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June 2005

June 30, 2005

素数に憑かれた人たち~リーマン予想への挑戦~4

logという対数関数は感覚的に非常に馴染みにくいです。
なぜlogなどという対数表示が必要なのでしょう。それは数学者が逆の表現を愛するからです。

x=a×bならa=x/bでありb=x/aと、掛け算の逆は割り算とすれば良いですよね。
ことろがx=a^bの時の逆の表現をするとなるとa=x^1/bで良いのですが、
bを表わす時に手がかりを失います。
そこでbはaを底とするxの対数である。としb=logaxと表現します。

さらにlogは底をeの時のみ使うことにします。
x=e^bの時b=logxとなります。これは
指数法則8)x=e^logx(b=logxだから)
指数法則9)log(a×b)=loga+logb
aとbが任意の正の整数ならa×b=e^loga×e^logb
a×bも一つの数だからa×b=e^log(a×b)
指数法則10)log(a^n)=N×loga
となります。
草臥れたでしょ。私の疲れました。

めげずに以下バーゼル問題の続きです。
1+1/2^n+1/3^n+1/4^n+1/5^n+1/6^n+1/7^n+1/8^n+1/9^n+1/10^n+・・
この問題でnが2の時はπ^2/6に収束することをオイラーが証明しましたが、
オイラーはそれ以外にもnが4の時はπ^4/90にとすべての偶数について答えをもたらしました。

しかし奇数についてはわかりません。
このバーゼル問題の奇数はn=3が無理数であるのが証明されたのが1978年です。

ここでこのバーゼル問題の使うnをリーマンが「ζ:ゼータ」に変えてを用いたことにより、
ゼータ関数が誕生します! どうです!ゼータ関数でました。
ζ(s)=1+1/2^s+1/3^s+1/4^s+1/5^s+1/6^s+1/7^s+1/8^s+・・

Σ(ギリシャ語のsです)は合計を表わします。
n=15
Σ√n
n=12、と表わされる意味は、√12から√15まで足しあわせす簡略記号です。
これはさらに簡略になり
15
Σ√n
12 と書きます。

この要領で上記のゼータ関数式を書くと
ζ(s)=∞Σ1/n^s、n=1
(∞はΣの上に乗せてね。n=1はΣの下。1/n^sはΣの後ろです)
これを指数法則5)から
ζ(s)=∞Σn^-s、n=1です。(x^-n=1/x^nだから)
さらにnは正の整数なのでさらに簡潔に
ζ(s)=Σn^-s、nとなります。
「sはゼータのあらゆるnについてnのマイナスs乗の和」と定義されます。

さらにグラフが書けないので略しますが、ゼータ関数はsが1より大きな時だけ値を持ちます。
sが0だったり負の数の時、この関数は発散するからです。
よって、ゼータ関数の定義域は「1よりおおきなすべての数」、となります。

5章まで。
ゼータ関数の姿が見えてきました。やっつけましょうね。

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June 29, 2005

コンフェデ杯セミ・ファイナル

ドイツvsブラジル
惜しい試合だった。
何が惜しいかというと、このドイツ戦、日本がやりたかったです。
ドイツといえばWカップ3回優勝の強豪国。
しかしこのブラジル戦を見ていると、日本が勝つ可能性なきにしもあらず。
負けちゃうかもしれませんけど、試させてみたいと思いました。
確かにゲルマン人の骨格は頑強で力もあるけど、今の日本ならなんとかなるのでは、という思いが見ている間中頭から離れず好試合にも一抹の無念さがね。

ドイツは強豪国に勝っていないという批判もありクリンスマンを始めチームは一丸になっている感じ。
特に今回は地元開催であり、来年のワールドカップを見据えて負けられない処だし、4万5千人のサポータも熱心に応援して日程も移動も有利な完全にホームです。

対するブラジルの主力は、チャンピオンズ・リーグ決勝で活躍したカカなど明らかに疲弊していました。
日本戦では脅威のスピードしか目立たなかったロビーニョも対ドイツでは弱さを露呈しました。
ロビーニョに弱さを出させるところは、日本とドイツの差なんだろうな。
お疲れ気味のブラジルは結局、アドリアーノの個人技で勝利。
チーム全体が悪くても突出した個人技で突破する、ブラジルが人気の理由だよね。

ドイツ人の声援って誰が指揮をする訳でもないのに異様に声が揃うのは国民性でしょうか?
でもお気軽に踊るブラジル人応援団をニコニコ見守るBMWのエンジニアって感じの男性客がいたりして好感度。国際試合はこうありたいもんです。

アルゼンチンvsメキシコ
祝祭性ではブラジルに劣っても実を取る強さでは最強という前評判のアルゼンチン。
実際この前のWカップ南米予選ではブラジルに勝っています。
対するメキシコも代表で20連勝中。一時期の2番手グループの印象をぬぐう隙のなさ。
個人の力強さではアルゼンチンに1歩譲るとしても組織としての連携では上回っている印象。
0-0でしだいにイラつくアルゼンチン。らしいラフプレーも出て延長戦ではメキシコが先制。
そこから追いつくアルゼンチンは確かに強い。でもPK戦まで延長でアルゼンチンやっとの辛勝。


さて決勝は好カードのブラジルvsアルゼンチン。
希望としては、カカが1回でイイから血も凍るようなパスをロビーニョに出して欲しい。
それでトッポジージョみたいなロナの笑顔が見たいです。

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June 28, 2005

もの食う人びと:2   辺見庸著

「ピナトゥボの失われた味」
フィリピンの先住民アエタ族が「ネスカフェ」のファンになったことを嘆く辺見さん。
ただどうなのでしょう?
我々の周囲にインスタント・コーヒーの「ネスカフェ」の味をいまさら褒める人はいませんが、
実際に莫大な販売量を誇る「ネスカフェ」は膨大な研究開発費と人員がつぎ込まれた製品な訳です。

あらゆる文明の恩恵、(水や電気、その製品の便利から医療、交通の手段まで)が当たり前になってしまった私達には見えなくなった凄さが、何気ない文明の食べ物には隠されているのでは?と私は思います。
トップシェアを誇る製品には、競争原理の中で常に挑戦者が現れ淘汰の危機にさらされています。
それが存在するということは、その座を狙う挑戦者に打ち勝っているということです。
自分を取り巻くそんな状況を忘れない、という事が文明批判には不可欠では、個人的には思います。
この後は、人魚の肉は人の母乳の味がする究極の味だというレポートには、「不老の神話」を思い起こさせ、
人肉食が起ったミンダナオの悲劇には戦争の悲劇が描かれます。


「食と想像力」
タイから日本に輸出される1個120円の猫用缶詰、辺見さんの猫が食べる食費5400円は、
タイで猫缶製造労働者の平均月収の3分の1以上になります。
そこで取材を申し込む辺見さんに、工場側は大変な警戒をしめします。

貴重な水産資源を捕るだけ捕り、安い労働力で加工させ、日本のペットは食べるだけ。

日本のペット様に食べて頂く為に働くタイの人々。
しかし人と動物がひっくり返った生産と労働の構造が「反省」されて「社会問題化」されると、
タイの工場労働者2万人が職を失うのです。

工場労働の厳しい実状がレポートされますが、それでも工場勤めは農業よりずっと楽だと現地の人は言います。
そして出来上がった猫用缶詰の包装は、同じ工場から出来るギリシャ向けの人間用缶詰のそれよりよほど立派でお金がかかっているそうです。
「あなたの家の猫が食べている缶詰がどうやって出来たものか想像したことがありますか」
これが辺見さんの質問です。

その後は、タイの5000席ある世界1大きなレストランが紹介され、ここで民族、宗教問題を話し合う会議を開いたら、果て無く殺しあうよりましな結果になるというユーモア溢れる提案の話。
ベトナムのフォーは民族の芸術であり、ハノイからサイゴンに向かうにつれ「理想駅」から「欲望駅」へ向かうごとく人々の顔がギラつく面白さと、盲目の物乞いの親子の話、
途中で食べたバインザイの美味さ、混雑し人同士が折り重なる死体運搬車のような様子と、
泥棒に商品を盗まれて泣く少女の話がレポートされます。
次回は社会主義が崩壊し内戦で揺れる東欧の、もの食う人びとのレポートです。

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June 27, 2005

PRIDEグランプリ:アローナvs桜庭

私はリアル・ファイトの試合が好きなので、昨日は楽しみだった訳である。

この処、スポーツはウインブルトンが開幕し、コンフェデレーション・カップが盛り上がり、
ボクシングも面白くなってきて楽しい限りなのだが、昨日の桜庭戦は極めて後味の悪いモノだった。

地上波はバレーの中継が伸びて20分遅れの放送になり、
桜庭戦の終了が12時に近かったのはむしろ良かったね。
昨日の試合内容は放送コードにちょっと引っかかる。
無残に変形した桜庭の顔は、正視に耐えなかった。
リアル・ファイトを知らない人が、何気なくザッピングして偶然見てしまったらかなりショックな映像だったろう。
見慣れたファンの私でも嫌悪感があった。

ボクシングをずっと見てきて当然K-1もPRIDEも見てきたのだけど、
立ち技打撃系の格闘技は、打たれた対戦者が倒れれば、攻撃はストップされ、10カウントで試合も終わる。
それが対戦者の過剰な負担を抑制する働きになっている訳だ。
PRIDEはマウントでの打撃がありその枷が外されている。
その枷が外れている分のスリルと危険性の両方を、主催者側は考慮する必要がある。

リアル・ファイトが危険なスポーツなのは承知だし、それがスリルと興奮になるのだし、選手はそれを承知でやるものだし、観客もそれを承知で見るものだけど、それだからこそ「センス」がいる。

リアル・ファイトの格闘家というのは、リングの上では一種狂気を含む人間であって容易に闘いを止めようとはしないものだ。
最近、国際式ボクシングではやたらに早いレフリーストップもある。
最初、この流れには欲求不満もあったのだが、最近はこれでイイと思うようになった。

格闘技は殺し合いではない。
あくまで闘争のフィクションである。
フィクションが現実の惨禍に食い込むような可能性はなるべくなくして、
その上澄みの興奮だけを抽出するからプロの興行なのだ。

勝つ為に、自らを守る為に、選手はどこまでも自分を鍛える。
でもその試合をコントロールするのは、主催する側の責任だ。
「年末の定番」として社会的にもせっかく認知されてきたのに、事故があってからでは遅いですよ。

桜庭、どうか無事に回復してくれよ!

