7の倍数と取っていくと、
残っているのが素数ということになります。
素数pを処理する前の段階で止めれば、p^2よりも小さい素数はすべて入ってます。
7までやれば49より小さい素数はすべて残るので得られます。

この考えをゼータ関数にあてはめます。
ζ(s)=1+1/2^s+1/3^s+1/4^s+1/5^s+1/6^s+1/7^s・・
上記には、分母にすべての正の数が出てますね。

ここから「エラトステネスのふるい」と同じことをします。
まず1/2^s倍します。
1/2^sζ(s)=1/2^s+1/4^s+1/6^s+1/8^s+1/10^s+1/12^s+・・となります。

最初の式から第二の式を引きます。ようするに2の倍数の分母(偶数)の項が無くなるのね。
(1-1/2^s)ζ(s)=1+1/3^s+1/5^s+1/7^s+1/9^s+1/11^s+1/13^s+1/15^s+1/17^s+・・
これを(あ)の式とします。

次も「エラトステネスのふるい」、と同じ消されていない最初の分母、1/3^sを掛けます。
1/3^s(1-1/2^s)ζ(s)=1/3^s+1/9^s+1/15^s+1/21^s+1/27^s+1/33^s+1/39^s+1/45^s+1/51^s・・
これは(い)の式とします。上の式はその上の式の分母に順次1/3を掛けてます。

今度はこの式を、一つ前の式から引きます。
(1-1/3^s)(1-1/2^s)ζ(s)=1+1/5^s+1/7^s+1/11^s+1/13^s+1/17^s+1/23^s+1/25^s+・・・
無限個の和から分母に3の倍数があったものがすべて消えます。
わかりますか?
(あ)の式から(い)の式の各項を引いているだけです。無限級数だからめまぐるしいけど作業自体は簡単ですね。

今度は最初の分母が5なので1/5を掛けて・・・以下同順の作業を延々と繰り返し分母が997まで続けると、
(1-1/997^s)(1-1/991^s)・・(1-1/3^s)(1-1/2^s)ζ(s)=1+1/1009^s+1/1013^s+1/1019^s+1/1021^s・・

この右辺はsが3なら1.000000067となりさらに作業を続けるうちに以下の式になります。
・・・(1―1/13^s)(1―1/11^s)(1―1/7^s)(1―1/5^s)(1―1/3^s)(1―1/2^s)ζ(s)=1
この両辺をかっこごとに割ると
ζ(s)=1/1-1/2^s×1/1-1/3^s×1/1-1/5^s・・
すみません、とても解りにくいですね。最初の項の分子は1、分母は1-1/2^sです。

これはζ(s)=(1-2^-s)^-1(1-3^-s)^-1(1-5^-s)^-1・・
と書けます。さらに簡単に書くには、一つのパターンに従う項を掛ける時に使う記号、

Π(パイ:プロダクト、積)で
ζ(s)=Πp(1-p^-s)^-1と書きます。
「sのゼータは1マイナス、pのマイナスs乗のさらにマイナス1乗をとり、すべての素数について掛けた積に等しい」
と読みます。Πの横のpは本来下に書きます。またこの式のpはプライム・ナンバー(すべての素数)のpです。

ps
この本は奇数章が数学的なことを、偶数章に数学史のことが書いてあります。
今回は「リーマン予想についての数学的理解」ということを目標に奇数章、数学的なことに絞ります。

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July 06, 2005

ニューオーリンズ・トライアル

法廷モノはピンとこない映画も多いのですが、これはとてもスリリングな映画でした。

そのスリルの源は、解りやすい悪玉のジーン・ハックマンと善玉のダスティン・ホフマンの間で、
ジョン・キューザックとレイチェル・ワイズが第三の極として先の見えない大胆な行動をする処にあります。

最初はゲーセン屋の雇われ店長だと思っていたジョン・キューザックが動く動く。
大御所2人を差し置いて、レイチェル・ワイズと共に物語を引っ張ります。

観客はこの2人の思惑とその謎を知りたくて、わくわくしながら観ることになります。
途中、ああ、これが狙いか、とネタを割りそうになりつつも(2人の思惑がはっきりしてしまうと「謎」が消え去り、
スリルがなくなります)、ギリギリまでしつこい猟犬のような追手も現れ、何より2人が思惑の底を見せないので最後までハラハラ出来ました。

原作はジョン・グリシャム。
幾分改編されているのですがこのアイデア、やっぱり大したものですね。

日本でも陪審員制度が始まるようですが、法廷闘争の行く末が陪審員に委ねられると、
その結果としてこの映画で描かれるような「現実」が生まれてくるとすれば恐ろしい話です。

