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February 2005

February 28, 2005

閉ざされた森

極めて極めてトリッキーな展開を持つ映画です。
お話は、豪雨と強風の吹き荒れるジャングルで、アメリカ特殊部隊が実弾訓練。
帰還したのは負傷者1名を含む2人だけ。後は行方不明、死者もでたもよう・・・
さらに食う違う証言と、しだいに露わになる背後の陰謀・・・

「羅生門」パターンですね。でも「ダイ・ハード」のマクティアン監督だから、アクションには期待できても、
「羅生門」のような神話的な寓意はありません。
証言されたうちの真実は何か? これをめぐってストーリーは展開します。

そしてこの映画の特徴は、ストーリーのどんでん返しが命!
もうクルクル良くどんでん返る。
その技は極めて見事です。体操やフィギュア・スケートなら技術点は10点ですね。
でも金メダルには1歩届かないかもしれません。
なぜか?
ちょっと芸術点に難があります。

話を小説にそらしますが、横山秀夫の「動機」という短編と比べてみましょう。
「動機」のひねりは、ラストの1回です。技術点がどんでん返しの数で決まるのなら評価は低いかもしれません。
でもそのラスト1回のひっくり返しで、今までほとんど目立たなかったある登場人物の一途な心情、深い思いが読む者の心に広がるのです。
まったく書かれなかった物語が、読者の脳裏に浮かび上がり大きな余韻となって響きます。
後々まで、その登場人物が、長く長く秘めていた願いが読者を感動させるのです。
どんでん返しの究極はこのパターンなんですね。
どんでん返ることによって、描かれてない物語を観る物に与える。
この映画はそこが少し甘い・・・かな。

批判めいたことを書いてしまいましたが、ではこの映画は詰まらなかったかと言えば、充分堪能できました。
面白かったです。1度はワクワクしながら見られることを保障します。
だいたい技術点だけでも10点は取れませんよ。
証言ごとに何度も映像化される戦闘シーンは迫力があり、
SLジャクソンもトラポルタもギャラだけの存在感を見せます。


ただヒロインはちょっと魅力に欠けたかなぁ・・個人的な好みですけどね。
優れた音楽がついて、ヒロインが何となくジュリー・アンドリュースに似てなければ、
もっと芸術点も上がっていたかも・・まぁ、観るほうは勝手なことを言うものです。
おわり。

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February 27, 2005

世紀末芸術、ウィーン分離派と象徴主義

1900年を挟んだ、第一次大戦までをフランスでは「ベル・エポック」と呼びます。
世紀末的な不安と戦乱の予感を忘れるように享楽的な文化が花開き、
「アールヌーヴォー」「ユーエゲントシュティル」などの文化がヨーロッパを席捲します。

ウィーン分離派:ヨーロッパ北方、ウィーンを中心に盛んになった芸術運動です。

グスタフ・クリムト:「接吻」パリにも負けないぞ!っと分離派を創立。
金色を多用して性と死をテーマにした絵画を制作しました。

エゴン・シーレ:「死と乙女」暗い自らの人生を予感していたような画風。
クリムトの弟子です。28才で急逝。短くも鮮烈な天才画家。映画にでもしたいね。

どことなくヴィスコンティ的な、あるいはノイシュバイシュタイン城的な退廃と美意識を感じて、文化的な繋がりがあるのだなぁと思います。


象徴主義:サンボリズム←この言葉は絶対に覚えて下さい。試験に出ます!
1880年代、フランスの反写実主義として起こりました。アカデミズム、印象派の対抗勢力で、
広範囲にはラファエロ前派からを含みます。画風は神秘的、装飾的、幻想的です。

ギュスターブ・モロー:「出現」サロメで有名です。ルオーなどを指導しました。
絵はスゴイけど、実際には教師として優しく世話すきな人でした。

ルドン:「起源、おそらく花の中に最初の視覚が試みられた」「キュクロプス」
黒一色の不気味な絵を描いていましたが、結婚してから色彩を使い出して急に明るくなりました。
幸せな結婚だったんでしょうね。結婚してから明るかった絵が急に暗くなったら嫌ですものね。

ムンク:「叫び
極めて有名な絵ですが、これは画面中心の人物が叫んでいるのでなく、自然の叫びを聞いてその音に耳をふさいでいる絵です。実際に精神を病んでしました。
しかしその頃の絵は素晴らしく、逆に回復してからの絵には生命力が枯渇しています。

ホイッスラー:「灰色と黒のアレンジメント、画家の母親の肖像」
アメリカ人ですが、ロンドンに学び、パリを活動の拠点にしました。アメリカはまだまだ後進国。
題名に注目して下さい。前半の(灰色と黒のアレンジメント)には印象主義な音楽からの影響があります。
後半の(画家の母親の肖像)という題名は見たままですが、
実際の画面には瞑想的雰囲気があり、決して主題が母親の肖像であったとは思えません。
一見母親の肖像画を描いているようで、その背後にある実存へ迫るような雰囲気を感じます。
個人的には後の形而上学派へ影響したのではないか、と思っています。

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February 26, 2005

「無限」に魅入られた天才数学者たち:2

ユダヤ人の離散時代の霊的指導者に、ラビ・アキバがいます。
メルカバー(エゼキエルが幻視した神の御車、これを幻視することはユダヤ神秘主義の大きな潮流)にかんする手引書を多数書き残しましたが、その目的は神の神殿を幻視することでした。

ラビ・アキバは、無限の輝きをもつ神の衣を幻視する瞑想を3人の仲間と行いました。
1人は神の衣の輝きを見つめ肉体の衣を脱ぎ捨て、死にました。
もう一人はそこに2人の神を見て背教者になりました。
もう一人は幻視の中に狂気に陥り無事帰りついたのはラビ・アキバ一人でした。

このような過程をへて神秘主義は発達し、
11世紀、ガビロールがユダヤ神秘主義と瞑想体系にカバラを名づけました。
カバラとは:受け取られたもの:伝統という意味で、秘密の教えであり、
霊的な知恵を学ぶ為に秘密結社が作られます。

ヘブライ語アルファベットの各文字に数値を当て嵌める、ゲマトリア(数秘術)の研究も始まり、
“テトラグラマトン(神聖4文字)=YHVH(ヤハウエ)”の瞑想が始まります。

1280年カバラ神秘哲学の精髄である「ゾーハル:光輝の書」が発刊。
ゾーハルとは神の無限の光を意味し、古代アラム語で記されます。(イエスが実際に使ったとされる言葉、最近メル・ギブソンの映画「パッション」で使われました)

それから盲人のラビ・イツハクがあまりにも大いなる存在を「エン・ソフ」と呼び始めます。
「エン・ソフ」とは無限なるもの、という意味です。
無限の光を見つめる為には、盲目の男が必要だったのです。

カバラの秘密の園ですが、その園への旅は、帰ることの困難な危険な旅です。
第1段階は、トーラーの外側を意味するPeshat,第2段階は教訓的意味のRemez,第3段階は隠喩的なDerash、
第4段階は深奥の意味であるSod、その頭文字をつなぐとPRDS(パルデス)庭園となります。
4つの段階をへて奥義へといたるカバラ。
この辺を押さえておくと映画や小説を読み解く鍵になることがあるかもしれません。

ヘブライ語のエン・ソフは、アルファベットの最初の文字であるアレフです。
アレフは無限を表わし、神を意味することになりました。

無限の神は、記述することも理解することも出来ない。
これが結論となりました。

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February 25, 2005

名もなきアフリカの地で

人種の違い、生まれ育った環境の違い、性の違い、背景となる文化の違い、年齢の違い、立場の違い・・・
そんな属性のすべてを乗り越えて、人と人が理解しあい、信頼しあい、愛で結ばれる姿の普遍的な素晴らしさを描きアカデミー外国映画賞を受賞した作品です。

ストーリー自体は、ナチスの迫害を逃れてまさに「名もなきアフリカの地」で苦闘する夫婦と
一人の少女の数年間のドラマ・・・ありふれた話です。
ただ背景として描写されるアフリカの大自然の映像が美しく、エキストラの原住民の笑顔が魅惑的で、
そこから監督とカメラマンの力量を感じます。