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June 26, 2005

ユーロ、裏切りの通貨?

対円、対ドル共にユーロが下がり続けている。
去年から今年の初め頃、通貨市場では双子の赤字を抱えるドルは売り、巨大な財政赤字を抱え国債の格付けすら低い日本円は問題外、ユーロこそ次の基軸通貨という期待があった。
アジア各国も産油国もアメリカへのあてつけのようにユーロ資産の増額の意向を示してきたのに、
そこはマーケット。手のひらを返して今は冷たいものである。

テクニカル的にも勢いのある下落トレンドが発生し、底値の見当がつきにくい。

ではどこまでユーロは下がるのだろう?
今の注目は金融政策で、据え置いている金利を下げる観測が流れている。
スウェーデンが利下げを決め、英国は個人破産が増加、
住宅バブルの破裂も懸念され金融緩和が取りざたされ始めた。
両国ともユーロ加盟国ではないが有力周辺国であり外堀は埋まってきた感がある。

ECBの決断はユーロには大きな試練になると思う。
長い歴史的なオブセッションの下地があるからだ。
ユーロ圏のオブセッションはインフレである。
各通貨圏の強迫観念は、各々過去のトラウマに起因し様々である。
ドルなら暗黒の月曜に由来する株の暴落を恐れ。
円は輸出で食べてきた国ゆえの円高を恐れ。
ユーロは大戦後のハイパーインフレの経験から、インフレを極端に恐れる。

ユーロ圏の消費者物価は5月に1.9%に下がった。政策金利は2%だから実質金利はなんと0.1%である。
それでもOECDはアウトルックでECBの緩和政策を促した。
はたしてトリシェは実行するだろうか?

問題は金利を低下させることによるユーロ圏内の内需拡大効果、輸出採算の改善効果と、
史上最高値を更新した原油相場を始め商品市況が、ユーロ安になった欧州圏のインフレ率への悪影響という二つの要因がトレードオフなことだ。
インフレを恐れるユーロ圏が原油高のプレッシャーを振り切って金利を低下させるのは、
ユーロ自体の弱さが強調されECBの思惑以上のユーロ安を招くかもしれない。

さらに中国の台頭が、為替調整による自国経済の活性化を促し難い構造を世界にもたらしている。
今、欧州と中国の間で繊維産業の摩擦問題があるが、アルマーニやプラダが困っている訳ではない。
格段に安い賃金構造を持つ中国は、各国産業の弱体な部分を撃つ。
ではどうする?

トリシェの今の思惑は、待ちだ、と見る。
1)すでにユーロは下落した。利下げ期待を実行せずに思惑だけを泳がせておきユーロの過剰な下落を止め、
中国との摩擦問題は為替政策ではなく個別に政治課題として解決する。
2)中国との経済摩擦が政策課題として解決せず、現状のユーロ安でも景気が浮上しなければ、第三四半期頃、原油相場や消費者物価を睨みながら緩和の決断をする。

でもこの2)のパターンはトリシェにかなりのプレッシャーだろう。
ひいては域内同一通貨という未来を見据えた経済政策の難しさも世界に問うことになる。

なんてな。
よくわかんないだけどさ。
終わり。

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June 25, 2005

黒の怨

子供好きだった老婆が冤罪で殺されて怨霊となって蘇る・・
元々アメリカには最後の乳歯が抜けると、お祝いに金貨を置いてくれる「トゥース・フェアリー」という伝説があり、
それを翻案して作られたようです。

恨みのホラーって、なんか日本人に向いている設定ですよね。
しょせんB級ですし大した役者も出ていないし、確かに歴史に残るような傑作ではないのですが、
ホラーファンってB級のお手軽さを愛するところがあるので、結構良いのでは。
私には86分という短さもあって楽しめました。
もう一度見たい、ってほどじゃないですけどね。

実際、プロローグのエピソードから監督のジョナサン・リーブズマンは、ライティングの加減からショック場面への転換まで丁寧に工夫を凝らし、なんか一生懸命作っているなぁ、という感じが伝わってきます。

夜の病院の点々と灯る薄暗いライトとか、CTのあの暗い洞窟に縛り付けられて入れられるような不安感とか、
細かい工夫も効果的だと感じました。
エレベーターからの脱出シーンなど結構ドキドキさせられて、さらに闇から襲うという設定を観客にお約束として徹底させ、そこからゲーム感覚で脱出と襲撃の攻防や、深夜のクルマでのシーン、さらに灯台の処まで手抜きなしのしつこさで飽きさせません。

ただ警察署の銃撃シーンやエンディングの感覚はアメリカ的ですね。
日本人の感覚だと、もっと怨霊になった老婆へは同情的になるな、と思いました。

でもこういう映画は金曜の10時という理性の残っている時間帯ではなく、
夏休みなどで生活のリズムが崩れまくり、何故か夜中の3時頃目が覚めてしまい、
所在無げにTVを点けると偶然、「黒の怨」なんてタイトルが出て、「おっ、ホラー映画だ」、
なんて一人で最後まで見てしまい、最初は寝ぼけているから案外深く入って見終わってから結構怖かったなぁ、なんて思っても外はまだ暗くて二度寝しようとしてもなんか興奮して眠れなくなり、
夜明けの散歩に出掛けてしまうような見方をしたかったです(笑

老婆の怨霊を「コンスタンティン」のスタン・ウィンストンが造っています。
この作品などから成功の階段を登ったのでしょうか。

ps
オペラ座の怪人の話は言いっこなしね。
いいじゃないですか。一生懸命やったスタッフの熱意に免じて忘れてあげましょう。

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June 24, 2005

日本vsブラジル、コンフェデ杯@ケルン

日本とブラジルはフィールドの上でポエティックな音楽を奏でるように美しいサッカーを繰り広げ、
両チームの素晴らしさを世界にしめした。
フェアで高度な技術の応酬は見ごたえがあり、私はビデオに撮ったのでもう1度見ます。
結果が分かってからも見たくなるスポーツは、その過程に美と陶酔を秘める本物なのだ。

思えば去年、中国人観客の罵声に包まれた灼熱の重慶から、昨日のドラマまで繋がっていたのだ。
出られて良かったなぁ。しみじみとこの試合が出来たことが嬉しかった。

世界最強のタレントを誇るカナリア軍団の、ロナウジーニョ、カカ、ロビーニョ、アドリアーノ、ゼ・ロベルト、
ジルベルト・シウバ・・この相手が本気モード全開で来るんだから、
昔なら台風に吹っ飛ばされるビニールシートみたいに蹴散らされていた。

ロビーニョの右サイドから左に大きく孤を描くような走りは何だ!
ドリブルを始めるとスピードが上がるってオカシイだろう?
ロナウジーニョの2点目の弾きは脚にバネでも入っているのか。
そもそもあんな痩せた体でなんで倒れないの?ほんと不思議。
それからインターセプトする時、脚が伸びてませんか? 人間なんだろうな? 遺伝子を調査したいくらいだ。

その位、ブラジルのサッカーは神技の域で、開始直後は恐ろしい予感がよぎった。
それでも最初にゴールネットを揺らしたのは日本だったのだ。
この一事だけでも以前だったら信じがたいことだ。
以前なら開始直後にブラジルの得点。
適当に遊ばれて日本選手は疲れ果てるまで追いかけ回せられて追加点を奪われ、
よれよれになった時にまた追加点。
後はやる気のなくなったブラジルがパス回しの練習時間になる、というのがブラジルの対日本戦だったはず。

中村のミドルシュートには驚いたろうし、
初めてブラジルを相手にする大黒は萎縮するのではないか、と心配したが逆に本物であることを実証した。
マークに付いたDFのルシオを軽々と振り切ってフリーになって裏に出ていたけど・・・
本当にアレは日本のFWなのだろうか?
俺は夢でも見ているのでは・・これでドラゴン久保が帰ってきたらもう日本が恐れるチームはない!
こともないが、つぶやきシローみたいな大黒とトラック運転手が希望だった久保の2トップなら誰でもこんかい!
って強気になれます。負けちゃかもしれないけど。

もう開始直後の加地の得点のことは言うまい。
1次リーグで敗退したことは事実だし、善戦を喜んでいるようでは甘いという指摘もあろうが、
ユーロ杯の覇者を破ったギリシャ戦、そして今日と、来年のワールドカップに本気で期待出来るではないか。

それにしてもロナウジーニョはなんて楽し気に笑うのだろう。
生を謳歌するようなあの笑顔。人間は生きているだけでめっけもの、といも言うからな。
俺もあんな顔で笑いながら行きたいね、と思いました。

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June 23, 2005

列車に乗った男

小さなリゾート地で列車から降りたアウトロー、ミランと、
そこで実直な教師として生きている初老の男(ジャン・ロシュフォール)が出会い、数日を過ごすだけのお話。
そんな話を、名匠パトリス・ルコントは、慌てず騒がず静かに物語ります。
2人の主演に魅力と力量があり、さりげなくも脚本が練りに練れています。

例えば、パリでの散財の話。
散財というのは思い切りがいるのですよね。
私も苦手です。現状維持型の人間に散財は苦手なのではないでしょうか。
人は良い方への変化でも、恐れる生物なのですよね。
下妻物語にも「幸福を掴みとるのは不幸に耐えるより勇気がいる」、という言葉がありました。
ほとんどの人は、この実直なジャンに自分を投影し、そういう一見気づきにくいエピソードに深く肯くことになります。フランス流の大人の演出ですね。

