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May 2005

May 31, 2005

エナン・アルデンヌのバックハンド

エナン・アルデンヌは22才のベルギー人女性。
実は私この人が大好き。
顔立ちはキュートなのだけど、いわゆる派手な美貌ではなく身長も167cm。
今の選手の中では小柄な方で抜群のスタイルでもなく、
ウエアのカラーも地味で(笑、露出も少なく、叫び声も出さない。
醸し出す雰囲気は体育会のキャプテンって感じ。

ただひたすらプレーが美しい。
特に女性選手では珍しい、片手打ちのバックハンド。
バックハンドは力が入り難いので、遥か昔のクリス・エバートの頃から女性選手は、
安定感と力強さを両立できる両手打ちが主流になっていた。
今では腕力のある男性でも両手打ちが多いくらい。

そんな潮流に逆らって、エナンはバックを片手で打つ。
両足を深く曲げ、腰を落し、思い切りタメを作ってから一気に振り切る。
その時のラケットスピードの速さ。
大きく振りきられる時、鳥が羽ばたくように広げられる両手のダイナミズムの後の静止。
打ち出されるボールの軌道とフォームに、リスクを負う覚悟を決めた人が持つ潔さとスリルがある。

だから相手のボールがエナンのバックに来るとワクワクする。
大きく曲がり落ちるトップスピンも、滑るようなスライスも、両方ともとても綺麗だ。
高い打点にも躊躇いなく振り切る思い切りの良さ。
(バックハンドを片手で、高い打点から打つのは本当に難しいんです)
リスキーな打法だから時に大きく外れる。
それが逆に見る者のスリルを刺激する。
反面、見事にアングルに、ダウン・ザ・ラインにエースを決めるとカタルシスを感じる。

右膝の痛みから休養し、復活してもからも背中の痛みを堪えての奮戦。
今日の試合もマッチポイントを奪われてから強い精神力で捲くって勝った!

逆転でシャラポワとのクォーター・ファイナルだ。
これは見ごたえがありますよ。
2005年全仏オープン。レッドクレーで勝つのはどっちだ!?
シャラポワだろうな(笑
でもエナン、復活して楽しみが増えた。

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May 30, 2005

キューティ・ブロンド/ハッピーMAX

この前作「キューティ・ブロンド」は、とても楽しい成功作だったので楽しみにしていました。
ところがこれはゼンゼンダメ!
まったく映画に入っていけない。
同じ主演で同じノリ、要するに積極的な主人公がお堅い世界に体当たり!
という同じ設定なのにね。

そこで理由を考えてみた。
前作は主人公のリーズ・ウィザースプーンが、政界を目指しハーバードに行く恋人に捨てられるのを見返す話だ。
主人公はブロンド美人でブランド物が似合うお金持ちのお嬢さんだけど、お勉強の世界ではオチこぼれ。
そこをガッツとポジティブ・シィンキングで一念発起して頑張る。
派手な格好も八方破れの性格もそのままだけど正義感はある。
DVに悩む貧乏な女性も助けちゃう。
格式ばった判事たちやロー・スクールの連中が嫌味なエリート意識ふんぷんで、
エル!俺達は味方だぞ、って気分になる。
共感出来るよね。

今回は恋人と結婚が決まってペットのチワワの親に招待状を出そうとしたら、
その親犬が化粧品会社の実験犬になっているのを救い出すというお話。
俺はこういう話に理屈はいらない、と思っていたし、多分制作する方も小技大技とノリの良さで笑わせれば成功と思っていたのだと思うけど、やっぱり前提になる大枠は大事なんだね。

今回は動物を救うといっても、動物実験を止めさせてどうなる、って思ってしまう。
犬の親を見つけてくるのにボストン1値段の高い探偵を雇う境遇の女が奇麗事を言うな!
派手なブランド物の服を着て、アウディのオープンに乗って、ヴェルサーチの特別会員で、
相手の男がエリート弁護士で人格者で優しくて、自分は美人でスタイル抜群で弁護士でもあるという、
全部を持っているオンナが、ペットのチワワの親の心配をしててもねぇ・・

あれだけ大騒ぎして法曹界に入って、見つけた社会的問題がワンコの親の話しかい、と。

こういうエリートが動物愛護という時、世界の目は案外冷たい。
餓えている人類を先に救え、と思ってしまうね。
こういう具合に観客が冷静なことを、思いだしたら映画は失敗ですね。

いい気になってんなぁ、というネガティブな感情が見ているあいだ中つきまとい、
映画ではお約束の都合の良い偶然にもシラケルだけだ。

リーズ・ウィザースプーン自身も年を取って、痩せて頬骨が目立ち
天真爛漫という役どころはもう少しイタイ感じでした。

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May 29, 2005

立ち上がるレッサーパンダは人類を侵略するエイリアン

最近話題の立ち上がるレッサーパンダ。みんな喜んでいるがアレは大変な陰謀の序曲である。
あいつ等はみんなエイリアンに獲り付かれて、今まさに地球への適応を計っているのである。

ここだけ読んでこの記事を書いている奴はアホウだとか、ウケない事言う奴だと思わないことを願う。
あなたのその考えはすでにコントロールされたモノだからである。
こういう記事を読んだとたん、ヤツらはそう思うようにフォトンム・テクノロジーという人類の知らない技術を使いマインド・コントロールしているのである。

では何故それほどの科学力を持ったエイリアンが、
わざわざレッサーパンダに変身するなどの手間をかけて地球を侵略するのだろう?
それは人類がハンティングを楽しむのと同じである。
例えばアフリカで狩りを楽しむのに、いきなり戦闘爆撃機で空爆するだろうか?
苦労して4輪駆動車に乗り、ガイドをつけサバンナを駆け回りライフルを使うではないか。
すべてはハンティングというスリルを楽しむ為である。

それでも何故レッサーパンダ? という疑問が残る気持ちは分かる。
それはあなたが宇宙にいる知的生命体がすべて2足歩行だと思っているからである。
今回地球にやって来たのは、無重力空間に生きる浮遊型エイリアンである。
だから重力のある地球環境での2足歩行に慣れてないのである。
それで地球に侵入する時、いきなり人間に憑依して、なれない環境でおかしな行動をとる危険を避けたのである。ああやって地球環境での2足歩行に順応しているのである。

TVなどが大々的に取り上げているのも彼らのマインド・コントロールの結果である。
だから騒ぎに浮かれて子供などを連れて行っては行けない。
順応の済んだエイリアンが憑ついてしまう。

なによりの証拠を最後に書く。

我々の先人はこの事態を数百年も前に予見して、貴重な言葉を警告として残してくれていたのだ。

立ち上がったレッサーパンダの腹を見てみたまえ。

みんな真っ黒ではないか。

彼等は「腹黒い」存在なのだ。

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May 28, 2005

ラーメン王、石神秀幸先生ご推薦の店に行く

最近、休日になるとラーメン王として知られる石神秀幸の本に載っている、ご推薦の店を巡っている。
ラーメンは好きで一時、美味い店巡りをしていたことがあるのだが、いつのまにか沙汰止みになってしまっていた。石神先生ご推薦の店なら再開しても良い気分である。
さっそくその本を参考に行ってみた。

A店
オーナーは異業種からの転職組みである。
それにしてもこの本、地図が分かり難い。それでもなんとか到着。
開店そうそうの時間でも店内は満席に近い。
ギョーザが美味しいと書いてあるのでギョーザも注文。
ビールも飲みたいけどクルマなのでガマン。
判定: 東京ラーメン風のさっぱり系でした。美味しかったです。
特にギョーザは皮が薄く適度に小さく良かったです。
問題はチャーシューで、少し油っぽ過ぎる感じでした。

B店
この店はまた分かりにくい場所にある。本当に探しました。もう着くだけで必死。
外見はちょっと風変わりな安カフェバー風。
薄暗い店内。エキゾチックな内装。お客さんは2人だけ・・・店員の人も無愛想。
ガラ空きなのにカウンターに通される。オススメの塩ラーメンを注文、ランチを薦められるが、
ちゃんとラーメンを食べたかったのでラーメンだけにする。やっぱりビールが飲みたくなるけどガマン。
しょうがないですよね。酒気おび運転は出来ません。
判定!上品な味で美味かったです。
お店の人の暗い雰囲気がなければ、ここはまた来たい感じ。

という訳でB店2度目。
1週間おいて再訪。今回はきちんとラーメンが1人前食べられるのを確認してランチを頼んでみる。
ギョーザも頼む。ああ、ビールが飲みたい!!!!!
ラーメンは醤油を頼む。前回塩を頼んだのは紹介写真が塩ラーメンだったから。
本文を読んでみると本命は醤油ラーメンなのだった。
判定:美味い!!絶品である。しかもランチに付いてきた小鉢のチャーシューとネギご飯も美味しい。
私はシナチクが食べられないのだがこの店のなら食べられる。
そのくらい美味い。でも客は少ない。場所が悪すぎるのか、移転したばかりだからか?

C店
地元の繁盛店らしい。定時にいくと店は一杯。沸くような景気である。客層は圧倒的にガテン系の人が多い。
私、ガテン系とは話が微妙に会う(格闘技、サッカー、クルマの話ね)。女性客はゼロ。完全に男の店。
札幌ラーメン系の味噌ラーメンが売りである。注文はギョーザとラーメンで
判定:味はまぁまぁ。量が多い。お店の人の感じがイイ。

D店。
はるか田舎のお店。着いて店をみて余りのボロさに驚く。
でもせっかく来たしなぁ、入ると狭い店内に客は私一人。塩ラーメンが売りの店である。
ちょっと不潔な感じのオーナーの印象にあまり好感を持てない。
いつものギョーザを追加する雰囲気はない。早く帰りたい感じ。
出てきたラーメンも悪い予感そのままだけど、食べきらないないと店から出してもらえない雰囲気。
なんか魔窟に迷い込んだ気になる。
当然不味い。後悔する。本と看板には妥協のない材料!と書いてあったが、
オカシナ油気が口に残り、なんか口直しがしたくなる。ビールすら飲みたくならない。

・・・そういえば前回のラーメン屋巡りでも1回不味い店にあたって熱が冷めたのを思いだした。
それでよくこの本を読んでみると載っている店全部が石神先生の推薦という訳ではなく石神先生の名声を利用した宣伝本であったことがやっと分かった。
しかも私が行った上記4店は、いずれも石神先生は行っていないのだった。

みんなこの手のラーメン本は良く読んで使おう。
これが今回の教訓。
でもB店は愛用させていただきます。なれると店の人も親切だった。

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May 27, 2005

コール

監督のルイス・マンドスキーは力のある演技陣を良くまとめ、
脚本のグレッグ・アイルズは凝った話しを考え出しましたね。
誘拐モノなのですが、話しにサスペンスを与える為の「枷」が
1)誘拐される子供を病気にしておく。
2)親子を別々に監禁し別々の困難を与える、という設定です。

映画、冒頭の短いエピソードで犯人の手強さを強調するところから暗い迫力に満ち、
シャーリズ・セロンは美しく、ケヴィン・ベーコンはとても卑らしく怖く、画面は重厚な陰影に満ちています。
さらにこれだけで終わると思ったら、後半、意外な展開とひねりがあり、楽しめましたが昨今、ハリウッドは大変ですね。

だいたい話しの途中から小道具に、酸素飽和度を計ってみせたりして小技に凝っています。
後半、俄然映画の色合いが変り賛否があるのですが、こうやって小技に凝っているうちにバタフライ効果(←違うかな、笑)というか、もっと予想外の展開にしようと思っているうちに、ああなってしまったのではないでしょうか?

