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March 2005

March 31, 2005

頭痛は辛い

実は15年以上の頭痛持ち。
吐いたり、起きられないというほどではないけど、忙しい仕事をしながらだと結構辛い。
俺の頭痛は家系的にも祖母の代からオフクロ、妹も一緒で由緒あるもの。
でも酷くなったのが30代になってからなので、掛かりつけの外科に1度診てもらった。
CTを撮って異常なし。MRIの予約はコワかったのでパス。
だって典型的な偏頭痛の症状なんだもの。
ヤバイものじゃないのは喜んでいいのだと思うけど、逆に根本的な治療法もない。
せいぜい生活上無理をしないとか・・・
まったく若くして老人のように暮らせ、ということですよ。

それから何年かして頭痛外来なんてもの充実してきたので、思い切って脳外科専門病院に行きました。
往復3時間、待ち時間2時間、休日1日潰しだけどしょうがない。
MRI、MRAを撮って専門医のご託宣は典型的な偏頭痛だって。
予防薬も処方されたけど、うーーーん、イマイチだよね。

特にこの季節は花粉と絡むのか辛い。
頭痛の頻度が上がってきて、やっぱいり体に無理が来ているのが分る。

その上に今日もまだ仕事。
明日も明後日も何時になることやら。
毎月、月末月初は厳しいのだ。
普通に暮らすだけならもう充分なので、こんなに働きたくないよ。
休日も結構働いたり資料整理したり、楽しんでないよなぁ、と思う。
俺の人生なんなのだろう、と考えちゃう。
でも楽しむだけが人生かとも思う。
仕事と勉強の人生でもしょうがない。
頑張れば経済的な見返りはある世界にいられるのだから、戦乱と貧困の世界に比べれば天国みたいなものだと自分を納得させて、さあ、あとひとふんばり。

でも俺は弱いから投げ出したくなる時もある。

幸せの加減を上手くとるのは、結構大変だと思う今日この頃。


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March 30, 2005

イタリア未来派、ロシア・アヴァンギャルド

イタリア未来派:1909年、フィガロ紙にイタリア人の詩人マリネッティは「未来派宣言」を出します。
内容は、「疾走する自動車は「サモトラケのミケより美しい」
運動する物体が空間を通過するときの増殖、変形、連続をテーマにしました。
「速度には美が秘められている」これが鍵です。

ボッチョーニ:ひたすらスピードとダイナミズムに魅せられた画家。騎兵連隊の通常訓練中、落馬にて34才で死亡。スピードを追い求めた画家にはふさわしいのか?
「弾力性」1912年、「空間における単一連続体」1913年
「戦争は美しく、素敵で恐ろしいものだ」こう戦争を賛美しました。
しかし実際に戦争の現実を知ると考えを変えます。

速度は肉食動物の捕食行動に由来し、攻撃性と結びつきやすいと思います。
でもそれに美を感じるのが、人の芸術への感性が一筋縄ではいかないところです。

イタリア人が創始しリードした速度を愛した未来派は、ミケランジェロを代表とする造形芸術の伝統を経て、
自動車レースへの偏愛、今のフェラーリ、ランボルギーニへと継承されているのでは、と思います。


ロシア・アヴァンギャルド:1910年-
ロシアでは、西欧の先進芸術と土着的な文化が融合しました。
レイヨニスム:光線主義、後のロシア・アヴァンギャルドの出発点。
シュプレマティスム:感覚の至高性、画家は対象から何を受けたかではなく、
ただ感覚上の応答のみを抽出せよ、がドグマ。
ロシア構成主義:1917年、ロシア革命が起こりロシア・アヴァンギャルドは社会主義的に再編成されます。
美術を実用的に機能させようとして、実用性のない絵画に死を宣告する「最後の絵画」になります。

マレービッチ:1875-1935年。ロシア・アヴァンギャルドならこの人。
「麦刈り」1912年、マレービッチは画歴のなかで具象画から極端な抽象画まで描きましたが、
これはその中間に当たる絵画。円筒を主体にした構成はセザンヌの影響を感じます。
「白い地の上の白い四角形」1918年、真っ白なキャンバスに描かれた白い四角形の絵です。
究極の抽象主義ですね。

次回はバウハウスとダダ。

ps
今日のバーレーン戦がドキドキ。今日は3バック? 中田はボランチでしょうか? 
バーレーンは後陣速攻というパターンなので、サイドには守備の強い選手希望です。
それから高原は外して欲しいです。加地はどうなんだろ・・短期戦では運がいるから外した方がいいのか?
よくわかりません。
二人が先発して活躍、勝ってくれればいうことないけどね。

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March 29, 2005

ラスト サムライ

ハリウッド2枚目スターの中でも、トム・クルーズは極めて優れた企画力を持つ俳優ではないでしょうか?
今回のラスト・サムライも最初聞いた時は、最後の侍達が近代へと流れる歴史の中での悲劇的な最後を迎える話、というところまでは分るにしても、
それにアメリカ人のトム・クルーズが絡むというのは無理筋じゃないか、と思いました。
でもトムさん、和服姿が妙に似合うのです。
案外、それに気がついたので、力技で実現させたのではないでしょうか。
この辺は実に大したものです。
「バニラ・スカイ」と一緒で、この話、俺がやりたいって思うと、やってしまうところがスゴイ。

それでこの映画、賛否両論ありますが、勇気と誇り、高潔であること、こんな人類共通の高い目標を日本の侍という視点から描いてもらえれば、ドキュメンタリーではないのですから、細かい点を突いて文句を言わなくていいでしょう。
季節感の出し方、夜明けに蹄の音とともに出現する騎馬軍団の幻想的ともいえる場面。
ハリウッドが本気で作ればどうだ!カッコいいだろう、というトムの自慢が聞こえてきそうな出来。
美術も凝っているし色々あるけど、精一杯の敬意を表してくれた作品だと思います。

それでも1番いいとこはやっぱり持っていってしまうトム君。
製作も兼ねてるし、しょうがないけどさ。でも少し死なな過ぎですね。
渡辺謙さん、良かったです。セリフが少なかったけど、真田さんもカッコ良かった。

小雪さんも出ていて相変わらずお綺麗なのですけど、ガタイが良すぎて、あの時代にあの体格の女性がいたら女偉丈夫として名を馳せているような存在だったのでは、なんて思ってしまう。
今のアクションは女性、というハリウッドの流れでは、小雪にも装束をつけてアクションをさせたいというアイデアも現場ではあったかも。でも時代考証と外れ過ぎだと却下されたのでしょうかね。

明治新政府と侍の存在を賭けた最後の戦争ということは戊辰戦争がアイデアの下地でしょうね。
それなら人柄が魅力とされる勝元は西郷さん、という役回りでしょうか?
最後に味方に死を願うのも似ていますよね。
それから大村という人は、明治政府の近代軍を整備した大村益次郎でしょうか?
司馬遼太郎の「花神」とは随分イメージが違います。
司馬先生、生きていたら文句を言ったかもなぁ・・笑っているだけだったかな。

まぁ、細かいことは言いっこなしで、映像の美しさと音楽の素晴らしさを楽しみましょう。
テーマソングが大ヒットという映画ではないのですけど、バックの音楽が良いのですよ。
この辺もハリウッドの力量として見逃せませんね。

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March 28, 2005

渋谷怪談1,2

結局、週末をおいて2本とも観てしまいました。
ほめ言葉になっているのかどうか自分でもわかりませんが、安心して観ていられるホラー映画ですね。
こういう映画も時には良いものです。


映画がみんな「ロード・オブ・サ・リング」とか「ゴット・ファーザー」みたいに
圧倒的な力に満ちたものばかりでも疲れるでしょ。

造りが安直で、「リング」や「呪怨」や「仄暗い水の・・」などのパクリ映像満載で、
かつ監督に才気が乏しいのか怖くない。
でも観ていてイヤになるような生理的な嫌悪感を煽るグロテスクな映像もない。
ストーリーもまぁ、こんなものだろう、というありきたりの展開です。

ところがそれでも楽しめたのは、出てくる女優の選出がイイのですよ。
北川あさみ、掘北真希、原史奈、全員知らない人でしたし、
特に演技力があるとか、存在感が凄いとかということはないのだけれど、みんな綺麗で可愛いんです。
他の要素が安心できる分だけ、この女性は綺麗だなぁ、と疲れた心身を緩ませて見ていられる。
そういう点ではこの監督、ある意味稀有な才能かもしれません。

男という動物は単純で、まぁ女性もそうだと思うのだけど、
観ていて心地良い女性が出ているとボーっと観てしまうのですよね。

アダプテーションという映画に
「驚くのは男どもという動物は、いくらでもオンナの裸の写真に金をつぎ込むことだ」
今回、女優陣に裸のシーンなどはないのですけれど、そんなセリフを思い出しながら、おき楽に観ていました。

唯一残念だったのは、2の方の放送日でしたね。
こういう映画は休日の前夜に、のんびりと見たいものです。
そういう意味では1をやった3月20日は翌日が休みで良かったな。
まぁ小さなことですけど、小さなことが大きく響く程度の映画ではあります。


ビールとポテトチップでも用意して、週末の夜にぼんやりと見るにはいい映画。
でもレンタルで借りてくると、返しに行くのが面倒な気もする映画かなぁ・・・
短いので1を2をまとめて借りてくれば量でカバーできるかも。
ストーリーも続き物なので、ちょうど良いですね。

