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December 2004

December 31, 2004

年末年始引き籠もり大作戦?

いつもなら空いた都心をSで走り回るのだが、この天気じゃな。

コンビニではなくスーパーで何か買ってくるか・・・品そろえありそうだし・・・
ともかく夜はプライドとK-1だ。
両方ともビデオも用意、(←後の検討の為に!  アホだ・・)

それまで酒でも呑んで、踊る大捜査線リーピートでも見てK-1の前宣番組でも見るか・・・
トホホな年末だが、こんなモンだ。
年始も雪ならこれが続くのかな・・・流石にちょっと鬱だな.


では、みなさん良い酔いお年を・・・それからこの記事を読んだ人には来年、幸福が訪れます。

俺は真っ先に読むぞ。
アップしたらすぐ読む。
じゃあね。

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December 29, 2004

北斗の人  司馬遼太郎

男子に生まれたら読んでおきたい傑作。
「燃えよ剣」に比べると陰影に乏しく深みに欠けるのかもしれないが、こういう陽気で骨太の話しも魅力である。
北辰一刀流を興し、後に坂本龍馬までを含め門人5000人を数える史上屈指の剣客、
千葉周作の若き日の物語である。

ともかく千葉周作の人物造形の魅力が素晴らしく、それだけで夢中になって読み進める。
司馬特有の歴史的な造詣は、出しすぎず、時に意外な展開を導いて唸らせ、
根底を支えてリアリティを深める。名人だけの境地である。
剣戟場面は入神の迫力で、同時に世評では高くない女性の描写も、魅力に溢れる。

司馬遼太郎自身が楽しんで書いているのかユーモアも冴える。
万事に騒がしい父親を、少年の周作が
(大人は,あああってはいかぬな)
など美意識を傷つけられる処などは笑う。


印象に残った言葉は無数にある。

周作自身が希望として
「自分の一生を、自分で操作できぬものか」
こうありたいと思う人間になり、それを芝居の座付き作家が動かすように

孤雲居士の言葉
「女がその美貌を守るように、男はその精神の格調を守らなければならない」

父親が周作に
「志を伸べるというのは、桑に梅を接ぎ木するようなものだ。尋常でない構想と、天地の摂理をはらいのける勇猛心を要する。芸の道とはそういう異常道だ」

浪人を決意した周作と父の会話
「餓死を怖れては男子なにごともいたるまい。地を這う犬猫も食ってます」
「同じ生き物でも人間は箸を使うようになってから食えぬようになったのさ」

浪人になった周作を父親が見送って
「周作に運があったら親切に扱ってもらえるだろう。毛ほどの縁にもすがらなければ」

小説内で引用されている「天狗芸術論(この時代に書かれた書物)」から
「全ては鍛錬で上手くなる。しかしそれだけでは不思議の現象をなすことは出来ない」
これなんかは、全ての芸術にいえますね

てらいのない一直線の言葉が並びますが、たまにはこういう小説も良いものです。


PS
北斗といえば「北斗の拳」だが、北斗七星(北辰)信仰は古代中国の土俗信仰として仏教に混じって入ってきたそうだ。妙見さま、南無妙見菩薩として祭られるてるんだってさ。

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December 28, 2004

ドリームキャッチャー

S・キングの原作に多額の制作費を用意して、主演はモーガン・フリーマン。

ただ残念ながら、観客を魅惑するmagicには欠けた作品になってしまった。

パターンは、
スタンドバイミー風の友情に結ばれた少年達が20年後に再会。(ただし超能力と不思議な友達付き)
+「エイリアン」
というお話。

モーガン・フリーマンは好きな俳優だけど、悪役は似合わない。
同じキングの原作でも「ショーシャンクの空に」の囚人役は良かった!

PS
エイリアンは本家と似すぎてますがな。

ボストン・レッドソックスのスタジャン、好きなんですねぇ、キングさん。
(↑10月17日、カテゴリー:野球:「血まみれのフェンウェイ・パーク」の記事を読んで下さい)

今、「ザ・スタンド」読んでます。長いね

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December 26, 2004

アマデウス

最近、毎日クラシックのCDを一枚づつ聞いている。(経緯は12月17日の記事でお願いします)

その流れとしてモーツァルトのピアノ協奏曲20、21番を聞いたのだが、
並み居る大作曲家の中でも、モーツァルトにはやはり抜群の天才を感じる。

曲の造りに無理が無いのだ。
楽譜に書き直しの痕がないと言われている。
神の声をそのまま書き取ったのだ、という言葉が真実味を帯びるのが怖い。
滋味に溢れ、自然にするすると耳に入って来る様子は、もの凄く上等な酒の喉ごしに似ている。

協奏曲なのに、巧いピアニストとオーケストラがフリージャズのように好き勝手にセッションをしているように感じる。
流れのままに美しく完成されている。

人が美しいモノを創造しようとするときに、かくも自然に出来るものなのだろうか? 

人は知恵を使うからこそ人なのだろし、逆に作為の限界も出来てしまう。

ミロス・フォアマンの傑作「アマデウス」で
コンスタンツェ(馬鹿っぽくて良かった)がサリエリに楽譜を見せると、
陶酔するサリエリのバックに20番の第2楽章が流れる。
その繊細にして至上の美しさ。
宗教など全く無縁の私にすら天上の輝きをかいま見せ、
そこから溢れる音楽はまさにこんな旋律なのではないか、と思わせる名シーン。


サリエリの凡庸な曲を、即興で編曲して傑作にするあたり、
もう傑作にするのではなく、傑作になっちゃうんだよと、
あの映画はモーツァルトを良く理解した上で、エピソードを練り上げた作品だったのだなぁ、と今にして思う。

ただあの笑い声はインパクトがありすぎる。
これほど甘く切ない旋律を描いた人なので、どうしても繊細で女性的だった人物像を思い浮かべる。

でも定型通りあの線の細い自画像のまま主人公を描いたら、あれほど盛り上がらなかったろうし・・・
意識的にズラして効果を上げたのだから、これはスゴイことですよね。


結論
観てから聞くより、聞いてから観ると、もっと良いかもしれません。

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December 25, 2004

ライフ・オブ・デビット・ゲイル

アラン・パーカー監督作品で主演がケヴィン・スペーシーとくれば、
心配は相手役が「タイタニック」のケイト・ウィンスレットということだけです。
でもその懸念は冒頭の疾走シーンで拭われて、後は安心して楽しむことになるでしょう。

パターンは、
無罪を主張する死刑囚がいました。ジャーナリストがインタビューしました。
無罪を確信して奔走しますが、その真相は・・・?

源流は「幻の女」辺りなのでしょうかね。
処刑までの時間が迫るので、物語は嫌でもスリリングに展開します。
さらに撮っているのが名匠アラン・パーカーなのですから、
画面は抒情性に溢れ力強く、語り口も澱みがありません。

ケヴィン・スペーシーの演技は、アクターズ・スタジオ流の究極を行くものだと思います。
しかしこの人の演技はどこか完璧に過ぎて、逆に僅かな齟齬が印象に残ってしまうこともあります。

ちょうど、余りにも細密に正確に撮れた写真は、僅かな傷でも目立つようにです。


上映時間が131分と、このタイプのテーマとしては長く、ともかくテンポを速くして、
客を飽きさせないのが第一義になったハリウッド映画では、?、という印象を持ちました。

私のように映画を安易に観るファンは、
躾けの悪い犬のように目先の餌(サプライズ、刺激)を求めて、待つことが苦手なのです。
しかしそこは「ミッドナイト・エクスプレス」を撮ったアラン・パーカーです。

この映画は単にラストの衝撃にカタルシスを感じさせれば良しとする娯楽映画ではなく、
人間が秘める深い闇を描く映画だったのです。若干の長尺は必要だったのでしょう。


PS
雨が素晴らしく美しく撮れています。
同時期の作品で
サム・メンデスの「ロード・トゥ・パーデション」も雨の美しさが印象的でした。
雨を綺麗に撮る新技術でも出来たのでしょうか?
明らかに2002年以前の作品とは、映像のクオリティに格差があるように思うのですが・・・
今後、雨が撮られるときの基準は変わるでしょうね。

それとも単にハイビジョンの威力なのでしょうか。

結論
人間が秘める闇を、ふと考えたくなった時にはいいと思います。

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December 24, 2004

年末年始格闘技大予想。あるファンの妄言とも言う

PRIDE
バンダレイ・シウバvs桜庭
打撃での闘いは自殺行為となれば、サクの勝機は組んだ後だろうが、
第二戦を観た限りシウバの上体の強さをサクは組技でもコントロール出来なかった。

奇跡を信じて桜庭を応援するが、シウバにはヘビー級にいって欲しかった。
ヘビー級のデカイ相手に、あの打撃はどのくらい通用するのだろう。
サクが酷く殴られるのをみるのは辛い。
こんな俺の予想が,お笑いになる結果を希望するのだが・・・

PS:
と思ったら、ハントと決まりました~! 心置きなく楽しめます!