俳優、女優はイイ、カメラもイイ、演出も悪くないはずだ・・・
でもこれだけでは傑作になる為のサムシングが足りない!
そででまぁ、なんじゃ、もんじゃと付け加えているうちにこうなったと・・・
競争の激しいハリウッドで監督業をやる上でのオブセッションを感じます。  
私には面白かったですけどね。
飛行機のシーンなんてヒッチコックみたいじゃないか(褒め過ぎだ!)
ラスト、一瞬映し出される路上の犯人カップルのシーンはヘルムート・ニュートンばりだ!
って書くと怒られるな、きっと。冗談です。でも美しかったよね?

まぁ、文句なく特筆すべきは、
少女役のダコタ・ファニング!(アイ・アム・サムの子役)でしょう。
もう目で演技しています。
ママ、ママ、と怯えたかと思うと、一端落ち着けばもうヘビー級の体格を持つ誘拐犯を、貫禄で圧倒している。
見開いた目に強い意思を込めることも出来るし、
将来のお相手を案じたくなるほど、巧みにほくそ笑んでみせたりと、1番の怪物はこの娘。
ちなみにインタビューでは、喘息の演技は本当の病気の人も見ているのでリアルになるよう気を使ったそうです。さらにシャーリズ・セロンがアドリブでくるので私もセリフは大まかにしてアドリブで対抗したそうです。
これで撮影当時8才です!
うーーむ、実は本当の戦いはケヴィン・ベーコン相手というより、この2人の女性の間にあったのでは?

ps
材木を運んでいたトラック・ドライバーの命が気になる。
誰も気にしてないだろうけど・・

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May 26, 2005

欧州チャンピオンズリーグ決勝

ミランvsリバプール
トルコ、イスタンブールでの開催は、事実上、世界最高の決勝戦。
実際は経済発展著しいトルコを視野にいれた開催でしょう。

試合開始前、ゲームの焦点は各ポジションにタレントを揃え、チーム全体をミケランジェロの彫刻のように磨き上げ、端正なラインと圧倒的な塊感を誇るミランに、タレントでは劣るリバプールが挑むという想定。
リバプールに勝機があるとすれば、プレミアらしく後先考えない攻撃の突風でミランを嵐に巻き込めるかどうか? 
カオスの中になら勝機はある。完成された美的な試合になればミランのもの。

前半はまさにミランのサッカー。
開始1分で先制すると、オフサイドになったけどDFに囲まれながら、タメを作る
(これオフサイドじゃなかったですよね!)カカのパス。
さらに3点目、クレスポに送ったスルーパス。
神技でした。まさに敵の喉笛を一瞬で切り裂くキラーパス。

前半だけ見ていたら、もうリバプールに勝ち目はないと思っちゃう。
ミランにはFWにシェフチェンコ、クレスポがいて、中盤にカカ、セードルフ、頑張りやのガットゥーゾ(この人、名前から顔まで本当にガッツでイクゾという、なんというかクダラナイ洒落を言いたくなるような人ですよね)カフーがいて、GKにジダ、守りにネスタ、マルディーニ、肉体派で顔も怖いスタム、ピルロもいる。


こうして3-0で前半が終了したとき、試合も終わった、と思いました。
リバプールが1点でも取れれば、トルコまで来て恥を掻かなくてすむな、と。
ところがあの後半が待っているとはね。
確かにミラン、何か集中力が切れた感じはありました。でもそれを逃さないリバプールは大したもの。
嵐が起きてあっという間に同点だ。でもあのPKは厳しくないか?

疲労困憊した延長戦。
試合が多すぎるよね。でも俺みたいに決勝だけビデオに撮って観るようなファンには、トルコくんだりまで実際に行くサポーターの気持ちは分らない。彼らなら1試合でも多く観戦したいんだろうね。

PK戦、リバプールのGKドゥデク、ふらふら動くのズルイだろ!
なんか審判リバプール寄りじゃないか!

まぁ、しょうがない。おめでとう、リバプール。
でも一番美しかったのはカカ。
ブラジル久々のイケメン・スーパースター!
ドイツでの活躍、期待してます。


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May 25, 2005

アメリカの具象絵画

第二次大戦により、欧州から多くの画家が移住し本格的な発展を遂げたアメリカ美術界は、
世界的な独創を成し遂げたポロックがブレイク・スルーとなり、欧州へコンプレックスを払拭します。
それから多くの優れた具象画家を生み出します。

私はこのアメリカ美術史に「個体発生は系統進化を真似る」という言葉を思い起こさせます。
アメリカという「個体」は、世界の「系統」であった欧州美術史を急ぎ駆け抜けたのです。
一端、世界の先端に立ったアメリカ美術界は、絵画の原点たる具象画に戻ることにより足元を固め、
この後より独自性の強い、巨大資本と消費の国の文化たるポップ・アートを生み出したのではないでしょうか?


エドワード・ホッパー:1882-1967年
「夜ふかしをする人たち」1942年
アメリカの夜の都会の孤独と寂寥。ウイリアム・アイリッシュの小説の1場面を思い起こさせる傑作です。
この絵画はのちのアメリカ映画、小説などへの大きなテーマを内包していると思います。
「ガソリンスタンド」1940年
あちらがアイリッシュなら、こっちはステーブン・キング的世界観の表出に見えます。
広大過ぎる国土ゆえの茫漠たる不安。
豊かさの象徴たる明るいライトとガソリンスタンドの元とは矛盾するような、そこはかとない闇への脅え・・・


ノーマン・ロックウエル:1894-1978年
「ランナウェイ」:サタディ・イーブニングポスト誌
広大で豊かな自然の恵みと、自由な風土を描く明るいアメリカの表現者。
世界の憧れたアメリカの1風景があります。

ベン・シャーン:1896-1969年
「サッコとヴァンゼッテイの受難」1931年
アッシュ・キャン・スクール(ゴミ箱派)という社会的リアリズムや風刺を題材に描く1派が誕生しました。
1929年10月、「暗黒の月曜日」をきっかけに始まったアメリカの大不況は、ニューディール政策にもかかわらず低迷し社会には失業者があふれました。


国吉康雄1889-1953年
「私は疲れた」1938年:夢の国のアメリカに生きる、希望を持てぬマジョリティを描いた傑作です。
国吉自身、17歳で単身アメリカに渡り、対戦中の苦労を乗り切えアメリカの画家として成功を収めました。

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May 24, 2005

「ぶるうかなりや」

根気良く作り続けられるWOWOWの2時間ドラマ。
コンテンツを買って放映するだけじゃ、旨みもないだろうと自作の作品を手がける戦略でしょうが、
初期の作品群は、「如何なものか?」、というモノが多かったように記憶しています。
無理をしないで止めればイイのにな、と思っていたけど最近は「狐者異」といい、
この作品といい充分楽しめるレベルになっています。
継続は力なり、ですね。

話しは、女探偵役の宮沢りえが、産業スパイを探り出す過程で知り合う崩壊した家族を救えるのか?というお話。

探偵役の宮沢りえが好演しています。
哀しげな光を宿す透明感のある瞳が良いですね。
はっきりとして形の良い眉も素敵だ。
少し痩せ過ぎなのは相変わらすなんですけど、
ベット・シーンで髪をかき上げる悩ましげな表情など清潔さと妖艶さが交じり合いエロティックで格別です。
もう少し元気になってバリバリ食べて、かつてのグラマーな肉体を取り戻して欲しいです。
なんだかこの人、素直な性格を感じるなぁ。改めて好きになりました。

もう一人の主役の父親役が相変わらす巧い柄本明。
エリートでも無理解なので妻(渡辺えり子)にも、息子にも嫌われ冷たくされるという散々な役回り。
今回も最後まで一人でガンバリます。

こういう父の無理解ゆえに家庭が崩壊する、というのは昨今流行の設定ですけど、
個人的な感想を言わせてもらえば、今回、このお父さん、あまりに可哀想だと思います。

お爺さんのことといい、息子さんの恋愛問題に関することといい、確かに多少の問題はあったと思いますよ。
でもね、お父さんの言い分にも一分の理はあるでしょう。
細かい話は、ご覧になっていない人が多いと思うので触れませんが、一生懸命働いて生活を支えたのです。
お父さんの気持ちも少しは分って上げてください。
このお父さんの学生時代からの努力を考えると、仕方のない面もあったのでは、と思います
私は100%、この柄本明演じる重彦さんの味方です。

ps
彼はカナリヤに逃げられたのが、カナリ(い)ヤだったんだろうね。
うん、この記事はこの1行のために書きました。はい。

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May 23, 2005

神速ザブ・ジュダーとオイルの切れた英雄の没落

「ザブ・ジュダー、3団体統一防衛戦」
柔軟性と瞬発力を兼ね備えた猫科の猛獣は、捕食動物として進化の最高形態なのだそうだ。
そんな猫科の動きを思わせる、ザブ・ジュダーの柔軟性とスピードに、一目みてファンになった。(顔はガゼルみたいだけど・・)
だからチューに脆くも敗れた試合は悲しかったが、復活してからは3団体を統一し、
スピードには磨きがかかり、脆さがなくなり、相手を1撃で倒す力をも身につけた。
ともかく「時間の連続性」を断ち切るようなスピードには魅了されてしまう。
コマ落としの映像を現実にしてしまう神の速度。これからビック・マッチを期待したい。


「フェリックス・トリニダートvsR・ライト」
プエルトリコの輝く太陽フェリックス・トリニダートは、R・ライトの長く伸びるジャブをすべて顔で受け、
のけ反り続けて12Rを終えた。
かつてのオイルのような滑らかな動きはなく、ヘッド・スリップもガードすらまともに出来ず、
右に回り続けてカウンター狙いに終始する単調な戦略。
左に回って左フックを側頭部、というプランはなかったのだろうか?
ライトの長い腕は確かにボディの下までガードをするけど、頭の横は空いていた。
そっちを打って真ん中が開いたらアッパー、右ストレート狙う・・・


対してロナルド・ライトは絶好調だった。
ガードを固めると、長く太い腕がまるでバルタン星人のように体を隠し打つ処がない。
そしてモズリー戦などを乗り越えた自信だろうか、シャープな右のジャブだった。