3が出来たらまた見ます。
こういう映画は、私も好きなんだな、とかえって自覚させられますね。

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March 27, 2005

「無限」に魅入られた天才数学者たち:6

第9章(←この本の9章のことです)、無限の階層
最も低い階層:自然数の無限。数は無限だが数えることは出来る。
数えきることは出来なくても数えられるというプロセスがある→可算無限
有理数も可算無限であること。
有理数はどこまでも細かく分解でき(0.00・・1)稠密であり、
自然数は1づつ離れているから両者が同じというのは理屈に合わない感じがしますが、
無限の階層という分類では同じになります。
ようは1対1の対応が出来て、かつお互いに限りがないので同じ扱い、ということです。

実数(有理数と無理数を合わせたもの)の無限
無理数には超越数という不可算性のある数が含まれるから、より高次の無限になります。

「実数とは単に数を数珠繋ぎにしたようなものではなく、そのには何かもっと深い連続性が存在する」
たった0から1までの中の数にも、単に0.000・・1という数が積み重なっている訳ではなく、
そこには未だ捉え切れない数(超越数)が無限に眠っているという深遠・・
実数は無限であり、かつ不可算集合集合なので、より高次の無限(高い濃度の無限)なのです。
これを証明した方法を対角線論法といいます。リンク先を見てね。

10章、次元の概念を越える無限の不思議
デカルトは解析幾何学:幾何学的な図形を数によって表わす:を創始します。
それは、X軸、Y軸の数値で特定の場所を表わすいわゆる、「グラフ」のことです。

そこでカントールが発見したのは、1次元の「直線」と2次元の「平面」は同じ無限であるということです。
グラフ上で直線を表わすには、X軸を0と1に取り、Y軸は0のままです。
これでX軸にべったりくっつく直線の出来上がり。

平面は、(X軸=0、Y軸=0)(X軸=1、Y軸=0)(X軸=0、Y軸=1)(X軸=1、Y軸=1)
この4点で座標の中に正方形が描けます。結局X軸Y軸に取る点ですね。
ここで直線0-1までのX軸上の数を、仮に0.2341657・・という数を当てはめ、
さらに一般化して0.a1b1a2b2a3b3…とします。ちなみにY座標はずっと0です。
一方、正方形もXY座標で表わせますから、
X座標=0.a1a2a3...Y座標=0.b1b2b3...としていきますと、
直線は0.a1b1a2b2a3b3…,平面もXとYの座標を交互に並べて合成すれば、
0.a1b1a2b2a3b3…となり、小数点以下無限という原則が効いてどこまでも1対1に対応が出来て平面上の「点」は、どれもみな線分上の点に対応できるのです。
さらにこれは直線上で無限に小数点以下を分割できるので、Z軸も使った立方体にも、
さらに4つの次元を持つものにも、さらにそれ以上の無限にまでどこまでも対応可能ですね。

無限に関する限り次元には意味がない。
これを発見したカントールが「我見るも、信ぜず」という言葉を残すことになります。

ps
図形やグラフが書けないので分かりにくいと思いますが、この章で述べられている、次元と無限の話は、
直線はどこまでも細かく分割出来るので無限個の要素を持つ集合になり、
なれば直線より上の次元を持つ平面、立体、それ以上の空間にも1対1対応可能となり、
無限に関する限り次元に意味はない、という結論が導かれているのだと思います。

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March 26, 2005

ショパン ピアノ協奏曲第1番

ピアノ マルタ・アルゲリッチ
人はいつのまにか偏見に囚われていくものだけれど、
その偏見が何かのきっかけで崩されると逆に非常な印象となるものです。

その夜、私はいつものように、(本当にいつのものように退屈しながら)テレビを2画面にしてザッピングをしていたのです。何か面白いの、やってないかなーと、集中力の欠片もなく、怠惰に、落ち着きがなく、せせこましく、素早い指の動きで(私の自慢の一つ)二画面を素早く入れ替え映し出していると、不意に2画面目に髪の長い女性ピアニストが映し出され、N響をバックにショパンのピアノ・コンチェルトを弾いている。

私の偏見の一つは、ピアノは弦をハンマーが叩く打楽器であって、女性ピアニストに真の1流はいない、ということ。
ピアノは残酷な楽器で、演奏者の身体能力をあますところなく暴き、聞き処のピアニッシモこそ逆に体力を要するという矛盾をしめすという思いこみがありました。
それは高級車と云われるクルマがみんな大きな排気量を持っているのと同じで、
大きなエンジンの持つ力の数十分の1だけを使うから、優雅な乗り味が出るのと同じ理屈。
圧倒的な余力が絶妙のコントロールとダイナミズムを両立するのは、宇宙の鉄則なのだ。

それでその女性ピアニストは無視して他の画面を飛び回っていたのだけれど、
素早く切り替えている内に、つい間違って副画面の女性ピアニストの音をだしてしまった。

その瞬間の衝撃!
丁度、それがコーダに入りかけの部分だったから、
飛び込んで来た音に殴られるような衝撃を受けてしまって呆然としているうちに終了!
画面だけ観ていたくせに聞いてなかったという自分の間抜けさに、取り逃がした魚の大きさを想像するとたまらなくなって、また終了後の観客の熱狂が日本人とは思えないほどで、もうこれは社交辞令の拍手じゃない。
それからはもうアルゲリッチの追っかけを一時していました。CDも買いまくり。


この曲は、ピアノ・コンチェルトなんだけど、ピアノが鳴るのが4分以上もたってから。
出し惜しみされているようで、聞く方は少しイライラしてくる。
ショパンはピアノの詩人なんて云われて小品が有名だけど、この曲では第1楽章で独特のワルシャワ的憂愁を示す構想も雄大で、繊細な作曲家の違った一面を観ることが出来ます。
第二楽章はノクターン風、あなたやっぱり好きねって感じ。

アルゲリッチの名作CDなら本当は「夜のガスパール」の方かな、と思ったんだけど、それを言い出すと奇跡のようなハイドンの1品もあるしキリがないので、最初の出会いの記念としてこっちにしました。

ps
この曲は、映画「野獣死すべし」でも美しく使われていて、
美しかった小林麻美と病んだ演技が本格化してくる松田優作の2人を思いだします。

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日本VSイランのハーフタイムの

10分でコンビニに爆走してツマミと酒かってトイレに行って手を洗って観てるけど、中村のFK惜しかった、絶対勝って日本代表、今、後半10分8秒。

PS1
21分、大黒じゃなくてヤナギかよって思ったけど、ジーコの悪運を信じていたら福西同点!

PS2
イランの2点目、ヘディング・フリーじゃん、っていうか起点はファールだろ、審判止めろよ、大黒頼む、お願い。
後10分。

PS3
・・・風呂入って寝る。

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March 25, 2005

新・世界の七不思議  鯨 統一郎

歴史ミステリーの傑作(発表当時はバカ・ミステリー扱いされていた! 信じられないよ)
「邪馬台国はどこですか」の世界史版続編。
前作(正月に散歩しながら読み出して止められなくなった思い出がある)では、
著者の解釈の斬新さと精妙さ(ホントカ?)に、私などは感心しきりだったのでさっそく購入。
今回も期待にたがわぬ面白さでした。

「この作品がノンフィクションであるという保証はどこにもありません」という著者のトボケタ言葉どおり、
自信満々に解明される謎は、
アトランティス、ストーンヘンジ、ピラミッド、ノアの箱舟、始皇帝、
ナスカの地上絵、モアイ像という世界に冠たるものばかり。
それらに常識を遥かに超える解釈がなされるのですが、
私程度の古代史好きは、まったく反論の余地がなく説得されてしまう展開で、ただただ驚くばかりです。

短い短編1つに、本が1冊が書けるほどのアイデアが詰まっているというお値打ちモノ。
かつて「未来の記憶」のデニケンや、黒沼健の著作に燃えた少年(少女)時代を送った人なら、
これは読むしかないでしょう。

設定は都内某所のうらぶれた一軒のバーという1シュチュエーションモノ。
そこに気鋭の美人歴史学者にして毒舌の早乙女静香(この人の容貌の説明が投げやりでイイ)、
ゲストでその展開にオロオロするペンシルベニア大学古代史学の権威ジョゼフ博士、
とてつもなく旨そうな酒肴とカクテルの名手(池波正太郎的描写とは正反対なのですが、
本当に読んでいるうちに食べたくなったり飲みたくなったりします)にしてハイテクな表示装置(007シリーズのパロディです)を持つバーテンの松永。
サエナイ客でまったくの無知でいながら、静香の毒舌に満ちた解説から天才的な解釈を引き出す宮田(この人がシャーロック・ホームズになっています)の4人の会話だけで展開します。

会話も一々笑わせるのですけど、これも伝統的なアームチェア・ディテクティブの手法です。
オチャラケていながら伝統的手法を厳守し、かつ斬新なアイデアに満ち、
さらに脱力系で安心して読めるという、もうこれ以上いうことない1冊。

個人的にはアトランティスとストーンヘンジ、ナスカの地上絵(まさに俺好みの駄洒落付き! 絶対に笑うと思う)
ノアの箱舟の解釈がとても面白かったです。


さて日本vsイラン戦!  ドキドキ90分、絶対、勝って! 