ヒョードルvsノゲイラ
ノゲイラには無駄な筋肉がなく、相手を締め上げる技はアマゾンの大蛇のよう、
でも普通の顔をして戦うヒョードルの勝ちとみる。

個人的にはTV撮影用撮ったアナウンサーにマウントしてパンチを放つ映像を見た驚きが忘れられない。
全く体の軸をブラさないでパンチを連打出来る。
組技でも無駄が無く速いのはヒョードルだと思う。

ノゲイラの柔術は芸術だが、磨き抜かれた芸術をヒョードルのシンプルな力が撃破するのではないか?
こけ威しの人間より、真に精悍なノゲイラは強く、それよりも一見ぼんやりしているように見えるヒョードルが強い。
強さと精神性の関連の奥深さを見せて欲しい。

K-1
山本KIDvs魔裟斗
全てのスポーツにおいて、基本的なフォームがある。
それはそれぞれのスポーツの目的(走るとか、泳ぐとか)に対して、
人間の体の構造(筋肉や関節の)から帰納的に導かれる。
最も効果的で、無理の無い、いわばスイート・スポット(成功率)の広いやり方が、基本のフォームになる。

殴り合いでもそれはある。
魔裟斗の動きはその基本に忠実だ。
たいしてキッドは基本を無視した動きが出来る。
無理のあるスィート・スポットの狭い打ち方だが、当たれば防ぐ方の定跡を破ってくるので効果は大きい。
効果の有無は、単に打撃量の大小で決まらないところが、対戦型スポーツにはある。
パンチが来ると思えば、避ける。避けられれば受けるダメージはゼロになる。避けられなければブロックする。
ブロック出来ればダメージは格段に減る。ブロックも間に合わなければ体を引き締める。厳しいが仕方がない。
それを不意に思いもかけない角度から打たれたら、効果は大きくなる。
見えないパンチは効くというのはそういうことだ。

二人の体重差は、ボクシングでは2階級差位だろうか。
常識で考えれば魔裟斗の勝ちだが、奇跡を期待するのがスポーツ観戦の醍醐味でもある。
そのまた予想をひっくり返して基本が奇想を粉砕するのもまた有りである。
予想になってない。

最後に1月3日に行われるボクシングの世界タイトルマッチを

川嶋勝重、指名挑戦者防衛戦。
風貌、言動から勝手に人柄を予想してしまうと、この人実にいい人に見える。
ファイタータイプの闘い方も好きだ。
NHKのドキュメンタリー番組で奥さんになる人とお気に入りのラーメン屋に入っていったシーンも良かった。
私はラーメン好きの味方である。
絶対勝って欲しいが、相手は無敗の指名挑戦者。豪快に行って倒してしまうことを願う。
長引くと、器用な相手に、巧く逃げられるような気もする。


トラッシュ中沼vsロレンソ・パーラー
無敗のチャンピオン、パーラーは、この間、韓国での防衛戦を観た。
日本人は世界挑戦での負けが続いているが、今回は勝ちとみる。

理由はパーラーのボディ。
黒人特有の引き締まり過ぎて厚みのないボディは結構打たれ弱い。(例、ザブ・ジュダー)
中沼がポンサクレック戦で見せた踏み込みの速さとリバーブローが当たればチャンスは大きい。
頑張って欲しい。

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December 23, 2004

ニートについて分かること、分からないこと

ニートというNY生まれのカジュアルブランドみたいな名前の人種が,問題になっている。

働きたくないらしい。
これは私にも分かる。
私も働きたくない。
もし働く必要がなくなれば、もう一度大学に行きたい。
今度は美学とかをやってみたい。
勉強をしたいという時点で、ニートくんとは意見をことにするかと思ったが、
私も働く為の勉強なら嫌いである。
ニートくんは、働く為の訓練も嫌いらしい。
私も嫌いである。

大分意見の一致がある。
私もニートに成れるだろうか?


しかし分からないこともある。
20代で女性を欲しがらないというのは理解出来ない。
私が女性にいわゆるナンパをしなくなったのは、20代の後半だったと思う。
それまでは、ナンパに知恵を絞った。
結果、まったくモテず、恥ばかりかき続けて諦めた。
しかし10代後半から20代始めまでは必死だった。
若い男なら自然だと思う。

もう一つ、私はフェラーリが欲しかった。
初めてみたのは平凡パンチかなにかだったと思う。
その1ページにフェラーリがあり、一瞬で惚れて買おうと思った。
値段をみて印刷ミスだと思った。
1160万円だったのだ。
バブルの10年前の1200万である。
300万とか500万なら、頑張ってお金をためて買う目標になろうが、1200万は法外である。

印刷ミスでなく本当に1200万であることが分かると、さすがに諦めた。
しかしフェラーリの載った雑誌を、片っ端から買い込み、眺めながら寝入る始末である。
何年かして突然決心した。
買おう、と思ったのだ。
ニートくんに、こういう欲望はないのだろうか?

動機つけは大切な教育というが、私の場合、ヌードの載った男性週刊誌の1ページが発端である。
文部省の指導要綱に,男性向け娯楽雑誌の購入と購読とでも入れるのだろうか?
フェラーリでなくともサーフィンでもスノボでもサッカーでも音楽でもいいではないか? 
出来るようになれば女の子にモテル。
これで充分なモチベーションだと思うのだが、ダメなのだろうか?

何か欲しいモノ、やりたいことがない、というのは分からない。
私が代われるれるものなら代わりたい。
とりあえず食べさせてくれる親がいるからニートでいられる訳だから、これはありがたい。

無職の20代に戻れたら、まず大学を目指すだろう。
優秀ではないので1流どころは無理であるが、まぁ勉強する。
その後は、なんとか有利な働き口を考えつつ、バイトをすると思う。
美学なんかはやらないだろう。
40代だからやりたくなるのである。
女性への欲望が復活して、とりあえずナンパである。
それにはバイトだ。女性への機会と経済活動の両立が出来るではないか。
そうしてお金を貯めたら、ボロでもいいから車を買う。
ナンパにも便利だし、爆走するのも気晴らしになる。
あっ、これでは20年前にやっていたことと変わらないな。

でもそれで普通に楽しいと思うのだけど、何故引きこもるのだろう。
運動はしたくならないのだろうか?
私は運動神経も鈍い。
しかし運動は常にしてきた。
今もやっている。
鬱々としてきた時、ウエイト・トレーニングをするとすっきりする。
バイクを漕ぐと爽快になる。
風邪を引いたり、関節を痛めたりして出来ないとイライラする。
事件があったからいうわけじゃないが、若い時に無職でかつ、運動をしないのは、
エネルギーの発散場所がなくて噴火寸前の火山みたいに危険に思える。
勉強や就職はダメでも運動プログラムみたいなものは、出来ないのだろうか?