ロナルド・ライト、かつて無名のチャンピオンだった頃、私はひそかに応援していた。
見た瞬間に、ああっ、彼は自分の才能のなさと戦っているな、と思ったのだ。
ボクシングにおける最も美的な勝ち方は、
最小限の動きで相手のパンチをかわすと同時に自分のパンチを思い切り相手の急所に叩き込むこと。
瞬時の交錯でドラマが終わるスリルがある。
でもこれをやるには、見切りが抜群の「目」と、同時に相手の急所に当てる勘と、
カウンターを取られないほど反射神経と、すべてを同時に行えるボディ・バランスというすべてのセンスが良くないと出来ない戦い方。何より危地を恐れない闘争心がいる。

ライトの戦い方はまったく逆だ。ライトは相手が攻めてきたらともかくガードをする。
それで利き腕の右手を前に出して多用する。

ボクシングというのは素人が考えると奇妙な処のあるスポーツで、利き手の右を後ろに引く。
ウエイト・シフトして強くパンチを打つ為なのだが、実際は左手の利用頻度が圧倒的に高い。
左の打ち合いで圧倒され、強いはずの右手は温存したまま使わず仕舞いで試合に負けるということもある。
それなら利き手を前にして最初から使った方が力もスピードも出る、結果試合も有利にしやすいのでは・・・
というのは誰もが1度は考えることだ。
しかし右手を前にだすと、身体の右側にある肝臓を相手に晒すことになる。

それをライトは長い腕でカバーする。考えれば恵まれた体型を生かした戦い方なのだけれど、華麗さなない。
本当なら必殺であるはずの左も決して強く打たない。
カウンターを警戒すると同時に、たぶん危険を冒す自信もないのだ。

これでホプキンスvsライト戦。
まさかライトは勝つまいな。
私の予想ではホプキンスの強打がバルタン星人の防御を粉砕する、に1票です。

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May 22, 2005

「無限」に魅入られた天才数学者たち:最終回:疑問と分出公理

この本の41ページからの記述にちょっと疑問な点がありました。

P41、最終段落の記述。
「カバラの少なからぬ部分は、聖なる神の名であるテトラグラマトンの置換にかかわっている。
ヘブライ語の神名YHVHは、何通りの並べ替えが出来るだろうか?」

それでこの本は10通りになっており、
だから10という数は重要なのだ、と述べていますが、
これはYHVHのY、H、V3種類の文字を4通りに並べ替えるので、
簡単な順列組み合わせの公式から4!/2!
(!は階乗という意味、4!は4×3×2×1のこと)=12通りになります。

これがこれだけの記述で終われば「重箱の隅」で終わらせても良いのですが、
以下カバラの階層、10のセフィロトについて説明の土台になっているのでちょっと疑問に感じました。
YHVHの並べ替えも10通り記されていますが、記されている中でYHHVとVHHYの2つが抜けています。
この二つを加えればちゃんと12通りになります。
?と思いました。
著者も訳者も数学の専門家ですので、
私の勘違いだと思うのですが、どう間違ったのでしょうか。

それから憶えておきたい「分出公理」
:ラッセルのパラドックスの原因となる公理、について。
「あらゆる集合Aと集合を変数とするあらゆる条件S(x)にたいし、一つの集合Bが存在し、Bの要素はS(x)が成り立つようなAの要素xである」

もしS(x)が「xはxの要素ではない」という条件だとすると、B={Aに含まれるxであって、
xに含まれないようなもの}となる。この時、BはBの要素だろうか?
もしもそうなら、BはBの要素でない。そうでないなら(つまりBがBの要素でないなら)、BはBの要素である。
したがってBはAには含まれない。
すべてを含むものはないとなる。

次回、読本としてアンドレ・ブルトンの「魔術的芸術」を読もうと思っていましたが、
「アートの歴史、1口暗記シリーズ」がもうすぐ終わるので、「魔術的芸術」はアートカテゴリーでやって、
読本は「素数に憑かれたち人たち:リーマン予想への挑戦」の本をまとめていくことにします。

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May 21, 2005

NOVAうさぎに似ている長女

うちの次女はゴマジョーと呼ばれる娘だが、
成績激落ちの長女は、NOVAうさぎに似た娘である。
まず骨の細い華奢な感じが似ている。
たまに眼つきが悪くなるところもそっくりである。
なによりお調子者で、すぐ得意がるが全てに周到な準備をして望むほどの根性がないのですぐボロが出て慌てふためくキャクターがそのままである。

昨日、夕食後、私は「マーク・ロスコの部屋」に関する記事を書いていた。
(アップしたのは映画の記事だったが、記事はどんどん書き溜めておいて準じアゲテいるのである)
画集を捲り、象徴と神秘に満ちた画家について文章を書いていると、
塾から帰った娘が妻と夢中になって喋っている。

「それで何とか君の家にはベンツが2台あって携帯も一人で2台使っていてお金持ちだから玉の輿に乗ろうってみんな言ってるんだよ」・・・
玉の輿・・・私達の世代でこの言葉はすでに死語に近いと思われていたが、
この言葉が娘の世代でもまだしっかりと生きているのに驚いた。
そのまた基準が今時、ベンツ2台とか携帯2台というのがドメスティックで親を泣かせる。

私「・・・オマエ友達とそんな話しているの?」
NOVAうさぎ娘「してるよ、当然じゃん。だってスゴイみんな憧れているんだよ」
私「もっと私はショパンが好き、とかヴェルレーヌの詩集の話はしないのか?」
NOVA娘「ヴェルなんとかってなに?」

・・・私が若い頃、教養小説や映画などの設定では、俗物的な話題に興じる親を、若者はその潔癖な感性でその卑属さを嫌悪する、というのがパターンだった。
NOVA娘「そんな話をしてたら友達できないよ」
・・・まぁね。芸術趣味と現実の能力とはしばしば一致はしないことくらい私も知っている。

事実、私の義理の弟は、小説の類は一切読まないし、映画は「スター・ウォーズ」も観たことがない。
「2001年・・」とか「惑星ソラリス」を未見なら驚かないが、「スター・ウォーズシリーズ」である。
しかし彼は仕事上極めて有能であり、やり手の不動産経営者である。
それだけではなくいつも私に優しく礼儀正しく、思いやりをもって接してくれる。
何より今やただの肉塊になりはてた我が妹と子供達に対して、
献身という言葉の実践者でありつづけてくれている。
兄として感謝に堪えない。
読書家は人間性が高いなどと云われるが、彼の人柄は本好きの私など足元にも及ばない高邁なものであって、
私は妹より彼に好感を持っているくらいである。

話が反れた。
ともかくあれ以来成績が低迷続きのわがNOVA娘は、
どうやら玉の輿狙いに人生の目標を切り変えたようである。
しかし娘よ、有能な男は自分の身の丈にあった女を選ぶと思うぞ、と私はボソボソ言うだけである。
どうせ聞いてないけど。

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May 20, 2005

アンダー・サスピション

富と名声、若い美貌の妻にも恵まれた老弁護士は、果たして連続少女暴行犯なのか?

この映画、追求する警察署長にモーガン・フリーマン、疑惑の富裕な弁護士にはジーン・ハックマン、
その若き美貌の妻にモニカ・ベルッチの3大競演が成功しています。
モニカ・ベルッチはダイヤの長いピアスと黒のシックなイヴニング・ドレスが似合い、
どこまでもゴージャスでセクシーです。茶色の細いタバコをくゆらすシーンなどは絶品!
一方、叩きあげ署長のモーガン・フリーマンは困難であったろう人生での苦闘を深い味わいとして醸しだし、
強かな弁護士役のジーン・ハックマンは、男の強さと孤独と欲望の権化のようで観る者を離しません。

CGはもちろん派手なアクションもなく、映画のほとんどは主役間でのセリフのやりとりに終始する作品ですが、
魅力のある主演者と脚本、演出が良ければ余計な調味料はいらない。
素材の旨味で十分観客は楽しめるものなのですね。

この映画で追求されるテーマは夫婦間の性と孤独です。
妻は夫を敬いつ、夫は妻を労りつ・・・と行けば世事は万事こともなし、ということなのでしょうが、
その間に、ふと暗い川のように横たわるのが性。
コレばっかりは時に社会を秩序だてる良識を超えてしまう魔力を持つのでやっかいです。
「性格の不一致で離婚します」、というのが実際は格(核)抜きだ、
なんてクダラナイ駄洒落を噂されたら堪らないだろうね。

本来なら素晴らしいキャリアをもつ成功者だった田代さんや植草さんの例を見る間でもなく、
また最近「王子様」と他称されることを喜ぶ異常者が捕まりましたが、
そこまで極端な例を引かなくても我々自身、ふと不道徳な欲望に囚われることはあるわけで、
(この不道徳というのは、私の場合、妻以外の女性を見てイイな、と思う程度のことね)
その瞬間の目の色にパートナーが衝撃を受けることもないとは言えず、
それが二人の断絶に繋がったら、取り残された片方はどうするべきなのか?
これは大きな課題だよね。夫婦間での微妙な関係。ふとかいま見る互いへの不信感。
男としては、ジーン・ハックマンのセリフには肯いてしまう主張多々ありで、考えさせられました。

ラスト、夫婦二人のショットが秀逸です。
人々の陽気な喧噪に包まれる街角に、疲れ果てたように座り込む二人の場所。
交わされることのない視線。

夫婦という本来他人であっても愛し合い共に人生を生きようと決意した二人の人間。
でもその関係と心情は複雑に絡み合い時に縺れて絶望の縁を覗き、落ちていくこともあるのでしょう。

ps
ハリウッドにしては地味な設定でも苦い余韻を残す良い映画だと思ったら、
20年前のフランス映画のリメイクなのでした。味わいは確かにアメリカ流フレンチという感じです。

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May 19, 2005

花神下巻:2 司馬遼太郎

下巻後半になると俄かに蔵六の活躍が描かれ面白くなります。

以下、この本からの覚え書き
1)中世のあらゆる価値体系を壊したのが応仁ノ乱。具体的には足軽の出現である。

2)江戸開城から幕府側の志士は脱出し再起を狙います。大活躍する副将が土方歳三。

3)画家に天分が必要なように、学問だけでは戦は出来ない。時代に押されるように蔵六は江戸に向かいます。

4)勝海舟は洞察の力は比類がなく、才能は抜群、西郷を慕い、蔵六の異才には敬意を表してました。しばしばホラや自慢もしましたが、私欲が薄く爽やかでした。そして案外一面の真理を含んだホラであったりしました。

5)江戸に幕府復活を願う「影義隊」が結成され新政府を脅かします。
当時の常識ではいずれ薩摩長州藩中心の新政府は転覆するという判断が大勢でした。
基礎を作った天野は嫌がる者をねじ伏せるあくがありました。
どすの利いた執拗さで、本願寺を恩義論で論破し「この寺、百害あって一利なし、灰塵に期そう」と脅します。
命を賭そうという時は理論より情に訴えるほうが人は沸き立ちます。