そしてなんといっても、1人の主演俳優と幼い女優の魅力。

主演の少女レギーナを、子供の頃をレア・クルカが10代になってからをカロリーネ・エケルツが演じていますが、
特に幼きレア・クルカにはただただ見とれる魅力があふれています。
何故そうなったかといえば、「犬も友達も怖がっていた」という設定の少女が、急速にアフリカに慣れ、
現地ムクタニ村のポコット族、ンジェム族とも本当に仲良くなったという、
演技を超えた交流があったからではないでしょうか。恥じらいと好奇心、悪戯ぽい笑顔・・・小鹿に惹かれて1歩を踏み出すあの瞬間の可愛らしさ。屋根に登って「ここは世界で1番きれい」・・・
おそらく彼女はアフリカの自然に本当に親しみ、同年齢のアフリカの子供たちと、心の底から遊ぶことを楽しんだ。
見る者にはそれが自然に伝わったのです。

もう一人、本当の主役は、現地で雇われる料理人のオウア役のシデーデ・オンユーロ。
信じられないくらい長い手足のスラリとした身体は、アフリカという大地の生んだ精霊のようで、
画面に映し出される瞳の光の奥深さ、一つ一つのセリフを発するときの繊細さ、微妙な表情の多彩な表現力は、
すでに演技を超越しており特筆するものがあったと思います。この人はまたぜひ他の映画でも見てみたいですね。

ラスト、「小さなメンサブ」と言って終始、愛を注いでくれたオウアは「太陽を待っているのです」と別れを告げ、
生きる上での諦念を自然なものとする精神の崇高さを見せます。

あの去り行く背中の美しさは、耐える心を失い、我慢を不要とし、すべての欲望を善とする現代の文明人が失った、おそらく最も尊いもの。
本来は生きとし生けるものが本来持っている、最も深い尊厳なのだと感じました。

PS
バナナのエピソードも良かったけどね。
私は黒人の音楽と身体能力に魅せられている一人なので、
何気なく挿入されるアフリカの夜の儀式で歌われる音楽にも酔ってしまい点が甘くなったかもしれません。

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February 24, 2005

冬の終わりの覚え書、年齢とともに失うもの

この冬、みぞれ交じりの雨の降る日に、クルマの中から驚くべきモノを見た。

道沿いに自転車に乗った女子高生が、片手で傘を差し、捲れがちになるスカートを気にしながらも走っているのだ。
制服から、その学校が5-6キロ離れたところにある高校なのがわかった。

俺は思わず見とれ(別に女子高校生のスカートの行方が気になったわけではなく、この天候で自転車に乗っているということに驚いたのです)(でも少しスカートの捲れにも興味がありました)あっけにとられた。
俺はクルマの中でもコートを着たまま寒がっていたのに。(まだヒーターが効いてなかったんです)
外はかなりの寒さである。しかもみぞれと雨。よく乗っていられるものである。
場所から推し量るに、彼女たちはすでに20分は自転車に乗っている。
まだまだ街の中心部までには20-30分はかかる。今の俺にはとても出来ない相談である。


かつてテニスやボクシングのジムに通っていたことがある。
実はスポーツ・チャンバラなんてのもやっていた。どうもドツキアイ系統のスポーツが好きなのである。
今、運動は家でウエイトとエアロバイクだけである。
仕事の後に、テニスなどに行かなくなったのは、体がキツクなったから。
仕事が終わるとすぐにコートやジムに駆けつけても8時近くにはなる。
当然夕食はとってない。20代から、30代の前半までは空腹のまま運動が楽しめた。
40代に近くなってきた頃、どうもそれがおっくうになってきたのだ。
夕食を食べるとエネルギーも回復するのだが、そうなると10時近くになる。
これではジムもコートも終わる時間だ。休日なら行けるのでしばらく通っていたのだが、
ちょうどその頃、休みがたびたび潰れるようになり、結局自宅で出来る運動だけになった。

今ウエイト・トレーニングはベンチで50キロを10回上げる。それから5キロ刻みに70キロまで10回ずつ5セットやる。一番出来たころは75キロ×10のセットまでだったから、筋力そのものはそれほど落ちていない。
エアロバイクも40分で270kcalのペースはあまり変わらない。
ストレッチも同じくらい出来る。

でもあの天候であの服装(女子高生のブレザー姿で)で自転車40分は確実に風邪を引く。凍えてしまう。
かつては楽しかった仕事の後の運動も、もう楽しめない。
筋力、心肺機能を数値でだせばそれほど落ちていなくても、体の適応能力は確実に落ちているのだ。

今、娘がスゴイ薄着で出かけていく。よく寒くないな、と思ってしまう。
昔、親や祖父母からもっと厚着をしろ、としつこく言われて不思議だったことを思いだす。

年をとるって、こういうことだったんだな、と思う。

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February 23, 2005

2000年前のロック・スター、踊るサテュロス:The Dancing Satyr

古代ギリシャ芸術の傑作、「踊るサテュロス像」がシチリアの海から引き上げられ、
2000年にわたる眠りから覚め、めでたく来日。

サテュロスは酒と熱狂の神、ディオニュソスの従者。
顔が「百億の昼と千億の夜」(光瀬龍原作:世界に誇る日本SF小説の傑作)で
萩尾望都が描いた阿修羅王にそっくりなのに驚く。ヘレニズムの面影を宿す典型的な美少年。

片足を跳ね上げ、失った両手を広げて踊るサテュロスは、長い巻き毛をなびかせ僅かに開いた口唇と、
熱狂の中に永遠を見つめるような虚ろな瞳が見る者の心に残る。
発達した背筋と引き締まった腹筋、それとは対照的に胸筋にはいまだ十分な厚みがなく、
男根が完全な包茎で長さも亀頭も未発達。少年であり、またバージンであることを強調しているのは、何か意味があるのかな?

手には酒杯(カンタロス)と霊杖(テュルソス)を持ち、豹の毛皮を下げているはずなのだけど見つかっていない。
その失った腕と片足がイマジネーションをかきたてる。
現代なら酒杯と霊杖でなく、スタンド・マイクとエレクトリック・ギターがイイ。
この躍動感とオーラのあるこのルックスなら、みんなを踊らせるスターになれる。


上野での来日公演は3月13日まで。
それ以降は愛知に行ってしまうから、万博に行けない人は急ぎましょう。

ミュージアムショップでは、ミニチュアのサテュロスがついているカードスタンドがオススメです。
シチリア製でよく出来ている。
後のミニチュア物は、買う前に顔を良く見てからのほうがイイよ。
変なのもあるのだ。
Tシャツも買ってしまった。
本当にロック・コンサートに行った後みたいな買い物だな。
サインが絶対にもらえないのと、ライヴ版のCDの発売予定がないのが残念だ。
古代のギリシャで、サテュロスが踊っていた音楽を聞いてみたい。

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February 22, 2005

アラジン・セイン デビッド・ボウイ

昔々あるところに15才の小僧がいました。
小僧は、ロックが好きで好きで仕方がなかったのですが、
お小遣いが少なかったのであまりアルバムが買えませんでした。

ある時小僧は修学旅行で京都に行くことになりました。
お土産代は2千円・・・小僧は観光客向けの土産物屋を無視して、とっとと近くのレコード屋に入ると欲しくてたまらなかった、デビット・ボウイの新作「アラジン・セイン」を買いました。

家に帰ると親に「京都のお土産は何を買ってきたんだい?」と問われたので、
小僧が嬉しそうにジャケットを見せると、
親は顔に赤い稲妻の化粧をした気味の悪い男が写ったLPを見てとても怒りました。
「京都では京都らしいものを買え!」

でもそれから30年。いまだにアラジン・セインは男の大事な愛聴盤です。
おそらくどんなみやげ物を買っても、これほど心が満たされる買い物にはならなかったでしょう。

教訓:先入観にとらわれず、自分の好きなものにはこだわれ。

このアルバムには叫びが詰まっています。甲高い断末魔を予感させる叫びです。
鮮血の匂いも漂ってきます。でも安手のスプラッタームヴィーではありません。
映画監督でいえば洗練を見せつけつつ大衆性のノリも忘れないソダーバーグがホラーをとったらこんなって感じ?
血なまぐさいのですが、極度に洗練された感覚で作られているので、感触がエドガー・アラン・ポーの小説のようでもあります。

1曲目のWatch That Manのイントロからカッコいいです。
リズムは古典的なロックンロールなんだけど、30年たった今でもクールで新鮮です。

Aladdin Saneは狂ったようなピアノとサックスをバックに、
ボウイは淡々と枯れた花束、死の薔薇だ、なんて歌います。

Panic In Detroit、ベースの不穏な響きから始まり、続いてパーカッションが煽るように打ち鳴らされると、まるで惨劇現場の目撃者になった気分。禍々しい雰囲気が横溢してます。