それから、レストランでのトラブルの話。
老いを感じるところ、現実の喧嘩と映画の中の話という処、そこからこのエピソードのオチまで上手いです。

歯ブラシに関するセリフ、ピアノの話、さらにシューマンに関するジャンの論評。
「泣き言をぐずぐず言い、同じことを繰り返す」・・そしてその後の言葉。
クスリ屋でのエピソードも2段構え、3段構えで、最近ハリウッド映画に多い、極端にトリッキーな設定にしなくても脚本はこう練るのだ、というお手本のような出来です。
さらに強盗の絵の批評の仕方まで、意外性と魅力があります。

「それが出来れば第二の人生が始まるかもしれない」
「私も暇なら手伝うんだが、本気だよ」
ボヘミアンに切なく憧れる気持ちを持ちながらも結局、思い切ったことが出来ぬまま年老いてしまったジャン。
ただこの映画に深みを与えてくれているのは、もう一方のミランもジャンの落ち着いた生活に憧れる面があり、それが分かるエピソードも用意されているというところです。

人は結局、人柄のままの人生であり、得られなかったモノに互いに惹かれ合うものの、
それは仰ぎ見る星のごとく手にすることは出来ないという達観は、ルコントのため息でしょうか。
そんな2人は互いに励まし合い、同じ時を生き、互いの失ったモノへの感傷に共感しあいます。

良い映画はそこに映し出される国民性が魅力的に見えてきます。
今回はフランス人というもの良いモノだと思える映画でした。

ラストは意表を付く仕上がりですが、あれでイイのでしょう。
この映画の題名は、列車から降りた男ではなく、「列車に乗った男」なのですから。

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June 22, 2005

悪趣味:マルチカルチュラリズム:スーパーフラット

80年代のポスト・モダニズムが失速すると、あまりに観念的になり過ぎた芸術にたいする反動で、
アレゴリー(寓意)を多用した具象絵画が復活すると共に、
「芸術は力の現われ」の法則がマルチカルチュラリズム、スーパーフラットに見てとれます。
第三世界のアーティストの勃興と、経済大国になった日本のオタク、アニメに起源をもつ
2次元性からとられたスーパーフラットという概念です。


悪趣味:これは主に70年代の動きで今回の記事と時代がずれるのですが、
アートの領域を越えてサブカルチャー自体に広がる価値観なので取り上げます
キチュ(Kitsch)という言葉は良く使われますが、いわゆる良い趣味では受け入れがたい、低俗な文化に価値を見出す芸術です。古来より芸術は洗練された貴族のモノでしたが、
経済構造が大衆化しその結果昔ながらの「教養」を要しない美意識が生まれました。

大きな物語の終焉
「ポスト・モダンの条件」ジャン=フランソワ・リオタール著で提唱さらた概念。米ソ冷戦が終わりヘーゲル的な「歴史の終焉」を意味します。フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」の淵源です。


マルチカルチュラリズム
多文化主義のことです。「歴史の終焉」から、それまで押さえられていた民族主義が勃興しますが、それと共に文化の支配構造も多様化し共産圏の崩壊から世界経済は一気に広がり、同時に芸術も多様化しはじめます。
脱ユーロセントリズム(欧州的美意識に囚われない)という動きのことです。


スーパーフラット
最近はルイ・ヴィトンのデザインでも知られる村上隆氏が、
日本画が本来持っていた平面性と現代のアニメーションを結びつけ、
さらにはあらゆるモノを等価に見る(少年ジャンプとレオナルド・ダ・ヴィンチなど)価値観が生まれました。

テレビ、アニメの発達と、それに浸りきっても生きて行ける豊かな生活が実現し、
現実世界から思考を遊離させ、虚構の中に生きる文化の代表だと思います。
なんとなく「マトリックス」的世界の萌芽のようですね。


以上、1口暗記美術史シリーズは完結です。
今振り替えると古い時代をもう少し詳しくやっておけば良かったとも思いますが、
機会があればこれからいくらでも振り返ります。
読んで下さった方々、ありがとうございました。
書いている自分がおそらく1番勉強になり、かつ楽しんだと思います。
これからもよろしくお願いします。

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June 21, 2005

素数に憑かれた人たち~リーマン予想への挑戦~3

ゼータ関数に必要になるので、対数関数、指数関数を復習します。
y=e^x(yがe:オイラー数、のx乗)ならx=log y(eをx乗すればyです)
さらに正の数yについてもy=e^log yです。何故ならeの肩に乗っているlog yは=xだから。

素数定理:PNTは以下の通りになります。
π(N)~N/log N
この意味は、
Nまでの「素数個数関数:π(N)」は、その数Nを、eを底としたNの対数関数で割ったものである、です。

さらに素数定理からの帰結として
1)Nが素数である確率は~1/log N
ある大きな数Nまでのすべての数のうち、ある数が素数である確率はeを底とするNの対数の逆数にしだいに近づく、ということです。

2)N番目の素数は~Nlog N
N番目の素数は、eを底とするNの対数のN倍に近付く、ということです。
そして実際にNが大きくなるほどその差は小さくなっていきます。

素数の頻度に史上初めて関心を示し、その法則を覗いたのは数学王ガウスです。
彼は自分の空いた15分の時間を使い千づつ数えていき
「素数は、平均すればその頻度が対数の反比例に近づいていく」という結果を得ます。


バーゼル問題:以下の無限級数の「閉じた形」を求めよ
1+1/2^2+1/3^2+1/4^2+1/5^2+1/6^2+1/7^2+・・・
「閉じた形」とは正確にその値を表わしたものを指します。
近似値は「開いた形」といいます。

そしてこのバーゼル級数の答えはπ^2/6です。
円にまったく関係のないこの式で、πが出てくるのは神秘ですが、この形に閉じます。

累乗:掛け算の繰り返しです。以下、累乗同士の指数演算の法則を示します。
指数法則1)x^m×x^n=x^m+n
指数法則2)x^m÷x^n=x^m-n
指数法則3)(x^m)^n=x^m×n
指数法則4)任意の正の数xについてx^0=1
指数法則5)x^-n=1/x^n(x^-1は=1/xだから)
指数法則6)x^m/nはx^mのn乗根である。例:x^2/3はxの立方根の平方
指数法則7)(x×y)^n=x^n×y^n

本日はここまで。5章の中間です。

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June 20, 2005

下妻物語

獄本野ばらの傑作を原作にしたこの映画は、とくに主人公、桃子の人物造詣が素晴らしく、
映画化にあたってもあの深田恭子のハマリっぷりは期待していました。

心配だったのは、土屋アンナのイチゴの方でしたが、いやー、神の降りた演技でしたね。
あの吠えてるところから、 「カッケー、これ、マジっかよ」
と、ブワッと鳴る効果音と共に一瞬で興味の対象を移すところなどは、リアリティの権化。
もう絶対に人が演技をして出来る範囲を超えています。

土屋アンナは、手足が長く動きにキレがあり、プロフィールを見て得意なことが、
「バスケ」と「木登り」と「犬の泣き真似」と知り、その上この映画のヒットにもかかわらずお見かけしない、と思ったらこの映画の撮影後、妊娠して結婚とか。これは地だろう、演技じゃないだろう、というのは野暮というもの、
やはりこれは神の御業の巡り合わせというモノでしょう。
こうなると映画が面白くない訳がなく、笑って笑って涙が出ました。

途中出てくる男性のリーゼント、素敵です。やはりあの位の長さは最低いるでしょう。
美は実用を犠牲にして成立するのです。
最近、若い人が友達友達と言い過ぎるのに少し違和感がある私ですが、
桃子を見て思ったことは、人間、何かに惚れ抜くと(桃子の場合のロリータ、ロココ趣味)
自分が確立され強くなり友達に過剰に寄りかからない人に成れるのですね。
音楽も良くウィンナー・ワルツからJ・ポップまで見事な効果を上げていました。

終盤、爆走する原付をローアングルから取ってスピード感を演出するのは、もうかれこれ四半世紀前、オーストラリアに忽然と現れた天才監督ジョージ・ミラーが日本製大型高性能バイクを荒涼たるハイウェイで疾走させて大ヒットした「マッド・マックス」シリーズへのオマージュです。
この映画で改造車にのったメル・ギブソンがスターになったのです。

思い出すなぁ、「マッド・マックス」。
何回見たでしょうか。
ちなみに今も飛ばすの好きです。今日も吸排気系バリバリのクルマで走ってきました。
実は昨日も走ってました。最近は夕暮れが長く、風が暖かくオープンで飛ばすと気持ちがイイのです。
その上、途中に寄った本屋でクルマの雑誌を立ち読みし、シブイ新車情報をゲットしてしまい、また迷いがでて・・・

話を元に戻します。
原作でキャラが立っていた桃子(フカキョン)、映画での序中盤ではむしろイチゴ(アンナ)の勢いに押される状態ですが、ラスト山場で力を見せつけます。
深田恭子、恐そるべし。
エンド・ロールで流れる特効服まで似合うのだもの。

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June 19, 2005

裸体と衣裳     三島由紀夫著

猫のようでありたい。その運動の巧緻、機敏、無類の柔軟性、絶対の非妥協性と絶妙の媚態、
絶対の休息と目的に駆け出す時の恐るべき精力、卑しさを物ともせぬ優雅と、優雅をものともせぬ卑しさ、
いつも卑怯であること怖れない勇気、高貴にして野蛮、野性に対する絶対の誠実、完全な無関心、
残忍で冷酷、・・・これはそのまま芸術家が座右の銘にしてもおかしくない。
三島が書斎の一隅にいる猫について描いた文章です。

この本は若き日の三島由紀夫の日記と評論集。
前半が日記で、この本を書いた時期、三島は結婚し、家を建て、子供を授かり小説が英訳されるという昇竜のごとき日常なのですが、仲人を頼まれて緊張してギクシャクしてまったり、芝居で恥じを掻いたり、クダラナイ冗談が相手にされなかったりと意外なほど情けない現状を報告してきます。