6)その彰義隊の資金面の援助者が上野の寛永寺。幕府の旦那寺であり、天子が天照大神なら、
家康の神号は東照大権現とし、大名相手に高利貸しをして巨富を得てました。

7)江藤新平は乞食に扮して江戸の情勢を探り、維新後は苛烈な司法官になります。

8)西郷の人気は1人をもって1国となるほどのものでした。無限ともいえる情念の豊かさと度量の広さ。会った人を虜にせずにはいられない懐の深さ。礼儀の正しさ。慎みの深さ、思いやり。一種神のごとき人柄でした。

9)幕府旗本の子弟は無知無教養で臆病なのを蔵六は知っていました。
蔵六は戦場からの要求も常に計算ずくで当時の武士達をやり込めますが、
その計算は神技の域であり逆らえませんでした。しかし常に感情的なしこりを残しました。

10)戦争は金! 蔵六を悩ませたのも金で、その金を持ってきたのが後の早稲田をつくる大隈重信。
西洋人を怒鳴り上げる気性で出世し、蔵六の論説に感服し預かった大金を渡します。

11)骨董品好きの蔵六、但し1両以上のモノは買わずに眺めるだけ。
後に天下の1500石持ちになっても、家はあばら屋、酒の肴は豆腐だけ。
それを不服にするかつての教え子に「豆腐をないがしろにするものは国家も滅ぼす」と奢侈を戒めます。
また1両以上もモノを買わない、いわば逃げる。それは戦争にも通じる価値観で、
勝つように計算するが万一計量が外れたら逃げなさいと教えます。

14)西郷は蔵六の才能を認め蔵六先生と呼んでましたが、蔵六は西郷を無能の士であり、後の反乱分子と見ていました。

15)刀を抜くことすらしらない蔵六は圧倒的な才能で混乱する新政府軍の独裁官になりますが、
その間、百姓上がりというだけで反感を示す武士の脅しにまったく動じません。
前線から陳情にくる武士に・・はどの位の武器が必要、期間はこれだけで十分、何故なら・・とすべて計算ずくで応対します。名誉欲や自己顕示がまったくなかったのでなんとか持ちました。

16)桂小五郎は比類なき剣客でしたが軍事の才能はなく、
囲碁がまったく下手だった蔵六は戦場計算の天才でありました。
桂は己の危機意識の強さから蔵六の身を必死に執拗に案じますが、
何より蔵六には自分の身の危険を察する感覚が絶無でした。
西園寺公望は才があり、身分制度に反対する人柄があり当時の偉人みなから見込まれます。
祇園遊び好きが幸いして難を逃れます。人生何が幸いなのか、不幸の元になるかは不思議です。

17)上野のお山に篭る彰義隊を討つ。これだけでも当時は不可能とされている技でしたが、蔵六が考えていたのは、勝つのは当然。なにより討ちもらした彰義隊員に江戸の放火をさせず市民の安全と財産を守り、味方の犠牲を最小にすることなど考える次元が違いました。緒戦でもお山に篭らせる作戦など完璧に相手をあしらいます。

また蔵六が出てこなければ総大将になっていた優秀な参謀、伊地知の要求に対して、その砲門を運ぶには・・・の人員が何人いて、何日かかり費用はいくらで、なによりそれが着く頃には戦は終わっています、と手紙に書き、実際その通りになりました。それくらい次元の違う存在でした。

17)奥州は佐幕派が多く、戊辰戦争後、反抗勢力も奥州から出るとく見方が一般的だった時、
当の西郷と薩摩藩自身ですら考えも及ばなかった、10年後、出現する反革命勢力は薩摩と洞察していました。
その対策として新政府の軍事的要衝は江戸ではなく大阪にし、対抗する四斤砲の制作を急がせ、実際に西南戦争ではそれが大いに役立ちます。

蔵六は逆恨みと狂気の輩に殺されます。享年45才。
個人的には最後の旅出の未明、イネに本を渡し影のように去っていく蔵六に泣けました。

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May 18, 2005

20世紀後半の具象絵画

20世紀後半にも優れた具象絵画のアーティストは存在します。
今回は欧州生まれの2人を取り上げてその特徴を書いてみます。


バルテュス(本名、バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ伯爵)
:1908-2001年、ポーランド系貴族の家系でパリ生。
「ギターのレッスン」1934年
日本趣味があり奥さんは和服の似合う節子さんという日本女性です。
画面に描かれる人物像はみな硬直し、他者との一切の接触を拒むように自閉した印象を与えます。

画材のモティーフとして極端な少女愛好家であり、恥毛のない女性性器を持つ彼女たちはみな不可視な型に嵌められたような構図で描かれ、性的な異常嗜好を感じさせる禁断の匂い漂うエロティシズムがあります。

「美は常に少量の無意識な奇異さ(ビザルリー)を含んでいる」
byボードレール

34歳年下の奥さんにはいつも和服を着るようにと命じていたようですが、自分でも和服を着ています。
西洋人にしては、異様なほど似合うのが不思議! 
春美さんという娘さんも美人!どうでもいいけど(笑


フランシス・ベーコン:1909-1992年、ダブリン生。
「頭部Ⅵ」1949年:
この作品はベラスケスの「教皇イノケンティウス十世」をリライトしたものです。
ベラスケスにより描かれた威厳に満ちた教皇は、このベーコンに掛かると、
得体の知れぬ暴力的なエネルギーの放流に頭部を打ち消され断末魔の絶叫を上げているように描かれます。

「自分の神経組織が受け取ったイメージを出来るだけ正確に描こうとしているだけです」
by『肉への慈悲―フランシス・ベーコン・インタビュー』

日本の傑作アニメ映画「WXⅢ機動警察パトレイバー」に出てきた、
廃棄物十三号の顔は、「磔刑」と題された一連のベーコンの作品を参考にしたと思っています。
見比べる機会があればぜひ。


ps
エドワード・ホッパーをはじめとするアメリカの一連の具象画家たちは、別の記事で取り上げます。

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May 17, 2005

5/17日、株価の下値は出たのか?

凡夫、大言壮語するに大恥を掻く!
という具合にならなければ良いのだけれど・・・株価について書いてみます。

株価を懸念する外部要因としての原油価格は落ち着いてきて、NYの株価も回復しつつあり、
発表されたGDPは予想を上回っても今日急落した日経平均株価。
ともかく上がりませんね。
需給構造としては、ともかく外人が売りまくってます。

調整の日柄があと1、2日足りない気がするのと、
下値の行使価格P95、P100(日経平均株価が9500円、10000円で売る権利料のこと)の
IV(インプライド・ボラティリティ:市場参加者の思惑を計る数字、最新のデリバティブが実は最も原始的な人の心理を図る指標になる皮肉)がちょっと低い気もしますが、
個人的な見通しを述べさせてもらえれば(個別の株についてはまったくわかりませんが)
今日、日経平均株価は下値を出したような気がします。

好決算から今、日本の1部上場株式は配当利回りで1.3%弱。
予想益回りで5%を超える水準。
益回りというのは、株価と長期金利を比べて割安、割高を見る指標で、この数字は、現在の金利が5%まで上がっても採算が取れるという、まぁ、最近はあまり使われなくなった指標ですけどね。
でも割高ではないような気がします。

さてこんなことを書いちゃったけど、明日以降も下げ続けだったらゴメンね。
でも私、今日、日経225先物を買いました。
P105とP100も新規売りました。
というわけで明日以降も下げたら私も損をしているので笑って許してください。
でも長期で持って耐える額なので(投資の大鉄則!)、今回は塩漬け覚悟です。
上がらなかったら、カバード・コール売りまくりの戦術に変換です。

《注意!》
このブログは飛び切りの馬鹿が書いているので、
今日の記事はいつも以上に本気にしないように!!!
投資はどこまでも自己判断! これだけは鉄則ですよ。


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May 16, 2005

フォーン・ブース

1台の電話ボックス限定で繰り広げられるサイコ・サスペンス映画。

冒頭、これからひどい目に合うことになるコリン・ファレルが、リズム良く軽快にイヤな奴を演じます。
その演技が上手すぎて、オマエ本性からそういう奴なんちゃうか? という疑惑すら起こってくるほど自然な名演技。
ともかく陰険で狡賢く傲慢で、これだけ嫌な奴なら少々痛い目にあってもいいなぁ、と観客が思い出す頃、
現場になる電話ボックスに到着。
このあたりも無理のない進行で、かつこれからの悲惨を予感させる不穏な雰囲気があり観る方の期待は高まります。

そして事件になるのですが、このタイプの映画にありがちなこととして、加害者のやることが凝り過ぎて現実には無理だろうとか、被害者はここで逃げればいいのでは、と思わせられると、観るほうはシラケて映画の世界から現実に戻ってきてしまうのですが、この映画は合格点だと思います。

映画なので、もちろんあり得ない設定なのですが、それをあまり感じさせませんでした。
見ていて唯一、ここで拳銃に触るのは、如何なものか?という疑問がわくシーンがあるのですが、
それにもちゃんとオチがついて、さりげなく挿入される狙撃隊の1カットにも意味があってシメも良かったな。

もう一つの成功は相手役の声だけの男が非常に巧く、セリフ回しだけで引っ張る引っ張る。
脚本のラリー・コーエンも巧いと思うけど、あの役者の話し方のリズムがいいんだよね。
ともかく徹底して騙してくる、邪悪な人柄と残忍で嗜虐的な性癖を良くだしていて、
コイツからはもう逃げ場なしって気分になってくる。

少しは痛い目に逢え! って思っていたコリン・ファレルが、
だんだん可哀想になってくるんだからたいしたものです。
そして、反省を始めるコリン・ファレルを見ているうちに、
うーーむ、自分も大きなことは言えないよなぁ、と自省までさせられてしまいます。

サブ画面が多様されますが、その使い方も、為に、するものではなく効果的で、
いよいよこの手法も珍しさを超えて本物になってきたのでしょうか。

ラストのオチも見事な部類に入ると思います。
無類の傑作というほどではないにしろ、上映時間82分というキレの良さもあって、
監督のジョエル・シューマーカーと脚本のラリー・コーエンの成功作でしょう。

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May 15, 2005

川村記念美術館に行ってきました。

開館が9:30と早く、途中の混雑が予想できなかったので昨日は早寝。
本日早朝から出発。
気合が入り過ぎたのか9時前に着いてしまいました。駐車場に1番乗り!