本格的なモノでなくていいと思う。
私の運動の原点はカラーボール(柔らかいゴムボール)でやった三角ベース野球である。
カラーボールだからプロテクターはもちろん、グローブすらいらなかった。
バット1本、あとは地面にベースを書いて10人前後でやっていた。
空き地もなかったから、教会の庭でやっていた。

お手軽そのものだったが、思い切り打って走って楽しかった。
ニートくんはきっと気を使われることにも疲れていると思うから、
こういう全くシンプルを通り越した安易なモンの方がいいじゃないかな。

でもやっぱり分からないね。
終わり。

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December 22, 2004

1日で1年分の格好をつける日

2-3年前まで,大晦日にはジルベスター・コンサートに行っていた。
最初に行った時は感動した。
深夜の静かに冷え切ったアーク・ヒルズに三々五々人が集まってくる。
機械時計が鳴り響くと開場となるサントリーホール・・・うーーん、お洒落である。

私にとって大晦日は,心おきなく安心出来る日である。
1年という大きな川を渡りきった安堵がある。

普段だとは実はそれほど好きでもないクラシックのコンサートに行くエネルギーは残っていない。
エネルギーが残っていると他方面に放出する。
でも大晦日というと、ちょっとはしゃいでみたくなる。
それで行き始めた。

初めて行った年には、夕方にお洒落なレストランにも予約した。
気合いが入っていたのである。
実はあんまり好きではないフレンチ系にめかし込んで行った。
アペリティフなんかを頼む。値段を気にしながらワインも呑む。
食後にはウォッカ・マティーニなんかも頼む。
ちっとも旨くなどないのだが、カッコ付けたいのである。

なにせ普段ちっともカッコつける機会がないので、全てを今日一日に掛けているのだ。
集中を超えた執念ともいえる気合いが入っている。

だからサントリーホールに付いた時には、結構酔っぱらっていた。
しかしそのような素振りをみせてはならぬ。
あくまでエレガントに振る舞うのである。
しかし真っ先に並び(←この辺からすでにエレガントではなくなっているが、気が付かない)
ホールになだれ込むと、なんとすでにバーが開いているではないか。

さすがサントリーである。
さっそくシャンパンなんか呑んでしまう。
夜のサントリーホールで、シャンパンを呑むという図柄に興奮しているのである。
ますます酔っぱらう。

席につくころには眠くなっているが、全力を振り絞って起きている。
曲はワルツとかポルカとか、おめでたい曲が多い。
確かに年の暮れに悲愴などという題名の曲は聞きたくない。
結構感動して、何より俺達は今お洒落だという状況に興奮して起きていられた。
幕間にはまたシャンパンを呑む。
気分が悪くなる一歩手前なのが分かるのだが、
1年分の気取りを1日で使い果たす覚悟なので,自分の限界を試す意気込みである。

楽しかったので翌年も行った。
少し冷静になったので夕方のレストランはパスした。
驚くべきことに曲が去年と同じであった。
すぐにこういうコンサートに来る人々は、優雅に毎年同じ曲を楽しむものなのだと悟った。
新奇を期待するモノではないのである。

そこで次の年は文化村のコンサートに行った。
どうも渋谷はその周辺の雰囲気に問題を感じた。
東京オペラシティのジルベスターにも行った。
東欧のオペラとバレエ団が熱演をしてくれたのだが、気取るのに飽きてきた。


本来の自分達に戻ろうと嫁と誓いあった。

この3年位,嫁は子供と実家に帰り、
私はコンビニで買いそろえたツマミとビールで,格闘技の特番を観ている。

はっきり言って楽しい。金もかからん。

やはり人生、自分を偽っては幸福になれないと思った。

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December 21, 2004

娘の成績が激落ち

大掃除の洗剤が激落ちなら、素敵な商品としてここで紹介したいものだが、
中学生の娘の成績が激落ちとは
師走も押し詰まった今日この頃、ヘビィーな話である。

もう少し気力がないものか。
勉強でなくてもスポーツでも音楽でもクラブ活動でもいいからさ。
これだけは好き、ってえのがあれば人生何とかなることもある。

或いは勉強だけはする。
それで成績が悪い。
OKである。

真面目なだけって結構取りえなんですよ。
案外、それだけでも何とか暮らせる武器になる。
高収入のエリート様になれとは言うとらんがな。

ボンヤリ遊び暮らすのは、凡人には逆にキツイんだよ。

もう何度もお話したでしょ。
君のやる気を引き出そうとしたり、長所を褒めたり、最後にはブチ切れて怒ったりしたけど、
あなたに心は届かない。

子育てって難しいな、ホント。


まさかブログにネタを提供する為に、勝負に出たのではあるまいな。
そういう気遣いはしないでいいのな。


とりあえず勉強して下さい。

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December 20, 2004

太陽に喧嘩を売る

最近、陽の落ちるのが早い。
5時前に真っ暗というのは、どうなっているのであろうか?
朝出てくるのも遅いという。
太陽にやる気が感じられない。
もうオマエのトコなんか照らしてやんねーよー、という感じである。

いいだろう。
そっちがその気ならこっちにも覚悟がある。
もう出なくてイイ。
朝、いつもの時間に起きると真っ暗な夜の状態。
シュールである。
これから仕事ではなく、遠くのほうに遊びに行く錯覚が出来そうだ。

仕事中も夜。
人間は松果体という処で光を感じて活動性が増すというから、夜が続くとゆっくりと働けそうだ。
ただ寒くなるのは止して貰いたい。
気温的には4月の始めくらいが良い。

みんなでなるべく電気は点けずに、早寝をするといいと思う。

一日中、出ている星や月を愛でるのもの、いとをかし。
懸案である、出生率も上がるかもしれない。


なんて妄想にふけりつつ、冬至の夜も深けていくのだ。

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「心ひき裂かれて」「はぐれ者」

「心ひき裂かれて」 リチャード・ニーリィ
忘れ去られた天才作家がいるという。
その作家の書くものは極めてトリッキーで、
サプライズ・エンディングの切れ味は、ミステリー史上にも稀なほどだという。

巨匠、大御所は頂点だろうが、本屋に行けば並んでいる。

その点、幻の存在、などと言われると、酒でもなんでもありがたく感じてしまう。

そして読了。
これは幻の存在になるであろう。
訳に問題があるのか、原作からダメなのか?

驚きのエンディングは確かに凄い。
しかしそこに行きつくまでは、かなり退屈でもあった。

PS
A Madness Of The Hertという原題を
「心ひき裂かれて」としたセンスは良いです。

「はぐれ者」原 功
ボクシングのドキュメントには弱い。
読むかどうかは別にして、つい手にとってしまう。
著者の原功さんは、ボクシング界では有名な書き手、解説者である。

ただこの本は、ボクサー川崎よりも、暴力的な不良からヤクザになり、シャブ中毒から立ち直る若者の話が中心になっていて、その点私の期待とはズレがあった。

覚醒剤の幻覚については、重度の体験者があっさりと語っているだけに説得力があるし、意外なヤクザの側面も知ることが出来たのだけど、やっぱりボクシングの話をもっと読みたかった。

心に残る言葉が、一つあったので書いておこう。

「普通に暮らすのってつまらないと思っていたけど、それがすごくタイヘンで幸せなことなんだなって気づいたんです」

これと似たことを、イアン・フレミングはジョームス・ボンドにも言わせている。

うん、地道な日常をしのいでいくのは結構シンドイ。

とれあえずボクサー川島には注目しておこう。

PS
今確認したら、Sウエルター1位なんですね。
チャンピオンになって欲しい。
ファイター・タイプらしいので、ぜひ見てみたい。

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ソラリス

Science Fictionだけが生み出せる発想の金字塔、
スタニスラフ・レムの傑作の再映画化。

保管庫のヘルメットの輝きまでが美しいソダーバーグは、複雑な話しをクールな語り口で見せる技は一級だけど、
これは少しはしょりすぎたか・・・
でもタルコスフキーの映画化作品にはつき合いきれなかったから、この程度でいいのかと、少し複雑な気持ち。

ここまで分かり易いと、もっと説明不可能性が魅力だったのでは、と思ってしまう。
静かな宇宙ステーション内部の様子は、どことなく「2001年・・」を思い起こさせるのも難点。
ソダーバーグなのだから、もう一工夫欲しかった。
なんと言っても、連星の恒星をめぐる惑星の軌道のくだりに興奮があるのだから、
そこで上手く盛り上げて、異質の存在の不思議さとスリルを生かして欲しかった。

でも期待が大きすぎたから、(何せ原作は究極の傑作なので)文句いっているけど、
J・クルーニーといい、相手役のナターシャ・マケルホーンといい完璧な布陣。
なんと「ローマの休日」のカメラマン役の人も出てくる(似ていませんか?)