Cracked Actorはボウイ版「サンセット大通り」

Timeはアルチュール・ランボーを現代に蘇らせて歌わせているようです。

Jean Genieはすべてを忘れて聞き入りノリましょう。もう出来ることはそれだけです。グラムロックの到達点。

Lady Grinning Soul、コロンをまとい、カナスタであなたを打ち負かすレディが来ます。
服の散乱した部屋を恐れずには入れば、待っているのは究極のエロス,薄皮一枚下にはタナトス、彼女は死の天使かもしれません。でも究極のエロスを与えてくれるのは彼女だけ・・・

そんなアルバムです。

私の名曲100選、3番目でした。

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February 21, 2005

ジョゼと虎と魚たち

平凡なお気楽大学生が、足萎え(こんな表現が似合うんです)の少女(池脇千鶴)と出会い、恋をして・・・

人の優しさとその限界と、強さと弱さと寂しさと、人を愛しく思う気持ちが、良く出ていて心に染みる映画です。

ジョゼは近づく人間に包丁を振り回す。トカレフを欲しがる、でも老婆と二人、足が不自由で貧しくて周りから変人扱いされていて、弱いものイジメが好きな下賎なヤツはいつもいて、それでも誇りを守るとしたら、他にどうする。

ジョゼはやたらに威張ってわがままだけど、いつか、そう遠くない日に愛する男に捨てられるのがわかっていたら、
そしてそうならないとかえって二人は現実の重さにつぶされて大好きな人を不幸にするから、
それがわかっているから、その辛い思い出を乗り越えるには、
別れを自分のわがままのせいにしたいよね。

池脇千鶴は一種、巫女的な憑きものついたような演技をします。
始めての、もしかしたら最後のドライブかもしれないクルマの中で、トンネルの光への驚きかた。
モーテルの一夜ではライトの演出を巧みに生かし、初めての料理でのオチの付けたかまで、みんな巧かった。

そしてラスト。ああなるのが若者だよね。

映画はしょせん作り物で、どんな綺麗事で終わってもいいし、逆に悪夢のように終えてもいいし、
ほろ苦い現実を突きつけてもいい。
大切なのは狙った効果を出せているかどうかなんだけど、この映画の余韻はなかなか良かった。
最後のほうの映像も蛇足になっていなかった。ああいうシーンがなければ辛すぎるから。

現実はしばしばある人々には残酷な試練をかするけど、それはじつは、それだけのことであり、そういうものなのだ。理屈ではなく、道徳もなく、実は現実とはそこにただ気まぐれに屹立し、たまたまぶち当たった我々は、それをしばしば運命などと呼び、出来ることと言えば、右往左往するだけなのだ。

千鶴が最後に渡したアレ。
アレを渡すということは、救くわれたメタファーなのだと思いました。

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February 20, 2005

伝説の音は聞こえたか? S2000、無限エアクリ装着

S2000も6年目。
そろそろクルマを買いたい気持ち。
実際に買わなくとも、今度はコレを買うんだぁ、という計画を立てたい今日このごろ・・・
でも候補がないの。

俺の欲しいクルマは、
1)オープンであること:トラックなどの黒煙攻撃を素早くかわせる電動幌は必須。
2)シャープなハンドリング。
3)刺激的なエンジン:高回転で力がないとダメ。
この3つが絶対条件。
本来ならSかNSXがイイ感じでモデルチェンジしてくれるのが一番なのだけど、両方とも売れてない・・NSXは月産数台! Sも数十台・・これじゃ、モデルチェンジの期待などモデルものではない。←シャレてる場合じゃないって。

むしろ消え去る心配のほうが大きい。
ホンダエンジンに幻想を抱き期待をする人なんて、実際は極一部のオタクだけなんだよね。
普通の人にはカッコ良いミニバンを造ってくれれば良いだけのメーカー。

そこで欲求不満を解消する為に、無限のエア・クリーナーをつけてみました。
本日試走、果たしてウエーバー・キャブ(かつて我々世代の男が小僧だった頃、憧れたイタリア製の高性能吸気装置)のような音は聞こえるのか? そういう噂があったのよ。

しかし本日、高速の路面が濡れていてアクセル踏み切れない。標準タイヤS02はドライには強くても、濡れた路面には弱いのだ。怖い話をいっぱい聞いているので、思い切り行きにくいのだけど、頑張りました。
1,2速で引っ張って3速から全開に、うーーーん、少しパワーは上がったかな・・・
4速でも全開。いつもより速く1××キロに到達・・・した気はする・・
パワーは・・・上がっている・・かな・・
高速カムに乗ってからのスムーズさとトルクアップは感じる・・・

さて伝説の吸気音に似た音! 音楽も消して必死に聞き取ろうとしたけれど、聞こえませんでした。
憧れていたウエーバー・キャブも今は昔。
現代の高性能車はみんな電子制御燃料噴射エンジンなので、
本当に幻と化したウエーバーの亡霊とは、数十年の時を越えた邂逅はならず。

で、もしかして迷っているSオーナーに俺の感想。
果たして無限エアクリに、16万8千円の価値はあったか?
あると思う。
もうこういうクルマの好きな俺達にはこんな地道な楽しみしかないでしょ。
俺には、TVRに付きあう根性はない。
マセラティ・スパイダー・カンビオコルサには心惹かれる。特に中古の値段。
でもアレに行くならあと6年ガマンして、
その頃次次モデルが発表されて値落ちするであろう中古のF430スパイダーが良い、と思う。

しかし本当はホンダの頑張りに期待したい。
イタ公の派手クルマより、ホンダの方が俺にはあってる。

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February 19, 2005

「無限」に魅入られた天才数学者たち アミール・D・アクゼル著

この本は「無限」という極めてスリリングな概念を、自ら創始した集合論を武器に解明しようとした
ゲオルグ・カントール(1845年―1918年)という天才数学者の逸話を中心にまとめたとてもおもしろい本です。
前回の「寝ながら学べる構造主義」と同様に、何回かにわけてまとめてみましょう。

ギリシャ人が無限という概念を発見したのは、紀元前6-5世紀でした。
無限という概念には、なにかしら人を威圧するところがあり、人の直感による理解を拒絶します。
無限について考えていると、掴みどころがなくて、いつのまにか無限という捕らえどころのない考えに逆に囚われ、取り込まれてしまうような錯覚に陥ります。
(この恐ろしさがいつしか無限を神の象徴としていきます)

1)無限の発見:永遠に書き記すことの出来ない数、無理数の発見から
古代最高の数学者、ピュタゴラス(紀元前569-500)は、数を崇拝する秘教教団を造ります。
そこでは幾何学を構成する整数比から得られる数だけが、論理と真理の為に必要であるとされました。
ピュタゴラス派のシンボルは5角形の中に五亡星を描くものですが、その対角線の比率は黄金比になるのです。

彼らにとって「神は数である」が教義でしたが、数とはすなわち整数とその比(有理数)ということです。
ところがピュタゴラスの定理、A^2+B^2=C^2(^は自乗として下さい)
の中にA=B=1とすると1+1=2となりCは√2になります。
これは無理数で、整数の比では表わせません。

神の創造物たる整数で表わせない数があった。この発見は教団の根幹をゆるがし
その無理数の存在を外部にもらしたヒュバソスは、溺死させられたともいわれます。

2)カバラ
紀元前1260年、モーゼの出エジプトからユダヤ教は初代祭司にモーゼの兄、アロンを任命し、イスラエルの12支族を表わす12個の宝石を縫い付け「ウリムとトンミム」という神秘な力をもつ2つの石を納めました。
ユダヤ神秘主義の始まりです。
紀元前538年、ユダヤ人がバビロン捕囚から戻るとトーラー(モーゼ5書)の
:隠された意味:を書物として著します。
西暦70年、エルサレムの第二神殿がローマ人に破壊され、ユダヤ人は離散(デイアスボラ)の時代に入りますが、この苦難の時代にトーラーはさらに研究されます。

さて、そこで見つけられたものは何か…今回は長くなりそう。

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February 18, 2005

最近、俺が元気なわけ・・・でもそれでイイのか!?