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March 24, 2005

キュビズム:飢餓を理解した様式

ピカソの絵です。
実際にこの芸術の潮流をリードしたのはブラックなのですが、
知名度の違いからブラックは割りを食ってしまいました。

対象を解体し、複数の視点から眺めるように世界を再構築しました。
私にとってこのキュビズムというのは最も分からない芸術様式でした。
例えば印象派、綺麗ですよね。光の揺らぎを描く美しさ。良く分かります。
幻想芸術、夢や空想の世界を描く大好きな分野です。
アブストラクト、色彩の共鳴として理解できます。

しかしこのキュビズム絵画は、ただ醜くしているようにしか感じられませんでした。
しかしこれはやはり新たな地平への旅、独創への挑戦なのですね。
対象を解体した後、分析し再統合して新たな美を作り出す。
今までに人類が見たことのない創造であったのです。
理解できたポイントは、
現代美術鑑賞の鉄則である、「小鳥の声に意味を求めるな、ただその声を聞け」という言葉に従い、
「理解」という束縛から自由になって美を感じることが出来ました。

キュビズムは、私にとっては解りにくかった故に解ると、
人の新たな美を創造したいという飢え、渇望をよく理解できる様式になりました。


ピカソ:「ゲルニカ」1937年「アヴィニョンの娘たち」1907年
訳の分からない現代絵画の象徴みたいな画家にして、
文句を言う奴には「青の時代」などで筆力も見せつける隙のない男。
長寿にして幾多の女性と浮き名を流した生命力溢れる天才。しかし彼がキュビズム以降、新古典に回帰したのは、、相対性理論で時間と空間の概念を変えながら量子力学には否定的であったアインシュタインと同様、どんな偉人にも限界があることを示しているよ、という本がありませんでしたっけ?

ブラック:「レスタックの家々」1908年
実直にキュビズム一筋の画家。色彩は柔らかく、形態はピカソより洗練されいてますが、
腕力で及ばない。でもその画面の色彩と形態は充分に詩的であり美くしい。
キュビズムの魅力への入門には、ブラックのほうが適しているかもしれません。
またブラックの功績として、
「クラブAのあるコンポジション」1913年で始めて用いられる、
コラージュの技法:現実の印刷物を芸術の1つとして用いる:があります。
コラージュは一つの技法として後の芸術に幅広く用いられることにもなりますが、また現実の印刷物を芸術と化すことは、ダダやポップアートの基本的な概念の萌芽にもなっているのではないか、と思います。

次回はイタリア未来派とロシア・アヴァンギャルド。

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March 23, 2005

「狂人日記」 色川武大

目をつぶり思い出の記憶をたぐり、しだいしだいに細かいところまで思い出していると、色々なことが蘇ってきます。その時かわされた言葉、流れていた音楽。
これはいわば記憶の中のビデオ・レコーダーの再生スイッチを自分の意志で押すようなモノです。
自分の中で、記憶なのだというコントロール下にあるからすぐ消せる。
幻覚や幻聴というのは、自分で再生スイッチを入れていなくても勝手に脳内ビデオが暴走して再生されたり、
悪夢のように編成されてしまったりして、
さらにその臨場感が現実と見分けがつかないほどになってしまう状態のようですね。

この小説は、そんな病気に悩む一人の男性の日記形態の物語なのですが。
作者の色川武大自身がナルコレプシーを患っていて、幻覚幻聴に悩まされていたせいか描写が非常にリアルで恐ろしく、病人の苦しみが伝わってきます。
精神の病を患った男性が、一人の女性と知り合い彼女の献身で、救われようとするのですが、
やはり病気のもたらす困難は大きく現実は厳しさを増していきます。
この間の男性の心情がとても良く分かるのです。
ダメな自分を背負おうとする女性への引け目、遠慮、
そしてそんな思いから、ついそれとは裏返しの言動をとってしまう矛盾した気持ち。
しだいに追いつめられていって、人里離れた廃屋にたどり着くのですが、
個人的にはここの周辺の描写が好きです。
落ちるところまで落ちたという終着での不思議な詩情と安心感。
女性の帰りが間遠になっていく終りの部分もいいな。
孤独なのだけれど、他人を嫌な目に合わせないですむ方が楽でしょうね。
「帰ってこなくいいよ」という主人公の言葉に、私は憐憫と共感を覚えました。

私は幻覚というものは、なんとなくボヤケタ幽霊のように見えるものだと思っていたので、
「ビューティフル・マインド」という映画を観て、
それがクッキリとリアルで本人には本当に現実と見分けがつかないのを知って驚きました。
幻聴の経験もないのですが、
去年、大型テレビ(55型)を買ってホラー映画を見ていた時、シューシューという音が背後から聞こえてくるのです。ガラス戸越しに背後のキッチンを振り返っても何事もないように見える。
妻は目の前にいるので料理をしている音ではない。
まだテレビに馴れてなかったし、スピーカーも大きかったし、
映画自体も初見だったので、こんな効果音でも入っているのだろう、と思っていたのですが、何かヘンなのです。
深夜だったし、見ている映画が映画だったので、ちょっと、イヤな感じになりました。
結局、妻が鍋を掛けっぱなしにして空炊きしている音だったというオチなんですけど、
これが人声の幻聴として、アレコレ言われたら、かなり不味い精神状態になるでしょうね。
これはそんな病気になってしまったらどうなるのだろう、というちょっと怖い疑問をリアルに疑似体験させてくれる1面も持つ、色川文学の集大成的な小説でした。

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March 22, 2005

失恋の歴史3:セクシー美少女の謎の微笑み

高校です。そこそこの進学校に行きました。
その頃の俺は、成績も低迷してなんだかサエナイ存在に成り下がっていました。
そんな俺に抜群の美少女がいつもにっこり笑い掛けてくる。
彼女は当時のモデル、ジャネット八田に似ていたから、ジャネットにしよう。
でね、すでにその頃には自分へ幻想を抱いてない訳。
苦難の歴史が甘い夢さえ見ることを許しはしないのさ。
俺にはそんな素敵な話はないって人生を見切っているの。
だから最初は俺に笑顔を見せているのではなく、
たまたま俺の近くにいた誰かに挨拶をしているのだろう、と思っていた。
でもどう考えても俺なんだよ。
しかしクラスも違うし、向こうは成績優秀、女子バスケ部の主将・・

あのさ、高校位になると学校内でのヒエラルキーって感じませんか?
出来る奴とか目立つ奴、スポーツの凄い奴等は上位にいて、平凡な連中が中位がいて、
駄目な奴らまでって階級があるよね。
そうなると俺が相手にされる訳ない。

そんなある日、いきなりオフクロが言うんだよ。
「オマエ、同級生にジャネットちゃんいるだろ」
ギク! なんでその名前が出るの。俺言ってないよね。幻想だと思っているし・・
「オマエ、憶えてないかい? ジャネットちゃん。幼稚園の頃よくウチに遊びに来ていたんだよ。それで庭に砂場があったろ。いつも2人で夢中になって遊んでいて、
1回あの娘はおもらしして、お前のパンツはいて帰ったこともあるんだ」

あの娘がーーーー、俺のパンツーーーー!!!! 共有したのーーーー!!!

今ならTBを交換するよなものでしょうか? 違いますね。スミマセン。
その頃、ジャネットは本当にグラマーで色っぽかったんだよ。
「はるく君がいるってジャネットちゃん言っていたってお母さんから聞いたよ」
私、一切の記憶が御座いません。
もったいないけど、男って忘れるよね。女ってこういうこと憶えてる。

まぁそれだけの話です。
彼女はそれからサッカー部のキャプテンのモテル奴と付き合って、
でも俺とは古代史方面で話しが合ったので、1回だけ駅ビルの喫茶店で2人だけでお話をしました。
そこそこ話も盛り上がったけどお仕舞。
で、喫茶店で別れた後、俺は例によってそのビル内の本屋に行ったら、(本屋中毒だから)彼女もいました。
本好きなのは一緒だったよ。お互いに少しテレタ。

次回は、出来の悪い映画のように

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March 21, 2005

05年、モラレスvsパッキャオ、第1戦。きっと再戦もあるはずだ!

久々にボクシングを堪能出来た好試合。12Rが短かったよ。
アジアの誇りパッキャオには親近感を感じるし、ファイト・スタイルも好きなんだけど、
私、モラレスも好きなんです。ダークでクールでテリブルな雰囲気が最高!
ボクシングにも華麗な天才性を感じることバレラ以上だと思う。

さてこの試合の最大の見所は、パッキャオの俊速ステップ・インに、
モラレスが悪魔のようなアッパーを合わせられるかどうか?
結果、モラレスは勝ちに行き冒険は避けた。
これは避けたモラレスを責めるべきではなく、あのモラレスに必殺の、
それゆえに危険と隣り合わせのカウンター・アッパーを封印させたパッキャオを讃えるべきなのだ。

それにしても途中のバッティングは残念だったけれど、二人の打ち合いは、見ごたえがあった。
速い連打とディフェンスの攻防! 
打てば打たれて、打たれれば打ちにいく闘志と、磨きぬかれた技量の高度なぶつかり合い。
こういう試合をみると、はやりボクシングは良くできた格闘技だと思う。
見終わった後、イイモノみたなぁ、という爽快感が残る。

12R、判定は3人全員が115-113!
試合途中に座ってしまうモラレスは、試合後、足をもつれさせる。
スゴイぞ、パッキャオ! あのモラレス相手にこの試合!
ラスベガスの会場を満員にして、掛け率は6:5でリードまでしていた。
同じアジア人として感動したよ。
絶対再戦して欲しい。
2人の試合が見られれば、もうタイトルなんてどうでもイイよ。