でもその完璧さが仇だったのだろうか・・

これは原作が、そもそも理解とはなんなのだ、という根元的な問いを、
真に異質な存在を通して考え込まされているうちに、
恋人との思い出や、その変容と苦悩とが混ざり合う複雑な魅力を持つ作品なので、
評価も書いているうちに、解らなくなる。
これもソラリス効果か?

PS1
完璧素人レベルなのですけど、素粒子力学には興味をもっています。
ソラリスも宇宙空間に存在する以上、反ヒッグス粒子云々という説明はいただけないのでは・・・
良く分からないのだけどね、全然。     原作にあったかな・・・

PS2
完訳版が出ているようです。
読んでみようかな。

とりあえず映画はとても綺麗に撮れているし、原作は青春の思い出なのでもう1度観ます。

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December 19, 2004

昨日、戯れに北に向うと書いたら

本当に行きたくなってしまった。
寝ている妻子に別れも告げず、俺はS2000に乗り込んだ。
マフラーとエキゾースト・マニホールドを改造してあるので、早朝の住宅街をゆっくりと出る。
今日の俺は渋いぜ。
大藪春彦の小説のようである。

サイフはもったかなと今一度、確認をする。
以前、サイフを持たずに高速に乗ってしまい、それ以来、強迫観念になっている。
クルマに乗ったらサイフもね。
ETCがあっても、何があるかわかりませんからねー、今の世の中。
用心深い大藪春彦である。

国道をゆっくりと流し高速へと向う。
普通に運転しているときは、TVチューナーでTVを聞いている。
不思議なもので運転中は、普段は目もくれないドラマとかお笑いの番組が異様に面白く感じるときがある。
帰宅したとたんに飛び込むようにTVを点けて続きを見始めると、すぐに飽きる。

前が空いて飛ばせる状況になると幌を開ける。
オープンに乗るようになってから、体を晒す刺激がないと飛ばした気がしない。
オートバイにも乗っていたけど、クルマならヘルメットを被らないで済むのが良い。

高速に乗りD・パープルのハイウエイ・スターをかける。
一気にエンジンを9000回転まで引っ張り、全開バリバリだぜ!!!
40過ぎてこんなことをやっているのは馬鹿の証拠なのだが、止めらない。
オマエの顔を見れば馬鹿なのは、解ると言われても、主張したい。
世界の片隅でも馬鹿は叫ぶのである。
冬でもソナタは聴かないのである。(以上の2行が滑っていることは自覚している)

エンジンの轟音と1××キロの高速での風の唸りで、ハードなロック以外は聴こえないのだ。

音量もかなり上げる。

レッド・ツェッペリンに切り替える。
LED ZEPPは音の密度が高く、こういう状況に実に合う。
最近の定番である。

以前は相川七瀬なども聞いていた。(不良っぽいとこが好きだったのよ)
SPEEDなんかも実は聞いていた。(島袋ちゃんの声が好きでした)
さすがにモー娘やハマアユは聞かなかった。(娘達が持っているんだけどね)

問題は、深夜など一般道の信号などで止まると、
エンジンが静まり、大音量のままの音楽が残され、交差点で突然の大宴会という騒ぎになる。

相川七瀬を歩行者に聞かれるのは、少し恥ずかしかった。
でもモー娘じゃなくて本当に良かったと思う。

40代、オープンにのって大音量のモー娘を聞く男がいたら・・・

かなり怖い・・・

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December 18, 2004

自分の記事に謝り根本的な問題を考える

今日も仕事をしていた。
年末進行でとてつもなく忙しい。
仕事に喜びを覚えろ、忙しいのは、ありがたいと思え、などというが、程度問題である。

旨いカツ丼も3人前食べろと強いられたら、もはや苦行なのと同じである。(ちょっと喩えが卑近過ぎたか・・・)

昨日の記事ではベートーヴェンは止めてプッチーニのように気楽に行こう、などと書いてしまったが
現実の仕事となると気の小さい私には、そうは行かない。
だいたい、私とルードリッヒ(名前が出てしまった!)を比較するのが、間違いの元であった。
あちらは聴覚を失っても、不屈の意思で人類の至宝ともいえる芸術を生んだ歴史的天才である。
音楽的才能という一番大きな要素を除いても、
ちょっと忙しいとヘコタレル私とはそもそも人間の出来が違うのだった。

スマヌ、あらためて謝っとく、ベートーヴェンさん。


それにしてもお気楽に生きるというは案外難しい。
何故難しいかと考えるに、結局覚悟の問題なのだろうと思う。

お気楽にする→ただでさえ無能な私の仕事の評価が落ちる→それを気にせず受け入れる!

これが出来るかどうかである。
大げさに言えば「落ちる覚悟」である。(←かなり大げさだ! 失職したり、家庭崩壊するようなことをする訳でもあるまいし。もうこの程度で落ちる覚悟、なんて書いている段階で、オマエは一生、セコセコ働いてとけって感じである。)

仕事の成績を気にしつつ、お気楽にもする、というのは根本的な無理があるのだ。


ああっ、旅に出たい・・・
小雪の舞う、北の港の寂れた駅に一人降りたい。

でも降りたらすぐ時間が気になって、帰りの電車の切符を買うな。
なるべく安いルートで帰ります。

月曜も忙しいしさ・・・


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December 17, 2004

ベートーヴェンは降ろしましょう

昨日は夜寝る前に、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聞きながら歯を磨いて本を読んでいた。
何でそんな突飛なことになったかというと、
CDラックに埃を被ったままのクラシック全集があったのを見つけたからである。
年末になり、少しづつ片づけていて思い出したのである。

ほとんど聞いていない。
子供が出来た時、情操上好ましいのではないか、ということで購入したのだが、
実際に子供が生まれてみると、もう情操教育なんて云ってられなかったのだ。

それから放置されつつ幾年月、気まぐれに聞いてみる気になったわけである。

それほどのクラシック・ファンではないが、しいて一番好きな作曲家は? と問われると
ベートーヴェンと答えると思う。

私に限らず、日本人、特に一昔前なら圧倒的にベートーヴェンは人気だったのではないかと思う。
高度経済成長時代にベートーヴェンは似合う。
なんか人生は魂を掛けた大勝負、という感じの作曲家である。
充分に深刻であり、真面目である。

作曲した楽譜をみたが、手直しだらけで、一部の隙もない作品に仕上げるぞ、という気迫が漲っていた。
日本人と似たメンタリティであると思う。

「今回の辞令で本事業部主任を拝命いたしましたからには、不惜身命、命がけで働らかせていただきます」
という意気込みである。

これで日本人がモーツアルト好きだったら、仕事などもっと安請け合いして、
納期なんて守らずに、お互いに文句を言いつつ、そのまま呑みに行ってしまうような気がする。

プッチーニなんかが人気だったら、「オーホホホホ、人生は恋とワインよ」ってノリで、歌なんか唄っちゃって、
大した経済大国にはならなかったろうが、少々の不景気でも住宅ローンに行き詰まっても、
アモーレ、アモーレって陽気にやっていけそうだ。
家庭争議は増えそうだけど。
マーラーなんかも、「仕事・・そんなことより、実存に不安はないか? 君」なんて言いながら、
早々と帰宅して、キルケゴールかなんかを読んでいる気がする。
でも自殺はしなそうだよな。


眉間に皺を寄せたベートーヴェン。
俺の年代だと「巨人の星」の星一徹とも印象が被る。
冗談は通じないタイプ、肩の力は抜けないタイプ。
作曲をしてる処を、後ろから、ワッって飛びついたら、猛烈な左右のフックを飛ばして来る感じ。


歳末をひかえて一段と冷え込んだ毎日が続きますが、
困ったことがあったら、べートーヴェンではなく、プッチーニのノリで行きましょうね。

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December 16, 2004

軽やかなイカロスの失墜:ボッティチェリ

ルネッサンスの熱気が、中世の教会のドームに穴を穿った時、
その一条の光のなかにボッティチェリは登場する。

レオナルドのような思索の深さはなく、ミケランジェロのような骨格の太さも持ち合わせず、
ラファエロのような確信も持たぬまま、
彼は突如訪れたイタリアの都市の自由な空気の中で、才能を開花させる。