外はあいにくの小雨模様で閑散とした雰囲気。
9時過ぎにゲートが開くとまずはレストランに。
ご飯食べてないし、ビールが飲みたかったんです。たまには酔いたかったし、
ビール中瓶1本なら俺の体格171cm、68キロなら2時間あれば酔いは醒めるという計算。
パスタを食べながら飲む。
施設のレストラン、ベルヴェデーレは高台から白鳥池と森を望んで眺望は最高です。
ロケーションが良いのか、朝から飲むビールが異常に旨く感じる。パスタは普通。

最初は美術館ではなく散策路を歩いてみる。
小さなせせらぎが風情です。あずまやの方からぐるっと1周して美術館へ。
やっぱ大金持になったら庭園付きの美術館ですね。
俺も作るかな。プラモデルでないでしょかね。箱庭療法になっちゃったりしてね。

美術館、日曜なのに人が少ない。マグリットとシャガールの大作が良かったです。
マーク・ロスコの部屋は、独占状態で最高でした。
この体験は別途記事にします。
アルプ展をやっていて作品より、一緒に展示されていた言葉に思うところあり。
ミュージアム・ショップでは、
川村記念美術館図録、ハンス・アルプ「航海日誌」、アートシリーズ「マーク・ロスコ」
「コーネルの箱 」チャールズ・シミック著(これ面白そうです)を買う。

帰りはNHKテレビの将棋を聞きながら走り出す。時間はすでに12時に近く将棋は終盤間際。
娘の婿にするなら理想的といわれる棋界随一の人格者、森下さんを応援する。
こういう人を義理の息子に持ちたいなぁ。うちの娘じゃ釣り合わないかな、
なんて思って京葉道を走っていたらなんと後方から赤色燈を回したパトカーが!

ウソー!!! メーター確認すると130キロ。
ここ60キロ制限ですよね。でもここ完璧、高速道路じゃんね。
俺は前が開いたから少し引っ張ったけど、周囲のクルマも同じようなスピードで走っていますけど・・って思って
車線を譲ったらあっさり脇を通り過ぎて行く。
良かった!
でもその後をカーボン・ボンネット、リア巨大ウイング付きという気合に溢れたインテグラがぴったり付いていくの。その後は窓の黒いセルシオが。それで俺も続くことにした。
速い速い、パトカーが露払いでドンドンいく。俺の後ろにはベンツが付いてくる。

これってイイのでしょうか?
でもパトカーどこにいくのでしょう?
後ろから見ていると、前のクルマが慌てて(気持ちは分かる!)車線を変更するので、かえって危ない気がする。

首都高に入る時に分かれて、天気も回復してきたしトラックもいないのでオープンにする。
モー娘の番組を聞く。
石川梨華ちゃん引退ですね。チャーミー石川って人ですよね。
日曜の昼に子供とご飯を食べている時、何度かお見かけしました。
「私は世界で1番カワイイ!」、という確信を感じさせられて、結構好きでした。
それからレッド・ツェッペリンのⅣを聞くけど気分に合わない。
曲をKODA KUMIにして自宅に到着。

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May 14, 2005

花神下巻:1 司馬遼太郎

花神も下巻に入ると蔵六の活躍より周辺の歴史的な話しが中心になります。

この本からの覚え書き
1)幕府軍は烏合の衆であった。また高く評価されていた指揮官小笠原長行なども戦闘から逃げてしまい、
「幕府はあの程度か」と天下の士人は呆然としました。
当時の旗本8万旗は、みな武士としての気概なく臆病と無気力の極みであったようです。

2)緒方洪庵「医師は自分の為にあらず、病苦を救う為にのみある」

3)岩倉具視は古代中国の宮廷陰謀家の能力があった。しかし私心はなく信頼されました。

4)明治維新のエネルギーは、アヘン戦争などに代表される当時の清朝の悲惨が日本に伝わって来ていたことにあったようです。
日清戦争時、勝った伊東祐亭曰く
「貴軍の敗北は不名誉ではない。貴国の国家体制が悪いのである。貴国も維新なされよ」

5)李朝の祖、李成桂が国を建てたのは1392年。
日本の室町期、中国は明の初代太祖の時、「国号を朝鮮にするか和寧にするか決めてもらった」
儒教を国定思想として中央集権体制もまね490年続いた。

6)何故日本のみが明治維新が可能であったか?
日本は諸大名が60余州の分国をおさめる一種の国際社会を作っていたこと。
体制の基本に「武」があった。「武」は機能主義、技術主義が原理であったことがある。
よって薩摩、長州という強い合法勢力が革命を起こしえた。
西郷、大久保「たよるは、みずからの力のみ」

7)高杉晋作「智者の智は及ぶことが出来る。しかし智者の愚には容易に及べない」

8)「浄闇」神道では夜の闇はきよらかなものである。

9)攘夷主義者にはやくざ、狂人が多く、蔵六を始め晋作などみな狙われた。
天性警戒能力のあった桂などは彼等の意見を傾聴してやり病的に鋭敏な自尊心をなだめたました。
蔵六は、人に会うのに両脇に子分門人をはさむのは虚喝漢である、と喝破したようです。

10)最初から幕府に敵対した長州にたいして、薩摩は味方の振りをしつつ裏切った。
しかしこの2枚腰外交こそ戦略外交である。
西郷への人望は歴史の大柱であった。大久保利通、蔵六にはまったくない人気であった。

11)アイルランドはイギリス人に1169年に侵略された。以後三百数十年、イギリスは大量に移民し土地を没収し、工業を禁止したので、飢民となった。反抗すればそのつど凄惨な弾圧があった。
イギリス人はその資本で工業化し世界を植民地化した。インド、中国てやっていることはみなその焼き直しだ。

12)日本の支配者、武士は徴税権はあっても土地は持たなかった。
これは世界では希有なこと。土地を百姓が持っているのは驚くべきことだ。

13)正義とは人が社会を維持しようとして生み出したもっとも偉大な虚構である。
ヨーロッパはキリスト教からユダヤ人はユダヤ教から、儒教も孟子から正義を引き出した。
日本人は作法としての儒教を知らず、明治になり天皇制という非日本的な虚構を作り上げたが、
大戦の敗北でもとの現実的な日本人に戻った。
「孟子の本は日本に届かない」という禁忌伝説がある。
これは正義という虚構を日本人が直感的に恐れたのではないか、というのが司馬の歴史観です。

14)鳥羽伏見の戦いは不確かな戦勝報告で決まった。
岩倉具視が19才の西園寺公望へかけた一言「小僧でかした」で公家を味方につけ、
薩摩藩の騎馬伝令の「お見方勝利」の声で錦旗が出る。
幕府は戦闘より政略で敗れたようです。

15)豪胆な大久保ですら「じつを言うと毎夜眠れなかった」という江戸への戦闘。
勝海舟は戦費のなさから江戸無血開城を決断します。
その為に、新選組の近藤をそそのかし、甲州へやり、意気上がる博徒、町火消し中心の幕府陸軍の勢いは手なずけてあった親分連中を使い消散させます。
力量のある海軍は蝦夷へ行かせエネルギーの方向を散らします。
これで内乱を防ぎ外国からの侵略を押さえました。

蔵六が活躍しないので少し読むのを休んでいました。これで下巻の半分です。
以下は次回に。

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May 13, 2005

シモーヌ

人間の出来る極限のワガママに日夜挑戦するハリウッド・スターには、
実際接する現場の皆さんの苦労というのは並み大抵ではなく、周囲の人はみんな悩まされるのでしょうね。
その苦労さえなかったらということは、きっとジョークのネタになっているに違いなく、
それがヒントになってCGで作られたスターがいたら・・という映画。
でもスター自身の立場になって考えれば、成功か失敗かで見る天国と地獄の落差の大きさに脅える巨大なストレスもあるのだと思います。

アル・パチーノ演じる売れない監督の名前が、タランスキーというのが良いですね。
何気なくアンドレイ・タルコフスキーを思わせる響きがあります。
タルコフスキーに限った話しではないにしろ、大監督という名声にも関わらず、実際は映画が難解過ぎてわからない人って結構います。でもそれは映画関係者として言いにくい、そんな皮肉も掛けてあると思います。
シモーヌが豚と食べ物を食い漁るところはパゾリーニの「豚小屋」のイメージでしょうか。
それからインタビューで思いっきりイルカの事などを語るところも、奇麗事ばかり並べるハリウッド・セレブへの揶揄があると思います。

監督のアンドリュー・ニコルはサルバドール・ダリの描く荒野のようなシーンを多用します。
代表作の「ダカタ」も荒涼として人の少ない景色でしたよね。
結構この人自身、人嫌いなのかもしれません。

CGからの創造物がしだいに独自の命を持つ。なにやら独立した生命を人が造ってしまい、それが制御出来なくなる。これは実はフランケンシュタインの手法ですよね。
今回のシモーヌとアル・パチーノの掛け合いで、ふいと虚像が現実に侵食するところなどに
虚実の皮膜の薄さにスリルがありました。

シモーヌの美しさはニコル監督の趣味でしょうね。
日本人の目からみると、あれが究極の美女とはちょっと思えませんでした。
でもここはオードリー・ヘップバーンの微笑みとか、この演技にはメリル・ストリープとか、
あの辺は実際に映画の監督をやると切なく思い描く欲望なのでしょうね。
その辺りはよくわかります。

ラスト、こうなったらカメラがあってこうなるぞと、思っているとその通りになります。
そこから本当の終幕になるのですが、私にはなかなか怖い終わり方だと思いました。

どうもこういう技術が進歩すると、人が人と接する面倒は省いて、
自分に都合の良いソフトと戯れる世界が実現するんだよというような、ちょっと予言的な提示ですよね。
一切の苦痛を取り除いていくのが文明の進歩なら、有り得るかもしれません。
そうなると今から2次元の女性と遊んでいるアニメオタと言われる人々は、時代に先行してるパイオニアなのかもです。

PS
娘役の女優さんが知性的で可愛らしかったです。
若い女の子も知的ということは魅力のポイントだよ、という価値感は日本にもっと根づいていいよね。

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May 12, 2005

「無限」に魅入られた天才数学者たち:12

「コーヒーが不味かった」
これが戦火による封鎖寸前のヨーロッパからアメリカに渡ってきたゲーデルの感想です。
プリンストン高等研究所に勤務するゲーデルは、アインシュタインと友人になります。
ユーモラスで人付き合いの良いアインシュタインと、暗い性格のゲーデルは案外話しが合ったようです。
精神病の病歴のあるゲーデルは、本来アメリカ市民権は取れませんが、特例で審査が行われます。
しかし厳密にアメリカ憲法を読込んだゲーデルは、憲法に論理的欠陥を発見し審査官に訴えるという所業をしますが、アインシュタインを始め周囲の必死のとりなしでなんとか乗り切ります。

1963年、スタンフォード大学のポール・コーエンが「強制法」を独創します。
強制法とは、仮説の集合が、二つのうち一つの値を取るよう強制する方法です。
はじめに集合の集まりと、それらの集合に適用される論理規定を設定し、その論理規則が適用できるようにしつつ、その集合の集まりをどんどん大きくしてゆます。その大きくなった論理系の内部で仮説を操作するとこにより、連続体仮説は集合論の公理系(ZF+選択公理)とは完全に独立であることを証明しました。
現在の公理系の内部では、連続体仮説は証明も反証も出来ないということが示され、
結果は謎のまま残されたのです。