ジーン・ハックマンがタフで狂暴でアタマがキレて、
恐ろしい部下を手足のように使役する怪物のような存在をよく演じています。
存在感は抜群で、「悪くて強い白人」ならこの人ですね。
もう老齢と言っていい年なのに迫力を失わないのは、いったいどうなっているのやら。
ダスティン・ホフマンも悪くないです。
やっぱりこの人は、力もお金もないけれど、必死に頑張る善人役が似合います。

ダスティン・ホフマンとジーン・ハックマンは下積み時代からの友人だそうですが、2人の対決シーンもさすが名優同士で迫力満点。この辺、お互い感無量でしょうね。

背景となるニューオリンズの街が、ディープ・サウス独特の暴力的で危険な感じと、
サッチモなどを偲ばせるマーティング・ジャズの残り香を漂わせます。
この街なら「何であり」かも知れない、と思わせれば舞台としては成功ですよね。

ラストは、悪夢なのかカタルシスなのか書きません。
ドキドキしながら観て下さい。

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July 05, 2005

実践!!見合い道!!!

!!で大袈裟に飾ってみました。
騙された人が来そうなエントリーでしょ。
全部読まれる前に言っときますが、この記事にまったく中身はありません!
一応、私の見合い体験から、参考になりそうな事を書くつもりですけど。

ではまず、何故「見合いをするのか?」から。

結婚の為ですよね(笑

しかしそもそも結婚ってするものなの?
自分は結婚には向いていない、と思う人もいると思います。
でも世間並みのことって、した方が良いこと「も」あります。「も」、ですけどね。

ちょっと話が逸れるようですが、私、クルマの免許をとるのが嫌でした。
クルマとかバイクとか、まったく興味がなかったのです。
あんな趣味はバカバカしいと、決め付けていました。
免許はいつかは取るものだろうと我慢して教習所に通い出し、高速教習をした瞬間!
背筋に電流が走りました。

自分がスピード好きだったとは、思ってもみないことでした。
人って案外そんなものかもしれません。
自分は結婚に向いてない、と思ったら、最高の夫や妻になることも・・・ならないことも・・・


次に結婚生活に向かうことを、「夏休みの過ごし方」に例えてみます。

見合いから結婚になる生活は、夏休みに例えると、ハワイに行くのと似ています。
ハワイに行くのは楽しい計画です。
実際に楽しいことも多いでしょう。

旅の予約や準備には、お金も掛かるし手間も掛かります。
せっかく行ってもずっと雨に降られ続け、仕方なく買い物に行くと置き引きに狙われ、ビーチで怪我をしたり、
時差ぼけで体調を崩したり、挙げ句に飛行機が墜落するかもです。

逆に独身でいるのは、環境を変えない「家にいる夏休み」に似ているかもしれません。
ツマラナイなぁ、と思っても気楽でお金も掛からず、面倒な準備も要りません。
期待しないで借りたレンタルビデオが思いがけなく感動的で、行きつけの居酒屋の新メニューが美味しくて、
ハワイで置き引きにあったり体調を崩しているより気楽な可能性も・・・

結婚や見合いは、しないほうが良い可能性はあります。
でも試してみるのも悪くないかも。
煮えきらない記事ですいません。でも人って色々だし・・・

今回は見合いの前の、結婚へ向かうまでの考え方でした。
年を取ると前置きが長くなるんだよ。
具体的な見合いの話は、期待はしないで、次回から。

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July 04, 2005

サンダー&ライトニング

注目のS・ライト級、ガッティvsメイウェザーのTMは、クーンツの小説みたいなニックネームが付けられた。
個人的にもガッツのガッティvs究極のスピード、メイウエザーの対決は今年1番待っていた戦い。
予想はガッツ溢れるガッティの壁を、ボクシング界随一とも目される才能のメイウェザーがどう勝つか?

ところが試合開始直後から両者のスピード差は歴然。
でもこの日のメイウェザーの速さはなんなんだろう?
速さの例えでは良く猫科の動物が出されるが、
この日メイウェザーのハンドスピードは何かもう血の通った動物の範疇を越えていた。
哺乳類の速さを越えて、反射だけで生きている昆虫とか、板バネで跳ね上がる罠のような次元の違うスピード。

まったく静止した構えからそういうパンチが飛んでくる。
打ちにいくと、こんどはお猿さんのようなボディバランスで避けてくる。
メイウェザーの対戦相手はお猿さん避け+板バネスピードのパンチを相手にする訳だ。
敵わないよなぁ・・・
ガッティはまったく試合にならず、6R、バディ・マクガートに抱かれて終了。泣きじゃくるメイウェザー。
良い試合でした。そういう訳で、メイウェザーは人類に敵なしって結論です。