自由な空気だけしか持たぬからこそ、彼は軽やかに高く飛べたのだ。

ニンフのクロリスをゼフュロスが愛の息吹で追い、女神フローラが祝福するプリマヴェーラ。
海に薔薇の花が舞い、虚ろな視線を彷徨わせるヴィーナスの誕生を描きえたのだ。


だが守護者たるロレンツォが亡くなると、彼は急速に飛翔への不安を露にする。

中世への回帰を目指す、暗黒の狂信者サヴォナローラには格好の標的だったろう。

失墜はイカロスと同様に免れぬ運命だったのかもしれない。

しかしそれほど高く飛んだからこそ、倦怠に満ちたヴィーナスの面差しには、
100年の時を超えてマニエリスムを予言するスタイルを描きえていた。

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December 15, 2004

「アメリカン・サイコ」 B・E・エリス

昨日FRBは再利上げを実施しました。
どうやら世界経済の行方をその手に司るアラン・グリーンスパンは、自国経済の強さに自信をもっているようです。
アメリカ経済の尺度は、消費です。
今年、アメリカの経常赤字は過去最高額を10月までで追い越しました。

12月15日。
アメリカではクリスマス・ホリディです。
経済が好調ということは、消費の暴風雨も絶好調というわけなのでしょう。
日本はもちろん、最近では中国が、韓国が、台湾も、アジア諸国のほとんどがアメリカに多くの品物を輸出します。
ヨーロッパも高級品を、アラブ諸国も原油を輸出します。
アメリカ人がモノを買い捲るので世界経済は回っている訳です。

この季節の風物詩としてCNNのニュースでは、ニューヨークのデパートから大きな美しいショッピングバックをいくつも抱えて出てくるアメリカ人が映し出されます。
彼らは、彼女らは、何を買っているのでしょう? 
 
アメリカ映画では幸せな家庭の象徴として、
クリスマスツリーとその周りに並べられたプレゼントの山を映し出します。
ただ、時にふと思います。
あれほど豊かな家庭に、あれほど大量のプレゼントは必要なのだろうか? と。

この小説は、私が読んだ中で最も壊れた人間、描いた小説です。
勿論、壊れた人間の独白に読めるのは、エリスの技なんです。

主人公は、ウォール街のエリートで、細心の注意を払いながら、自らの完璧な美貌と肉体を磨き上げます。
さほどの理由もなく沢山の人を殺しますが、そこにはすでに殺人という重い意識は欠片もなく、
気に障ったオモチャをぶち壊す凶暴な幼児の衝動が感じられるのみです。

小説の中で無数のブランド名が羅列され、消費の対象にされます。
壊れて荒涼として残骸になった物欲が、腐臭と共に描かれてます。
消費欲の臨界を越えた消費欲は、メルトダウンして自らを果てしなく落とし込むブラックホールのように見えます。

アメリカは何処に漂い、世界はどこまで付き合うのでしょう?
いや付き合うという表現はすでに手遅れかもしれません。
世界はすでに飲み込まれているのかも・・・

イラク問題では一線を画している、ヨーロッパも、経済を発展させている中国も、
原油を輸出してウケに入っているかつての宿敵ロシアですら、
「人は物欲の壊れた動物なのだ」、叫ぶこの小説のテーマに、潔白と胸を張れる国が人がいるのか?
というしごく深い問題を考えます。

PS:
映画化もされてますが、原作の迫力はまったく出ていません。
この小説を忠実に映画化するのは、いくら野放図な表現を許容する現代でも不可能でしょう。

でも観て見たい気もします。
それはすでにパトリック・ベイトマンの一部が、私の中に侵食を始めているからなのでしょうか?

注意:
全編、グロテスクな描写が続きます。
読むときは覚悟をして下さい。
でもグロテスクなだけではない、何かを残す小説だとは思います。

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December 14, 2004

けんか祭り 亀田興毅、第5戦

亀田興毅、好きです。
ボクシングなんだから、あのくらいの勢いがあっていいです。
テレビ、必死で録画しました。
深夜だから忘れちゃうんだよ。
まず大阪市中央公会堂を埋め尽くす、黒い昇り旗にビックリ。
NHKの大河ドラマ、上杉謙信かと思いました。

前回は力み過ぎていたようですが、今回はジャブも出てます。
でもなんで外からばかり打つのでしょうか?
外をあれだけ叩いているのだから、中は空いているじゃないですか。
外からフックを引っ掛ければ話が早いのは分かりますが、少し焦っているように見えてしまいます。

倒したボディブローは良かったと思います。
鍛えられた体と、フットワークでの距離の小刻みなとり方等、18歳とは思えません。

ただ老婆心ながら申し上げれば、相手がダウンしている時は、ニュートラル・コーナーに下がっていた方がいいです。
地元試合ならともかく、世界戦での審判はどう判断するか分かりません。
矢吹丈もホセ・メンドーサ戦でカウントの数えなおしに泣きました。

まだ力んでますねぇ・・・
でもデラホーヤも始めて見た時は、こんなに力んだ構えじゃ、ゴールデン・ボーイも人気だけだ、と思ったものです。
・・・まぁ比べるのは止し時ましょう。

何故か、柔らかいフォームからのボディで倒していた辰ちゃんを、妙に懐かしく思いだします。
4戦目で日本タイトルを獲った試合は凄かった。


世界はまだ遠いかもしれません。
なんせ世界には、トラッシュ中沼の左リバーブローを12R平然と耐え続けた
ポンサクレックみたいな人間がゴロゴロしてるんですから。


でも期待してるよ。
ビックマウスは忘れずに。


また放送日を忘れないようにしないと。
センス抜群のHPをチェックしたいと思います。

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フェラーリF430を買うのは幸福・・・?

フェラーリF430が発表されましたね。
実にいいです。スタイルがまず良い。
ミラーがテスタロッサ風の色気抜群の2本ステー、フロント・ノーズは156F1風のシャーク・ノーズ、
フロントとリアには未来には伝説になるエンツォ、何よりもリアフェンダー上のエアインテークは250LMでは、あーりませんか。
過去の栄光と伝説のメタファーに満ちたスタイリング。
他社がやれば惨めなパクリだけど、フェラーリなら自社の歴史へのオマージュだからね。
走りも言うことなさそう。
8500rpmで490psを発生するエンジン。
アンダーボディの異次元の世界の空力と、
ぶっちぎりの完成度を誇るであろうF1マチック・・・文句のつけようがない。


実は10年以上前に328GTBに乗っていたことがあるんです。
クルマに目覚めると同時に308を雑誌で見かけまして、
美術趣味があるものですから、これは人類史上最も美しいオブジェである、と・・・惚れてしまいまして、
貯金開始。
上手く仕手株で儲けまして、見事29才のみぎりで買いました。
憧れ続けて10年目の快挙。
嬉しかったですよ。人生で嬉し涙が出た初めてにして今の処唯一の経験です。
でも3年で別れを告げることになったのです。

なんかね。もう手に余る・・・
フェラーリはよく美女に喩えられますけど、
1流のモデルとかハリウッド女優とつき合ってるみたいでね。
俺とは、釣り合わなさすぎ。
今度の休みには、あのラーメン屋に行こう、なんて雰囲気にはならない。

だいたい自分の生活パターンがフェラーリじゃないんだよな。
朝起きて、夜まで働いて、休日もそれほどない。
走るとこって行ってもね。
高速に乗って山道走って・・最高でしたけど、同じパターンは結構、飽きます。
山道、遅いクルマも走ってますしね。左ハンドルで追い越しも大変だし・・・

とうとうドエライスピード違反で引っ張れてしまったこともあり、思うにまかせません。
それ以外だと、サーキット走ればタイヤ代が・・・だし、パークハイアットでパーティだよ、とかさ、ないしね。
フェラーリ・ミーティングもね、誘われたんだけど、行列作って走るのもちょっと、って感じなのでした。