フレイタスの復帰戦も良かった。
あのフレイタスが、華麗なボディワークのディフェンスをしている。
攻防兼備になったニューフレイタスは楽しみだ。
確かにKOは出来なかったけど、あの相手、見た目も戦い方もショボかったけど、
逃げて逃げての1発は、なかなかに速く伸びもあった。
そんな相手に良く戦ったと思う。
やっぱりファイトに華があるこの人も、表舞台にいてくれないとね。

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March 20, 2005

花粉で引き篭もりの休日

9時起床。
さっそく書類仕事を片付け始める。
妻と娘が起きてきて、うどんの朝食。
書庫になっている書斎のPCで再び仕事開始。
NHK将棋トーナメントの途中で福岡地震の1報が入る。
サリン事件がちょうど10年前ということを知り、あの日の朝を思いだす。
私は前日に勉強会であの地下鉄に乗っていた。
最初は異臭騒ぎということで何を大袈裟に報道しているのか、と思ったが死亡者が出たという知らせを聞き、
悪夢が現実を侵食するような戦慄を覚えた。
亡くなった方も含めて、被害者とその家族の中には、今日まで後遺症と戦っている人もいることを忘れてはなるまい。

昼は彼岸のお参りに行った帰りに実家で貰った寿司を食べる。
昼寝1時間。今日は良く寝る日である。
2時に起きてから傍らにWOWOWで撮り貯めたビデオを流しながら仕事の整理。

2時間やってからボクシングのビデオ(チ・インジンとフレイタス戦)を見ながらバイク、ウエイト・トレーニング。
風呂に入ってすっきりする。
こうして覚悟を決めてしまえば、悪い休日ではない。
楽しみはすでに予約を済ませたGWと夏休みまでとっておこう。

これからキュビズムのまとめを書いて、夕食はカツカレーと野菜のスープ、サラダだそうである。
その後は「ラスト・サムライ」はDVDに撮って「渋谷怪談」を見る。
お手軽なホラーは気晴らしにはちょうど良い。
そしてモラレスvsパッキャオ戦! 楽しみである。
うん、良い1日じゃないか。

でも問題は明日。
こんな休日ばかりじゃなぁ・・
妻と娘達は銀座に行くらしい。
本当は今日行く予定だったのだが、昨日、下の娘が熱を出したので、今日は私の引き篭もりに付き合ってくれたのだ。しかし一晩で熱も下がって、明日は出動するらしい。
俺は花粉が怖いからどうしようかな。

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March 19, 2005

杉花粉、猛爆撃?!?!?!

イヤー、数えられる訳ではないですけど、今日の花粉は凄かったですね。
もう空気の比重が重かったのではないでしょうか?
花粉症の人間には、空気が濃い! って感じがしました。
1月から飲み始めた抗アレルギー剤と5種類のサプリメントとレンコンのお陰か、鼻は無事です。
これはありがたいです。
もう鼻が洪水になると、口呼吸になってホント苦しいんだもの。
眼が酷いけど、これには外出から帰ったら顔を洗うという方法が効果的なのが、最近分かりました。
それから少しですが咳っぽい。喉も粘膜なので多少は影響があるのかもしれません。

明日から連休ですが、これでは表に出る気はしないので、
のんびりと仕事の前準備と資料整理をしたいと思います。
経済的なお休みになりそうです。
本でも読んで、たまっているDVDでも見ることにします。

本当はラ・トゥール展にでも行きたいんですけど、さすがにこの花粉濃度では無謀というモノでしょう。
大人しく家にこもります。
ブログの記事でも書こうかな。
なんかパッとしなけど、しょうがない。
もう勉強しちゃおうかな。
美術史と集合論(「無限」に・・)の勉強。
トホホホ・・情けないよ。

なんか良いことないものでしょうか?
書庫になっている書斎の掃除もしたいのですけど、
今の季節は花粉が侵入しているのか、掃除をしていると鼻にくる。
こんな休日を40代でおくるとは思わなかったなぁ…

杉が恨めしいです。

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March 18, 2005

28日後…

;狂暴性;を感染させるウイルスが蔓延。人々は殺し合い、イギリスは崩壊します。
話の設定は「偉大なるロメロ」のゾンビモノそのままで、
死人が蘇って襲い出す代わりに、生きている人間が発狂して襲ってくる。
違いはロメロがゾンビの動きをスローモーにしてしまったから、
監督のダニー・ボイルは生者にしてスピード感を出してみました、という映画。
巧いです。スピード感云々を越えて、良く出来た映画だと思います。

冒頭のニュース映像の使い方から、崩壊の引き金を引くことになる「愛護の団体」の行為には、
「地獄への道は、正義によって舗装されている」という皮肉が効いています。

生き延びた人々が危機を乗り越え団結し、クールになろうとあがく過程と、襲ってくる悲劇までの話も、
間の伏線がとても良く出来ていて感情移入してしまい、登場人物がショックを受けるシーンではこっちも衝撃を受けてしまい、このくらいのレベルになると、もうスプラッター・ムーヴィーとは言わせない!という出来。

またダニー・ボイル独特の映像のセンスが抜群で、暗い夕暮れに炎だけをカラーにしてみたり、
無人の高速を走る画面に突然、巨大な風力発電のプロペラが回転するシーンなどは、
絵柄も良く、それが無意味になった崩壊を強く印象つけられます。
荒廃したロンドンの遠景、高いビルに1ヶ所だけ煌くライトの光、夜の雨が降り注ぐ輝き。
細かな伏線も丁寧に拾われて繋ぎあわされ、この人は本当に巧く丁寧で、センスのある映像を撮れる監督だなぁ、という感慨を新たにしました。

映画の後半、生き残った軍隊と合流してから、ボイルは妙な格好のコックとか、悪ふざけする兵士を使い、
イヤーな感触を醸してきます。見る方は暗い予感が膨れ上がり、単純な現実(女性がいない、ということ)を何度も確認したくなり、勝手にドンドン不安になっていく辺りは、
語らずに感じさせる芸の教科書的ともいえる仕上がりですね。

人は死ぬより狂うことが、さらにそれよりも魂の尊厳を失うことが、より大きな喪失なのだと語るボイルの主張は説得力があり、ほんと、ゾンビ映画を越えた出来なので、主人公が挽回していくとこが多少出来過ぎの展開でも許せてしまいます。

28日後・・これが題名で、映画の中でも時間軸の切れ目として使われますが、
28日は月齢との関係(新月からDark Moon)までのことでしょうか?
英語で月は、月の・・という形容詞的な意味でlunar という言葉があり、
それがlunatic:狂気の、精神異常の、という言葉になるとおり、太古より狂気の象徴でもあり、或いはDark side Moonから隠された一面の暗喩?
その意味でも洒落た使いかただと思いました。

さらに深読みすれば、文明が崩壊すれば、太陰暦の世界へ回帰し、そこに待っているのは暴力だけが全てを支配する変らぬ人間の本性を見通しているようで、なかなかに深い映画でした。

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March 17, 2005

メイウエザーを中心に、05年のボクシング

2005年のボクシング界、退屈だろうと予想したら、いきなりスピード・スター、モズリーvsR・ライト戦。
しまったなぁ・・これはおもしろいよ、と書いたことを後悔しました。
結果は後悔する必要はなかったですね。
確かにライトは強いです。ボディを隠す長い腕でガードを固め、強い右で試合をコントロールする。
冷静に考えれば最強の戦い方だけど、これで勝っても詰まらないんですよね。
ボクシング界の為には、モズリーが華麗なスピードでライトを翻弄し一蹴しなければいけない試合だったでしょう。
結果、負けにはガッカリでした。
逆に印象に残ったのは、
パッキャオの空間を切り裂く剃刀のような踏み込みの速さ。
良いですね。本物の香りがします。モラレス戦が楽しみです。
あと、綿花畑で苦労しているようなグレンコフ・ジョンソンが性格の悪そうなアントニオ・ターバー勝ったのは良かった。試合後、得意気に腕を組むジョンソン、気に入っちゃいました。

ムニョスはやはり壊れてましたね。つくづくパンチは膝なんですね。タイソンのDVDボックスを買ったのですが、
ヘビーでは低身長というせいもあるのでしょうが、伸び上がるように打つ膝の使い方が印象的です。

1番の収穫は、バディ・マクガートが荒馬ガッティを良く調教したこと。
これほどバランスが良く、打たれないボクサーになるとは思わなかったです。以前のように突っ込まないから強く打たれない。パンチの強さと底無しの闘志に、好バランスが加わわって完璧な選手になりました。

後はともかくメイウエザーにつきます。至近距離での芸術的なパンチの避け方。あんなに簡単に世界クラスの選手のパンチを、しかも身体を密着した状態で避けられるのは魔法を見ているようです。
スピードが武器の選手はスピードを殺される身体の密着を嫌うものですが、メイウエザーは自分の反射神経とテクニックに自信があるので密着されても慌てない。余裕を持ってリラックスしているので柔軟に動けるのだと思います。パンチのキレ、離れた時のボディワーク。ボクシングの美しさを見せる選手です。
ボクシングは殴り合いの乱暴な格闘技なのは確かなのだけれど、向かい合った相手との数十cmの距離で行われる一瞬のパンチとディフェンスの攻防は、スリリングな瞬発の応酬でスリルと美を感じます。

さて問題は6月のガッティvsメイウエザーの決戦。
順当ならメイウエザーに勝ってもらい、ハリス戦はスキップして最強の殺し屋、チューと戦って欲しいですね。
コットとはその後でいいです。
コット自身には少し時間を取らせてあげたい。
でもメイウエザーが試合中に解説者と話すような余裕を見せていたら、
炎の男、ガッティに思い切りドツイテもらい、こうしたファンの期待を全部粉砕してくれても良いですね。
やっと今年のボクシング界もおもしろくなってきました。

ps
高柳さん、最近、発言がキレてます。
銃で撃たれたことがある選手に
「それでは撃たれ強いでしょう」

メイウエザーの速いパンチに
「4次元から飛んでくるよで、避けられないです」

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March 16, 2005

エコール・ド・パリ

パリ、モンマルトル、モンパルナス地区の裏通りには、
作曲家では、ストラビンスキー、サティ、詩人のコクトー、画家のピカソ、藤田、亡命中のレーニン、トロツキー、
なんとアインシュタインまでも住んでました。スゲ!