ただコエーンとゲーデルは連続体は非常に;リッチ;な集合なので、
その濃度(つまり基数)がアレフ1だとは考えにくいと思っていたようです。

ここまでで明らかになったことをまとめると、
1)有限な数から出発する限りいかなる数学的操作(加法、乗法、指数演算)をもってしても最初の無限指数X0に到達できない。
2)ただ一端最初の無限基数X0に到達すれば指数演算によってより高次の無限基数を作ることが出来る(任意の集合に対するべき集合は、もとの集合よりも大きな基数を持ち2^X1はX1から作られたより高次の基数になるからです)

ここで巨大基数の集合論というものが登場します。
これはゲーデルの発案した集合論で、証明はされていませんが「存在すべし」と考えられているという概念です。それによると、到達不可能な無限基数はX0だけではなく、広大な無限基数の中には小さな無限から決して到達できないさらに大きな無限基数があり、それはあまりに大きい為、指数演算をはじめ、どんな演算でも到達不可能ではないかと研究されています。

そんな研究から生まれた成果が、
シューラーの定理です。
それは
2^Xn<Xωならば2^Xω<Xω4である。
2の肩に整数のサブスクリプトをもつアレフを乗せたものがアレフーオメガ(最初の超限順序数オメガを添え字にもつアレフ)より小さいとき、2の肩にアレフーオメガを乗せたものが4番目の不可算数をサブスクリプトに持つものより小さくならなければならない、というとです。
これほど入り組んだ無限の階層に、4というサブスクリプトが現れる必然性は未だ誰も知りません。

さて
集合論は無限を分解し、階層つけました。
ではそもそも数は実在するのでしょうか?
数は一種の言語で、実世界での問題を対処する約束事だとするなら、
数を作り出した我々は数のすべてを知らなければなりませんが、そうはなっていません。
カントールは「数は内主観的かつ内在的な実在性を持つ」と述べています。

では連続体は存在するのでしょうか?
現代物理学の語るところでは、この宇宙にはプランク時間、プランク距離が存在し、
究極的には離散的とされています。
では何故、物理的世界で数学はこれほど有効なのでしょう?
果てしない謎を残してこの本は終わります。

次回、この本にあった疑問と、集合論のまとめておきたい知識を書いてやっと終りです。

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May 11, 2005

ミニマル・アート

1960年代のアメリカを中心に起こった、最小限(ミニマル)の色彩と構成要素からなる
極めて無表情な感覚を有する芸術分野です。

それまでの抽象絵画は、具体的な対象の再現は拒否していても、何かを表現しようとする意思は表していました。モンドリアンの「ブロードウェイ・ブギ・ウギ」などは多くの色彩と多彩な構成から成り立ち、見ればなるほどブロードウェイの街角の喧騒が聞こえてくるようですし、ロスコなども修道院などを想起させる瞑想的な雰囲気がありました。
しかしミニマル・アートといわれる分野の作品は、マチエールの存在すら隠されるようにアクリル絵具を使用したり、中心すらなくす完全に均一な画面を創造し、見る者はただのっぺりとした一様な画面の広がりを目にするだけになります。
可能な限り手技を排除し、極小の美術を目指します。
抽象絵画の極北ですね。
これ以降、絵画は具象性を取り戻します。歴史のゆり戻し現象が起こるわけです。


バーネット・ニューマン
「偉大にして崇高なる人」1950年
ミニマル・アートの頂点をなす作品。
「偉大にして崇高なる人」という題名からみなさんはどんな絵画を想像するでしょう? 
大きさは立て2m42cm、横5m14cmの巨大なモノです。
実際は巨大な真っ赤な画面に、5本の色違いの線(ニューマン言うところのジップ)が引かれているだけ。
「今日問題なのは、われわれが生きている時代が崇高と呼びえる伝説や神話なき時代であり、純粋な関係などを称揚することなく、抽象的なもののなかに住まうことを拒絶するなら、いかにして崇高なる芸術を生み出すことが出来るかということである」
「崇高の人」byニューマン
これも神なき時代への叫びなのでしょうか?
無神論の日本人にはわからない喪失感が、西洋人にはあるかもしれませんねぇ。


ルチオ・フォンタナ
「空間概念/期待」1959年
黄色いキャンバスの何ヶ所かをナイフで切り裂いただけの作品。
平面的なキャンバスが切り裂かれるとこにより出来る裂け目は、それを見る者にどんなに巧みに描かれた絵画でも、それはキャンバス上の平面的な存在であることを気づかせます。
一種のコンセプチュアル・アートの走りにもなっています。

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May 10, 2005

バッドボーイズ、バッドボーイズ2バッド

ウィル・スミスとマーティン・ローレンス主演のポリス・アクション映画。
もう昔から定番のはみ出しデカのパターンで、日本で云えば西部警察とかハリウッドならちょっと前にスタローンとかブルース・ウィリス辺りが主演でやっていたヤツ。

それが黒人2人の掛け合い主演になっていて、クルマにこだわっている辺りはちょっと現代風にリメイクしたスタスキー&ハッチ+マイアミが舞台でプール付きのゴージャスな邸宅と水着のグラマー美女が大勢出てくるところはマイアミ・バイスってところでしょうか。
同じ刑事モノと云っても高村薫さんとか横山秀夫さんあたりには怒られそうな展開の能天気、銃、撃ちまくりクルマはひっくり返りまくりの映画です。

ウィル・スミス演じる刑事なんか、登場時点でいきなりポルシェ・ターボに乗っている。
制作サイドは、どうしても刑事にポルシェ・ターボに乗せたかったんでしょう。
「2」では12気筒フルサイズフェラーリに乗せたかったと。
乗せれば俺のような馬鹿な客がそれだけで見る。(実際、ポルシェとフェラーリが映ってなかったらスルーしていた)突っ走ってエンジン音を聞かせると、それだけで夢中になっている。
こういうチョロイ客がいるのに使わない手はないだろう、と作る側は思う。

でも薄給の刑事が高級スポーツカーに乗っているのは幾らなんでもおかしいから、
乗っているウィル・スミスは大金持の息子ってことにしてしまおう!
そうしよう、そうしよう、ってまぁいいけどさ。

だけど実際は2人の役割分担も上手い。ウィル・スミスはなんか言われてみると確かに大金持のボンボンに見えてくるし、M・ローレンスは美人の奥さんにアタマが上がらないチョイ情けない刑事に見えてくる。
2人の掛け合いも黒人独特のマシンガントークでイイヨね。

特に「2」のビデオの掛け合いは笑わせた。まったく目立たないけど脚本も上手いんだよなぁ
アクションも金を掛けていてアイデアがあって向こうの手練が造っているって感じ。
笑わせるとこは笑わせるし、スケールがデカイ(特に2は)とこはデカイ。
何処まで話を持っていくのかって感じ。敵役の役者も悪そうで迫力があってイイヨね。
ただ1が当たって予算が付いて8年ぶりって力が入ったと思うのですけど、さすがに「2」の147分はちょっと長いね。

それにしてもクルマが好きなスタッフだよなぁ。カー・アクションは見せ場だらけ。
でもデカイ4駆(ハマー)でスラムを駆け下りるシーンは、ジャッキー・チェンの映画のパクリだよね。
売り上げ不振に悩むGMの新型も出てきます。ボートはリーバ?
仲間の刑事役も迫力アリまくりの役者達でヘリコプターも使い放題。
日本の製作者は羨ましいだろうなぁ。

ps1
ジョニー・タピアっていうとあのボクサーを思い出させるのだけど、関係ないよな。

ps2
マラネロ(2に出てくるフェラーリ)なんかちっとも良くないと思っていたけど、スピンターンしたりハイウェイを疾走するとカッコいいなぁ。
ピニンファリーナはやっぱり走らせてナンボのスタイルなのか?
音も一部作っているのでしょうか?
異常にイイ音出してるんですけど。

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May 09, 2005

失恋の歴史、最終回:本当の気持ちが透けてるぜ

マリリンにフラレタというか相手にされない俺は、もう一人の綺麗な子、
(紺野美沙子に似てたから美沙子にしましょう)と付き合いだしました。

まぁ付き合うと言っても映画にいったりお茶を飲んだりね。肉体的接触は一切なし。
2-3回デートしました。
彼女を好きだと言っていたジャーニズ、Nは参戦してこないんだもの。
Nは長身、イケメン、スキーはインストラクター級、サッカーは高校、大学と駿足のMF、
最近は草サッカーチームにも加入、でも口ベタで女性には奥手、消極的だったのです。

で、付き合っていても盛り上がりに欠ける俺達。
なんとなく人の気持ちって分かりますよね。
美沙子は俺の気持ち(マリリンが好き)を知ってるし、美沙子自身もNが好き!
そして間接的にNの気持ちは知ってるから俺には及び腰。
でもほら、俺の方が仕事できるでしょ? 勉強熱心だし、どうよ? ダメ?
(そういうことがはっきり示される職場だったんです)
嫌味なのは100も承知だけど、俺がモテルには仕事で成果を出すしかないと、
追い込まれた気持ちだったんです。

でもやっぱ恋愛は理性では計れないね。
腹巻き編んでくれたけどね。
オンナは金に付いてくる、とおっしゃった最近話題の経営者くらい桁違いの資産でもあればまた事情も違うのでしょうが、私の個人的な感慨を言わせてもらえば、女性がお金で男性を選ぶというのは情緒に欠けますね。
経済合理性を吹っ飛ばしてこそ、愛と欲情というモノでしょうが。

そしてある日、ついにNは決意を固めます。
その時、歴史は動いた。
彼女は速効で彼の元に。
あまりショックはなかったです。
こんなものかなって思っていたから。
2人はそれで結婚。こっちはえらく真面目なカップルですね。

まぁ、さすがにこれで失恋の話は終わりです。
壮大なるサーガ、これにて完結。
これ以降は色恋沙汰より、仕事と勉強の日々になります。
もう恋愛はいいよって感じ。俺には向いてない。
それよりささやかでも努力が報われることもある仕事と確実に楽しめる趣味に生きましょうと方針転換。

最後に忠告を一つ。
よく若者雑誌でしない後悔(告白)よりする後悔(告白)ってありますよね。
私の場合はダメでした。
告っても恥ばっか掻いて、いいこと無しだった。(書いてない恥も多々あります)
あくまで俺は、ってことだけどね。

このブログを読んでくれている優しいみんなには、違う運命があることを切に願います。
駄目でもチャレンジを笑わない社会がくることを望んで筆を置こう。
おしまい。


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May 08, 2005

「無限」に魅入られた天才数学者たち:11

ゲーデルはウィーン大学に進学し6つ年上の踊り子アデーレ(離婚経験者)と結婚します。
そして有名な不完全性定理を導きます。そのエッセンスは
「任意の系が与えられたとき、その系の内部では証明できない命題が常に存在する」です。
有限な宇宙の内部にある人の心では、そのシステムを越えて広がる大きな実体を捉えることは出来ない、
と言い換えても良いでしょう。