有名人でフェラーリオーナーの方、一杯いますけど、白眉は新庄選手でしょうね。
まず容貌、スタイルが満点です。
さらに素晴らしいのが心意気で、
10億もらえる阪神を蹴って1500万のメジャーに行く。
年棒が下がって住民税が払えないから、乗ってるフェラーリをオークションに出す。
私なら10億って言われたら這いつくばりますね。
でもこれだからダメなんでしょう。

フェラーリに乗るには後先を考えない行動、これが一番大切なのを教わりました。

F430、
今となっては、子供も2人おりますが、仮に買ったとしてみましょう。
あくまで仮定でね。
高速を走ります。
最高でしょう。
でも80キロオーバー、すぐですね。
1回でも捕まったら、ただでは済みません。
ワインディングも当然ですが、他車がいます。危ないですね。
なにより実際の生活と、すぐに後先を細々考えてしまう心意気のなさがフェラーリじゃないです。

したがって幸福にはならない・・・
でも欲しい・・・
これは不思議なアンビバレンツな気持ちです。
うーーーーん、幸福になれないのに、雑誌をみていると欲しくなるこの気持ち。

人格が地道なのは救いなのか、否か、という人生への根本的問題が残りますね。

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December 11, 2004

ロード・オブ・ザリング:二つの塔

ファンタジーには苦手意識がある。
SFとか幻想談なら良いのだけど、森の妖精さん、なんかが出てくると付いて行けない。

だからこの映画にもまったく期待してなかったので、実際に見たときは驚いた。
よく撮ったなと、思う他ない。


想像を越える雄大なスケールの画面を見ているうちに、
「スター・ウォーズ」シリーズを思い出した。
「スター・ウォーズ」は、子供向けとされていた「スペース・オペラ」を、
思い切りコストを掛けて、大人が本気で作ったところに発想の斬新さがあった。
第1作目のファーストシーン、
頭上から延々と飛びすぎる巨大な宇宙船に衝撃を受けたのは、そこに驚きと創造性があったからだ。
しかし続編が創られるに連れ、みずみずしい物語の喜びは枯れていったように思える。

ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」の基本設定を、
神話学者ジョセフ・キャンベルの著作「千の顔を持つ英雄」(世界各地の神話の構造を解析した本)
にしめされる公式から創り上げたというが、
その創造性はトルーキンの「指輪物語」に及ばなかったのだ。
(責められないけどね。偉大なシリーズであることには変わりはないし)

「脚本こそがスターだ」という、名プロデュサーR・エバンスの言葉は重いなあ。

この映画の成功は、原作の「魔法の力」が支えているのではないか? と思う。
いくら莫大なコストを映像に掛けても、俳優達が熱演しても
「魔法の力」が宿っていないと、これほどのリアリティは出ないよ。
資金をいくら投入しても、「驚き」という生命力を失いつつある
「スター・ウォーズ・シリーズ」が少し悲しい。


映像のスケールを大幅に変えてしまったこの映画。
歴史的な傑作「指輪物語」が根底としてある以上、
これを越えるモノを造るのは難しいだろう。


この映画のスケールを越える映画が撮られるのは、
「指輪物語」を越える傑作が生まれた時かもしれない。


PS
監督のピーター・ジャクソンは、子供の頃から「指輪物語」の映画化を夢見続けていたという。
思えば叶うという、ファンタジーでは良く言われることが、この映画の実現で一人の男の夢は本当に叶ったのだ。
ファンタジーって、本当にあるんですね。

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December 10, 2004

千と千尋の神隠し>

「経験のない記憶」に泣いた映画。
マジカルな映像の奇跡に満ち、素晴らしい音楽と共に大ヒットを記録した傑作。
少し個人的な思いを書いてみます。

私はこの映画で泣きました。
20年も前の、「経験のない」記憶が蘇ったのです。
社会人になった頃の記憶です。
私は所謂、読書馬鹿で、まぁ働くことより本でも読んで屁理屈を語りたい人間だったのですね。
しかし大学も出る頃になって、やっぱこれはマズイなと、遅まきながら気が付くわけです。

社会は厳しい・・・でも負けたら生きていけない・・・
何をやってもダメ人間、上手くいかなくて当たり前だったのですが、何故か、仕事には根拠のない自信はありました。
でもそれは覚悟の裏返しだったのかもしれません。

仕事の上では、満座で怒鳴られても、叱責されても、打たれ強いのが幸いしました。
それまで恥の多い人生を送ってきたのが幸いしたんですかね。
人一倍、積極的にやり、勉強もしました。
最初はダメでしたが、しだいに認められ、なんとか今があるわけです。
今だってたいしたモノではありません。でもなんとか生きてはいけてるようです。

それで当時、泣いた記憶はありません。
でも心は精一杯、張っていたんでしょうね。
それがこの映画で蘇ってしまった。
自分でも驚きました。
忘れていたんですよ。
だって泣いた事がないのですから、憶えている訳もない。
実体験はないのに、内的体験はあった訳です。
こういう思いをしたのは、この映画だけですね。
極めて特殊な映画体験になりました。

PS:1
それにしても、とてつもない馬鹿両親ですよね。
親父はひたすら低脳だし、母親のあの冷たい態度はなんなんでしょうか?
千尋だけは、最初からトンネルに入るのを(無茶をするのを)警戒したのに、
自分達は愚行を重ね、報いとして豚になり、
娘は新たな環境で周囲に怯え、やり手婆に怒鳴られ、名前を奪われ(源氏名のことね)、
蛙のような親父にこき使われ、同僚はみんな女性、気味の悪い客が一杯いて(でも神様=客という図式)、
湯屋で働き、汚い客をお湯で世話すると、とてつもない金を産む。ストーカーが暴れだす。
愛を見つけ、婆の息子の心を捉えて自由を得る・・・
この映画を少女が身売りされる話とする見方もありますが、説得力を感じてしまう。


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December 09, 2004

アルマーニ

俺の一番嫌いなことが洋服選び。
洋服屋に入ると、この膨大な服の中からどうやって1着を選ぶのか、と気が遠くなるんだよね。

せっかく良いのがあっても俺が着ると
「なんじゃこりゃ」(←松田優作のセリフでな)
になっちゃうからね。

それでも「いつも同じ格好をしてるのも、いかかがなモノか?」と周囲に言われて、
アルマーニの直営店に行ったことがある。
なんでそれほどぶっ飛んだ行動に走ったかというと、大分昔のことなんで忘れたけど、
多分映画か誰かのエッセイか小説にアルマーニのことが書いてあったんだと思うんだ。


アルマーニの店は足を一歩踏み入れたとこから、もう極度の緊張を強いるな。
ギクシャクして歩き方がロボコップ状態。

それから急に人の心が読めるようになった。
微笑みを浮かべるマヌカンの心が読めるんだよ。
「買うな買うな買うな買うな」
って、思っていたろう。

スーツとかコートとかのコーナーに近づくような命知らずなことは流石にしなかった。
それで一番安そうなシャツのコーナーにいって値段みたら5万幾らだったかな。
シャツが5万ってさ、ふざけんじゃないって。
アフリカには飢えた子供がいるんだぞ、って急な義憤に駆られつつ、逃げるように店を出ました。


これは現代モード帝国の帝王、ジョルジオ・アルマーニのドキュメンタリーです。

銀髪の帝王は、一種の強迫性障害に近い完全主義者。
あらゆる事を自分でやらないと気が済まない。
ショーの演出への妥協のなさ、キレっぷり、から果ては、自分の店の小さなライトの当て方、服を何着並べるかまで、ともかく異常に細かいとこまで指示するのには驚く。
パーティを開くと、ウエイターの動きまで指示する。

自分の美意識の完璧な実現以外のことは考えてないから天才なんだろうが、
こんなに働くイタリア人っているんですね。
独裁的なとこはユリウス・カエサル並、ローマも一日にしてならなかったろうが、
現代のモード帝国も、「スカートの揺らぎひとつにまで神経を尖らせる」繊細さが支えているんだな。

25年間私は休みなしで働いた、っていうから感心してたら、
地中海にリゾートホテルみたいな別荘があるじゃん、それはいいけど、一ヶ月の休暇は人生の一部だってさ。
休んでるだろが!
それなら俺のお盆休み5日ってのはどうなる、と問いたい。
問わないけど。