ビビアン・ハリスvsカルロス・マウサ WBA S・ライト級TM
ボクシング界の黒人の中でも、際だって手足が長くて顔の小さなビビアン・ハリスは、
日本人からすると体形からして反則としか思えない。

対するマウサは禿げの白人でアタマも悪そうで、ハリスは最初から眼中になし。
誰だって今回の戦いを問題視する人間など、当のマウサ以外いなかったのではないだろうか?
マウサ陣営だって勝てるとは思っていたのは本人だけでは・・・
ハリスの目線はチューが敗れて混迷し、かつビックマネーが掛かるS・ライトの統一戦へ向かっていたはずだ。

実際に戦い始めると、もうマウサのパンチの振り方はメチャクチャ。
ほとんど新橋の酔っ払いの喧嘩。
ところがこの酔っ払い、案外強い。
打たれ強いし、恐れ知らずでパンチのスピードがあってちょっとマヨルガ風・・マヨルガを酔っ払わせた感じ・・てほとんどやっぱり酔っ払いだ。それでそのまま7R KO勝ち。呆気に取られた一戦。
でも美しきS・ライト統一戦に紛れ込んだ「新橋の酔っ払い」はどうなるんだろう。

昔、デラ・ホーヤに勝って無敵だと思われたモズリーにフォレストが勝ち、
そのフォレストに無茶苦茶なマヨルガが勝ち、最後に大人しそうなコーリー・スピンクスが勝ってしまったウェルター級戦線みたいになったりして・・ならんか。

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July 03, 2005

LOVERS

この作品、チャン・イーモウ監督は自分の見出し育てた女優チャン・ツィイーの魅力が頂点に達したのを見越して彼女の魅力1本で押し通す決心だったのでしょうか。

チャン・ツィイー、素晴らしいです。後はどうでもいいです。
特に踊り子に扮したチャン・ツィイーが、片肌を脱いで踊るシーンは色の白さと骨の細さがエロティックで
さすが4000年の妖しい歴史を持つ国です。
さらに「仙人指路」という舞を舞うシーンは絶品で、
イーモウ監督の特殊効果と合わせて映画史上に残る美しさでしょう。
途中にマトリックス避けがあるのですが、これはご愛敬。
剣舞のシーンも見得を切るところから闘う女の表情まで見ごたえがあります。
ツィイーを生んだ北京舞踏学校はこの数分間の美を創造しただけでも名を残しましたね。

ツィイーは骨格が細く、小顔で関節が細いのに舞踏学校で鍛えられた身体能力の高さは驚異的で、
まず走るシーンが良い。走るだけのシーンって身体能力がモロに出るんですよね。
馬上では背筋の伸びた姿勢から、乗馬技術の高さまで、
恵まれた美貌とスタイルに甘んじず舞踏を中心に鍛えに鍛えた演技者としての素晴らしさがあります。

格闘でのアクションも良く、苦しげな顔から負けて乱れた髪までエロティック。
逃避行中の男装での格好がまた魅惑です。
特に金城との最初の絡みで、身体を強張らせてからの微笑など天性の演技者なのでしょう。
微妙な女心の揺れ、抱き合う時の没我の表情の後、「よく知らないもの」なんて言われたら男はたまらん(笑
花束を貰った無邪気な笑顔から、別れの哀しみまで文句の付けようがないほど完璧な美しさ。
東洋のビーナスですね。

チャン・イーモウの撮る自然は、中国の雄大な環境を背景に独特の鮮やかな色彩感覚が発揮されていますが、
今回は得意のワイヤーアクションを抑制し、マトリックス風の飛刀シーンが多様されます。
それもツィイーの魅力を浮き立たせる為の演出に感じました。

最後の方はもうストーリーすらどうでも良くなってしまうような展開なのですが、全てチャン・ツィイーという究極の女優が生涯に1度見せられるかどうか、という時期に捧げられた作品なのだからこれで良いのでしょう。

ps
「傾国の美女」について歌われる歌詞が使われます。
中国の故事ですがツィイーを見ていると実感出来ます。
アカデミー賞がプレゼンターに選ぶだけのことはありますね。

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July 02, 2005

魔術的芸術 アンドレ・ブルトン著

この本は1957年、限定版で発行された「カルト本」の再版です。
ブルトンはシュルレアリズムの理論的指導者でしたが、
この本はシュルレアリズム論を越えて芸術の魔術的側面の全てを語ろうと試みた野心的な本です。

以下、覚え書きです。
1)ルネッサンスとは一つの完成というよりも、
中世の心性から近代的心性への移行によって引き起こされた苦悩に満ちた矛盾を体現するものだ。

2)芸術的発見のプロセスは、意識的にせよそうでないにせよ、
高等魔術の進行の形と手段とに従っていると言い切ったが、大多数の場合このプロセスが高等魔術の形而上的ないし宗教的な諸願望の全体とは無縁でありつづけた。