共同のアトリエ、ラ・リュッシュ(蜂の巣)という8角形の建物には、ブランクーシ、シャガール、モディリアーニが入居。日本でいうとトキワ壮みたいなもんか?
カフェ、〔ドーム〕、〔ロトンド〕に流れ着いた各国のボヘミアンの芸術家が、パリで出会い互いに霊感を刺激しあって花開いた芸術です・・・エディット・ピアフ、流しても良かですか? って感じ。

特徴は共通する芸術理論による流派(エコール)ではなく、パリに集い散っていった画家たちの総称なこと。

ユトリロ:「コタン小路」1911年、
パリの裏道を描いた、Mr.エコール・ド・パリ! 一欠の漆喰を愛した男。
アル中で画家にして恋愛に奔放な女性ヴァラドンの息子。見捨てられた息子ユトリロはアル中治療の為に絵を描き始めました。「白の時代」というパリのイメージを決定的にした絵画を創造する一方、自発的な芸術家ではなかったらしく、晩年は画商のいうがままに自分の作品のコピーを描き続けました。

モディリアーニ:「黄色いセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ」1918年。
長い首と瞳の欠けたブルーの眼窩。イタリア系です。悲しげなんですが、なんとなく色彩などに赤色系が多く、
イタリアの筆使いって感じです。彫刻家としても大きな仕事をしています。貧困の中に36年の生涯を終え、
その2日後に、この絵のモデルであったジャンヌは投身自殺。9ヶ月の身重でした。

シャガール:「ブドウ酒の杯をあげる二人の肖像」1917年。
愛の画家、ロシア人です。モデルになるのは、愛する妻、べラ。妖怪人間じゃないですよ。
シャガールのミューズ。宙を舞うカップルはいつも自分とべラです。
「私の芸術は燃え上がる水星であり、画布にほとばしる青い魂だ。自然主義、印象主義、立体主義くたばれ! 我々の狂気こそ迎えられるべきだ」byシャガール

結局、おスランスの芸術ざます、ってイメージです。
でもみんなカッコイイよね。
タイムマシンがあったら、観光してみたい時代と場所ですなぁ。
ユトリロに酒を奢り、モディリアーニから絵を買ってみる。
なんてな。

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March 15, 2005

「無限」に魅入られた天才数学者たち:5

エピソード篇
大学を卒業し結婚もしたカントールですが、地位は2流大学の研究者でした。
給料も安く、優秀な研究者はみんなベルリンに集まっており、研究環境という点でも不満足なものでした。

そんな不遇なカントールを苛めるのが、当時の数学会の大御所のクロネッカー。
カントールが送る画期的な論文の掲載を徹底して拒否し続け、カントールは精神的にも追い込まれていきます。
そんな苦境を救ったのがレフラー、デデキント、ワイエルシュトラスです。
なぜこのような構図になったかといえば、クロネッカーには「神は整数のみをお作りになった。他はすべて人の業である」という宗教的な心情があり、カントールの無限を追い求める姿勢には強い反発を感じていたのです。


数学篇
ワイエルシュトラスのアイデア:無理数は有理数列の極限として定義する。

これを説明するのが
:デデキントの切断:有名な言葉なので憶えてください。
例をあげます。
無理数√2を考える時、二乗が2より大きくなる極限の有理数と、
二乗が2より小さくなる極限の有理数で数直線を切断すれば、その切り口が無理数である√2になる。
まぁ、こんな感じで覚えてね。

カントールがここから考えたことは、
無理数の定義を有理数の極限として考えていくと、集合(P)の要素一つ一つから極限を導いた時、
はたしてその極限の極限に終わりはあるのか?ということです。
少し数学っぽく書くと、
集合(P)の集積点の集合からなる集合を(P´)とし、またそのまた集積点の集合を(P´´)としていったとき、
いつか導集合はゼロになるや?
です・・・だと思うぜ・・・俺の理解では・・違っていたら詳しい方分りやすく教えてね。

ペアノ数体系:集合論からなる算術体系のこと
自然数、0,1,2,3、・・を集合論で定義しました。
空集合Φを0、1を{Φ}、2を{Φ、{Φ}}、3を{Φ、{Φ}、{Φ、{Φ}}}・・
空集合を要素とする部分集合を重ねていくことで、自然数に公理的な下地を作りました。

このような普通の数は順番に続くので、;順序数;とされます。
それに対して、カントールが定義したのが、:超限数:(以前の超越数と間違えないでね)
有限の世界を超えて無限の世界を思考するときに必要となる、数の定義です。

これで8章まで終わりです。
それから、書いてあることは真に受けないように。文責は負いません。ゴメンナ。

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March 14, 2005

1937年、退廃芸術展と狂気について

1937年、ナチス・ドイツは各地の美術館から表現主義の作品を押収し、
退廃的な芸術として排斥するためドイツ各地を巡業させる「退廃芸術展」を催します。
展示された作品はクレー、カンディンスキー、モンドリアン、ムンク、ノルデなどそうそうたるメンバーの作品群で、図らずもそれは独裁的な権力による大展覧会になってしまいました。
同時にナチスはゲルマン人の魂と血を称揚するため、偉大なる「大ドイツ」展という展覧会も開催します。こちらの作品は、力強く立ち上がるドイツ民族の中心にヒットラーが指導するという今みるとちょっと気の毒な絵柄が中心。

知っての通りアドルフ・ヒットラー自身、画家を志し挫折した人間の一人であり、それ故に芸術に関しては、自分の美意識と相容れない作品群が評価されるのは許しがたい思いがあったのかもしれないし、
それでなくてもしっかりとした合理性の元に力強い全体主義国家を目指したナチスが、それを狂わすような絵画への不快感は理解できます。
まぁ、その合理性が行過ぎて、ユダヤ人に対しては最も経済合理的な収容所からガス室というコースも作ってしまい、こうなると合理性が究極の狂気に裏返る人の行為と思惑の皮肉を感じますけどね。


この展覧会で注目すべくは、クレーやカンディンスキーを貶めるべく、
似た作品として一緒に展示された精神障害者の絵画も、こちらの心に触れてくること。
そこには確かな力と魅惑があるのだ。

狂気は芸術の源なのだろうか?
しかしすべての芸術家が狂気に蝕まれるわけではないし、すべての精神病患者が芸術を生み出すわけでもない。
人の心、脳の内部の構造については最近、随分と分ってきている。
しかし芸術を創造する行為は、いまだに人智の計算を許さない領域にある。
マイクロ・チップやスペースシャトルの設計は出来ても、最後は手書きの五線譜に還元できる(自動車の設計図に比べればべらぼうに簡単な記号の羅列)はずのモーツアルトの感動をもった新曲を作りだすことが出来ないのは、人の心の神秘である。

狂気の底には何があるのだろうか?
何故、そこは時に神の領域につながっていると思わせる創造をもたらすのだろうか?

合理的な日常を失うかわりに見える風景、聞こえる音・・・

それを創造者として最初に垣間見る気分とは、どんなものなのだろう。

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March 13, 2005

ヴァイブレーター

壊れかけた女性が、深夜のコンビニでトラック・ドライバーにビビットくる。
匂いに惹かれるとこが、今だよね。俺もシャンプー変えようかな、なんてちょっと思う(笑。

そして始まる2人の旅の物語。
主演の2人に存在感があって、トラックからの視点で撮られる日本の幹線道路の風景が非常にリアル。
それでいて結構みせるのはカメラに力があるからだ。
私は良くクルマで走るので、なんだかみんなどこかで見たような景色なの。
そうそうこんな感じだよね。
夜の国道、町から町へと繋がる道で次への町が見える処。
日本ってどこでも同じなんだね、という繰り返される奇妙な夢のような閉塞感。
美しい国じゃないけれど、それほど酷い訳じゃなし、この程度の檻ならいても良いかなと、
思わせてしまうところが今の日本なんだよね。

そしてこの映画は一見以前と同じように見える日本が、その内部ではドラスティックに変化したことを感じさせます。
年功序列、終身雇用、低失業率、皆結婚社会・・・
所謂安定した普通の人のレールに乗った生活が、みんな否定されたり消え去ったりして、今残っているのは何?