昨夜、寝室で妻が「あなた最近、元気だよね」と申すのです。
いえいえ、別に・・・のカラミではありません。
時間が寝る間際で、場所が寝室だっただけ。
いわゆる状況に関連した発言ではなく、昨今の私の状態を冷静に観察した結果の発言です。

そう言われてみれば確かに私、最近元気かもしれない。
なんでだろう、と考えたのです。
別に怪しいドリンク剤の愛用を始めたわけでもなく、思い当たる節がない・・・と思ったらあった。
酒を止めているのでした。
2月6日から習慣だった晩酌を、花粉大量飛散対策の一環として止めているのだった。

それがちっとも苦にならない。禁酒が苦しかったら、とっくに禁酒の方を止めているのが私です。
確かに飲みたい夜もあります。実際、今日も飲みたかった。でも買い置きをしないよう言ってあるから、
家にないのだ。家にない効果は大きい。
これまで3日くらいは、飲みたい、でも買い置きなし、で乗り切った。しかし大の大人が紅茶で食事って情けない。

若い頃はかなり飲んだ。20代の頃は話しが弾むとボトル1本の記録もあった。
それで薀蓄好きの私らしくワインに凝った。正確には凝ろうと思って挫折した。
赤ワイン、飲むと頭痛がするのです。
吟醸酒なんて日本酒も、薀蓄好きにはいい酒なので凝ろうとした。
確かに美味しい。飲んでるときはね。
でも必ずしっぺ返しの頭痛がするの。

頭痛くらいに負けるものかと、飲んでいたけど、泣く子と頭痛には勝てません。
ビールとかジンとかウォッカみたいな安い酒はイイのね。

でも発泡酒の薀蓄じゃなあ・・・
「この発砲酒は何年物だね」、なんて今年のモンじゃなきゃ嫌だって。
「このまろやかにしてコクのある風味はキリンか、いや僅かな渋みと恥じ入るような舌触り・・・
これはサッポロ黒ラベルだろ!」なんて言えないよ。

思えばそれが私の飲酒人生の曲がり角だったのやも知れぬ。
30代の頃も毎日夜は飲んでいた。さらに懲りずにワインも日本酒も飲んだ。
しかしそのたびに頭痛にやられ、お馬鹿な私も少しづつ学び、飲酒量はへり、
男の厄年を越える頃にほぼビールオンリーになっていた。
そうやって少しづつ・・・気がついたら今,禁酒が苦にならない。
肝機能はいたって健康だし、実際、今元気なのだから、結局、体に合わないってことなのだと思う。

でもこれで本格的に酒をまでやめたら、堅物人生まっしぐらだなぁ・・・クルマがあるか・・

でも、なんだかちょっと寂しいね。
まぁ、健康でしっかり働けるってのが、華なのでしょうか・・・

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February 17, 2005

ドルかユーロか世界は揺れる・・・下がり続けるHV

世界の基軸通貨が、ドル一辺倒からユーロへとシフトする2極化の動きをみせている。
アメリカは経常収支と財政の双子の赤字を垂れ流し、ドルの信認を揺るがしている。
ユーロ圏の各国には財政赤字への規制があり、経常収支も黒字である。
東方各国への拡大の思惑もあり、ドルに比べて安心感がある。

しかし実態経済の勢いは大分違う。
今となっては驚くほどにアメリカ経済は強い。
昨日の発表された新規住宅着工件数の多さには驚いた。
金利が上がり、財政を引き締めると公約しても住宅価格の上昇が続いている。
去年6月、FRBが利上げに踏み切ったときは、完全なミス・ジャッジだと思った。
げんに秋には新規雇用件数も減速し、アメリカ経済の早期失速の不安を感じた。
特に父親のブッシュも雇用低迷で落選したことを思えば、
あの時点での利上げを大統領府に選挙前に説得できたグリーンスパンは偉大である。
そしてその偉大さを、昨日の時点では証明している。


反してユーロ圏の経済実態は弱い。
通貨としてのユーロには罠がある。
統合して規模のメリットを得た反面、
各国が自国の都合での、金融と財政政策の機動性を奪われた。
中心たるドイツ経済は高失業率に悩み、フランス、イタリアも元気がない。
しかし各国とも自国の事情に合わせた政策をユーロ圏規制の為にとりにくい。
ユーロ圏はアメリカにも、アジア圏にも、ダイナミズムははっきりと劣る。

例えていうと、アメリカは危なっかしいところが沢山あるけど元気一杯。
ユーロ圏は優等生だけど元気がない・・・
中国を含めてアジア圏は成長率は抜群だけど、
まだまだ規模も規制も大人の範疇には入りがたい。
最大の経常黒字国、日本の円は国債の格付けからしてダメである。
そんなアンビバレンツな煩悶を抱えながら、世界は回っている。

そして下がり続ける日経平均のHV(←2月3日の記事を見てね)
昨日はついに8.3%。
調べてみたら過去15年でも4回しかない事態です。

どうなるのでしょうかね。

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February 16, 2005

印象派後期

1910年、ロンドンでポスト・インプレッショニズムという言葉がうまれ、日本では後期印象派と名付けられます。
結局、美術史上、極めて大きな流れとして,
客観的な視点から観たままを描く従来の画法から、主観的に、自分の内面から絵画を構築するというパラダイムシフトが起こった訳です。
これ以降、絵画は対象物の再現という縛りを逃れ、画家の内的表現が中心になってきます。


ルノワール:「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像」1880年
「ピアノに向かう娘たち」1892年
「小鳥が歌うように、太陽が輝くように、つぼみが花開くように彼は描く」
と言われたルノワールは、ひたすら豊かで愛らしく明朗な世界を描き続けました。

「絵は豊かでなければならない、愛らしく喜びにみち、きれいなものでなくてはならない」byルノワール
「ルノワールさん、もっと暗い絵を描いて下さい」
「ことワール」


セザンヌ:「リンゴとオレンジ」1898年、「サント=ヴィクトワール山」1905年
プロヴァンスの画家。「リンゴでパリを驚かせたい」byセザンヌ。

「自然のなかに、円筒形と球形と円錐形をみなさい」という言葉の通り、
後のキュビズムに結びつくような立体としての表現に力を注ぎ完成させました。
デッサンの書き方である、「面取り」という手法を様式として完成させたのです。
光の揺らぎから始まった表現は、立体表現への足がかりを掴みます。

「娘さん、テニス上手なんですって」
「セザンヌ・ランランっていうんだ」(これはマニアック過ぎた? )


ゴッホ:「星月夜」「糸杉のある道」1890年
赤貧の中で生き、生前に1枚の絵しか売れず、(これも死後であったという説あり)
狂気にむしばまれて自殺した画家。
しかしその天才は群を抜き印象派という範疇を超えて尊敬されています。

「風邪ひきました?」
「ゴッホ」


ゴーギャン:「アレアレア」1892年、
我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか」1897年
南国の現実を描いているようで、そのじつ使われる色彩は幻想的です。
証券マンから画家に転身。タヒチにいって南国の女性と暮らして絵を描きました。
羨ましいなぁ・・・

「ゴーギャンって威張ってるよな」
「ゴーガン(傲岸)だよ」
(解説します。ゴーギャンはゴーガンと読ませる美術書もあるのでした)


次回は世紀末美術と象徴主義。

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February 15, 2005

ベートーヴェン  ピアノ・コンチェルト5番《皇帝》

完璧なピアノ・コンチェルト、一部の隙も許さぬ協奏曲の皇帝です。
劇画に例えると[北斗の拳]のラオウみたいな存在。
「わが生涯に一片の悔いなし」、って天を指して叫んでいそうな曲。

第1楽章の幕開けから素晴らしさに幻惑されます。
美しいだけでなく、これからつづく1曲の展開を、オーディエンスに予感させる力の大きさで、
この曲に勝るものはないのではないか、というほどで出だしです。

オーケストラが自分の力を誇示するように大きな和音で威嚇するように出ると、
ピアノは自分の華麗なスピード感を見せ付けるように舞うように流れる。

オーケストラは力を、ピアノはスピード感を互いに競い合いながら昇りつめ、絡み合い、寄り添っては反発して力強く戦闘的になるかとおもうと、甘美に流れ、時にとつとつと語り合うような調べが続くかと思うと壮大に歌い上げ変幻自在。
オーケストラが声を張り上げ歌入あげると、絶妙のタイミングでピアノが受ける。
ピアノが一転加速して疾走すると、オーケストラが包み込むように受け止める。
楽想が語りつくされ夕暮れを迎えるように第1楽章は終了します。