アルマーニ自身は小柄だけど、鍛えられた体を持ち、自分が何よりの広告塔なのを意識している。
あの年であの体を維持するのはかなり鍛えてないと無理だ。

「人であるより、アルマーニであることを選ぶ」という。

小さい奴は自我の強い奴が多い気がする。
一寸法師とかさ、小さいけど、負けん気が強いだろ。鬼が相手でも負けない。
アルマーニもそんな感じ。ハリウッドやスポーツ界への臭覚の鋭さ、
あらゆる困難を乗り越えようとする鋼鉄の意志が、
新宿の№1ホスト、ヨシキが憧れる服を作っている世の不思議さを堪能できました。

PS
自家用ジェット機に乗っているシーンがあるんだけど、窓から外を眺めているアルマーニをみていると、
日本人はCMのせいか、高須クリニックの医者を思いだすんだよな。
アルマーニが「イエス、タカス・クリニック」って言ったらどうしようかと思った。

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December 08, 2004

アンダーカバー・ブラザー

ソウル・トレイン、パウエル国務長官、J・ブラウン、デニス・ロッドマン、シャキール・オニール、
キャデラック・ドヴィル、アリーmyラヴ、フレンズ、ヒップホップ、オースチン・パワーズ・シリーズ、
O・Jシンプソン事件、エボニー&アイボリー(ヒット曲の)、アース・ウインド・&ファイヤー・・・

単語を長々と書いたけど、理由がある。
この映画のオススメ度合いは、ちょっとやっかいかも。

小道具の使い方から、ちょっとしたネーミング、セリフ一つ一つへの計算、挿入される曲
コスチューム、からヘアスタイルにいたるまで、実に細かく神経を使っていて、成功している。
アメリカ人なら誰でも知っていて、笑っていることを上手く映画にしている1本なんですが、
さっき書いた単語にピンと来ないアメリカ・バカ文化に毒されてない人には余り面白くないかも・・・
毒されちゃってるバカな人には、お奨めの1品。

範疇は「スパイ陰謀モノのパロディ」
「キャッツ&ドッグス」って映画があったでしょ。 
人間の知らないところで、実は猫と犬が強烈なハイテク・スパイ合戦を繰り広げていて、
覇権を争っているという映画。公開時の宣伝の割にはイマイチの創り込みでした。

これは同じテーマで、アホな白人の陰謀に、マヌケな黒人の地下組織が抵抗するって映画。

この映画を見て良いなー、とほのぼの出来るのは、
黒人のアホらしさを黒人が、白人の野暮ったさを白人が、嬉々として演じているとこ。
アメリカン・コメディ好きの俺としは、I Feel Good.(←みれば分かる。JBはスゴイわ)

PS:1
マヨネーズと激辛ソースのくだりは知らなかった。でも言われてみるとそんな感じ。

PS:2
アメリカ人って、女性の濡れた姿が好きだよね。ここの好みはわからんです。

PS:3
ジャズもロックも黒人のブルースが基本だろう、だからそれだけでプライドも持っているんだろう、
って部外者の俺などは思っていたんだけど、
結局、黒人の声で毎日ラジオからヒット曲として流なれてなダメなんだな。
大衆的な人気を誇ったソウル・ミュージックが、いかに黒人のプライドになったのか分かりました。

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December 07, 2004

師走歳時記「このミスがすごい」はすごいか?

たったの63P、380円の本というより、少し厚手のパンフみたいな一冊に、
私が毒を直感したのが、日本がバブルへと突き進む1988年だったのだなぁ、と、今となっては感慨無量だ。

あの頃、私は30才で、仕事は疲れる上に、休日は勉強会や研修会、
プライベートでは、モテナイ現実を何とかしようと、見合いなんぞを繰り返していたのだった。

体験した人なら分かると思うけど、休みなのにスーツ着て、緊張して・・・退屈だよね。
一番気の毒なのは、俺と会ってる女性なんだけどさ。
食べたくもないフレンチのランチなんかを挟んで「ご趣味は」
なんてやるんだわさ。
女からしても、会った瞬間「ごきげんよう」って帰りたくなったりしたんだろうが、
そこはお互い世間を背負っているからね。
最低限は礼儀として、つき合う訳だ。お茶を飲むとこ位までね。
そしてお互いに貴重な休日が潰れる訳・・・

場所は銀座が多かった。
上品だし、手頃なめし屋は多いし、映画館、散歩する公園もあるしね。

終わるとね。傷ついた心を癒すように、俺は本屋に行くのである。

銀座だから旭屋書店ね。
そこで初めて買った時は、歩きながらドキドキしました。
これはミステリー好きの変態が作った本で、読む前から楽しめる、って分かっていたから。
いつものようにまっすぐ帰らず、疲れた自分にビールを奢ろう、と浮き立って、
ニュートーキョーに行ったのな。

1杯飲んだ処で席を立ったね。
すぐ旭屋書店に逆戻り。
紹介された本が今すぐ読みたくなったんだよ。
両手一杯買いました。

以下、もうグロリア・ゲイナーの「I Will Survive」の気分だよね。

つまらないことで休日が潰れても、
明日は鬱な仕事があっても、
両手一杯のミステリーがあれば生きて行ける・・・

なんてな。

師走の寒風の中、数寄屋通りを歩いて再びニュートーキョーだ。
ビールの追加ね。
隣に女はいないけど、ミステリーが一杯だい。


94年に「このミス」は100ページを越える。
この辺りからメジャーになり、
同時に毒気が抜け始める。(はしゃいだ感じが嫌なの。陰気にやって欲しいんだよ)

マイナーだった存在がメジャーになると、
「俺だけの友達だと思ったのに、最近有名になって変わったよね」
なんてひねくれる。

創刊から早くも16年、
今年も「このミス」が発売された。
今年はビンテージ(紹介されている本の質が高い時をそう呼んでます)だといいな。
年末年初は何を読みましょうかね。

PS:似た企画の本が一杯でてるので、
類似品にご注意下さい。

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December 06, 2004

「バトル・ロワイヤルⅡ 鎮魂歌」

だいたいね、映画なんてもんは、みんな突っ込み処があるもんです。
2時間平均で話を一つまとめるんだしさ、みんな結局夢を見に来るんだから、
「それを言っちゃあ、おしまいよ」
て暗黙の了解はあるもんだ。

なんでロボットを未来から送れるのに裸なの?
とかさ、
B・ウィリスやメル・ギブソンにはなんで弾が当たらないの? 
とかね。

どこからどう見ても破綻がない、なんてのは映画としては生命力が無かったりしてね。
そんなもんです。
作り話しに、如何に命を吹き込んだか?
その腕に、お客はお金を払います。


これは干からびたソーセージみたいな出来の映画。
映画とか本って、あくまで好みなので、好きならそれで他人に文句を言われる筋合いはないって思うから、
あまり悪口は書きたくないんだけど、
これ1作目は及第点だったと思うので、
間違ってこれを借りる人に警告する意味で書いてしまおう。


クランクイン直後に亡くなった、深作矜二は、本当にこの脚本で創る気だったんだろうか?
天才、深作矜二なら撮れたのかな?