Winner Take All. の市場主義。
そうでないと国際競争に勝ち抜けないからだって偉い人も言ってるし。
自分を磨き力をつけて競争社会を勝ち抜くのって理屈にあってる。

犯罪からみで壊れた男性がよく取り上げられるけれど、女性も壊れている人が結構増えていると思う。
そりゃ壊れるよな。厳しいもの。
普通の生活への鉄路が消え去ったから、これからは全部自分の力で歩いていくの。
これって結構シンドイよ。歩き通せない人が増えるんじゃないかと思うと気がかりです。

優しいトラック運転手にも過去があって、これからも決して希望に満ちているわけではなくて、とりあえず今日を凌いでいる。で、優しく出来る範囲で彼女を助けた。
フェラチオと引き換えに。彼女が持っていたのはそれだけだったから。この見方は意地悪過ぎる?

女性はラストで救われたのだと思うけど、
ロードムヴィーとしてちょっとないほど暗さと寂寥を印象つけられる。
これで終わり?
そう、これで終わりなんだよね。
彼女には何が残っているのだろう。気持ちの危機はいったんは逃れた。
でも希望はどこにあるの? 明るい明日なんてジョークなんだね。

今の日本では、映画という虚構の中でさえ、シンデレラの夢は、死んでれら。
ラストの風景は説得力があるけれど、やっぱりどこかおかしな気持ちになりますね。

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March 12, 2005

失恋の歴史2:寝ては夢、覚めてはうつつ篇

二度目というか本当の意味での初恋はこれかもなぁ。

中学に入学して好きになったのは、同じクラスで学級委員をしている子。
彼女もショートカットのワトサン・タイプ。
初代ワトサンほどのカリスマ性はないけど、抜群のコケットリー。可愛くて可愛くて、
セクシー・ワトサンと呼びましょう。

明るい性格で、陽気にはしゃいでノリが良い。
街中で会った時、女の友達とふざけて見せる、ミニのスカートから伸びる足には当てられましたよ。
ちなみに当時、俺は学級委員長。
(その頃は勉強が出来たのです。これ以降ミステリ小説やロックに凝って低下します)
良いコンビだろ。
絶対そう思うよな。
俺が司会で、彼女が書記。2人で進めるホームルームは幸せだったね
もう好きで好きで夢中でした。

寝ては夢、醒めてはうつつ、という言葉を実感しました。
山手線に乗るでしょ。
通り過ぎる駅の二つに一つくらいの割合で彼女を見るの。
もうマトリックスのエージェント・スミスじゃないんだから、有り得ないんだけど、みんな彼女に見えちゃう。

そんなある日、体育祭がありました。
終わった後でセクシー・ワトサンが寄って来て
「はるくくん、今日の放課後、教室でまってって」
な、モテル男はこういうもんなんだよ、って全然違うのでした。

ドキドキしながら俺が待っていると、セクシー・ワトサンが来て義理も人情もないことを言いました。

「はるく君、今日はるく君の処に遊びに来ていた友達紹介して」
なんてこったい!
不条理だろ! カフカの世界だ!
虫になった気分だったよ。
確かにその日俺の処に来ていた奴は、私立に行ったカッコ良い奴だったよ。
まーーーたく。
紹介したよ。
終わり。

次回はセクシー美少女の謎の微笑み。その理由は・・

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March 11, 2005

キャラバンサライ   サンタナ

ジャケットから素晴らしい。
真っ赤に膨れ上がった太陽と、青い光のなかを進むキャラバンサライ・・・
陽炎の中をジャコメッテイの彫像のようにやせ細り砂漠の熱気の中に溶けいりそうな駱駝と商人たち・・・
真っ赤な太陽と青い光の同居はマグリットの「光の帝国」ばりの不条理な幻想で、
すべては蜃気楼なのかもしれない・・・

鈴虫の泣き声から始まるこのアルバムは、闇に潜む動物の呻きを思わせるサックスに続き太いベース音、
弦楽器の調べが、夜のざわめきを醸し出す。

肌に粘りつく熱帯の夜。精神性と官能が同居する興奮。

甲高く咽ぶようにいななくカルロス・サンタナのギターは、
女性の達する性的絶頂の悲鳴のようにスリリングで限りなくエロティック。
それでも不可思議なまでの神聖がある。果てしなく艶のあるエレクトリック・ギターの音。
官能を通して宇宙と合致し歓喜の中に生を祝福しているような音楽。
子供のロックとはちょっと違う。

小刻みなパッセィージを刻むコンガのノリとキーボートの融合が気持ちを高ぶらせ、
ムードのある歌い手が甘く囁くと、カルロスは強く弱くリズム良く、甘美に妖しく誘惑する。
手練をそろえたパーカッションの連打が果てしなく続く。
波のように押し寄せてはかえすリズムの洪水は、閨房での巧みな腰使い。
振えること、脈動していること、リズムは生の証しなのだ。
夜は小さな理性を吹き飛ばす。

アラビアンナイトの世界を思いださせる音楽です。
砂糖をたっぷりと奢った紅茶。テントの褥は豪華な絨毯。外は砂嵐。互いの体を貪る幸福。
明日のことなど考えない。快楽の中へ全身を解き放つ。
蒼い夜の光の中に快楽の彼岸を垣間見るのは、そんな時かもしれないと感じさせる音楽。

日本人にはもっとも遠い感性かもしれないアラブ、アフリカの香りがするロック・ミュージック。
でもそれゆえにもっともエキゾチックに響く1枚。
 

「人類には違いがあるから素晴らしいのよ」
by(映画)名もなきアフリカの地で    

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March 10, 2005

「無限」に魅入られた天才数学者たち:4

この本で、これ以降出てくる数学者を映画の配役になぞらえると・・・
ゲオルグ・カントール:この本の主役。集合論を武器に人類史上初めて科学的に無限という概念に挑戦した人。
映画「羊たちの沈黙」でいうと、クラリスの役回り。

ワイエルシュトラス:大柄で鷹揚な人物、フェンシングの名手にして解析学の泰斗。カントールの味方。
同じく「羊たちの沈黙」ならクラリスを信頼してくれるFBIの上司

クロネッカー:代数学の大御所。カントールを苛める人。嫌なタイプ。
「羊たち・・」の続編「ハンニバル」では頭を食べられちゃう人みたな役どころ。裕福な実業家の御曹司。

1)数学の2つの流れ
代数学:方程式の解を求める学問。よってどうしても有理数など数えられる;離散的;な対象を研究する。
クロネッカーはこの専門家。悪口を言われますが、反面、大きな実績も残しました。

解析学:関数や距離、無理数など;連続的;なものを対象にする。連続体上で視覚的に考える。
微積分学などに必須の収束(lim→0)という概念はカントールの実無限の考えに近い。
こうして同じ数学の研究者でも思考的に対立しがちになる。

2)無限(限りないもの)にも階層がある。その階層で1番低い無限、小さな無限を、
加算無限:数え切れないけど、ともかく数えられること。1,2,3・・の自然数。
1/3などは少数にすると0.33333・・と無限に続きますが、ともかく1/3として捕まえられる。これが決め手! 
捕まえられる!ならばこの可算出来る無限の仲間になります。

実無限:数えることすら出来ない無限のこと。加算無限より高次の無限です。
それにもランクがあって、
多項式の根になっているもの。;代数的数;といいます。
X^2-2=0 この解(根)は√2。有理数を係数にする多項式の根として「捕まえられます」
カントールはこの集合は、有理数の集合と同じサイズと証明しました。

無理数で限りがなく続く上に、代数による多項式ですら捕まえられない数;超越数;というものもあります。
π、e(自然対数の低)など。
これが1段高い次元の無限とされます。
詳しいことはおいおい。

3)隣の数はない、という不思議。
2つの数、AとBがあったとき、A>Bだとしてもその中間、A-B/2をBに足してやると、新しい隣の数B´が出来てしまい、次にAからB´の中間を・・・とやっていくと無限に隣の数にはたどり着けないということ。

以上、この本の5,6章でした。

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March 09, 2005

表現主義の時代

1905年、パリのサロン・ドートンヌから始まった芸術運動は、
批評家ルイ・ヴォクセーヌに「野獣」フォービズムと名づけられます。
内面から湧き出る荒々しい衝動をキャンバスに叩きつけるような絵画です。
源流はゴッホ、ゴーギャンにいたります。
印象派はこれ以降のキュビズムにはセザンヌが大きな影響を与えており、
見事に20世紀美術の行く末を予言していたことになります。

今回の表現主義ではフォービズムのマティスから内的表現に長けたルオー、音楽的なクレー、
前衛絵画の発祥となるカンディンスキーのさわりだけ書きます。暗記にちょうどいい分くらいね。

アンリ・マティス:「赤い室内 青いテーブルの上の静物」1947年「ダンス」1910年
フォービズムといったらこの人。感覚至上主義者であり、激しい色彩を縦横に使い、
写実の呪縛から色彩表現を開放しました。
「私は自分の感動を表現することだけを考えている」byマティス

ルオー:「郊外のキリスト」1920年「聖顔」1933年
厚塗りのキリスト像を主体に描きました。弱い者、貧しい者への共感を優しく描き、内的表現を追及しました。
豪奢な法服を纏った偉い人より、キリストの愛を説得力豊かに表現します。


ドイツ表現主義
分離派が活発だったミュンヘンで1911年「青騎士」という団体が結成され、独特の表現主義を創造します。
中心人物はカンデンスキー。

パウル・クレー:「パルナッソス山へ」1932年「魚の魔術」1925年
無垢なるまなざしを持つキャンパス上の詩人。退廃芸術の烙印を押したナチスとの確執。
子供たちの描いた絵から多大な霊感を得て自らの芸術に生かしました。

カンディンスキー:「コンポジションⅧ」1923年「空の青」1940年
「円は正確で無限に変化し、安定していると同時に不安定であり、静的であると同時に喧騒であり、
無尽のエネルギーを抱合した緊張である」byカンディンスキー

この動きは表現主義から抽象絵画へとつながります。

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アイデンティティー

私は長い間、こういう設定で巧くまとめた話を観たかったのだ。
そんな積年の夢を現実にした傑作! 