第2楽章は、第1楽章での夕暮れの静けさを受けるように始まり、
余りに甘美な旋律は繊細に甘く切なく、恍惚とさせるように流れます。
ロンド形式の第3楽章は、再び目覚めるようにエネルギーを取り戻し多彩な表情を鮮やかに映し出し歌い上げて、
もうこのあたりはベートーヴェン節の真骨頂。

戦火も眼中におかず、もう夢中で楽譜を書き抜いているルードヴィヒ(名前が出た)が目に浮かぶようです。
なんてな。
見ていたわけじゃないけどさ。
そんな感じがするんですよ。

というわけで、「クリムゾン・キングの宮殿」に続く、私の名曲100選(シリーズ化しようかな)の第2弾でした。


PS
歴史的な背景を書いておきましょう。
この曲が作曲されたのは1809年。
57年の生涯であったベートーヴェン、38歳のときの作品。(38! でこんな曲書いていたんだよね)
一般にベートーヴェンの創作活動上の最盛期、しかしその末期の作曲です。
ウィーンはナポレオンの率いるフランス軍の攻勢にさらされてました。
美術史的には新古典主義からロマン主義になるころです。

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February 14, 2005

マトリックス レボリューションズ

マトリックスの完結編、ホンマかいな? とツッコミたくなる3作目。

終わらせ方は賛否両論あるのでしょうが、私には納得できました。
結局、エージェント、スミスがコンピューター・ウイルス化して,
マトリックス・ワールドがみんなスミスになっちゃって機械帝国の皆さんも困っちゃった、ってことですよね。
それでネオが人間と機械の代表としてやっつけに行く。

そこでドラゴン・ボールみたいなというか、そのまんまの戦いをして・・・戦いのオチもなるほど、
コンピューター・ウイルスの除去は・・・な訳で、その伏線は・・・なのでした。

もうこうするしかなかったのだ、と思うのですよ。
ウォシャオスキー兄弟はフィクションなのに一生懸命つじつまを合わせて、必死に良心的に構成したと思いました。

ただこういう良心は、時に映画のダイナミズムを失わせることがあるのですが、
今回は少しこの罠に嵌まったかもしれません。
前回のアイデアに溢れた刺激的な展開が少なくなってしまい、
おおっ、と思ったのは「駅」のアイデアだけだったなぁ。

見せ場はザイオンでの戦闘シーンで、パトレイバーみたいな戦闘機械にみんなで乗って、隊長の名前がミフネさん。そんなに日本アニメが好きなのか、気を使わなくても日本人はパクリで訴えたりしないのに・・・どうせおもしろくないんでしょ、っと思っていたけど、そこはアメリカ、物量の国。
出てくる出てくる大量のセンチネル(あの蛸みたいなオッカナイ機械ね)
これでもか、これでもかで、もう渦まいて襲ってくるのは圧巻でした。
参りました、アイデアに詰まったら物量だぜ、のいかにもアメリカ的手法の映像ですね。

さて問題は、本当にこれで終わったのですかね。
見終わってから考えると、物語の構成は出来る範囲で良心的(整合性を保とうとしているということ)に作っているし、その範囲内でアイデアには溢れているし、日本のアニメをじつに巧く取り入れてこれだけの映像を作ったんだから、やはりこれは歴史に残る傑作なのは間違いないけど、続編を作る気になれば幾らでも作れる終わり方だし、
外伝みたいな作り方も出来そうだ。
ただ作られるかどうかは、ウォシャオスキー兄弟の整合性へのこだわりが問題でしょうね。

とても難しい課題だと思いますけど、整合性に反さずに、驚きとダイナミズムに溢れた作品なら、
ぜひまた見てみたいものです。


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February 13, 2005

続・夕陽のガンマン 地獄の決闘

題名に、続(2番煎じって言ってる訳だよ)なんて付いていて、
夕陽(小林旭の映画みたい)の、ときて、ガンマン(すでに死語だよね)です。
さらに副題が、地獄の決闘、なんてベタなタイトルが付いているのであまり見る気にならないでしょうけど、
中身はセルジオ・レオーネ、エンニオ・モリコーネ、クリント・イーストウッドの黄金の3人衆が集った傑作です。

ただ、「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」と立て続けてヒットさせたせいか、レオーネに巨額の制作費があたえられたらしく舞台が広がり、エキストラも多数でて、美術なども良くできているのですが、
その分イーストウッドへ視点が集中せず、魅力が発揮されにくくなってしまいました。
でもあいかわらず立ち姿と、少し肩をそびやかして歩くスタイルは抜群にカッコ良く、
特に長い足をゆっくりと大股で運ぶ姿は、「いよっ、クリント屋」って掛け声をかけたくなるくらいしびれます。


登場してくるシーンで一番イイのは、エンニオ・モリコーネの哀切なギターの調べにのって現れるクリーフ。
平原の彼方からやってきて、馬足を揃えて登場するシーンは、マカロニ・ウエスタンはこうじゃなきゃ、ってくらい決まってます。

反してウォラックの登場シーンはなんか情けない感じ。
でもここで、この人はイーストウッドの引き立て役だな、って思っていると、とんでもない。
間が抜けているんだけど、逞しくて、セコいんだけど、しぶとくて、やることがみんな必死でなんか可笑しいのです。

自分が酷い目に合わせたくせに、都合しだいで急に「友よ、死ぬな」なんて言い出すと、本気に見える。
そこで本気に見えるからコッチも本当はイイ面もあるんだなって思うと、すぐひっくり返す。
コロコロ代わる態度がおもしろすぎて、ホロリとさせる場面もあれば、速攻で裏切るとこもありで、
すっかりペースに乗せられてしまう。
結局、クリーフの貫禄もイーストウッドのクールさも、みんな食ってしまって実質主役ですね。

ラストはレオーネの演出の真骨頂ともいえる3人の対決場面。
結果は書かないでおきますね。
でもとても洒落た終わりかたでした。

題名に惑わされずに観てみましょう。長いけどね。
ディレクターズ・カット版だから3時間近いのだ。

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February 12, 2005

カサブランカ

言わずと知れた名画なんだけど、どうも名画! というにはいつも抵抗を感じるこの作品。
片手に赤ペンを持って添削していったら、いくらでも欠点がみつかりそうです。
なんとなく名声ほどではないなぁ、と感じる人が多いのは、そんな不出来な点を含むからだと思います。

でも放映されるたびにみてしまい、最後は、「ああ、イイ映画だなぁ」と感じいってしまうのは、
主演の2人があまりに素晴らし過ぎるから。
ヒロインのイングリット・バーグマンが、今見ても抜群なのはすぐ分かる。
あんな潤んだ瞳で見つめられたら、乾杯の一つもしたくなる。

で問題はもう一人の方、ハンフリー・ボガート。
なんでこんなにカッコいいのか。
ます顔の造作は良くないでしょ。
いわゆる二枚目ではない。
長―い顔してスタイルも良くない。
今の基準なら体格も貧弱。
でも抜群にカッコ良い。

結局、男の値打ちって、顔だ身体だって最後は関係ないんだね。
男は覚悟、これを演じられるのがボガート。

本当に命が掛かった現実の世界で、損を覚悟のクールなセリフ、
見知らぬ女を助けてやる、愛する女を命掛けで救ってやる、これは誰でも難しい。

でも映画の中で貴方がヒーロー役です。ボガートの役どころやって下さいって言われれば・・
ジャッキー・チェンの役をやってとか、シュワルツネッガーの体を造ってきてね、って言われたら無理だけど、
ボガートと同じような動きとセリフなら出来そうかな・・と、思うのはやっぱり罠。

「君の瞳に乾杯」だとか、「昨日?そんな昔のことは忘れたよ」なんてセリフを決められるのはボガートだけ。
ハンサムでもなくスタイルも良くなく運動神経も必要とされないけど、
それだからこそ神秘的なサムシングを要求されるあの役ところをこなしたハンフリー・ボガート。
今はそういう役者がいません。
見て分かり易い美男か筋肉男か超演技派の俳優だけ。

でも逆ボガート・キャラでコメディ俳優として売れている人もいるのです。
それはヒュー・グラント。
寡黙なボガートにペラペラ軽薄にしゃべりまくるグラント、損得より信義を重んじるボガートと、常に目先の損得にドタバタするグラント、困難に動じないボガートと慌てふためくグラント、
それで二人とも長い顔をしてるのが一種の共通の記号になっている。
ね、なんとなくボガートのネガというか、パロディになっている感じがしませんか。
ヒュー・グラントは売れっ子なので、色々な映画に出ています。
二人の映画を見ている時、もしこの役をボガートの代わりにグラントが、逆にグラントの代わりにボガートがやっていたらどうだったかな、
と想像してみるのも楽しいかもしれません。