名前を宣伝に使っただけなら、名監督への冒涜だね。


結論
藤原竜也、前田亜季、前田愛ファン以外なら止めた方がいいと思うよ。


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December 05, 2004

「チャンピオン伝説」

今時、こんなビデオ、誰も見ないんだろうなー、
ボクシングに興味のない人は見ないだろうし、好きな人でもアリ、フォアマン、フレイジャーには新鮮味がない。
題名からしてダサイしな。
レンタルビデオ屋でも片隅で埃を被っているに違いない、と思うような映画・・・

内容は、ヘビー級ボクシングが最も輝いていた時代の3選手を中心に、
当時の試合と、現在のインタビューをまとめたもの。

そもそも何故この当時のヘビー級が輝いていたかというと、アリという一人の卓越した人間が、スポーツの枠を越え公民権運動やベトナム反戦の旗手となり、当時のアメリカそのものと戦っていたという事と同時に、リングの上には個性的で魅力的なライバル、フォアマン、フレイジャーが揃っていたという、時代状況とライバル選手の両方に恵まれていたという幸運があったわけだ。

名選手は一人だけでは輝けないということから考えると、
ファイトスタイルから人柄まで全く違う3人がぶつかり合った時代は、
やはり伝説を生むに相応しい状況だったんだなぁ、と感慨も新たで、かなり面白かった。

そこで今回、改めて見た(短い切り張りのフィルムでだけど)3人の選手について思ったことを書いてみよう。

1)モハメッド・アリ
ファイト・スタイルのスピードの上がった今見ても、かなり変わった選手。
当時としとの革新性はまさに時代を越えていたんだろうな、と思わせる。

ガードを上げず、パンチは手打ち、踊るようにフットワークを使う。
大男が力任せに殴り合うというヘビー級とは思えないよね。

「蝶のように舞、蜂のように刺す」というアリ自身の言葉は、
流石に巧く自分を表現していると思う。
パンチは手打ちでもタイミングの捉え方、正確さが絶妙。

「キンシャサの奇跡」を生んだ、ロープザドープは、結局、フォアマンのパンチの伸びきりを狙っていたんだな。
どんなに強いパンチでも伸びきってからなら耐えられる。
意識さえ飛ばされなければ、ボディは打たれても、体を反らしているから見える。タイミングは計れる。
それなら腹筋を絞めればイイ。
言うのは簡単だけど、それが出来たのは世界でアリ一人。

試合前に、「フォアマンは序盤だけの選手」と言っているのも、
最近の大型ヘビー級選手の突然の失速をみると納得出来る。
人間の心臓は、体の筋肉量ほど個人差は出にくく結果、
大きな選手はラッシュするときのパワーは凄まじくてもバテ易い。
しかしそれを自分の問題として、恐怖を乗り越え見切ったんだから伝説の価値はある。

2)ジョージ・フォアマン
盛り上がった筋肉は3人の中でも頭抜けていて、ジャブもストレートも基本に忠実だ。

パンチは「象でも倒す、何処に当たっても効く、何処でもパンチ」と言われていた。
試合に勝つと、小さなアメリカ国旗をふり、丁寧に頭を下げる姿がひときわ印象的。
牧師に転身したように、優しい心を感じさせるが、メンタルが弱かったかな。

「俺は睨み付けていたよ、奴の視線を捉えて放さない覚悟だった。奴が下を向いたら、俺の膝が震えているのがわかっちまう」
今度、黒人の大男に睨まれたら、そいつの膝が笑っているのかどうか見るのもイイかもしれない。
(俺じゃ無駄か・・・逃げるか、叫ぶか、財布を渡すのが一番だな)

「パンチが顔の横を過ぎったんだ、ヒュッ、ライフルの弾丸が行き過ぎたようだった」
フレイジャーのパンチをこう表現してました。
弾丸並のパンチ。やっぱ凄い世界なんだな、と改めて思う。
フレイジャーを6度ダウンさせて勝つけど、これは妥当な結果。
フッカーはストレートパンチャーに勝てないという、ボクシング物理の法則が有りますからね。(ないかな?)

ザイールでは、「自分だけが黒人の代表」と言い切るアリに、
心理的にも追い込まれていたんだろうな。それが疲労を倍加させた。


3)ジョー・フレイジャー
映画「ロッキー」は裁判にもなったエピソード(チャック・ウエップナーvsアリ)があるんだけど、
それとは別にスタローンの演じるロッキーのファイトスタイルは、フレイジャーなのを確信した。
ダックして、頭を振って、左右のフック。

特に相手に飛び込む時の動作(右のガードを挙げて踏み込むとこ)はそっくり。

尤も映画的に盛り上げるには、打ちつ打たれつのこのやり方が一番だ。
アリのようにスピードと狡知を使うスタイルや、
フォアマンのようなに体力で圧倒するのは、ハラハラさせるドラマにし難いしね。
それからスタローンという俳優の個性も、不器用だけどファイトはあるというとこがフレイジャータイプですね。

今みてもダックする(アヒルが水を飲むように、上体を屈めて相手のパンチを避ける動作のこと)スピードもタイミングも抜群で、異様に伸びるフックの魅力と迫力は抜群だ。
私、個人的に好きなんです、こういうタイプ。
愚直なほど1本調子なのがイイ。(他の闘い方は出来ないんだろうけど)

という訳で、予想と違いかなり楽しんでしまいました。
3人の対談も人柄の違いが出ていて、面白かった。


結論
ボクシングマニアはやはり必見。でも興味のない人には詰まらない。

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「夏祭り、 薔薇船」  小池真理子

冬の最中に「夏祭り」という本を推薦するのもなんですが、
人間寒くなると、
「やっぱり夏の暑さは良いな、何もしなくてもじっとりと汗ばむ位でないとダメだ」
なんて思うものです。
(もっとも暑くなればなったで「やっぱり寒い位でないと気持ちが引き締まらないね」なんて思うんだけどね、
俺の場合)


「夏祭り」は、とても怖い作品です。

一人の平凡な主婦は、何故にそれほど夏祭りが怖いのか?

小池真理子は、不可解な謎を提示した後、
ノスタルジックな夏休みの情景を生き生きと描写します。
これが巧いんです。
「信州」の「田舎」の「森の鎮守」の夏祭り・・・夏休み・・・
私は何度となく夏祭りなど行きましたが、この短編を読むと不思議な郷愁を覚えると同時に、喪失感を感じさせられるのです。もっと極端にいえば疎外された感じ。
どうしてそんな感覚を覚えるかというと、
ここで描かれる夏休みは、日本人の持つ神話的な理想的な夏祭り、夏休みなんですね。
それに自分は参加することが出来なかったという思い・・・


「ボクの夏休み」というゲームソフトがありましたが、あのソフトのヒットは、
みんながそんな風に感じる潜在需要があったからではないのかなぁ、と考えてます。
本来、昔からそれは「ある」モノで有りながら、失ったことを自覚しているが故に、訪れる憧憬・・・

その後、話は不気味な不協和音を発しながら、急速に禍々しい色調を帯び始めます。

そしてラストの衝撃。
ちょっとしたものです。
ぜひ御一読を。


この作品は、「薔薇船」という短編集に入っています。
この本は他の作品も素敵です。
「鬼灯」のラストの余韻
表題にもなった「薔薇船」の冒頭の雨のシーンが心に残りました。

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December 01, 2004

「モンタレー・ポップ」

1967年6月、カリフォルニアのモンタレーで行われた野外ロックフェスティバルのドキュメンタリーフィルム。

ロック・ミュージックが今のように、日々消費される「音楽産業の1分野」ではなく、
その愛と自由の精神が、世界を変える! と本気で信じられていた時代が、かつてあったのだ。
髪に花をさして、サイケデリックなファッションを身にまとい「自由」なロック・フェスティバルに参加をすれば、
世界が変わる。ベトナムは平和になり、性が解放され、人々は愛し合い抑圧はなくなる・・・・

先端の芸術は、その端緒において総て革命的であり、現実生活の歪みを告発し変革をせまる。
そして、幾ばくかの影響を残すと、巨大な「日常」に取り込まれていき「安全な産業」になる、んですね。

著名なミュージシャンが多数参加していますが、今聞いても心を動かされるのは、死んでしまったジャニス・ジョプリンとジミ・ヘンドリックスのみ。この二人は、余りに深く時代とコミットし、結果として自らを殺し、その代償として音楽は、時代を越えて古びない。
(最近、某CMで使われるジャニスの歌声には痺れます@フェラーリの出てる奴ね)

R・ストーンズの演奏が今より、やけに軽くポップに聞こえる。
老舗は変わらないようでいて、味付けは時代の先を読み続けているんだね。
30年来トップセールスを続けている、カップヌードルの味って、毎年微妙に変えているって知ってました? 
なんだかそんなことを思いだしたよ。悪口ではありませんよ。大した努力と感性の持続だと思うのです。

最後はラビ・シャンカールのシタールで終わる。
インド哲学への傾倒ってのも流行りだったんだよね。
閉塞した社会を、本気で打ち破ろう、その為なら馴染みのない難解な異文化からでも、何かを学び取ろうという気概は、確かにあった時代だったのだ。

結論
60年代後半のロックについて、温故知新したい人なら・・・

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