豪雨の中で孤立した人間たちが、逃げ込むように寂れたモーテルへと集まってくる。
11人の人間がそろった時、彼らは部屋番号のついた鍵とともに一人、また一人と・・・

これはあのミステリー史上に燦然と輝く傑作、アガサ・クリスティの
「そして誰もいなくなった」へのオマージュであるとともに、それを超えんとした意欲的な作品なのだ。

アメリカの片田舎のモーテルに秘められた謎の深さに瞠目する。
この設定で話しを作ろうと思ったら、1歩、いやほんの1mmでもずれたら奈落の底に落ちる覚悟で作らなければならない。しかしジェームス・マンゴールドは見事に渡りきった。

俳優も女優も力量と魅力のある配役で充分に魅せる。
なんでこんな傑作が人知れず埋もれているのだろうなぁ。
世間の不条理を感じるよ。
どうでもいい作品でもスターが出てたり、時流に乗っているってだけで優遇されたりするのにな。

でも一つだけ思うことは、この作品を作ったスタッフ全員の満足感だ。
彼らは物語りを紡ごうとするあらゆる人間が、
1度は野心を抱く設定をやり遂げたという興奮と満足感の中で仕事をしたはずだ。
賞に無縁であり、大したヒットもしなかったのかもしれないが、
ミステリー、ホラーオタクの心には残ったぜ。それが何よりの勲章だと思っているかもしれない。

ああ、この作品のどこがスゴイか書きたい。
語りの巧さを書きたいけど、少しでも書くとそれがネタばれになるのが怖い。
それくらいギリギリの処を突っ走った作品です。
薀蓄を語りたい。
特に・・・について。
でも書かない。
一人の映画ファンとして、この記事を読んでしまった同じ映画好きの人の興を削ぐのが怖いから。

書かないことが、この作品への最大の敬意だと思ってください。

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March 07, 2005

リーグ・オブ・レジェンド/時空を越えた戦い

時空を超えてやってくる悪に立ち向かう、オールスター軍団は、
ドリアン・グレイ、女性吸血鬼、トム・ソーヤ、ジギル&ハイド、透明人間、ノーチラス号のネモ船長、
そして大英帝国の危機! といえばこの人しかいない!

ミスターーーー、ショーーーン、コネッリーーー!!!
の総出演でおくるCGも使いまくりのアドベンチャー映画。
S・コネリーのギャラも含めて金掛かってんだろうなぁ。
敵も最後に正体を明かされると、おおっ、この人だったのかーーー!
というブランド名も出てきたりして、とりあえず設定は凝っています。

全編クライマックス映画のパターンだけど、監督のS・ノリントンにはマジックがないですね。
描かれるヴェニスの街並みも、暗い映像でティム・バートン的だけど魅力に欠けるのだ。
こういう映像を見せられると、逆にティム・バートンってスゴイんだなと・・
違う監督を感心させてもしょうがないよな。

それで一つ一つの戦いのエピソードに意外性とかアイデアがないんです。
ただ真っ正面から順番に描いているだけ。
例えば昨日「ラッシュアワー2」をやっていましたよね。
あの中でJ・チェンが口に爆弾を詰め込まれてアクションをする場面があります。
J・チェンだから絶対に爆発することはないのだけれど、観客はハラハラする。
そういう工夫がありません。
また登場人物が多すぎて、各自の魅力を伝えられるほど描き込めす、結果みんな上滑りしている気がしました。
透明人間はただ透明になってみせるだけ、
女性吸血鬼も出生の秘密をちょっと漏らしておしまい。後は蝙蝠になって戦うだけです。
短いエピソードで魅力を伝えなければならない群像劇って、手腕がいるのです。
「ラッシュアワー2」のC・タッカーがカジノで27年の刑に服したマンデラ云々なんてマシンガントークすると盛り上がるようなキャラ立ちは望むべくもありません。

唯一アイデアを感じたのが、ノーチラス号。
ぐっとオリエンタルなスタイルになっていて、「海の大剣」って感じでカッコ良いです。

とりあえず最後までは見られますけどね。
ラストも、はいはい、って感じです。

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March 06, 2005

ふくろう

冒頭からの演出がスゴク野暮ったくて、新藤監督もお年だからなぁ、と諦め気味。

それを徐々に盛り返していくのが、大竹しのぶ。
女という性が時に発揮する(男からみると)理不尽なほどに強靭で、
強かな生命力を演じされると、この人に敵う女優はいない。
特にこれは1セット(あばら屋の一部屋だけで進行する)映画なので、
出演者の演技力が全て。逆にいうと力のある役者なら存分に力を見せられる構成なわけだ。

そんな大竹の怪演に引っ張られるように映画は生命力を増してくる。
最初は意味不明だったフクロウ(とても可愛らしいです。でも肉食夜行性で怖い鳥なんですってね)の挿入映像も、なるほどね、と分かってくる頃にはすっかり新藤、大竹のペースです。

甘言と酒、セックスの前で脆くも餌食になっていく男達。
他人事には思えないよね。まぁ、あの状況なら俺も引っかかる。
終わった後は咽も渇いているだろうし、「特別サービス」という響きもいいね。

ここでも大竹がまた魔性を発揮するのだけど、
プライベートでの実績が脳裏にあるから説得力は抜群。
人生の遍歴が芸の肥やしと勲章になっている。
最近、俳優でこういう人っていたっけか?
幾多の有名女性と浮き名を流し、ある意味踏み台にして子供を作っている俳優ってさ。
思い当たらないんだけど・・
今は本当に女性の時代なんですねぇ。

無責任な国策へ怒りをぶつける主張なんかは、ありきたりなんだけど、大竹がやると「参りました」、といいたくなる。

娘役の伊東歩も可愛らしい。
この人も最初はなんだコレって、感じなんだけど、大竹マジックが波及してくるのでしょか?
もちろん実力も魅力もあるのでしょうね。中盤過ぎから俄然光りだします。


最近は妙に引き篭もっていたり、生きる力を失っていることを訴える作品が多い中で、
道徳もへったくれもあるか!
何がなんでも生き抜くのじゃ!
と叫ぶこの映画は、気持ちが良かったです。

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March 05, 2005

阿刀田高とアマゾン.co.jp

疲れている時はもちろん、元気な時でも本当は小味の利いた短編小説が1番楽しみだ。
良質な短編小説は、寝しなの友に、休日の前夜に、暇な午後に
いつでもどこでも気軽に付き合える友人という感じである。

大長編小説はノレる時は最高だけど、その世界に入り込むまでのハードルが気に掛かる。
文学という範疇の小説には深い味わいを感じるけれど、正直疲れている時はシンドイ。
その点、気軽な短編集は気に入ったところから読んでいけるし楽しめる。

でも短編集ならなんでも良いという訳ではない。
センスがあって、スリルがあって、少しエロティックでもある、そんな小説なら最高だ。
そういうと1番に名前が挙がるのが阿刀田高。
文章にセンスがあり、押し付けがましくないのだけれど、
不意に奥深い井戸を覗かせるようなところもあって油断がならない。
またこの油断のならなさが楽しみにもなる。
ずっと安心出来る小説なんてつまらないでしょう。

ただ阿刀田高には一つ問題があった。
量産する作家であり、その中でも沢山読んでいるとたまに二重に買ってしまう。
短編集なので読んでいる時はおもしろくても、
読み終わって長い時間がたつと、読んだ本の題名を忘れている時がある。(短編集だから特にね)

これは読んだっけ?
何度か二重買いしてからはことさら慎重になった。
それでも選びに選んで買っているうちにトランプの神経衰弱の逆で、
次第に読み終えた本が増え未読の本が少なくなり選ぶのが難しくなっていく。
結果あまり買わなくなってしまった。
本当は買った本をメモしておけば良いのだけれど、それほど絶対に読みたい本を書く作家ではない。
あれば嬉しいが、この1冊!とうものもない。

食事でいえば家庭料理? どこぞの大層なレストランではないからいつ何を食べたということは忘れるし、
名物だからと遠路はるばる食べに行く料理でもない。
でも1番気楽に楽しめる食事でもある。

そんな時アマゾンが便利なのに気づいた。
本棚の横のPCから買えるから、確認しながら買えば、これ以上確実なことはない。

という訳で、なんか探してみるか。
カミュ(ペスト挫折中)と「無限」に・・・で疲れているんのだよ。

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March 04, 2005

我が失恋の歴史:エピソード1 プレ失恋

未だ憧憬に過ぎなった淡い思い出を、恋と呼んでもよいものだろうか?

なんてな(笑・・・いいだろ金曜の夜に春の名残雪を見てオセンチになってんだよ。
汚染地じゃないぞ。間違えないように!