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February 11, 2005

冬の空に浮かぶマグリットの雲を見たら、本は・・

今日は上の娘は友達の家に、妻と下の娘は塾の面談。
俺は一人、某ミュージアムに行きました。
たいした処ではないのだけれど、ウチからはクルマでのアクセスが良いのが取り得。
半分はドライブ気分&たまには小洒落た気分になりたい、2月の休日。

冬の晴れた空の下で乗るオープンって良いものです。
ヒーター全開+首回りのがっちりしたジャンパー、帽子+マフラーで頭寒足熱の温泉状態。
着くとまずはレストランに直行。どうもこのあたりからあわただしい性格が出る。
11時を過ぎている。俺は混み出す前をねらっているのだ。
食事は1300円のランチだからまぁ内容は…でも一番の楽しみは目の前の風景。

壁が全面ガラス張りで、席から一望できる大きなオブジェと葉を落とした木々、広い芝生の広場が広がっている景観が望める。この景色が好きで年に1度くらいは来てしまう。
遠くに両親と5才位の女の子の家族が登場。
女の子が走り出すと、小犬が後を追って駆け回る。
若いって良いね。小犬も少女も寒空を気にしないで元気一杯。
40代の俺はもう駆け回ることはない、
つーか、40代の俺が駆け回っていたら、借金取りから逃げ回っているか正気を失ったか、と思われる。
青い空には、マグリットの絵に出てくるような白い雲が浮かんでいる。
厚いガラスが外の音を遮断して、ありきたりに過ぎる形の雲が流れていくのはかえって幻想的な風情があります。
最後の紅茶は、熱さを堪えて一気飲み。
なにをそんなに焦る自分。どこにいても落ちついていられないのが悲しい。

食事が終わりアートショップで本を見る。
買いたい本を見つけたんだけど、少し傷んでいるので、題名を暗記してアマゾンで買うことにする。
それから陽の当たるガラスの回廊を一人歩く。
ミュージアムでも絵は見ない。ここは、たいした作品がないから。
ガラスの回廊においてある椅子に座ってカミュの「ペスト」を読む。
トイレにも行く。
トイレでもカミュを読む。
30分だけ読んだ。良い気分転換。
明日は仕事だからね。
日曜日も半日は仕事。いよっ、働き者って、本当は遊び人になりたい。

帰りはサルサを聞きながらのドライブ。空いた道では少し飛ばす。
最近、長距離乗ってないからエンジンの回りがイマイチだよ。
高速に乗って遠回りをしようかと思っけど、やっぱ寒いので帰宅。
まだみんな帰ってない。
俺の帰宅はいつも一番早い。何故にそれほど急ぐ自分。

さっそくPCを立ち上げ、アマゾンで暗記していた本を注文しようとしたら売りきれだって!
新品で4700円の本が、中古で5700円からのお売り出し。
買っておけば良かったなぁ…
今度は本だけ買いに行こう。
それまで売れてませんように。

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February 10, 2005

クリムゾン・キングの宮殿  キング・クリムゾン

私の場合、10代の頃、過剰なエネルギーを持て余して聞いていた音楽がいわゆるハード・ロックでした。
しかし秩序の破壊を歌うロックには限界を感じつつ、なお行き場のないエネルギーを持て余していた時、
その破壊的なエネルギーを自らの内面へ精神自身への暴力衝動へと向かわせるような音楽と出会いました。

それが今回紹介する「クリムゾン・キングの宮殿」です。

最初の曲は「21世紀の精神異常者」
題名がスゴイでしょ。
曲は嵐を予感させるような電子音から始まるとすぐに、
グルーブして唸るようなサックスにドラムが被さり、イコライザーで押し潰されたヴォーカルが叫ぶ歌詞は、
「猫の忍び足、鉄の爪、神経外科医は手術を叫び続ける
パラノイアの危険な入り口
21世紀の精神異常者
血塗られた拷問台、死の種、無知なる強欲
詩人は飢え 子供達は血を流す・・・」

この曲を聞いたその時、ああ、俺の求めていた音楽はこれだ、と思いました。
壊すものは外側にはなく、自らの内側にあったのです。

狂躁的な曲の次にくるのは
「風に語りて」
とても美しいバラードですが、風に向かって語るように、
人類のすべての良き言葉、知識、活動も、結局はみな無意味なのではないか、という絶望が叙情的に歌われます。

3曲目は名曲として名高い「エピタフ」
メロトロンのドラマティックな出だしから歌われる歌詞は、
Confusion will be my epitaph 混乱こそ我が墓碑銘・・・
あらゆる価値の崩壊した廃墟に響くような力強いバラード。
ただここでの混乱と崩壊は、外的な社会であることと共に、
人々の精神の魂をも崩壊してしまった後に立つ墓碑銘のようです。
我々はついに精神的な価値や進歩などは、何も残し得ないのではないか、
という真っ黒な恐怖の歌が、極めて劇的に感動的に歌われます。

高まり過ぎた感情を冷やすように4曲目、「ムーン・チャイルド」が続きます。
人類の滅亡した廃墟に、月の子供達が遊ぶ風景を繊細に歌うノクターン。
ムーン・チャイルドというのは秘教的なメタファーがあり、夜の子供、秘された断片・・・隠された知恵の象徴です。
苛烈な電子の陽光が闇を追い払い影を消し去る時、我々の正気も失われる・・
そんな死んでしまったモノへの鎮魂の歌。

最後の曲は、
「クリムゾン・キングの宮殿」
このアルバムのテーマである、
退廃と混乱と滅亡後の狂気の上に君臨する、深紅の王の宮殿の歌。
このアルバムのすべての曲は、みなこの宮殿で行われた一夜の座興だったのかもしれないと、思わせる曲。
なにもかも包み込み覆ってしまうような曲想があります。

このアルバムに君臨する狂気の王は、極めて峻厳ゆえに1曲も退屈な曲はなく、かつバランスも完璧です。

私にとって真の意味での音楽体験の原初は、この1枚のアルバムに尽きます。
そういうわけでやけに力んだ記事になってしまいました。
次回からは気軽に書くからまた読んでね。

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February 09, 2005

印象派前期:1874年ー

モネの「印象、日の出」が出品された展覧会を、
「シャリパリ」新聞紙上で毒舌記者ルイ・ルロワは、まるで印象だけを書きなぐったようだ、と酷評しますが、
そこで使われた名前は、絵画史上でもまれなる豊かな実りをもたらす芸術運動へと発展します。

「パリが生みだし、セーヌが育んだ印象派」は、水のきらめき、空気に揺らぐ光の動きを追求しました。
これは同時代に写真が発展を遂げることとも関係します。
1)もはや写実ではかなわないという危機感は、新たな美の創造への動機になりました。
2)未熟だった写真技術の長時間露光による、木の葉のぶれなどが新鮮な驚きをもたらしました。
また疾走する馬の足の動きなども、写真にとられて参考にされたようです。

ジャポニズムの影響が大きかったことも特筆するべきでしょう。

代表的な画家
モネ:「睡蓮」「印象、日の出」
画風からもMr印象派といっていいでしょう。
「すべては千変万化する、石でさえも」byモネ。

若い頃は赤貧でしたが、晩年は売れっ子になりよく画商が絵をねだりに来たそうです。
「モネさん、もっと絵を売ってください」
「モーネー」

マネ:「草上の昼食」「オランピア」「フォリー=ベルジェールの酒場」
スキャンダラスなテーマで、当時の権威であったサロンへ挑戦します。
当時の権威に反抗して新たな芸術!これも定番ですね。
「マネさん、最近売れてるね。儲かってるでしょ」
「マーネー」←まあね、とマネーの両方をかけてます。

ドガ:「エトワール 舞台の踊り子」「アプサント」
パリのオペラ座が1875年に完成し、踊り子がテーマになった多くの絵はここから生まれます。
当時社交場として発展していた競馬の絵もたくさん描いてます。

風俗に敏感でしたが、ドガ本人は内気な癖に辛らつで、怒り出すと、ドガーんと、爆発したとか・・・
「同じ主題を100回でも書かなくてはならない」byドガ
ドガっとたくさん描いたようです。