またこれは、いかなる有限系の内部にも認知することも証明すること出来ない実体が存在し、
それを把握したければより大きな系に移らなければならない。
ところがより大きな系に進めば、またそこで認知も証明も出来ない実体に出会う。
今いる系の外側にあるもの、与えられた系よりも大きなものが常に存在する、という証明なのです。

神は人より高次の系であり、有限なる人間の心には神を理解することは出来ない、という結論が導かれます。

ゲーデルの定理は「決定不能命題の存在」を示し、そうなると公理という基本原理から論理規則を使うことにより定理、補題、系を積み上げる数学は数論、代数学、解析学など、どれほど注意深く構築したとしてもその系は不完全であり、内部には決定不能命題を含む、ということになります。

これほど重大な仕事を為し得る一方、ゲーデルは1930年代の慄然たるオーストリアに住みながら、
勃興するナチスの恐怖と広がる戦火にまったく無頓着で、オーストリアが併合されても生活が貧窮しても暴力が差し迫っても無関心でした。
そして連続体仮説に取り組み始めると「悪い空気」に侵され始めます。
精神の病が始まったのです。食事を採らなくなり衰弱していく過程はカントールの辿った道とそっくりでした。
それでも鬱病に悩まされながら再び大きな仕事をします。

1937年に連続体仮説が集合論の公理系と矛盾しないことを証明するのです。
ZF集合論の公理系が無矛盾なら、選択公理と連続体仮説を付加しても無矛盾である、ということです。

さらに試みたのは、
ZF集合論の公理系が無矛盾なら、選択公理と連続体仮説の否定を付け加えても無矛盾、ということです。
これが証明されれば(ZF集合論+選択公理)と連続体仮説の独立性が証明されます。
(集合論の公理系(ZF)というのは集合論を公理化したツェルメロとフランケルという人の名前から取られたものです)


あと22ページ。最後にこの本にあった簡単な疑問も書きます。

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May 07, 2005

ナイト&デイ    ビリー・ホリディ

休日に早朝から夕方まで会合などがあり、翌日は朝からまたみっちり仕事という状況にほとほとうんざりしている時、帰りのクルマの中で私はビリー・ホリディを聞きます。

疲れていると、普段はオシャレに感じる「アッシャー」もハードな「ツェッペリン」も元気なJ・ブラウンおじさんもお呼びじゃなくなる。倖田來未ちゃんも、ちょっと黙っていてねって感じ。
疲れた時はこの人ですね。
ビリー・ホリディはカレン・カーペンターのような美声ではないし、ジャニス・ジョプリンのように切迫したシャウトもしない。エディット・ピアフのように悲しみから力を与えるような驚嘆もないです。

彼女はむしろ倦怠を滲ませるように淡々と歌います。
絶望を乗り越えても希望はなく、倦怠だけが続くとでも言うように。
それでいて聞く者を放さない。

彼女は15才と13才の両親から生まれ、父親はすぐに出奔。
私生児として育ち、10才で強姦され、14才で娼婦になり15才で投獄される。
そんな人生の始まりは、麻薬に蝕まれ44年で終わる。
生まれたのは1915年。公民権なんて欠片もなかった時代。
白人女性に色目を使ったと言いがかりを付けられた男達は気まぐれにリンチにあい、
「奇妙な果実」のように揺れる環境でした。
あばら屋で暮らし、清潔な水もなければ、電気もなく、トイレにはウォシュレットもなかったでしょう(笑
病気や過酷な労働につきまとう怪我にたいしてまともな医療もなく、代わりに飢えと貧困と直接的な暴力の恐怖は、強い陽射しの下の影のように離れがたいものであったと思います。

今の一般的な日本人の生活とはなんという違いか、と思います。
人種が違い、住む環境も違い、生きている時代が違い、歌われる言葉が違う。
それでもその「断層」を超えて彼女の声は届き、聞いている男の疲れを安らがせることの不思議。

バックはいわゆる1940年代のオールド・ジャズ。黒人達の奏でたあの音です。
被さる彼女の声にはディープサウスの熱気と湿気を含んだ風を感じます。
聞いていると歌声に安らぎ、母親に添い寝してもらっている幼児になったような気分がひたひたと満ちてきます。
過酷な環境で生まれ、歌の中にしか安住がなかったからこそ、そんな感興を聞く者に与えるのでしょうか?

人生は疲れるけど、生は続くのよ、と穏やかに諭され、
寛大な微笑みの下で貧しくとも愛用のハンモックに揺られているような安心感。

優しい月明かりとマグノリアの甘い香り・・・
ナイト&デイ、ユー・アー・ザ・ワン・・・
その歌が聞こえている間は、泥のように眠ることが出来るはず・・

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May 06, 2005

失踪日記  吾妻ひでお

吾妻ひでおといえば我々の世代では独特の存在感をしめした漫画家で、
まさかこの人がこんな生活をしていたなんて! とビックリするような話題の1冊。
とても深刻な話なんだけれど、あの独特の筆致で描いてあるので読むほうは楽に読めます。

仕事のストレスから逃げたっていう発端だけど、他人ごとじゃないよな。気持ちは分る。
私事ですけど、私は明日の土曜は1日、日曜も午前中だけですけど仕事です。
まったくやってられません。
もうギリギリって感じ。何かあったら、即効この生活を放りだしてもいい気分。
(気分だけね、笑。実際はガマンします。でも気分だけでもあるのは確か)

偶然、同時に買った「芸術新潮5月号」がこの本を特集していて、本人の写真と生年月日が載っているのだけど、やっぱり風貌はちょっとホームレス風。さて年はというと1950年生だから出奔した89年11月は39歳。
そうだよなぁ・・・ギリギリ30代じゃないとこの生活は無理だろう。
二度目の出奔は42才だけど、すでに路上生活のスキルがあったから(本人談)できたのだと思う。
結局、ホームレス生活ですら、何事も早めになさないとすべて手遅れになるという教訓だ。

しかしアル中も怖いね。
昔から幻覚を描いていたのは覚えているけど、こんなに深刻だったとは思いませんでした。
俺は酒が弱くて良かったかも。飲んで幸せになっている連中を見ていると羨ましいけど、何事も良し悪しだ。


ps1
それにしても吾妻ひでおの描く女の子はカワイイ。
特に怒っている顔が好き。
この独創的魅力は竹久夢二の描く女性像に匹敵するね。

ps2
今、偶然TVで「Shall we ダンス?」をやってるのだけれど、
日米ともやっぱりマジメに普通に暮らすってことは逼塞しているのだよね。
巧く創られた夢(映画)だけど、基盤になる気持ちに共感するものがあるからヒットもしたし、
ハリウッド・リメイクもあったのだろうな。
みんな頑張ろうね・・・

・・・なんかスゴク真っ当な終わり方の記事だな。
これじゃあ、閉塞感は打破出来ないな。

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May 05, 2005

アンフォルメルとアメリカ抽象表現主義

アンフォルメル:1945年、大戦が終わったパリで、
フォートリエあたりから始まった芸術運動です。アンフォルメルは不定形という意味です。
大戦により傷ついた人の心、存在を描く為、絵は歪められ厚く塗られたマチエールは故意に傷つけられ残忍な印象と自虐性を感じます。

デュビュッフェ:1901-1985年
「踏み迷う旅行者」1950年
傷だらけの子供の絵って感じですね。破壊の果ての暗さと癒しがたい傷の存在を描いた人。

アメリカ抽象表現主義
第二次大戦でヨーロッパから多数の芸術家がアメリカに移住して活動を開始します。
これによりアメリカは独自の芸術世界を作りだし、世界のアートをリードする芸術大国へと発展します。
これは「無限・・」でも出てきますが、アインシュタイン他ゲーデルなどの優れた学者も移住してきてアメリカは安全の配当を大いに享受します。

ジャクソン・ポロック:1912-1956年、自動車事故にて早世。
「№23」1948年
アメリカ社会が待ちにまった自国出身の世界的画家!
ドリッピング(キャンバスを床に置いて絵具を滴らせる)、ポーリング(流し)、スパター(はねとばし)などの手法を用いました。アクション・ペインティングの始まりです。

ニコラ・ド・スタール:1914-1955年
「アグリジェント」1953年、「女Ⅰ」1952年
この人はアンフォルメルの範疇に入れるべきか、アメリカ抽象主義に入れるべきか迷います。
画風ならアンフォルメルに近いように思われ(特に「女Ⅰ」など)、
活躍場所はアメリカなのでヨーロッパ中心(特にパリ)のアンフォルメルには入れがたい。
時代が一緒で世界が狭くなってくるとこういうこともおこります。

マーク・ロスコ:1903-1970年
巨大なキャンバスに単純な形態と茫漠と広がる抽象的な色彩。
「近代人は超越的な体験を味わう機会がなくなった。
しかし私の絵は見る者を霊的な領域に導き宗教的な体験をさせる」
確かに目の前にするとそんな感じですね。

神の死を迎えた現代人は、アートの中に「超越」を体験するのでしょう。


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May 04, 2005

帝国ホテルに泊る

GW10連休も俺が休めるのはこの3日だけ。
そういう訳で帝国ホテルで都会の休日。
俺はクルマで、妻と子供は電車で行く。&子供は妻の実家@都内で義父母孝行兼経費節約。
一昨年位まで年に1-2度、ホテルの休日をしていたけど、妻が飽きてしまい途絶えていた。
でも今年は行く処も暇もないので復活。帝国はスタッフがみんなとても感じがいい。
でも今日はホテルが見えてから駐車するまで1時間。
どうも三越本店のバザールを開催中だったようです。中はスゴイ人、エレガントな女性トイレは長蛇の列。

昼は奈河田で寿司。この店に入るのは初めてだけど、子供達は義父母に年中連れてきてもらっているらしいので俺も食べてみる。
高いだけじゃん。内容はないよう。1カンづつ握ってくれるのかと思ったら大皿にのって一ぺんに出てきた。
もうくることはない。

八重洲ブックセンターにいく。気合をいれて本を買うぞ。
2時間かけて買った本は、芸術新潮5月号:モランディのまなざし(良いです)
田舎の事件:倉阪鬼一郎(面白い、この日1番読んだ)
失踪日記:吾妻ひでお(話題の本ですよね。芸術新潮にも載っていた)
マラルメ伝、絶対と日々:リュック・ステンメッツ(アマゾンでは品切れだった)
錬金術と神秘主義:アレクサンダー・ローブ(アマゾンでは品切れだった)
びんぼう自慢:古今亭志ん生(いやー、面白い!笑ったよ)
下町小僧:なぎら健壱(まだ未読)
だめんず・うぉーかー3文庫:倉田真由美(最初だけ読んだ)
大問題04:いしいひさいち(最初だけ)
ビギナーズ・クラシック、陶淵明:釜谷武志(最初だけ)
はじめての数論:ジョゼフ・シルヴァーマン(最初だけ)
B型平次捕物控:いしいひさいち(買ったマンガでは1番読んだ)、これで2万ちょっと。