まぁ小学校時代好きだった女の子について書いてみるよ。

彼女は背が高く黒目がちの瞳が大きなスポーツも万能、成績も抜群という女の子でした。
もうただ席に座っているだけで、彼女の周りだけ凛とした雰囲気が漂っているのですね。
俺は憧れたね。
憧れるという意味を始めて知ったよ。
顔はね。手塚治虫の漫画に出てくる「リボンの騎士」とかワトサンに似ている。
ボーイシュで利発な子。
以後、彼女をワトサンと呼びます。
ワトサンは勉強が出来るだけではなくて、本も読んでいて読書感想文なんかも素敵だった。
体育も出来る。高い飛び箱なんかも、長い手足を伸ばして飛んでしまうのさ。

ある日、クラスのみんなが俺とワトサンを見て面白がっていた。
俺は戸惑ったね。彼女とは緊張して口もきけない仲だったし、友達じゃなかった。
で、その理由は同じ柄のセーターを着ていたこと。
俺も驚いたけど、彼女もショックを受けていたのが伝わってきた。
(それがまたショックだったけど。よっぽど嫌だったんだろうね)

謎解きは、彼女の母親と俺のオフクロが友達で、一緒に買い物にいって買ったらしい。
俺はそれから何度もそのセーターを着ていったけど、彼女は金輪際、着てこなかったね。

それから俺の友達の河馬みたいな奴が、嬉しそうにしてることがあったんだ。
どうしたのかと思ったらワトサンと読書交換日記してんだとさ。
まってくれよ。
なんでアイツなんだよ。
俺は河馬以下かよ。本だけなら俺の方が読んでるだろ。

そしてトドメのエピソード。
偶然、俺は向かいから歩いてくる彼女と、道で会った時がある。
俺が気がついた瞬間、彼女も気がついた。
そしたらね。もうマイケル・ジョーダンも吃驚みたいな動きなの。
人間って真っ直ぐ歩いていても、急にあんな直角に曲がれるのな。
歩きながら90度曲がって横道にそれたの。何もない横道にだぜ。
あの当時NBAがあったら、彼女は日本人初の史上初の女性プレイヤーになれたね。
あの動きをされたら、どんなディフェンダーも防げない。

でもこれを書いていたら一ついい思い出を思いだしました。
卒業式の予行練習で、何かが可笑しかったんだよな。
俺は笑ってしまって止まらない。
当時は教師の権威が絶大な頃だからね。笑っていたら怒られます。
でも可笑しいんだよ。笑ってはいけないと思うとなお可笑しい。
そしたらワトサンも気がついたらしく同じように笑っている。
それで止まらないの。
そうすると相乗効果でね。俺が笑うのを堪えると彼女が笑う。
それに釣られて今度は俺が痙攣気味に笑いだすと、止まっていた彼女が笑いだす。
しばらく二人で笑い痙攣してました。
それだけなんだけどね。
お仕舞い。

こうして俺のユダヤ人並みの長い苦難の歴史は始まるのだ。
これは性的なものがなかった頃の憧れなので、所謂、失恋前史な。
次回から欲情を伴った失恋の話を書いていきます。

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March 03, 2005

「無限」に魅入られた天才数学者たち:3

実無限と可算無限の始まり。
ガリレオ:ルネサンス期の数学者、振り子の等時性を発見し、
異端審問で「それでも地球は動いている」と発言した人。

彼は始めて可算無限の発見をします。
その前に数えるとは何かと定義します。
○の数を数える時、○を1,○○を2,○○○=3と数える時、
私達は○の数と数字に1対1の対応をつけてます。これを数えると定義します。

さてガリレオの発見は、「二乗数は整数と同じ数だけある」ということです。
具体的に説明します。
まず二つの集合を作ります。一つを(整数)の集合、もう一つを(整数の2乗数)の集合とします。
集合として比べれば(2乗数の集合)は、(整数の集合)の真部分集合(完全に内部に含まれる集合)です。

(整数の集合)から、その要素の一つである1という数字を取り出します。
1を2乗してもう一つの集合である(2乗数の集合)の要素、1に、集合論でいう1体1対応をします。
1には1、以下、2には、その二乗で4、3なら→9、4→16、5→25・・・
数に限りはないので、なんと二つの集合、整数という集合と、その二乗数という集合の対応は、
どこまでも続き、要素は同じになるのです。

「要素無限の集合は、それ自身より小さい(真部分集合)と同等になる」
奇妙ですが、決定的な概念がここに知られることになりました。
でもこれはまだ、数える数は離散的(整数だから飛び離れている)で
数えられる集合、可算無限の集合でした。


ボルツァーノ:「無限の逆説」1848年出版。
ボルツァーノは神と時間について考え、永遠とはどちらの方向(未来と過去)にも無限のかなたにまで伸びた時間にほかならない、と考え、これが数えることの出来ない実無限へ扉を開きます。

基本の考えは:
:数の閉区間はどんな数の他の閉区間とも同じ数を含む:

何を言っているのか分からないと思うので、例を挙げます。
:0と1までの間にある全ての数は、0と100兆までの全ての数と等しい:
繰り返しますが、数える上で等しいとは、1対1の対応が出来る、ということです。

0と1は、0と100兆までの100兆分の1の範囲しかありませんが、
もし0と1までの集合の数を、小数点以下0.00000000000001(100兆分の1に区切れば)
0から100兆までの自然数には、1対1の対応が出来ます。
0-100兆の間を0.1単位に区切れば、今度は0-1の範囲を1000兆分の1に区切り直せば良い。
無限に小数点以下を区切れる訳ですから、
0から1には無限の数が存在し、0から100兆の間の数に永遠に対応出来、結果、数は等しい、となります。
そしてこれはどこまで細かく区切っても間に数が詰まっている、
のっぺりとした「連続体」実無限の世界へとつながります。

ユークリッド空間内でボルツァーノ=ワイエルシュトラスの定理
:有限閉集合内の無限点列は、少なくともひとつの集積点を内部にもつ:
これが誕生したわけです。

ps
集積点とは、その点のどんな近くにもその点以外の点列が存在する点、のことです。

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March 02, 2005

ドビッシー 映像第1,2集  子供の領分

ピアノ アルトゥーロ・ベネディティ・ミケランジェリ

その音を聞いたとき思い浮かべたのは、深遠な森の中にいまや人知れず聳える水晶の巨城。
その城は透明で輝かしいが、一切の色彩はない。
光だけが満ちている。
表面の輝きがすべてを支配している。
光の棲家。輝きの根源。
起源は恐らく人智を超える久遠なる太古。

城は、静けさの中に沈黙している。
実は一切の音を許さない。
静寂が張り詰めている。
ただ輝きが音もなく風のように吹き抜ける。
輝きが花びらのように降り続け、降り積もる。


人の思い、情熱、愛、哀しみ、などは鋭利な光の中に解けて消失している。
完璧な構造体は、稜柱が入り組み、鋭縁が煌めく床は、人の侵入を拒む。
入り込めば時の凍りついた迷宮が待っている。
時間すら戸惑い、影となって揺らめく。
その城は人のためでなく、56億年後に帰ってくる何者かの居城のよう。
水晶の構造体は、無窮の存在として、時の侵食をせせら笑う。

ミケランジェリの弾くドッビシーは特別だし、ドビッシーはミケランジェリが弾くときのみまったく未知の扉を開く。
永劫の輝きが存在する彼方へと聞く人を導く。

恐らく二人は、神が結びつけた輝きと永劫の代理人。

なんてな(笑・・・聞いてると、そんな感じがするんだよ。悪かったな。
おわり。

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March 01, 2005

コンフィデンス

マフィア相手の詐欺ゲーム。果てしてその成り行きは・・・

こういう映画の場合まず大切なのは、引っ掛けるマフィアの恐ろしさを充分観客に感じさせること。
うゎ。こんなヤバイ連中相手にやるの? 怖すぎる! 失敗したらどうなるの?
と思わせたら成功です。観客は手に汗握ります。
でもこの映画のマフィアのボスは、ダスティン・ホフマンなの。
不精ヒゲはやして、エスプレッソがぶ飲みしても怖くないの。


そして最大の見せ所は詐欺のアイデア、詐欺をする主人公の力量です。
秀逸なアイデアなら、観客も唸りますし、主人公の力量を見せ付けるには、
プレゼンテーション・エピソードが大切になります。
プレゼンテーション・エピソードっていうのは、映画のクライマックスの前に主人公の力をチラッと見せる挿話ですね。
例えばダーティ・ハリーなら、映画の冒頭で立て篭もる凶悪犯の元に乗り込み1発で仕留めて平然と現場から去っていく、なんてのがそれにあたります。
観客はそれを見て、カッコいいぜ、ハリー、これだけ強ければどんな敵でも大丈夫! 
と思うところで本当の敵がハリーを苦戦させるから盛り上がるのですね。

でもこの映画、そんなエピソードが某宝石店であるのだけれど、まぁあれでは引っかからないでしょう・・・という出来。よくあそこで騙されているな。あの人は騙される天才だなって、観客が思ったら映画は盛り下がるよね。

ラストのトリックもあの2大俳優が競演した大傑作のパクリでしょう、とすぐ予想がついてしまう。

出来の悪い脚本のおかげで、主演のエドワード・バーンズもなんだか馬鹿に見えてしまうのは気の毒。
あれではConfidenceがあるようにも見えないし、こんな連中と組んでconfidenceを持つことも出来そうもない。
レイチェル・ワイズのバストだけをみるなら他の映画をオススメします。

この映画、気に入っていた人にはゴメンなさい。
でも俺にはつまらなかったのだった。

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