次回は後期印象派、セザンヌやゴッホなど。

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February 08, 2005

ザ・スタンドⅠ~Ⅴ  S・キング著

いやまったく、長いよキングさん。
20世紀最高のマエストロの作品を、編集者ふぜいが売らんが為に3分の1をカットするなんて、
なんという暴挙だと思ったけど、これはカットしたほうが良かったのかも・・・

俺にとってのS・キングは「呪われた町」から「シャイニング」が一番なので、この作品は時代的にはピッタリ。
確かに俺好みキング・テイスト充満で、だからこそ2500ページも読み通せたんだと思うけど、
途中なんどもダレました。

でも科学の時代が生んだ最高の黙示録的作品か?
と問われればイエス。

ホラーとして怖い場面はあった? 楽しめた? 最高だった?
と問われたら、これもイエス。

登場人物に感情移入できた? 感動した?
にもイエス。
トム・カレンの純情、ハロルドの悲しみ、ニックの聖性、グレンの知性、ラリーの繊細さ、スチューの孤独、
犬のコジャック、トラッシュの狂気、ロイドの忠誠? フラッグの魔性、すら懐かしい。
たくさんの知り合いが出来た気分で心に残る。

やっぱ読んどく作品?
にもイエス。
でもできたら集中して読める環境で、たとえばリゾート地などに持っていくなんていいと思う。
(こんなものを行き帰りの飛行機から、海辺で、夜のホテルの部屋で、家族が寝静まった後に、
延々と読むのがホラー好きなんです)長い旅でも5巻を持っていけば読みきる心配もまずないし。
(活字中毒者がなにより恐ろしいのは、読むべき本を失ったとき。これより怖い本なんて、
いやまったく、ありはしない)(「いやまったく」というのは、物語の中である人が使う言葉です。頭に残っちゃった)

今本棚にならんだ5巻をみて
1巻目の最初の1P、1行目「サリー」という
不明瞭な言葉から始まった長い長い旅の物語。
自分も一緒に旅をした気分。
そして旅は終わり円環は閉じた。

やっぱりスゴイ作家だなS・キング。
しばらくしたら未読の作品をまた読みましょう。
それまではリハビリが必要です。

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February 07, 2005

トゥームレイダー2

おもしろかった! カッコいいよ、ララ・クロフト。
まさにゲームというヴァーチャルワールドから抜け出たようなA・ジョリーが,
地中海から莫高窟、上海、香港、アフリカの大地にまでバイクで、ジェット機で、疾走し、大活躍!

古代史好きには、冒頭のアレキサンダー大王の月の神殿が海底で見つかるなんて設定からして夢中になる。
そこで「オーブ」が奪われて、もう話しのラストもみえるのだけど、厭きさせない腕力がこの映画にはあるんだよ。
海底神殿からの脱出のバカらしさ。
イイじゃないですか。
このシーンでシラケたら、この映画はキツイけどね。俺は笑った。

全編クライマックスのジェットコースター映画だけど、大金をつぎ込んでも失敗して屍累々の映画を知ってるから、
A・ジョリーの偉大さがわかるのだ。

目立たないシーンだけど、ゴツイ男に囲まれて白いコートのA・ジョリーが歩くとこなど背筋が伸びて貫禄があって決まってるよね。
まさにアスリート女優時代のスーパースター。
身体能力って何気ない動きにもでるんだよ。
最後の箱はショボイし、相手役の男もイマイチなんだけど、
「常に楽な方法を取らない」で、相手の期待を上回るようガンバル、ララ!
もうこのシリーズに絞って欲しい、A・ジョリー。
でも撮影が大変そうだから、身体がキツイのかな・・・
ともかくヒット作の2はツマラナイの法則を打ち破ったトゥームレイダー2は、オススメの映画です。

PS
あるシーンでのセリフ
「もっと楽な方法でやれよ」
「失望させたくないの」
この場面、笑えます。
また、ここが笑えるようならこの映画が楽しめると思います。

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February 06, 2005

私の花粉症迎撃心得のこと

暖かくなって春の気配が忍び寄ってくると花粉の季節が始まる。
春は一番好きな季節だったのに、効率中心の杉大植林政策のおかげでまったく憂鬱な季節になってしまった。
それでも仕事をせねばならぬ、生きていかねばならぬので、抗アレルギー剤を中心に花粉対策をとっている。
飲んでいる薬はペミラストン。
これは抗ヒスタミン作用がないので、眠くならないのが救いである。
後は発作時には噴霧器と抗ヒスタミン剤を飲む。
坑ヒス剤は、耳鼻科でもらう奴より市販薬の方が効くきがする。
鼻の充血を抑える成分などが含まれて、即効性と症状改善効果は処方薬を上回る気がする。

それからサプリメントである。
トマトのちから。
ファンケルのアレルゲサポート。
キリン、ノアレ、KW乳酸菌。
カルピス、L92インターバランス。
ビオフェルミン、整腸剤だけど、整腸作用が大切らしいので。
りんごジューズ(抗ヒスタミン作用があるらしい)を朝と夜の食事時に。
そして禁酒の実行。
さらになるべく外出は控える。
まったくうららかな春の休日に家にこもっているのは恨めしいが、
出かけると必ずしっぺ返しがくるので必要以外は表に出ない。

それにしても国の無策ぶりにはあきれ返る。
花粉の少ない杉はコストが高いので全体の数%しか植樹しないとか、
入れ替わるのは数十年後とか正気の沙汰とは思えない対応である。

古今東西、自国の景気の回復は、すべての政治家の望むものだ。
特に日本は膨大な財政赤字を積み上げて、克服するには、内需の活性とそれに伴う税収の増大が必要だそうだが、私だって外出しなければ散財して内需の拡大、景気回復に貢献できるわけがない。
外食は極力せず、遊びにもにもいかず、買い物も最小限におさたら、お金なんぞが回るわけがない。
春の間は、本でも読んで、録画した映画を見るのである。
運動は室内で筋トレとバイクである。消費は最低限になるであろう。

ドライブにも行かないから高速も乗らない。道路公団も儲からない。
フワフワと暖かなだけの春なら、お金の流れも良くなるものを、
させないものは国民の便利を考えない、既得権中心の予算配分なのである。

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February 05, 2005

ゴマジョーと呼ばれる娘@午後のラーメン編

雨の日の日曜日の午後、小腹の空いた私は、自分のお小遣いでかったラーメンを食べていた。
それは名店シリーズの一つで、そっと買って食べるのを楽しみにしていたのである。

食べ始めるとすぐに、右手斜め前方から強い気の気配、
というか気配を超越した物理的な圧力にまで高まったジリジリと焼け付くような熱気、があった。
誰がこの熱烈な人肌を焦がすような視線を私に投げかけているかは、確かめなくても分かっていた。
次女の席からの方角であるし、彼女は食べることと、お笑いには目がない。

ウチの次女はゴマジョーと呼ばれている。
11才の少女であるが、どうも漂う雰囲気が高利貸しとか、右翼とか、総会屋とか、
お猿の大魔王という感じなのである。

私は人間の視線がこれほどまでの圧力を生むという事実に、驚きながも食べつづけた。
1度書いたがこれは私の小遣いで購入したモノであり、娘といえど分け与えるいわれはない。
しかしその視線の圧力に、正直ビビってもいた。
これなら西武鉄道の株主総会でも仕切れそうな迫力である。

ふっと、娘は立ち上がると、私の隣で生協への注文表に記入している妻の背中に取り付いてきた。

「あら、珍しい。どうしたのごまちゃん」
「甘えにきた」
「コラ、大きくなっても甘えん坊だな、ごまは」

私は妻と娘の会話を聞きながら、慄然としていた。
娘は絶対に甘えにきたのではない。
熱気を孕んだ視線は、今隣からきている。
私のラーメンが目当てなのである。
妻の背中でふざけながら、娘は私のドンブリから目を離さない。
見ていた分けではい。
見なくても分かるくらいの、体が押されてしまうような気迫なのである。

私は負けを認めた。ラーメン1杯で寿命を縮めたくない。
「ごま、らーめん欲しいのか」
「うん、ちょっとね」
この瞬間、私の体を圧倒していた気の圧力がなくなった。
呼吸が楽になり、体が軽くなったようだ。
「パパが食べてるのよ、ダメよ、ごまちゃん」
「わかってるよー」
再び私の体を押しつぶすような圧力が蘇った。
私は諦めた。
「いいよ、ごまちゃん食べなさい」