後半の短い評論集は後半になるほど難解になる反面、読み応えもあります。
引用したい文章は多々あるのですが、きりがないので一つだけ・・・
「芸術にエロスは必要か」から
プラトンの「饗宴」から賢女ディオティマによると、エロスは神でも人でもなく、死ぬものと不死の中間にあり、
偉大な神霊(ダイモーン)なのだそうだ。
エロスは母親のペニヤ(窮乏)に似て貧しく汚らしく、父親のポロス(術策)に似て勇敢な狩人である。
生まれたのがアフロディテの誕生日であり、アフロディテの僕となり美に憧れている。
エロスは欠乏の自覚ゆえに、美しきものを愛し、その永久の所有、
不死に預かる為に美しき物に生殖しようとする。
欠乏の自覚のある者のみが、美を希求する。

三島由紀夫は10代の頃「仮面」と「金閣寺」を投げ出して以来、どうも美文調の文章が上滑りしているという感じが棄てきれず、遠ざかっていたのですが、この評論にはすっかり感心し、また年齢的にも理解できる年になったような自覚もあるので、遺作であり、また三島芸術の到達点ともいわれる「豊饒の海」4部作を読んでみることにします。

ps
ウエイト・レー二ングに凝り始めた時期らしくしきりに上げるバーベルの数字を出していますが、
ベンチプレスで70キロ程度と私と同レベルの数字で親近感が湧きます。
ちなみにこれはウエイトでは初心者からやっと脱するレベルで、後年、写真でみせたあの肉体はその後の精進の賜物でしょう。ベンチ70ではとてもあの身体にはなりません。

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June 18, 2005

OP、先物共に撤退です

本日、日経平均11500円台に乗せてきました。
これはC115を売り持ちしている私にとっては撤退のサインです。
11370円が目先の高値という思惑が崩れた以上、長居は禁物。
月曜の寄りつきで両方とも閉じます。

重要なのは、先物にコンビネーションさせていたOPが取引する上で最も大切な「流動性」を失うことです。
もちろん食い込んだといっても20円。流動性は充分です。
でもこれ以上、上げていくと怖い。怖くなる前に逃げるのが私のやり方です。
ここで逃げなくても、6連騰もしたし、25日MA2σもブレークしているから反落期待はあります。
でもそんな理屈付けの未練が命取り。
理屈より実際についた価格が現実です。
もちろん私が買い戻した処が素っ高値!というのは良くあるパターンですが、
買い戻しておいて良かった!という思い出もまたあります。

ともかく自分の想定が外れた以上、神社仏閣、御先祖様にお祈りする前に逃げる。これが結論。

外れてしまった私の思惑ですが、詳しく書くと以下のような都合の良い展開を考えてました。
日経平均は上げる。だから先物を持っている。
11370円を高値と言ったのは65日移動平均線が降りてきていたポイントでした。
そこまで上げたところでポジション・デルタをニュートラルにしておくと、
そこらから11200円に上昇してきている25日移動平均線に押す。
そしてまた上げてくる。
こういう展開になると11500円近辺に戻るのは7月の初旬。
売っている7月限のOPは時間価値を失い値下がりしている(ポジティブ・セータ、+θ、といいます)。
買い持ちの先物は儲けを温存。持っている間は下げのヘッジになり、
上がっても7月7日に来る決済日直前にはOPC115の値段は下がり、OPの売り持ちでも儲かる。
ダブルで美味しい(笑
この作戦、実は6月限C115では上手くいったのですけどね。
今回は、そうは問屋が卸してくれませんでした。

さて決済した後、新たなポジションですが当面は取りません。
何故か?
今、私には相場への思惑が立たないからです。
今、この値段で買いたい?と云われたら、遠慮したいです。(それなら買い持ちの先物は残しOPだけ外します)
でも下がる方の思惑に自信があったら今日、デルタで-2のポジションを解消しません。

今は分からない。
分かったつもりでもこうして外れることもありますが、
ポジションははっきりした見通しがあった時に初めて取ります。
1)結果外れても、取引は自分の見通しがはっきりしてから。
2)流動性のない商品からは逃げる。
3)見通しが外れたら理屈を言わずに逃げる。
これが私の取引規則です。

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June 17, 2005

carmen.カルメン

男と女の愛が日常の条理に組み込まれる退屈は、誰もがふと感じるものなのだ。
だからメリメのこの作品は「エロスの神話」として語り継がれ、飽かれることを知らないのだろう。

「カルメン」と題された映画にとって最も重要な、
あるいは唯一重要なことは映像の中にエロスの魔性を出現させることだろう。

この映画のパス・ベガは、たわわなバストと豊かな腰周り、あけすけな大股開きや、
ことに及ぶ時の嬉しげ脱ぎっぷりと、貪欲そうな腰の動き、胸元や股座に手を突っ込まれるシーンから、
さらに服を着る時の苛立ちまで扇情的で良かったです。

自分以外の男の刺激は最高の媚薬であろうし、背中越しの視線や、
見せては見せられる行為は、やはり「日常」を破壊しないと得られない禁断の領域だな。
こんなこともメリメの原作にあるのだろうか? あったら読んでもいいかも。
ただ歌は止めた方が良かった(笑

映画自体も、夕陽と揺れるたき火あるいは蝋燭の深紅の光が表出する何処までも深い闇と、
バックに流れる哀切なる響きのフラメンコが興を添えます。
スペイン独特の野趣と官能。向こうの人間の血は熱いぜ。
見放され星の下で眠るはめになるホセが、落ちぶれていく反面、不思議に生き生きと幸福そうになるところが良いなぁ。

カルメンが貪る果物はセックスの暗喩であろうし、ラスト、短刀を突き立てられ没我の中に死んで行くカルメンは果て無く追い求めた究極の男根によるエクスタシーだろう。
でもこういう映画に、こんな聞きかじりの小利口を開陳するのは虚しいな。
私も謳歌したいものです。
でも相手は、処女よりも、健康な子を産む女よりも、献身の女よりも深い享楽の女なのだ。
それはやはり死の国でしか番えない悪魔と契約した女なのかもしれない。

日本で「カルメン」と云えばピンク・レディの歌であり、
今はなくなったカルメ(ン)焼きである。彼我の血の熱度の違いは大きいぜ。
でも美味しかったよね、カルメ焼き! 知ってますか?
俺はおばあちゃんに焼いてもらった思い出があります。若い人は知らないだろうなぁ。

ps
パス・ベガの豊かに繁茂した陰毛を見事にぼかすことにより、自らの顔に泥を塗りつづけている映倫さん。
とりあえずみっともないからいい加減に止めた方がいいですよ。
もうネット上でも手軽に買える雑誌上でも女性の陰毛写真は溢れているじゃありませんか。
硬直したお役人の機構は、ここまで馬鹿馬鹿しいことをするのだという歴史的証拠になります。


結局、カルメンは男を乗り換え続け、結果、絶え間なく日常の安住を壊していくから災いを呼ぶオンナなのだろうけど、究極の快楽ってそんな中にしかないのかもな。
安住は=退屈で、快楽とは背反するのだ!きっと。

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June 16, 2005

ラブ・アクチュアリー

クリスマスの夜に向かって動き出す、19人の愛のドラマが点描される心暖まる映画の成功作。
でも季節感が大きなモティーフなので、出来ればこんな梅雨の夜ではなくクリスマスとはいわないまでも、
すくなくても年末辺りに観たい映画かもしれません。

登場人物は多彩で、年を取り売れなくなったロックスターから、小学生の義理の息子の初恋に悩む父親、
ポルノ・フィルムに主演する意外に純情な2人、中年の夫婦のすれ違い、異国の女性に恋をする作家から果ては英国の首相まであらゆる「愛の実際」を描きだします。

多人数が錯綜する群像劇ですが、混乱させることもなく、互いのエピソードを巧みに絡ませ、笑わせ、
泣かせてしんみりと愛について考えさせ、しまいにはイギリスって良い国だなぁ、と思わせてしまうのだから、
監督のリチャード・カーティス、大したものです。
驚くことに初監督作品。「ノッテイング・ヒル」「ブリジット・ジョーンズ」の脚本家として培った構成力がいかに奥の深いものなのか実感できました。

映像にもとても品位があり、あたかも名人が上等な絵具を使って描いた絵画のようで、
暖かかな味わいがあり、センチメンタルですが湿り過ぎず、甘さを含みつつも良質の菓子のように甘すぎず、
とても爽やかな気分のまま観終えることが出来ます。

音楽の使い方も非常に上手く、特に途中に挿入される懐かしのヒット曲が効果的で、気分を盛り上げます。
このサントラのCDなら、いかにもクリスマスの時期には合いそうで、本気で欲しくなりました。
これだけの曲を巧みに使いまわすところは、音楽にもかなりの造詣を感じますね。

またミスター・ビーンで知られたローワン・アトキンソンが意外な場面で唐突に出てくるのですが、巧い!
さすが12気筒フェラーリに乗るギャラを稼ぐ俳優の実力発揮です。
こういう細かいところが巧いから136分、飽きません。

ps
最初、ヒュー・グラントの英国首相役だけが少し浮いているというか、作品の流れから乖離した感じがしていたのですが、その杞憂を一蹴したのが、共同会見でアメリカ大統領に言ってのける痛快なセリフ。

英国は意地悪な友達は要らない、イギリスには・・・も・・・も・・・も・・・とまくし立てます。
この・・・。
日本だったらなんていうでしょうか?
私が思った・・・は、・・・です。
もし誰かと一緒に観る機会があったら、お互いに言い合ってみると、
案外その人の価値観が分かり相性占いとか心理テストのように遊べるかもしれません。