マラルメの本の1万3千円がでかいけど、さっきの奈河田の寿司に比べればね。
夕方にチェックインすると俺の誕生日一ヶ月以内特典でシャンパンが付くって!
部屋のナッツと一緒に食している処に妻到着。人形展を観てきたらしい。
暇なので日比谷公園に行く。風が気持ち良い。音楽堂まで歩く。カップルから家族連れまでみんなゆったり楽しんでいて松本楼には灯りが燈りだし、コンサートが漏れ聞こえてくる。
さっきのシャンパンが効いて来てベンチで昼寝。ヤキソバが食べたくなるけど、夕食があるのでガマン。

夜は「嘉門」で松坂牛セット。
高いけど、これも誕生日20%オフだし、休みがないぶん集中散財。
鉄板焼きってなんかクールな感じがしない食べ物ですよね。
でもとても美味しかったです。グルメではないので細かいことは書けないけど、肉は勿論普段食べられない種類の焼き野菜も食べられるのは、素材が良いからでしょうか?
お酒はビールで。
デザート・ルームからは武富士とマクドナルドとgooのネオンサインが見える、あんまりクールじゃない内幸町の夜景。よもぎのプリンが美味しかったです。

夜は、中途挫折しているカミュの「ペスト」&びんぼう自慢&田舎の事件&はじめての数論
&B型平次捕物控の5冊を代わる代わる読む。
「錬金術と神秘主義」「マラルメ伝」は大事にして仕舞ってしまう。

翌朝は朝食券がついているので「なだ万」で食べる。ご飯が少し硬い気がする。
途中デパートに寄り見て歩くけど、特に何もないので帰宅。
遅い昼飯は一人で500円のほか弁。
妻と子供は実家から明日帰る。

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May 03, 2005

陸の孤島の灯台へ

この季節、休日前の深夜、私はクルマに乗る。
エンジンを掛けてすぐ走りだす。
住宅街なので近所迷惑を考えて暖気運転はしない。
裏道を高めのアイドリングだけでギアを上げていく。
ガレージを出て右折すると下り坂。
下りは走るのにトルクが要らないのでありがたい。
最初の十字路が赤信号だともっとイイ。
待っている間に水温を上げられる。

黄色い街灯が照らす橋を渡り、国道を行く。

交通量が減ってくる。クルマを飛ばす場所を求めて、減っていく方に走っているのである。
セカンドでフラットアウト出来るようになると、音楽は消してしまう。
エンジン音が1番楽しめる音楽になる。
先行車がグングン近づいてくる。
路面のキャッツアイが光ってガードレールの反射板がライトを受けてコーナーを知らせると、ブレーキング、
ギアを落とす、3速-2速、エンジン音が高くなる。
アクセルに感じるダイレクトな力を開放してストレートに向かって加速する。
周囲はいつのまにか漆黒の闇になってちょっと宇宙を飛んでる感じ。
またコーナー。今度はサード6000で定常旋回。
6000から力を出す4気筒のビートが心地良い。

ここは深夜にはほとんど交通量がなくなる所。
狭い日本にもあるんです。クルマが自由に走れる場所が。多分あなたの傍にもある。
でも普通の人は行かない場所。行かない場所だから空いている。そんな所をクルマ好きは嗅ぎ当てる。
路上を街灯だけが繰り返し繰り返し照らしている。

それも途切れると本当の暗闇の中を走る。
夢みたいな気分になる。
高架下をくぐるとエンジン音が回りの壁に反響して絶叫する。
抜けて上って下って回り込むと先に灯りが見えてくる。
闇の光の小島はコンビニエンスストア。
そこは大きな駐車場がある。トラックがエンジンを掛けたまま停まっていることもある。
ウインカーだけが瞬いて、巨大な宇宙船が係留されているように見える。

コンビニ内部は明るく日用品がなんでも揃っているようで、それゆえに周囲の暗闇とあまりにくっきりと区切られていて、それがかえって幻想のようで、店員もたむろする少数の客もみんな実在が疑われて、むしろホログラムのようにふあふあした現実感のなさを感じて、こんな人気のないところになんでもあるのがおかしいでしょう。

時間は深夜の1時半。
この場所までは1時間。
お茶の2Lボトルを1本買ってエンジンに火を入れる。
巨大貨物船のようなトラックの中で、俺の小さなクルマは、孤独で軽快で機動性に富む小型の宇宙船のようで、帰りは途中からそれて少し現実感のある道を行く。
そうしないと上手くとトリップから帰還できない気がするから。

なんてな。
以上、いうまでもなくフィクションです@交通課の方、本気にしないでね。

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May 02, 2005

CASSHERN/キャシャーン

イケメンに生まれても、実家が大金持でも、妻が遥かに年下の天才歌手でも、PVで実績があっても映画は作れないという、凡人は同情していいのか、安心していいのかわからな映画でした。

CG画面は煌びやかで確かに凄いのですが、未来社会にレトロ趣味を入れるのはリドリー・スコット発の定番になったモノですし、プロペラ飛行体を始めロボットは宮崎アニメを思いださせてしまいますし、暗い背景はティム・バートン風と、全体に派手な造りのわりには独創性は乏しいと思いました。

それでも1枚の絵としてみれば、月を背景にした戦闘シーンなど樋口真嗣の絵コンテの力か良い構図や美しさを感じる場面もあるのですが、
何より編集から脚本が酷く、テンポが悪過ぎます。
私の場合、格調の高い芸術映画ではアタマの程度の反映なのか、傑作と云われる映画でも飽きてしまうことはままあるのですけど、娯楽作品として1番気軽に夢中になれるSFアクション映画で、観ているのが苦痛になるというのは得難い体験でした。

役者さんも何だか寺尾聡さんをはじめミスマッチな感じを受けました。
それとも何度も繰り返し言わされるセリフがあまりに一緒というか、主張されるメッセージが説教調というか説明的というか浮いていて、みんなイヤになっちゃったんでしょうか?

ともかく141分は長いです。せっかく撮ったシーンは全部使いたかった気持ちは分かるのですが、もっと娯楽作に徹して90分くらいに刈り込んだら印象も良くなったのでは、とも思います。

後、音楽の使い方がダサいです。ピアノソナタの「月光」が何度も流れるのですが、
ああいう名曲ほど実は使い方が難しく今回はちょっと野暮ったく感じてしましました。

なんだかサザンの桑田さんが撮った映画を思いだしました。
1シーン1シーンには良い絵柄があるのですが、1本の作品としてみるとダメ。
でも桑田さんの専門の音楽は良かった。

この作品もCG技術自体は凄いと思うのですが、映画館にSFアクション映画を観に行ったつもりの観客が、思いもかけない崇高なメッセージを何度も訴えられては観る方も大変だったろうな、と思います。
俺はこの記事書きながらで良かったです。

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May 01, 2005

華氏911

カンヌでパルムドールを取り、大統領選を左右するとまでいわれたムーア監督の話題作。
この人は肥満した外見に似合わぬ才人で、自分のメッセージをユーモアに包みこむのが実に達者だ。
突撃レポートなんて卑怯な手だけど、そこはまともに文句が言いにくい自分の体躯を利用する。
体形からキャラクターまで一致して実に見事な存在である。

さて映画の方はどうだろう。
ブッシュの間抜けな映像集は笑えるが、逆に生活のかなりの部分をマスコミに撮影されていたらどうだ。
それを編集されて間抜けに見えない奴がいるだろうか。
TV本番前の緊張した顔とか、クルーザーでのフィッシング、ゴルフカートで足を組む格好は不遜な印象を与えるが、それが大統領への不適格さを表わすものではない。
何処となく知性に疑問を感じさせる表情も繰り返し映されるが、知の立つ男が指導者として優秀なら毎年学力テストで大統領を決めれば良いのである。
人の知は多様であり、また知が万能でないことは、大人なら誰でも知っていることだ。

後半、息子を失った母親の嘆きに焦点を当て過ぎるのも底が浅い。
どんな母親でも戦争で息子を失えば嘆き悲しみ訴える。それが人だ。
だから戦争は悲劇なのだが、それと本当の国難が襲う時の一国のあり方とは別の問題である。
ありがちな問題点のすり替えで、大人なら見破るのが知恵である。
そして貧困家庭から戦地に送られる若者が多いということも、常識のことである。
彼等は唯一の財産、自分の体を未来へと賭ける。でもこの映画への批判もここまで。

ムーアの言う次の言葉は良かった
「貧しい若者達が国の為に犠牲になってくれるのは貴重な献身だ。だからこそそれは絶対に避けられない場合に限られるのではないか」
その通りだ。今度のイラク戦でそれはあったのか、というムーアの問題提起には、うなずかざる得ない。
また政権中枢と兵器会社や石油会社との密接過ぎる関わりも問題だろう。
指導者が無私であること、高い理想の持ち主であることは求めたい。
しかしこの映画が公開されてもブッシュは前回以上の得票で再選された。
アメリカ人は国が分裂する混乱を避けたと言われる。これがムーアの主張の届かない現実でもある。

かつてイラクでのフセインの支持率は100%だった。
この数字ほどかつてのイラクの現状を表わすことはない。クルド人へ化学兵器を使ったのも事実である。
身内に嗜虐的な性癖を持つ異常者がいたのも確かで、独裁国家ならありうることだ。
しかしその問題と自分の家が空爆されて、身内の体がちぎり飛ばされるのは、当事者になったら別の問題である。今のイラクの状態は以前より良好とは言い難いだろう。

ただ泥沼化するほどアメリカの兵器産業は潤い、原油は高値を維持しやすく、友人である産油国サウジの王族にも石油メジャーにもありがたい現状がある。
市場では投機マネーが入り実体以上に高いとか、発展するBRICsでの需要が拡大するファンダメンタルな面もあると説明されていたが、アメリカは株価の国である。
下がり続ける株価を観て、先週金曜日の大統領緊急会見の冒頭は、
原油在庫が高水準であるとことを告げるものだった。そしてそのニュースに株価は反騰した。
どうも兵器産業と高値の原油と株価の行方の絶妙なバランスを感じてしまう。

ではブッシュは全面的な悪だろうか?
日本との関係が良好なブッシュ退陣後、次の大統領がこう言ったらどうだろう。
「我々は歴史的な認識を改めない日本との安全保証条約を破棄する。台湾を併合した中国及び統一した南北朝鮮と歩調を同じにする・・」
ただちに起る話ではない。設定がSFに近いのもわかっている。
だが永遠に有り得ない話ではないかもしれない。
我々は厳しい世界のパワー・ゲームの参加者であることは事実なのだ。

日本人は現実に立ち返り、世界の紛争と戦争に積極的に参加せよ、という意見がある。
盲目的に反戦を信じれば世界が平和になると説いていた労働者の政党は、最近身内の労働者から訴訟をおこされている。
だが戦争が嘆きと悲しみの温床であることは忘れてはならない事実である。
我々はどうあるべきなのだろう。
その信条を私はレイモンド・チャンドラーの小説から引きたい。
「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」

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