娘は私の退いた椅子に座ると、スープまで全部飲んだ。

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February 04, 2005

タイムライン

M・クライトン原作のタイム・トラベル救出モノ。
M・クライトンは「アンドロメダ・・」では宇宙からの感染恐怖を、
「ジュラシック・パーク」では蚊の血液からの恐竜DNAの抽出など、
卓越したアイデアを発表する作家ですが、この作品の出来はいかがなものか?
「量子もつれ」という最近注目の科学理論を下地にしているのですが、素人の科学オタクにすら?
を感じさせるのではないでしょうか。

14世紀、英仏100年戦争中にお城に囚われた科学者の救出というテーマなのですが、
いくらなんでも丸腰で6時間以内でって無理でしょう。

言葉も通じまくり。700年前の言葉って聞いてすぐわかるかなぁ。
21世紀人の知恵で出し抜くってセリフがありますが、
剣と弓矢の戦乱の時代なら子供の頃から馴れている14世紀人の方が強いって。

逆に14世紀の最強戦士を21世紀につれてきて、TVゲームで戦えばゲーマー少年が勝つでしょうげど、
リアル・ファイトじゃ、積んでる年期が違い過ぎ。
客をこんな風に冷静にさせてしまうと、もう娯楽映画は失敗だよね。

そこで私なら同じ条件でどう救出するか考えてみました。
1番手っ取り早いのは重装備の軍隊を送って火力で圧倒。
でもこれだと盛り上がらないし、沢山の人を殺すので未来への影響が…とツッコまれるので、

まず発電機を用意します。
強力なアンプとスピーカーも容易。大音量で音楽を流し、当時の言葉に翻訳した引き渡し要求を叫ばせる。
投光器も容易。夜空を貫く光には、当時の人は驚くでしょう。
個別にはシュア・ファイヤー(相手の目を眩ませる、超強力懐中電燈。アメリカの警官などが持ってます)
も持たせます。
映写機も用意して、お城の壁などに巨大な動くキリスト像を映し出す。
こんな感じで、非暴力的に引き渡し要求。

でもやっぱり危ないこともあると思うから、火炎放射器で炎を出して威嚇もする。
きっと神と悪魔の合体みたいに思うんじゃないかしらん。
それで上手くいくと思わせといて、映写機が故障したり、発電機の燃料が切れたり、
仲間の一人が裏切って神になろうと悪巧みしたりとかさ…
ダメでしょうかね。
あまりに工夫がない展開に思えたので、また妄想してしまいました。

PS
夜間の戦闘シーンで、火のついた岩を投石器から投げるシーンだけが綺麗でした。

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February 03, 2005

報道されない異常事態の株価

株価が暴落すると、NHKなどのニュースになります。
それでも落ちつづけると特集番組が組まれたりします。

騰がればあがったで、こんなに儲けた人がいるとか、またバブルではないか?
などという議論が巻き起こります。
騰がってもニュース、下がってもニュース。
でも現在、日経平均株価がとても特殊な状態であることは、あまり報道されません。

何が特殊なのか?
それは騰がりも下がりも、しなすぎるという状態が特殊なのです。
暴騰、暴落は動きが過ぎてる訳ですが、今は異常なほど動かない。

どのくらい動かないかという基準は、
HV(ヒストリカル・ボラティリティ)という数字に表れます。
これは最近の株価がどのくらいボラテリィティ(変動率のこと、動きの激しさのことです)があるかを現わしています。この数字が昨日段階で 9.3。
これが10を下回ることはあまり記憶にありません。それが9の前半です。

またマーケットに参加して売り買いをする人達も、当分株価は動かないだろうな、と思っているのです。
そんな市場参加者の思惑がわかる指標があるのです。
IV(インプライド・ボラティリティ、隠された変動率)という数字です。
騰がるのではないか、という思惑が強くなったり、
暴落するかもしれない、とみんなが心配しはじめると、この数値は上昇します。
それも今とても低い数値になっています。

要するに今、株式市場は珍しいほど、動きが少なく、
売り買いをする人もこれからもしばらく動かないだろうな、と思っている状態なんです。

ではいつ大きく動くのか、それは騰がるのか下がるのか?
まぁ、それが分かっていれば私も苦労はないのですが、
ニュースにはならない珍しい事態になっているので、今日は書いてみました。


PS
HV、IVというのは日経平均株価オプションといわれるデリバティブ金融商品の指標です。
詳しく書いていくときりがないので、まあ、そんな数字もあるのだ、と思って下さい。

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February 02, 2005

ラファエロ前派

イギリス中心の絵画運動です。エリザベス朝全盛の1848年、
プレ・ラファエライド・ブラザーフッド(PRB)というグループを7人の若者が立ち上げます。

ラファエロを至上の美としていた当時のロイヤルアカデミーに反旗をひるがえし、
その前の中世から初期ルネッサンスを理想の美とします。

エリザベス・シダルというモデルを憶えておきましょう。
中心となった画家の妻であり恋人でありモデルでした。PRBのミューズですね。
画風は神話的な神秘性。華麗な装飾性と憂愁を含んだ雰囲気。
耽美的な幻想は後の象徴主義絵画にまで影響を及ぼします。

代表的な画家。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ:「ベアタ・ベアトリクス
祝福されるベアトリーチェ、という意味の絵です。「神曲」から取材した絵ということになります。
ラファエロの前を理想とした訳ですから、神曲は聖書のようなものだったのかもしれません。

モデルはシダル、そしてシダルはロセッティの妻でもありました。
PRBのミューズを妻にして、ウィリアム・モリスの妻ジェーンとも怪しかった男。
名前には尊敬する大詩人ダンテと、大天使ガブリエル(絵画の主題として多数使われている「受胎告知」に出てくる大天使、マホメットに啓示を与えたのもこの天使です)と二つも使われている、贅沢な奴。

ジョン・エバレット・ミレイ:「オフィーリア
シェイクスピアの戯曲「ハムレット」から取材された絵です。
オフィーリアはハムレットの恋人ですが、父を殺されて発狂、川に身を投げて水死したシーンを描いてます。
モデルはシダルです。

エバリながら「絵をミレイ」言ったので、シダルにフラレタという噂です。
あくまでも噂ですからね。


エドワード・バーン=ジョーンズ:「連作 いばら姫」「黄金の階段」
ミレイの絵画に刺激されて聖職者から画家に転向。
大きな構図の絵が多いと思います。ファエロ前派の完成者として良いと思います。
特に「連作 いばら姫」の眠り続けるプリンセスを描いた3枚目。
時を超えて永遠の美を封じ込めよとしたラファエロ前派の結晶は、これに尽きる。
個人的にはね、そう思ってます。

次回はいよいよ、印象派。

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February 01, 2005

クライング・ゲーム

アカデミー脚本賞をとってますが、それを期待してみると、ちょっと物足りないかもしれません。
序盤は好調に話が進むのですが、後半がね・・・

英国映画なのですが、ロンドンという都会にはいつも独特の仄の暗さを感じます。
堆積された時間の重さ、良く言えば荘重さ・・内省的なインテリジェンスと、
突出した暴力性を隠している後ろめたさ・・・


ロック・ミュージックがアメリカで生まれて、イギリスでビートルズが生まれる。
アメリカのロックはどこか能天気な明るさがあり、ブリティッシュ・ロックには影があった。
鬱屈した若者には、そこが魅力だったんだけどね。

ストーンズ、そして一連のハード・ロックから、プログレッシブ、グラム・ロックからパンクまで、
インテリジェンスと激しさを兼ね備えていたから、ブリティッシュ・ロックは世界を席巻しました。
今から思えば、インテリジェンスと破壊衝動を兼ね備えるロックという表現形式は、
イギリス人にはピッタリだったのかも。

歴史に名を残す初めての快楽殺人者、切り裂きジャックが、
霧のロンドンを、徘徊の舞台にしたのも多分偶然ではない。
ロンドンという都会の見る悪夢。ユング的な集団的無意識の産物なのだ、きっと。

シャーロック・ホームズには、アルセーヌ・ルパンにはない屈託があるのも、
活躍する舞台がロンドンとパリという差があるはずだ。

可愛らしさで大ヒットになった映画「小さな恋のメロディ」。
もしアメリカが舞台の映画だったら、砂糖菓子みたいな味わいに仕上がったはず。
あの映画も、甘いだけではない、ほのかにビターな味わいがあった気がします。

そんなロンドン随想をしてしまう1品でした。

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