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June 15, 2005

デルタ・ニュートラルにして何をしたいのか

昨日の記事で>だからデルタがニュートラルなのね。
ということを書きました。
少し分かり難いニュアンスだったかもしれないので、今日は少し詳しく書きます。

デルタ・ニュートラルというのを今の私の場合を例にして書くと、
もし日経平均が上がれば買い持ちの先物で利益が出る反面、コールOPの売り持ちで損が出る訳です。
下げれば買い持ちの先物で損が出ますが、OPの方で利益が出ます。
その損と利益がちょうど釣り合うのがデルタ・ニュートラルという状態です。

考えると、上げても下げても、儲けと損が同じならポジションを持たないのと同じですよね。

オマエの思惑は上げなのか下げなのか、男らしくはっきりせい、という感じがしますね。

その上、得も損もない、といってもそれは小さな動きの時だけで、
大きく上げれば先物の儲けよりOPの損が大きくなりますし、
大きく下げれば先物の損を全てOPがカバーする訳ではないのです。

そんなポジションをわざわざ作るのはどうしてでしょう。
相場と付き合う時、ここは買いだ、と思う時があります。
5月17日では、日経平均は買いだと思いました。
だから先物を買い、下がれば損になり上がれば儲けになるプットOPのカラ売りをした訳です。
この時点では、上げれば全てのポジションは儲けに、下げればみんな損になります。
それから上げるにしたがいプットOPは手仕舞い、また下がった時に今まで上げた分の利益を少しでも守る為に、コールOPを売っていった訳です。

上げれば儲かる持ち高は減り、下がった時に利益になる持ち高を増やす。
それが昨日だいたい釣り合った訳です。
それはあの水準がまぁとりあえずの高値かな、と思ったからです。

でも真剣に高値だと思ったら、買い持ちを手仕舞って、先物を売りにすれば良いですよね。
何故買い持ちを持ったまま、OPで調整したかというと、
ここで少し調整してもまた上げるかな、とも思っているからです。
高値だという思惑に自信がない(笑
まだ上がるかもしれない・・・でも下がるかもしれない・・・

でもポジションを取る時、いつもはっきりとした自信があることは少ないでしょう。
だから様子を見たいのです。
時間を取って様子を見たいけど、先物を手仕舞ってしまった後、上げてしまうとまた買いづらいですよね。
逆に持続して下げてしまっても後悔します。

迷っているからデルタをニュートラルにして動きを待っているわけです。

目先は高値だと思っているのですから、
ここらか上げればOPの影響力が増して自然に売り持ちのポジションになります。
下げても出直ると思っているので、OPの利益を取って先物は持ったままでいられる訳です。

そして上げでも下げでも、このポジションが壊れるような大きな動きが出たら、
一端全て手仕舞って、また考え直せば良い訳です。

それでこういうポジションになった訳です。
さてどうなることやら・・・

《注意》
昨日は書き忘れたけど、私の記事をご自身の取引の参考にはしないでね。
¥¥¥取引は自己責任¥¥¥

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June 14, 2005

5月17日のポジションのその後

5月17日に作った225先物は、6月限から9月限にロールして未だに持っています。
3枚あったのですが、ロールは1枚づつしました。
先物をロールさせる時は欲張りません。10円のスリッページならOKです。
期日が近づくと寄りと大引けでは同じ値段で出来ることが多いですが、先高感が出れば寄り引け成り行きで、
安値売りの高値買いになりかねないから早め早めに1枚づつやりました。リスクの時間分散です。


あの時の6月限プット105、100はともに2円で買い戻し決済できました。(SQまで持てば0円でしたが、SQ決済を私は好みません)
何故先高を読んでも先物の買いを追加せず、プットOPの売りをしたかというと、その方が低リスクだからです。
OP売りの儲けは売った値段までですが、もしあれから下げても先物の買いより損がダイレクトに来ません。
ダメでも考える時間が取れます。

その後、日経平均が上げるに従いコール115を売っていきました。先物の買い持ちのカバーを取った訳です。
5月30日までに平均26円で12枚を売り、その時点でまだプット105が7枚残っていたので、
OPデルタは-1.91、トータル・デルタは+1.09でした。
トータル・デルタはプラスですから強気でも、下を覗く時のヘッジも欲しいという感じです。
平均26円で12枚だから総計300円の利益になり、先物1枚当り100円程コストを下げた訳です。
1年を通じた決算をすると、こういう地道なセコイ取引がトータルで響くこともあります。

それで今のポジションは6月7日にコール120を10円で6枚売り。
さらにコール115を60円で断続的に売っていき計8枚あります。プットは売ってません。
結果、今のトータル・ポジションはOPデルタ-2.69、トータルデルタは+0.31で、ほぼデルタはニュートラルです。

実は今日の11370円は目先の天井と読んでます。だからデルタがニュートラルなのね。
まぁ、一気に上げられれば11600円で全てポジションを閉じます。(OPの流動性がなくなるからです)
先物の儲けをOPが食いますが、それは下げのカバーと取ってるのだから仕方がありません。
また一気に下げたらフルカバーは出来きませんが、それを狙えばトータルでかなりの-デルタのポジションが必要です。それほどの弱気ではありません。
こうやって小刻みに思惑を調整できる、OPと先物の複合ポジションが私は好きです。
OPはリスクパラメータの読み方を憶えてしまえば、チャンスのある投資方だと思います。
現実感覚のある人より、数字オタクに向いているのは確かですが、なんとなく実践でのOPや先物の感じが分かったいただけたでしょうか? 結果、損になるかもしれないけど、私の投資はこんな感じです。


私はかつていつも通る道にユニクロが出来、クルマが長蛇の列を作っても何も思いませんでいた。
店内に入っても興味を持たず(洋服自体に興味がないのです)、いつのまにか自分がユニクロの服を着ていても気が付かず(妻が買ってきていたのです)その年の終わりにファーストリテーリングが年間1位の上昇率といわれても、あの店と銘柄が一致しませんでした。

でも経済統計を見るのは好きで、テクニカル分析の関数をエクセルに書くのも好きです。
株自体、本来経済の影ですが、
その現物株から派生した先物からさらに派生(デリバティブ)したOPが1番好きです。
ブラックショールズ式なんて知らなくても、なんとかなります。
私だってしりません。
だいたい株価の値動きを、正規分布を前提にしたウィーナー過程自体から算出するのに疑問が持たれています。←難しいこと書いてますが、受け売りです。

今NYが上げているけど、明日はお手柔らかに、とお願いして寝てしまいましょう。

考えた末のポジションです。
ダメならクローズ。良ければホールド。
それだけを迷いなく出来ますように!

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June 13, 2005

さよなら、タイソン

05年6月11日、ワシントンでタイソンは座り込み、ボクサーとしての生命を終えた。
試合後の穏やかなコメントは、聞いている方が悲しくなるものだった。
全盛期には秒単位でTMを終える、超人的な選手だった。
男の子が1度は見る夢を現実にする選手、それがマイク・タイソンだった。

今回の復帰戦は大柄の白人選手、マクブライド。全盛期なら遥かに格下の相手である。
1R、注目の立ち上がりでマクブライドのジャブをヘッドスリップするタイソンの動きが冷静に見えたのは,単にエネルギーの不足だったとは。
それがはっきりしたのは、タイソンのボディブローが炸裂した瞬間。
マクブライドは意に介さない! マクブライドは打たれ強いのか?
疑問はすぐはっきりした。いくら当たっても効かないのだ。
タイソンがスイングする、フックが当たる・・!! マクブライドは前に出てくる。
タイソンが小さく見える。
膝が弾むバネを失っていた。 パンチは膝なのだ・・本当にパンチは膝なのだなぁ・・

冷静に考えればR・ルイスに完敗した時、事実上の終わりは来ていた。
それをタイソンを含め世界中の誰もが受け入れなかった。みんなが超越した存在の起こす奇跡を見たかったのだ。

今でも憶えている。
初めてタイソンを見たのは、もう20年も前の「週刊文春」の特集ページだった。
ヘビー級に試合はみんなKO勝ちするてつもない若者が出てきたという紹介写真に、タイソンの太い首があった。その同じ太い首に老いを滲ませ今日リングを降りたマイク・タイソン。
俺の夢の一つは、またあんたみたいな選手を見ることだよ。
何十年 待つことになるか分からないけどね。


ライト級統一戦
ディエゴ・コラレスvsカスティージョ
私はどうも接近戦で打ちまくるチャベス・タイプのボクサーには採点が辛いらしい。
この試合、ブラジルの爆弾野郎をKOしたコラレス有利と見ていたのが、実際はカスティージョが接近戦での実力を見せ付ける展開。
徐々に押されるコラレスは2度のダウン。マウスピースを自ら吐き出し時間を稼ぐギリギリのしのぎ。
ところがそこから逆転KOとはね。
コラレスはパンチを当てる瞬間、痩せた体を樫棒のように硬くして、信じがたい程の威力を乗せてくる。
レフリングに若干の疑問を感じつつも、終わった試合はしょうがない。


S・ライト級TM
リッキー・ハットンvsコンスタンティン・チュー
今、1番タレントが揃い、最強の座が注目されているSライト級。
その第一次前哨戦は、最強と目されるチューが肩ならしに行うリッキー・ハットン戦。
若手の芽を摘み、勝ち上がる他のライバルを迎え撃つというのが規定路線だ。
元気一杯、大振りをしてくる若手を、手合い違いでチューが一蹴するかと思いきや、
ハットン、入りのスピードが並みじゃない。さらに度胸満点で力任せに振ってくる。
チューの顔が強張るのを見るのは何時いらいだろう。
それでも中盤までは、まだチューの勝利を確信していた。
しかしハットン台風は衰えを知らずに押し捲り、チューの12R試合放棄の負けを呼び込んだ。
チューの評価が過大だったのか、ハットンの勢いが本物なのか、真実は次回はっきりする。

意外過ぎる結果には、ハットンするどころか、バタン、チューと倒れるような気になった。←ジョー小泉のよりイイできだろ?ダメ?