3)宇宙的アナロジーは「不条理かつ挑発的な記憶のなかの神」を信仰する処まで流さ得る。

4)「魔術的」というただひとつの語彙が引き起こす議論の核心に踏み込むことは、
バベルの塔の最上層の揺れに身をさらすことである。

5)魅力的な娘というものは、人が思う以上に本物の魔法使いである。
すべての精神的な接触は魔法の杖との接触に似ている。byノヴァーリス

6)魔術的とは魔術の儀式用の杖なくして
ユゴー、ネルヴァル、ボードレール、マラルメ、ロートレアモン、ランボーと同じ感覚を共有すること。

7)愛こそが魔術を可能にする原理だ。魔術は「それ自体としてひとつの意志にほかならない。その意志こそがあらゆる不思議、あらゆる秘密の大奥義であり、それは存在の欲望の求めに応じて作用する」byヤコブ・ベーメ

8)魔術的芸術の第一の側面が人類の揺籃期のうちに形成基盤を見出し、
第二の側面はいやます魅惑の力によって、目のとどく限りの未来を誘い込む。

9)原始の人間は観念の秩序を自然の秩序と同一視し、観念の秩序を制御することが出来る以上、
同じように事物を制御することも可能なはずだと想像した。
フロイトの「トーテムとタブー」1920年。
「魔術というアニミズム的思考方式の技術を支配する原理は、観念の全能性の原理である」
原始人においてその観念の全能性で世界を支配出来るという可能性の信仰は、自然な観念であり、彼等は経験から自然が人のようにふるまうことに「投影」を活発化させるのである。

10)原始の死に絶えた魔術的信仰の残滓を持ち続けるのが詩人や芸術家である。
エリファス・レヴィ「高等魔術の教義と儀礼」:19世紀のオカルティストです。
マラルメ、ボードレール、ランボーが影響を受けました。

「芸術における秘教」byV-E・ミシュレ
「隠秘学は、あらゆる文学が従う純粋な予兆の始まりであり、精神のまっすぐな奔出である」

以上、39pまで。読みにくいです。私のアタマでは箇条書きでお伝えするのが精一杯。


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July 01, 2005

コンフェデ杯決勝:豪雨に踊るサンバ

熾烈な死闘を予想していたのに、
豪雨と雷鳴のフランクフルトでブラジルはアルゼンチンを引き立て役にしてしまった。
アルゼンチンも少しお疲れだったかもしれないけど、まぁこの日はブラジルの独り舞台。

あまりに速いパスの交換、絶妙のトラップ、信じがたいドリブルの後、瞬時にフェイントが入るとシュートが飛ぶ。
中3日のブラジルは、フィールドに奔放な想像力の世界を実現する。

先制点はアドリアーノの卓越した個人技。2点目はロビーニョからカカという想定の逆も出来る変幻自在。
3点目はシシーニョからのセンターをボレーで決めるロナウジーニョ(共に超絶技巧)。
4点目はアルゼンチン相手にジダまで回して右に展開してアドリアーノの高さ。
シシーニョは何気に3点アシスト。カフー(大好きな選手なのだが)より軽快かもなぁ。

ここまで凄いとなんかチーム自体が劇画の登場人物みたい。
トリックスターのロナ。気が良くて力持ちのアド、俊速軽快なロビ、イケメン女性ファン担当のカカ、
鋭く動くシシーニョ、怖い顔で相手を脅かすロキジュニ、前があんまり上手いのでDFで苦労して禿げてしまったエメルソン、いかにも守護神というジダ・・・


対してアルゼンチンのサッカーってどこか翳を感じる。
自らも強国なのに、どうしても上回れない隣国への苛立ちなのか。

太陽の下、コパカパーナの海岸で踊る陽気なサンバのようなブラジルのサッカーに比べると、
アルゼンチンのサッカーはブエノスアイレスの夜の店で踊られるタンゴようだ。
選手はみんなそんな夜の店の用心棒のようで、妖艶だが、常に剣呑で危険でダーティな面を含む。
陰と陽の南米のサッカー。
見守る世界に取っては楽しいけどね。


試合終了後、持ち込んだパンデーロ(ブラジル風タンバリン)を嬉しそうに叩いているロナウジーニョを見ていると幸福な気分になる。
サッカーというスポーツは素晴らしく、リズミカルに微笑みながら生きることはもっと素晴らしい、と思わせてくれる。
キャラクターも含めて、そのテクニックの作り出すファンタジーは、世界に喜びを運ぶ存在になる。

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