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June 12, 2005

オプ・アート:キネティック:ジャンク:コンセプチュアル:パフォーマンス:アース・ワークス

芸術はしだいに細分化し、より自由な境地を求めて従来の概念では捉えがたい形式が多発します。
その結果、一般の人々からは遊離する側面も出てきます。
20世紀後半のアートは、巨匠のみ可能な「神の御業」から「飛翔する感性」の空中戦の様相を示し始めます。

オプ・アート
オプティカル(視覚的、光学的)・アートの略で、見ていると目眩を起こすような波形のパターンや、
幻想的な錯視効果を狙った芸術です。
ヴィクトル・ヴァザル「ヴェガ200」1968年
ブリジト・ライリー「大滝3」1967年

キネティック・アート
キネティック(動的)ということで、人力、風力などで動く芸術のことです。
アレキサンダー・カルダー「モビール」が原形です。

ジャンク・アート
コラージュやレディ・メイドの流れを受け継ぎ、廃品、廃物を貼り付けたり組み合わせて作る作品です。
美術評論家のローレンス・アロウェイが命名しました。
ジョン・チェンバレン「帽子のリボン」1960年

コンセプチュアル・アート
概念の芸術です。作品は「実際の形象」から「観念的な側面」を訴えるモノになります。
ジョーゼフ・コスース「一つの、そして三つの椅子」1965年
本物の椅子と写真の椅子と椅子という項目を辞書から印刷した記事を三つ並べた作品です。

パフォーマンス・アート
体の動き自身を芸術としたものです。
ヨーゼフ・ボイス「私はアメリカを好み、アメリカは私を好む」
ボイス自身が全身をフェルトでくるみ、1本の杖だけを出して、3日間画廊の中でコヨーテと暮しました。
そういう芸術です。

アース・ワークス
大地を相手に芸術をしてしまいます。なんでも広大な布で覆うクリストなんかが有名です。
ロバート・スミッソン「螺旋状の突堤」1970年
広大な湖の中に本当に堤防が螺旋状になっていてかなり面白いです。
スケールを何万倍にもした子供の遊びみたいです。

アルテ・ボーヴェラ
「貧しい芸術」のことです。何が貧しいかというと従来芸術の題材だった大理石やブロンズの代わりに、
安手の日用品を素材にしたからです。
ミケランジェロ・ビスレット「ランプ」1966年
電球が1個下がった芸術です。

次回、「美術館の帝王」シリーズとして始まったこの美術史1口暗記シリーズも最終回です。
私の好みからモダンが長くなってしましましたが、やっと終わりです。
アートカテゴリーではアンドレ・ブルトンの「魔術的芸術」を取り上げます。
よろしくね。

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June 11, 2005

素数に憑かれた人たち~リーマン予想への挑戦~2

素数と素数定理(Prime Number Theory:以下PNTと書きます)
素数(Prime Number)とは、1とその数自身しか約数を持たない数のこと
例:2,3,5,7,11,13,17,19,23,29,31,37,41,43・・
と、どこまでも続きます。

素数は無限にあり、最大の素数は存在しないことの証明
1)最後の素数をNとする。
2)最初の素数2から最後の素数Nまでをすべてかけると
2×3×5×7×・・×Nとなります。
式から出た数は、この数までのすべての素数で割り切れます。
3)これに1を足し、2×3×5×7×・・×N+1とすると、
N以下どんな数でも割り切れなくなります。
よってこの数はNより大きな素数で割り切れるか、この数自身が素数かのどちらかになります。
よって仮定した最後の素数は存在せず、素数は無限に続くことになります。

N(Number、数という意味の略)    Nより小さい素数の個数
1000以下なら          168個
1000000以下         78498個
1000000000以下          50847534個     
1000000000000以下         37607912018個
1000000000000000以下         29844570422669個
となります。
上記から分かることは数が多くなるほど、素数の数は増えにくい、ということです。
数が増えるほど約数になる数も増えるので、
対象となる数字が増えれば素数も増えにくいというのは直感で分かりますね。

それではその少なくなり具合を、明らかにする関数はあるのでしょうか?
「プライム・カウンティング・ファンクション:素数個数関数」です。
「素数個数関数」は記号では、π(N)と表わし、「パイエヌ」と読みます。
「Nまでの素数の個数」と定義します。
(πは円周率として有名ですが、今回は関係ありません。多重定義されてます)

すると、
N/π(N):Nまでの数を、Nまでの素数の個数(π(N):素数個数関数)で割ると、
Nが千倍になるにつれ、この式の数字が7増えるという規則が見てとれます。

対数関数と指数関数:今後の展開に必要なので復習しましょう。
指数(エクスポーネント)関数とは:y=A^x 例、9=3^2(9=3の2乗)
この逆が対数関数:y=log aX 例、2=log39(3を何乗すると9になるの?=2ですね)
この対数関数式でaにあたるのを対数関数の底といいます。
今回の例では3でしたが、これをオイラー数e(超越数です。2.718281828459・・)にすると
y=log aX,という対数を微分した時、y′=1/x log aeとなり
底にeを使えば
y=log eXの微分は
y′=1/x log ee=1/X と簡単になります。 (log ee=1だから)
そこでeを「自然対数の底」とし使用し、以後、対数関数では省略して書きます。
これで3章終わらない・・・
意地でも読み通しますので、よろしかったらお付き合いください。

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June 10, 2005

もの食う人びと 辺見庸著

私は、私の舌と胃袋が気にくわなかったのだ。
長年の飽食に慣れ、わがまま放題で、気力に欠け、万事に無感動のだらりぶら下がった、舌と胃袋。
だからこいつらを異境に運びいじめてみたくなった。贅沢にたるみ、麻痺した舌と胃袋だからどうなるか見当もつかない・・という書き出しで始まる辺見庸さんの「もの食う人びと」
いつもと違って本からの知識をまとめるのではなく、感想を中心に書いてみます。

辺見さんが始めに旅をするのは、バングラデシュはダッカの残飯市場。
1回の食事が十数円!反面、出される食事はみんな残飯を集めたモノ。
ちなみに東京では1日50万人分の残飯が捨てられるとあります。
半ば腐敗した肉にむしゃぶりつく少年の目がすわってしまう描写からは、飢えの恐怖の迫力が伝わります。

読んで思うのは、つくづく「飢え」は日本人の忘れてしまった恐怖だと思うことです。
ダイエットや痩せることが主要な関心になる日本人には、
現実にその場に、恒常的に食べ物がなく、
「飢え」が「殺意」を持って近づいて来る時の「恐怖」と「苦痛」は簡単に想像できないでしょうね。
考えれば「餓え」とは人類誕生から何百万年も当たり前にあった恐怖なんですよね。
それがないという「異常」に気づけ、と辺見さんは訴えます。

例えば俺は休日前夜にあてもなくコンビニに行くことがあります。
夜中だと小腹が空いて、おにぎりだの、ポテトチップだのが誘惑してくるが買いません。
購入する飲料も0カロリーのモノ専門だ。
俺もはっきり言って太るのは怖い。
別にカッコつけてスタイルを気にする云々という話ではなく、太ると血圧や、コレステロール、血糖値などの数値が響く年になっているのだ。食べないことが健康管理になっている。

皮肉なものだが、辺見さんはそんな心配がひっくり反って日本が餓える日を夢想する。
いや、海外純資産残高185兆円、世界最大の経常黒字国が餓えるはずがない!
と俺は思う。

でも実はそんな理性をかいくぐり、俺も子供達が餓える恐怖をふと夢想する。
俺が生まれたのは昭和33年。もはや戦後ではない、と言われた年。
親父がそんな俺に良く言っていたのは食えない思い出。
その子供が今や人の親で、子供に同じ危惧を抱く。
親という生き物は、自分の子供の未来にそんな危惧を抱く本能でもあるのだろうか?

俺の子供の頃から比べても、今の日本の豊かさは突出している。
24時間開いてるコンビニには、24時間食べきれないほどの食べ物が客を待っていて、
それは時間になっても買われなければ捨てられる。
品質管理上は仕方のないことだけど、
このレポートを読むと彼我のあまりの格差に、どちらが異常なのかと考えてしまう。
我々が異常だった、なんて歴史が証明しないことを祈るのみだ。

次回は「ピナトゥポの失われた味」篇では、辺見さんに反論してしまおう。

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June 09, 2005

アラン・グリーンスパンの秘密の微笑み?

アメリカは政策金利を上げ続けても債券が買われ10年債の金利が下がりつづけている。
世界の金融市場にタクトを振るマエストロ、アラン・グリーンスパンは、
それを「謎だ」と呼び不思議がっているという報道がある。

一般に政策金利が上げられれば、それに準じて債券は下がり、長期金利は上がる。
では何故、政策金利が上がっているのに、債券が買われるのか?
私は三つの理由があると思う。
1)現実の投資では、利の乗っているアセットは増やせ、というシステムからの示唆があると思う。
買うから上がり、含み益の出た資産がさらに買われるという循環である。

2)さらにアメリカのFF金利が長い間低位にあり、その間巧みなグリーンスパンの口先介入を通して過剰なバブルは生じなかったものの、3%に上がった今でもかなり過剰流動性の余熱があるのではないか?
FF金利は02年11月に1.25%に下がり、03年6月には1%、それが04年の5月まで続いたのだ。
そして日本はゼロ金利である。
未だに余剰の投資資金が消去方で流れこんでいる底流があるのでは・・・?

日本が去年までの為替介入で買った米国債は売られてはいまいし、
ドルの急落に怯えた産油国、アジア各国の買った米国債の需給は案外タイトなのかも知れない。

3)景気循環を予測した投資行動ともいえる。中央銀行が金利を上げ始めれば景気は減速する。株は買いにくい。
さらGM社債がジャンク債への格下され、質への逃避が起こっているという側面があると思う。

そして「解らない」と言っているグリーンスパンは、実は自宅のバスルームで、ほくそ笑んでいるのではないか、とも思うのがこの記事の骨子である。(マエストロは資料を持っての入浴がお好きでしたよね。この辺、本当にオタクで好きです)

マーケットを見ていると、節目である4%を切る長期金利は、インパクトがある。
それをマエストロでさえ「不思議と囁く」のは、米国国債への神秘的な信頼感を高め(米国債は美人だ!というケインズの箴言を間接的にマーケットで実行している)
長期金利の低下は間接的に株式相場を支え、住宅バブルの急激な崩壊を防ぎ、
双子の赤字を抱えるドル相場への信任を高める役割を果たしているのではないか。

マジックは信じる者がいるから存在する。
なんてね。
よくわかんないだけどさ。

ps
日本、Wカップに1番乗り!
柳、スライディング・ボレーシュート、キレてた。やればデキルじゃん。
あと大黒は日本のロナウド。

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June 08, 2005

ナイト・バーズとマックナイト

「シャカタク」の「ナイト・バーズ」(懐かしいでしょ)を聞いていたら
「楽園への窓」を描く、トーマス・マックナイトのシルクスクリーンを思いだした。
具体的にはトロピカルな「サンセット・ヒル」という絵ね。

マックナイトの淡いブルーの夜空に浮かぶのは白く光る月。
夜が本来もつ獰猛な危険を表わす黒を絶対に使わない画家がマックナイト。
自然も描かない。
贅沢なリゾート・ホテルとか別荘からの視点で、バルコニーを通してヨットの浮かぶ海を見せたり、
ピアノの上にカクテルのグラスを置いてみせたり・・・

シャカタクのナイトバースも、人工の楽園のハイウェイを疾走している感じがします。
南の島の不便な怖い野性を綺麗にとって、
快適と悦楽だけを抽出して高い値段の商品になってる場所が似合う曲!


Night Birds by Shakatak
夜空を飛んでいく    flying through the night
風に身をまかせて    floating on the wind
街の灯を目指して    to the city rights
その美しい翼で    night birds with the lovely wings

ゆっくりと舞い下りる    slowly they descend
暗闇を突きぬけて    through the darkened sky
夜へと戻っていく    to the night again
昼に別れのキスをして    night birds kiss the day good bye

夜風に体を任せ、美しい翼に乗って灯りを目指す。
いいよね! 至福の瞬間。
どうせ、続かないんだけどね。
それだけ貴重なその瞬間に聞いていたい曲。

それで盛り上がってこの曲をMDに取って、実際にリゾート地でカブリオレのクルマをレンタルして、準備万端遺漏なし、でイイ気分に浸ろうと企てても絶対に上手くいかないのな。
道路が渋滞していたり、スコールにずぶ濡れになたっり、パートナーと喧嘩していたり、
挙げ句に飛び込んで来たアブとかに刺されたりしてさ。
それでクルマが事故を起こして、ヤレヤレと藪に出るとハブに咬まれたりして、そのまま誰にも気づかれずに死んでしまったりして、何年もしてから白骨死体で見つかったりしてね。
単にちょっとイイ気分になりたかっただけなのに~なんてことになります。

そういうことをみんなどっかで知っているから、
現実にはどうやっても実現出来ない甘い夢だからナイト・バーズやマックナイトの絵が売れるんだ、と思います。


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June 07, 2005

ゴマジョー伝説@ラストたこ焼き

ある休日の午後、妻と娘2人はスーパーに買い物に、私は一人本を読んでいました。
(はい、私は家族サービスが極めて悪いそういう男です。開き直り終わり)
家のドアが開き、さざめきが広がった時間は3時。ちょうどおやつの時分でした。

「築地銀ダコ買ってきたよー」という明るい声が玄関から・・
妻はキッチンで食料品の仕分けを始め、私は本を閉じてテーブルの上をかたづけます。
娘が銀ダコのパックを運んで来ます。
2パックありました。

NOVAうさぎ長女がお茶を用意して、ゴマジョー次女はパックを開けます。
食料品の仕分けを終えた妻もテーブルに付き、我が家独特の早い者勝ち食事開始です。
まぁ確かに築地銀ダコは美味しい。
食は進みました。平和な人並みの家族の食卓でした。
妻が最初に席を立ち、私も5,6個を食べてお腹がいっぱいになり、子供2人がまだ旺盛な食欲を示しています。

「2人で分けてね」と言い置いて妻はまたキッチンへ戻り、私は読書を再開。
残りは5個でした。
ノバうさ娘とゴマジョーは、互いに牽制しながら2個づつ食べ進み残りは1個。
竹串が止まり沈黙が重く張り詰めます。

「1個、残ったの?」
「うん」
「じゃんけんで決めなよ」
「じゃゴマちゃん、じゃんけんね」
「うん、・・何回勝負?」とゴマ。
「何回勝負って、たこ焼1個でしょ。1回にしなさいよ」と私。
「じゃあ、1回勝負ね」とさっさと終わらせたいノバ長女。
「・・・」複雑な沈黙と強ばりを示すゴマジョー。

じゃんけんポン・・あいこでしょ・・あいこでしょ・・あいこでしょ・・あいこでしょ・・・
ここで問題です。
2人の人間が3種類の記号(グー、チョキ、パー)の出し合いで、同じ記号が4回続く確率は?
互いに独立試行であり、かつ積事象なので・・・
1/3×1/3×1/3×1/3=1/81
81分の1です。
これは何か異様な気力、(例えば、「絶対に負けられない戦いがある」という最近TV朝日から頻繁に流れるような気迫とかがないと)なかなかない事ですよね。

声が止まりました。
ノバうさ娘が勝ったようです。
瞬間、異様な雰囲気がテーブルを覆いました。
ノバうさ娘の竹串が動きません。

涙・・!

たこ焼1個に、何故に泣くゴマジョーと呼ばれる娘!

父はそれほどオマエを餓えさせてはいないはず!
「ゴマちゃん食べていいよ」という長女の気弱な声が終わる前に、たこ焼は消失。
人の目には見ることの出来ない「動き」が閃いた、と私は思いました。

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June 06, 2005

アッシャー/コンフェッションズ

貧しくも創造力のある若者が蝟集するストリートは、かつて音楽創造の源であったのではないか?
ビートルズもストーンズもそうやって生まれてきたでしょう。
もっとさかのぼれば、ロバート・ジョンソンはクロス・ロードで悪魔と取引をしたというではないか(笑
ヒップ・ホップやラップが主流になってから、悪魔は取引をめっきり控えているようでならない。

ヒット曲は出ているけど、みんなかつてのパターンが踏襲されているように感じる。
ブリトニーやビヨンセも好きだけど、ジャニス・ジョプリンとはやっぱり衝撃度が違うでしょう。
かつてクリムゾンやルー・リードが持っていた文学性や、ジミヘンの狂気のような真に新たな力って感じられないけど、どうなのだろう? 

そんな中でこのアルバムは久々の新たなる創造という気がする。
INTROの吐息から優雅でエロティックで素敵だ。
そしてYEAH! 抜群のアレンジとノリ! カッコイイよね。

この曲、なんと最近、アンドリュー・ゴロタというボクシングのヘビー級選手が
リングへの登場に使ったのでビックリ。
ゴロタという選手は、ジェームズ・エルロイが好んで描く「大きくて悪い白人の代表」みたいな奴。
デカクて自制心がなくて暴力的でアタマの悪い感じの選手です。
掛かった瞬間、似合わない!と思ったけど、やっぱり名曲。
聞いてるこっちの体は揺れてしまう。
でも似合わない曲で登場したせいでもないだろうけど、1RKO負け。(話しが逸れた)
でもつくづく思ったのは、このアルバムは何時でもどこにでも似合う魅力があるということ。

例えば俺の場合、乗っているクルマがうるさすぎてクラシックは聞けない。
クラシックを聞くとすれば夜の自宅だ。
逆にKODA KUMIは自宅では聞かない。
ツェッペリンも聞かない。
上の二つはクルマの中専用と、その他の音楽も微妙に棲み分けがある。
アッシャーは両方でよく聞く唯一のアーティストかもしれない。
ともかくファッショナブルでメロディアス。

良い曲ないな、と思っているオジサンのみなさん、騙されたと思ってぜひ1度。
気に入らなくて本当に騙した結果になったらゴメン。
実際、ブラック・ミュージックの好きな妻はピンとこないみたいだ。
でもゴマジョー@12才娘は「この曲は粋だね」って言っています。

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June 05, 2005

びんぼう自慢 古今亭志ん生

私にとって落語は、五代目志ん生であり、志ん生が全てである。
私の世代では落語というモノはすでに古いものであり、ふりかえるモノだった。
だから出会いは図書館のCD。きっかけは放縦と言われた生様だった。

「火焔太鼓」を聞いて魅了され、全部借りて聞いてこんなにイイのなら他の落語家も聞いてみようと思って聞き出したが、結局自分で名演集まで買って聞き続けているのは志ん生だけだ。

この本は、そんな志ん生が自ら語った人生の記。
この人の呑む、打つ、買う、は有名であり何が書いてあっても驚かないと思ったが、
実際に書いてあった内容はチマチマ生きている私の想像を絶した。

他人の分まで含めた前借りの大金を、バクチと酒に使い果たし、吉原に来り出すことは当たり前。
およそ家賃は払わない。引越しはいつも朝逃げ、夜逃げ。

さらに奥さんに掛けた苦労がけた外れ。
極貧に耐え兼ね実家からお金を借りて着物の直しの内職をけな気にやっていると、
直った着物を質に入れてその金で呑む、打つ、買うの吉原通い。
落語のように陽気に書いてあり笑わせるのが救いだけれど、
ふとこれが現実なのだと思うと呆れてモノが言えない気分になる。

それとは別に驚いたのは、なめくじ長屋での描写である。日本は貧しかったのだ。
本当に壁にデカイなめくじが這い回り、蝿と蚊の大軍と同居している。
子供の病気を治すとこなど、その生命力と逞しさには圧倒される。
これがほんの数十年前の現実かと思うと同じ国の話とは思えず、
なんでも昔はのんびりして良かったなんて言ってられないね。

感動するのは、一人では蕎麦屋にも入れない奥さんがそっと泣くシーン。
2ヶ所あるのだが、思わず涙をそそられる名場面である。

さらに関東大震災と東京大空襲での酒のエピソード。
逞しいのかなんなのか・・・もう私には分かりません。
終戦間際に満州に行き敗戦の混乱に巻き込まれ、ソ連兵を挑発したり、
極寒の満州に貴重な防寒具を酒と換えてしまったり、それで生き残ったり・・・運は陽気な人間の味方なのだ。
酒への情熱が自分を救ったって言ってるけど、私には納得できかねると同時に憧れもする。

今や伝説の名人が、実は芽が出るまでに改名すること16回。
目先の欲望に忠実であり、したいことをして切り抜ける強かさ。困難を気に掛けないその太さ。
人生なるようになる!って気にはなる1冊。
どうにかならないでもイイじゃないか! って気にすらなる1冊。

生きるってことは、平穏無事だけを目標とすることではないのだ、という
今の日本では忘れ勝ちなことを思い出させてくれました。

下手な人生指南書よりポジティブになれる本かもしれません。
でも本業(噺家)への努力だけは怠らなかったようです。

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June 04, 2005

ポップ・アート:ネオ・ダダ:ヌーボォー・レアリズム

大戦が終わり世界的に社会が落ちついてくると多様な芸術様式がいっせいに華開きます。
戦後の復興は、今日の日本社会を含む現代先進国社会の原型である大量消費社会の誕生をもたらします。
それを最も早く成し遂げたのは大戦で国土は荒れず、勝者として、一人勝ちしたアメリカです。
多くの耐久消費材に囲まれた生活が現実のものとなりました。
豊かな時代の表現に、芸術家達は競ってアイデアを絞りました。

ネオ・ダダ
第一次大戦でのトラウマがダダを生んだように、原爆を始め大量死を引き起こした第二次大戦の後、
ダダは暗い傷痕を背負ってネオ・ダダとして復活します。
ジャスパー・ジョーンズ:1930-
「旗」1954年:
アメリカ国旗に、絵の具や蜜蝋が塗られて汚された様子は来るベトナム戦争などの惨禍を予言しているようで、
芸術家の直感の鋭さを思いおこさせます。
即物的、物質的な絵画への歴史をこじ開け、コンセプチュアル・アートへと繋がる動きでもあります。

ポップ・アート
本来、イギリスの芸術潮流を表した言葉でしたが、
一般化したのはアンディ・ウォーホルを始めアメリカで爆発的に広がった芸術運動からです。
大量消費社会の生んだ表現そのものです。
歴史上初めて訪れた、大衆が主役の大量消費社会の誕生というエポック・メイキングなことがテーマになりました。
アンディ・ウォーホル:1928-1987年
「キャンベル・スープの缶」
「マリリン」1964年。
ホップ・アートのみならず現代絵画の帝王。
キャンベル・スープは食物でありながら工業製品でもあり、かつてなかったものです。
「映画」は大衆芸術の象徴であり、神なき時代に君臨するエレクトリックのもたらす幻影の中で、
「マリリン・モンロー」は現代のイコンなのでしょう。


ロイ・リキテンスタイン:1923-1999年
「どうにもならない」1963年
発表されたマンガの1コマを、写真製版の技法であるベンデイ・ドット法で描きます。
マンガも大量生産され消費される大衆文化の象徴です。
かつては教会や国王に捧げられていた「表現」は、その主役に「大衆の消費」が座ります。


ヌーヴォー・レアリズム
フランスで起こった新たなる現実主義。
大量消費世界のフランス流解釈ということでしょうか?
空き缶や工業生産物、廃材などを素材として使う他、クルマを潰して作品にしたりしました。
イヴ・クライン:1928-1962年
「人体測定プリント」1960年
インター・ナショナル・クライン・ブルー(IKB)という独特の青(空がモティーフ)が特徴です。
画面全体を1色で塗りつぶすモノクローム絵画の提唱、ボディ・ペインティングの手法も取り入れ、
日本に滞在して講道館で柔道4段を修得。パリにて34才で早逝しました。

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June 03, 2005

ペスト      カミュ著

一人の人間が不条理な破滅をしていく「異邦人」は、カミュにのみ可能な清潔な煌きを放つ文体でまとめられた詩篇のような小説でしたが、
この作品はペストという死のメタファーに覆われた町を舞台に複数の登場人物が神と信仰、
その結果として不可避となる理不尽から、精神と存在の根源を問い直そうという野心に満ちた長編小説です。

458pもあるので、「異邦人」のようにカミュの書き記す「究極のエクリチュール」に酔っている間に読了出来るモノではない反面、読み応えは充分で、多様かつ深い内容を含みます。

医師、神父、新聞記者、老吏、判事が出てきて問われ深められるテーマーは、
「無謬の少年が盲になることが神の意志であった時、キリスト教徒は信仰を失うかその事実を受け入れるかのどちらかである」とされ

「我々はみな他者を毒する可能性を持つ点で、ペスト患者であり、
自然なるものは病菌であり清浄なるものは意思の結果である」ならば
「出来うる限り天災に与することを拒否しなければならない」

そして人であること(ペスト患者であること)からの開放は、
「死以外にはもう何ものもなく結果、極度の疲労を味わうのだ」、とします。
さらに「人は聖者の近似的なものにしか行き着けずならば、
謙譲にして慈悲深い堕天使精神(サタニズム)をもって満足するほかあるまい」、と結論つけます。

さらにラストには衝撃的なエピソードが配され、なるほどこれが「第三の立場」:キリスト教の救いも実存主義への飛躍も拒否した凄味であるのか、と呆然たる思いで読了することになりました。

あまりに美しい文章のさわり集
黄昏の影はあたかも灰色の水のように店内に侵入し、夕空の薔薇色は窓ガラスに反映し、そしてテーブルの大理石が、漂いはじめた暗がりのなかでほのかに光っていた。

あの永劫に繰り返される、金色の、埃っぽい夕暮れ。
空と海が定かならぬ脈動の中に溶け合って・・北の夜の蒼ざめた大きな息づきが・・
重くたれこめた空の災厄の殻竿の唸りにリズムを刻まれる数千の靴底の苦しげなきしみ


ps
なんとノストラダムスについての記述があります。(聖女オディールというのもある)
またペストで不安に陥った人々に、その年の紀元年数や、死亡者の数や、経過した月数などが加味された
「奇妙な計算を根拠とした予言」が流行る、という記述もあります。
この「奇妙な計算を根拠とする予言」、なんていうものは現代でもしばしば現れる現象なので注意したいものですね。

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June 02, 2005

素数に憑かれた人たち:リーマン予想への挑戦

さまざまなハイテク機器に囲まれて暮す我々はつい最近まで、
フェルマー予想(今は定理)
X^n+Y^n=Z^n、(ただしn≧3)を満たす自然数はない、
ということを証明できませんでした。

これがn=2なら3^2+4^2=5^2(^は自乗という意味です)で
9+16=25となりピタゴラスの定理なのですが、
これが3以上になっただけで、フェルマーが提出してから360年以上解けませんでした。

なんか神秘ですよね。
1,2,3という自然数を使った、自乗(掛け算の繰り返し)と足し算だけの式なのに・・・

これが解かれた今、数学界で1番ホットな謎が「リーマン予想」です。
それは1859年11月号の『ベルリン学士院月報』に発表された10ページ足らずの論文
「与えられた量より小さな素数の個数について」です。
少し数学的な言葉でいうと

「ゼータ関数の自明でない零点の実数部はすべて1/2である」ということです。
・・・はい、まるっきり意味がわかりませんね。
私も分かりません。
でも分かりたいのです。
分かったからと云っても1銭も儲かるわけではないですけどね。
この本、480ページもあるので上記の意味が分かる程度にはしょりましょう。

さっそく、
調和級数:分母が普通に数を数える時の逆数
1+1/2+1/3+1/4・・=∞となります。
数式の合計が∞になるとき「発散」するといいます。

ここで疑問。無限個の数を足していけば必ず結果は無限になるのでは?
ところが以下の式は無限個の足し算をしても無限になりません。
級数:1+1/2+1/4+1/8+1/16+1/32+1/64+・・=2
となります。分母が2倍になり足される数がどんどん少なくなるんですね。
こういう式を「収束」する、といいます。

そこで分子と分母の和をとって、新しい分母にする。分子と分母の2倍を足して新しい分子にすると、1/1,3/2,7/5,17/12,41/29,99/70・・となり√2に収束します。

4/1,8/3,32/9,128/45,768/225・・これはn番目の数を得るとき、nが偶数なら前の分数にn/n+1を掛け、
nが奇数なら前の数にn+1/n掛けるという規則で作られます。
これはπに収束します。

こういう具合にその数が決して達することがない限界、
極限の研究をするのを解析学、といいます。
これで2章まで。先は長いぞ!

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June 01, 2005

送っていただいたTBが自然消滅

昨日、外出先から帰りブログを開くと、トップに新しいTBが来ている。
最近、夜のココログはとても不安定でTBのお返しもままならない.。記事の更新はもうギャンブルである。
不安に思いながらも相手先に行き、URLをコピーして自分の記事に戻ったら送って戴いたTBの記録がない。

これはもう1度送って戴いた方が良いかと思いながら送信すると、
最近は当然のごとく、混み合っております、のメッセージが表示されて失敗。
さらにトップに戻るとさっきまで表示されていた、送って戴いたTBまで消えている。

これでは自分が消したみたいだ。
とんでもない誤解を与えかねない。
ニフティさん。
私はニフェティさんの伝統と信頼性を信じて会員になったのです。

私のに限らず、閲覧するだけでも他より重い気がするのが今のココログ!

なんとかして下さい。

そういう訳でこの記事は消えてしまった方にTBします。
事情が分かっていただいたいら、消して下さいね@送られた方。
ご面倒でもよろしくお願いします。
それからお手数ですが、TBの送り直し、よろしかったらお願いします。

ということまでありました。ご参考までに。

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